楽園の巫女様が根暗男に病む話   作:足洗

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愛より歪み

 

 

 

 暗闇の中響くのは、激しくも荒々しい拳撃の打樂。

 裂け割られた大地の奥底。地底に広まる岩土の空間で、少女らの舞踊が、闘争が幕を開けた。

 白い日傘。深緑髪の彼女はその穂先を真っ直ぐに構え、空中から擲たれた槍の如く闇を貫徹する。

 それを一角の女怪は待ち受けた。あまつさえ両腕を広げて、歓待した。

 刹那、降り来る。白い尖端が鬼の姫御の胸に、心臓に────しかし届いていない。

 掴んでいる。鬼姫は日傘の鋭峰、その進撃を捕まえていた。

 

「……!」

「呵呵ッ! いいねぇ。殺意の一念直刀の如し。心の底から殺してぇって気迫がビリビリくる。いや一向に悪かねぇんだが」

 

 喜悦を溢れさせたような満面の笑み。

 闇間に陽炎を呼ぶほどの敵意を前にしていながら、であればこそ。

 

「ちょいと真っ正直過ぎらぁ」

「っ!?」

 

 左手に掴んだ日傘を無理矢理に引き込み、右手を。その硬く(つよ)く握り込まれた右の拳を。

 無造作に打つ。狙いなどは定めず。そも定める必要がないのだ。

 当たればよい。それで()()と。

 虚空が爆ぜる。音速を超えた打撃。拳に伴って衝撃波が周囲に撒かれる。

 爆音が耳孔に到達する前に深緑髪の彼女の姿が消えた。

 消えたと見紛う速度で打ち飛ばされた。

 

「気持ちはわかるぜ? 立ち位置が逆なら私もそうする。しねぇ理由がねぇよなぁ。えぇ?」

 

 鬼の女怪は首を巡らせこちらを顧みた。

 視線が合う度に、彼女は微笑む。安堵と喜び、灯火のような弱々しさ。

 貴女も、()()()()()()、それは宿るのか。

 胸中の惑乱は極点などとうの昔に越え、もはや己の理解能力では咀嚼不能だった。

 ただ。

 ただ目の前に厳然と、罪の実体が佇立する。少女の容を取って、我が身の罪業、その実在を証明する。

 岩壁の際に陣取った彼女は、一見すれば追い詰められたかに思える。しかし実態はどうか。彼女の背後に人質(おれ)が在るだけで、今や攻め手こそが窮していた。

 その時、宙に紅色が踊る。明けの色。闇色を薙ぎ払って炎が迸った。

 白銀の髪を緋色に染めて、右脚には真実緋炎を纏い、歯列から怨嗟を吹き少女が蹴り込む。

 

「死ィ……!!」

 

 蹴り足は、過たず鬼姫の腹に突き刺さった。火の粉が散り、炎熱が炙る。

 鬼は、笑う。

 

「ヒャハハッ」

 

 笑いながら、自身の腹を踏むその脚に、すとんと。

 手刀を落とした。友人同士の悪巫山戯にも似た軽々しさで。

 軽々しく、少女の脚は脛の辺りで破断した。

 

「脆いな不死人」

「くれてやる」

「あ?」

 

 断たれた脚を少女は頓着しなかった。

 どころか、置き捨てて、退く。

 

「爆ぜろ」

 

 閃光が視界を破壊する。色と像が瞬間、消えて失せる。

 そうして爆音。

 鬼の彼女が抱えた脚が、爆弾の如く炸裂したのだ。

 臭気が満ちた。それは血と肉の焦げ付く臭い。鉄錆の香。

 

「これで」

「温い」

「!?」

 

 濛々と立ち込める血煙から這い出るモノ。至近距離で爆炎を浴びながら、無傷。

 不意に、頓悟の閃きで己は理解した。角を戴くばかりにあらず。彼女は紛れもない鬼神であった。

 その踏み込みが地を激震させる。

 腕を振り被り、拳の尖端が弧を描いて振り下ろされる。たったそれだけの行為。素人目にもそれは武芸ではなかった。技巧などなかった。

 その大振りで、大雑把で、無造作な殴打が少女の顔面に触れ。

 

 ────ぱん

 

 風船が割れるように軽く、破裂音。

 少女の首から上は赤い霧になった。

 肉片も、骨片も、血飛沫さえ散らなかった。そこにはただ血霞が舞うだけだった。

 

「────」

 

 何かを叫んだのかもしれない。あるいは己のこの声帯とかいう器官は既に麻痺しており、この口はただ魚のように開閉していただけなのかもしれない。

 死。

 これ以上ないほどに一目瞭然の死が視界一杯に()()()()。俺にひた向きな、狂おしい愛慕を告白してくれた、名も知らぬ誰か。

 死、死、死、死、死、死、死んだ。死んでしまった。死なせて、しま────

 

「死に芸はお手の物ってかい?」

 

 鬼の彼女は言った。血の霞となった少女、その残った骸に相対して語り掛けた。

 物言わぬ骸に。今しがたその手に掛けた骸が、倒れず直立している。その場に、佇んで、いる?????

 

「……大丈夫、私は死なないから。心配しないで」

 

 気付けば白銀の髪の少女はそこに在り、こちらに向けて労しげな微笑みを浮かべていた。出会ったままの姿、一分の欠損とてなく。

 再生していた。

 

「そうとも。お前さんが心配してやるような手合いじゃあない。こいつらの死なんざただのペテンさ。在って亡きが如しってな」

「お前には関係ないんだよ」

「大有りさ。この男の慮りに浸っていいのは私だけだ」

「寝言は寝て言え、悪鬼風情が」

「寝かし付けられんのはてめぇだよ。この際だ。その死から逃れるしか能のねぇ“悖乱(はいらん)”、私が消し去ってやるよ」

「やってみろ……できるもんならなぁ!!」

 

 火焔のような音声(おんじょう)であった。燃え盛る怨念が少女の全身より立ち昇る。

 牙を剥く獣さながらに、乙女の美しい顔が歪んでいく。

 それを待ち侘びる鬼神は泰然。しかし口の端に刻んだ笑みの深さ、喜悦の色の救い様の無さ。

 心臓を寸刻まれている。無論幻覚だ。妄想だ。己の罪悪感が見せる欺瞞(まやかし)の心痛。無価値な、無意義な、この痛み。

 俺は何故生きている。のうのうと、他人の怨嗟と悲哀と、愛慕を、無闇に掻き立て駆り立てて。

 何故、厚顔にも生きている。今もって生きているのだ。

 こんなことを、殺戮を、誰かに強いていながら!

 

「何故だッ!!」

「お兄さん!」

「!?」

 

 黒い雲霞が視界を覆う。霞か霧か、靄と見紛うほどの密度。濃密な群体。きりきりと羽音を響かせるそれは無数の蟲。

 蟲を影のように身に纏った少女が、いつの間にか己の傍に現れていた。蛍火の少女が。

 

「もう間違えないから。私、私ね、あの時からずっと、お兄さんを助けたくてっ────ごふっ!?」

 

 弾け飛ぶ。

 蟲も、少女も。

 何事か。横合いから何かが彼女を打ち据えた。

 石塊。ビー玉サイズの石礫が少女の全身に殺到したのだ。散弾の如く。

 

「おい、なに触れてやがる。気安く、気安くよう。おいなあ蟲ケラ。おい、おい」

 

 憤怒が化身した。鬼神が(いか)っている。そこに在るだけでそれは天象、風雷の威力。

 肌身が粟立ち、背骨が震撼した。あまりにも隔絶した存在力の圧が、この身を紙屑のように圧し潰そうとする。

 

「私はよぉ、生まれだの種族だのでそいつを値踏みしたりしねぇと決めてた。んな肝っ玉の小せぇ真似誰かするかってよぉ……だがてめぇ、妖蟲(てめぇ)らだけは別だ。人喰い蟲、蟲ケラだけは……!!」

「人喰いの鬼が何を偉そうに!?」

「ヒャハッ、あぁまったくだ!」

 

 憤怒の形相のまま鬼姫は破顔した。皮肉気な嘲笑。眼前の誰かを、ではない。そう、自らを。それはどうしてか内側を向いた嘲弄であった。

 鬼の女怪が少女の腕を掴む。引き上げ、後方へ投げた。棒切れを放るようだった。

 後方から襲い来た、焔の少女へ投げ付けた。

 

「ちぃっ!」

「ぎ、ぁ……!」

 

 空中で衝突した少女二人が縺れ合う。

 鬼は容赦しなかった。間髪入れず、その手が足元の土を掻く。岩を素手で削り上げ、握り込み、擲つ。

 純然たる筋力による散弾。雨霰となってそれらは少女らを滅多打ちにした。

 襤褸切れになる。人の容をしたものが、赤い飛沫を上げてずたずたになっていく。

 いつからか、噛み締めていた奥歯が呆気なく砕けた。握り締めていた拳の中で生温かな血が吹き出していた。

 

「やめろ……やめてくれ!!」

「やめねぇ」

 

 鬼神が己を見下ろしている。切なげに、憐れみをその瞳に映して。

 どうして。

 貴女はそんなにも優しい貌ができる。俺を、俺などを、慮ってくれるではないか。それなのに。

 何故。

 何故。

 

「私がやめても、あいつらは止まらねぇ。あいつらが止まらねぇなら私もやめねぇ……お前さんを手に入れるまでは。()()()()()

「────」

「諦めてくれ」

 

 白魚のような手、あの頑強な拳を形作るとは思えぬほど美しい指先が己の頬を撫でた。労わり慈しみ、求めて粘る、それは愛撫だった。

 火柱が立つ。赤い竜巻が地下空間の天地を貫く。熱波は土を、岩を溶解した。その熱量は少女の心だった。

 土中より這い出る巨体。龍のような太く長大な体躯。蛇腹状の甲殻に鎧われた蠕蟲を従えて、ひたむきで幼気な目が、複眼が己を捉える。

 かつかつと革靴の音色がする。ゆっくりと、静かな歩みで、日傘を携え彼女は来る。無、その貌に感情と呼べるだけの色はなく、静謐。静謐の仮面、分厚い冷徹の皮膚の下にしかし、確実に、“それ”は内包されていた。

 少女達の総意。研ぎ澄まされ、精錬され尽くした、ただ一つの想い。

 愛。愛より生まれしその殺意。

 

「だがまあ、後ろを気にした大喧嘩ってのも片手落ちだ。しょうがねぇ、此度は日を改めるとするか」

「逃がすと思うか」

「お兄さんは渡さない」

「殺す」

 

 共通の理念。同質同量の意志。こんなにも似通っている。

 ただ、歩み寄ることだけはない。半歩たりとも譲らない。

 一つだからだ。この身は一つ。求めるものは、一つきり。

 喉奥に血の味を覚えた。俺は絶叫していた。

 しかしそれすら、闘争の熱波が掻き消す。敢え無く。

 いや、これは。

 この熱。この湿気。この独特の饐えた臭い。

 硫黄の臭い。

 

「温泉でもどうだい?」

 

 鬼の女怪は、背後の岩壁を殴り付けたのだ。

 壁は脆くも罅割れていく。潰没した拳を中心にして、亀裂は広がり、侵蝕し、遂には決壊する。

 間欠泉。

 熱湯が溢れ出す。

 噴き出した蒸気と、津波のような圧倒的湯量が地下空間を呑み下す。充満していく。

 鼻腔の粘膜と皮膚を焼く熱に立ち眩む己を、彼女は抱え上げて跳んだ。

 足下から追い縋ろうとする三様の狂おしい殺意を、第六感に依らず我が身とて感じた。質量すら伴って。

 しかし一歩、届かない。

 鬼姫は悠々と岩壁を粉砕しながら、沈みゆく地の底を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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