楽園の巫女様が根暗男に病む話   作:足洗

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もこたんルートこれにて了




凌(了)

 

 

 目覚めは笹藪のざわめきがもたらした。

 風が幼子の頭を撫でるように、竹林を吹き抜け、涼やかな音色の尾を引いていく。

 迷いの竹林。その奥にひっそりと佇む小造な庵。己は今、そこで暮らしている。

 

「……おはよう、よく眠れた?」

 

 傍らに寄り添うその人を認める。己を覗き込むあどけない相貌。

 藤原妹紅、ここは彼女の家だった。

 

「おはようございます、妹紅さん」

 

 寝惚けることもなく明瞭に、朝の当然の挨拶を交わすことで、己は彼女の存在を実感する。

 愚昧な。

 幾度となく、そんな確認行為を繰り返している。彼女が自身の住まいに招いてくれた日から、彼此(かれこれ)一月も経とうというのに。

 

「……ずっと見ておられたのですか」

「うん。寝顔は案外齢相応だね。可愛いよ」

「御冗談を」

「ホントだってば。あぁ照れてんだ? ふふふっ」

「……」

 

 返しの文句は浮かばなかった。貴女の方が、余程に……などと歯の浮いた文言は幾らか過ったが。

 彼女にはもう、己が内心の機微を隠すことは難しい。

 

「朝ごはんにしよっか」

「では、今日は自分が」

「ダメ。刃物を扱う仕事は私がやる……めげないなぁ。この問答、毎日やってる」

「……は」

 

 彼女は笑んで、身を起こす。

 己もそれに倣って上体を起こし、床の上で胡坐を掻いた。

 不意に、彼女の左手が己の右腕に触れる。今も包帯を巻いた、前腕の先端に。露出していた骨も今や肉と皮が覆い、柘榴めいた傷口は蕾を閉じたかのように綺麗に塞がっている。

 撫で、擦り、労わる手付き。やや過敏になった皮膚感覚が、少女の指先の柔らかさを深く味わった。

 

「申し訳ありません……」

「いいよ。手料理を振舞ってくれようとするの、嬉しいから」

 

 耳元で囁くようにそう言うと、少女は立ち上がって土間へ向かった。

 その間、布団を畳み、仕舞い、囲炉裏に火を入れる。

 

「でも、私の料理の腕だってそう捨てたもんじゃないでしょ?」

「毎食を楽しみにしております。ですが失礼ながら、些か意外でした」

「ふーんだ! ずぼらでも独り身は長いんだから。家事の経験値はあるもん」

「はい、お見事な腕前です」

 

 危なげもなく包丁を掌中で回転させ、得意げな顔がこちらに振り返る。

 

「全部私に任せてよ。貴方は見ててくれればいいから」

「…………」

 

 これも果たして、幾度目かの遣り取りか。

 彼女は己に家事を任せなくなった。厳密に言えば、危険と思しい作業、重労働を禁じられた。

 里の大工衆にて就いていた人足の(えき)も、この身体では土台勤まる筈もなく御雇を解かれて久しい。

 ならばせめて、馴染んだ家事程度は請け負わん……そう息巻く己を、妹紅さんはやんわりと拒むのだ。自動機械などないこの土地で、家事は須らく肉体労働。手作業が主となるのだから片腕でそれらが捗るかと問われれば、否やと言わざるを得ない。

 己は晴れて、名実共に役立たずと成った。恥ずかしく思う。身の置き所がない。穴を掘り、身を埋めてしまいたいとさえ考えた。

 しかし今なお、己は生きている。

 

「それでもいい」

 

 彼女のその言葉に甘えて。

 

「生きて、傍にいてくれるだけで、いい」

 

 また、陽光の笑顔で妹紅さんは言った。

 秋が背を向け、冬の足音を聞くこの頃。その笑顔は心ばかりでなく、肉体すら暖めてしまう力があった。

 蕩けるように少女は笑う。夢見心地に、まるでこの今を、この時間をこそ――――歓待するように。

 

 

 

 

 

 一度、妹紅さんの言付を破ったことがある。

 いや言付などと、彼女は己に不労たれと強制している訳ではない。この身の障害を慮り、無理に作業をするなと、真っ当な理屈を示しているに過ぎない。

 それを破った。

 洗濯をし、掃除をし、料理を作ろうとして、案の定失敗を犯した。

 鉄鍋を囲炉裏の自在鉤に吊るそうと、片手でそれを致そうとして盛大に鍋を返した。天井から下がった鉤の支えに妙な荷重が掛かり、脱落したのだ。

 鍋の中身は、土間の竈で火を通した後の水炊き。それが囲炉裏の灰と床板に、そして己の足と右腕に浴びせ掛かる。咄嗟の時、やはり利き腕を出してしまうものなのだなと、阿呆のような感慨を抱いていた気がする。

 折が良いのか悪いのか、少女が帰宅したのはその直後だった。

 言葉と、顔色を失くして、少女は己の姿を呆然と見た。ほんの数秒、時間が止まってしまったかのように。

 もう一秒後、弾丸の如き素早さで彼女は玄関戸を飛び出し、水桶を手にしてすぐに戻ってきた。水を張った桶に己の足を浸し、己の腕を水布巾で覆う。

 いずれも、涙を流しながら。

 

『申し訳ありません。自分の、不注意で』

『いいよ。いいから』

 

 無色透明の貌、そこに空いた二つの虚穴から少女は涙を滂沱させた。いつまでも、いつまでも。

 それはまさしく、夢の再現だった。

 

『熱かったね……痛いよね……あぁ……ごめん……ごめん』

 

 胸を潰される。思い出すだに、この胸奥に埋まる心臓を握り潰したくなる。

 

『ごめんね……!』

 

 何故、謝るのか。何故貴女が謝らねばならぬのか。

 そんな必要は一分とてない。微塵とありはしない。そう言いたかった。しかし言えなかった。

 違うのだ。

 彼女の謝罪の言葉の行方は、ここにはない。ここではない何処かに向かっているのだと。

 何も言えはしなかった。

 しかし、それでも己には、彼女に伝えるべきことがある。

 断じて、告げねばならぬ言葉が……ある。

 

 

 処置が的確であったからだろう。煮詰まった出汁を浴びながら、手足に火傷を負うことはなかった。皮膚に奔った赤みすら、消えて失せた。

 初めから、そんなものは無かったかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 笹藪の(いなな)く音がする。

 目を開けると、明かりとりの格子窓から青白い月がこちらを覗き込んでいた。

 夜半のさらに深み。獣や蟲すらややも微睡む時刻。

 今時分、ここのところよく目が覚める。肉体には睡眠を()()()いるというのに精神はまるでそれを拒むかのように醒めていく。

 

「……」

 

 その原因は、分かっていた。知れたことだ。誤魔化しようもない。

 彼は今も自身の隣で静かな寝息を立てている。

 彼と一緒に暮らし始めて、九十回日が沈んだ。もうすぐ、九十一回目の夜明けが来る。

 それが。

 

「…………っ、は、ぁ」

 

 それがどうしようもなく嬉しい。喜悦に、熱を持った溜め息が胸奥から溢れる。

 その事実がこの全身を、全霊魂を歓喜させる。

 幸福とは今。今この瞬間こそが、私の、一番の。

 

「…………」

 

 我が身に降りかかっているこの幸いなるを自覚した――――その刹那。

 私は、思い出す。

 私というものを思い出す。

 いつものように。

 知らぬ存ぜぬと重ね塗り圧し潰しを繰り返して拵えてきた自己欺瞞に、罅が入るのがわかった。

 大年増の厚塗りの白粉めいて、それは醜い。見映えどうこうではなく、老いを必死になって隠そうとするその性根。

 歳を経て朽ちるその自然(じねん)に。現実に向き合わず、在るがままを受け入れられず、目を背け耳を塞ぐ逃避の思考が。

 無論、この身は老いなどしない。そんな尋常な、健常なる在り方は、もはや忘れた。肉体も、精神も、絶えず生き続ける。延々と、永遠と、存続し果てて、果てもせずまた在るだろう。

 潔さの対極へと進み続けるだろう。

 

 ――――この人を置いて

 

「――――」

 

 それは背骨を震撼した。骨の髄から発し、肉を叩き、皮膚を粟立てた。

 歯の根が合わない。身体は(おこり)を発症している。寒い。現実の外気が肉体より熱を奪うのではなく、幻想の、心の奥底から霊魂が凍てついていく。寒い。寒い。寒い。

 恐怖という病に、藤原妹紅(わたし)は罹患した。

 こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい。

 

「…………ぁ、ぐ、ぅ、う、あ」

 

 両肩を抱いて蹲り、苦悶を押し殺し、噛み殺す。

 賢しらに、自分は何と言っていた。彼に自分は何と言ったのだったか。

 喪に服し、死を悼み、思い出に変える?

 年長者面で大層な壮語を吐いたものだ。恥を知らぬ。

 とんだお笑い種だった。

 今や自身がこの有り様。

 今更、おそろしいのか。ひとりで行くのがおそろしいのか。ひとりで逝かれるのがおそろしいのか。

 

 ――――おそろしい

 ――――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!

 

 さんざ、見てきた。看取ってきた。送ってきた。

 姉にそうするように懐いてくれた者もある。慧音に因んで先生と呼び慕ってくれた者もいた。母のようだと言ってくれた者も。

 善き人々、親しんだ人々、大なれば小あらじ関わってきた誰も彼も。

 死んでいった。

 慣れきり、馴れ親しみ、飽ききったとさえ嘯いておきながら。

 

「貴方は……貴方だけはっ、いやぁ……!」

 

 どうしようもなくやはり、堪えることとて能わずやはり、恥知らずに口をつく。その拒絶。この不実。

 生と死は等価也などとさも達観に至った風を装っていた。

 声もなく喚く。彼の死がこわい。彼と別れるのがこわい。ひとり残されるのが、こわくてこわくて堪らない。この痛みは耐え難い。一瞬たりと耐えていられない。

 知っている。こんな我が儘は通らないと。いずれ死は、尋常に、彼の命を持ち去るだろう。なにせ死は、普く人々に平等。だからこそ人は葬儀を尊ぶ。別離の痛み、悲しみ、苦しみを、大勢が分かち合うことで、互いを労わるのだ。平等なる死に、人々が向き合う為の……。

 ……死が、平等? 馬鹿な。戯言を。死とは理不尽の別称だ。そんなものを分かち合ってどうなるという。分かち合えば痛みが和らぐとでも言うのか。そんな筈はない。そんなことはなかった。なかったのだ。数多の死に直面し、見送り続けて千余年。別離の痛みは、針と成ってこの胸を刺し続けている。死と別れの数だけ、針は増える。増えて増えて、もはやどこにも刺せない。藤原妹紅という名の(むしろ)はずっと血塗れだ。

 知って、知り尽くしたと思っていた。痛みも、悲しみも。

 でも違った。こんなものは知らなかった。嘗てない。

 知りたくなど、なかった。知らなければよかった。こんな、こんな気持ち。

 もう無理だ。もはや無理だ。

 お願い。お願いします。許してください。彼だけは許してください。

 

 ……一度、それを味わった。

 

 目の前で、血溜まりの中、ただの肉の塵屑に変わっていく彼を見た。喪う痛みを、死の針……否、剣がこの心の臓腑を抉り貫いた。新鮮な痛みを味わい尽くした。

 その結果はどうだ。

 ――――耐えられなかった。私は、耐えられなかった。

 今までのように、これからのように、できなかった。一人の、ただの親しかった誰かとして、数多の誰かのただの一つとして、彼を。

 思い出になどできなかった。

 できなかった。だから、()()した。

 

「は……はぁ……はっ……」

 

 浅い呼吸を繰り返す。肺に石でも詰まったように、吸えど吐けど空気は体に満ちてくれない。

 

「……」

「……っ」

 

 気息の乱れを聞き取る。今度のそれは、自身の喉からではなく、隣から。

 寝相も良く眠る彼の、左目の瞼が震えている。

 先程から自分の奇態は随分と喧しかったろう。意識が微睡の浅瀬へ浮上しようとしているのかもしれない。

 そっと、指先で青年の額に触れた。

 なるだけ優しく、丁寧に、穏やかに――――(しゅ)を掛ける。

 何も難しいことはない。意識を深みへ、眠りの深海へそっと沈める。児戯にも等しい術だ。

 これで、彼は朝まで、何があろうと目を覚まさない。何があろうと。

 何を、しようとも。

 

「――――」

 

 布団を剥いで、仰向けの彼に馬乗りになる。

 寝間着の浴衣の前身頃、その隙間に手をするりと忍び込ませる。胸板は適度な弾力があり、脇にゆくに従ってより筋肉の盛り上がりを感じられた。胸骨の内側、その下で、脈打つ心臓の鼓動を感触として覚えた。

 まるで生命の所在を、叫んでいるようだった。

 耳を押し当てる。その絶唱は言い様の無い安堵をこの身にもたらした。

 唇を、鳩尾に這わせる。肋骨の凹凸を唇縁の先に感じながら、ゆっくりと胸を登る。鎖骨を食み、一本の骨の形を粘膜で咥えて確かめる。

 喉仏は唇全体で覆い、すぼめるようにして吸った。喉を刺激された所為だろう。青年は僅かに鼻から吐息を零した。

 左手で鰓骨を下からなぞり、締まった頬肉を指の腹で撫でる。そのままさらに登って、耳たぶを弄った。その柔らかさを楽しんでから、耳輪の縁に指を這わせ――――

 

「…………」

 

 手を止めた。

 その、歪な感触に。

 耳の上端、その耳輪の三分の一ほどが欠けている。集音の為の薄い軟骨が、そこだけそっくりと失われている。

 噛み千切られたのだ。

 獣に、ではない。あの猿の妖怪でもない。

 あの女。妖怪の女に。

 

「あの女…………あの(アマ)ァ……!!」

 

 風見幽香。あれが為さしめた。この所業を、暴挙を働いた。

 彼の血肉を掠め取った。

 まるで取って置きの菓子でも摘まむように、彼は我が物であると(のたま)う傲岸不遜な様で。

 穢らわしいあの口が、歯が、舌が、彼の一部を削いでいった。

 よくも。

 よくも損なわせたな。よくも、彼の、代えの利かぬこの、唯一無二の、血と皮肉を。

 よくもよくもよくもよくもよくもよくもよくも、よくも!!

 

「く、あぁ、もう、こんなに、残り少ないのに……!」

 

 今や片腕は裁たれ片目は抉り取られた。彼を彼足らしめる物的正銘である五体は四割もの喪失を余儀なくされている。

 奪った。汚辱した。

 もはや消えない痕跡。彼は犯されてしまった。侵されてしまった。

 あの、女に。

 

「…………消毒」

 

 あの女の痕跡、形跡、残り香、全て消し去らなければ。

 微かにでも残せばきっとそこから彼が腐って落ちてしまう。ああそうだそうに違いない。

 

「消毒しなくちゃ……」

 

 ぢ、ぢ、指先から鈍い音が鳴る。空気が焦げ付き、僅かな塵や水気が炙られ煙を立てた。

 些細な手妻に過ぎぬ火術。

 左手の親指、人差し指、中指が、赤熱すら超えて白化する。

 これが一番。こうすれば、あの女の菌を滅却できる。

 炎熱する三指で、欠損部に触れた。

 先程とは比べ物にならぬ焦熱の音色。動物の肉の焼ける臭い。

 

「こうすれば大丈夫、大丈夫だから……大丈夫、大丈夫、菌も毒も消える。綺麗になる……綺麗に……」

 

 赤く皮膚が爛れ崩れ、血が泡立って蒸発する。鉄の臭いが彼の()()に混じって香った。

 ああ……なんて、(かぐわ)しいのだろう。幾度嗅いでも堪らない。幾度嗅いでも飽き足りない。

 生きている匂い。彼は今、この瞬間、確実に、生きているのだと、この世に在るのだと実感できる。

 彼の耳を焼いて夜毎九十一回を数えてなお、この実感に勝る悦楽はない。

 

「すぅ……」

 

 一息、彼の実存を認めた。

 そうして彼の耳から指を離して、もう一息分、呼吸した時。

 

「――――あ」

 

 気付けば香りは失せていた。鼻腔を掠めるのは庵に満ちる夜気ばかり。

 濃密に漂った彼の匂いはもはや無い。勿論、彼は今もって床の内で寝息を立てている。

 消えて失せたのは、匂いばかりでなく。

 耳には、火傷が無かった。爛れた皮膚の泡立ちも、裂け割れたそこから流れ出ては蒸発する血潮も無かった。赤みすら消えて無くなっていた。

 歪な形の耳が、ただそこにある。まるで、何事も起きていない、そう嘯くように。

 

「……は」

 

 なんのことはない

 ただ、元に戻ったのだ。

 見慣れた光景だ。もはや馴れ切り飽き切った。

 自分と同じ。同じ。

 

「おんなじだぁ……は、はは、あはっ……は」

 

 仄暗い悦びが胃の腑を満たしていった。

 火を吹くほどの酒精めいて、それは強い陶酔を心身にもたらした。

 

「は、はは、は……ぁ、あぁっ……あぁ……う、ぁ」

 

 躁病のような笑声に、汚ならしく混じる呻き、喘ぎ。

 笑いながら、両目からは涙が溢れた。笑いながら、喉奥からは嗚咽が溢れた。

 彼も同じ、私と同じに、同じ……この身と、同じに、してしまった。

 私が、変えた。そうさせた。

 彼から正しい命を、死を奪い去った。

 蓬莱の永久。終わりない牢獄。不滅(ほろばず)の呪い

 この罪を、咎を、業を――――心底思い知りながら!

 

「ごめん……ごめんね……ごめんねぇっ……」

 

 この謝罪の言葉に何の価値もないことを知っている。

 口で、涙で、免罪を請いながら、私はさらなる罪を重ねようとしている。

 毎夜毎晩、重ね続けている。

 そして、今宵も。

 

「……」

 

 こんなことはしてはならない……内なる理性は言った。良心は呵責され、我が身の不正義を声高に叫んだ。

 禁忌。間違いなくこれは、絶対の禁戒に処すべき行為。

 あるいは殺人に匹敵する大罪だった。

 この罪深さの最たる点、それは自分が()()を承知していることだ。

 死ねぬ、終われぬ、この地獄を、自分は骨身に、魂に、思い知り味わい尽くしているということだ。

 だのに、それを強いている。自分と同じ場所へ彼を引き込もうとしている。

 あまつさえ意識を奪い彼の認知を無視し自己一身の都合で。恐怖に、駆られるまま。

 

「……っ……っっ……!」

 

 何度も何度も止めようとした。何度も何度も。毎夜毎夜、彼と共に床に入る時、幸せを腹の奥底に受け取る刹那。一瞬一瞬に。これでよい。これだけで十分。そう言い聞かせて眠る。彼の寝顔に、万感の想いで胸を満たして。いや、満たされてしまうからこそ。

 駄目だった。諦めることが、どうしてもできなくなる。

 できない。できない、なら。

 いっそこの地を去ってしまおうかとすら考えた。

 彼の前から居なくなってしまえば、そうすれば、彼は、人としてその生を終えられる。真っ当な、ただの、普通の人として。

 そんな真似ができないことも、既に知れた話。

 眠る彼に跨り涙を流しながら耳を焼き不死力(リザレクション)付与の成功に歓喜し嗚咽し自己嫌悪にまた涙する……私は狂ったのだろうか?

 狂って、頭が捻じ繰れたからこんな所業を働いている。そうであったならどれほど良かったろう。

 でもそうではなかった。

 全ては私の意志、私の願望、私の蛮行。

 私は彼を喪いたくない。永遠に。

 ただ、それだけなのだ。それだけだったのだ。

 

「…………」

 

 そうして、帰結に至る。

 私は今夜も、罪を行う。

 帯を解き、肌襦袢の前を開ける。胸の谷間から臍の下までうっすらと汗を掻いていた。ひやりと夜気が素肌の熱を拭き去った。

 右の脇腹に指先を添える。爪が皮膚にめり込み、指の第一関節まで腹筋の隙間へ沈んだ。

 そのまま。

 

「……………………」

 

 そのまま突き入れればいい。簡単なことだ。躊躇いさえしなければ腹を抉る程度造作もない。それが素手であってもだ。

 そのまま、突き入れれば。

 

「……ッッ」

 

 今更。

 今更、躊躇するのか。

 散々、この奥に据わる臓物(はらわた)を彼に喰らわせてきた癖に。

 今更!

 …………けれど、けれどまだ、引き返せる。

 彼の不死は未だ不完全だった。

 彼は未だ蓬莱人に成りきっていない。

 肉体の再生能力は確かに、人外の領域に達しているだろう。しかしまだ、完全な不老不死には至っていない。

 これは蓬莱の境地に身を置く者にしか解らぬ感覚だ。蓬莱山輝夜、八意永琳、そして自分自身、この三者にあるものが、彼にはない。

 『永遠』という病に魂が罹患していない。

 ……厳密には、この表現も適確とは言えまい。というより表現の仕様がない。それを持つ者と持たざる者を自分達はどういう訳か見分けられる。ただそれだけ。

 今まで分け与えた血肉の量だけでは、彼を蓬莱人に転生せしめるにはまだ足りないのだ。あるいは……肝を食べさせるだけでは、届かないのか。

 ――――それはわからない。わからない。わからない。わからないわからない。わかりたく、ない――――重要なのは、彼がまだ真人間であるということ。

 今止めればそれで、彼は純粋な、死ぬ人間でいられる。

 その一事実。

 止めてしまえばいい。こんなことは、今夜限りすっぱりと。

 このまま、彼の隣に寄り添って眠りにつく。それは素敵だ。幸福の続きだ。彼の体温と匂いに包まれて、穏やかな夜を。

 静かで、麗らかな日々を、健やかな生を。

 このまま。

 

「……ごめんね」

 

 それでもなお罪を犯す私を、こんなにも愚かな私を、どうか、どうか。

 罪を知り、恥知らずに、この手が脇腹を破る――――破ろうとした、この手に。

 その手が重なる。

 

「――――へ」

「……」

 

 大きく分厚い掌が、私のそれを包み込む。

 間の抜けた声を漏らして、反射的に眼下を見やった。

 その左目と目が合った。

 昏睡のさらに暗闇へ押し沈めた筈の彼が、彼の目が開かれて。

 こちらを、見ていた。

 

「ひっ、ぃ……!?」

 

 彼の上から仰け反るように跳ね退く。

 尻から床にへたり込み、にじり下がる。

 まるきり恐慌の体で、みっともなく、情けなく。

 見られた? 知られた? 自分の、所業を、この罪悪を。

 

「ど、どう……して……なんで」

 

 疑問は当然に口をついた。問い質せるような立場にこの身がないことを忘れて。

 彼は起き上がり、正座でこちらと相対した。表情は、ひどく穏やかだ。いや、そうであって欲しいという卑小な願望がそんな幻覚を見せているだけかもしれない。

 彼の貌を直視できない。

 

「……妹紅さん」

「っ!」

 

 心臓が跳ね躍る。卑怯な手段で秘め隠してきたこの行為、そこに付随した(おどろ)のような後ろめたさがここぞとばかりに身も心も刺し苛んだ。

 自分の名を呼んだその口が、次に何を言うのか。それが怖い。どんな呵責だろう。どんな罵詈雑言だろう。

 石のように身を固める自分に、彼は。

 そっとこちらに手を伸ばし、襦袢の前身頃を寄り合わせようとする。

 見れば、胸も腹も、その下も露わにして、仰け反って座り込む自身の有様は、あられもないというより品がない。それを、彼は気にして。

 

「……」

「……」

 

 左手はともかく、無い方の右手では衿を直すだけのことが、やはりどうにも難しいようだ。

 す、す、と。幾度が丸い右腕の先端が肋骨のあたりを撫でる。もう数回ほど、それを繰り返した後。

 結局、彼は着物の乱れを諦めて、私の背中に左手を回した。

 ぐっと引き寄せられ、尻餅を付いていた身体を抱き起される。

 

「……」

「んっ……」

 

 この身が無事引き起こされても、彼は回した腕を解かなかった。

 それどころか、両腕はより強く、この身体を抱き締めるのだ。

 どうして。

 

「どうして……?」

 

 また、呆けたように呟いた。疑問の体裁をしていたが、実際のところ自分が何を問うているのかも定かではない。

 罪悪感と羞恥心でただただ胸が潰れそうだった。

 

「自分にも、自分の肉体の変化について正確な説明は叶いません。ただ……おそらく」

 

 彼は依然として穏やかに。

 

「力を帯び始めたのやもしれません。妹紅さんと、同じ力を」

「……っ」

 

 息を呑む。彼の胸の中で、肩身を縮める。

 己で犯した罪業を、事実として指摘されて、核心を衝かれて全身全霊を動揺させる。

 そんな甘え。

 

「それが抗力となって、呪術の類に耐性が生まれたのでしょう」

「いつ、から」

「……ここ一月ほど」

「ッッ!?」

 

 一月?

 一月もの間、私は、私は。

 彼を眠りの深みへ閉じ込めたと思い込み、その耳を火炙りにして、あまつさえ……あまつさえ。

 

「わた、し、私、あぁぁああぁっ、私は、貴方を……!!」

「よいのです」

「よくないっ!!」

「いいえ、よいのです。妹紅さん」

 

 加害者が、罪を棚に上げて厚顔無恥に喚き散らしている。

 被害者は、どうしてか静謐なまま、この罪科をまるで壊れ物に触れるかのように優しく包み、労り、撫でるのだ。背中を擦り、柔く叩く。赤子にするのと同じほど、それは優しく。

 やさしい声が降ってくる。

 

「それが自分の望みです。以前申し上げた通り」

「望み……」

「はい、貴女の()()()()()()()()。それが自分の切望です」

 

 気負いも(てら)いもなく、彼は言った。言い切った。

 

 ――――あぁ

 

 わかってる。

 それが。

 これは許されない。

 それが、けれど。

 こんな感情を今、この瞬間ばかりは、抱いてはいけない。

 どうしようもなく。

 これほど悪辣なことはない。我欲に大切な人を穢しておきながら、こんな、こんなものを。

 為す術もない。こんな喜びは他にない。

 慈愛に、抱き竦められている。どうしろというのだ。なにができるというのだ。

 

「……ダメだよ」

「自分は容認します。いえ、歓待いたします」

「貴方は……わかってない。蓬莱人に成るってことが、どういうことなのか……」

「確かに、己の理解は十全ではない。しかし、それでも構いません」

「不死がっ、死ねないってことがどんなにっ……どんなに惨いか……!」

「想像を絶するものと愚考します」

「絶対に後悔する! どうしてくれるんだって、なんてことしてくれたんだって! 貴方は私を憎む! 憎んで、憎み切った後に、殺してくれって! ……殺せ、って、懇願する……」

「あるいは」

 

 彼の胸板に爪を立てる。皮膚を裂いて、五つの傷から血が滲み出た。

 自分の仕出かしたこの有様に、何故か自分の方が彼に思い留まれと懸命に説得を重ねている。

 どうして、こうなったのだったか。それすらも曖昧になりつつあった。

 彼は離してくれない。私の身体を掻き抱いたまま。放せば最後、私が消え去ってしまうとでも思っているかのように。

 彼はきっと、もう二度と、私を離さない。

 それは私の願望?

 それとも。

 

「魂が病める時が来るやもしれません。悲しみ、心貧する時が来るのやもしれません。しかし……一つだけ、確かなことがある」

「…………」

 

 左手は背を昇り、私の頭をそっと撫でた。

 

「死が二人を分かつことだけは、永遠にない」

 

 彼は言った。そこにはやはり、気負いも衒いもない。それはまるで、とっときの冗句を口にするみたいだった。

 

「俺はその事実に心底、安堵します」

 

 ただの言葉遊びだ。

 私を安心させる為の、戯言。

 

「……バカじゃないの」

「そうでしょうか」

「バカだよ、貴方」

「そうかもしれません」

 

 私の為の、彼の誓い。

 

「ばか……」

 

 本当に愚かなのはどちらか。本当の罪人はどちらか。それはどこまでも明白だった。

 けれど、どうしようもないのは彼も同じなようで。

 救いようのないバカな私達は、きっと、初めから、お似合いだったのだ。

 そっと、頭を撫でていた手が頬に触れる。指先は丁寧に、私の両目の涙を順々に拭った。

 

「今夜も為さりますか」

「……」

「では一つ、お願いがあります」

「お願い……?」

「はい」

 

 彼の手が頬を滑り、首筋、そうして自身の右の脇腹を柔く撫でる。

 

「ん、ぁ」

「素手で肝臓を抉り出すが如き真似は、もうお止めください」

「で、でも」

「貴女に、どれほど優れた再生能力が備わっていようとも……その痛みは本物なのです。傷が消えて無くなろうとも、流れ出た血さえ消えて失せようとも……もう御自身を責め苦しめるのはお止めください」

「…………」

「約束していただけますか」

 

 真っ直ぐな左の眼差しが、私の奥底を縫い留める。

 それは、それこそ、懇願のように。

 

「……はい」

 

 痛みも傷も全てはペテン。血を流すという行為にいつからか慣れ切り、飽き切った。私のそれに価値などないのだと。

 ――――でも彼は、それに価値を見出してくれた。自分の痛みの如く、それを大切に、大切に触れてくれた。

 だから私には頷くより他に為す術はなかった。この目にはそんな力がある。いや、私が参ってしまっている。それだけのこと。

 

「……どう、したら、いいかな……包丁?」

「食肉解体用の小刀に、確か未使用のものがあった筈」

「じゃあ……それで」

 

 革鞘に納められた肉厚の小刀を彼は取り出し、熾した火で刀身を炙る。

 その程度の炎に刃金は当然ちらとも焦げず、鈍い銀に月光の蒼が纏い付く。

 彼は私の脇腹に刃先を添えて、止まる。

 

「…………」

「……大丈夫」

 

 その躊躇はただ、愛おしかった。

 

「ありがとう」

「……ゆきます」

「いいよ……来て」

 

 彼の左手に、今度は自分の手を重ねて、一緒に。

 刃が腹を切って裂いた。

 私と彼と、二人の手で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日も高いというのに、風は肌を凍てつかせるほどに冷たい。足下から背骨を貫き頭の天辺へ、見えない氷柱を差し込まれたようだ。

 空は薄曇り。なるほどこれでは陽光も意味がない。

 羊毛で編んだ襟巻きに顔を埋めて背中を丸める。

 振り返ると、玄関先まで慧音が見送りに出てきていた。

 

「猫背は身体に悪いですよ」

「無理、寒い」

「まったく」

 

 呆れ深いその溜め息は白い。

 子の薄着に気が気でない母といった風情。

 

「何年経っても子供扱いだね」

「何年経っても子供のようなのでね」

「……ぐぅ」

 

 ぐうの音を漏らして見せると慧音は笑った。

 

「何か持っていきますか? 果物か、饅頭でも」

「いいよ。行き掛けに花でも買っていく」

 

 肩掛けを寄り合わせ、ふと物思うような仕草で彼女は虚空を見上げる。

 

「人の一生とは斯くも、短いものだな」

 

 そうして空模様を確かめるような口振りで呟いた。

 反駁は浮かばなかった。なにせ一言一句その通りなのだから。

 

「じゃ、また」

「ええ、また」

 

 軽やかに片手を振って、振り返りもせず寺子屋を後にする。

 いつもの風景。

 そしてこれも――いつか終わる風景。

 

 

 

 

 

 人里の西。紅も薄らいだ山の麓にその墓地はあった。石組みの塀に囲われた広大な土地、山肌の勾配にもたれ掛かるようにして段々と墓石が山を連なり登っていく。

 里で生き、里で死んだ者らは皆ここに眠る。幻想郷の未来に人が絶えないなら、これからも墓石は積み上がり、今望むこの山さえいずれは覆い隠してしまうだろう。

 人とは斯くも儚いゆえ。

 坂を上がった一等上、真新しい墓石がある。岩を削りだした荒い楕円。その前には花や酒、菓子が置かれ、線香は未だ赤く灯り続けている。燃え尽きた先端から糸のように煙が立ち上っていた。

 当然だ。今日が納骨なのだから。

 行き掛けに見繕った白椿を端に添え、手を合わせる。

 

「……」

 

 別れの言葉を幾らかと、先に逝った皆に宜しくを言伝てる。

 そして懐から一本、手製の紙煙草を取り出し火を点けた。これも香炉の、他の線香の端に埋める。

 

「禁煙、きつかったろ。あの世で存分に吸うといいよ」

 

 一吹き、木枯らしに紫煙が(くゆ)った。喜んでいるらしい。

 自身も一吹き笑って、立ち上がる。

 そうして今日もまた一つ、別離を済ませた。

 

「…………あ」

 

 墓石をただ呆と眺めること暫し、流れた煙越しにそれを認めた。

 眼下の坂を一人、上ってくる者があった。

 白い襯衣(しゃつ)に、黒い洋袴(ずぼん)。そして上から角袖の黒い外套を羽織った青年が、ゆっくりと歩いてくる。

 待ち受ける私を今度は彼が認めて……微笑む

 

「妹紅さん」

「遅かったね」

「申し訳ありません。昔話に、花が咲いたもので」

「ふふ、それじゃあ仕方ない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 線香を上げ、合掌する。今日はこれで二度目になるが、この墓の主は許してくれるだろう。

 傍らに同じく妹紅さんが屈み込んだ。消え掛かった蝋燭に指先の火で加勢しようとしている。

 

「九十八だっけ?」

「はい、大往生でした」

 

 亡くなった老爺は、先々月の誕生日で九十八歳を迎えた。

 晩年は認知症が進み、息子夫婦や孫らのことも随分と曖昧になっていたが。

 けれど老衰で碌々床から動けなくなった老爺を己が見舞うと、彼はとても無邪気にはしゃいだ。

 彼は盛んに『その日』あった出来事を語って聞かせてくれた。山で茸狩りをし、里で友人らと遊び回り、母の手料理の美味しさを自慢し、父の普請場で木工細工を作って褒められたことを喜んだ。

 そして。

 

 ――――ごめん、兄ちゃん

 

 沢山の思い出を語った最後、彼は必ず己に謝るのだ。

 

 ――――オレのせいで、ごめんね。手、痛かったよね。目、もう見えないんだよね。ごめんなさい。オレのせいで、ごめんなさい。ごめんなさい

 

 頻りに詫び言を繰り返して、涙を流して、病床を起き上がって頭を垂れようとする。

 それを柔く押し止めて、己は頷く。もうよいのだと。君は何も悪くないのだと。

 ふと見やれば彼は、あの頃のままの、在りし日の八歳の少年だった。

 父と同じ職人の道へ進み、遂には大工の棟梁にまでなった。立派に成長し、妻を娶り子を儲け孫まで授かった。

 彼は懸命に生き、生き抜いて、そして死んだ。

 その価値を誰が疑おう。その生涯を尊く思う。

 十分だ。十分過ぎる。その事実だけで、この身は十分以上に報われた。

 

「……」

 

 その時、右頬を(くすぐ)るその視線。少女の眼差しを右半分の闇の奥に感じ取った。

 彼女はひどく、躊躇いがちに。

 

「辛い……?」

「いいえ」

「…………後悔……してる……?」

「いいえ」

 

 はっきりと言える。否やと。

 彼女は、けれど、なお逡巡して。

 

「寂しい……?」

「……」

 

 即座には、言葉がなかった。否やとは、言えなかった。

 喪った人々を想う。

 何故なら彼ら彼女らは、確実に、切実なまでに、大切な存在だから。

 しかし同時に思う。彼ら彼女らは、それぞれの人生を懸命に、全力で生き抜いた事実を思う。その尊さを、己は知っている。

 辛くはない。後悔など微塵もない。けれど、悲しくないとは言えなかった。寂しくないと嘯くことはできなかった。だから。

 その場に立ち上がり、彼女へと向き直る。そして己に残された、遺された左の掌を差し出した。

 

「少しだけ」

 

 ほんの少し強がって、己は彼女に笑い掛ける。

 妹紅さんは笑ってくれた。いつかの、慈悲深い女神のような貌で。

 

 

 

 

 ――――貴方が完全な不老不死になった保証はない。蓬莱人の気配、それを纏っていたとしても、ね? 不確かな方法で成ってしまった貴方は、不確かな長寿を手に入れた。それは今から一年後かもしれないし、さらに百年後になるかもしれない。もしかしたら……明日にでも、貴方は死ぬかもしれない

 

 八意医師は、あの酷薄な笑みを浮かべて、また実験用鼠を吟味するように言った。

 不可視の死期。その鎌の刃先は常に、お前の首元に在るのだと。

 

 ――――ああ、もし死んだら、その時は遺体を引き取らせてくれない? 蓬莱人の肝を喰らって不老長寿を得た地上人。検体としてこれ以上に興味深いものはないわ。きっと幻想郷の医術の発展にも繋がる。どうかしら?

 

 研究者としての使命感と好奇心を溢れさせて、明日の夕食の約束でも取り付けるように訊ねてくる彼女に。

 迷いなく、己は首を左右する。

 

 

 

 

 

 

 墓地からの帰路。紅葉も落ち切った林道を二人、連れ立って歩く。

 不意に、妹紅さんは空を見上げた。

 

「あ……」

「……もうそんな時期でしたか」

 

 重く垂れこめた雲の合間から、ちらちらと零れ落ちてくる白の綿毛。

 彼女と望む、九十回目の初雪。

 

「帰ろう」

「はい、帰りましょう」

 

 帰路をゆく。彼女と共に。

 生きてゆく。彼女と共に。

 その右手を取って、永遠を目指して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 苔生した茅葺の屋根には所々に穴が穿たれ、降り頻る雪は吸い込まれるようにその伽藍洞に落ちていった。

 人気が失せて久しい屋内。人が住まねば廃れる家も、植物らにとっては良い風除けの籠。

 床板を、土壁を突き破って木々や草が生い茂っている。

 ――――異なる光景であった。

 今は冬本番。草木はよしんば枯れずとも息を潜める寒冷の時節。その最中に在って、ここでは全てが青々としている。

 花が、咲いている。

 色とりどりに咲き誇り咲き乱れ夥しくあらゆるものを覆い尽くしている。床であったもの壁であったもの机や棚や竈や柱。

 全て尽くに花が付き、そして憑りついていた。

 満開の花畑を収めた小さな空間、その中心に。

 その女生はぺたりと座り込んでいた。

 

「…………そう」

 

 色の無い貌。無感情な、能面のような顔で、瞳ばかり妖しく、紅く光っている。

 

「ここへはもう帰ってこないつもりなのね。ふふ、ふふふふ」

 

 約束をすっぽかされて待ち惚けを食った。そんな口調で呟いて、女は笑った。

 

「く、ふふふ、百年近く待ってあげたのに……わかってなかったのね。わからせないとダメなのね。貴方にも……あの女にも」

 

 ふわりと、風に乗った蒲公英(たんぽぽ)の綿毛めいて女が浮き上がる。

 空中から重みを忘れたかの軽やかさで着地し、おもむろに日傘を手にする。逆手に携えたそれの先端で、とん、と床板を叩いたその刹那。

 溢れ出す。

 深緑のうねり。膨張。拡大。爆発にも等しい破壊力で。

 植物が群体となって伸び上がり、小屋を粉砕した。

 その頂に立って、女は笑う。愉快の対極、あるいは急転直下を穿孔した感情――――憎悪を滾らせて。

 

「ソレが誰のモノなのか」

 

 冬空を望みながら、風見幽香は微笑する。

 

「丁寧に丹念に徹底的に教え込んであげる。私はとっても、親切だから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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