身を結ばず終わる
長く続かず終わるの意
つまり短編
一話完結の話
香気(十六夜咲夜)
「見合い、ですか」
霧雨商店では
個人の好事家は勿論、里の
相対する酒屋の主人もまた、店で客前に出す器を求めてこの商店を贔屓にしてくださる御一方であるが。
店の下働きとして雇われ早半年、手代にまで取り立てられ、何時からかこのように上客の相手を任されるまでになった。正直に言えば、名実共に分不相応の感を否めない。
そろそろ身を固めちゃどうだい
上がり框に腰掛けて開口一番、酒屋の主人は伝法な調子で言った。
己が幻想郷に、延いてはこの人里に身を寄せたのはおおよそ一年前。手代待遇を拝命したりとはいえ、御店勤めとてもやはり所詮は半年程度。
そろそろ、との副詞を戴くには重ねるべき時間も、この集落への親密も未だ到底足りない。己の所感ではそのように思う。
やんわりと断りの文句を選ぶ己に、酒屋の主人はめげず、食い下がる。この種の問答は実のところ初めてではない。前回は古着屋の奥方に、己が独り身であると知るや齢の近い女性を紹介するからと頻りに勧められたのだった。
あの折も、一席設けようという奥方の意気を宥めるのになかなか難儀したものだが。
団子屋の娘さんだ、気立てが良く器量も良く愛嬌はなおよろしく、お前さんのことも憎からず思っていると零していた、その気ならば今晩いやさ今からでも、俺の店の奥座敷を貸そう、そうだそうしよう。
打てば響き、響かば止まぬ。こちらが一言えば、十にも二十にもして返って来る。商談ならば今少し強く出よう。というより出られねばそれこそ仕事にならぬ。商売が成り立たぬ。
が、しかし、これが私事に纏わるとなると。
滅法弱った。
なんともはや情けなし。内心で途方に暮れた、その時。
「“若手”さん、一つ見繕ってくださいな」
横合いから声が掛かった。純銀の鉦を鳴らすような清らかな声であった。
そして、その呼ばわりには覚えがある。
振り向けば、白銀の髪が煌めいた。項を隠すほどのボブカット。頬の両側に結われた三つ編。
洋装である。里にあってはそう見掛けない、いや以前の居所であった現世であってもそう目にすることはなかった。白い開襟シャツに濃紺のワンピースドレスを重ね、フリルをあしらった白い
エプロンドレス姿。所謂
十六夜咲夜。少女は実に瀟洒な微笑を浮かべ、小首を傾げる。
「あら、お話中に
「いらっしゃいませ、紅魔の家政長殿。本日は食器をお求めですか」
「ええ、晩冬の冴えた月夜のティータイムにもう一揃え。当家の主人も霧雨商店様の品を甚く気に入っております。それもまた是非に若手さんに選んでいただきたい、との仰せで」
正座を整え背筋を伸ばし、恐縮に顎を引く。
ふと、完璧な微笑がそのまま酒屋の主人に向けられる。
「
怜悧な流し目に、酒屋の主人の強面が引き攣る。彼は汗の浮かんだ作り笑顔で二、三早口に言い置くや否や跳ねるように立ち上がり、足早に店を出ていった。
申し訳ないことをした。そう思う一方、助かったと感じている腹心を自戒する。
さりとてまずは、傍らの少女に今一度辞儀した。
「とんだご配慮を賜りました」
「どういたしまして……ふふっ、なかなか見物でしたわ。けれどああいったことも軽くあしらえるようにならないと。いつまでも若手さん扱い、という訳にはいかないでしょうし」
「は、面目次第もありません」
若い手代さん、それを略して若手さん、と。少女はいつからか己を指してそう呼ばわるようになった。
少女がくすくすと手の甲に笑声を隠す。優雅な所作だった。
框を降り、商品棚に少女を誘う。彼女とのこうした接客も随分数重なり、馴染み始めたと言えようか。渡来品の茶器類を開陳し、用途や季節、流行り廃りや、少女の仕える主人の時々によって変わる好き嫌い等々加味し吟味し、見合ったものを買い上げいただく。
それに伴い、他愛のない世間話を交えたりもする。俄か商人とてそれが当然と言えば当然なのだが。
殊の外、彼女は饒舌だ。お世辞にも弁舌達者などと言えない己と、それでも懲りずにこうして熱心に話を持ち寄ってくれる。
「すっかり寒くなりましたね。人里ではもう冬支度を終えたのかしら」
「はい、今年は霜の下りが早いそうで。綿入れが出番を早めたと、里の奥方らも頻りに仰っておられました。家政長殿におかれては……」
「そんな薄い恰好で寒くないのか、かしら?」
「は、いえ、これは、差し出口を」
「ふふふ! 冗談ですよ。心配してくださるのは嬉しいですわ。ふむ、肌はそこまで出ていないと思うのですけど、若手さんには寒々しく見えてしまうのかしら。やっぱりスカートが短過ぎるとか?」
「どうか、ご勘弁を」
くるりと軽やかに、少女はその場で身を翻す。フリルスカートが花弁のように咲き開く。
己は頭を垂れた。立派な敗北宣言である。
見上げた少女の満足げで、悪戯な顔は、小憎らしいほどに可憐だ。
「ええ、勘弁しましょう。とはいえ仰る通り、そろそろ外套を出すか……あぁ、マフラーを新調してもよいかもしれません」
「御用命とあらば御召し物も幾つか取り揃えがございます」
「あら商売上手」
「これはしたり」
「ふふっ、では乗せられて差し上げますわ」
あるいは多少なりとも、この時間を楽しんでくれているならそれに勝る幸いはない。
奥の保管庫より襟巻や羽織り、その他着物の桐箱を取り出し、台に並べ置く。
框に敷いた茣蓙に行儀よく腰を落ち着けて、少女はそんな己を見ていた。何が面白いものでもなかろうに。あるいは己の挙動がなにやら滑稽なのか。
彼女は見ていた。ひたすらに。片時と、その視線は逸れない。
それにやや擽ったい思いをしながら、一つの箱を開け、少女の傍へと滑らせる。
「こちらなど、いかがでしょうか」
「……まあ」
少女はそのライトベージュの生地を手に取って広げた。
勿論、最優先に考慮されるのは顧客にとっての最良である。
十六夜咲夜という少女にとっての最良を、これより一つ一つきちんと吟味していくのだ。
少女は暫時、マフラーを眺め、不意に。
「この色……」
「は、これは失礼を。まず先に色のお好みを伺うべきでした」
「いえ、そうではなくて」
「?」
「この色は、貴方が私に見立ててくれた色、なのでしょうか」
少女がそっと、呟く。なにやら恥じ入るような遠慮深さで。
むしろ羞恥を覚えるのはこちらであった。面を伏せる。
「とんだ無礼を。僭上な真似をお許しください。女性の御召し物に指図するなど、呉服屋でもない分際で」
「あ、ち、ちが、別に気に入らないとか文句があるとかそういうことでは……ああもう! 頭を上げて!」
「は」
少女は羞恥を堪え、ぷんぷんと怒っている。
愛らしい怒り顔でマフラー生地を持ち上げ、首筋に這わせた。
「……私のような女には、少し柔らか過ぎる気がします」
色の印象、という意味だろうか。
確かに、かの少女の面差し、纏う雰囲気は一廉のそれ。地味な装いならば際立ち、華美に飾ればなお華やぐ。衣装に負けるということだけはまず有り得ない。まず以て衣装“が”負け続ける。
なるほど、それを思えばこの色は彼女にとり物足りないと感じるのやもしれぬ。
しかし。
「僭上を、承知で」
「もうっ! いいですから、正直に仰ってください……」
「はい。家政長殿には、その……こうした優しい淡さが似合う、と。自儘に判じた次第で」
「……嘘。どうせ、紅魔のメイドには血腥い色がお似合いだ、とか思ってるんでしょう」
「滅相もありません。そのようなこと」
紅魔館。吸血鬼の居城。名にし負う夜の王に従僕するメイドの少女。
しかし風説は所詮風説。直に語らい関われば、十六夜咲夜という少女は実に快い人だった。ただの礼儀作法に留まらない、その思慮深い人柄は間違いなく好感に値する。主に対するその真っ直ぐな忠義の姿勢もまた、己はただ尊敬を注ぐばかりだった。
「お客様として迎えする以上に自分は家政長殿との語らいそのものを、日々楽しみにしておりました。言葉尻一つに伴われる気遣いも、紅魔の御当主を心より慮られた振舞いも、敬服を覚えます。勝手ながら、こちらの商店で接客を任ぜられるとなり、まずなにより先に参考とさせていただいたのが家政長殿、貴女です。そうしてなお至らぬばかりの自分に、根気よくお付き合いくださったこと感謝の言葉もありません。本当に」
「い、いいです! もういいです! わかりましたから……!」
「……またしても、不躾を」
気付けばなにやら夢中で長々と言葉を重ねていた。己の必死さがひたすらに滑稽であった。
見れば対する少女など、この身のあまりの見っとも無さにマフラーで顔を覆ってしまっていた。
「これ、頂きます」
「は、しかし」
「なんですか。似合うって言ったの、やっぱり嘘なんですか?」
「いえ、それは事実です。間違いなく。よくお似合いです。とても、お綺麗だ」
「…………」
見たままの事実を告げる。美しい人を美しいと褒めている。語彙に乏しい己は実に愚昧である。
「よく回る舌ですこと。どこが口下手なのだか」
「世辞を申し上げた訳では……いえ、重ね重ね差し出口をお許しください」
「……しょうがないですね。許してあげます」
鷹揚な言葉選びで、はにかんだ微笑を湛えて、少女は言った。
怜悧な、時に冷厳とさえ映るその美麗な蒼い瞳が揺らぎ、新雪のような白い顔容が
胸奥に熱を覚えた。それは実に、身の程を弁えぬ感情であった。
気付かぬふりをして、先刻少女が示したティーセットを箱に包み、風呂敷をかける。
「……マフラーは、このまま身に着けていくわ」
「承知しました」
少女がライトベージュのマフラーを首に巻く。
思った通り。淡い暖色は、この少女にこそよく似合う。
「やはり」
「い、言わなくてもいいです!」
「は」
「……? 代金はこれだけですか」
「はい、確かに」
「でも」
「いいえ、
彼女が手ずから選び、購入を決めた物品の金子は過不足なく受け取った。
そして己にしても、使い途のない給金に出来過ぎた使い途ができた。
「……」
「いつも御贔屓、まことにありがとうございます。どうぞ、暖かくして、帰り路にはお気を付けください」
「……ええ」
風呂敷包みを抱え、少女が店を出る。表まで出向き、その姿勢の良い背を見送る。
一瞬、少女がこちらを振り返った。
少女は微笑んで────
不動の彫像と化した彼に向き合う。
優しい笑みで私を見送る、あるいは自分の気分次第では永遠に、見送り続ける彼を見上げる。
「……」
陳腐な言葉は好きではないし、自分の行為を他者に斟酌されるなどは我慢ならない。
ただ、そう、観念してそれを認めてしまうなら。
私は恋をしたのだ。
ありふれた恋をした。
道具屋の手代の青年に。
切欠や理由もまた、ごくありふれた細やかなものだ。
彼は、十六夜咲夜という女の有り様を、ごっそりと、仔細なところを含め、掬い上げて認めてくれた。肯定し、見止めてくれた。
私の忠節や厭世の葛藤を、なによりも救い難い“人間”十六夜咲夜を、尊んでくれた。
それがただ嬉しかった。それは実に得難いものだった。
私を、私の外見や造形や肉体を好む人間は居た。怖れ畏れる人間は居た。けれど、尊重してくれる人は、初めてだった。生き方を、有り様をして敬服を覚えるなどと口にされたのは、生まれてこの方初めてのことだった。
見え透いた嘘、歯の浮くような世辞、そんなものはすぐに知れる。人間の虚言は見るも醜く酷く臭い立つ。
逆に真心、などというものは、こんなにも胸を衝くものか。
こんなにも、堪らぬものなのか、と。
彼と面と向かって言葉を交わすのは、心身の気力体力を多大に消耗する。恋愛に現を抜かす小娘の戯言、そう言いたくば言うがいい。けれどそれと同じほど、心は踊った。胸は鼓動を早め、全身に血が走り熱を上げた。
ああ、堪らない。やはりどうしても堪らない。
だから、毎度このようにして自分の時間に逃げ込む。
この中でならこんなにも自在だ。こんなにも簡単に向き合える。近寄れる。
触れることさえ。
「……は、ぁ」
ひし、と。その胸板に顔を埋めることさえ出来る。
触れたそこからは匂いがした。青年らしい、若々しい匂い。男の匂い。
じん、と。下腹に響く。
私は淫蕩なのだろうか。
これでも我慢しているのだ。
朝、彼が御店に与えられた奉公人用の自室で目覚め顔を洗い歯を磨き清潔に身支度を整え朝餉を行儀よく食べ丁寧な手付きで食器を洗い飯炊きの下女に礼を言う様に歯噛みしナイフを握り締めて店の掃除の細やかさ行き届き具合に感心して店番の堂に入り様に少し呆れるやら誇らしいやら俸手振りの小娘の馴れ馴れしさに吐き気を覚えナイフを握り締めて上白沢慧音の世話焼き気取りの図々しさに苛立ちナイフを握り擲つ、までを耐え忍び卒のない仕事ぶりにやっぱり感心が募って昼餉をおざなりに済ませて仕事に戻ってしまう様子に怒って差し入れを持って行きこちらの来訪に驚きながらも喜んでくれたことが嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて日暮れまでずっと働き通しなことが心配で目が離せなくて夕餉を摂った後も帳面と商品と睨めっこで睡眠時間を削って勉学する貴方は素敵だけど歯痒くて井戸で体を清める姿に思わず、思わず、熱にうかされるように私は、私、私……ようやく床に入った貴方の寝顔のあどけなさにどきりと鼓動が早まる。
貴方をずっと、暇さえあれば見詰め続けた。見ていたかった。
流石に、
日に一度で我慢した。
「……意気地なし」
自分を詰る。止まったこの時間でしか彼に向き合えない、惰弱な自分が呪わしい。
いつか。
いつか勇気を出して、この想いを伝えられたら。この想いのまま、動き進む時の中で貴方と触れ合えたら。
とても素敵だ。とても、とても。
それまで待っていて。どうか、どうか待っていてください。
いつか必ず、貴方と向き合います。必ず。必ず。
その為に。
「団子屋の娘、
丁度、血のストックが心許ない頃合だ。処女ならばお嬢様もご満足いただける味を出せるが、男日照りの阿婆擦れのこと血の清らかさは期待できまい。
誰の許しを得てこの人に、色目を、汚らわしい、見合いだと、ふざけろ、糞、糞、糞。
「っ!」
気付けば彼の着物に縋り、きつくきつく握り締めていた。
慌ててそれを整えて、人心地つく。いや、もう一度だけ抱き着き、匂いを嗅ぐ。
「……はぁ、大丈夫。これでまた、我慢できるわ」
頬を撫で、その顔を見上げる。
優しい笑みを形作る顔。
恋しいその唇に、そっと口付けて────
────歩き出した。
少女のドレスの背中が街角に消える。それを見送ってから店内に戻ろうとした。
「……?」
不意に、甘い香りがした。無論のこと香水など嗜まぬこの身に、その香りはひどく不似合いであった。
しかし、奇妙なことだが。その香りはいつからか、どこからともなく香り立つようになった。己の周囲、時に、己の衣服に、いつの間にかその甘く艶やかな匂いは絡み付いている。
不可思議な印象で、この身に纏わりつくのだ。
「いかぬ」
ふと襟の乱れに気付き、整える。
ぼんやりとしている暇はない。本日もまだまだ業務が立て込んでいる。
己を包み、縋る香りを忘れ、己は今日も今日とて奉公に勤しむのだった。