憎しみはキレイに精算してしまった方がいい。それも出来るだけ早く。平気なフリをしていたって、いつか限界が来るのだから。
(日記から抜粋)
♦♦♦
雪ノ下邸で騒いだ日から幾分か経って、冷たい雨の降る六月。恵みの季節。しかし湿度は高く、じめじめと鬱陶しい季節でもある。あまりにもじめじめとしているからか、人間もそれに感化されてじめじめとするらしい。
私は我が家のリビングで泣きじゃくる雪乃君を見て思った。
その日も相変わらずの雨模様で、窒息寸前の蚯蚓が地上に這い出てきて気色の悪い日でもあった。そして、その日もその日でいつもの如く雪ノ下雪乃は我が家に現れた。
彼女の装いはいつもとは違って、何だか泥まみれであった。
「私、もう学校に行きたくない」
そう彼女は言って、何事かと尋ねる私を無視して我が家のリビングテーブルに突っ伏して泣き始めたのである。
事態がまるで飲み込めない私は思わず「制服は脱ぎなよ、部屋が泥まみれになる」などと言ってしまったわけであるが、それが彼女の逆鱗に触れてしまったのか、
「うるさい!」
の一言を頂いた。大変遺憾である。確かに私の発言は無神経であったとは思うが、何も「うるさい」だなんて怒鳴らなくてもいいじゃないか。前世の友達を思い出すからやめてほしい。
まあ私が悪いのは世界の真理らしいので、一先ず寒かろうと思って雪乃君にはバスタオルを渡した。
前世気まぐれに読んだ、鷲田清一氏による『「聴く」ことの力』という本にこんな文があった。
『聴くことが、ことばを受けとめることが、他者の自己理解の場を
私もそれの猿真似をしてみようと思う。ぶっちゃけそれ以外の解決方法を知らないだけなのだけれども。
「学校に行きたくないの?」
「集団で個人を甚振る人間の思考が理解できないわ。脳に蛆でも湧いているのかしら、それで思考誘導でもされているのかしら。だとしたら滑稽なモノね!」
「の、脳に蛆が湧いて・・・」
ちょっと、雪乃君。オウム返ししにくいセリフをぶっこんで来るのは困る。何て言っていいか分からなくなってしまうではないか。
「・・・少し落ち着きなよ雪乃君」
「うるさい!」
ごめんなさい。
本日二回目のうるさいを頂戴した私は、触らぬ神に祟りなしといった感じで、大人しく彼女の隣に居るだけに徹することにした。
静かだ。時計の針だけがカチカチと鳴って、耳に響く。
思えば私は雪乃君が虐められているのを知っていた。それでも何もしなかったのは、雪乃君が何も求めてこなかったからだ。我ながら薄情だとは思うが、雪乃君の性格からして求めてもいないことをされるのは嫌がるだろうから、何もしなかった。それが正しい判断だったのかどうか、目の前で泣いている雪乃君を見ると分からなくなってしまうのだけど。正しかったと信じたい。
「雪乃君、君は前に言ったじゃないか」
しびれを切らした私は、再び口を開いて言った。
「『全部ぶっ壊してやる!』って言ったじゃないか。やられっぱなしで良いのかい?」
「・・・わけ」
「何だい」
「良いわけないじゃない!」
「そうだね」
君はそういう奴だろう?やられっぱなしでいるタイプじゃない。
「だったらさ、ぶっ壊せばいいだろう。クラスメイトごとパーッとさ」
「するわよ、もう準備してるわよ」
「へぇ」
驚いた。雪ノ下雪乃は私の思っているよりずっと強かだったらしい。なら、何故泣いて騒いだんだい。
「馬鹿ね、『こいつらをぶっ飛ばしてやるぞ』と思っていても、いじめが無くなるわけじゃないのよ?流石に我慢の限界だったから、泣き場所としてあなたの家を選んだまでよ」
「は?」
何だそれは。つまるところ、私は八つ当たり専門サンドバックだったというわけか。心配して損した!
憤った私は、「もう知るものか!」と捨て台詞を吐いて、台所に向かう。ココアパウダーをお湯に溶かして飲もうと思ったのだ。勿論コップは二つ用意してある・・・つくづく雪乃君に甘い男だな、私は。
自分に呆れた私は、ココアの入ったコップを二つ持って、また雪乃君の方に戻るのだ。
「お早いお帰りね」
「うるせえ」
「まあ、悪かったと思っているわ。だからそんなしかめっ面はよして頂戴」
まったく、そんな言葉でこの私が絆されると思っているのか。ヒドイ女。
「わかったよ、しかめっ面はやめる」
絆されてなんていない。
ただ何だ、涙で目の下を腫らしてはいるものの、既に泣き止んでしまって、至って平然とした、ケロッとした態度の雪乃君を見ていたら、怒るのが馬鹿馬鹿しくなったというだけだ。
「雪乃君、風呂に入りなよ。泥だらけでいられると困る」
泥で塗れた雪乃君に、私はそう勧めた。女の子を汚れたままにしておく趣味は私にはないし、泥まみれで我が家を歩かれると、後で掃除するのが大変なのだ。
「・・・そうね。でも、私着替えなんて持ってきてないのだけど」
「私のを貸すから、それを着ればいいじゃない」
「えッ、いやよ」
雪乃君の言葉に心を抉られた私は、母の使わなくなった古着を貸すことにした。
「それならまあ、いいけど。着替えとか覗かないでしょうね」
「まさか、私がそんな助兵衛に見えますか」
「見えるわ。それも相当なムッツリよ」
「失敬な!誰が君の様なツルペタスットンに欲情するか!」
「何て失礼な人!これから大きくなるんだから、いろいろ!」
しばしの間睨み合って、雪乃君は「風呂場は何処かしら」と問うた。なので私はそれに律儀に答えてやって、「さっさと私の前から消えろ、女郎!」と言ってやった。
「女郎って何よ。難しい言葉を使って粋がるのもいいけど、そればかりだと友達をなくすわよ」
雪乃君はその言葉にそう返すと、風呂場の方に引っ込んでいった。
「君だけには言われたくない!」
♦♦♦
風呂から上がってきた雪乃君は、傲慢不遜に我が家のソファを占拠して牛乳を所望した。「前々からやってみたかったのよね、風呂上がりの牛乳」とのことである。
私はグラスに注がれた牛乳をグイッと呷る彼女を見て、オッサンくせぇことだと思った。腰の曲げ具合や腕の角度、どれをとっても立派なオジサンムーブである。最後の可愛らしい「けぷッ」というゲップだけは評価してやろう。
「ちょっと、何にやにやしているのよ」
少々恥ずかしそうな顔でこちらを睨む雪乃君を無視すると、私はテレビデッキの下を漁る。
「無視するとはいい度胸ね。そんな悪い子は足蹴にしてやるわ」
ソファから落ちないようにピンと足を張って、私の背中をゲシゲシと蹴る雪乃君。しかしながら全然痛くないので、気にもならない。微笑ましいだけだ。
「私の背中の蹴り心地はいかがかね」
「最高よ」
そんなに良いなら延々に蹴っていたまへ。と言いたいところだが、そろそろやめてもらわねばならぬ。
「心苦しいのだが、蹴るのをやめていただけないだろうか」
「あら、音を上げるの。負けを認めるのね?」
「いや違うが」
私は君とゲームをしようと思ったのだ。デッキの収納から、私はそれを取り出す。
「何よそれ」
「ゲームボーイアドバンスさ・・・」
したり顔で言ってやった。気持ちがいい。
「つまり携帯ゲーム機、というやつね」
「そうだね」
「それで一体何をするというのよ」
「うん、これだよ」
私の手には、赤と緑のカセットが一本ずつ。
「それは・・・」
「ポケモン」
正確には、『ポケットモンスター ファイアレッド/リーフグリーン』である。2004 年1月に満を持して発売された、ゲームボーイアドバンス専用ソフトだ(SP でも出来る)。私がこのソフトを家で発見したのが一月ほど前。そこから両ソフトでコツコツとポケモンのレベル上げをし、雪乃君と通信対戦でもしようと思っていたのである。
「いいじゃない、やりましょう」
雪乃君は私のその提案を快く受け入れて、対戦間際にこう言った。
「今度も私の勝ちでしょうけどね」
「俺の勝ち!何で負けたか明日までに考えといてください!」
「グギギーーーッ!」
結果、私は勝利した。今まで雪乃君との勝負事では散々敗北してきた私だが、ようやく勝利を手にすることが出来た。
しかしそれは当然の結果だと言える。
両方のソフトに入っているポケモンは、私が一から育てたものだ。つまりは各ポケモンの弱点を全て熟知しているということ。それに加えて、雪乃君に与えたソフトに集めたポケモンは、私の使ったソフトに入っているポケモンに対して相性が抜群に悪くなるよう振り分けてあったのである。これで勝てない奴はいない。
そう、全ては私が勝つために仕組んだことなのだ。
「この私がこれほどの屈辱を味わうことになるとは・・・許せないわ」
怒った雪乃君は、鬼気迫る表情で私からソフトを奪い取ると、自身のソフトと差し替えた。
「さあ、もう一戦しましょ」
私は惨敗した。
♦♦♦
満面の笑顔で私を嘲笑った後、雪乃君は帰っていった。最近はリムジンで帰らず、自分の足で歩いて帰るようにしているという。親に対する反抗心からなのか、単に健康志向なのか。ともかく悪い事ではないだろう。
「ちくしょう、まさか私の完璧な戦法を見破り、しかも勝利するとは・・・何という奴だ」
爪を齧って悔しがるポーズをした私は、自室に戻る。
「今度はデジモンで再戦するから」
学習机の引き出しから一つのゲーム機を取り出した私は、それの電源ボタンを押した。
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