楽園の巫女様が根暗男に病む話   作:足洗

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地の文よりセリフを書く方が楽しい気がする(書けているとは言ってない)




嘘・赤い嫉妬

 吹き染められた大根は、箸で苦もなく裂き割れる。

 新鮮な葛を使った餡は、ともすれば糸を引くほどに粘る。とろむ。

 醤油、酒、味醂、酢と生姜のしぼり汁、昆布出汁を少々。味付けは頗る素朴だが、それだけに出来に言い訳が利かぬ。

 固唾を飲むかの心地で、己は待った。

 囲炉裏の茣蓙に腰を据え、一人の少女が膳を前にしている。箸を手に一皿目、大根の葛餡かけを今、頬張る。

 

「あんむ」

「……」

「んむんむ」

 

 目を閉じ、頻りに頷く。左右の側頭部から伸びた樹木のような質感の角が、それに随って揺れた。

 味をより深く、検められている。その実感はこの身の緊張感をさらに高めた。

 少女は目を開き、こちらを見て、にっと笑った。

 

「美味い! よっく味が沁みてるよぉ。そしてなにより……」

 

 言うや、彼女は己が傍らの大きな瓢箪を掲げた。木栓(コルク)を親指で弾き、呷る。

 喉が上下して、これでもかと嚥下の音が響き渡った。ごぐり、ごぐり、と。

 

「だっはぁ! 酒に合う!! いいね! 合格! なっははははは!!」

「身に余る御褒辞。(かたじけの)う存じます」

「ふはははは! よきにはからえよきにはからえぃ! まむまむ……お代わり!」

「は、どうぞお好きなだけ」

 

 差し出された皿を受け取る。これほど気に入ってくださるならば、大鍋一つといわず拵えよう。

 ほくほくと綻ぶ少女、伊吹萃香さんの様子に、内心でそのように胸を撫で下ろしていた。

 ここは廃寺。どうしてか旧地獄を称するこの地底で、岩壁に埋もれるようにして建立された小さな御堂。そこに隣接する家屋の居間で今宵、怪奇な酒宴が開かれていた。

 ふと、囲炉裏のもう一角を見る。

 

「……」

「星熊さん?」

「ん……? ああ」

 

 なにやらぼんやりと火に目を落としておられた彼女は、こちらの声に気を取り戻す。

 彼女は手元の小鉢を一つ取り上げて示す。

 

「こいつは韮かい。かかってんのはいつもの辛子味噌だね」

「一通りの調味料と胡麻で和え、鷹の爪を刻み入れました」

「ほーん……んぁあ、こりゃ癖になる。うまい」

「それはよかった」

 

 星熊勇儀というひとは、ほんの一言にもその真心を顕される。彼女の「うまい」は、俺にいつも否応なく喜びを呉れた。大袈裟ではない。ただの真実である。

 

「いや大袈裟だよ。真実(マジ)に」

「んふふふふふふ。勇儀は辛いの好きだもんなぁ? え? なに? いつもの味なの? 女房(かかあ)の味なの? ん? ん~?」

「…………」

 

 抉り込むような角度で星熊さんを伊吹さんが覗き込む。瓢箪に頬擦りする赤ら顔は実に、実に愉快げであった。

 そして星熊さんの表情はどこまでも対照的であった。

 風を切る。残像が空気中に刻まれるほどの速度で走ったのは、星熊さんのその手掌。

 ぐわし、と。彼女は皿に盛られた車海老の素揚げを掴み取った。伊吹さんの膳のそれを。

 そして丸ごと五尾を全て頬張り、ばりばりと咀嚼する。

 

「あ゛ぁぁぁあ!?」

「……」

 

 絶叫する少女の傍ら、彼女は赤漆の盃を傾け、大量の清酒と共に口中のそれを腹に流し入れた。

 

「ふはっ、あぁうまかった。しかし地底(ここいら)で海老なんざよく手に入ったね」

「私のエビぃ!!」

「今日は折よく、外に交易を持つ行商が、旧都の市に食材を卸したばかりのところへ行き会いまして。まさかこちらで産地直送の車海老が店頭に並ぶ光景を目にするとは、自分とて思いもいたしませんでした」

「エビぃぃぃ……!!」

「またぞろ隙間妖怪の気紛れかねぇ。案外その行商ってのも八雲所縁の者かもしれんぜ。ゆかりだけに」

「あまり捻りがありませんね」

「うっさいほっとけ、ばぁか」

「ふふっ、失礼を」

「エビ……」

 

 平皿をわなわなと押し戴きながら切なげに伊吹さんは呟いた。意図して無視していた訳ではないが、小さな童が消沈する様は良心が痛む。

 少女の頭上に戴かれた皿を丁重に受け取った。

 

「海老はまだまだございます。揚げ物以外にお好みがありましたら、どうぞ遠慮なく仰ってくだ──」

「艶煮がいい! エビといったらこれよ! もう香りだけで一升いけちゃうもんね!」

「おい、調子こいてややこしい注文するんじゃないよ」

「いえ、問題ありません。承りました」

「そらみろ聞きなよ。受け賜るとさ! ならば()は急げだ。さあさあよよよいよよよい!」

 

 拍手を打って景気よく囃し立てる少女に笑む。どうやら己は此方の上機嫌を獲得できたらしい。

 

「つみれ鍋がそろそろ頃合いかと。山独活の天麩羅は熱いゆえお気をつけを。自分は一旦、厨房に戻ります。御用がありましたらお声掛けください。海老は少々お待ちを。先に鯉のあらいをお持ちします」

「鯉の……って、お前さんそんなもんどこで覚えてくるんだい」

「以前、小料理屋でアルバイト……一年ほど下働きを。ほんの、些細な手妻です」

 

 当時、己は中学生。求人募集ではなく、母の伝手を頼ってありついた仕事だった。

 江戸前の和食を饗する小造りで、本格派の古風な店構えであった。その店主がどうも、気前がよいというか変人気質というか……なんのかのと調理の手解きをしてくれたのだ。まるきり料理人の修行のような様相で。無論のこと、己はその当時も今も調理師免許など持ってはいない。今にして思えばなかなか、()()()()職場環境だったと言えよう。

 ふと見れば、赤い酒盃が乾いていた。傍にある徳利を持ち上げ、注ぎ口を向ける。美濃焼きの大振りなもので、どちらかといえば(かめ)と呼ぶ方が適している。

 

「どうぞ」

「ん」

 

 一升を注ぎ容れられるという星熊童子の大盃に、この程度の徳利ではまさしく雀の涙だが。

 清らかな酒精の瑞の音。

 それに一瞬、彼女の顔が綻んだように見えた。そうならいい。そうであってくれたなら、嬉しい。

 

「あんま無理すんじゃないよ」

「無理などと。拙い酒肴ではありますが、どうやら喜んでいただけたようで……己こそ嬉しうございます」

「……そうかい」

「では」

 

 会釈してその場を立ち、厨房へと出戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いひ、にひひひひひ」

「気っ色の悪い声出すんじゃないよ」

 

 盃を一嘗めして、片目で萃香を睨む。

 童は童らしからぬ助平面でなおも笑った。

 

「甲斐甲斐しいねぇ。えぇ? いやぁ正直言って話半分だったけどありゃ噂以上だ。イイの捕まえたねぇ勇儀ぃ」

「はんっ」

「ケケケ、私が持て成されてんのがそんなに気に食わないかい? いや困っちゃうねぇ。お兄さんったらあんな熱っぽい目で見てくるんだもん。あぁっ可憐すぎるのが罪なのかしらん」

「………………」

「黙って引くなよ。せめてなんか言え」

 

 決まりの悪さの誤魔化しか、萃香は山独活の天麩羅を頬張った。

 

「あぢっ、あぢぢぢ……うむん、芯まで柔らか。塩より汁かなこりゃ」

「……お前さんにはどう見えた」

「ん~? あの兄さんかい? 善人なんじゃない。あんたの言う通り」

「……」

「おや、そう答えて欲しかったんじゃあないの? くく」

 

 笑みが上る。少女のような顔貌に突如、千年樹の如き老獪さで。

 返す言葉はなかった。自覚はないが、どうやらそっくりその通りだからだ。

 萃香は瓢箪を一吸いして、酒臭い笑声を上げた。

 

「確かにね。ありゃ難物だ。おかしな歪み方したもんだ。死に損なった勢いの残った惰性でなんとか生きてるふりしてるって感じ。ホントならあんたが心底嫌う手合いだってのもわかるよ」

「悪い奴じゃねぇんだ」

 

 まるで言い訳のように、そんな譫言が口をついた。

 

「おぉ、そうだね。善い奴だね。優しい子だね。他人を慮って、他人をとっても愛してるね──自分自身を憎む分だけ」

「……」

「今時珍しいってのは私も同感。一昔前は結構見たよ。戦の時分なんかはそこら中で、親兄弟亡くしたガキがあんな目をしてたっけ。ふふふ、懐かしいねぇ」

 

 瓢箪の口の中に過去でも映ってるのか。鬼の頭領はいつかどこかを見下ろしながらに言った。

 その内、己の大盃の水面にも何かが映り込みそうで、それが無性に嫌で、酒を飲み干した。

 

「ふふっ、勇儀、勇儀よぉ。そいつは入れ込み過ぎってやつだよ」

「あ?」

「あんたの想い願いってなぁ、あの子にゃちょいと眩し過ぎるよ。陰気に陽気ぶつけたらそりゃ消えてなくなる。道理さね」

「知った風な口きくじゃねぇか」

 

 睨みを呉れると、笑みが返ってくる。それが無性にむかっ腹が立つ。

 訳知り顔で理屈を垂れ、こちらの反応を酒肴代わりにする肚か。乗らぬ。

 視線を外し、舌打ちで苛立ちを飛ばす。当然、無駄だ。この程度で鎮まるほど利口な生き方はしてこなかった。

 

「そんなに嫌かねぇ。陰鬱だけど真っ直ぐだよ? 真っ直ぐ地の底に向かってるけど。ひひひ」

「……あんただってそうだろ。人間に想うところ抱えてんのは」

「まあね。でも私はあの兄さん嫌いじゃない」

 

 嫌いなのはその生き様だ。あの青年を嫌っている訳じゃ……そう喉元まで出かかり、飲み込む。この言い訳は飽きた。幾度も繰り返した。口にするのも憚るほど。

 

「むしろ、いやぁかなり、ぐっと来てるよ」

 

 悪戯気なせせら笑いの中、不意の侘しさが顔に滲む。真剣(まじめ)がちらり抜き身を晒す。この少女の性質の悪さ。嘘を吐かない。

 冗談ではなく本気らしい。

 

「……なんでだ」

「嘘を吐かないからさ」

 

 柔らかな微笑で萃香は答えた。

 反問は浮かばなかった。

 これ以上の理由などない。伊吹萃香の願いの全てはそれに集約されているのだから。

 

「吐けないんじゃあない。吐かないんだ」

「同じだろ」

「いやいやこれが違う。嘘を吐けないってのは、そういう風に頭が使えない人間だからだ。ものが悪いって言ってんじゃない。嘘吐く()()をしてないんだ。勿論、私は正直者が好きだよ。なんせ失望せずに済む」

「……」

 

 失望。

 この少女が在りし日に抱えたそれは如何ばかりのものか。沼の淵に似て深く、昏かろう。

 そして昏々とした瞳の奥に、この鬼の大将は烈火を孕む。

 

「あの兄さんは嘘を吐ける人間だ。嘘ってやつの使い勝手を心得てる賢しい人間だ。騙し騙れば、安楽なのを知ってる。特に自分(おのれ)の心を欺けば、人間の生はわりと拓けるだろう? 力ある者には(おもね)り……あるいは口八丁手八丁欺き、殺す。己より劣る者から騙して奪い、なけなしの良心も道義も屁理屈こねて誤魔化して、まあこれも殺す。拘らず、意地を張らず、本心隠して抑して嘘で固め、我が身は高きから低きへ流るる水の如しってな具合にさ。あははははは、反吐が出らぁ」

「人間って生き物は元々そういうもんだろ。弱いなりの、相応の生き方だ」

 

 己の吐いた言葉だというのにそれはひどく不快な音色をしていた。白々しいと、お為ごかしなと。

 

「かもね。でもねぇ、ああいうのを見ちゃうと、期待しちまうじゃあないか」

「期待? あいつに今更、何を期待するってんだ」

「人間が捨てたもんじゃないかもって、思いそうになる」

 

 寂しげに少女は呟いた。口にしたそれが空言と、心底思い知っているから。

 しかし、それだけに留まらぬ熱が、残火が、そこには燻っている。それが見える。どうにも透ける。

 

「……」

「そんな顔しないでよ。だってしょうがないじゃない。苦痛を吞んで自罰を呑んで、それでも誤魔化さない欺かない、許さない。嘘で自分を慰めない。過去に何があったかは知らないが、楽になりたきゃ簡単だ。自分は不運だった、不幸だったって言い張ればいい。責めなんて取らず背負ってるもん全部放って、自分は何も悪くないんだって嘘を吐けばいいんだ」

 

 後ろを向いたままじゃ前には進めない。すッ転んで仕舞い。

 進まないならじっとしているしかない。

 あの青年は立ち止まったままだ。そうして見るのは前ではなく、背後の過去と、自分の傷口。

 腐って落ちるのを待っている。死人とそれと何が違おう。

 

「でもしない。吐かない。己が安楽こそは罪業と妄信する愚か者」

 

 そうだ。愚か者だ。

 あいつは糞莫迦だ。莫迦げている。そんなあいつの生き方を私は、私は。

 

「あぁ……(かな)しいねぇ。かぎりなく」

 

 酒精の香めいて熱っぽく、少女は妖しげに吐息する。うっとりと、虚空に想い人を映して。

 

「ふ、ふ、いっそ私が喰っちまいたいくらいさ」

「“(かしら)”」

 

 それはひどく低く、冷たい音だった。己の声が底冷えしていく。

 腹の底に、黒く溜まるものがあった。それが音声(おんじょう)に姿を変えて、この口から垂れ流れる。

 旧い呼び名は懐かしさではなく、あの烈しい日々の血の沸き立ちを思い起こさせる。麗しの、闘争の日々を。

 

「首と胴体が泣き別れるなんざ、一生に()()()()で十分。そうは思わねぇか」

「ほう……吹くじゃないか。二度目は手前(てめぇ)様がやってくださるってのかい」

 

 破裂間近なほどに空気の張り詰めを覚えた。想像上で膨張していくのは護謨(ごむ)風船、などではなく鉄の釜である。弾けたが最後何もかも巻き込んでずたずたにするだろう。

 手にした盃をゆっくりと、下ろす。もし、本当にやるなら、その必要がある。それだけの覚悟が要る。

 鬼の頭目と殺し合うならば。

 

「置くかよ星熊童子。その盃を。その意味わかってるだろうね」

「…………」

「私は構わないぞ。あんたと男を()り合うか。ふふ、フハハハハハハハハハハハハハハハ! いいねぇ、そいつは滅法愉しかろうなぁ!」

 

 ぎらぎらとその眼を灼いて少女の形をした鬼神が笑う。

 ああ、されど、やはり、どうしようとてなく、返す返すも懐かしい。暴れ狂う心の臓腑から、熱血が全身へと行き渡り、それに比して冷えていく脳味噌。肉体の芯が震える。悦楽に。殴る痛みと殴られる痛み、生の実存と死の肉薄を想像して、打ち震えるほどの。喜び。よろこび。よろこび。

 やってやられて、やり返しやり返されて、どっちの生命が、霊魂が頑強なのかを、石と石とをぶつけ合わせるようにして比べ合う。不毛。無為の極致。けれど、そここそは(われ)らの覇道楽土。

 対手は鬼の筆頭、悪鬼羅刹の名を(ほしいまま)にする修羅の申し子、称して酒吞童子。

 対手に取って不足は絶無。絶無だ。

 対手に取らぬ理由などあろうか。旧知の輩、その強さに一片の疑いもない。いわんや其の闘争の歓喜限りを知らぬ。

 挑まぬ理由など。武威を競い合わぬ理由など。

 理由、など。

 

 御酒を召される星熊さんは────

 

「────」

「……」

 

 硬直は半秒にも満たなかったろう。しかし、傲岸不遜に武を誇り驕るこの身にとって、その半秒は絶死と同義であることは言うまでもない。刹那に首を刎ねる達人が相手なら、刹那に全膂力を解放し得る剛の者が相手なら、己の死は確約されていたろう。

 惰弱。迷妄。覚悟無き半端者。そう罵られて然るべきだ。目の前の鬼神にはそう面罵する権利がある。

 だが、萃香は、罵倒の代わりに微笑と、瓢箪の注ぎ口をこちらに向けた。

 盃を持ち上げる。とくとくと波打ちながら、酒が赤い器を満たす。甘く、苦く、ひどくそれは香って。

 

「冗談だよ。ふふ、いやぁ久々にあんたの(おどし)を浴びたが、いいね。変わらないねぇ」

「…………糞ッ」

 

 まんまと揶揄(からか)われたのだ。あの青年を引き合いに、気を持ったような風情を見せて、己がどのように昂るかを。

 

「……嘘は蛇蝎の如しじゃねぇのか」

冗談(かたり)ならそうさ。でも冗談(はったり)は大好物だよ。知ってるくせに~」

「死ね」

「あらんひどい」

 

 なみなみ水面を湛える盃を一気に呷る。それこそ半秒で全てを飲み干した。

 無闇矢鱈に辛いぞ畜生。

 

「ま、ハッタリはハッタリだけどさ。あの兄さんが悪くないってのはホントさ」

「まだ言うかこの(アマ)

「いやいや聞きなって。焚き付けてやってるって言ってんだ。お前さんも気があるならとっとと手籠めなりなんなりしちまわねぇと、横から油揚げみたいに搔っ攫われるよ」

「大きなお世話だ!」

「誰かしら敵が居るんならまだいいさ。ぶん殴りに行けるんだからね。でも一番厄介なのは、独りで死んじまった時だ。あの兄さん独りにしてると手頃な橋でも見付けた日にゃ身投げしてそのままぽっくり逝っちまいそうだし」

「…………」

 

 自殺? そんな安楽をあの青年が自分自身に許すものか。許せるならば、とっくの昔にあいつはあいつ自身を救っている。もしそうなら、そもそもこんな地底(ところ)に落ちてくることもなかったろう。

 だが、もし。

 もしも、あいつが自身の命すら許せなくなったなら。生存すら、安楽と断じてしまったなら。

 

「人間は脆いよ、勇儀」

「…………」

「人間にとって嘘を吐かない人生ってのは…………苦しいんだろうよ。微塵もわかりゃしないが、そうなのだろうよ」

 

 ほんの一瞬だけ、萃香は苦虫を噛んで顔を歪める。理解に苦しんで、否、理解などしたくなくて。嘘の意義など、認めたくなくて。

 

「喰ってやるのがせめてもの……なんてな。ふ、ふふ、はははははっ」

「……笑えねぇよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 旧都とは、幻想郷は地底深くに存在する街である。

 そしてここは人ならぬひとびとの、妖怪達の街である。

 暮らし行き交う誰も彼も人間ではない。人間も絶無ではないそうだが、己がこの土地に居を与えられて早幾月、今のところ同族を目にする機会はなかった。

 しかし、人の居ないこの街での生活は、その実驚くほどに人がましい。不遜な物言いをすれば、妖怪達の形作る共同体は人間の形成する文明社会と何一つ遜色ないレベルを有している。

 現代的鉄筋コンクリートの建築物は勿論、影とてないが、木造瓦屋根と提灯の火が並ぶ明治かそれ以前の街景。そこに望郷とセピアの色彩を見出だすのは、現代人を称するゆえの驕りなのか。

 無論、十数年ばかりの浅薄な生涯で、かの時代を己が知り得よう筈もなく。それは遠い過去であり、今や失われて久しい。近代史の資料集の中でしか見ることはなかったろう。

 望外の、期せずして得た懐かしさの中、己は今再び生を営んでいた。

 

 

 

 地上へと続く縦穴を入り口と呼ぶならば、そこは旧都の奥深く、街の家々も途切れ、整地すら為されず岩土がその地肌を晒している。

 普請場である。それもその主たる目的は建築ではなかった。

 温泉を掘っている。

 ここは温泉街の果ての隅。新たなる温泉旅館開業の為、掘削工事の真っ只中であった。

 旧都は現在、温泉バブルに沸いている。文字通りに。とある事件(幻想郷において異変と呼ばれる)を経て発掘された源泉を皮切りに、天然資源活用による地場産業の拡大まこと著しく、交流を絶たれていた地上からは観光目的の来訪者が続々増えている。

 商業(あきない)を生業、もとい()()とする類の妖怪達の利潤追求への尽力も手伝って、排他と閉塞の旧地獄の様相は今や昔のこと。活気と流通の渦波が都を盛況にしていた。

 ……人がましいとの感慨は、どうもこの辺りに起因しているように思う。

 

 旧都において役夫人足の類は引く手数多である。あちらもこちらも妖怪手不足。使えるならば猫も人間の手も拘わりない。

 職人的な専門技能を持たないこの身が、それでも活計を持ち糧を得られるのもその御蔭。

 本日もまた、温泉掘削の普請に作業員として従事した。

 見渡せば人間種は己のみ。二手二足でない姿容も其処彼処に見られる。

 丸一日ほどを労働に費やした。日当を受け取る為に、普請場の入り口傍にある建屋へ赴く。

 奥座敷では、黒い留袖の姿が帳面をつけていた。留袖の姿、などと表したのは、それを人影と呼ばわってよいものか己には判断がつかなかったからだ。

 袖口から覗く五指が筆を実に達者に操っている。なるほどその筆捌きを為したるは人指に相違ないが、それにはしかし、ある筈の肉が無かった。皮が無かった。

 骨であった。黒い紋付の着物を身に纏った、人骨が、行灯に照らされながら金子を勘定している。

 この辺りの寄場を取り仕切る棟梁は、かの骨女なのだ。

 

「本日の業務、完了しましてございます」

「あぁい。今日も残業えらいはばかりさんどした」

 

 からからと軽快に鳴り響く形の良い顎骨。果たしてどのようにして声を発しているのか、皆目わからない。

 (あなぐ)り、見定めるが如き真似は慎んだが、やはり一向気にはなる。

 銭箱から紐に通された銭束を二本、そして文机の上に置かれたくすんだ銀を手渡される。

 思わずその白い面相を見返した。

 

「これは……?」

「残業代にちょいと色つけておきんした。あんさん、人間にしてはよう使えまっさかい」

 

 京(ことば)の和かな訛りで、皮肉気な言葉にさえ趣が出る。

 

「……恐れ入ります」

 

 思わぬ賞与に対して辞退の文句も幾らか浮かんだが、これはつまるところ雇用主からの先行投資。後々の働きによって返すべきであろう。

 日当諸共財布に仕舞い、辞儀する。

 鷹揚に頷きながら骨の女生は煙管を咥えた。

 

「ほんま、変わりもんおすな。こないな妖怪の吹き溜まりに、せっせせっせと。フフフ」

「……」

「よっぽど離れられへんわけでもあるんかいなぁ。可愛(かい)らし女妖でもおらはったん? それか、お(やかま)な女……プッ、クフフフフフフフ」

 

 口はおろか穴という穴、隙間という隙間から煙を吐いて、彼女は笑った。心底面白がっているようでも、厭味のようでもあった。

 その時。

 

「アァ?? ニンゲンだァ?」

「!」

 

 影が差す。広々とした玄関土間を丸ごと覆うような巨大さで。

 振り返れば、目玉がこちらを見下ろしていた。顔面にただ一つしかない眼球が。

 禿頭に襤褸切れを纏った大男。所謂、入道である。広義の、巨躯を有する化物の総称、俗称のそれ。

 

「ハッハァ! ちょうどイイ腹ァ減ってたところだ。おう牡丹屋! オレの給料はコイツでイイぜ!」

「っ!」

 

 言うや、丸太のような腕が横合いから伸びた。掌は己の胴体を掴み取ってなお余ろう。

 咄嗟に引き足を打ち、退いてこれを避けた。

 

「んアァ? 逃げるンじゃあねェよボケが」

「失敬。何分にも逃げる理由があります身ゆえ、この場は御容赦賜りたく」

「ハァ? ワケのわからねェことを言うンじゃ」

 

 かん、と。甲高い音の礫が室内を飛ぶ。

 煙管の雁首を灰皿に打ち付けたのだ。かの棟梁殿が。

 

「そのへんにしときぃ、でか物」

「邪魔すンな牡丹屋ァ!」

 

 ちなみに牡丹屋とは、かの骨の女生の経営する寄場の通称である。

 食欲に水を差され、巨躯がまた一回り身幅を増したかのような怒気を発する。

 しかし、骨の女棟梁は意にも介さず。

 

「うっとこの軒先汚すいうんなら、次からの仕事はなしやえ。その木偶使うてくらはるええ手配師はん自分で探せるんやったら、好きにしなんし」

「なんだァ……!」

「それとなぁ、そこなお兄はんは、あの勇儀の持ちもんや」

「ゲッ!?」

「それに手ぇ付けてあんたが無事で済むかどうか、見物やねぇ? フフフ……」

 

 隠しようもない怯み、いや怯えがその顔面全体で波立った。巨躯が縮む。無論、比喩的な有り様で。この一つ目の怪人は、見越し入道ではないらしい。

 見るからに鼻白んだ様で、入道は建屋を出ていった。

 

「フん、情けな。給金も忘れていきよったわ」

「危ういところ、ありがとうございました」

「べつにええよぉどうでも。腕っ節だけの木偶やったら、いつでも足りてますよって。あんさんの代えが出来たら次は見捨てまっさかい、よしなに。フフフ」

「……」

 

 気遣いのような心持ち微塵とて含まず、その言葉通り、掛け値なしの損得勘定なのだろう。当然であった。とはいえこの儀、助けられたという事実に一切の錯誤はない。

 こちらが感謝を示すもまた当然であった。

 腰を折り、頭を垂れる。

 

「……フぅ、これは純粋な忠告やけど、あんさんみたいな人間は、出歩かんでじぃっとしとる方がええんちゃいますの。せっかく鬼の()()()もついてあらはるんやし」

「無為徒食を貪る訳にも参りませぬゆえ」

「クフフ、ヒモはお厭かえ? あの鬼女かて女は女。そう満更でもなさそやのに、真面目やねぇ」

「……」

「せや。お兄はん、うっとこで養ったげよか? この辺りは物騒やでなぁ、牡丹屋の奉公人や言えばだぁれも手出しでけへんようなる。どや」

「は、いえ、自分は」

「給金弾みますえ。あぁ、それとも、見目のええのんがよろしぃんやったら」

 

 すると不意に、彼女は袖で顔を覆い隠した。といってそれも一瞬のこと。

 留袖の下より開陳されたのは、結い上げられた濡れ羽の黒髪、そして白い面相。骨のように白い、肌。新雪のような美相の中、牡丹の朱をした唇が艶然と映える。

 肉付いた、妙齢の女生がそこにいた。

 

慚無(ざんな)い姿で堪忍え。せやけど、どないどすか」

(けだ)し麗しき容貌(かんばせ)と、お見受けいたします」

「まあお上手」

「ゆえにそのお心遣いのみ有り難く、頂戴いたします」

 

 語尾を隠す無礼を承知で、そう重ね(のたま)う。

 

「あらそ。ざぁんねんやわ~」

 

 残念がった気色など微塵もなく彼女は言った。

 恐縮して顎を引く。詮無い気を回してしまった。

 

「……まあ、ええどす。けど気をつけなんし。鬼の威光もうちの屋号も、効くのんはその程度に知恵を持っとるやつだけや。言葉も知らん、勘も鈍い、獣以下のケダモノがここにはようさんおりまっさかい」

「御忠告、重々に承りましてございます。重ね重ねお心遣いありがとうございます」

「はいはい」

 

 ぞんざいに、人骨の手がかしゃかしゃと払われ退去を促した。

 従順に、己は会釈して踵を返す。

 

「ほんま、いけずやわぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──おい、見ろ

 ──人間だ。人間だ

 ──よせよせ関わらぬ方がいい

 ──そうともさ。ありゃ鬼の贄よ

 ──星熊の

 ──大江山から来た奴輩

 ──力の乱神の供物か

 ──酒吞の配下様は色もよくよく好まれると見ゆる

 ──あの、鬼の

 ──触れるな触れるな

 ──寄るな寄るな

 ──鬼一口よ、一呑みに喰われるぞ

 

「…………」

 

 潜めた囁き、聞こえよがしの呟き、背を打つ面罵の叫び。

 旧都での暮らし向きが軌道に乗り始めると、それら雑多な声がこの鈍い耳孔にまで届くようになった。

 当たらずとも遠からず。少なくとも、我が身を推し量ったとして、検出される利用価値は上述のそれと然したる違いはない。贄、供物……色、だけは過分としておこう。

 否やというなら、星熊勇儀というひとに対する彼らの評の全てに、己は否やと断言しよう。

 並みならぬ武力、武威を具えた鬼神。伝説に轟く勇名。戦慄くような畏怖禁じ得ず。しかし。

 しかし、己は知った。

 彼女の心根の優しさ。彼女の飾り気ない慈悲。彼女の、情の深さを。

 己は幸運にも、それらを知り得る機会を与えられた。これを奇貨と呼ばずなんと呼ぶ。これを僥倖と心得ずなんと(たが)う。

 今にも叫び出したい衝動に駆られる。彼女がどんなに尊敬に値する方か、一々列挙し語彙を重ね持論を披露したい。ただ純粋な事実を、知らしめたい。

 当然ながらそのような軽挙妄動は断じて容認できるものではない。

 なにより、我が身のこの分際で、何故そのような厚顔無恥な言動を許せよう。

 虎ならぬ熊の威を借る鼠に等しい有り様で。

 今この瞬間の、己が身の生存が誰の御蔭か、誰のお力の賜物か、まさか理解出来ぬではあるまい。まさか、まさか。

 恥を知れ。

 

「……」

 

 妄想に区切りを打つ。自己嫌悪と脳髄の腐蝕行為。時間の無駄以外のなにものでもない。

 一路、早足に長屋を目指す。星熊さん、今日はお帰りになるだろうか。いずれにせよ、いつ訪れていらっしゃろうともよいように、万端全て整えて置く。

 それだけが、今の、今生の、俺の存在する甲斐なのだから。

 

 

 温泉街から中央通りに戻る道すがら、橋に行き会う。巨大な地下空間に広がる旧都には、垂れ落ちた紐のように河川が蛇行し縦断している。これが地下水脈が空洞に流れ出したものなのか、あるいは己などには理解及ばぬ現世にあらぬ地獄にある超常の自然摂理なのかは判断もつかぬ。

 兎も角、旧都にはこうした橋が数多い。ここもまた、日本に古来から見られた所謂反橋、あるいは太鼓橋と呼ばわる木造の橋だった。橋面がアーチ状に勾配となっており、まるで坂を昇るようにして渡る。

 朱色の欄干を幾本と数え、そろりと橋の中ほど、アーチの頂点に差し掛かろうかというところで。

 一人、ぽつりと。

 少女が、欄干に腰を預けて立っていた。

 無意味を承知で、人間的な見立てをすれば年の頃は十代半ばか、やや上か。秋の稲穂のように美しい黄金色の髪は項が隠れるほど。かの骨の女生の化け姿に劣らぬ白い肌をしている。その眼窩に二つ、エメラルドの如き光輝を放つ緑眼が埋まる。耳輪の尖りを見れば、彼女が人ならぬ者であることは明白だった。

 装いはなお特徴的で、黒いワンピースの上から淡茶(カーキ)の羽織りを纏い帯を結わえている。襟の格子模様、青の差し色。この土地に居着いてあまり馴染みのない風合い。そう、それはひどくエスニックな印象を己に齎した。

 見目麗しい少女。日に二度も、美しい女性を目の当たりにできるとは、ああ眼福也と手放しに喜ぶべきか。

 それは一種、礼節でもあろうが……己の下らぬ妄言には内心で嘆息を呉れる。無力無能なるを自称するこの身は、この地底、ここ旧都において、一人歩きすら本来は戒めるべき。であるにも拘わらず無茶を押し、かのひとの勇名を笠に着てまで仕事にありついているのだ。妙な気は起こさず、早々に帰宅すべし。

 決心新たに、ひた、歩を進める。

 少女の正面を通り過ぎる。

 

「……へぇ」

 

 鈴を転がす音色で、それは感興の声を漏らす。

 

「いい匂いを辿ってきたら、まさか勇儀の……人間だったのね」

「……自分が、何か」

 

 無視を決め込み損ねた。少女の呼ばわった名が、己の後ろ髪を強かに引く。

 いや、呼ばわるだけならばまだいい。その声色、響き、明らかに彼女は星熊さんとは知己の間柄。

 向き直ったこちらの様子に、少女は笑みを深くした。

 

「染み付いて、こびり付いてるの」

「何がでしょう」

悋気(りんき)

 

 謳うように少女は言った。それを言祝ぐように、少女は笑った。

 

「貴方はきっと、きっと、嫉妬に殺されるのだわ」

 

 

 

 

 

 

 

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