楽園の巫女様が根暗男に病む話   作:足洗

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姦悪・二の罪

 

 

 

「あははははははははははははははははははははははははははは」

 

 哄笑が耳孔を、鼓膜を(つんざ)く。

 己が嘗て知り合い、親しみ、畏敬した上白沢慧音という女性の在り様からは想像だにし得ない反応であった。

 振り返る。振り返ろうとした、が。

 それは実現しなかった。正確には、己の意思では為されなかった。

 肩を掴まれたと認識した時には既にこの身は宙を舞っていた。柔術的()()などではなく、それはもっと無造作な物体の投擲であった。

 先程まで横たわっていた場所に、まったく同じ姿で投げ出される。床への落下の衝撃が、破断した足の骨を軋ませ激痛を発した。眼球の神経網に紫電が走る。

 一瞬、呼吸さえ止まった。

 陸に打ち上げられた魚より無様に、のたうつことすらできずに仰臥する。その傍らに膝をついて彼女は、己を見下ろした。

 

「在処は教えない。君なら脱出の手掛かりにしてしまいそうだ。でも、ここが何かは教えてあげよう」

 

 面前に桜色の唇が近付く。

 まるで恋情を囁くかの甘やかさで、彼女は言った。

 

「ここは牢獄だ。罪人の為のね」

 

 それはこの場、この目に映るものをただそのまま言い表したに過ぎないようにも思えたが。

 いや、しかし、明白になった事実もある。建造目的と用途。ここは決して己を閉じ込める為だけに彼女がわざわざ拵えた()()ではないのだと。

 

「里の治安は常に平定されてきた訳じゃない。不埒な輩という奴は時と場所を選ばずまるで皰瘡のように吹き出てくる。あるいは()()の病原がその苗床を張る。放火、窃盗、暴行傷害、強姦……殺人。相応の処罰が必要だった。里という安全地帯から追放し、人喰い妖怪にその処断を投げるのが以前の通例ではあったが、軽い罪の者、事故や過失、加害者と被害者を明確に区別できない事案、それら全部に流罪、いや実質的死罪を下すなど思考停止の無道だ」

 

 紅い目は遠く過去を見る。そこには倦んだ疲れが揺らぎ、滲む。

 一朝一夕の事業ではなかったろう。人が人を裁くという機構、その構築は。

 

「禁固刑が、まあ無難な落とし処だった。過剰な体罰は科す側こそ心を廃らせる。酌量の余地が多大にあるなら、苦役に従事させる程度で事は足りた。本来は……本当なら、私が、この手で」

「……」

 

 白い手が、蝋燭の灯火を浴びて揺らめく陰を落とす。

 現実に、彼女の手は震えていた。苦心を噛み殺して、胸に悲哀を埋めて。

 震える手が己の頬に触れる。

 

「人は私を守護者と呼ぶ。人里、人の営み、人の生命、それらを悪害から護ってくれる、導きを呉れる賢人だと…………そんな筈がないのに。そんなこと、できはしなかった」

「上白沢、さん……?」

「ふ……ここは幾つか試作された獄の内の一処だ。結局、ろくに活用もされないまま二十年ばかり放置されていた。覚えている者は少ないだろうね」

 

 女生が笑む。その美貌が笑みに引き攣る。内面に浮かんだものとの相異が外面を歪ませていた。

 彼女は今明らかに自らを悪辣だと、騙っていた。

 

「私が、絶無(ゼロ)にした」

「……」

「ここの在処を、もはや誰も知らない。誰もここへは来られない。ふっ、ふふふふ、ふふふふふふ」

 

 彼女の能力を使えば、なるほど。旧く、況して伝承が途絶え掛けた情報を亡きものとすることなど容易かろう。連綿と受け継がれる情報記録の蓄積、つまりは歴史。その創造と破棄の能力を合わせ持つのが彼女、上白沢慧音であった。

 その半身に宿りし瑞獣の神威(ちから)

 太刀打ちなど、もとより寸毫の可能性もなくかなわぬ。存在の位階が違い過ぎる。人間としてすら劣悪なこの身には。

 だが、であればこそ募る。疑問、不可解が。

 そんな大人物が、何故。

 

「何故、俺如きを……」

「君が罪人だからさ」

 

 応えはまさしく明答の響き。誤解の余地は微塵もなかった。

 罪を犯したゆえ獄に繋ぐ。それはまったき道理の仕儀。

 しかしだからとて、唯々諾々頷く訳にはいかない。覚えのない罪咎は受けられない。それが冤罪ならば糺し、正さねば、里の後事に障りを起こそう。

 

「それは如何なる罪状で」

「人殺し」

「────」

 

 賢らに動かしていた舌が凍り付く。喉は石で塞がれ、五臓六腑は鉛で満ちた。

 それは、その罪は、俺の殺意、憎悪による明確な加害。殺人未遂。そして、そしてなにより────

 

「違うよ。私が言ってるのは()()じゃない。それは……私が量っていいものじゃない。だから君はそんな顔しなくていいんだ。そんな辛そうな顔、しないでくれ。ね?」

「…………」

「君が殺したのは、いや……殺そうとしているのは」

 

 彼女の指先が鳩尾を刺した。

 今度こそ女生は己の罪を鳴らして、痛ましげに瞳を揺らがせて。

 

「君だ」

「……それは」

「まさか言い逃れできるなどと思うのかい。つい、今さっき、君が自ら告白したことじゃないか」

「……確かに、事態収拾の一つの手段として、取り入れる用意があると申し上げました」

「いいや」

 

 鳩尾を刺す指が、埋まる。胸骨の合間、その中央を突く。深く、抉る。

 

「が、ふ」

「はっきりと言った。自分を、自分自身を破壊する。殺すと、君は! 言ったんだ!」

 

 己の目を睨め下ろす紅い目、それが赫怒に燃えている。

 罪を知れ、と。

 

「……私は、人が好きだ」

 

 燃え盛ればこそ火種たる感情もまた早々に燃えて尽きる。怒りの灰の下より覗いたのは、繊細で純粋な硝子質、脆いほどに優しい愛。

 気恥ずかしげに、ひどく怖々として彼女は愛を囁いた。

 

「人の営みが好きだった。人の悲喜交々の色鮮やかさが好きだった。人の愚かさが、弱さが、愛おしかった。だから私は人里で人を見守ってきた。その行く末を見届けながら、人の子らが歩んできた軌跡を編纂し、集積し続ける。彼ら彼女らとの日々、思い出を。随分長く、多くを、看送ってきた。子がこの世に産まれ育ちこの世を旅立つまでを、別離を、延々と数えてきた。歴史、私と人との大切で大切で大切な歴史だ……その歴史の中で不意に、君に出会った」

 

 紅い目は再び過去を見返った。深く、追憶に没する。

 この身を確と捉えながらしかし、過去と現在の己を、まるで見比べるように。

 

「君は歪だった。その振舞い方は実に非人間的だった。一見すれば真面目で、実直で、働き者の青年────そういう仮面を被っていた。機械のように善事を、利他行を遂行するのは、本当は自分を苛める口実だったんだ。過密に請け負った肉体労働や壁外の妖祓いの済んでいない危険域の開墾作業、薪拾いや些末な柴刈も、全部、全部」

「…………」

「霧雨商店に君を推挙したのだって、危険な仕事から遠ざける為だった。なのに……紅魔館の輩が気安く呼び立てればのこのこと出向くし、魔法の森を往き来してやることが小娘の世話係? 挙句に無縁塚でガラクタ漁りだ。天狗に自分でやらせればいい! なんで君がわざわざ!? 意味がわからない! この人間は死にたいのか!? …………あぁそう思い至って、すとんと、腑に落ちたよ。この人間は死にたいんだ、って」

 

 悲しげに落ちる呟きをただただ受け取る。何一つとして否定できない。全ては恥ずべき……事実であったから。

 

「許せなかった……人として生まれておきながら、人として生きようとしない君が、私の“人”が、半人の部分が許さなかった。人倫を尊ぶほど、君の在り方は到底見過ごせない。けれど、同時に、私は……私の“獣”は、君の歪さに惹かれた」

「……」

 

 白沢(はくたく)、人ならぬ神獣。本来、かの瑞獣は有徳なる王の資質を持つ者の前に現れ吉兆を報せるとされている。

 それを知ればこそ益々以てどうして、己などに心を寄せると言うのか。己のような死に魅入られた、生命に対する卑怯者に。

 

「仕様がないのさ。聖も邪も、善も悪も関わりなく、人の魂の臨界とは我々を惹き付けて止まないものだ。神であろうと、妖であろうとそれは変わらない。君の魂は歪で罅割れだらけで、それなのに美しい。湖の水底より深く、昏い群青。怖ろしく甘い毒なんだよ……」

 

 蕩ける瞳、痛みに歪む面相。人と獣が同居する貌で彼女は泣き笑いを浮かべた。

 

(わたし)が我慢すればよかった。そうすれば、(わたし)は君を遠目にでも見ていれば満足したろう。少なくともそう思い込むことはできた。そう思い込もうと努力した。頑張ったよ。でも、なのに、あの日」

 

 瞳が、遂に濡れ、光る。それは瞭然の涙の兆しだった。

 

「覚えてるかい。稲刈りの終わってすぐの頃だ、傘張の子が家出をして、それを君が助けた」

「……はい、覚えております」

 

 彼の事情に対し軽々に斟酌を口にすることは躊躇われた。彼の懊悩に共感を覚えるほど、肩身を縮めて涙を溢す様は胸を衝いた。

 幼くとも少年は実に賢明だった。ほんの少しの切欠で、自分の行いと、ご両親の心痛を、ご両親の無償の愛情を十全に理解した。きっと己の言葉などなくとも、時間さえあればそれは可能だったろう。

 そうして、無事両親の(かいな)に帰ることができた彼の姿に俺は深く安堵し、心から俺は────

 

「羨んだ」

「っ……!」

「父母に抱かれる少年に、父母に心から望まれた子に、あの時、君は羨望したんだ。君の目に、それを見た。嫉妬を……はっ、あはは」

「…………」

 

 弁解の語彙は一言とて浮かばず舌は徒に渇いていった。ぐうの音も出ぬとはこのこと。

 俺は俺の穢らわしさを臓腑の奥底へ隠すことさえできないのだ。

 こんなものを、幼気な少年に、少年の家族に差し向けていたなど。

 羞恥が物理的な作用をもたらしたなら、俺の脳に宿ったそれは脳髄を擂り潰し頭蓋を砕きながら、それでも肥大を止めなかったろう。今この場で自儘な自死を選んでしまいそうになるほど。

 俺という存在が、厭わしく、忌々しくてならぬ。

 骨身に沁みた。頭上で響く彼女の嘲笑が………。

 

「嬉しかった……」

「……は?」

 

 想像だにし得ないものが、己の頬を打った。

 彼女の涙が。清らかで澄み切った液体が、零れ落ちてくる。止め処なく。

 女生は歓喜していた。

 

「君の心がそこにあった……君の“人”はまだ、そこにあった。残ってた。それが……嬉しかった……!」

「……もとより、己はその程度の、ただの人間です。浅ましく劣弱な人間です」

 

 ゆえに彼女の歓びは全くの見当違いだ。俺は断じて、この女性の思慮を賜るに値する存在ではない。

 ────だのにこのひとは、どうしてこんなにも俺を慈しんで笑うのだろう。

 

「そうとも。私が愛する“人”そのものだ」

「…………」

「君が自ら恥じて厭うその浅ましさと弱さを、私は愛している」

 

 額を寄せて、彼女は繰り返した。愛している、と。

 それは皮膚を越え、骨を伝って響く言葉。違えようのない真心だった。

 閉じられた瞼を縁取る長い睫毛に、涙の雫が枝葉に垂れた朝露のようだ。ただ、ただ、美しかった。

 

「だから、許さない」

 

 瞼が開く。涙に濡れた紅蓮の瞳が、眼光が、己を()()()

 

「君は自分を、自分自身を殺すと言った。君の中に残る“人”を殺すと言った。私の愛する人を、君を! 厭うと、憎むと言った確かに聞いた! そんなの、そんなの許さないッ!」

 

 己の両肩を掴んだ手がきつく握り締められる。それは親に縋る子の必死さで、あるいは子を諭す親の懸命さで。

 情深き女の貌で、彼女は怒り嘆き、涙を滂沱した。

 

「だから……こうする」

「あ」

 

 不意に泣き顔が離れていく。彼女は上体を起こし、その右手を掲げた。握り込まれた拳を。

 拳が、落ちる。

 彼女の拳が真っ直ぐに、己の、折れていない方の膝を打った。

 

 ぐしゃり

 

 半月板が割れる音を聞いた。関節が砕ける感触を覚えた。足が膝から陥没し、V字に跳ね上がっていた。

 非現実的な光景に、暫時思考は止まる。もう一刹那の半の半に満たぬ間に、恐るべき痛みが暴虐となって神経をずたずたにすることを予感しながら。

 俺はただ、彼女を見ていた。俺の脚を破壊した美しい女性を。

 どうしてか、自分などよりも余程、痛そうに美貌を歪ませる上白沢さんを。

 

「殺させない。君の“人”は私が守る」

 

 俺はひどく、憐れに思った。

 

「君が君を殺せなくなるまで、絶対に、ここから逃がさない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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