楽園の巫女様が根暗男に病む話   作:足洗

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嘘・虹の別離

 

 

 耳につく。障る。

 雨音がやけに五月蠅い。

 

「……」

 

 首から血を滴らせながら目を閉じる男の寝顔は、驚くほどに稚気(あどけな)かった。一瞬前まで、鎮痛薬で酩酊し朦朧としながらそれでも取り払われなかったその堅い堅い謹厳さが、ようやく鳴りを潜めて。

 眠っている時だけだ。此奴(こいつ)が年相応の少年の貌を晒すのは。

 ふ、とその顔に伸ばした手先が、未だ小刻みに震えていることに気付く。慌てて引っ込め、力の限り握り込んだ。それでも止まない。爪で掌を抉っても収まらない。震えは、骨の髄から発していた。魂とかいうところから伝播していた。

 苦しい。苦しい。痛い。胸糞が悪い。畜生。畜生畜生畜生。

 金槌で殴られたような鈍痛と行く先知れずの罵詈雑言が頭蓋の内側を反響する。

 私は頭を抱えた。爪を立ててばりばりと頭皮を裂き、削り、(こそ)ぎ落すのだが、中でがんがんと跳ね回るものは出てこない。取り出せない。骨を刳り貫き、脳味噌を掬い取れば、あるいはこの苦しみも消えてくれるだろうか。

 額から頬から首筋へ顎へ血が滴り落ちる。頭の其処彼処を掻き毟った所為でその裂け目から鮮血が石清水の如く溢れ出てくる。

 ぽたぽたぼたぼた、それらは雨露めいて少年に降り注いだ。

 赤々と染まっていく。薄汚れていく。

 私から滲み出た私の一部が此奴に沁みつき、浸み込んで、侵す────犯す。

 じっとりと掌は真っ赤に汚れていた。それを呆と、見下ろして……そっと、少年の首に張り合わせた。己がつけたその咬み傷に。

 混ざる。交わる。

 赤黒い血と血。鬼と人の、相容れぬ筈のそれが、今だけは混淆する。早くも渇き始めた血と血は粘り、ぐちゃぐちゃと下劣な音を奏でた。

 なにやらひどく、堪らない。ぞくぞくと背筋から脳天、そうして肉体の芯を伝う電撃。甘い痺れ。

 この(ひと)(わたし)の血が侵蝕する光景が、事実が、身の内を熱する。とろりと蕩かせる。恍惚と。

 そうだ。此奴が言ったことだ。構わぬと。喰ろうて欲しいと。

 

 ────星熊勇儀(わたし)が、いいって

 

 そう言った。言った。確かに言った。言ってしまった。

 聞いた。確と聞いた。聞き違いなどではない。一言一句(そら)んじて言える。もう遅い。撤回など断じてさせぬ。

 その意味、違えたなどとは言わせぬぞ。鬼に身を捧ぐことの意味、知らぬとはもはや言い逃れできまいぞ。

 だから。

 

「ハァァァアア……ハッ、ハハハハ……」

 

 腑の底より熱気を吹く。焼けるような吐息で目の前の男を撫でた。

 口端から涎が垂れる。くちり、と舌を伸ばし、男の頬を舐め、首筋の血潮を(ねぶ)り取った。

 甘い。この世に、これ以上の甘露はない。これ以上の馳走はない。

 喰ろうてくれる。全てを。肉の一片、骨の髄まで、その魂までも余さず残さず。

 何故ならこの男は、この人間は。

 

 ────私のものだ

 

 誰にも渡さない。渡さない。触れさせない。

 あんたはもう。

 

 ────私のものだ

 

 わたしのものだ。

 わたしの、もの────

 寝顔に一滴、零れて落ちた。血の紅でない無色透明な水。

 雨であろうか。部屋の中だというに。

 一つ二つ三つ、雨垂れのようなそれは、己の眼玉から落ちていた。涙が。

 

「ぁ……」

 

 喰えば全てが終わる。此奴の望みを叶えれば、なくなる。

 なにもかもなくなる。

 此奴の苦悩も悪夢も……思い出も、果たしたかったに違いない孝心も。

 暗い絶望を伴にそれでも死を選ばず、生きて。

 流れ流され落ちて堕ちた旧都で生きて、私にくれたなけなしの優しささえ。

 消える。全部。

 化物の腹の底で溶けて、糧になる。

 私の欲望の贄になる。

 

 ────その様、お姿を、傍近くでまた

 

 ……あぁ、それはなんとも、ささやかな望みだった。思わず呆れてしまうくらい、下らなくて、取るに足りない。

 真心の。

 震える両手で男の頬を包んだ。安寧な眠りの中にある男の顔を正面に見下ろして、止め処ない涙を落として。

 私は気付く。気付かぬふりをして、見て見ぬふりをして、己を騙し隠し、胸に沈めたこの真。

 

 もう、喰えない

 

 鬼は、身の程を違えた。その本分、本能を否定した。人喰いを厭うてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 何時の間に、何処をどのようにして永遠亭から這い出たものか。

 ふと気が付けば雨の竹林の緑の中を、とぼとぼと歩いていた。足を引き摺るような鈍間(のろま)、行方など当然定めてはおらぬ。

 あそこには居られない。ただ、あの男の傍以外なら何処でもよかった。

 着流しを(はだ)けた肩にかかる氷雨が刺さるようだ。平素ならばこんなもの気にも留まらないのに。

 裸足で踏む枯れ笹すら凍て付いて、足先から熱を奪い取っていく。次の一歩が重い。凍った骨が自在にならぬ。

 遂には歩みが止まる。手近な太い竹に肩を預けて、ずるずると崩れて落ちた。

 雨は止むどころか益々に勢いを強め、地に(くずお)れた愚かな女をしとどに濡らす。正絹はぐっしょりと水を吸って帷子のようだ。

 昼時だというのに日暮れの暗色の空を仰ぐ。さて、どうしたものか、と。

 濡れ鼠の阿呆は考える。削れて足りぬ頭でそれでも考える。濡れて滲み、なにもかもに盲てしまった目の裏側で男を見て、想う。

 彼奴はもはや、死への誘惑から、いやその渇望から逃れられない。この地に在る限り、彼奴は容易く望み通りのものを得、絶えるだろう。現世より()われ、衰えたりとはいえ、この地は今以て人喰い共の巣窟だ。

 己から身を捧げる人間などあれば、化物共は喜び勇んで涎を垂らして彼奴を喰らおうとするだろう。

 

 ゆるさぬ

 

 無意識に掴んでいた傍らの竹を握り潰していた。

 赫怒が全身を焼く。雨粒が触れた端から蒸気に変わる。

 断じて許さぬ。許さぬ。許さぬ。許さぬ!!

 許さぬ────烈しい呪詛の唱いはしかし実にあっさりと、霹靂同様に消えて失せた。後に残ったのは筋違いの独占欲を滾らせる自身への侮蔑。

 つい先刻、涎を垂らして男に縋り付いていた女が何をほざく。それもただ喰らおうとしたのではない。私は、あの男を、あの男の。

 

「…………ハッ、ハハ……ハ………」

 

 乾いた笑声が雨音に浚われる。

 片膝を抱えて俯く。

 逃れられないのは、私だ。この獣欲、肉欲を抑えられない。耐えられない。我慢なんて、できない。

 あの男を傍に置いていたら、いつか、きっと、必ず私はこの衝動に負ける。理性は砂糖菓子より脆く溶け、私は下劣で淫らな怪物(ケダモノ)となってあの男を喰らうだろう。

 もし、そうなったなら。もし、そんなことをしてしまったら。

 もし────そうできたなら。

 どんなに楽だったろう。獣に身を窶し、理性など放り捨てて、ただ欲望のまま。

 できない。そんなもの、あの男の思う壺ではないか。あの男の望む卑小な死。

 駄目だ。許さない。そんな死は与えてやらない。殺してなんてやらない。

 

「許さねぇからな……」

 

 彼奴の望みを挫く。決意と呼ばわるほどの気負いはなかった。ごく自然と、宿命を胸に抱く心地で宣誓を唱えた。

 その為にはどうすればいい。

 あの男から安寧な死を遠ざけ、永く苦しく辛く暗い生に、ありふれた人並の凡百の(うつし)の生に縛り付けるには。

 どうすればいい。どうすれば。

 

「……」

 

 立ち上がる。潰した竹がめきめきと傾き、そのまま折れもせず倒れもせず間近な竹に寄り掛かって止まった。半端だ。死ぬでもなく、生きているとも言えない。

 あの男がそうであるし、今の私とてそうだ。

 今、ここに在る、ただそれだけのことさえ儘ならない。

 ()()に居られない。置いてはおけない。そうだというなら。

 方法は一つだった。

 

 

 

 

 

 

 

 俺が再び目覚めたのは、あれからさらに翌日のことであった。

 病床の傍らで折れた右腕を吊るす為にあった支柱とは別にもう一本、細い金属の柱にガラス容器が吊るされ、そこからゴムチューブが己の左腕まで伸びている。代用血液による点滴なのだと説明を受けた。

 

「雑な止血はされてましたけど、それでも失血が酷くて。でもこの土地だと輸血用に血を確保するのも難しいんです。特にほら、人間が少ないから。ああでも大丈夫ですよ、なんたってうちの師匠特製の人工血液ですから、大袈裟じゃなく本物と遜色ない効能なんです。ふふ、すごいでしょ?」

 

 お道化た調子で笑む。京藤色の長い髪、その頭頂で二枚、白い耳が揺れる。長く、そしてどうしてか草臥れ萎れている。兎の耳であった。

 濃紺のブレザー型のジャケットを着た少女。短いプリーツスカートも合わさり、さながら現代の中高学生服のような出で立ちである。しかし、この永遠亭と呼ばれる医院において、彼女は看護師の役割を担うそうだ。

 腕と額の包帯に加え、新たに首に巻かれたものを整え、軽い触診を受ける。てきぱきとした手際の良さからも彼女が紛れもない本職であることは疑いない。

 そんな医療従事者たる少女、鈴仙・優曇華院・イナバさんは、優しげな微笑から一転して赤い目を顰め眉根を寄せた。

 

「それにしてもあの鬼、どういうつもりなんでしょうね。重症人を、しかも自分で担ぎ込んできた人間をこんなにして……」

「あの方に非はありません」

 

 反射的に否定の言葉は口をついていた。

 

「で、でも、貴方死にかけたんですよ?」

「それでも、あの方には何一つ瑕疵はありません。全ては自分の不徳が招いたこと」

 

 招き、誘い、惑わせたのだ。かのひとの誠心を蔑ろに、慈悲に泥を塗りたくって。その何たる、冒涜であろう。

 仁術を心得とする少女の発する義憤は敬服に値する。当然の戸惑いを映す顔に、頭を垂れることができない代わりに目礼を返した。

 

「自分の業をあの方は、心から怒ってくださった。叱ってくださったのです」

「……変な人ですね、貴方」

 

 

 

 

 

 数日後、身体が起き上がれる程度に快復した頃、リハビリテーションの一環として邸の内外を出歩くように勧められた。

 寝た切りでは鈍るばかりで体調も整うまい。そんな医師の適切なアドバイスに従い、竹林の散策を日課とすることにした。

 当初は弱った足腰を慮ってか鈴仙さんが付き添いを買って出てくれたが、彼女は蓋し繁忙の身。些事に時を費やさせるのは如何にも心苦しく、早期から丁重にお断りを申し出た。

 本日も一人、笹薮の嘶きの下を歩く。邸を目印に外周を巡れば流石に迷うこともない。

 見上げれば鬱蒼とした竹林の密の隙間から曇天が覗いている。

 

「……」

 

 あの日、あの雨の明け方から、彼女は一度もこちらを訪れない。

 愛想を尽かされたというならば、それでいい。悲しみ、己が行いを悔い、心底より恥ずべきことだが、それは至極自然な成り行きでもある。己の如き愚物といつまでも関わり合いになることこそ時間の空費。

 むしろ、斯様に高潔な仁と己が一時でも親交を持てた事実。その奇貨に、感謝するべきだ。そして分際を弁えることを忘れた己自身を厳に戒めねばならない。

 分際。己が分、価値なるものとは如何に。

 そんなものはない……と、断ずるは容易い。しかしそれは、ただの思考停止だ。自己嫌悪など現実逃避の慰みに過ぎない。改めるを知らず現状に甘んじることは、度し難い卑怯でしかないと、思い知った筈だ。

 あの方の、涙に。

 

「……星熊さん」

 

 報いる術はあるのだろうか。あの貴い怒り、悲しみに、この卑小の身が応える為には何をすればいい。

 わかっている筈だ。もう既に回答は与えられている。それに対して恐れ戦き尻込みして石のように魂を閉じているのは俺だ。

 逃避し続けているのは俺だ。

 過去の傷を、罪を言い訳に、希死念慮に憑りつかれた。今もなお。

 今も、拭えない。

 あの日あの時、星熊勇儀によって齎される死、彼女に喰われて死ぬる未来を予見した時、この胸奥に湧いて出た歓喜。法悦を俺は決して否定できない。

 彼岸に、空虚という名の安息を求めている。

 しかし今、己が立っているのはここだ。ここは此岸なのだ。未だこの身は三途の川のこちら側に在る。

 お前はここに在る、そう言うてくださったのだ。あのひとが。

 ならば。

 ならば、俺に出来ることは、一つだった。

 

「……あ」

 

 深緑の景色に混じりもせず浮かび上がった異なる色彩を見る。

 赤い折り返しで縫ったちょうちん袖の白い襯衣。赤い縦格子の入ったロングスカートは如何なる素材を用いてか、薄紅藤の生地がまるで天女の羽衣のように透き通り、女生の脚の流線美を惜しげもなく晒している。

 旧都で見馴れた装いではないが見紛う筈もない。

 星熊勇儀そのひとが、己の目の前に佇んでいる。

 冷えた風が笹の叢の合間を抜ける。それは心胆を囃し立てるような騒めきであった。

 しかして、対する彼女の瞳は静謐であった。貌容、佇まいさえ、静。無彩色。

 掛けるべき言葉は幾らでもある。ある筈だ。だのに舌は凍り付いたかのように動かない。

 射竦められていた。全身、全霊を。その深紅の瞳が捉え、離さない。

 不意に、彼女が片手で何かを放った。

 反射的に胸と左腕で受け止め、どうにか抱え持つ。風呂敷包みであった。

 

「これは」

「あんたの持ち物だ。長屋に置き去りだったろ」

「は、それはなんとも、わざわざ」

 

 ありがとうございます、そう続けようとしたがそれは叶わなかった。

 口を開くより前に、身体が宙を舞ったのだ。

 

「お、ぁ……!?」

「……」

 

 地上が遠ざかる。瞬時に、高速で。

 腹這い。いや、彼女の肩の上にいる。まるで米俵をそうするように俺を肩に担ぎながら、星熊勇儀は空を跳んでいた。

 

「星熊さん!? なにをっ」

「黙ってねぇと舌ぁ噛むぞ」

 

 それは返答ではあったが応答ではなかった。有無を言わせぬまま、文字通りに空中遊歩を続ける。

 風を引き裂くような速度、然程の間を置かず彼女は降下し始めた。

 

 かん

 

 甲高く、下駄が石畳を打った。

 そこへ肩から放り捨てられる。実に気安く行われた重力に対する違法行為に、凡人たるこの肉体は大いに惑乱した。血が下がり、三半規管が揺れる。入院生活による衰弱もまた手伝って、立ち上がることさえ出来ない。

 まんじりと集結していく焦点。正常化した視覚がまず捉えたのは、赤く大きな鳥居だった。

 振り向けば拝殿があり、社頭から鈴緒を垂らした本坪鈴、そして賽銭箱。間違いなく、ここは神社であった。

 

「……その人?」

「ああ」

「!」

 

 声に向き直る。鳥居の傍らには星熊さん、そしてもう一人。赤く白く華美な、独特の装束に身を包んだ少女があった。色彩のイメージ、そして片手に大幣を携えていることからこの社の神職、巫女(かんなぎ)ではなかろうかと推察する。

 とはいえ依然として、己がこの神社に連れて来られた理由も、星熊さんの目的も、何一つ察し解することはできない。

 愚鈍の無理解を無視して、星熊さんが巫女に頷く。巫女の少女は特に返事もせず鳥居に向き合った。

 しゃらり、大幣が振るわれる。空気を払うように五つ。そうして仕舞いに一つ、鳥居の中央、その狭間、内と門と外の境に、その穂先を()()()()()

 瞬間、極彩色が広がった。

 

「!?」

 

 それは揺れ動く水面の様相で、鳥居の内部を。左右の支柱二本と、両の柱に渡された笠木に島木、そして石畳の地面、それらが区切る四角形の枠、今の今まで雄大な森の緑を望んでいた空間に、満ちる。

 光のようでもあり、気体とも液体ともつかない。鳥居の先が今やそんなもので満たされている。

 有り体に言って超常現象以外の何物でもない光景に、ただ呆然と見入る。己の狭域な常識観で量ることのできる次元を超えていた。

 次元を。

 

「……っ!」

 

 間抜けに忘我する己を、不意に星熊さんが掴み上げる。胸倉を握られたまま無造作に、何の苦もなく石畳を引き摺られる。

 

「ほ、星熊、さん!」

「……」

「一体、これは如何なる……どのような仕儀ですか!」

 

 己にしては強く必死な抵抗の意思表示であった。

 事態は一向に飲み込めない。しかし、なにか。鈍磨な脳髄で、頼りない勘働きで、それでもなにかを予感していた。

 取り返しのつかないなにか。後戻りのできない、なにか。

 もはや、決して────

 

「帰るんだよ」

「かえ、る……?」

 

 かえる。一瞬、字義すらも即座には理解しかねた。

 帰る。帰るとは。居所へ。己の住み処。家に、立ち戻るということ。

 一体何処に。俺の現在の住居は地下、旧地獄、旧都の西区四番街の裏通りに建ち並ぶ長屋の一室。

 そう、誰あろうこの方が。このひとが俺に与えてくださった、あの部屋。あの、暖かな場所が。

 ────違う。

 あぁ、そうか。そういうことなのか。

 突如、雷電の閃きで理解する。

 これは門だ。この世界の、この幻想郷と外界。幽世と現世を別つ境界。

 結界の果て。

 この果ての先にあるものこそ、人の御世。俺が生まれ育った世界。

 彼女はそこへ俺を帰す心算なのだ。

 

「外より来たる者。あんたの居場所はここじゃあない」

 

 外来人。そう呼ばれた。現に在り、幻でない者。今現在世界を占有している実在、概念の対極。幻想を駆逐した人類という名の主犯各、その一人に他ならぬ。

 異邦人。異()人。

 本来、ここに在るべきでない者。それが俺だ。

 ゆえに彼女のこの仕儀は、全く、徹頭徹尾の正当であった。

 だから……とて。そうであっても。

 

「星熊さん……俺は……俺は!」

「……うるせぇ」

「俺は、貴女と、貴女の傍にっ……」

「うるせぇ!!」

 

 片手に掴み吊るした己を烈火の眼が睨め上げる。

 背後には虹の壁。断崖絶壁のその際に追い詰められた。瀬戸際に。

 

「てめぇは現世に帰るんだ。てめぇの本当の居場所で、生きるんだよ」

「……!」

 

 伝う。感じる。彼女の手は震えていた。

 こちらを見上げるその瞳など、まるで、縋るようだった。

 泣きじゃくる寸前の童女はそのままくしゃくしゃに破顔する。不格好に、精一杯に、笑うのだ。

 

「生きてくれよ、なあ……頼むよ。後生だ……!」

「────」

 

 そっと手が離れ、指先が空を揺蕩う。背中から世界を落ちながら、彼女を見上げた。突き放つように冷徹で、追い縋るように幼気に、伸ばされた手。送り出す彼女の手が遠ざかる。

 幻想の世界が虹の向こうに覆われる。その果ての戸口に佇む姿、涙ぐむ瞳、泣き滲む(かんばせ)を俺は永劫、忘れないだろう。

 決して、決して忘れない。

 

 

 

 

 

 男は幻日の光を潜り失せた。いともあっさりと、向こう側へ行った。

 もう戻るまい。もう、二度とは。

 

「よかったの」

 

 鳥居に背を預けた巫女が言った。珍しいこともあるものだ。他者に根っから無関心の、現と幻の()()()をひらひら翔ぶばかりの娘がさも気遣わしげな文句を口にした。

 片側の口端を無理矢理引き上げて、鼻先で笑う。

 

「良いも悪いもねぇ。外来人を現世に送り帰した。それだけだ」

「ふぅん、そ」

 

 心底興味も薄く、博麗霊夢は肩を竦めた。

 それで用は済んだ、と背を向けた時。

 

「大事なものなら閉じ込めておけばいいのに」

「黙れ」

「傍にいるのが怖い? ふ、鬼って案外臆病なのね」

 

 どうしたことか、なおも娘は言い募るのだ。執拗に、逆鱗を爪弾き、神経を逆撫でて。

 

「捨てたものを惜しんで、捨てたことを後悔するのが人間。私にはよくわからないけど」

「…………」

「鬼はどうなのかしら」

 

 ただの皮肉が、刺さる。抉る。他愛もない戯言がまるで(あら)たかな預言のように脳髄を響く。

 巫女風情が。

 そんな罵声一つ、吐けない。ひたすら萎えていた。いつ何時であろうと腹の底で燻っていた化物としての激情が、今はふっつりと消えている。

 神社を一蹴り、後にする。もう帰ろう。なにやらひどく疲れた。

 

「……」

 

 でも、いったいどこへ?

 わたしはどこへ帰ればいいのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




書きたいことを全部書いていると終わらない病。
もう少しだけお付き合いください。すみません。
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