【凍結】愚者ガイル   作:打木里奈

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第六話 突撃!雪ノ下さんちの晩御飯!③

「私は母とは違う!違うの、雪乃は幸せにならなければ!」

 

 

 吠える。

 

 

「何が違うと言うのです!雪乃君は悲しんでいたんだ!パンフレットを破かれてッ、他ならぬ母親であるあなたに!」

 

 それに呼応して、私も吠える。

 

 私に飛び掛かかった雪ノ下母は、私の首を絞める。そして叫ぶ。

 

 自分は違う。そんな事はしていない。お前に何が分かる。

 

「な、何も、わかッ、わかりませんよ」

 

 気道を締め付けられて上手く言葉が出ないが、絞り出して言ってやる。誰がお前を分かってやりたいと思うんだ。

 

「うわあッうわあッ」

 

 半狂乱。

 

 雪ノ下母は私を乱暴に地面に叩きつけると、レポートを破り出した。

 

 目障りだったのだろう。認めたくなかったのだろう。知りたくもなかったのだろう。私の渾身の力作は、紙吹雪になって床に散らばった。

 

「わかりますか、これが貴方のしてきたことです」

 

「違う!」

 

「違いません!」

 

「違う!」

 

「このわからず屋め!」

 

 お前はしたんだよ。幼い頃のトラウマを、雪乃君で再現して見せたんだ。お前が母親だったんだ!

 

「あなたは加害者なんだ!あなたの母親と同じく!」

 

 もはや想像でしかないが、叫びの断片からして、雪ノ下母も雪乃君と同じような境遇の元育ったのだろう。愛の鞭として振るわれた言葉の数々は、呪いとなって心に蓄積し、歪んだ価値観を形成させたに違いない。

 

 親は間違っている。

 

 私こそが正しい。

 

 早く逃げ出したい。

 

 認められたい。

 

 我が子が出来たなら・・・自分と同じ苦労をさせたくない。

 

 しかし、それは叶わない。母の愛しか知らなかったから、母と同じ愛し方しか知らなかったから、自分と同じ苦労をさせたくなかったから。

 

 苦労させたくなかったから、苦労を強いた。矛盾しているようだが、そういうこともある。

 

 つまり雪ノ下母とは、雪乃君の将来の姿なのである。

 

 話には出てきた姉とやらも、きっとそうなのだ。

 

 

 結局のところ、雪ノ下母は加害者であると同時に被害者であり、治療されなければならない患者であった。

 

 

 私がした行為というのは、癌の末期患者に「お前こそが癌だ」などと吐き捨てるようなもので、酷く残酷なことであったのだ。

 

 酷い男である。

 

 少々、いや、かなり後悔していた。まさかこんな風になるとは思わなかった。

 

 前世で読んだ本に書いてあったはずなのだ。『虐待をする親もまた、虐待された被害者であるケースが多い』と。

 

 失念していたんだ。そんなつもりはなかったんだ。

 

 言い訳は既に遅く、雪ノ下母は無気力に蹲っている。言葉は呪いだ。言えばそうなる、力を持っていた。私がこの気の狂う惨状を作り出したのだ。

 

 でも、でも言わせて欲しい。

 

 貴方は被害者だけれど、大人になってしまったんだ。貴方はもう大人なんだよ、親なんだよ。一人前になりなさいよ、いつまで子供でいるつもりなんだ。親として自分を見つめ直してくれよ。それが出来ないなら心療内科に行きなさい。少しは善くなるはずだ。

 

 

「あの、雪乃君に謝ってあげてください」

 

 

 しかしついて出た言葉は、そんな台詞だった。それしか言えなかったのだ。

 

 雪ノ下母は、泣いてはいなかった。ただただ生気の抜けた顔をしているだけだった。相当堪えたらしい。

 

 彼女は私の言葉でようやく我に返ったようで、ふらふらと立ち上がる。

 

「少し、考えさせて頂戴・・・」

 

 静かにそう言って立ち去る雪ノ下母の姿は、何だか寂しげであった。

 

♦♦♦

 

「・・・母さんと、喧嘩をしたみたいね」

 

 雪乃君は部屋に戻って来るや否や、そう呟いた。

 

「見ていたのかい?」

 

「ええ、少し」

 

 そうか、見ていたか、悪いことをしてしまったな。雪乃君にも、雪ノ下母にも。やりすぎてしまった。大人気がなかった。

 

「すまなかったね、君の母親にあんな言葉・・・」

 

「いえ、それはいいの」

 

「いいのかい」

 

「だって私のことを気遣ってくれたんでしょう?」

 

 違うよ雪乃君。私が気に食わなかったから、争ってしまったに過ぎない。君のためだなんて殆どこじつけさ。

 

「それに、母さんのあんな顔、初めて見た・・・」

 

 あんな非人間そうな鉄面皮でも、ちゃんと人間で、私のことを思っていてくれたのね・・・

 

 雪乃君は言って、手に持っていたお盆をテーブルに降ろす。上にはティーカップがあって、中は香しい紅茶で満たされていた。

 

「飲んで頂戴。あなたが淹れたモノよりは美味しいはずよ」

 

 そりゃあね、午後ティーと比べてはいけませんよ。香りの格が違いますもの。

 

 後悔はいつでも役立たずだ。

 前世での友人を思い出す。奴はややヒステリックで、男のくせして女々しい奴であった。奴は自分の任された仕事には熱心な男で、真面目であった。真面目過ぎた。奴はいつも学校のショートホームルームの時間に、歌の指揮者を任されていたわけだが、クラスの皆は真剣に歌うことをしなかった。勿論私はきちんと歌いはしたが、それでも大多数の人間が、歌わなかった。 

 それが酷く癪に障ったのだろう。帰り道、やつは私に向かって愚痴を言ってきた。やれ「何故真面目に歌わない」、やれ「死んでしまえばいいのに」。私に言っているわけでもないそれは、段々と矛先をこちらに向けてきて、終いには私を責め立てるような言葉になった。

 

 流石に我慢の限界だった私は、ついに激昂してしまった。

 

 結局その後は互いに謝り合って事なきを得たが、そうしなくていいのが最善という物である。私はその日いっぱいはグジグジと怒りやら心配を脳で掻き混ぜる作業に苛まれて、非常に気分が悪かったのを覚えている。

 

 彼は今何をしているのだろうか。

 

 これも一つの後悔だ。しかし後悔したところで、事象は遥か彼方に過ぎ去ってしまっているわけで、どうにもならない。後悔したところで良いことは一つもなかった。

 

 そして今回の雪ノ下母との舌戦にすらならない幼稚な喧嘩もまた、私の心に後悔の影を落として、数日間はチクチクと苛み続けるのだろう。

 

 ああ、あんなこと言わなければよかった!

 

 後悔である。

 

 したって良い事は無いのに!

 

「あ、美味しいねこれ」

 

「そうでしょ?私、紅茶には自信があるのよ」

 

 まあ、今は雪乃君の紅茶を飲んで、そんな事は忘れてしまおう。その方がいい。

 

「ところで、この紅茶は何て名前なんだい?」

 

「HARNEY&SONS のバニラ・コモロよ」

 

「何だいそれは、珍妙な名前だな」

 

「落ち着くのよ、これを飲んでいると」

 

 紅茶は、雪乃君の数少ない趣味なのだろう。しかし見たところ腕前はかなりのものだが、他人に振舞った経験はほぼゼロだろうか。やや緊張して見える。

 

「ふーん、ありがとうね。私も少しは落ち着いたよ」

 

「あらそう、ならよかった」

 

 嬉しそうだね雪乃君。

 

「そうそう、実はこんなものを持ってきていたんだ」

 

 私は傍に置いておいたリュックサックの中から、20cm²程の箱を取り出して机上に置く。

 

「これは、クッキーかしら」

 

「ご名答。その通りさ」

 

 本当は君の御母堂に差し上げようと思っていた品だぜ?この前母親から貰った万札の残りで買える最高品質の物なんだ。まあ、彼女はそんな声をかける間もなく居なくなってしまったわけだけれど。

 

「食べてもいいのかしら」

 

「いいともさ。その紅茶と合うかは知らんがね」

 

「じゃあ遠慮なく頂こうかしら」

 

「どうぞどうぞ」

 

 雪乃君は隠せないワクワクを顔に出して、箱を開ける。ピリリという気味の良い音と共に、ふわりと香る甘い匂い。

 

「メープルクッキーね」

 

「正確にはメープルシロップクリームクッキーだね」

 

 そんなのどっちだって良いじゃない。雪乃君はそう言って、楓の葉を口に放り込む。

 

「甘いわね」

 

「甘いのかい」

 

「ゲロ甘よ」

 

「ゲロ甘なのか」

 

 メープルシロップだからね、甘くて当然。歯にしみる甘さが、前世ではクセになったものである。

 

 雪乃君は複雑そうな顔をしてクッキーを咀嚼すると、紅茶を一口含んだ。

 

「最悪の組み合わせね」

 

「最悪なのか」

 

 そうなのか。

 

「せっかくの優しい紅茶の甘味が、メープルシロップの際限ない甘味で吹き飛んでしまっている・・・これを最悪と言わずして何といえばいいのかしら」

 

「そこまでかい」

 

「そこまでね」

 

 ならば私も試してみよう。

 

 まずは味を確かめるため、紅茶の方を少し頂く。

 

「優しい、というか仄かな甘味・・・香るバニラも激しくなくて嫌にならない」

 

「そうでしょう」

 

 満足そうな顔だね、雪乃君。紅茶の話ができる人間が居て嬉しいのかい。

 

 お次はクッキーを一枚。これを口に入れて噛み砕き、味わう。ああ、狂おしき甘さ。これぞメープルシロップだ。

 そうしたら今一度紅茶を口に注ぐ。

 

「確かに、紅茶の甘味は消えてしまったね」

 

 舌に残ったメープルシロップの強烈な甘味が、紅茶を弾いてしまうみたいだ。

 

「そうでしょう」

 

 君はそれしか言えんのか。

 

「この紅茶は単体で飲むのが良いのかしらね」

 

「さあ、私にはさっぱり」

 

 紅茶には詳しくないものだから。

 

「とにかく、この紅茶にこのクッキーは合わないようね」

 

「それはわかる」

 

 じゃあ、これは少しずつ食べていくことにしましょう。雪乃君は箱にクッキーを仕舞って、学習机の収納に入れた。

 

「ところで、今日は何をして遊ぶのかしら。まさか母さんに喧嘩を売りに来ただけと言うわけでもないんでしょう?」

 

「え」

 

 私は雪乃君のその一言に固まってしまった。

 

 ごめんよ、今回もまた何も考えていないんだ・・・というか、何も持ってきていないよ。どうする、どうするんだ私。

 

 どうせ「君の部屋にある将棋で遊ぼう」といっても却下されるのがオチだ。

 

 肩掛けカバンとリュックサックを交互に漁る振りをしながら、無い頭を必死に振り絞って考える。

 

 持ち物は財布と、ペンと紙。それ以外は無し。これだけで遊べるものは何か・・・ある。あるじゃないか、紙とペンと小銭で遊べる最強の遊戯が。

 

 期待の眼差しで私を見つめる雪乃君に、声高に宣言する。

 

「こっくりさんをしよう!」

 




宣言しますが、もう話のストックがありません。これからどうするか何も決めてないので、天啓を得るまで暫く失踪します。
そうでなくとも最近忙しくなってきたのでしばし消えます。

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