楽園の巫女様が根暗男に病む話   作:足洗

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ヤンデレ幽香×外来人の青年



花の君が愚劣な男に救いを伸べる話(風見幽香√)


 

 

 

 

「――――膝から下は要らないわね」

 

 向日葵が咲いていた。

 冬野に向日葵が咲いていた。

 黄金色の花弁が形作る円環の内側に、筒状花が中心から燃え広がる炎のように拡散し、そのさらに内側では雄蕊を包み込むように雌蕊がラッパ状の小さな花を開いている。

 無数に、夥しく。

 

「家の坪庭の花壇の、一番日当たりのいいところで、浅植えにしてあげる」

 

 間近にすれば殊更に、その構造の複雑さがよく解る。異なる形をした二種の花弁が、工業製品の如き均整で、人工物には非ざる美しい円環を描き、花として完成している。これは自然物の不可思議、自然界に数多存在する奇跡の産物の一つに他なるまい。

 向日葵畑であった。

 地上が、全てが、向日葵によって覆い尽くされてしまったかのような、そんな世界。

 

「朝顔や桔梗や、アネモネ、チューリップ、撫子、薔薇……それに向日葵。貴方の隣に、たっくさん植えてあげる。毎年毎年に色とりどりの子らで飾ってあげる。だから」

 

 頭上に広がる空と、眼下を埋める黄金色と焦土色。世界は二分した。向日葵とそうでないものに。

 向日葵達の顔全てが、日輪ではなくこちらを向いている。それは、この世界における紛うことなき異物たるこの身を責め苛む()()のようでもあり……世界と合一出来ぬこの身を、醜し痛ましと、憐れむようでもあった。

 その呵責と憐憫の花畑に、一輪、異なる形をした花が在る。

 深緑の髪をして、赤いチェックのジレと揃いのロングスカートを纏った、女性(ヒト)の形をした花が一輪。佇みこちらを見据えている。

 

「どこへも行かなくていいの。私の花園の中で、ずっと咲いていればいいの」

 

 紅い目が細められ、彼女はうっとりと笑った。

 喜悦を滲ませて、笑った。

 

「お前は私だけの花だから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 里の外れに位置する元百姓家。俺は今ここで日々生活を送っている。

 外来人。そう呼ばわれながら。

 行く当ても伝手も、金子に代わる蓄財とて持ち合わせの無いこの身に、里の上役方がここを宛がってくださった。取り分け、いやひとえに、誰あろう上白沢慧音教諭の……素朴に先生とお呼びする方が彼女の謹厳実直な為人(ひととなり)には相応しいやもしれぬが……かの御人からの御仲介あったればこそである。

 とはいえ、訪れた当初、小屋は忌憚なく言って荒ら屋同然であった。床板を張り替え壁の穴を塗り込め、屋根を葺き直し通り雨にさえ漏る天井と格闘を続け、打ち捨てられて久しい耕地の名残に鬱蒼と身の丈ほども生い茂った草を手鎌で刈る。

 現代では経験することのなかった重みの肉体労働だった。嘗てない疲労と消耗。泥のような眠りとはこのことかと驚いたもの。

 ……いや、これは弱音以外の何物でもあるまい。現代でも、農作業や造林業、所謂芝刈りさえ数は衰えども未だ産業として廃れていない。

 体たらくと揶揄されたとて反論の余地はなかった。

 秋口の空っ風に吹かれて己が非力を嘆くこの頃。茫漠とした枯木に賑わいなど覚えたろうか。しかして予兆など欠片すら覚えはしなかったが。

 思いがけず、己はその光景に出会った。

 

「……」

 

 小屋の裏手はすぐ林に行着く。そこからさらに、轍か、あるいは道の名残を踏んで奥へ進めば、叢を割るようにして小川が流れている。

 近く屹立した山の、頂から麓のここまで流れ落ちた湧水は実に清く、また澄んでいた。以前の住民も飲料を始めとした生活用水はここから汲み上げていたようだ。

 己もまたそれに倣うとしよう。そのような腹積もりを立てた、その時。

 

「! これは……」

 

 小川から程近いそこには、木々の枝葉が円く切れ間を作っている。木漏れ日と呼ぶには広く、拓地と呼ぶには猫額な。

 花だった。

 陽の光に白く淡く煌めき、その表面にほんの微かに薄い緑が階調(グラデーション)を吹いている。小造りな花弁、色合いも大人しい。花と茎と葉と根を全て取っても片手に余る。それは小さな花。

 けれど驚くほどに、美麗な花。

 一坪に満たないそれはそれは小さな花園が――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 住まいを整える為の悪戦苦闘も早半年前のこと。

 そこから今に亘って、我が家の住み心地は一向悪くない。いや、至って良好と言える。

 己の、日本史の資料集を流し見た程度の浅い知識に照らすならば、果たして。

 幻想郷の文明の水準(仔細には人間生活に介在する科学技術の水準であるが)は、日本の戦前、それも明治初期のそれに近しいと思われる。ふんだんに西洋の気風を取り入れられ始めた文明開化。この世界に広がる景色は、まるでそこから逃れ逃れて歴史のある一点を、一時代を固定化したかのようだった。

 炊事一つとっても勝手が違う。薪の用意から焚き付けに漕ぎ付けるまで半日かかった時もある。なるほど苦労が少ないと言えば嘘になろう。

 しかしそれを差し引いても、この地での暮らしを厭う心持ちは僅かにも抱かなかった。

 あるいは、この労苦が――――忘れさせてくれるのか。

 己の愚昧な、自己憐憫を。

 

 

 

 

 日没間際。

 茜が夜闇の黒で色彩を深く、血糊の如くに変える頃。

 

 

「……」

 

 竈に火を熾し、鉄鍋を置く。

 葱と牛蒡(ごぼう)をたっぷりと刻んで入れ、鮮やかな赤と桃色をした鶏肉を、昆布と鰹の合わせ出汁に、醤油や酒、味醂で味付けした。

 軍鶏鍋である。

 我ながらなんとも豪勢な夕食であった。

 独り身ゆえの財布の紐の緩さ、と。倹約家な人々からはそれこそ軽はずみな贅沢に眉をひそめられそうだが。

 今夜ばかりは御容赦願いたい。

 不意に、玄関戸が控えめに叩かれた。

 

「はい、只今参ります」

 

 手を布巾で拭って戸に向かう。誰何の必要はなかった。山陰に日が完全に隠れるこの頃合い、約束の時刻と寸分違わぬ。

 板戸を引き開ければ、果してそこに彼女は居られた。

 

「……こんばんは」

「こんばんは、博麗さん」

 

 赤橙色の名残見ゆる薄闇を背に、目にも鮮やかな紅白の装いで佇む少女。

 巫女衣は肩袖を落とされているが、肘から先にはきちんと振り袖がある。

 似た造りをしたものとして、水干と呼ばれる狩衣を思い出す。平安貴族の公服だったか……が、彼女のそれは寡聞にして己の狭域な知識には無い衣裳であった。そして実に、アバンギャルドな意匠であった。

 個性際立つ出で立ちに違いあるまいが、しかしそれは、彼女の見目麗しさを一抹とて損なうものではない。いやさ、むしろなお一層に華やぎ、映えさせている。

 現代人的に言えば、画面の向こう側で脚光を浴びて然るべき容姿。彼女に対する、至極控えめな評がそれであった。

 

「どうぞお上がりください」

「うん……お邪魔します」

 

 なにやら僅かにはにかんで、少女は敷居を跨いだ。

 

「ここのところは夜にもなると、随分と冷えます」

「そうね、季節の変わり目……あぁ節目はとっくに過ぎてるかな」

「そうやもしれません。日差しの有り難みを痛感いたします」

「ふふ」

 

 しみじみと頷く己は滑稽で、どうも可笑しかったようだ。

 くすくすと少女は笑う。

 牧歌的な、穏やかな光景であった。どこまでも快い一時であった。

 

 

 御近所付き合い。そう呼ばわるには、彼女の自宅であるところの博麗神社はここからあまりに遠過ぎるだろう。

 食事会。それも少し、仰々しい響きを覚えた。

 彼女には恩義があった。不幸にも、普請の最中(さなか)に妖怪の襲撃に晒された人里の外れ。そこで逃げ遅れた男児を助けようと――――試み、見事に失敗を果たした無様な己を、己の窮地を救ってくださった、大きな恩義が。

 何か報恩の術はあるまいかと探しあぐねた。支払えるほどの金銭も物品も持たぬ貧婁は今もって同じ。さりとて消え物を送り付けて仕舞い、ではあまりに粗略。結果、辿り着いた方途は……手料理を振舞おう。盛大に思索が捻転した感を否めない。

 そんな懇請が事の始まり。

 しかして今や、七日の内二日三日は、食事を伴にする間柄となった。

 所謂、一つの。

 

「メシ友というやつでしょうか」

「? なんのこと?」

「いえ、こちらの話で」

 

 空惚けたことを口にしながら、豆腐を裏ごしして刻んだホウレン草、人参、蒟蒻、最後に擦り胡麻と混ぜ合わせる。軍鶏鍋の副菜として白和えが合うかどうか。

 ふと、背中を擽る視線に気付く。

 囲炉裏に当たっていると思われた少女が、土間に腰掛けてこちらを見ていた。

 

「どうかされましたか?」

「んー? んふふ別にー。見てただけ」

「もう少々お待ちください。すぐに」

「いいよ。ゆっくりで……あんたが料理してるとこ見るの、好きだから」

 

 己の調理の様子に面白みがあるかは甚だ疑問だが……当の彼女自身が楽しんでおられる。それに越したことはない。

 

「鍋を移します。お座りください」

「はーい」

 

 少女は素直に頷き、茣蓙にすとんと納まる。

 くつくつと煮えた鍋の中、具材達は濃い醤油ですっかりと色付いていた。

 匙を使ってそれを碗に移す。湯気と共に出汁が香った。

 

「軍鶏は里の大工頭殿からの頂き物です」

「へぇ、気前がいいんだ。それとも、あんたの人徳?」

「まさか。返す返すに御厚意の賜り物なれば」

「そうかな? まあ、私は別に豪勢でなくたって構わないけど」

 

 碗を受け取って、その中を少女は見下ろした。見下ろしたまま暫時、彼女はじっと動きを止める。

 美しい彫像と化してしまったかのように。

 けれど、その瞳だけが微かに揺らぐ。

 

「あんたが作ってくれればなんでもいいわ」

「それは……勿体ないことです」

 

 料理の手腕など決して誇れたものではないが、彼女の舌の琴線に僅かにでも響いてくれるというなら、これ以上の冥利はない。

 

「そうじゃなくて……違うの」

「は……?」

「あんただから……あんたと一緒だから……」

 

 揺らぐは瞳ばかりでなく、声音をも震わせて少女はややも身を乗り出す。

 必死。まるでそれを全身に表すように。

 平素の泰然自若とした有り様から遠い、それはひどく(いたい)けだった。いや、いや、これでようやく歳相応なのだ。彼女の、博麗霊夢という少女の、これこそ飾り気ない姿。

 

「博麗さん……?」

 

 つっかえつっかえ、ただ一言口にするのさえ大変な気力を絞っている。

 見るだに柔らかな頬は紅を差したように高潮した。

 背筋を伸ばして正座で対し、傾聴の姿勢を作る。それ以外に、今の彼女に示せる誠意などなかった。

 

「あの、あのね……もし、あんたさえよければ……私と――――」

 

 決心の末に、とうとうその胸中が語られ――――ようとしたその時。

 玄関の戸板が叩かれた。

 

「…………」

「…………」

「…………はぁ、いいよ。出て」

「……申し訳ありません。失礼します」

 

 彼女にとって、今伝えようとした言葉が殊更に大切な意味を孕んでいたことは明白だった。

 己の無上なる不躾を申し訳なく思う。

 とはいえ、来客を放置もできない。

 このような僻地、そして未だ余所者の値札を脱却しないこの身を訪ねる誰か。知己といえる人物に心当たりは極めて少ない。その少ない交友の中からの、すわ訃報でないとも限らぬ。

 尚更に、無視するのは厭われた。

 土間に立って、戸に手を掛けながら四半ばかりの深さで吸気する。

 

「どなたでしょう」

「こんばんは、寺子屋の上白沢です」

「! 只今」

 

 開け放った先には名乗りに相違なく、蒼みを帯びた銀髪の、妙齢の女性が立っていた。

 白のパフスリーブシャツに藍色のワンピース。冴え冴えとした寒色的印象の中で唯一の赤である胸元のループタイが小粋に主張していた。

 柔和な笑みを浮かべて、彼女は実に丁寧な会釈をする。

 

「約束もなく、突然すまないね」

「滅相もありません。夜風が刺さりましょう。一先ず、中へ」

「ああ、有り難い。で、だ……」

「?」

 

 言うや、上白沢さんは自身の背後に首を巡らせる。

 

「こちらはそう言ってくれていますよ?」

「……」

「……あぁもぉ、だんまりを決め込んでないで、ほら入って。まったく、子供じゃないんだから、さあ!」

「ちょっ、わかったから。引っ張んないでよ……!」

 

 押し問答も束の間、上白沢さんがその少女の腕を取って玄関の敷居を無理矢理に跨がせる。

 室内灯の朧な光に揺らめく銀髪。それも上白沢女史とはまた異なる、色という色全てを拒絶したかの白。無垢な白糸の髪。

 後ろ髪を結っているのはリボンではなくどうしてか符呪の札。判読も判別もつかぬ紅い字、あるいは文様が描かれている。

 白の開襟シャツに赤いズボン、それを留めるズボンと同色のサスペンダー。上白沢さんとは正対照の色彩。

 揺れ舞う焔の表象に等しい彼女にこれほど似合いの色はない。

 藤原妹紅。大恩を賜るのと同じくして、奇縁によって巡り逢った御人でもある。

 

「こんばんは、藤原さん。御無沙汰しておりました」

「う、うん……久しぶり」

 

 伏し目がちにこちらを見上げる赤い目。行灯がそう見せるのだろうか。その頬や形の良い耳に、薄く血色が透けている。

 

「近頃、お部屋の様子はいかがでしょうか」

「うっ……顔合わせた最初にそれを聞くかよ」

「何分にも只事ではない()()()()()をしておられたので、心配の比重はやはりそちらに偏ります」

 

 縁の発端は上白沢さんからの御要請であった。曰く『妹紅のだらしない生活をなんとかしてくれ』と。

 独り身では、多事に追われ家事雑事が疎かになるのはごく有り触れた成り行き。家庭内で発生する仕事を外部に委託し、人を雇うなど珍しくもない話である。

 ただ彼女の場合、その『疎か』が並以上であったというだけの話で。

 丸一日掛けても庵の中での荷物の整理すらままならぬとは……いやあるいは己の家事遂行能力の瑕疵でないとも言い切れぬ……いややっぱりあれは酷かった。

 

「そら見なさい。日頃の行いとはこのように誰かの目につき、覚えられてしまうものなのですよ」

「自分としては、この微力が僅かにでもお役に立つならば、尽くすに一向(やぶさ)かではありません。しかしあれこれ何もかもとこちらが一方的に手を出すことが藤原さんの御為にならぬ、その程度の理解は自分にも可能です。余計なお世話、とも申しますゆえ」

「独身生活にずぼらは付き物だが、それにしたって限度がある。他人から借りた本をカビさせるなんて考えられない」

「洗濯が面倒なのは分かります。再生するからという合理性も理解はできます。しかし、下着を燃やして再生再利用するというのは人として如何なものかと」

「えぇい寄って集って説教すんな!!」

 

 知らずつらつらと言い募っていた己と、おそらくは承知で言い連ねる上白沢さん。

 藤原さんは激昂した。浴びせ掛けられるような羞恥にわなわなと震えて。

 

「ともあれ、御健勝のほど、嬉しうございます」

「……どーも」

「ふ、はは」

「笑うなし」

 

 鋭く射かかる藤原さんの睨みも、上白沢さんの忍び笑いを止める効力は持たなかった。

 気の置けない応酬が快かった。

 ちゃぽん、そんな水音を響かせ、藤原さんが片手に濃茶色の一升瓶をぶら提げる。

 

「お礼というか、お詫びというか……お土産」

「これは、御丁寧に。とんだお計らいを掛けまして」

「いいよ別に。そんな大層なもんじゃない…………ただ、その、だから……よかったら、ホントによかったらなんだけど……飲まない? も、もちろん慧音も一緒に!」

「私はお礼さえ言えればこのまま引き上げても構わないですよ?」

「け、慧音ぇ……!」

「ぷっ、ふふふ、はいはい」

 

 悲鳴のように呼ばわる少女を、上白沢さんはまた一吹き笑う。

 笑うままこちらに向き直り、小首を傾げて見せた。

 

「そういう訳なんだ。君さえよければ一席どうだろうか?」

「は、有り難きお申し出と存じます。ですが……」

「ん?」

 

 言い淀むこちらに、先程とは反対側に首が傾ぐ。

 彼女らと酒席を設けるに何程の否やもあらぬ。

 しかし今は。

 

「ああ、何か不都合があったかな? むしろ突然訪問されて無いという方が珍しいか。いや本当に不躾を……妹紅?」

「…………」

「?」

 

 猜疑に上白沢さんが呼ばわっても、藤原さんは反応を示さなかった。

 彼女の視線が、その意が一点に絞られているからだ。

 己の肩口を越えて、背後へ。

 火炎めいて空気を焦げ付かせる眼光に、隠しようもなく己が怯みを自覚する。

 そこから逃れるかの心地で後ろを振り返った。

 

「…………」

 

 少女が一人、土間の框に座っている。改めるまでもない。それは博麗さんだった。

 居間の灯が遠い為に、この土間は薄暗い。ともすれば相対する者の表情すら見落としかねぬ。

 だというのに、少女の両の瞳は。

 その黒は、靄の如き暗がりを容易く貫通する。二門の昏闇が砲声も上げず空間を穿っている。

 

「…………」

「…………」

 

 互いが互いを捕捉しながら依然として無言。無音。

 重い重い沈黙には、しかし言霊を伴わぬ無数のやりとりがあるように思われた。

 絶えず、激しく、少女らの眼膜から不可視の“何か”が応酬される。

 うっかりと触れてしまえば刹那、肉体は打たれ、斬られ、削がれ、夥しい血を見ることになる――――そんな想像を強いられるほどの、凶き何か。

 先んじて口火を切ったのは藤原さんだった。

 

「なんでお前がここにいる」

「夕食に招かれたの。()()()

「っ」

 

 不意に、音が走った。素早く鋭い。

 それは藤原さんの舌打ちであった。

 片目を眇め、追随して頬肉を歪める。忌々しい。少女の貌はそう吐き捨てていた。

 それを博麗さんは極めて完璧な無表情で迎える。

 対照的だった。しかし内包するものは近似している。いや同質と呼んでも過言ではない。

 敵意。

 研がれた刃を喉笛に突き付け合うが如き害心。

 

「随分とまあ恨みがましいわね。招かれざるはそちらでしょうに」

「あ?」

「妹紅……!」

 

 獰猛なその一声と踏み砕かんばかりのその一歩はまったくの同時であった。上白沢さんの制止を彼女は意にも介さない。

 鈍重を自認するこの身が、それでも反射的に身を押し出して彼女の進行を……進撃を阻めたのはほぼ奇跡に近い。

 

「藤原さん、どうか、どうか御寛恕を」

「どうして貴方が許しを請わなければいけない? 調子付いてるのはあれだよ」

「博麗さんをこの侘び住まいに招待したのは自分です。そして、藤原さん、上白沢さんに対する御礼を怠ったのは自分の不義理、不届きです。ならば貴女のお怒りを頂戴すべきは、徹頭徹尾自分に他なりません」

 

 博麗さんがこの場に居合わせている事実が、藤原さんにとって我慢ならぬほどの忌み事なのはその気勢からも明白。

 どうしてか、この少女はあの少女を、彼方は此方を、深く心底より憎んでいた。

 どうしてか――――どうして、だと?

 

 

 

 

 純朴げな無知を気取るつもりか。

 素知らぬ風で仲裁めいたことをして、御為倒(おためごか)しに酔っているのか。

 知らぬ、存ぜぬ、関わりなしと、自分は無実潔白で、彼女らの愛憎怨努こそが異常で不実なのだと決めてかかり、己こそは常識であり誠実なりなどと、まさか言うまいな。

 まさか、まさかまさかまさか。

 罪悪より逃れんとするその欺瞞は、救い難い。度し難く穢らわしい――――

 

 

 

 

 半ば忘我の地平にいた意識が立ち戻る。

 目前にて、限りを知らぬとばかり鋭利さを増していた藤原さんの目がゆっくりと我が身を捉え。

 ふ、と和らいだ。

 微笑が上る。儚げな微笑が。目尻に浮かんだ笑い皺さえ、なにやら無性に寂しげな。

 こんな表情(カオ)をさせたのは誰だ。こんな惨い思いを頑是ない少女に強いたのは、一体誰だ。

 ――――知らぬなどとは、言わせまいぞ。

 

「そんな辛そうな顔しないで」

「…………」

 

 何を言うのだろう。

 辛く苦しいのは、誰あろう貴女である筈なのに。

 

「今夜は帰るよ」

 

 酒瓶を差し出して彼女は言った。

 受け取りながら、当然の謝辞すら口に出来ず己は立ち尽くす。

 

「……」

「!」

 

 気付けば藤原さんは己の身体を躱し、横合いを摺り抜けていた。意表外の動き。足運びの妙技。己の如き凡夫には理解すら及ばぬ。

 跳ねるように振り返った己を微笑が振り向いた。

 

「大丈夫、何もしないから」

 

 すたすたと歩き、遂に藤原さんは博麗さんのもとまで辿り着く。

 依然、框に腰掛けたままの博麗さんを、藤原さんはポケットに両手を入れたまま見下ろし。

 上体を折ってずいと顔を近付けた。二人の美しい面相が、鼻先で向かい合う。

 

「間違ってもこの人に手ぇ付けようなんて思うな」

「盛りのついた雌猫じゃあるまいし。安心すれば? 私はあんたとは違うから」

「カマトトぶんのは巫女だからか? それともお前が処女だからか? 博麗」

「品性の方はちゃんと腐って朽ちるのね。あんたを見てると長生きなんてするもんじゃないって思うわ。蓬莱人」

 

 険ばかりが尖る。聞くだに胸の潰れる罵詈の(せめ)ぎ。

 紅蓮と漆黒。二対の彩。それが濁流となってぶつかり逆巻き混淆し、この狭い空間を縦横無尽に掻き回した。

 奥歯を噛み砕く心地で、その覇気に正対する。

 二色の氣に呑まれ、蹲り頭を抱えているのが相応の、芥のような男が。今更と、思う。

 しかし、そのような甘えは許されない。己という名の元凶が、怯懦などという安楽に逃げ込むなどあってはならないのだから。

 止めねば、ならぬ。断じて、止めねば。

 

「御両名――――」

「待ちなさい」

 

 背中にそっと手が添えられた。

 上白沢さんは、そのまま藤原さんに歩み寄りその腕を取った。

 

「今夜のところはお開き。貴女がそう言ったのでしょう、妹紅」

「……ああ」

「霊夢もだ。我々は退散する。それで納得できるな?」

「ええ」

 

 存外の素直さで二人は応え、藤原さんは上白沢さんの引く手に従う。

 

「はぁ、何かと慌ただしくてすまない」

「いえ……いいえ、そのようなことは。こちらこそとんだ不調法を働きました。恥ずかしく思います」

「……ふ、苦労性だな君も。日を改めてまた一献酌み交わそう。では」

 

 上白沢さんは軽やかに笑む。

 彼女の見事なお裁きで事は治められたのだ。己の出る幕など、一瞬とありはしなかった。

 玄関先で、藤原さんはこちらに向けて手を振った。

 

「またね」

「……はい、また」

 

 寂寥が滲み、名残を惜しむその顔に、今度こそ本来の意味で、胸が潰れる。

 提灯の朧な光が見えなくなるまで、己は一人その場で、阿呆のように立ち尽くした。

 小屋へと戻る。

 

「おーそーいー」

「!」

 

 博麗さんが土間に立ち、己を出迎えた。待ち受けていたかのように。

 

「は……申し訳ありません。お待たせいたしまして。今、鍋を温めなおします」

「だーいじょーぶ、やっといたから。さ、早く食べよ!」

 

 両手を取られて、居間まで連れられる。それはまるで無邪気な子供のようで。

 ……先刻までの有様が、夢か幻のようで。

 

「博麗さん」

「今はいいよ」

 

 呼ばわっておきながら、何を言うべきかすら定まっていない己に、少女は首を左右した。

 笑みを浮かべて、彼女は己を許す。

 

「今はこうして一緒にご飯食べたり、一緒に過ごしてくれるだけで、いい」

 

 この迷いを、惑いを、許してくれると言う。

 しかしそれでも己の喉奥にはなおも懊悩が蟠る。それを、不定形のそれを、吐き出してしまいたくなる。

 その時、煌りと、少女の瞳が妖しく光った。

 

「それとも――――あんたから手を付けてくれるの?」

「…………」

「ふ、ふふふっ……()()()。どっちでも、いつだって、急かす気なんてないから。今はいいよ」

 

 優しく、暖かで、慈悲深い、そんな嘲笑。

 少女は、巌のように凝固する男を嗤った。情けない、不甲斐ない己を、責めもせず詰りもせずに。

 できない。

 そう一言口にすれば済む。その一言で全ては完結する。

 それは博麗さんに対するばかりでなく、藤原さんにしてもそうだ。

 その想いには応えられない。伝えればいい。少女らの少なくない失望を獲得し、果てに平和はやってくる。

 憎しみが終わる。争いの火種が消沈する。

 この身の評価などどうでもよいのだ。いや、ようやく相応しい値札がこの首に掛けられる、ただそれだけのこと。

 あの方々から、情を賜るほどの価値は己にはない。断じてありはしない。

 事実が一つ確定する。それだけ。それだけの。

 事実を、言えばいい。ただの一つの、その事実。

 

 ――――自分には、お慕い申し上げている方が

 

「あ……?」

 

 ???

 今、己は何を思ったのだろう。

 何か、誰かを、想ったような。

 陰を落とす枝葉の隙間から不意に陽が差すように。記憶野に光が当たる。ほんの一瞬、像が形を結ぶ。

 ――――脳裏を過ったのは白い花だった。

 再思は電光の暇で終わり、今再び記憶の箱には重く頭蓋が覆い被さる。

 何を思い出したのか。何を忘れているのか。忘れたことさえ忘れて、己は現実に引き戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふ、どうかしたの?」

「は……?」

 

 明けてより幾つを数えたか。

 (ひし)めく緑葉から漏れ滴るかの如き陽光が気付けば、高く。

 真昼に差し掛かっていた。

 雑木林の只中は、風は少ないが空気が澄むゆえ、肌身に実際以上の冷えを感じさせる。

 せせらぎの()も、一役買っていようか。冴え冴えとして気色を洗われる。

 

「……よい、日和だなと、思っておりました」

「ふふっ、ええ、そうね。とても良い。日差しも、風も、水も、土も、良い具合。良い日和ね」

「それはなによりです」

 

 日輪がある。

 天へと、直向きに伸びた枝葉が、気紛れに作り出した日向の円。

 空と大地を繋ぐ、拓かれたその空間。

 燦々と降り注ぐ陽気を浴びて、白と緑の花弁は諧調された燐光を放つ。

 白翠の花園は、天上の光に輝く。

 

「あぁ」

「ふふ、なぁに?」

「はい」

 

 この世のものとは思えぬ景色。

 俺は溜め息を吐いて言った。

 

「今日も、貴女はよい姿をしている」

「ありがとう」

 

 花の女性(きみ)は、光るような笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

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