楽園の巫女様が根暗男に病む話   作:足洗

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ただちょっとえっちなだけの話。
話ぜんっぜん進まない。ホントすんません。




玩弄

 

 

 おそらくは、四日目と思しい。

 己がこの暗い牢獄に閉じ込められたという事実を自覚した日から、入眠と覚醒を2セット、そして今、四度目の目覚めを迎えている。

 本日とて変わらぬものが頭上にある。梁で補強された土の天井。それを暫時、呆と仰いだ。

 行灯の朧な光が足許の傍で揺らいでいる。彼女曰く、夜明けの合図が。

 

「……」

 

 もとより自身が昏倒してから、どれ程の時間が経過していたのかも正確なところはわかっていない。怪我のショックも手伝い、体内時計などはとうに狂っていた。彼女の言によってしか己は現在の時刻を知り得ない。

 ……無論、このようなことで彼女が己に嘘を吹き込む道理はない。ないが、しかし。

 時間感覚を掌握され、管理される。それは確実な支配の為の一途だった。

 支配。上白沢慧音という女性には間違っても似つかわしくない言葉。そんなものを顧慮せねばならないほどに、かの御方は変質を来していた。あるいは、彼女は変わった訳ではなくて、ただ表しただけのか。今まで胸に秘めていた情動を、祈念を、願いを。

 己の軽挙がそれを目覚めさせてしまったのやもしれない。己の妄念が。

 

 ────愛している

 

「そんな価値はない……」

 

 己を見下ろす彼女の蕩けた瞳を思い出し、頭を振る。

 見誤っている。

 己の歪んだ生き様は、見掛け通りの醜さしかない。断じて彼女が見出だすような美点など一欠片も持たぬ。

 だのに、だのに彼女はそれを求めるというのだ。

 

「!」

 

 足音が近付いてくる。堅固な木製の格子の向こうから光源が揺らめく。

 布団から身を起こしたところで、灯りに浮かぶ女史の白い顔が見えた。柔らかな笑みと共に。

 

「おはよう」

「……おはようございます」

 

 朗らかな、そしてこの上なく場違いな挨拶を交わす。

 

「相変わらず早いな。夜が明けてまだ間もないのに」

「早起きは以前の生活からの癖です。思いの外、身体はそれを覚えているようです」

「感心感心。だが今の君は傷病人だ。睡眠を多く取るに越したことはないんだぞ」

「境遇はともかく、状況が許すならばそうしたことでしょう」

「ここには寝坊を咎める誰も居やしないさ。勿論、来させもしない」

「その御配慮こそがどうやら我が身の安眠を阻害する模様で」

 

 皮肉気なこちらの言い回しに、上白沢さんは気分を害する様子もない。なんとなれば、むしろその笑みを深めた。

 錠前を外し、小扉を潜って幾らかの荷物を携えて彼女は座敷に上がった。扉を閉めてから、彼女は忘れることなくしっかりと内側から掛け金に錠前を通した。

 楚々として床の傍に歩み寄り、持ってきた風呂敷包みを開く。それは蓋をされた土鍋だった。

 蓋を開けると、中では卵雑炊が湯気を立てている。鶏卵は滋養を、丁寧に刻まれた葱や人参、白菜等、緩めに煮込まれた粥は消化の良さを考慮して。

 彼女の気遣いが窺える拵えの料理。その優しさ、慈しみの深さがわかる。わかるゆえ、やはりどうしようもなく、この状況の異常さが浮き彫りとなる。

 牢獄の薄闇にある女生の美しい笑顔が、名状し難い妖しさを放つ。

 彼女は器に移したそれを匙で掬うと、ふ、ふ、と息を吹きかけてその熱を冷ます。

 

「はい、あーん」

「……いえ、両手は健在です。そこまでしていただかなくとも」

「そう言って、君はろくろく食べてくれないじゃないか。水と重湯だけでは体が弱るばかりだ」

「床から動けぬ身。然程に栄養を気にする必要もありますまい。幸いに食欲も湧きません」

「ワガママを言わないの」

「我儘ついでに提案がございます。この牢からの釈放を許してさえいただければ、減退した食欲が回復するかと思われます」

「……」

 

 匙が器に沈む。黙した女史は、静かな眼差しで己を見据えた。

 虜囚の反抗的な態度に対する苛立ち、あるいは辟易……そうしたものは生憎と見て取れない。そんな稚拙な支配欲のみが彼女の行為の源泉であったなら、どれほど事態は分かり易く、単純だったろう。

 そうして次の瞬間、女生の顔に表れたものは、喜悦だった。

 

「ここを出たい。そう言ってくれるんだな」

「失礼ながら至極当然の要求かと」

「だがそれは、まだ十分じゃない」

「……とは、どういう意味でしょう」

「君がここを出たいと言うのは君自身を慮っての願いじゃない。君はただ、外に捨て置いたもの……あの女達のことを気に掛けているだけだ」

「それは」

 

 それこそ当然の懸念ではないか。己という人間を理由に、少女らが相争うなどという悪変を起こした。その事件の収拾の為、元凶たる己自ら出向かねばどうする。

 事によってはこの腹を捌いてでも、争いに決着をつけなければならない────

 

「また……またぁッ! またそれだ!!」

 

 器が畳を転がり、中身が辺りに飛び散る。

 彼女は身を乗り出して己に掴みかかっていた。

 右肩と左の手首を取られ、いとも容易く床に押し倒される。彼女との膂力の差は歴然にして絶対だった。

 凝然と、鼻先三寸を互いにして目と目がぶつかる。紅く燃える瞳には今度こそはっきりと怒りが沸き起こっていた。

 

「やっぱり、あぁ君はまだそんな愚かなことを考えている。自らの身命で事を収めようなどと……ふ、ふふふ、なら駄目だ。絶対に駄目だ。出してなんてあげない」

「っ、しかし!」

「聞かない。君が、強いられたこの不自由に、理不尽に怒り、命を惜しんで、生きてここを出たいと……いや、ここを出て生きたいと願うまでは。心から死にたくないと言うまでは。絶対。絶ッッ対に!」

 

 (まが)く歪む。聡明な彼女の美貌は、儘ならない男の愚劣さを確かに憎悪した。

 だが同時に、そこには烈しい慈愛があった。命を尊ぶ切な叫びを聞いた。

 必死さを浮かべていた顔が、不意にまた笑みを刻む。

 

「足りないんだな。不自由さが、理不尽さが。ならもっと、もっと……」

 

 何故か、彼女は傍らの土鍋を鍋敷きごと引き寄せる。

 

「食べるとは生きること。生きるには、ちゃんと食べなきゃ」

 

 子供に言い聞かせるような甘やかな口調で彼女は口ずさむ。

 そのまま、鍋の雑炊を素手で掬い取った。手にしたそれを口に運ぶ。かぶり付くように口に含む。

 桜色の口唇が、白い頬が、幾度か咀嚼を繰り返した後、顎を鷲掴まれた。

 

「うぐっ!?」

「ん……」

「ッッ!?!?!?」

 

 それは凶暴な口付けだった。

 いや咬撃(こうげき)とすら呼べよう。

 唇を割って、舌が侵入する。そうして舌に乗った熱い液体、口食みされたどろどろの粥が口腔へと流し込まれた。

 

「んっ、ヴっ、ふ、ごふ……!」

「んふ、ちゅ、ちゅる、ぢゅ」

 

 口の端から溢れて落ちる。薄汚れていく。頬を流れ、首筋を下り、布団には盛大な染みを作ったことだろう。

 それは彼女の口周りも同じこと。

 垂れ下がったその美しい銀髪は、互いの唾液と雑炊の混合液で見るも無惨な有り様になっていた。

 それでも唇は離れない。塞がれ、密着し、口中の液体交換を続行した。

 飲み込まざるを得ない。彼女の()()()流動食を。

 時に、嚥下し切れず吐き出したものは、再び彼女の口内へ戻されるが、彼女はそれを舌で捏ね回し、三度こちらに押し戻すのだ。

 倒錯感で脳が焼けるようだった。

 口に満ちる熱と、拒み難いこの甘みは、粥のそればかりではないのかもしれない。

 

「んっ、ふ……ふぅ」

「はっ! はぁっ、はぁっ、はあっ……!」

 

 解放されたと同時に主が滞納した酸素を肉体が躍起になって徴収し始めた。

 惑乱の無様を晒す己に比して、頭上の女生は静謐だ。静謐、であるかのように外見的には振る舞えている。

 大きな瞳という名の窓から、その内奥の炎が覗いていた。熔岩の如き熱量が。

 

「……これ、悪くないな」

「上白沢さっ」

「まだこんなに残ってる」

 

 鍋に目を落として、うっとりと彼女は言った。己の声など一音とて届いてはいない様子で。

 汚れた口で華やかに笑む。

 

「そうだ。今日から食事はこうしよう。こうしなければ君は食べてくれないのだから、仕方ない。ああ仕方ないな。あはっ、ははは」

 

 名案だとばかり、無邪気に笑う。そのはしゃぎ様はひどく愛らしかった。危ういほどに幼気で、己は幾度目かも忘れて言葉を失くす。

 諫めの一つすら出来ぬ無力な男をさも愛おしげに彼女は眺めている。

 その時、下腹部に触れるものがあった。当然ながらそれは彼女の手、彼女の指先である。優しく撫で、擦る。官能的なまでに。

 

「く、はっ、お、お止めください!」

「全部食べたら、今度は出さなきゃ。そうそう、尿瓶を持って来たんだ。あと桶と、()()()用に綿布もたくさん。御不浄まで私が運んでもよいのだが、この方が君も楽だろうし」

「それだけは御免被ります……!」

「だぁめ」

 

 どろりと甘く、耳元で囁く。熱い吐息が耳孔と鼓膜と脳を揺さぶった。

 不意に、すんすんと吸気の音。彼女は己の首筋に鼻を押し付けた。臭いを嗅いでいた。

 この四日間、当然ながら風呂など入ってはいない。濡れた布巾で体を拭う程度が精々だった。

 体臭に自覚はあった。それだけに、その行為は耐え難い。

 火を入れられたように羞恥が全身を焼く。

 

「ふ、ん、ふんっ、んっ、んふ……」

 

 それなのに彼女は嗅ぐのを止めない。むしろより一層に深く、しつこく、ともすれば鼻で皮脂を削ぎ取るようにして。

 熱い吐息が、刻一刻と荒く激しくなっていく。

 女生は興奮していた。一嗅ぎごとにびくりとその全身に震えが走る。こちらに体を擦り付けて互いの臭いを混ぜ合わせる。それは発情期に入った獣を彷彿とさせた。

 

「あっ、は、ん……これ、すごく、いい……」

「上白沢さん! これは、貴女のような方の為さり様ではない! 本来の、貴女は」

「これが私だよ……ずっと、こうしたかった。ただ機会がなく、私に勇気がなかっただけだ。ふふ、私の本性などこんなものさ。幻滅するかい?」

「そのようなことはない。だが、如何に己とて許容しかねる行為はある……!」

「うん」

 

 彼女は己の頭を抱きかかえた。それはそれは優しく頭を撫でられる。

 まるで、母御のように。

 

「君は許さなくていい。許せないと、怒って、私の蛮行を恨むべきだ。憎まなければ、いけないのだ。なんてことをしてくれたんだ、と。私を悪と断じる時、君はようやく自分の正しさを肯定できる」

「そ、そんなことの為に……」

「君の言うそんなことの為なら、私は何だってするよ……そう、たとえば、君の膝を破壊したような暴挙を」

 

 頭を撫でていた手が、己の手首を掴む。

 手首の表面を彼女の親指が這う。長くしなやかな爪が、皮膚と筋、骨を横断する。幾度も、幾度も。

 

「腱を切ってしまえば、君は匙も握れなくなる」

「!」

「そうしたなら、君は君の身命を惜しんでくれるかい……?」

 

 爪が伸びる。猫が仕舞っていたそれを露わとするように、鋭利な天然の刃が。

 

「ふふふ、ふふふはははははっ、大丈夫。大丈夫だ。私がついてるよ! 君は死なせない! 君を生かす! 必ず、何をしてでも!」

 

 手首に爪先が沈む。血の珠が湧き出、横一文字に裂ける。肉の深く、手指の連結が、物を掴むという俺の自由がまた一つ消え────

 地が揺れた。

 牢獄全体が上下する。

 

「な」

「……」

 

 支柱や梁によって支えられた土壁と天井がぼろぼろと崩れ、無数の土の雨を降らせた。

 猫の俊敏さで上白沢さんは立ち上がっていた。彼女は天井を睨み上げ、先の地響きよりもなお低く唸る。

 

「泥棒猫が……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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