北条の野望 ~織田信奈の野望 The if story~   作:tanuu

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第15話 第一次国府台合戦・終

「ふはははは」

 

行軍中の馬上にて、里見義堯は哄笑していた。

 

「その報、まことであろうな?」

 

「はっ。確かにこの目で見ました。小弓公方足利義明公はお討死。また、真里谷信応殿も同様と。真里谷並びに足利両家の将兵たちも多数討死。名だたる将がその首を地に落とされました」

 

「よしよし、ご苦労であった。下がってよいぞ」

 

「はっ!」

 

里見義堯は笑うしかなかった。遂に運が廻ってきたらしい。素晴らしい結末だ。彼の脳内には上総の地図が浮かんでいた。真里谷と足利の押さえていた土地は空白となる。奪うは容易い。この戦に参陣していない国人土豪もいるが、大した敵ではないし、恭順する可能性が高い。

 

房総は我が物となる。その日は近い。そうすれば、自分の夢は叶う。あわよくば、関東の覇者も見えてくる。そう考えていた。

 

実際、この考えは正解であり、史実では上総の国人はことごとく里見へ靡いていく。これは里見の勢力圏を拡大させ、北条家を苦しめる。今まで安房の小勢力だった里見家に飛翔のチャンスが来ていた。

 

「殿、お下知を」

 

「うむ。これより我らは全速力で安房へ帰還する。進路反転。急げ!」

 

「はっ!全軍、直ちに撤退だ!」

 

見事と言うべきは里見軍の統率で、急な反転命令であったが誰一人混乱することなく粛々とその命令に従っていた。

 

「良いぞ良いぞ。これで我らは房総の覇者よ」

 

「しかし、そう上手く行くでしょうか。北条軍が追撃してくるやもしれませぬぞ」

 

「であるからこのように急いでおる。兵を損なわぬ為に援軍にも行かなかったのだ。撤退途中に惨敗など、後世の笑い者よ。それに、氏綱は来ぬだろう。あれはそういう男だ。血気盛んな若武者が来るやもしれぬが…その時は返り討ちにしてくれようぞ」

 

若輩には負けはせぬわ、と口角を上げながら馬を走らせる。里見の家の家督を下克上で奪い取ってからもう何年にもなる。あの時より戦場を駆け巡って来た。その戦に彩られた生涯が生半可な若造には負けないという確固たる自信を作り上げていた。

 

 

 

 

余談ではあるが、上総の国は現在の千葉県中部に位置している。現在の東京湾側は市原市、君津市、木更津市、富津市、袖ヶ浦市などが領域であり、太平洋側は鴨川市、勝浦市、いすみ市、茂原市、東金市、山武市などを領域としている。千葉県民或いは千葉県を訪れた経験者ならわかるかと思うが、縦に長いこの地域は山岳が多いものの、結構な広さを持つ。

 

広さに反して先述したように山岳が多いので、石高にして42万石ほど。史実においては戦国時代は強大な勢力が出現せず、それに近かった小弓公方が討たれた後は北条と里見が争った。

 

現在では、酒井氏や土岐氏、武田氏などの国人が割拠している。彼らは今のところ大半が小弓公方に従っていたが、つい先ほど足利義明が戦死したため、実質上独立勢力と化していた。里見義堯の目的は個々の勢力となっているこれらを臣従させ、更に領地を北上させることである。南上総の正木氏は既に臣従しているので、後は残りを片付けるのみであったのだ。

 

 

閑話休題

 

 

 

 

 

 

「殿!後方に土煙が見えます!北条の追っ手かと」

 

「ほぅ?来るとはな」

 

北条軍は慎重な用兵と大胆な奇策を以て戦に挑む。これが里見義堯の北条の戦への評価であった。それの良し悪しについて彼は特に意見は無かったが、そういった評価を下している為にこの追っ手の存在は意外だった。若輩が来るだろうとは言ったが、心の中では北条氏綱はそれを許可しないだろうと思っていた。

 

「誰が大将かのぅ。間宮康俊か、笠原信隆か…」

 

三代目の小娘…はないな。と呟きながら髭を撫でる。自らの叔父と従兄弟を排斥する為に北条家に一時期身を寄せていた里見義堯からすれば、内部事情はある程度把握していた。攻めを主張しそうな将の名も、北条氏康の引きこもり癖も知っていた。

 

「ここまで執拗に追われるか。儂も、偉くなったものだな」

 

「殿!そのような事を仰っている場合ではありませぬぞ。逃走を続けるか、反撃するかしなくては」

 

「分かっておるわ。さて、どうしたものか」

 

答えながらも思考はフルスピードで回転していた。反撃することも出来なくは無いが、なるべく兵を損ないたくない。撃退不可能では無いだろうが、追っ手の数が分からない。ともすれば、迎え撃つのは少々危険だった。しかし、このまま逃げ切れるとは限らない。追い付かれる可能性もある。

 

「時茂。頼みがある」

 

「はっ。何なりと」

 

敵が知恵者か臆病なら退くであろうし、勇猛な者や脳筋なら突撃してきてかつそれを殲滅できる作戦を伝えた。正木時茂は一瞬驚いたが、直ぐにその首を縦に振る。北条よ、かかってくるが良い。貴様らの機嫌を取り助力を乞い媚を売り続けたかつての自分とは違う。一泡吹かせてやりたいものだ。そう思い、また笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

里見軍の追撃を続ける。向こうも必死に逃げているようでなかなか追い付かない。向こうは四千五百。こちらは八千。通常なら負けるはずは無かった。

 

「一条殿!敵はもう遠くへ逃げてしまったのではござらぬか?影も形も見えませぬぞ」

 

「あいや、清水殿。まだ遠くへは行っておらぬと思われます。足利、真里谷敗れるの報を聞いてから逃げ出したのでしょうが、だとしたら我らが追撃を始めた時とそこまで時は離れていません。まだ近くにいるはずです」

 

「しかし、そう遠くへは追えませぬぞ」

 

「ある程度行っても追い付けなかったら諦めましょう」

 

「ですな…。む!あれは!里見の軍勢では?」

 

清水康英の指す先に目をやる。確かに里見軍らしき軍勢が見える。

 

「者共かかれ!」

 

本陣で暇していたという清水隊が突撃していく。他の部隊も前進を開始した。小勢の敵だ。余裕で撃破してくれるだろう。だが、どうも嫌な予感がしてならない。

 

「里見軍恐るるに足らず!」

 

兵たちの戦意は高まっている。その為か、一気呵成に突撃していく。このまま押しきれるか…。そう思ったが、そう単純には行かなかった。

 

「押しきれない、か…」

 

のらりくらりとした用兵。押せているようで、その実敵の損害は少ないように見える。それどころか場所によっては苦戦し始めている。敵の倍近くの戦力を擁しているにも関わらず、この結果。苦しいかもしれない。

 

が、ある時を境に突如敵の勢いが弱まる。ともすれば、こちらは数がいる。瞬く間に押し始めた。敵は敗走していく。

だが、勝っているのは事実だが、どうもこの状況に作為的な何かを感じる。と言うのも、敵は敗走していると言いながら、武器はしっかり持っている上に隊列もそこまで乱れていない。

 

罠を疑うが、この短時間での設置は不可能だろう。伏兵が隠れられる場所も平野故に少ない。考えすぎだろうか。いや、疑わないのは危険か…。いずれにせよ、そろそろ潮時である。深追いは危険だ。目的の兵の損失を生むには少しだが成功している。ノーダメージで帰還とはいかないだろう。

 

 

 

 

 

遠くに橋が見えてきた。川があるのか。頭の中の地図を思い出す。確か、真間川。そこまで大きい河川では無かった気がする。この辺は現代だと京成中山駅か下総中山駅の近くだ。

 

敗走する敵の兵たちは次々と橋を渡っていく。

 

「む」

 

橋の上に誰か見える。逃げるでもなく、馬上に居てよく目立つ黒く大きな槍を持っている。敵兵はその横を通り抜け、橋の奥へと消えていく。

 

「なんと!あれは槍大膳!」

清水康英の声で敵将の正体が分かった。槍大膳、正木時茂に遭遇するとは運がない。正木時茂は畿内にまでその名を轟かせる勇者。かの朝倉宗滴の言行録に同時代の優れた武将の名前として織田信長や今川義元、毛利元就等と同列に語られているのだ。

 

そして、この状況は既視感があった。少し考え、既視感の正体に気が付く。橋。それを塞ぐ一人の豪傑。確認すると後方には雑木林。

 

「三國志かよ…」

 

思わず言葉がもれる。三國志で語られる張飛の名場面だ。荊州を曹操に追われる劉備の殿として橋の前に立ち一喝して曹操軍を震えさせ、幾人か挑むも誰も勝てず、また、橋の奥の林に伏兵のあることを恐れた曹操は遂に自らが撤退を開始。その後に張飛が橋を燃やしたので伏兵が無いことはバレるが、劉備は逃げ切った。この戦いは橋の名前を取って長坂橋の戦いと言う。

 

この戦いに良く似たこの地形。偶然では生まれないであろうし、意図的か。

 

「全軍止まれ!止まれ!!」

 

今にも橋にいる正木時茂に襲い係ろうとしていた兵たちを止める。正木時茂一人に多くの犠牲を出すのは割りに合わないし、そもそも損害を抑えろとの命を受けている。後ろの林も怪しい。槍大膳無双により、兵が恐慌状態になり収拾がつかなくなる前に止められたのは幸いだ。

 

正木時茂は進軍の止まった我々を見ても動こうとしない。それがますます計略のあるのではないかと疑う要因になっていた。里見義堯は三國志を知っていてこの状況を作り出したのだろう。いやはや性格の悪い奴だ。後ろの林に伏兵がいるか否か分からない以上、迂闊に突破はできない。居たら我々は大打撃だし、居なくても迷っている間に時間は稼がれる。

 

舌打ちしたいがそうもいかない。仕方ない。こちらも無駄に兵を損なうわけにはいかない。撤退の潮時か。

 

「全軍、撤退だ。直ちに撤退する」

 

「一条殿、臆されたか!敵は一人。かの槍大膳であろうともこの数ならば…!」

 

「いや、笠原殿。私の恐れるは後ろの林。この状況、古の三國志に記された長坂橋の戦いに酷似しております。三國志では伏兵はおらず、時間稼ぎでしたが、今回はどうか分かりませぬ。伏兵がいて、本隊も戻ってきたら袋叩きに合います。加えて、もし正木時茂を突破できてもそれに兵を多く損なうでしょう。氏綱様より深追い厳禁と仰せつかっております。撤退しましょう」

 

この戦術。まさかとは思ったが、島津の釣り野伏に似ている。名将ともなれば、考えることは同じか…。だが、引っ掛かってやる訳にもいかない。そう容易く騙されるものか。

 

「ううむ。仕方なしか…」

 

「先輩!ここは私が行きます。そうすれば、正木時茂に兵を損なう事にはなりません!」

 

最初はそう考えたが、敵の実力が未知数なのと、万が一の事があっては困る。綱成は伝家の宝刀。抜くタイミングは今じゃない。

 

「敵の実力が未知数な上、もし同格であっても経験は向こうの方が上。貴女に万が一があっては私の首は氏康様に撥ね飛ばされてしまいます。ここは自重して下さい」

 

「むぅ…。そう言うなら仕方ないです」

 

「清水殿にも撤退指示を。全軍後方に注意を払いつつ、後退!」

 

逆に向こうから追撃されたら笑えない事態になりかねない。そうなってもらっては困る。ここまで意気揚々と進軍してきた為か不満気な顔ではあるものの、全軍は撤退を開始した。振り返ると、橋の上で正木時茂はこちらを見つめていた。

 

次こそはもっと確実に追い詰めてやる。そう決意する。だが、同時に一筋縄ではいかないだろうという予感も存在していた。長いこと争う事になりそうだ。そう思うとため息が出てくる。史実から逸れた行動をすれば、知識通りとはいかない。分かっていた事ではあるが、改めてそれを痛感した。里見義堯。房総の覇者。そう簡単には勝たせてくれないようだ。

 

だが彼には悪いが、里見に翻弄されていたり苦戦しているようでは上杉謙信や佐竹義重、武田信玄なんかには敵わない。精進しなくてはいけない。

 

「この借り、いずれ必ず返す!それまで首を洗って待っていろ、里見刑部少輔義堯!!」

 

負け惜しみだが、これがせめてもの抵抗だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「帰ったか」

 

里見義堯は去り行く北条軍の背中を見つめていた。

 

「そう易々とは釣れぬか。難儀な事よ」

 

伏兵は無駄になってしまった。おそらく、敵もこちらの意図を、参考にした戦いを知っていたと見える。そこまでは想定通りだが、もっと悩むかと思っていた。が、予想に反してあっさりと撤退を決めたのはある意味拍子抜けであった。

 

それと同時にほっとしている自分もいた。突撃されれば、時茂のみでの防衛は不可能。伏兵を発動し、本隊も反転して袋叩きにするつもりだったが…。それでは上総攻略の兵が圧倒的に足りなくなる。それでは困るのだ。

 

「少なくとも、敵は愚将に非ず、か…」

 

即断即決は戦場でかなり大切な事だ。それにこちらの戦術を見破った上での退却。古典にも詳しいときた。これは厳しい戦いが続くかもしれぬ。彼の顔は渋かった。しかし諦める訳にもいかない。野望の火は未だ燃え尽きてはいなかった。

 

「殿。ただいま戻りました」

 

「おお、時茂。よくぞ戻った。此度は武を示させてやれなんだな。すまぬ」

 

「はっ。お気にならず。武士たるもの、いずれ機会は訪れましょうぞ。そう言えば敵将が捨て台詞を吐いておりましたぞ」

 

「ほほう。なんと申しておった」

 

「"この借り、いずれ必ず返す!それまで首を洗って待っていろ、里見刑部少輔義堯"と」

 

「ふはははは。随分嫌われたものよの。誰が吐いた文言か?」

 

「名は分かりませぬが、若くまだ十七、八歳と思われる男武者でございました」

 

「おそらく其奴が此度の追っ手の指揮官であろう。ふむ。面白い。我が首取れるものなら取ってみるが良いわ!」

 

高らかに笑いながら、好敵手となりうる将との次の邂逅に思いを馳せていた。まずは房総を抑え次こそは。その為にも中部上総を抑える。兵が足りぬ故、北上総は諦めねばならぬとは。残念だ。そう思いながら、彼は全軍に号令する。

 

「全軍、直ちに進撃を再開。上総の城を一つでも多く我らの手に納めようぞ!!」

 

「「「「応!!」」」」

 

源氏の子孫たる証を示す二つ引両の旗をはためかせ、里見軍は南下を開始した。

 

 

後世、一条兼音の伝記を読めば、またこいつかというレベルで登場して幾度も争い、上杉や佐竹よりも一条兼音の真のライバルは彼だったとまで呼ばれる万年君里見義堯との最初の対決はこうして幕を閉じた。

 

また、これを以て第一次国府台合戦は終了したのである。戦勝に湧く北条軍であったが、出る杭は打たれると言うように、飛ぶ鳥を落とす勢いの彼らに関東を揺るがす大嵐が訪れようとしていた。それに気付いた者は、まだいない。

 

そして、一人の英雄の命の灯火は消えようとしていた。かの灯火が消えた日こそ、北条を暗い陰が覆うのだが、その日は刻一刻と迫っていた。




結構登場人物が出てきましたが、キャラ集第二段は河越夜戦が終わった辺りに配置します。

どこかで時系列的に原作開始前の時に原作メインヒロインの織田信奈を出したいなと悩んでおります。

さて、匂わせていましたが、いよいよある人物の死が迫っています。誰かはもうお分かりの方が多いと思いますが。

次回、巨星墜つ。お楽しみに。

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