楽園の巫女様が根暗男に病む話   作:足洗

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行ってみたいと思いませんか(切望)



夢の中へ、夢の中へ(霧雨魔理沙END)

 

 

 声が聞こえる。

 無邪気な声が。木漏れ日に花咲くような笑声だ。

 森深くに佇む小庵の庭先を車椅子から望む。よく手入れの行き届いた芝と菜園。彼女が丁寧に育てたもの。

 不精なようで実のところ、娘はとても凝り性なのだ。興味さえ向けばとても細やかな仕事をする。

 緑の匂いが深い。

 午後は雨になるかもしれない。洗濯物はどうしようか。その前に、夕餉の献立を考えて、山菜取りにでも。

 なにはともあれ、あの子にも声を掛けておこう。何も言わずに出掛けると拗ねてしまう。

 勝ち気で自立心に溢れている子だ。だのに、寂しがり屋。それが、どうにも、可愛い。

 己などには勿体ない。勿体ないくらいに、良い子だった。

 良い、娘。

 

「魔理沙」

 

 呼び掛けると、娘は庭先からこちらに駆けてくる。まるで仔犬のような無邪気さ。

 車椅子に腰掛ける己の膝に両手を置いて、大きな瞳がこちらを見上げた。小造でビスクドールのように可憐な顔立ち。やや癖のある金髪は細く、柔く。

 血色の良い頬が笑窪を作る。やはり、それは、花弁が満開するように眩い。

 

「なぁに、父さま?」

 

 俺の娘。愛娘の魔理沙。

 

 

 

 

 

 

 この土地に越してきてどれくらいになるか。

 はっきりと年月を数えられないのだから、間の抜けた話だ。己の頭が他者より秀でているなどとまさか考えたこともないが、あの子に呆れられるのは流石に心苦しい。

 

「ふふ、私が父さまを? 呆れるなんてそんなの、あるわけないでしょ」

 

 なにより、あの子との日々をただ漫然と過去のものにしてしまうのは度し難い愚である。

 カメラでも手に入れた日には、それはそれは数多のデータカードだかフィルムだかを蕩尽して己は娘の記録を撮り続けていたことだろう。

 

「それはちょっと恥ずかしいかな……父さまがどうしても、って言うんなら、別だけど……や、やっぱりダメ!」

 

 今の今までそれをしてこなかったのが不可思議なほど。

 

「そんなことしなくたって大丈夫だよ」

 

 どうしてだったろう。

 年月を数えることを止めたことと、なにやら関わりがある。そんな気がする。

 

「気にしすぎだってば。もぉ、父さまは心配性なんだから」

 

 子育てに繁忙が付き物とはいえ、子供の成長記録を取りたがらぬ親がいるだろうか。人として劣悪であり、況してや親として不出来を恥じるばかりのこの身。せめて出来の良い、いや出来すぎたあの子の為に、思い出くらい残してやればよいものを。

 

「思い出ならあるよ。()()に、ぜーんぶある。だから大丈夫。心配ないよ。大丈夫。大丈夫だから」

 

 どうして、だったのだろう。

 思い出。あの子は、そう。己の娘。俺の娘。

 母親は────

 

「居ないよ」

 

 ────居ない。そうだ。居ない。離縁や死別ではなく、初めから居ないのだ。

 俺が? 俺が、孤児だったあの子を引き取った。嬰児だったあの子を。いやあの時にはもう五つか、七つだったか。

 寡男の分際で子供を育てようなどと思い上がりであり暴挙であった。

 

「父さまに出逢えたことは、私の一番の幸福だったよ」

 

 けれど己の不届きぶりとは裏腹に、娘はすくすくと育ってくれた。健やかに、活発に、よく食べよく眠りよく遊んだ。かといって勉強も疎かにはしなかった。むしろ学ぶという行為を心底楽しむことのできる気性なのだ。どこからともなく仕入れてきた分厚いハードカバーを読み耽り、羊皮紙やら巻物やら紙片やらに何かしらを書き殴り、その脳に直接刻むようにして知識を詰め込んでいた。

 そんな学者や研究者の如き熱量に、己は圧倒されたのを覚えている。

 頻繁に机上に突っ伏して転た寝するのを心配した。だが同時に、何か一つの物事へ熱中する姿。毛布を掛けながら、その小さな背中を誇らしく思った。

 尊敬が、胸に湧いた。年若い少女に、大の男が。

 

「えへへ、大袈裟だなぁ……でもうれしい」

 

 本当に彼女は直向きな求道者だった。ゆえにこそ、わかり合って欲しかった。

 

「…………」

 

 わかり合える筈だ。何故なら、こんなにも彼女と彼は似ている。片や魔法という道を邁進し、片や商人という営みを全うする。どちらも立派だ。その直向きさを尊いと思う。

 

「思わなくていい……」

 

 必要なのは時間と、言葉を尽くすを厭わぬこと。向かい合う機会。

 

「要らない。そんなもの」

 

 俺は、不遜にも願う。願わずにおれぬ。

 

「願わなくて、いいからっ」

 

 霧雨魔理沙、かの少女が生家の門扉を潜り、そして。

 父親(てておや)と再会できる、その時を────

 

「父さま」

 

 ふと気付く。

 頬に触れる暖かで、柔らかな手。そうして、娘が両の手で己の顔を包み、真っ直ぐな両瞳がこちらを覗き込んでいた。

 真っ直ぐ。真っ直ぐに。

 車椅子の傍近く、暖炉の火の中で薪が爆ぜる。カーテンの向こう、窓の外は暗い。夕餉を終えて、身支度を済ませた後、就寝までの静かな時間。いつもの、穏やかな時間。

 膝には袖や裾をカットした古着と糸の通された針。針仕事の最中だというのに呆けていたようだ。

 灯の色を映すまでもなく、娘の瞳は常に(きら)(きら)と輝きを放っている。イエローダイヤモンドのような黄金色。それがひた、と。己の両目を見詰めている。

 見詰めて放さない。離れない。

 彼女の視線は今、己の指に握られた針より直向きな形をしていた。攻撃的とさえ言える。

 逃がさない。獲物を前にした捕食者の本能に根差した思考。いやさ決意。

 そんな恐ろしげなものに喩えてしまえそうなほど強く、なにより強く。黄金の瞳は微動だにせず、ただ俺を見据えていた。

 それが、その様が、ひどく……憐れだった。悲しかった。無性に、この胸が(つか)えて止まぬ。

 針を筵に戻し、俺はそっと娘を抱き寄せていた。

 腕の中で、微かな吐息を聞く。

 

「父さま……どうか、したの……?」

 

 己の肩口に額を付けて、怖々と娘が問い掛ける。不安を圧し殺した声。今にも泣き出してしまいそうなほど、娘は小鳥のように震えていた。

 

「いいや」

「……どこかに、行っちゃわない……?」

 

 その問いが、まるで崩壊の序曲の最初の一音節であるかのように、娘はそっと口にした。

 強張るその体をさらに引き寄せ、背中を擦って、己もまた慎重に口を開く。小鳥が驚いてしまわぬように。

 

「どこにも行かない」

「魔理沙を置いて、どこかへ」

「お前を置いてなどいかない」

「ひとりぼっちに、しない?」

「手放しはしない。絶対に。あぁもし、お前が誰かの花嫁になってしまったとしても、手放せるかどうか」

「ならないよ」

「なら安心だ。花嫁姿を見られないのは、残念だが」

「じゃあ父さまのお嫁さんになる」

「ふふふ、それは嬉しい」

「魔理沙、本気だよ」

 

 声がむくれるのがわかった。調子を取り戻しつつある娘に、内心で安堵する。

 そしてその物言いがあまりに愛らしくて、堪えも利かず喉奥で笑声した。

 

「むぅ……父さま、信じてない!」

「そんなことはない。勿論。ええ。請け負いましょうとも」

「あぁ! 噓っぽいぃ~!」

「ふふふ」

 

 小さな拳で胸板を叩かれる。

 頭を撫でて、金糸の髪を指で梳く。すると娘はするりと猫のようなしなやかさでそれを逃れ、両手を後ろにして己の膝前に立った。

 悪戯っぽい微笑。十代の半ば。こんなにも大きくなったと、感慨のようなものが湧く。まだまだ幼気で、あどけないと思う。放っては置けないと。

 けれど不意に。

 この目に自身の両脚が映る。もはや能無しの役立たずの、自身の有り様が。

 こんなものが、この少女を縛り付けるのか。

 こんなものの為にこの少女はこの先、その前途有望な、長い長い未来を。少なからず費やす羽目になるのか、と。

 するりと口をついて、少女の名を呼ばわっていた。

 

「魔理沙……」

「聞きたくない」

 

 娘は俯き、前髪が顔に影を落とす。実体の作り出す影ばかりでなく、心中の翳りが現出する。

 絶望が。

 

「しかし、お前は────貴女は、俺などの為に」

「聞かないよ。そんな話、絶対に聞かない」

 

 車椅子に座る己の膝の上に、娘は跨り、背もたれに手を掛ける。

 少女の矮躯が、細く華奢な身体が、丸ごと己に覆い被さった。

 影より出でる。その顔。可憐な、少女の顔。様々な感情により彩られていく。

 怒り、悲しみ、切なげに笑み、そうして不安。

 瞳が揺れ動く。滲んだ光を宿して。

 こんな顔をさせたいのではない。ないのだ。

 

「一緒にいてよ。ずっと、一緒に、いて……いて、くれなきゃいや。いやだよぉ……」

 

 流れ落ちる雫をそっと、親指で掬い、拭う。それ以外になにができる。

 この俺になにができる。

 できることなどない。この芥のような心身に、できることなどない。

 ただすべきことがある。せずにおれぬことが、ある。

 この子を幸せにしたい。幸せに、なって欲しい。

 その為ならば、この生命を使い潰してもいい。それ以上の使い途などあろうか。

 その一事。それだけは、きっと、偽りない俺の本心。

 今の俺が抱ける唯一の願いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長くは続かない、と。わかってた。そんなこと。

 自分に力はない。望むまま、(ほしいまま)にする能力(ちから)なんてない。

 全てを封じられれば、永遠の命があれば、妖怪のような異能が、空間や時間や事象そのものに干渉し、操るような、法外無辺の力があったなら。

 どんなに。どんなにか。

 そんなものはない。人間の愚昧さの極み。無いものを強請る。嘲笑と侮蔑、その恰好の的。

 欲さずにはいられなかった。あの人が、現れてから。

 あの人を欲しいと思った日から。

 あの人に、父親像(ゆめ)を見た。

 

 

 ────自分の夢、魔法の道、そして母との別離。実父との縁は絶えた。もう戻らない。戻せない。

 自分に父はいない。独力で道を進む。認められなくてもいい。援けなど要らない。褒めて欲しい訳じゃない。理解して欲しい訳じゃない。そうだ。そう決めた。そう……諦めた。

 それなのに。だのにあいつは、こんな人を私に贈り付けた。当て付けのように。贖罪という見え透いた魂胆で。

 こんな、こんな、こんなに素敵な人を。

 

「…………」

 

 小さな庵の窓辺の寝台に跪いて寄り添う。その寝顔を見下ろしながら、私は卑屈にほくそ笑む。彼が掌中に在る。そんな、ほんの一時の実感、他者の介入次第で簡単に吹き飛んでしまうこの今を。果敢無いこの時間を。

 私は愛おしんだ。

 愛おしくて、嬉しかった。

 そっと、私は彼の耳孔に指を挿し入れる。

 その奥に目的のものはある。

 やや粘り、抵抗感を覚えた。順調な生育の証だった。()()は脳の奥深くへしっかりと根付いている。

 特殊な培養と魔術式の応用によって作り出したこの“菌類”の機能……能力は、至極単純なもの。子株に寄生された宿主に対して、親株を通して望むままの記憶を植え付ける。ただそれだけ。

 ただそれだけのくだらない能力。菌類の培養などしなくとも、これと同等かそれ以上の効果を発揮する異能、巫術、妖術、仙術……魔法は、幾らでも存在する。この幻想郷ならば、幻想の存在ならば。

 只人には、非才を知識と鍛錬で補い、繕うくらいしかできない自分には、これで精一杯。

 でも、それでいい。

 父さまが私に優しく微笑んでくれる。父さまが私の頭を撫でてくれる。私を心配して、私を抱き締めて、慰めて。

 父さまが、私を愛してくれるなら。

 それだけでいい。そう思えた。

 

「……」

 

 長くは続かない。繰り返しに、思う。

 追手はすぐにも現れる。定命の人間を嘲笑う化物共が、彼に執着する女が、いずれ、確実に。

 奪われる。

 その、不可避の未来を想像して、胸の中心を空洞が抉った。

 いつしか雨が降っていた。窓硝子に雨水が伝い、落ちる。

 垂れ流れる雨水のような甲斐の無さで、両目から涙が溢れて垂れて落ちた。

 永遠。それは、ただの人には遠い言葉だった。人を超えたところにいる者なら簡単に手に入るのだろうか。幻想の守護者である友人とか。秘薬に毒された蓬莱人とか。吸血鬼に仕えるあの女とか。

 忌々しい。憎悪が募る。

 反吐が出るくらいに、羨ましい。羨ましくって仕方がない。

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

 渡したくない。

 奪われたくない。

 ようやく手に入れた。私だけの父。私を想ってくれる父さま。

 傍にいて欲しい。この手が触れられるところに、この目が見られるその場所に。

 

「一緒……ずっと、一緒……いっしょじゃなきゃ、やぁっ……!」

 

 彼の服に縋り付いて泣いた。赤子よりみっともなく泣きじゃくった。

 雨のように泣いた。泣くほどに雨音は強く、雨足は激しく、怒涛のように鳴り響いた。

 泣いて泣いて泣き抜いて。

 その瞬間、雨音の間隙。無音。耳から音が遠ざかる。音を感じ取るという機能が死ぬ。

 思考。それは変転して捻転して、現実を拒みに拒んだ末に果てた。

 

「そっか」

 

 それは壊れた発見(エウレカ)だった。

 サイドテーブルに置かれた木製のラック。そこに据えた一本の試験管を見た。そしてその細い硝子の管の中にあるのは。

 粘りを帯びた菌糸、その束。丸く、玉虫色の光を放つそれ。ただ一つの能を発揮させる為に自分が作り上げた生物。

 ただ一つの、能。ただ一つ。

 私の願い。

 気付けば試験管を叩き割り、その中身を手にしていた。

 親株と子株は繋がっている。親株を通して“思考者”の思い描く記憶を子株へ伝達できるように、子株から思考を受け取ることもできる筈だ。

 記憶を、思考を、脳を繋げられる。

 肉体や現実に永遠を得る術はない。この手には。

 でも、夢なら。夢の世界で繋がれるなら。

 

「ずっと、いっしょ……」

 

 涙に滲んだ視界の中心に、父さまの寝顔がある。

 それを見下ろしながら、私は、耳にそれを突き入れた。

 耳道を這いずり鼓膜を越えて脳に達する。あっさりと。頭蓋の内側、親株は冷たい硝子の管から暖かな苗床へ移住できたことに歓喜していた。

 脳幹に根を張られれば身体の操作は困難になる。どころか、人体を栄養源とするこの菌類は、いずれは自身を、そしてこの人すら食い付くし、成長しきって屍を這い出てくるだろう。

 そうなれば。いや、そうなった暁には。

 私はいそいそと布団を捲り、父さまの隣に寄り添った。

 腕に縋って、手を握る。すると。

 父さまは、私の手を握り返してくれた。

 

「すぐに行くね」

 

 夢の中で、逢おう。

 

「とう、さま……」

 

 最愛の人を最後に映して、視界は霞む。耳の奥から菌糸の束の触手が這い出てきたのがわかる。暫くその先端が中空を泳ぎ、何かを探す。同胞を、己の子供を。

 そうして、彼の中にそれを見付けた。

 触手が彼の耳孔にするりと侵入する。脳の髄の奥の、思考の海の源泉。心へ。

 

「あはっ、繋がった」

 

 鼓動が重なる。心が、魂が、貴方のところへ落ちていく。

 夢の底。

 和かな世界の中心で貴方は待っていてくれた。

 優しく微笑んで、両手を広げて、私を抱き締めてくれた────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ところで魔理沙さんは父親といったい何があったんだろう……。

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