楽園の巫女様が根暗男に病む話   作:足洗

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短め。
ようやく病みはじめ。




聲・中身のこと

 

 

 

 私にとって世界とは、まるで指揮者不在のオーケストラだ。

 人も妖も皆、心に一つ楽器を飼う。それらが大小、質も色も様々に鳴り響く。雑多で不揃い。膨大で不規則。一つとして同じものがない旋律の濁流。好悪だの快不快だの悠長な感慨を押し流す“声”達の氾濫。

 そんなだから、いつしか私はその内容に興味を失くした。一々一つ一つ吟味する余裕がなくなったというのも事実だし、注して(かかずら)うだけの価値あるものは極僅かであったことも真実だ。

 選別的な無関心を獲得してみると、この能力を厭う気も失せた。これは所詮顔に付属する目や鼻や耳と同じ、それをやや拡張する外付けの眼球でしかない。

 だから、あの娘はきっと――――こいしは誠実過ぎたのだ。一つ一つの声の価値を、信じ過ぎてしまったのだ。だから、だから。

 覚り妖怪としての自負、などと。そこまで大仰に構えている心算はなかった。ただ、この生まれと、生まれ持ったものに、そう悲嘆することはないのだと知った。

 私は覚り。心を読むが本分。獣化け、蟲化けが人間を喰らうように、鬼が武威を誇るように、心を覗き暴き晒す。

 厭わしかろ。忌々しかろ。それで構わぬ。それで正しい。

 誰かが何を想おうと自由。誰かに何を想われようと興味はない。

 

 

 そうしてまた一つ。鬼に伴われて新たな楽器が現れた。殊に多彩で、喧しい音色を持つ種族。

 人間。人間の青年。

 厄介な、と刹那に思ったものだ。

 人間の楽器の旋律の、その移ろい易さは妖怪など比べるべくもない。調律の狂った洋琴(ピアノ)の方がよほどに安定しているくらいに、人心とはとても脆く、斯くも爆竹めいて前触れがない。

 だから、彼の“声”の、そのあまりの静けさに私は密かに驚愕した。人にしては珍しい型の楽器だと。

 楽器だと、思っていた。

 しかし、彼が地霊殿に落ち着いて、彼の声を間近に聴く機会が日増しになるにつれ、私は大いに首を捻ることになる。

 彼の声は、静か過ぎた。人らしくなかった。いや、生き物らしさが不足していた。

 彼の声は楽器ではない。まるで、そう、タイプライターだ。

 正しい順序と規則的な文字列、整然とした行間隔。響くのは旋律ではなく、打鍵される文字盤(キー)と紙面を叩く印字判(ハンマー)。そして時折、改行レバーが引き戻される。

 非人間的、機械的に製造される声。

 けれど、硬質で色彩の乏しい、モノクロのような声は……不思議と、暖かだった。

 その理由はわかっている。私自らが特別ではないとの判を烙印したもの。思慮深く、利他的で、労しげなその思考。

 機械が人間のふりをするような、あるいは人間が機械を真似ている。

 思想、心情、それらを硬い鋼鉄で覆い隠し、想いも願いも圧し殺している。

 ……そうか。

 彼は、心を殺している。人間らしい心の生彩を、ほんの微かな望みを抱くことすら自らに許していない。

 彼の過去にそうした、一種強迫的ともいえる思考形態に陥るに至った原因があるのかもしれない。私の能力はあくまで心を読むのであって、過去の記憶まで読み取ることは困難だ。……不可能ではないが、うっかりと地雷(トラウマ)を掘り返して爆死させてしまいました、では幾らなんでもあまりに非道だろう。

 滅私と博愛の権化。

 ……流石に、これは言い過ぎか。

 あくまでも声を覚った私の印象である。まるっきり見当違い、勘違いの可能性だってある。厳密なところはよくわからない。

 そう、わからない。理解するにはもっと見聞きせねば。

 確かめるには、より多くの観察が必要だった。

 

 

 彼を眼で追うようになった。

 勿論それは視覚的な意味ではなく、この第三の眼(サードアイ)を通した心の聴取という意味で。

 能力の効果範囲内であれば、この眼は壁や床といった物理的遮蔽すら無視する。まあそれが厄介だから屋敷に引き篭もっている訳だが……。

 さても地霊殿の敷地内なら確実に()()に収まる。

 時刻はそろそろ零時を数えそう。青年は既に、宛がわれた自室に戻っていた。

 聞かせてもらおう。その心の根、彼の深層。

 

 ――霊烏路さんが、人参を食べてくださらない……

 

「…………」

 

 やにわに脱力感が全身を襲った。

 

 ――塩揉みして臭みを消し、食感が消えるまでみじん切りにした上でハンバーグに仕込んだものを、まさか見抜かれるとは……流石は鴉の化身。人間の嗅覚などは及びもつかぬ、か……

 

 なんだか物凄く馬鹿らしくなってきた。先程まで悲愴感たっぷりに繰り広げていたこの分析、まさか一から十まで全て勘違いだったのではなかろうか。

 

 ――火焔猫さんは既に諦めておられた。おそらく彼女も、幾度もの挑戦と敗北を経た上でその境地へと至ったに違いあるまい。先達の教訓に倣うべきか? いや、しかし、幼子の食育を軽々に投げ出す訳には

 

 お空は言動こそ幼いが、確実に貴方よりも長く生きているのだが。

 

 ――ここはあえて素材の味を活かし無理矢理にも舌を慣れさせてしまうという手も……いや、いやいや苦手克服にそのような荒療治は悪手である。苦手意識がより根付いては元も子もないのだ。やはり当初の手法、カレーのような濃く強い味付けの料理に密かに混ぜ入れるのが確実か。臭みを消すには熱を通す、あるいは酸味を加えて……チーズをふんだんに使ったグラタンという手も

 

「……はぁ」

 

 卓に頬杖をついて溜息を落とす。

 その後も彼はああでもないこうでもないとお空用人参レシピの構想を練り続けた。どうやらノートに書付までして。生真面目というか馬鹿真面目というか。

 

 ――次は、食べてくださるとよいのだが

 

「……ぷっ、ふふふ」

 

 静かな声はそう締め括り、レシピノートをそっと閉じた。

 今更人間の心なんて、覗いたところでどうとも思わない。想うことはない。

 想うことなんてないけれど。

 

「ふふふっ」

 

 私は一人、書斎の椅子でくすくすと笑った。

 優しいタイプライターだこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は自覚する。厭世観と無関心を標榜していながら。

 興味が湧いた。

 好奇心が疼く。

 私は観念して、彼に対して抱いたこの少なくない関心を告白する。

 

 

 

 

 

 ――洗濯物の乾きが良い。灼熱地獄が近いからであろうか

 

 それからはよく、彼の声に“眼”を合わせることが多くなった。

 

 ――ペットの方々も、己の存在に随分と馴染んでくれた様子。ひどく、有り難い

 

 静かな声、理路整然で丁重尊重を貫く言葉、機械の手触りとは裏腹に宿るその人肌の温度。

 不思議な日々。驚くほどに変化に乏しい日常の連続、そのさらなる続きでしかない毎日。

 

 ――霊烏路さん、転寝を……いや昼寝か? 確かに気候は暖かではあるが……何か掛ける物をお持ちしよう

「サボタージュですかお空。いえ、貴方もそこは起こしてください」

 

 けれど穏やかだった。そして以前よりもほんの少しだけ、暖かだった。

 

 ――あの猫車は、確か火焔猫さんの…………見てはならぬ。見る必要のない事柄というものがこの世にはある。当人に報告だけ差し上げておこう

「ふふ、そうそう。見ない方が身の為ですよ」

 

 彼の心を聴くことが、すっかりと日課になっていた。別にそのように取り決めた訳ではないし、要不要を言えば全く不要な行為だった。雇い入れた人足の素行を知る、そんな名目も宛がってはみたが。彼の為人(ひととなり)はもう既に地霊殿においては周知のこと。

 それでも毎日、彼の声を聴いた。彼の声をなんとはなしに聴き続けた。彼の声を――ただ、聴きたかった。

 

 ――あれは、古明地さん

「!」

 

 知らず知らず、窓辺に立って彼を見下ろしていた。胸の“眼”と、顔に埋まった両目で見ていた。

 中庭からこちらを認めて、彼はそっと会釈を寄越す。

 決して豊かとはいえないその表情に、柔らかな色が差したように見えた――それは私の願望だろうか。

 

 ――今日も、心健やかで在られるでしょうか

「ええ、お蔭様で」

 ――庭の椿が見頃です。散歩にはよい日和かと

「あら、それじゃあ後で、少し歩いてみましょう」

 ――予てより懸案しておりました霊烏路さんの好き嫌いですが、このほどキャロットケーキを試作したところ大変好評でした。よろしければ午後の茶請けにお持ちしたく

「まだやってたんですね、それ……」

 

 律儀過ぎてそろそろ失笑も出ない。こちらのこの呆れ顔を是非に気付かせてやりたいものだ。

 

 ――感謝を

「…………」

 

 今一度、その場で辞儀すると、彼は所定の仕事に戻った。

 私を見付け、こうして()()を交わす時、彼は必ずそう締め括る。なにくれとなく抱かれる私に対する全幅の、感謝。

 その時、私は気付く。気付いてしまう。

 機械のようだと。タイプライターと揶揄したその“声”の中に、微かに響く旋律を。ゼンマイの切れかけたオルゴールのように、ほんの一櫛分、弾ける鉄琴。あまりにも儚げな、しかし美しい音色が。

 

「…………」

 

 彼の心を凍て殺すものがなんなのか、尋ねることは躊躇われた。きっと問えば彼は答えてくれる。あの静かな声で答えてくれる。

 けれど、そんなものは聞きたくなかった。苦悶を、喘鳴を、人心を黙殺した機械音声など。

 聴きたいのは。私がこの眼で、感じたいのは。

 

「…………もっと」

 

 彼の声が聴きたかった。

 心の奥の、閉ざされたその肉の聲を。

 

 

 

 

 

 

 

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