楽園の巫女様が根暗男に病む話   作:足洗

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げに恐ろしきはその執念

 

 

 

 

 夕暮れの帰り道。

 赤提灯の暖簾。

 川のせせらぎ。雨の打樂。香る白酒。

 貴方は恥じ入るように、遠慮がちに、話をしてくれた。

 悔いるように、悼むように。

 (むご)い痛みを、堪えるように。

 

 

 優しかった。涙が出るくらい。貴方の優しさが堪らなかった。

 私を頑是無いと言って叱る貴方。

 私の苟且(かりそめ)の傷を、不死者の甲斐もない痛みを、本物だと言ってくれた貴方。

 永遠を生きる。その意味に寄り添おうとしてくれた貴方。

 一緒に、()()()()()()くれるって。

 一緒に生きてくれるって。

 こんな様の、こんな私の有り様を、在り方を、貴いと言ってくれた。

 貴方は切なげに微笑む。私の苦しみ、私の嘆き、私の諦め、私の倦み。正常な只人には理解し難いこの懊悩に、それでも、そっと。

 慈しみ、触れてくれた。歩み寄り、理解してくれようとした。

 そんな貴方に救いを見た。

 もはやそんなものはないと思っていたのに。諦めて、張りぼてのような納得で心を慰めていたのに。

 貴方は現れてしまった。貴方という人を私は見付けた。

 見付けてしまったから、もう戻れない。

 諦められない。放さない。誰にも渡さない。

 貴方が欲しい。貴方との未来が、欲しい。掻き毟るほど。

 

 

 ────欲しかった

 

 

 貴方は一人で、逝ってしまった。

 私を一人置いて、逝ってしまった。

 

 

 ────ゆるさない

 

 

 もう絶対に、喪くしたくない。誰にも奪わせない。死にすら。

 理を踏み付けにしてでも、貴方は嫌。貴方だけは、嫌。嫌。嫌!!

 貴方をゆるさない。貴方に死などゆるさない。

 だから。

 

「逢いに、来たよ」

 

 時を、次元を、世界と世界の綻びを引き裂き、踏み超えて、その先に。

 貴方はいた。私は来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 相好が崩れる。

 罅割れ、欠け落ちてゆく微笑。少女はぼろぼろと泣いていた。涙を滂沱していた。

 頬を伝い顎を落ちて、彼女自身が身に纏う業火に飲まれそれらは蒸発していく。次々と。体中の水分を今この時全て出し切ってしまうのではないか。そんな愚昧な懸念を抱くほど。

 少女が泣いている。鎮まらぬ燻りめいた悲しみと、溢れんばかりの喜びによって。

 わからない。

 この真心が。彼女は心の底より、それを想い涙している。どうしてか、理解不能な強烈さで、求めている。

 求められている。この、こんな、己が。俺自身が。

 何故にか。

 そして、それは先程の少女とて同じ。

 己自身には全く覚えのない情念を全力で注がれるというこの、困惑。

 なまじ俺という人間が人並外れて劣悪である為に、彼女らの振舞いの異常性をより際立たせている。

 俺のような人間に何故。

 俺のような人間が、何条以て。

 いや、あるいは。

 

「俺は……何か、重大な、忘れてはならぬことを忘れてしまっているのでしょうか。彼女や、貴女のことを」

「……そうじゃないよ。確かに、貴方とは……初めて会う、から……」

 

 今、目の前で、少女は胸奥に何かを呑んだ。途方もなく重く重く、感情を一つ、腑に仕舞い込んだ。そのように見えた。

 悲しみ。針のような辛苦を。

 奈落の闇にも似た、絶望を

 

「貴方に逢う為に私は来た。もう一度貴方に、貴方ともう一度、振り出しから始める為に……」

「……申し訳、ありません。その……とんだ御造作を」

 

 自分でも空惚けたことを宣っている自覚はあった。

 だが他に何と言えよう。おそらく、彼女はその言い様通り、己と“再会”を果たす為にここに来たのだ。俺にとってこれが初対面であるという事実を否定せずに、である。

 不可思議な、奇怪な事象が起こっている。時間や空間を実質では認識することのできない人間には遠く理解の難しい、おそらくはそんな事象が。

 非現実的と揶揄するならばそれこそ、火焔を操り空から現れた人間が目の前に存在することをこそまず否定しなければならない。そんなことはもはや不可能だった。

 己の常識観などここに至っては無用のもの。

 今、耳を傾けるべきはこの少女の言葉である。

 少女は今一度、弱々しく笑った。俺の返答があまりに滑稽であった所為か。それとも。

 

「あぁ、やっぱり。ホント、変わんないなぁ……ふ、ふふ、あぁ、あぁっ」

「!」

 

 震えるその声に、胸を衝かれた。

 瞬間、紅蓮の両翼が霧散する。散華する花弁のように。光の粒子が夜闇に溶ける。

 そうして気付けば、少女は己が胸の中に在った。

 両腕で強く、己を掻き抱いて、彼女は胸に顔を埋めて熱く吐息した。傷口ならずとも沁み込んでくる。極まった感情の発露。少女の心。

 違えようがなかった。そんな筈はない、などと言い訳や小理屈や自己の悪徳を並べ立ててももう遅い。否定の余地は絶無であった。

 彼女は俺に。

 こんなにも切なげに、焼き付けるように────愛情を注いでくる。

 愛を。

 心臓の鼓動が早まるのを自覚する。困惑と、身に余る重み、羞恥、なによりの罪悪感。

 

「俺は」

「嫌だ」

 

 続く言葉は胸を、皮膚を通して彼女の声に薙ぎ払われた。

 拒絶。許さずの宣誓。

 

「もう、嫌だ。嫌。貴方を、もう、もうっ! 喪いたくない! 見送りたくない! 一人になりたくない! 貴方だけは、あ、ぁ、貴方だけは……何処へも逝かせないッ!!」

 

 絶叫が炎すら蹴散らす。きつく、こちらの服を握り締めて、背中に爪が突き立つまでに、縋る。

 どうすればよい。どうすればこの子は。

 この悪辣なまでの無理解。焦熱するかのように烈しく乞い求められておきながら、俺は少女の言の何程も汲み取ってやれない。

 彼女が、賽の石積みの如くに育み、築き上げてきた想い、思い出を。

 労しいと思う。憐れでならない。しかし。

 しかし……応えることはできなかった。

 俺は、少女の求める“貴方”ではないのだから。

 この少女にとってそれが大切で大切で大切であればあるほどに。この胸を焼く熱の烈しさだけは、違えようのない真実であるからこそ。

 虚実は、断じて、口にできない。

 少女の両肩に触れる。その細さに、その儚さに慄いてしまう。

 それでもそっと、壊れ物をそうするようにそっと、彼女から身を離す。

 思いの外素直に少女はこちらの誘導に従ってくれた。

 相対して彼女を見下ろした。泣き腫らした目、潤む赤い瞳、壊れかけの微笑みはただただ痛ましい。

 それを傲然と、眼球に総力を結集して、見返す。

 話をしなければ。懇々と、丁寧に、言葉を尽くして、時間を掛けて。

 労わりたいと思う。ほんの僅かでも、その傷が癒えてくれることを願う。心から。

 だからこそ。

 

「話をしましょう。幸い、今の自分は暇を持て余す身の上」

「うん……」

「一先ず、この森を抜けましょう。このような時刻、お若い女性が出歩くものではありません」

「……ふふ、そうだね。そうだった、ね」

 

 少女は吐息するように笑う。寂しげな残響がひどく己の頭蓋を揺さぶった。

 頭を振り、周囲を見渡す。

 思えばそう、先程の、黒い外套の少女をずっと置き去りにしてしまっている。突然姿を消してしまったが、一体何処へ。

 

「でも、まず、その前に」

 

 べちゃり。

 突如、まったく意表外に、頬に浴びせ掛けられる。

 

「あ……?」

 

 液体であった。皮膚感覚はそのように物語る。

 それは暖かであった。未だ周囲の木々を燃やす炎熱に比べれば、その温度は優しくさえある。それは温もりであった。人肌の。

 人の、体内の温度。

 やや粘りがあった。水よりも濃い。炎によって照らし出されたそれは、黒々として、しかし赤い。深紅(あか)い。

 なによりこの臭い。鉄錆のような臭い。生命の匂いは。

 血。

 血が吹き出ている。

 少女の腹から。

 その白い開襟シャツをどす黒く染め上げて、鮮血を垂れ流しにして。

 少女が、その白い手を染めて。

 自分自身の腹を突き破っているのだ。

 

「な、ん」

 

 なんたる。

 脳髄の処理機能の不随。超越する。

 なにをして。

 その薄い腹を手先で破り、無造作に裂いて、さらに奥。奥へ入り込んだ手が今、引き抜かれた。

 なにを見ているのだ、俺は。

 粘り、赤黒い糸を引いて取り出されたもの。てらてらと光沢を放つ、丸みを帯びた紅。血よりも深い紅色の。

 臓物。

 人間の臓器のどれか。どれかなのだろう。そのなにかのどれかを取り出した少女は、どうしてかそれをこちらに差し出して。

 うっとりするほど美しく、微笑んで。

 

「食べて」

 

 慈愛に満ちた瞳で、俺を見て。じっと見て。

 

「食べて」

 

 繰り返す。

 それ以外の選択肢は眼前に存在しなかった。許されなかった。

 いや、そう、初めに、彼女は言った。とうの昔に宣言は為されていた。ゆるさない、と。

 

「食べて」

 

 彼女は依然として、この一瞬一瞬片時も、ゆるしてなどいなかった。

 “貴方(オレ)”をゆるしはしなかった。

 

「あ、口移しの方がいっか。あの時もそうだったもんね。あの時からずっと、そうしてきたもんね」

 

 言うや、刹那の躊躇もなく彼女は自らの臓器に噛り付いた。口に含み、咀嚼する。口端からややも血とそれ以外の体液、肉塊が溢れることも気に留めず。

 瞬きする間もなく、少女の腕に首を捕らわれていた。恋人に腕を絡める行為と同様の。

 接吻を強請る。そんないじらしさで。

 血みどろの唇が、己のそれに重なった────

 

「げあっ、か、ひゅ」

「!?」

 

 異音と血肉が吐き出された。少女の口から。

 そうして少女の身体は、藻掻き、苦しみながら、浮き上がっていく。

 度重なる異状。もはや言葉も出ない。

 離れ行く少女へと咄嗟に手を伸ばしていた。

 伸ばした手が、しかし動かない。それもその筈。己の腕、手首は縛り上げられているのだから。

 地面から伸びた、()()()によって。

 そして少女もまた縛られていた。その首を、手足を、体中を、絞め上げられていた。無数の蔦、無数の枝、夥しい植物達が、まるで意志を以て、自由を得て。

 軽々と吊し上げられた少女の足元に、人影を認める。果たしていつから、彼女はそこに佇んでいたのか。

 チェックのロングスカート、同じ柄のベスト、手には白い傘を、おそらくは日傘を携えて。

 深緑の髪の下、影と闇を貫いて己を射貫く視線。赤い眼光。獰猛なまでに美しい女怪。

 

「相変わらず愚かな男」

 

 優雅に、妖しげに、咲き誇る花のように彼女は笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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