最初の2回は、戦争の途中で死ぬという無念の残るものであったから、死に戻ったことには心から感謝した。
知識、それを元にした立ち回り。ただそれだけで、変わるものもあるのだと知った。変えられるものがあるのだと知った。
肉体の効率的な鍛え方を知った。
武器の振り方を知った。
膨大な種類の詠唱があることを知って、必死に覚えた。
同時詠唱の方法を知った。
生き物の最適な殺し方を知った。
致命傷を受けない戦い方を知った。
求められる役の演じ方を知った。
気に入らない権力者の豚と笑顔で話す方法を知った。
自己犠牲の無意味さを知った。
人ひとりを救うことの難しさを知った。
あなたの笑顔を知った。
勝利の喜びと、平和の素晴らしさを知った。
我が子の愛おしさを知った。
未来ある若者を支える喜びを知った。
柔らかな風を感じながら読書に耽る幸福を知った。
最愛の人に看取られる安心感を知った。
どれも、素晴らしいものだと思うし、どれかが欠けていては、俺は満たされることがないだろうと分かる。
けれど、裏を返せばそれは……俺は、満たされていたのだ。
満足していたのだ。
安心して、未来を憂うことなく、死を恐れることもなく、長い眠りにつくことができる精神状態にあった。
「勘弁、してくれよ……ッ」
途方に暮れた。
何よりも怖いのは、次に死んだ時、果たして俺は死ねるのかという疑問である。
答えを知るのが怖くて、自死を選ぶ気にもなれない。
前世、あの人生以上の幸福を得られるとは、微塵も思えなかった。
だから、ちっぽけで無力な俺は、前世と同じ人生を歩むことを決めた。それしか選びようがなかった。ボタンの掛け違いで何か不幸が生まれるくらいなら、慎重に慎重に、流れを変えてしまわないように立ち回ることを決めた。
「アンタ、若いのに凄いな! どうだい、この依頼を一緒にやってくれる相手を探しているんだけど、組まないか?」
「……ダフネ」
「あれ? アタシ名前教えたっけ?」
誰も、覚えていないんだ。
俺が前世でやったことも。一緒に話したことも、一緒に食った飯も。
あの日と変わらない青空が、いっそ憎らしいくらいに美しかった。
魔王が復活する前の平穏な国の雰囲気が、時折吹き抜ける爽やかな風が、ただただ、全て終わった後の、あの優しい日々を思い出させる。
「……噂で、聞いたんだ。いいよ、一緒にやろう」
「そうか! よしきた!」
傭兵界隈で名前が上がるのにはそう時間がかからなかった。
まだ未成熟な体だから前世と全く同じとはいかないが、それが問題にならないくらい、蓄えた経験がある。それに、依頼だって知っているものが多くて、失敗するほうが難しいのだ。
「……傭兵君。悩みがあるなら、聞かせてもらえないかい?」
「ありがとうございます。……ですが、大丈夫です」
教会の牧師は、これまでの回と同じで、俺にも優しくしてくれた。
毎日のように足繁く教会に通い、その上依頼を確実にこなす、信心深い凄腕の傭兵がいる。そんな話をよく耳にするようになった。
これまでと違ったのは、その噂のおかげか、国の方から俺を中心とした聖騎士団を作りたいという打診を受けた。
おおよその流れには影響しないだろうと思ったから、試験を受ける手間が省けるわけだし快諾した。
「貴公が噂の傭兵殿か。聖騎士団の指南役となるアグライアだ。よろしく頼む」
「……気持ちわりいな」
「は……?」
「罵声の一つくらい、出せねえのか」
「……噂よりも、礼儀を解さない男のようだな。信心深いと聞いていたが、やはり所詮は傭兵上がりか」
アグライア……クソアマも、何も覚えていない。
俺が吐き捨ててきた愚痴も、罰走とか言って俺を走らせた回数も、朝に憎まれ口をたたき合いながら一緒に走った時間も、あの食事会のことも。
笑顔で、それこそ美女らしさを全面に出して手を差し出してきた彼女に、違和感以外の何の感想も抱けなかった。
別に、被虐の癖があるわけではないが、罵倒を口にしている方が彼女らしい。だから、悪態をついた。
ビジネスパートナーとか、お互い支え合うとか、そういう関係は、俺達はなんか違うだろ。
「……ようへー、さま」
あとは、ミスったかもしれないのが、聖女様との出会いが少し早まった。
教会だの王城だのに頻繁に出入りしてりゃそうなるか。まだ言葉もおぼつかない年齢の幼女を抱きしめたい衝動にかられながらも、それをなんとか堪えて、優しく接した。
……イリスも、何も覚えていない。
彼女と過ごしたすべての日々は、遠い幻想だ。
また同じだけの時間を過ごせばいい……そう笑い飛ばしてしまうには、あの60年は長過ぎる。
「聖女様の前であまり暗い顔をするな、クソ傭兵。我々はあの方の手足となるのだから、そんな顔をしていては信頼どころか信用もされんぞ」
「うっせえよ、クソ教官。これでも全力でやっとるわ」
クソ教官と呼んでも、もはや罰走を与えられることはない。
与えられる以上に俺が走り込んでいることをアグライアは理解しているし、たとえ与えたとしても簡単にこなすのでは罰の意味がない。俺が苦労する分走らせるとなれば、それこそ一日中となり、任務やその他諸々に支障をきたす。
その代わりに、食事に連れ出されるようになった。もはや俺に負荷をかけるのは無理だから、アグライア自身が溜め込んだストレスを、どうでもいい存在である俺に吐き出すことで軽減しようというのだ。
「──宮廷騎士団の連中とて、貴様と渡り合えるものもそう多くない。奴らを更に鍛え上げなければいけないが、一体どうしたものか。……おい、聞いているのか。おい、クソ傭兵!」
「聞いてるわ。……聞くだけだけどな。それよりもこの肉すげえな、飲み物みたいだ」
「……すまないな、私の配慮が足りていなかった。貴様は脳味噌が空っぽだから、右耳に入った言葉が左耳から抜けてしまうのを忘れていた。……む、ほんとだ、おいしい」
アグライアの奢りで高い飯屋。人の金で食う肉は最高だぜ!!
ちなみに、「ほんとだ、おいしい」という言い方はコイツの素が少し出てしまっている。自分を律するように努めるアグライアだが、意外とガキっぽい面がある。
老衰するまで生きたことで、こうした観察眼も磨かれた。なんなら全人類ガキに見えるまである。何考えてるかわからんかった教皇や王様も、まあ、何となく考えていることを察せられるようになった。
そうこうして日常を過ごす内に、聖騎士団の選抜がおこなわれた。
「よっす! 久しぶりぃ! アンタも結構デカくなったな。アタシ、ちゃんと合格してやったぜ?」
「ああ。まぁ、ダフネが合格することは分かってたけどな」
「嬉しいこと言ってくれるねぇ! またしばらくよろしくな、相棒!」
「ああ」
結局、メンバーに変化は無かったみたいだし、聖騎士に先に選ばれる流れでも問題無さそうだ。
「『相棒』……?」
「なんだよ、何かおかしかったですかい?」
相棒という言葉に耳ざとく反応したアグライアに、ダフネが突っかかるようにムスッとした顔を向けた。
一応、そいつお前の教官だぞ。俺が言えたことじゃないけど。
「貴様は……この男の能力を、理解しているのか?」
「コイツがスゲー強ぇことは知ってますよ!」
「そこまでにしてください。……いいんです、俺とコイツは『相棒』ですから」
「…………そうか」
ずっと一緒にやってきたのだ。
傭兵としても、聖騎士としても。
たとえダフネが何も覚えていなかったとしても、俺は忘れない。
俺達は相棒なのだ。
「お兄様ぁ」
ちっちゃなイリスがトテトテと駆け寄って腰に抱きついてくる。
今回は掴みが悪かったし好かれるの失敗したかと思っていたが、全然そんなことはなかった。むしろ、今まで以上に早く懐かれた。思春期はまだ先だし、しばらくはこの好感度と愛情表現が止むことはないだろう。
「アンタ、ロリコンは引くわ……」
「クソ性犯罪者、今すぐ聖女様から離れろ」
冷めた目で女性二人に睨まれる。
今見てたでしょ。俺何もしてないから。向こうから抱きついてきたから。
「ふたりは、意地悪だからキライです!」
聖女様はあっかんべーをして俺の後ろに隠れる。
ダフネはそこまで堪えていないが、アグライアは結構ショックを受けてるらしい。少しずつ分かってきたが、このクソアマ、立ち振舞いに反して可愛いものが大好きなのだ。
ロリコンとか引くわ。犯罪者予備軍にやる仕事はねえぞ。
「私、大きくなったらお兄様と結婚します!」
「……そうですね。聖女様が10年後もそう思っていらっしゃるのでしたら、もう一度おっしゃってください」
まあ、今のところはこんな返答が無難だろう。
多分だけど、このまま行けば前世と同じく結婚することになるのだと思う。その時期なんかはズレるかもしれないが、聖女様のこれからの出会いと、現時点の俺への好感度を考えればきっと。……もしも、彼女の人生がもっと良い出会いに満たされていたら、俺を選ばない可能性は十二分にあるわけだが。
「むー……」
「どうかなさいましたか?」
「名前で呼んでくれなきゃ、いやです。クビにします」
「……職務中ですから」
こういう駆け引きどこで覚えてくるんかなぁこのお姫様は!
クビにしたら俺と会えなくなることまでは思い至ってないあたり、可愛らしい。
「むぅぅー……、じゃあ、少ししゃがんでください」
「……? これでよろしいでしょうか?」
「目も閉じてください!」
主の命令だから、その通り瞼を下ろす。
唇に、小さな物が触れる感覚。まさかと思って目を見開く。
「……えへへ、私のはじめて、さしあげます!」
──っ、あ。やばい、無理だ。
「お兄様!?」
「相棒!?」
堰を切ったように、両の眼から大粒の涙が溢れ出した。
堪えきれない愛情と、絶望に近い喪失感と、言葉にならない澱みがゴチャゴチャに混ざって心をかき乱し、自分が泣く理由にはいくつも心当たりがあるのに、この涙がそのうちのいずれから生まれたものか見当がつかない。
「……ぁ、ぅ、ご、めんなさい……。いや、でしたか……?」
違うんです。
嫌なわけがないんです。
でも、わけが分かんないんです。
だから、どうか、泣かないで。
「……すき、です」
死にたい。
「好きです、聖女様。大好きです。これまでも、これからも。前世から……いえ、その更に前世から、ずっと、あなたをお慕い申しております。好きで、好きで、好きなのに…………俺はもう、この感情が誰に向けられたものかも分かりません。分かんないんです、何もかも」
だから、どうか、誰か、俺を殺してほしい。
でも、あなたはきっと。
「……ええと、お兄様も、私のことを好いてくれているということでよろしいのでしょうか?」
あなたはきっと──どこまでも純粋だから。
「──両想い、ですね!」
どんな俺でも愛してくれると、そう勘違いしてしまう。
「……そう、だね。……イリス」
優しく微笑んだ。微笑んでいたはずだ。
そんな俺を、いつもなら咎めるはずのアグライアは痛ましげに見つめ、ダフネは絶句するような顔をこちらに向けていた。
全部、上手くやった。
全部っていうか、実際のところ、俺が手助けする必要があるのは、本当にあの大規模作戦の罠についてだけだった。
他のは、そりゃ俺がいれば死者も減るだろうし、何かしら円滑に行くところも生まれるだろうけれど、別にいなくてもなんとかなることが分かった。
歴史に
「……ぅお、ぇ……っ」
変わったことと言えば、俺がよくゲロを吐くようになったぐらいか。
俺のゲロで救われる世界があるってんなら大歓迎だ。
「……ぐぅっ、……うぐぅ、……ふっ、うぅ」
だから、こうして涙が出るのは、ひとえに俺の心の弱さのせいだ。
泣くな。悲しみなんて誰だって抱えてるものだし、自分が世界で一番不幸だって思ってるやつは、大抵そうでもないんだから。
比べればきっと、俺より不幸な人間くらい掃いて捨てるほどいる。
泣くな。こんなもの、体中を徹底的に壊される痛みに比べれば、大したことないんだから。
ニケが何度死にかけたと思っている。毎回毎回、勇者ってだけで敵の一番強いやつと戦わされて、戦争が終わってもうなされ続けるくらいのトラウマに苛まれて、幻肢痛だって全体に起こるからもはや慣れただなんて笑ってみせて。
それに比べれば、俺はいくらでも自分を安全な場所におけるのだから。ただ、終わりが見えないだけで。
泣くな。俺は何一つ、尊厳を傷つけられていないのだから。
1周目のイリスを思えば、こんなもの。魔物に孕まされたまま、全身の皮を剥がれ、代わりに猿の皮を縫い付けられて送り返されてきた彼女の無念を感じろ。怒りを、敵を滅ぼすための動力源にすればいい。同情を、彼女を救うための理由にすればいい。
「──1周目って、なんだよ」
あと何回繰り返しゃあいいんだよ。
なんだよこれ。どうなったら終わるんだよ。
それとも、これが普通なのか? みんな繰り返しているのか? 苦しんでる俺が、ただただ心が弱いだけなのか?
それでも。
弱いからって理由をつけたところで、俺よりも不幸な連中がいるって慰めたところで、俺のこの痛みは、無くならないんだ。
「──死が二人を分かつまで、愛し合うことを誓いますか?」
「はい、誓います」
「……誓います」
死が二人を分かつまでなんて、そんな短い時間じゃなくて。
死が二人を分かつとも、俺はキミを愛するから。
だから、どうか。
どうか──俺を、
「隠し事、してますよね?」
「……してないよ」
魔王も倒したので聖騎士団は解散となり、アグライアが団長となった宮廷騎士団の副団長、兼イリスの夫として生活も落ち着いてきた頃。
イリスの作ってくれた夕食を食べていると、彼女から隠し事はないかと問われた。
「嘘。アグライアさんから聞きました。毎日のように、陰で吐いているって。アグライアさんじゃ力になれないから、私が助けてやってほしいって」
……あのクソアマめ。絶対にバレないようにしてたのに、ストーカーか何かか?
「あー、大丈夫。ちょっと若い奴らに合わせて、毎回昼飯を食べすぎちゃってね。胃もたれするのを、恥ずかしいからこっそり……」
「下手な嘘は通じませんよ。あなただったら、食堂の方に申し訳ないからそんな勿体ないことしないはずです。それに、私が何年あなたと一緒にいると思っているんですか? 様子がおかしいことは、前々から気付いていました」
それを言うなら、俺が何年イリスと一緒にいるかって話なんだけど。
だけど、話したってしょうがないだろうこんなこと。
「──っ! なら、話してくれるまでお触り禁止令を出します!」
「は!?」
「はぐもちゅーも、えっちなのも全部ダメです! 期限はあなたが白状するまで!」
嘘だろマイハニー。
一日仕事するための動力源だぞ? お触り禁止とか正気か?
「お、おはようのキスは?」
「……っ、だめです。一緒に寝るのもしばらくだめです!」
「いってきますのキスは!?」
「〜〜っ、だ、……だめ、です! 仕方がないので、お見送りだけはしますが!」
「ただいまのぎゅーも……!?」
「ぅぅぅう……、あ、当たり前じゃないですか……っ」
どうすれば、いい。
そんなん、無理やん。できひんよ、普通。
でも、話すにしたって、何を言えばいいのか……。
「……これでも、話してくれないんですね。分かりました、しばらくは、お触り禁止です」
「……」
そこからの日々は、俺の抱えていた悩みなんて塵芥だったのではないかと思えるくらい地獄であった。
目の前にイリスがいるのに、絶妙な距離感を開けられたまま何もさせてもらえない。
限界を迎えるのに、そう時間はかからなかった。
「……おはよう、ございます」
「おはよう、イリス。酷い顔だな」
「あなたも、げっそりしていますよ」
「そうか……」
朝食が喉を通らない。
世界が灰色に見えるし、なんなら揺れて見える。
それでも俺が日常生活を過ごせていたのは、きっと聖騎士として鍛えてきた地盤があったからで、逆に言えば、俺よりも体力のないイリスが先に限界を迎えるのは自明であった。
「──ぁ、れ?」
俺の分も合わせて、使い終わった皿を重ねて下げようとしたイリスが、貧血のようにふらりと体勢を崩した。
「……イリスッ!」
ガシャンと、皿の割れる甲高い音。
皿は落としたが、イリスの身体だけはなんとか支えるのが間に合った。
柔らかな肌。丸みを帯びた肩を支える手から伝わってきた温もりで、俺自身も限界を迎えた。
「──お触り……っ、きんし、ですよ……?」
「……」
後ろから包み込むように抱きしめる。
割れた皿や、その破片のことなど頭になかった。
申し訳程度に、グッと力を込めてイリスが抜け出そうとするが、抱きしめる力を少し強めたら大人しくなった。
「……禁止、なんだろ? 逃げないのか?」
「……ずるいです」
結局の所、お互い相手の温もりに焦がれていて。
包む側も、包まれる側も、その状態が一番落ち着けてしまうのだ。
「……ごめん。話すよ。キミが目の前にいるのに手も繋げないなんて、俺には無理だ」
「わたしも、です」
「うん。……まずは、割れた破片を片そうか」
「……もう少しだけ、このまま」
「……ん」
そうして、俺は苦しんでいる理由をイリスに話した。
突拍子もない話だし、俺もどんな風に話せばいいか分からなかったから、色々順番がおかしくなりながらも、全部。
「あなたが次生まれ変わっても、私はあなたと過ごした時間を忘れません。そうすれば、寂しくないでしょう?」
大の大人が、みっともなく泣いた。
15も年下の女の子の胸の中で、鼻水も垂れていたと思う。
そんな俺を、イリスは背中をさすって慰めた。
話している間も、泣いている間も。
俺は、ずっと彼女を抱きしめていた。
「……お触り、してしまいましたね」
「禁止令は、俺達には無理だよ」
「……そう、ですね。……その」
「ん?」
落ち着いた俺の胸板に顔を乗せながら、イリスが言い淀む。
どうかしたのだろうかと聞き返せば、顔を真っ赤にしてイリスは言った。
「……は、はしたないと、思わないでほしいのですが」
「う、うん」
「私、……その、今日、……あ、赤子を、宿せる日、なのです」
「……!!」
そういえば、前回の子供が丁度この時期だった。
……俺は確実性を追い求めることにした。
「副団長、今日いないのか?」
「3日ほど休暇だってさ。実家にでも帰ってんのかね」
「聖女様もいないらしいし、案外そうかもな」
「お、副団長。奥さんのご懐妊おめでとーございます」
「ん? おー、さんきゅ」
「すいませんね、話は前から聞いていたんですが、なかなか副団長にお会いする機会がなくて」
「いやまあ気にすんな、みんな忙しいからな」
あれから半年が経った。
イリスはお腹が膨らんできたのが目で見て分かるほどになっている。お腹の中には次期聖女、あるいは聖人がいるわけで、国と教会の管理の元安全な場所で生活している。
「……おや、性騎士ではないか」
「クソ団長、相変わらず残念な頭をしていらっしゃるんですね。俺はもう聖騎士団でなく宮廷騎士団の所属ですが? もうご退任なさったほうがよろしいのでは」
お触り禁止令の元凶であるクソアマ、アグライアが現れた。
聖騎士団は解体されているし、それに立ち会った当人でもあるだろうに、我らが団長はよほど残念な脳味噌をしていらっしゃるらしい。
「何を言っている? 私が火を付けるなり三日三晩お盛んになるような猿は、性騎士と呼んで差し支えなかろう」
「おいてめぇ俺のことは良いがイリスのこと性女様とか呼んでたらぶっ殺すぞ」
「……? 聖女様は聖女様だろう?」
ぶん殴りたい、このキョトン顔……。しかも、最後のセリフは天然で言ってそうなのがもう……。
俺へのヘイトが高すぎるあまり、俺以外への暴言は思考回路から除外されるらしい。確かに、前回とかに比べて他の人への罵倒が少ないし、アグライアが可愛いとかほざく団員も少なくない。いや、顔は認めるけど。
「まさか一発とはな。聖女様は貴様みたいにバカげた体力はないのだから、もう少し手加減してやれ」
「うるせえ、余計なお世話だ。それともなんだ? 独り身の僻みか?」
「……いいや、貴様という最底辺を知っているからな。どんな男もマシに思えるし、かけられる声もそう少なくない」
何だコイツ。私はモテますよって自慢かクソ。生まれて死んでを繰り返してこの方、イリス以外からモテたことねえよ。それで何も問題ねえけど。
そんなにモテるなら早く身を固めたらどうですかね。売れ残りも目前だぞ。
「それこそ余計なお世話だ。よりどりみどりというのは、中々に困るものなのだよ」
そう鼻で笑うように言い放って、アグライアは立ち去っていった。
いやでも、前回は確か家の見合いで売れ残りギリギリに滑り込んでたし、割とマジで頑張ったほうが良いとは思うけどね。おじちゃん心配だよ。
まぁ売れ残ったら指差して馬鹿笑いする予定だけど。
『
親愛なる相棒へ。
お元気ですか? 手紙のやり取りも、小さな箱では溢れてしまいそうな数になってきましたね。
半年前、私とニケは長い旅を終えました。流石にもう、極寒の大地や灼熱の火山地帯、人食い獣の溢れる森林地帯を歩くには、身体がついてきません。
長く旅をしていれば当たり前のことですが、それなりに名声も稼いだので、手紙以外でも私達の話は聞いているかもしれませんね。
落ち着きのない私達二人でしたが、いまはとある街の孤児院を経営しています。やはり未開拓地域は治安が悪く、子供たちが簡単に死んでしまうのです。
また、次に魔王が復活するとされる70年後、矢面に立たされるのはこの街です。私達二人が生きている間に、この街を防衛都市と呼べるくらい発展させることが次の目標となりました。なかなか楽な余生は過ごせなさそうです。
ババア二人に何が、と笑う人もいましたが、ニケがとりあえず殴って黙らせていました。勇者の加護を失った彼女ですが、力強い側面は変わりありません。
近日中のことで言えば、子供を攫おうとした連中を追う内にひとつの暴力団組織に繋がり、ババア二人ですが壊滅させてきました。壊滅という言い方は正しくないですね。彼らが守ってきた均衡もあり、それらを壊さないようにするために、懐柔したという言い方のほうが適切かもしれません。
それでも、最後にモノを言うのは拳でした。あなたと共に闘った十数年間、あの時間が今の私を支えてくれています。
相棒、という呼び方はもしかしたら変えたほうが良いかもしれませんね。一緒にやってきた時間で言えば、ニケの方がもうずっと長いです。
それでもあなたのことを相棒と呼びたくなってしまうのは……なぜでしょうね? 若い頃の思い出が美化されているのか、はたまた別の理由かもしれません。
というか、さきほどから「ババア」を強調しているのは、ちょっとした恨み言だったりします。
あなたは心当たりが無いかもしれませんが、私達がババア二人でババアをやっているのは、大体があなたのせいなのです。
困惑している顔が目に浮かぶようです。でも、覚えておいてください。あなたのせいで私達はババア二人なんですよ。どっかに手頃なジジイがいてくれると都合いいんですけれどね?
あなたのせいで、私は教会所属の兵団などという似合わない役職につきました。あなたのせいで、私は魔王討伐に関わった重要なメンバーのひとりに数え上げられるようになりました。あなたのせいで、私はニケという生涯の悪友と出会う羽目になりました。あなたのせいで、私は遠い街で暴力団を飼い馴らす羽目になりました。
あなたのおかげで、私はいま幸せです。
願わくは、あなたのせいで幸せになれれば良かったんですけれど。
でも、良い人生でした。
これからもしばらくは手紙のやり取りが続きそうですね。お互い老い先短いかもしれませんが、元気にやっていきましょう。
敬具
追伸
この手紙を聖女様(いまはイリス様と呼んだほうが良いですね)に見せてあげてください。きっと、可愛らしい顔でむくれますよ。
』
「……イリス。俺との約束、覚えてるか?」
「えぇ。忘れたくても忘れられませんよ。あんな、突飛な話」
寿命というのは、年単位では変わらないけれど、一ヶ月くらいは前後するらしく。
前回は今頃死んだな、と思ってから一月が経ち、体感でそろそろ死ぬ頃かというのが分かってきた。
まああれだ。飯を食えなくなったら死ぬ。人間、最期もそんなもんだ。だから飯を食おうぜっていうわけでもないけど、まあ食事ってのは大事なもんだな。
「絶対に、忘れません。あなたがくれたものも、あなたと作り出したものも、あなたにあげたものも。そして、あなたに救われてきた私がいることを」
「そりゃあ、心強い」
一時期はあんなに怖かったこの瞬間も、いまでは安心して迎えることができた。
救って救われて。与えたものは何倍にもなって返されるし、与えてもらったものは何倍にしても返し足りない。難儀な生き物だ、俺達人間は。
お互い、泣くことはない。次があることを知っているからだ。
時々弱くて、関係性は難しくて。そんな生き物として生きて、俺がこうも満足できるのは、きっと大切な人に出会えたからだろう。
「ありがとう、イリス」
お礼なんて何回言っても足りることはない。
それでも、伝えることは決して間違いではないのだ。
「いってきます」
「……ええ。また、次の世界で」
「うん。またね」
何度も繰り返せば分かることだが、死の瞬間というのは大したことない。
悔いが残っていればその限りではないのだろうが、亡者の声なんて一切聞こえないし、天界のラッパも迷信に違いない。
ただ、眠るのと変わらないのだ。夜眠って、闇を越え、朝目覚めるように。
俺の場合は、死の眠りについて、一瞬の暗転を越え、赤子として目覚めるだけだ。
恐れることなど、何もない。
*****
5.
気が付いたときには、赤子になっていた。
そして、見覚えのある日々を過ごしながら、薄々と気付いていた。
──嗚呼。
必死に子供を取り繕った。体を鍛えた。王都に出た。傭兵になった。何もかもこなした。戦争関連では雇わない契約が裏で結ばれるほどだ。
死に際になって、言葉を重ねたのは安心していたからではない。何も覚えていない相棒に失望しなかったのは、イリスだけは覚えていると信じていたからではない。
──嗚呼。
俺を中心とした聖騎士団が編成された。アグライアに出会った。もはや、憎まれ口を叩く気力はなかった。
ただ、不安だったのだ。受け止めきれないくらい、不安だったのだ。上手く纏めて、良い流れを作って、それで万事解決することを願い、その裏で叶わないことも気付いていた。
「──ようへー、さま?」
──嗚呼。知っていたとも。
ひとつ言わせてもらうと、俺は冷静ではない。
頭の中は四六時中、神だの運命だのへの罵倒で満たされているし、多分一度口を開けば、声が枯れて血を吐くまで恨みつらみを叫べると思う。
いや、怒りなのかもわからない。もしかしたら、多少怒りを発散したところで、今度は言いようのない不安にかられて、神に媚びへつらうように泣き出すかもしれない。
一言でまとめてしまえば、情緒不安定。精神異常者。自分でも何が飛び出るかわからないブラックボックスだ。
付け加えれば、イリスへの怒りも既に抱いていた。
あれだけ忘れないと誓っておきながら、次会った時には「ようへーさま」だ。ふざけてんのか?
だけど同時に、それが仕方ないことだというのも理解している。もう、この死に戻る現象は尋常のものではない。何なら人間が手を出せる代物ではないし、何だって俺が巻き込まれているのかは知らないが、感情論、特に気合なんかでどうにかなるものでもない。
忘れない。それは結局、口約束だ。何の保証もなかった。気合や愛情でどうこうというやつだ。こんな超常に敵うわけがなかった。
つまるところ、平時の俺の理解の通り、人間というのは大したことない生き物で、弱くてちっぽけで、世の中にはそんな弱者じゃどうしようもない物事が存在するというわけだ。
誰か俺を許してほしい。投げやりになることを、思考停止だと責めないでほしい。だって、考えれば考えるだけ辛いのだ。
何より辛いのは、毎回生き返る度に赤子になることである。
赤子は誰かの庇護下でなければ生きられず、逆に死ぬこともひとりでは難しい。
これが、毎回10歳の俺に戻るとかなら、もう戻った瞬間に石で頭を砕いてみせよう。発狂するまで死に戻りを繰り返せば、辛さはきっと誤魔化せる。
けれど、赤子にできることなんて、母乳を飲まないことくらいしかないだろう。それで待っているのは飢餓と栄養失調による長く辛い死だ。
逆に、生きるためには生きるための意思を持たなければいけないというのもキツい。
俺は俺の意思で、みんな何もかも忘れていると分かった上で、母の母乳を必死に飲み、自らの命を繋がなければならない。
本来ならば、野性的な本能が勝手にやってくれる、「赤子が生きる」という行為を、すべて己の意思によって行わなければならないのだ。
死にたい。楽に死ねない。生きたい。楽に生きられない。ああもう、死にたい。
そんな思いを抱え続けている内に、どっかで壊れた。
どっかというか、タイミング自体は覚えている。
本当に、何でもない瞬間。誕生日でも、誰かに会ったときでも、眠る前の頭が妙に冴え渡る時間でもなく。
ただ、町を歩いている時に、「あ、こわれた」と自分の声でアナウンスが入った。
でも、それは僥倖だった。
壊れたと分かっていれば、己を操作することはそう難しくないのだ。
だから、俺は他の方法を知らないから、前世と同じ流れをトレースすることにした。
いくつか違った点はあるかもしれない。アグライアと喧嘩し合う仲にならなかったのもそのひとつだ。普通の同僚として、俺と彼女は互いに煽りのない丁寧な言葉で話した。
物静かな人物のほうが演技が少なくて済むから、前世ほどひょうきんな人格にはならなかったと思う。それでもいつの間にかイリスが懐いてしまう様子には、一周回って、彼女が俺以外と出会うことのない不遇な人生を歩んでいるのだと気が付いた。
それでも俺は、「俺」として生きた。
「俺」ってなんだろうって何回も思った。みんなが見ている俺は、きっと「俺」だ。でも、俺が知っている俺は、もう壊れたナニカでしかなかった。
みんなが俺を「俺」と思うから俺は俺なのか、俺が俺を「俺」と思わないから俺は俺じゃないのか、そもそも人格ってなんなのか、俺にはさっぱり分からなかった。
「あなたらしくない」なんてセリフが存在するが、それが正しいなら、俺はきっとみんなが観測する俺らしい俺の集合なのだろう。本人がぶっ壊れているのだから、他者の評価をアテにするのは妥当だと思う。
それはつまり、一番わかりやすく言ってしまえば、俺なんて存在しないのだ。
少なくとも、言えることがある。
人は、他者と同じ時間軸で生きるべきだ。人は誰かと「一緒に」生きなければいけない。
歴史を共有できなければ、すぐに違和感が生まれる。自己の連続性が途端に疑わしくなる。世界に紛れ込んだ異物のように思えてくる。そしていつか、心が耐えきれなくなって壊れてしまう。
俺が俺であるという証明をするには、俺一人では根拠が足りなくて、不安になってしまう。
人は、そういう弱い生き物だから、ひとりでは生きられないのだ。
誰かに見てほしいのだ。
なあ。
誰か、俺を見てくれよ。
俺が冷静でないこと、これでよく分かってもらえたと思う。
アグライアにとって、傭兵から選ばれた、新しい騎士団の中心となるその人物は、不思議の一言に尽きた。
初めて会ったのは、彼が17、つまりアグライアが19のときである。
お互い成人しているとはいえ、20にも満たなければまだまだ未熟者である。アグライアは元宮廷騎士団の父に育てられたため既に成熟していたが、彼は農村出身の傭兵であり、礼儀作法から戦闘技術まで、粗があってしかるべきであった。
けれど、噂によればその傭兵は既に千の修羅場を乗り越え、ただ一度の失敗もなく、それでいて驕ることなく日々教会に通い詰めているらしい。
その物腰も穏やかと聞いており、アグライアはよもや河原から原石が出てきたかと期待していた。
そして、その期待は良い意味で裏切られた。
(物腰が穏やか? 間抜けか、盲目の言葉だったか。これほどまでに熱く燃えたぎり、寸分の緩みもなく、それでいて自然体のように息づく男がいるとは)
何よりも惹かれたのは、その目であった。
激情。憐憫。絶望。どんな言葉を形容しても似合ってしまいそうな、奥深いその瞳。
その奥を覗きたいと思ったが、あいにく男は、会話の時も目を逸らし気味にする癖があった。
「貴公、話す時は相手の目を見るものだ。私は良いが、王や貴族は許すまい」
「……そうか? すまん、次からは気を付ける」
後日、アグライアは自分の言った言葉を生まれて初めて後悔した。
彼の眼に見つめられると、まるで自分が丸裸にされてしまったような、そんな心地になる。自分らしくもなく、まるで乙女のような恥じらいの感情を覚えさせられ、「見つめ合う」、行為そのものでなくこの言葉だけで胸が苦しくなるようになった。
「すまない。貴公、実は私は目を合わせるのが苦手だから、問題がない場では合わせないでくれると……いや、だがしかし……いや……合わせ……ううむ」
「ええと、どっちだ?」
「……ええい、既にすべて覗かれた身。腹をくくろう。目は合わせてくれて構わない。私が克服すべきであろう」
「克服できるといいな、頑張れ」
ああもう、この男は!!
アグライアはその傭兵が苦手になった。
苦手だが、嫌いというわけではなかった。
付け加えれば、己が隻眼……傷モノであることを、名誉の勲章でなく、初めて後悔した。
「貴公、研究所の所長の席を蹴ったというのは本当か?」
「ん? ああ、なんだかんだアグライアの下のほうが働きやすいからな。よく分からない施設を任されるくらいなら、宮廷騎士団副団長の方がしっくりくる」
「そ、そうか。……そうかぁ。それは、嬉しいがな、聖女様の
お前の下のほうがやりやすいと言ったら、あからさまに嬉しそうにしながら注意してくるアグライア。
なんか前回までと違いません?? 銀髪のポニテは相変わらずだが、嬉しそうにするとピコピコ揺れるのが子供っぽい。お互い良い年のはずなんだけどな。
勘違い、というのがどういう意味かはよく分からなかったが、とりあえず面倒なのでそのままに。
前世よりもより一層上手く立ち回ったからか、国営の研究機関のトップに据えられそうになった。聖騎士団率いたお礼のつもりなんだろうけれど、天下りとか嫌いだし、前回と違う役職につけられて仕事内容が変わるのが面倒だったので蹴った。
謙虚じゃねえよバカ。奉仕精神でもねえよ。マジで違う流れって面倒なんだよ。いやまあ、同じ流れは逆にデジャブが多くて精神的に辛いけど。
あ、魔王? 倒しました。勇者が。毎回同じ感じだしカットで。
あとイリスもちゃんと助けました。大規模作戦のところ。
やっぱりイリスは可愛いし、懐いてくれるちっちゃい子ってのは愛らしい。
今回も前回までと同じく結婚し、新婚らしくイチャイチャしてますとも。
ちょっと俺の趣味が荒ぶったかもしれないけれど、受け入れてくれたからセーフ。いやね、人生何周目になろうとも、男の性の探究心は終わりがないんですよ。
あとは、勇者に結構絡まれた。
人生繰り返す内に少しずつ強くなっているのは自覚してたけど(もちろんちゃんと鍛えたから)、その強さに目を付けられて、バトルジャンキー勇者が「戦おう!?」って絡んでくる。
もちろん、基本的に負ける。それでも少しは保つし、そのぐらい近いレベルで戦える人が少ないらしくめちゃめちゃ絡まれる。
まあ、魔王倒してさすらいの旅に出てくれたおかげで少し静かになったけど。
なんだかんだ、毎回少しずつ流れが違うおかげでやっていけているのかもしれない。
これで全部同じだってんなら、もう一瞬で病んでるだろうし。
まあ、今が病んでないかと問われれば、病んでるんだろうけれど。
「隠し事、してますよね?」
「……」
それでも、いくつかのことは同じ流れになる。もちろん、自分でそれを狙っているんだけど。
前回はここで誤魔化そうとして禁止令が出された。相変わらずイチャイチャしているし、むしろ前回以上に性騎士してるから、お触り禁止令は辛い。
ちゃんと話そう。話して、同じ流れでも、イリスには正直でいよう。
それがきっと、「俺」らしいだろうから。
ひとつひとつ、丁寧に話した。
一度話したことだったから、前回よりもスムーズに話せたと思う。
「……私は、結局忘れてしまったのですね」
「ううん、いいんだ。もう、しょうがないよ。人にどうにかできるものでもない。それでも、俺は何回だってキミを救うし、キミを愛するよ」
「でも、それでは、それではあなたが……!」
泣きじゃくるイリスを俺が抱きしめる。
前回とは反対の役回りだ。
「──俺のことは、もういいよ」
自分でも驚くくらい冷たい声が出た。
俺は、これほどまでに俺を諦めていたのか。
「いやです……っ!」
「何を言っても、変わらないんだ」
「いや、です……。あなたが、救われないのでは、意味が……ッ」
絞り出すような声でイリスは慟哭する。
俺だって、泣いたさ。怒ったし、笑ったし、認めてみたし、諦めてもみた。
でも、何も変わんないんだわ。
もう俺の楽しみなんて、イリスといちゃついて、えっちなことして、快楽に耽るぐらいしか残っていない。
「それで、あなたが救われるのなら……」
救われんのかなぁ。
分かんないけど、それぐらいしか救いがないのも確かだ。
「──っ」
イリスは泣きながらキスをしてきた。
あどけなく、ぎこちなく、舌を絡め、でもそれがどこか妖艶で。
少しだけ、しょっぱかった。
前回は禁止令の分2日ロスがあったから……今回確実性を求めるなら、5日間か。
その間だけ、俺は辛いことを忘れることができた。
「貴公のような性騎士が伴侶では、聖女様は大変だな」
……あ、その呼び方は変わらないんだ?
5日間休暇を取り、その一ヶ月後におめでたの報告をしたところ、アグライアに詰られた。
といっても、軽蔑の色は弱い。本当にイリスを心配している感じ。まあ、四日目あたりからイリス涙目だったしな。でもこれが俺達の夫婦の形だから、どうしようもない。
「その……不躾なことを聞くが、聖女様が身重となって、貴公は、その、溜まったりしないのか。……それだけ旺盛で」
「本当に不躾だな……。まあ、大丈夫だろう。多分」
イリスはもしかしたら、俺とそういうことをするのを負担に思っていたりするのだろうか。流石に、5日間ぶっ通しはよくなかったかもしれない。
俺が関わったせいで、イリスは不幸になっているのかな。なってるんだろうな。何なんだろうな、俺は。
今回、早めに話したことで禁止令はなかった。
でもこれって、何の意味があるんだろう。
こうやって少しずつ、すべての物事が「俺」に都合よく回っていったとして。
俺はそのことに、何の意味も見出だせないのだ。
同じように出会って、同じように救って、同じように愛して。問題ごとだけは回避していって、それって何のためにやってるんだ?
端的に言って、俺って何のために「生きて」いるんだ?
そもそも、これは「生きて」いると呼べるのか?
目的意識も、生への渇望もない。
ただ、「前回と同じように」ということだけを掲げ、円滑に世の中が回るようにしたとして。
そこには何の意味もない。
みんな、「生きる」ために生きている。
でも俺だけは、「前回と同じ」ようにするために生きている。
なんだろう、この、言葉にならない感じ。
……虚無感。言葉にするならきっとそれだ。俺の人生には何もない。
俺だって、生きたい。
でも全部なかったことにされるんだ。何も変えられないんだ。
そう、「生きる」ことってのは多分、「変える」ことだ。
だから、「何も変えないように」生きている俺では、「生きて」いるとは言えないのだろう。
何かを変えて、誰かに影響を与えて、その影響によって誰かが別の誰かに影響を与えて……。そういう、波紋の広がり、影響力、変化の持続、それらが人の生を評価する。
──じゃあ、俺はいったい何なんだ?
*****
6.
気が付いたときには、赤子になっていた。
もう、限界だった。同じ生を繰り返せばいいだなんて、口が裂けても、四肢をもがれても言えないだろう。
一周目33年。
二周目32年。
三周目81年。
四周目81年。
五周目81年。
三百年だ。
いや、最初の2周はまだ内容が違ったからいいか。
三周目から五周目、240年間、同じ生を繰り返した。
確かに、俺は言った。何回だってイリスを救って愛すると。
とんだ大馬鹿だ。
こうして、赤子に戻って、それでも貫けるというのか?
夢物語なら、勿論イエスだ。できるかと問われれば、誰だって最初はイエスだ。
だけど……もう、無理だ。心が折れた。
何の苦労もなく俺が同じ生を繰り返したとでも思うだろうか?
何の苦労もなく傭兵界の伝説になれると思うだろうか?
何の苦労もなくアグライアが呆れるほどの走り込みを続けられると思うだろうか?
何の苦労もなく魔王によって強化された魔物たちを斃せると思うだろうか?
何の苦労もなく勇者と肩を並べる強さを手に入れられると思うだろうか?
もしそう思うなら、素直に死んでほしいと思う。
……おっと、死ねない俺なりのジョークだ。真に受けないでくれ。はは、ジョークになってるかももう分かんねえけど。だって頭働かねえもん。
血反吐を吐く思いをして、その上で周回ごとにトレーニングの方法を改良して、そうしてようやく辿り着けたんだよ。
そんで、その頑張りも全部、死んだ瞬間にガキにリセットされる。
素養としては、何もしなければ平凡な兵士で終わる程度のガキに、だ。
ふざけんな。
やってられるか。
こんなの、俺じゃ無理だ。
何回も言ってるだろう。主人公じゃねえんだよ。折れない心なんて持ち合わせてねえんだよ。それでもここまで頑張ったんだよ。
もう、いいよ。
……イリスは、たすける。
あの大規模作戦のときだけは、忍び込んで、副隊長に化けたやつをぶった斬る。
そうしなければ、そもそも人類が滅びるから。でも、それだけだ。
だって、俺いらねえもん。
勇者がいて、あの戦いをイリスが乗り切れさえすれば、人類は負けない。いらねえんだよ、俺。本当に。
そこだけこっそり助けて、あとはもう故郷でのんびりやる。
疲れたんだ。頑張ったんだ。限界なんだ。いいだろ、そんくらい。
どうしようもなく苦しくて辛いのに、泣きたいのに、涙は一滴として出てこなかった。
きっと人は、一生の内に流せる涙の量が決まっているのだ。
「兄さん、今日は何する?」
「んー、釣りでも行くか」
「いいね! 釣り! 私もやりたい!」
幼馴染のディオネがキャッキャッと喜ぶ。
同い年だけれど、俺の精神年齢のために兄と妹のような関係になっている。奇しくも、イリスと同じように俺を兄呼びしてくる。お兄様じゃなくて兄さんだけど。
イリスが死ぬのは俺が32のとき。それまでに副隊長に化けていた魔物を殺す程度の実力をつけるのは造作もないことで、幼少期はゆっくりと過ごすことに決めた。
「兄さんズルしてない? 場所変わってよ」
爆釣の俺を疑ったディオネがむくれている。場所の問題ではないのだが、可愛い妹分の頼みなら断る理由もない。
「ディオネ、場所じゃなくて釣り方にも注意してみよう。できるだけ、釣り竿に意思を乗せないんだ」
「何言ってるかわかんない!!」
だよね。
俺も何言ってるかわかんない。
長年戦場にいると、武器だの道具だのが自分の身体の延長のように扱えるようになる。
俺はその感覚のまま釣り竿を思うように扱えるが、この感覚を言語化しようとすると困ってしまう。
「なあディオネ」
「うん?」
「平和だなぁ」
「……? あったりまえじゃん」
当たり前じゃない時代が、じきにやってくる。
金が必要だと思った。
大規模作戦に忍び込んだとて、魔物の皮を裂ける得物がなければ困ってしまうから。
そんなわけで、少しずつ体を鍛えて、前世ほどではないが、16になってある程度体ができあがってから、休みの日に傭兵の依頼を受けるようになった。
当然、そんな大口のものは受けない。小遣い稼ぎだ。
ちなみに、ディオネとはもう結婚している。
田舎の村では、結婚しない理由がなかったのだ。年が近くて、仲が良い。家の付き合いもあるし、10頃で話がまとまって、成人した時に初夜を迎えた。
ついでに言えば、田舎は娯楽が少ない。そんなわけで、あとはお察しである。
イリスへの申し訳無さを感じないわけではなかったが、そもそも今回はイリスにはほぼ関わらない予定なのだ。それに、理由もなく拒絶すればディオネや彼女の家族を傷付けることになる。
行為の回数が増えるほど罪悪感は減った。結局、そんなものだ。
白い肌のイリスとは対象的に、ディオネは日に焼け、小麦色の肌が眩しい。方向性は異なるが、肩ほどまで伸びた黒髪と笑顔が愛らしい、可憐な少女であった。
240年間想ってきたイリスへの愛情が褪せるわけではないが、直近の10年間、肌を重ね、互いに助け合い、そばで仲睦まじく過ごしたディオネへの愛情も、ゆっくりと俺の中に根付きつつあった。
終わらぬ休日のような村でのディオネとの日常は、突然の災禍にも見舞われることなく、ゆっくりと俺の心を癒やしていった。
久しぶりに、意識せずとも自由に息を吸えるようになった。まあ、本来当たり前のことなんだが。
その男を初めて見たのは、とある山賊討伐の任務だった。
その山賊は、ある大きな組織崩れの者達によって構成され、討伐にはかなりの戦力が必要と見られていた。
親の地位もあり、自身の実力もあり、あとは何かしらの戦功さえ上げれば宮廷騎士団の副団長の地位を約束されていた私は傭兵向けに出されたその依頼を受け、
「貴公」
その男は、粗末な身なりをしていた。
装備だって貧弱で、周りにも溶け込んでいない様子で──それでいて、その場で一番
強さで言えば、アグライアのほうが上だろう。膂力で言えば、他のいくらかの傭兵たちに劣っているだろう。だけれど、不思議と目を引いた。だから声をかけた。
「貴公だ、貴公」
「……俺?」
ようやく振り向いたその男は、若く、しかし不思議な瞳をしていた。
「……アグ、ライア」
「なんだ? 私のことを知っているのか? ……できるだけ、内密に頼む」
「あー、いや……、あー、うん。少しだけな」
口ごもるような話し方はハッキリしなかったが、話してる最中、目を逸らさないことには好感が持てた。
そして何より、その瞳を覗き込んでいると、なんとも言えない深み、魅力に、少し惹かれるものがあった。
そして、男が山賊の頭領を斃した。
本来は、アグライアが得るはずの戦果であった。
「……アグライア、もしかしてコイツ、お前が倒したほうが良かったか……?」
「私が狙っていたことは認めよう。そして、私以外に勝てる者がいないとも思っていた。だが実際に首を取ったのは貴公だ。胸を張れ」
「えぇ……いやでもこれ、ここで戦果上げてないとお前困るだろ」
男は、ひどく申し訳無さそうにアグライアを窺う。
頭領を討ったという戦果が欲しかったのは事実だが、それは男にとって関係のない話だ。
「……いや、関係なくないんだよ。流れが……、あー、クソ、ミスったな。……この戦果、お前にやるわ。俺、金が欲しいだけだし」
「馬鹿にしているのか……?」
アグライアからすれば、討伐者がその戦果を受け取らないというのは、金銭でなく名誉に関わる話であった。それを譲られるということも、同様に。
が、話をすればするほど、男が名誉へのこだわりが一切なく、また同時に、どうしてもアグライアに戦果を譲りたいという意思を持っていることに気付いた。
「あぁ……もう、分かった分かった。貴公が折れそうにないし、私としても名誉を除けば悪い話ではない。ありがたく、その話に乗らせてもらおう」
最終的にアグライアが折れると、男は心底ホッとした表情を浮かべた。
「その代わり、私からの礼も受け取れ。祝勝会……まあつまり、食事でもどうだ」
「……久しぶりだな」
驚いたような顔をして「久しぶりだ」という男を見て、アグライアは「これだけの腕を持っていてロクに外食もしないのか」と少し呆れた。
それからもしばらく、アグライアは傭兵向けの依頼にこっそりと参加するようになった。目立つ容姿であったため、甲冑なり、仮面なりをつけて隠しながらではあるが。
男は必ずしもいるわけではなかった。本当に、たまに金を稼げれば十分なのだろう。
気付けば、ダフネという女傭兵と三人、出会った時は固まって行動するようになっていた。
「貴公のことはなんと呼べばいい」
「あー……、俺は、誰なんだろうな。好きに呼んでくれていいよ」
「何だそれは? まぁ良い、傭兵殿と呼ぼう。貴公を超える傭兵には出会えなさそうだしな」
「やめろやめろ。大したことねえよ、俺なんて」
アグライアにとって、その男は最高の傭兵であり、頼りになる仲間であり、心を休められる東屋であった。
しかし男は、普段は大海のような落ち着きを見せるくせして、時おり少年のように恥じらうことがあり、それは見ていてアグライアを和ませた。
「アリア」
「なんだ」
「ダフネが呼んでいたぞ」
アグライアは、ダフネと男に「アリア」と呼ぶことを許した。
それは、傭兵としての偽名でもあり、また同時に、二人の仲間へ気を許している証拠でもあった。
そのうちダフネが教会所属の騎士となり、己も教官としての仕事が忙しくなって、三人で傭兵の仕事をこなす機会も少なくなってきた。
そして、戦争が始まって2年目のとある大規模作戦を区切りに、男は姿を消した。
「あなたは、誰なのですか?」
イリスが震えを隠して俺に問うた。
横には一番隊副隊長の服を着た魔物が両断されて倒れている。
そりゃまあ、突然知らない人が仲間を斬って、でもその仲間は魔物でしたってなったら混乱するし恐怖で震えるよな。
それでも誇りを失わないその姿は、やはりイリスは強い人だと俺に教えてくれる。
全部投げ出した俺とは大違いだ。
「俺は、誰なんだろうな」
俺が一番聞きたい。
俺は「俺」か? ちゃんと「俺」をできているのか?
何を失ったら「俺」じゃなくなるのか。何を保てれば「俺」なのか。
「この先に、敵のアジトがある。野戦病院に偽装されているんだ。一旦仲間のところへ帰って、それを報告すると良い」
「あなたは、一体、なぜ……」
なぜ、のあとに続く言葉はたくさんあるんだろうけれど。
ゆっくり、懇切丁寧に、何から何まで説明したら、俺は狂ってしまうだろう。
だから、何も言わないことを選ぶのだ。
「イリス、幸せにな」
「……?」
俺じゃ、もうだめだ。いつかキミを傷付けるだろうから。
それでもただ、幸せを願うことだけは許してください。
「……傭兵殿。貴公は、一体誰なんだ?」
帰り道をのんびり歩いていると、慌てて追ってきたのかそこら中に枝や葉を引っ掛けたアリアが息を切らして問うてきた。
「さあなぁ。俺は、誰なんだろうな」
なんなら、俺は何なんだろうか。
死ぬ度に赤子の頃に戻る存在がいたとして、果たしてそれを人間と呼んでいいのだろうか?
「ダフネによろしく。あと、アリアも行き遅れないようにな。ちゃんと好きな人と結婚してくれ」
「──っ! 傭兵殿、私は……!」
ダフネはどうすんのかね。また何だかんだニケと仲良くなるんかな。
何にしても、あっけねえなぁ。前回までの俺がやりたかったことって、こんな適当でもできちまうんだな。なんだったんだろうな、あの時間は。
「あ、パパやっと帰ってきたー」
「ママがカンカンだよー」
「よーへー? あぶないって怒ってた!」
村へ帰ってきた。遂に、傭兵やってたことがディオネにバレたらしい。やべぇ。
まあでも、許してくれよ。全部終わったからさ。
「──おかえりなさい、パパ」
全部、終わったんだ。
──そしてまた、始まる。
……よし、いい加減向き合おう。
50歳になった。前回までを鑑みれば、残り30年。今回はいつもより鍛えていないから、数年ほど短いかもしれない。
もう、長男の子供、つまり俺の孫も生まれ、俺は田舎のおじいさんをやっている。長男はディオネが20の時の子だからなぁ。その後更に3人生んでもらったわけだが、それはまあ、イリスの場合は一人しか生んじゃいけなかった分の反動と、田舎の爛れた性生活のせいだと思う。精神年齢は、肉体年齢の前には簡単に膝を折った。おじいちゃんなんだけどな……。
いつの間にか村の教師的な役職についた俺は、安定した生活を送っている。おかしいな、我が家は代々農家だったと思うんだけどな。畑は長男に譲りました。
さて、こうした村でのゆったりとした生活は、今までの周回と内容が違って新鮮だったというのもあるのだろうが、俺の最底辺まで落ち込んでいたメンタルを癒やすのに非常に役立った。
いや、一時期は自己同一性とか、人間の生きる意味についてまで思いを馳せていたからな。やべえよ。人間、メンタル落ち込むとどこまでも混沌に染まれるよ。
精神疾患の患者に対して田舎の自然の中で療養というのはたまに聞く話だが、あながち間違いではないらしい。
とりあえず、この抜け出し方の分からない死に戻りループに対して、少し真面目に向き合う気力は湧いてきた。
まず、この超常の力に対して剣で対抗というのはナンセンスだろう。超常の力に一番近いもので俺がよく知っているものと言えば、魔法しかあるまい。
だから、魔法的な観点から死に戻りについて考察してみるべきだ。
聖騎士になるため勉強していた頃を思い出せば、人間というのは「肉体」、「精神」、「魂」の3つによって構成されているらしい。
肉体は、言葉通り身体のこと。まあ、どこまでが肉体なのか、切り離した身体は肉体なのかってのは難しい話で、今も論争や実験が盛んらしいけれど。
精神は、人格の部分だ。肉体だけならば、生者も死者も変わりない。散々上下した俺のメンタル、それこそが精神と呼べるものだ。
そして、魂。あるいは意思と唱える人もいる。魂には性格や思考は無いらしい。ただその人の中核をなす部分。その人がその人であると証明する核の部分、というのが通説だ。意思と思考って違うんかね。魔法を扱うための魔力は、魂に付随しているらしい。
たとえば、イリスを殺すための「とっておき」と呼ばれたあの魔法陣は、その魂に何らかの妨害を行ったのだろう。思考をする精神と、魔法を行使する魂の連携を解除したり妨害したりとか。
そして、3つの構成要素の関係として、魂が肉体に宿ることで精神が生み出されるというものがある。
そのため、その存在が生き物として活動する上では、精神の部分が重要視される。また、肉体が無ければ精神を保護する場所がなくなるから、生命活動に肉体は不可欠だ。
一方、生き物が死んだ後は、肉体は放棄され、魂だけが別の場所へ行くとされる。そしてまた魂が別の肉体へ宿り、生命活動を終えるまで一つの生き物として振る舞うのだ。
どれが本質か、というのは難しい話だ。実態は漂うだけの魂を本質と呼んでいいのか。しかし、魂がなければ肉袋でしかない身体を本質と呼んでいいのか。生きている間は中心部分ではあるけれど、魂と肉体なしには存在し得ない精神を本質と呼んでいいのか。
俺の場合は、乖離した魂が何故か過去の肉体に宿っている。
時間関連の魔法は……分かんないっすね。駄目じゃん。
とりあえず、3つの構成要素にはたらきかける方法を知るべきかもしれない。
今まで全然気にしてこなかったけど、イリスに使われたあの魔法陣やばくない? 明らかにぶっ壊れ技術だよね? 設置型だけど、設置したの魔物じゃなくて古代の人々の可能性が四捨五入しても残る?
どうにかして調べたいけど……今回は、イリスを助ける前に念の為って壊しちゃったんだよな。俺のバカ!
……認めたくないが、もう一回死に戻る必要がありそうだ。
寿命までに、今回は色んな書物を読んでおこう。特に、時間関連と、3つの構成要素関連のものを。
*****
7.
気が付いたときには、赤子になっていた。
……よし、切り替えていこう。赤子の時間は、すべて思慮に回す。
俺ほど真剣な表情でお乳を吸う赤子もいないと思う。
自己嫌悪しそうになるのが、心のどこかで、次はイリスとディオネどちらを妻とするべきかと考えている自分がいるところだ。
ディオネと共に一生涯を終えても、イリスへの愛情は無くなることがない。あれだけ辛くて苦しい思いをして、その先でようやく結ばれる相手だとしても、だ。
けれど同時に、近しい思い出というのはそれだけ鮮やかに蘇る。イリスのような絶世の美とは種類が異なるが、ディオネもまた可愛らしく、男性の欲を十分に満たす魅力があり、また彼女だからこそ与えてくれる安心感がある。
そして、二人の魅力的な女性と、俺は選択によって結ばれることができる。できてしまう。選択肢があるということは、流されることができないという意味だ。
俺は俺自身の意思で、互いに愛し合った過去のある、大切な女性を選ばなければならない。……いや、彼女たちだけの話じゃない。その子供も、その孫も。俺はその顔を知っているし、ひとりひとりの性格をよく覚えているし、名前だって考えるために何日も費やした。
片方を選ぶということは、もう片方をすべて捨てるということだ。子供たちの場合、存在を消し去ることに等しい。
「……まあ、去勢でもしろって話なんだが」
そんなクズのような選択をするくらいなら、そもそも選択肢を一切選ばなければいい。
俺は、一人で生きていくことを決めた。
精神が老熟したって、肉体が若ければ、ホルモン諸々の関係で性欲は生まれる。
だけど、そんなもん娼婦にでもぶつけてりゃあいいのだ。
娼婦を抱くのは実は初めてだ。一、二周目は童貞、そのあともイリスかディオネのどちらかだけとしかそういうことをしなかったから、最初だけ緊張した。
が、まあ行為自体は慣れているもので、最初にそういう場所に慣れさえすれば、それ以降は特に困らなかった。
今は、傭兵として戦場に身を置いている。
村にいればディオネと結ばれることになる。俺が一人で生きていくために手っ取り早いのは、村を出て、その上でイリスと出会わないよう聖騎士団に入団しないことであった。
「……んで、どうしてこうなった」
「あん?」
気が付いたらダフネと関係を持っていた。
お酒と若さって怖い。おじいちゃんはやくおじいちゃんになりたい。
どうして性欲を増やす魔法はあるのに抑える魔法はないんですか? 必要性? なるほど、ブチ切れそう。
「ああそういや、ダフネ、聖騎士団合格おめでとう」
「いやー、どーもどーも!」
「それで、聖騎士団って一般人に酒と魔法使ってヤることを推奨してんのか? ぁあ? それとも合格したのは性騎士団か?」
「逸般人相手なら問題ねーだろ」
あるわバカ。いやあるのかな。どうなんだろう。
身元も怪しいような俺に、お酒と魔法の力をちょっと借りて抱かせて、果たしてそれはアウトなんだろうか。
「細けぇこと言うなよ。傭兵なんて、ヤッてない男女パーティーの方が珍しいって言うぜ?」
もっと自分の希少価値を大事にしよう。それはもう立派なステータスだから。
決して、関係を持ったから付き合うとか、結婚しろとか、そんなつもりはないのだろう。でも逆に、そういう関係のままという方が不健全な気もするが。
というか、コイツこんなホイホイ男と寝るタイプだったのか。もっと身持ち固いかと思ってたんだが。
「……今はアンタとしか寝てねーし、他のやつと寝る予定もねえよ」
相棒に裏切られた気分で沈んでいる俺に、プイとそっぽを向きながらダフネは言った。
……まあ、俺も溜まっていたから正直助かった面はあるが。それでも相棒がすぐ男と寝るやつっていうのは、あまり良い印象でない。……娼婦を抱くわ、死に戻りとはいえ別の女性と結婚するわ、そういう意味では俺もロクなやつではねえか。人のこと言えた立場じゃなかった。
「あーもう、わっかんねえやつだな!? 分かったよ、他のやつとは寝ねえし、アンタとアタシは仕事上の、性欲を処理し合うだけの合理的な関係だ。それでいいだろう?」
何が良くて何が悪いか分からなくなって、「仕事」という傭兵の弱い言葉を出された俺はつい頷いてしまう。
仕事なら仕方ない、そういう思考回路に染まってしまっているのだ。
「……アンタは、こんな、顔に傷跡ある女抱いて気持ち悪くねぇのか?」
「別に、ダフネは顔に傷あっても綺麗な顔してんだろ」
「……そういうところだから」
そういうところらしい。
「……それで、傭兵殿は我らが聖騎士団の団員と爛れた関係にあると聞いたが」
「……事実無根です」
ビジネス的な関係であって、爛れてはいないです。多分。四捨五入すればきっと。
アリアとは、前回とほぼ同様の出会い方をした。
山賊の手柄の下りは面倒だったからそもそも参加しないでいたが、別の依頼で被った。あなたそんな傭兵の依頼受けてたんですか? 騎士団の仕事しようよ。
「その事実無根の乱痴気騒ぎに誘われた私はどうすればいいと思う?」
「……高級な食事処で話す内容か、これ」
「ほう? つまり貴公は、続きはベッドの上で話そうと言うわけか?」
タスケテ!!(絶叫)
つかなんであのアホ相棒はアリアに声掛けてんの? 上官だろ? 上官にセフレ紹介とかやっぱお前性騎士だろ。いやバカだろ。
アリアもいつになくイライラしているのが分かる。そりゃそうだ。誰だってそうなる。俺だってそうなる。
前回がわりと友好的な関係を保てたから、より一層、その前の罵倒されまくっていた頃を思い出して胃が痛くなる。
アリア! 自分を取り戻して! 闇に飲まれちゃ駄目!
「ところで、貴公は酒に弱いと聞いたが、本当だろうか?」
「……ぁ、うぇ?」
薄く微笑むアリアの顔を最後に、俺の意識は闇に飲まれた。
目が覚めたら、ダフネを合わせて3人で宿屋にいた。
「……」
あのさあ。
「……どうしてこんなことをしたんですか?」
「ん? まあ、ストレス発散だ」
ウソつけ。あんた、前回とか前々回はこんなん必要なしにメンタル管理できてたでしょ。
「貴公と関わることで生まれるストレスがあるからな」
何だそれ。関わらなきゃええやん。
「そういうところだぞ」
そういうところらしい。
しかし、ダフネの言う通り一人で貴公の性欲に応えきるのは難しそうだ、とアリアは笑った。そのダフネは横でバカみたいに口を開けて眠っている。
もう、仲間二人と関係を持ってしまったことに関しては気にしないことにした。……元々大して気にしていなかったのかもしれない。もはや、それだけの情動が残っていなかったから。
最近は、もっぱら煙草を手放すことができなくなっている。
『あなたは、他の男性の方のようにお酒や煙草はしないのですか?』
『もちろん、イリスと長く一緒にいたいからな』
煙草は嫌いだった。
他にも、酒は弱いし、ギャンブルは苦手でむしろ安定を選んだし、女だって抱かなかった。
「……イリス」
「女二人を横に侍らせて、他の女の名前か?」
そんなんじゃねえよ。
ただ、煙草を吸ってる時は、幸福な思い出が鮮明に蘇る。
あの頃は、いつかこいつを泣かすってキレ散らかしてたっけ。まさかこんな関係になるとは思っていなかったし、泣き顔も散々見たから恨みは残っていないけど。
アリアの強さはハリボテだ。ちょっと虐めてやればすぐに泣き出す。事後は平気そうな顔でこうしてジョークも言えているが、数刻前の表情を思い出せばその喧嘩を買う気にもならない。
しかし、国の騎士団員が二人も、こんなどこの馬の骨ともしれない男と寝てていいんですかね。うちの国の治安が心配だよ俺ぁ。
「別に、不特定多数を相手にしているわけでもあるまいし、さほど問題にはなるまい。それに貴公は、馬の骨と呼ぶには名が売れすぎているぞ」
裏での話だろそれ。
世間一般から見たら、ただのくたびれたオッサンに違いない。まだ30いってないけど。オッサンじゃないけど。
「しかし、騎士団の話、本当に良いのか?」
「あぁ。俺は魔王討伐にはほとんど関わる気がないし、俺がいなくても勝てるさ」
ほとんど。イリスの時以外は。
そうだな。こんなにやる気が湧かねえのも、俺が誰でもない存在だからだと思う。
勇者みたいに替えの効かない立場なら、使命感ってやつに酔えたのだろうが、あいにく「何をしても大勢に影響がない」せいで、何でもできてしまう。いざなんでもしていいよと言われてみれば、人は途方に暮れてしまうものだ。
「……そうか。実は今日は、貴公に別の話を持ってきた」
「別の話?」
どうやら、どこかの回で俺が所長に据えられかけた研究所が、このタイミングで設立されていたらしい。
アリアは、俺が魔法関連の研究をひとりでしていることを知っている。隠していないしな。だがそれは個人でやるには限界があるし、人事に捩じ込んでやるから、傭兵などやめて研究所員になったらどうかという話だった。
「しばらくは戦争技術の研究をさせられるかもしれないが、空いた時間や戦後ならば個人的な研究もできるだろう」
渡りに船であった。
いくつかの確認ごとをし、書類を作り、俺に研究所の一席が与えられることが決まった。
歴史を知っている側からすれば、5年ほど我慢すればその後は戦争も終わり、自由に研究できることが分かっている。
少し前に進んだという実感があったからか、煙草の本数も半分程度に減った。
そして、俺は死に戻りで初めて、わざとイリスを危険の一歩手前まで晒させた。
イリスが野戦病院に連れ込まれ、魔法陣が発動させられるその時まで隠れていたのだ。
もっとも、魔法陣を発動させた後の魔物たちはヘラヘラと油断しきっているし、イリスが泣く前に助けることはできたと思う。
「どなた、なのですか?」
「ええと、通りすがりの学者です」
研究所員だしな。間違ってねえだろ。所属は言えないけど。
呆けるイリスの傍ら、俺は魔法陣を記録すべくそこらを歩き回った。光っているから見やすいが、模様ひとつさえ見落とすことのないようじっくりと。
クソデカ魔法陣を全て記録する頃には捜索隊が近くまで来ていたから、こっそりと消えるようにその場を去った。
死に戻りを終わらせるために死に戻ることを利用しようと考えれば、肉体の研鑽にはさほど興味が持てなくなった。
持ち越されているのは知識だけだ。それは、記憶という意味でもあるし、戦闘技術という意味でもあるし、詠唱技術など魔法への理解も含んでいる。
もちろん、戦闘技術なんかは知っていてもすぐできるわけではない。ある程度体が思考に反応するまで慣れさせる必要もある。
必要な強さは、三周目のときくらいであれば十分だ。ニケみたいな脳筋バケモンにはまったく勝てないけれど、世の中の荒事や危険な生き物を相手にしても困らない程度の実力。
あとは、ただただ実験に費やした。過去の論文を読み漁り、他人の研究分野の話を聞き、最新の研究をしている人物を尋ね、虱潰しに検証と考察を繰り返す。
天才的な発想もない。奇跡的な結果も得られない。失敗に次ぐ失敗を重ね、時には「失敗という結果を得られたのだ」だなんて風に自分を誤魔化しながら時間を溶かしていく。
研究生活をすれば、基本的に昼夜の感覚を失う。ときたまダフネやアリアに誘われ飯を食べ、流れるように宿屋に行く。その時だけは、相手に合わせて朝に宿を出るから、体内時計がリセットされたような気分になる。
魔王が討伐されたと所長から聞いて思ったのは、とりあえずこれで戦いのための研究以外にも資金が回されるだろうから、俺のやりたい研究も進むだろうな、といった実に冷めたものであった。
いやまあ、知ってるし。とりあえず、しばらく寝よう。
このとき抱えていたのは、一種の開き直りである。もはや、一生涯分ごときの研究で、今の俺の問題が解決するとは微塵も思っていなかった。
仮に時間遡行ができなくても、記憶を持った精神を新しい肉体に移行できるようになったら、それこそ革命が起こる。そんなことすら人類には到底できないだろうし、俺のような非才の身で何か分かるとも思えない。
それでも、俺は死に戻れる。仮に死に戻らなくなっても、それこそ俺の求めているものだ。ともかく、知識を集め、奪えるだけのものを全てここから吸収して、次の周回に繋ぐ。
それは、ある意味で俺にとっての生の希望であった。
知識が増えるということは、明らかに俺自身が「変わって」いることを示している。
たとえ、誰のことも、何もかも変えられないとしても、俺自身のことだけは俺にも変えられるのだ。
「変える」ことこそが「生きる」ことならば、俺はそこに生を見出せる。
7度の死に戻りを経て俺が出した結論はそれであった。
浅ましくも人間らしい「生」への執着は、中々無くならなさそうだ。
魔王が討ち倒されて、数ヶ月経ったある日のこと。
「貴公は、結婚は考えていないのか?」
「……は?」
思わず素の声が出た。
今日は、爛れた感じではなく、アリアと二人で普通に食事をしている。
結婚なんて言葉がコイツから出てくるとは思っていなかったから、こぼれ落ちた煙草の灰が手にかかる熱さも忘れて見つめ返した。
そして、何かと思えば逆プロポーズである。
「ふざけんな、俺みたいな一般人がお前と結婚なんてしたら、その前にそっちの家に消されるわ」
「……いいや、問題はない。そのために、研究所に所属させたのだからな」
な、所長殿? と、アリアは愉しむような目付きでニッコリと笑みを作った。
「……ダフネが黙ってないだろ」
「私は寛容だからな、第二夫人も認めよう。……と言うか正直、私と貴公で面倒を見ないと、あのバカはすぐに死ぬのではないか?」
それは確かに……。まあ、前回まではニケと旅に出て元気にやってたみたいだし、死ぬことはないんだろうけど。
「ダフネのことも、家のことも気にしなくて良い。私は貴公の意思を聞いているのだよ」
俺の、意思。
だったら、俺はひとりで生きていくと決めたのだ。
アリアとの関係も、ダフネとの関係も、そこらに転がっているものと同じく、よくある体だけの付き合い。
不潔で、不信心で、純粋さとは対偶にある、汚い大人の関係。
それは決して、縋り付くものではないはずだ。
「……ほう?」
アリアは聞いているのか聞いていないのか分からない返事をする。
そこには少しの余裕が見て取れて、俺は自分が劣勢にあることを知った。
「それでは、良いのだな? 貴公だけが知っている私は、どこの馬の骨ともしれない愚物に穢されることになるだろう」
「……別に、元々穢れのないものでもないだろう」
「ふふ、そうかもな。では貴公は、私の体も、地位も、権力も、……そして、情けのない泣き顔も、すべて他の男のものになっても構わないわけか」
……久しぶりだな、この感じ。端的に言って、クソアマらしさが。
このクソアマは、自分の武器を分かっている。隻眼なんて気にならないぐらいの美貌を自覚している。キツい軍服では隠しきれない豊満な肉体を、それが男にどれだけ価値のあるものかを理解している。
「そうだな。普段カッコつけてるクソ団長殿が、安宿のボロいベッドの上で何度も晒してきた恥ずかしい姿も、涙を浮かべて喘ぎ声混じりに休憩をねだるサマも、全部知られちまうわけだ。可哀想に、同情するよ」
「クク、いつになく饒舌ではないか? その涙声に堪えきれずに何度も暴発した早漏殿は誰だったかな?」
「気になるな。お前の辞書では、早漏殿が果てるまでに二度は達する淫売殿のことをなんて呼ぶんだ?」
なお、個室なので好き放題汚い言葉を吐くことができる。
流石に公衆の面前で下ネタを漏らすような真似はできないからな。特にコイツは立場があるし。
「気になるか」
「研究者ってのは、知的好奇心が旺盛なもので」
「──アグライア、と呼ぶ。定義は『貴公のことが愛おしくてたまらない女』だ」
……。
……いや、あの。
「どうした。強がりは
「……よくもそんな、恥ずかしいことを堂々と」
「勿論、恥じ入る理由がないからだ。貴公は愛するに足る立派な人物だ。……フフ、色々な意味でな」
「下ネタかよふざけんな俺の純情を返せ」
完全にしてやられた。実際、アリア自身もしてやったりという顔をしている。
流石に、こうもまっすぐ愛情をぶつけられると困ってしまう。
「年甲斐もなく、どこぞの所長殿に乙女のように恋してしまったせいで、私は売れ残り寸前だ。責任をとってもらわねば困るな」
「バカお前そういうのはズルじゃん」
「焦ると口調が子供のようになる貴公も好きだぞ」
……あーだめだ。勝てるビジョンが浮かばない。
結婚は人生の墓場っていう人がいるけれど、よく分かる。このクソアマ、俺を墓場に埋めに来ている。確実に殺す気マンマンである。
というか、なんだ。いつからこんな好感度を稼いだ。お前昔から俺のこと大嫌いだっただろ。どうしてこの周回だけ好感度が高い。
寝たからか? 一緒に寝たから好感度が高いのか? 大丈夫? そのうち変な人に騙されない?
「折れたいが、一縷の望みに賭けて逃げ道を探しているといったところか」
どうして分かるんですかね。
「仕方がない、本当は卑怯だから言わないつもりだったのだが、最後のひと押しをしてやろう」
タスケテ!!(絶叫)
アリアは、いつものような挑戦的な笑みは浮かべていない。慈愛に満ちた、優しい微笑みを浮かべている。
……あの、どうしてお腹をゆっくり撫でていらっしゃるんですか?
ご飯、美味しかったね。
「娘と、息子……どちらがいい、旦那様?」
……俺との約束だ。若い子のみんな、避妊はしような。
相手が大丈夫と言っても関係ない。ちゃんと薬飲んでるからと言われても関係ない。
追い詰められた時、弱いのはこちらだ。
逃さぬよ、とカラカラ笑うアリアに、俺は降参の意を込めて両手を上げた。
「──分かった。幸せにするよ、アリア」
「その言葉だけで十分幸せだよ、旦那様」
「いや、アタシはいいや」
「いいのか? 私はずっと三人でいたかったのだが」
「ニケ……勇者に、誘われてるんだ。しばらく旅に出ようと思ってんだよね」
「そうか……」
アリアが、身近な人物でなければ気付けない程度ではあるがしょんぼりとする。
ダフネにこの間の話を持っていったところ、キッパリと断られたのだ。
ダフネにとっては、仲間は仲間、体の関係は体の関係と割り切っていて、そこに恋愛感情はなかったのだろう。ちょっと自分のモテ期を疑ってたから、変にショックを受けてしまっている。俺のバカ。
それにしたってニケとの旅を優先するのは少し奇妙な気もするが、あの二人は最終的にかなりソリが合っていたみたいだし、きっと一心同体みたいな何かなんだ。多分。女性同士だけど。
「いや、男同士の恋愛もありますし、女同士の恋愛もありますねぇ」
「マジで?」
思案していたら、研究所の職員が教えてくれた。
どちらもそう多い例ではないが、ゼロではないらしい。
そうか、俺は普通……いや、この考えがいけないのか。俺は異性が好きだから、今までもイリスやディオネ、そしてアリアと結婚することに何の違和感もなかった。けれどそれはたまたま女性を選ぶ傾向にあっただけで、「女だから」選んだわけでなく、彼女らと過ごして、これからも一緒にいようと思ったから選んだのだ。
「所長は受けですかねぇ」
「……は?」
それでも、用語が難しいのでこれ以上深く知る機会はないかもしれない。ただでさえ魔法とか歴史とかの知識で頭パンパンだからな。
「愛って、なんだろうな」
「哲学ですねぇ」
けれどそれは、死に戻りの解明には不要なものだ。
愛で解決する問題なら、イリスがすべてを忘れてしまったことに俺は納得ができない。
もしも、それを「何かが足りなかった」と言うやつがいたら、俺がぶん殴る。イリスの願いは、意思は、立派で尊いものだった。
そういう問題ではないのだ。
人の意思はあらゆるを変えうるかもしれない。
人の願いはあらゆるを救いうるかもしれない。
人の呪いはあらゆるを殺しうるかもしれない。
でも世界は、それだけじゃない。
分かりやすい希望に縋ってはいけない。それは美しく見えるかもしれないけれど、美しいだけだ。
きっと、世界はもっとどうしようもない。
どうしようもないからこそ、美しいものが映えてしまうのだ。
「とまあ、そんな話を研究所でしたわけだ」
「愛とはなにか、か。……ッフ」
同性愛あたりの話までをアリアに伝えたら、目を荒ませながら鼻で笑われた。
なんだよ。
「貴公は元傭兵、私は軍人だ。当然、お互い人を手に掛けたこともあるだろう。愛について否定的なわけではないが……、人殺しが愛について思索するのは、どこか滑稽でないか?」
まあ、それは思うけど。
人を殺して、人を憎んで、人を制する。いつの時代も禁忌とされるその行為は、しかしいとも簡単に行われているし、俺も何度も経験している。
言ってしまえば、俺達の手は穢れている。毒を吐くこの口は呪われている。それらにどこかで理由をつけて是としてしまう心は薄汚い。
そんなものを抱えた人間が、同じ手で誰かを抱きしめ、同じ口で好きだと謳い、同じ心で愛を感じる。
その矛盾じみた怪奇さを疑う気持はよく分かる。
が、ここは400年生きたおじいちゃんとしてアドバイスをしておこう。
「そもそもが間違ってるんじゃないかな。愛だって、そんな綺麗なもんじゃないんだよ」
人は、自分の好きなものには美しくあってほしいと望む傾向にある。あるいは、なんらかの価値を秘めていてほしいと望む。
愛に付属してくるのは、勿論それだけじゃないけれど、幸せの色が多いだろう。
自分を幸せにしてくれるものを嫌えるはずもない。だから人は、愛を好むし望む。
俺が世界をどうしようもないと思うのは、そういうところだ。
諦観ではない。むしろ逆だ。
どうしようもない「愛」を、人は受け入れられるのだ。
ならば、同様にどうしようもない「世界」だって、人は受け入れられるのだろう。
落ち込んでいた心も回復して、このくらいの希望は抱けるようになった。
死に戻りを終わらせるそのとき、笑顔で「愛してるぜ世界」くらいのことは言ってやろう。
「……だがその研究員は分かっていないな。旦那様はどう考えても攻めだよ」
「やっぱ勝つのは気持ちいいんだよ」
「ああ、これは今夜も沢山負かされそうだ」
「……結局、研究していたことにはケリが付いたの?」
白いベッドに横になったアリアが、そういえばとでも言いたげに問うた。
軍を退役してからかは忘れたが、昔を思い返せば口調も随分丸くなっている。
研究所で研究をすることができて、俺の知識は非常に深まったと言っていいだろう。特に、禁書指定されているものも読ませてもらえる立場であったことがでかい。
しかしそれでも、死に戻りに関する謎は分からず、むしろ深まるばかりであった。
研究に付随して判明した理論などをいくつか論文にまとめている内に一端の研究者らしくはなっただろうが、周囲の天才達と比べられると少し肩身が狭い。
話が逸れるが、特に生理学分野の発展は目覚ましかった。俺達の肉体の設計書、ゲノムという考え方が生まれたり、魔物や人体を解剖することで、その類似点や進化系統などについて多数の予想が打ち立てられた。
もしかしたら前世の時も同じ発見がされていたのかもしれないけれど、あの頃は脳筋だったので研究者という生き物のやっていることをよく知らなかった。
「……俺が研究、してたことなんだけどさ」
最後だから、俺はアリアに死に戻りについて簡単に打ち明けることに決めた。
それは、死ぬ前に余計な心労をかけてしまうかもしれないけれど、彼女には話しておきたいと思った。
「死んで、赤子の頃に生まれ変わる……いいわね、私もそうなってみたいわ」
「そんないいものじゃないさ。何をやっても、みんなに忘れられてしまうんだ」
「そう? 私が生まれ変わったら、次はダフネを絶対に逃さないわ。あとはあなたをもっと早く掴まえて、三人で楽しく過ごすの」
楽しく、か。
俺も今回、結構楽しめたと思う。隣にいたのがアリアだったからなのか、打ち込むものがあったからなのかは分からないけれど。
だけど同時に、「今回」だなんていう風に考えてしまう自分に嫌気も感じる。
今までの、辛かったり、楽しかったりする周回があって、そしてこれからも、今まで以上に繰り返すことになるのかもしれない。
それはやっぱり、楽しいという言葉では纏められないものになるだろう。
もしかしたら、次の回でまた心が壊れるかもしれない。
できることをやり尽くして、手詰まりになってしまうかもしれない。
そんな風に未来(過去?)を憂いていると、アリアがわざとらしく不満げな声を出した。
「でも、半分以上イリス様に捧げたなんてひどいわ。次の生まれ変わりは、また私と共に過ごしてくれるんでしょうね?」
「……」
か、返す言葉がねえ。
というか、俺的にはイリスにもディオネにも、アリアにも申し訳無さを感じるわけでして。
「……冗談よ、そんなに困った顔をしないで。分かっていますよ。あなたは今度こそ、誰とも関わらないで生きていこうとしているのでしょう?」
「……そんなに分かりやすいか?」
「そういう人が好きなのよ、私」
……相変わらず、今回のアリアはデレデレで反応に困る。
これでも慣れてきたほうだけれど、彼女に直接愛情をぶつけられると俺は弱い。
まあ見た目で言えばすっかりおばあちゃんだけどな。でも、銀髪は白髪に変わって綺麗に生え揃っていて、眼光の鋭さだけは若い頃のままだ。
次の死に戻りのあとは、本格的に誰とも関わらないで研究生活に明け暮れるつもりだ。
傭兵になると、酔ったところをワンチャンされる。酩酊状態では理性が働かないから、そうなってからどうこうできるとは思わないほうがいいだろう。
兵士でも、傭兵でも、騎士でもない。普通の学者として、どうにか研究所に所属させてもらおう。まあ正直なところ、整った形で今回研究で判明したことを提出すれば雇ってもらえるんじゃないかと思っている。ずるいけどな。知ったことか。
イリスを救うために最低限鍛えなければならないが、そこは本当に最低限だ。
正直に言えば、気持ちいいことは大好きだ。今回のように美女二人と同時に、なんて場を得られることは、普通の男から見ても奇跡のようなことだったのだと思う。
そうやって色んな女性と寝ることを経験して、プレイボーイみたいに自由に女性をとっかえひっかえ、あるいはまとめて抱いてしまえるようになったとして、きっとその状態になった後であれば、俺は有頂天になってその幸福を享受するのだと思う。
教会へ行って背徳感を得ながらイリスを抱いて、田舎に帰ってはディオネと行為に明け暮れて、時間が空いた時にはダフネとアリアを呼び出して宿でお盛り三昧。そんな状況を生み出すことすら可能なのかもしれない。
だけど、俺は、そんな俺のことは嫌いになると思う。
イリスと結ばれた俺も、ディオネと結ばれた俺も、あるいは童貞のまましがない兵士Bとして戦場で死んだ俺も。快楽を貪るだけの存在になった俺のことを、みんなして白けた目で見つめるだろう。
だって、気持ちわりいよ。
どんな過程を経ても、誰を選んだとしても、俺は自分に胸を張れる俺でありたい。
今までのことは無駄じゃなかったって納得して、このクソッタレな終わらない人生を終わらせたい。
だから、俺はひとりで生きていこうと思う。
「ひどい人よ、あなたは」
「……うん。すまん」
俺もアリアも、カラカラと笑っている。
もう笑うしかないのだ。
「でも、私はきっと、どのアグライアと比べても一番幸せね。あなたに一番愛してもらえたのですから」
そりゃよかった。
俺も、アリアのおかげで笑い方を思い出せたよ。
ありがとう。
「……愛しているわ。私の、旦那様」
「……あぁ。俺もだよ」
……そういえば、見送るのは初めてだったかなぁ。
みんな、こんな気持ちで俺のことを見送ってくれたんだろうか。……いや、俺はまた戻るし、少し違うかもしれない。
それでも、「アリア」との時間はこれが最後なのだ。
「……眠ったのかい? ……おやすみ。本当に、ありがとう、アリア」
そういえば、俺が死に戻るのは死んだ後のどのタイミングなのだろう。
死んだ後っていうか、死に瀕したときっていうか、詳しくは分からんけど。
そんな事を考えながら、アリアの死を確認して、一言呟いた。
「──
そうして、俺の頭が破裂した。
*****
8.
気が付いたときには、赤子になっていた。
……いよし、体が痛覚処理する前に死ぬの、痛くなくて楽でいいな。
普通にナイフとかで首かっ斬ろうかと思ってたけど、こっちの方が絶対いいわ。
結局、研究の進捗はほぼゼロなんだよな。とりあえず赤子のうちは、学んで覚えたことを復習していよう。
黙々と、脳内で前世の内に覚えたことを反芻しては、基礎理論から導出するまでを練習するなどして時間を使う。
8周目ともなれば、授乳はそんなキツくない。あれだ、単純作業だと思ってやればええんや。恥もクソもない。クソは流れ出るが。
しかし……、あーやっぱ赤ん坊ってすげぇなぁ。人間50越すと駄目だわ。全然頭回らん。そしてガキの脳味噌はマジ優秀。
基本的に、頭の回転する速さってのはどんどん低下していく。20代頃まで自分の脳が発展しているように感じるのは結構勘違いがある。
勿論、学ぶことで筋道立った考え方を知れるし、それによって思考の整理、高速化はできる。知識が増せば考えられることも増えるから、2〜30代くらいまでは思考力ってのは上がるように感じられる。
が、既に知識を持った身であれば別だ。子供の頃のほうが頭がはたらく。
そういえば記憶って脳に物理的に依存してるらしいけど、死に戻りで記憶引き継がれるのはどうなってんだ? 「精神」か「魂」にも記憶を残す機能があるのか?
今回はそこらへんも調べてみたら面白いかな。時間があればだが。
あとは、多少色々学んで批判的思考にも慣れたから思うようになったが、この現象を解決する最大の鍵は、その始まり方と終わり方にあるだろう。
言ってしまえば、生まれた時と死んだ時だ。しかし命がいつ始まりいつ終わるかというものはひどく曖昧らしいし(知り合いの医者に聞いた)、人によっては胎児の頃の記憶を持って生まれる者もいるらしいから、俺が産後の状態に死に戻っているのはなにか意味があるのかもしれない。
それに、死んだ後すぐに戻っているという保証もない。ゆっくりと体の器官が動かなくなっていく感覚はよく覚えているが、明確に死に戻った瞬間を感じたことはない。だからもしかしたら、俺の死後100年くらいして人を生き返らせる研究でも始めたマッドサイエンティストがいて、たまたま検体に俺を選んだのかもしれない。……まあ、一周目の死に方から考えればその線は薄いだろうが。
とまあ、考えなければならないことは山ほどある。
だが頭の中でできることは仮説を列挙することだけで、実際にどうなっているのかを考えるには、やはり実験を基盤とした生命や魔法への理解が必要だろう。
「兄さーん、あそぼーよー」
「まてまて。いま論文書いてるところだから」
「またそれぇ? なにが楽しいのか全然わかんない」
俺もわかんない。
まあ、楽しくはないですよ。基本的に辛いっす。
俺の手元には実験データなんてないわけだから、十分な論拠となりうるものは、基本論理から順に話を追っていって導き出される理論でしかない。とりあえず研究所に入るまではこうした理論によるアプローチしか取れない。
そして、大して来歴も立場もはっきりしていない人物が提出する論文というのは、少しでも体裁が整っていないだけでゴミ箱行きだ。まあ精査・精読する側も大変なのだ。
俺が少年と呼べる程度まで育って初めて親にねだったのが紙とインクというのは、彼らからすれば奇妙なものだろう。俺も親になったことはあるから容易に想像できる。
でも俺は馬鹿げた記憶能力とかは保持していないから、こうやって覚えている内に色々と書き出してしまうほうが良いのだ。今ならまだ、過去に書いた文をほぼトレースする感覚で書けるしな。
俺の背中にグリグリ頭を擦りつけてくるディオネに微笑ましさを覚える。
まだ、小さな少女だ。それでも、一生涯分愛した時間の影響は強く、時々無性に抱きしめたくなることがある。
だけど、駄目だ。一度甘えてしまえばきっと、愛することの心地よさを思い出してしまう。
ディオネにとって俺は、小さい頃よく一緒にいたお兄さん、で終わらせなければいけない。
「聞いたか、例の話」
「ええ。ですがまあ、もう何を聞いても驚きませんね」
その日、スクールの学生達、いや教員たちも含め、誰もがとある噂について話していた。
スクールには階級がある。平たく言えば、庶民向けのスクールと、上級国民向けのスクールだ。
そこには、入学の要項にも、スクールの理念にも、大きな違いは存在しない。スクールは学徒のために開かれていなければいけないからだ。
だが実際のところは、たとえば入学に必要なお金であったり、面接における恣意的な合否の出し方であったりと、結果的に住み分けがなされているのは確かであった。それは貴族にとっての選民意識をより身近なものとさせたが、直そうとする者はおらず、また特に問題が出ていないというのも事実である。
無意識におこなわれる適切な住み分けは、往々にして社会の円滑な運びに寄与することがある。
しかし、ジーラは違った。彼は、名前も知られぬ農村の出でありながら、国で最も上位のスクールに突如として現れた。
しかし、スクールには無視しきれぬ理由があった。彼が携えてきた論文だ。それは、少なくとも50年分は国の学問を進ませる内容であった。
会議を重ね、メリットとデメリットを正確に見つめ、結果的にジーラは入学を許された。そして次の年には、二年分の飛び級を果たしていた。
いつしか、
そんなジーラであるが、今度は国営研究所の設立を国に求めているらしい。
彼の出してきた成果は無視できないものがある。魔王の復活前に戦争への準備をさらに万全なものにできる、という言葉に押される形で決まることとなった。そもそも、そういった施設に関する話は彼の登場以前からも何度も繰り返されており、彼が求めたから作られたというよりかは、たまたま彼が現れたから設立が数年早まったという見方が正しいだろう。
彼の有名な話であれば、息をするように論文や簡易的な予想を生み出すことがある。早い時は一ヶ月にひとつを発表していた。最近は実験を主体とする研究をしているために少し緩和されたが、一時期は読む側が追いつかない、理解できないという事態に陥っていた。
彼は資料調査の時間をほとんど必要としない。いつのまにか過去の文献を取り揃え、特に読み耽っている様子もないのにしっかりと内容を踏まえた取り扱いをする。
ひとつの論文を書いているとき、ジーラは次の論文を頭の中で作っている。教授の間で度々口にされるジョークだ。
いつこのテーマを思いついたのか?
どこでこの資料を知ったのか?
どうして結果を知っているような実験をおこなえるのか?
こんな風に尋ねると、彼は決まってこう答える。
「生まれた時には、この論文は完成していたんだ」
それをジョークだと捉える人もいるし、真に受けて自分の研究内容の結果は分かるかと尋ねる者もいる。
人当たりも悪くない。自らの知性を誇り傲慢に陥るわけでもない。不思議な落ち着きを払いながら、自然体で学びに没頭する。身分も弁えているし、屈辱を与えようとする者には毅然とした態度で接する。
理由もなく嫌うのは簡単であったが、一度接してしまえばどうにも憎めなくなってしまうのが、この
もっとも、一部の女性陣からは女心を解さない唐変木と揶揄されたが。
だが、彼をある程度知る者からすれば、彼があえて色事から距離を取っているのは明白であった。そしてそれは、学問に情熱を捧ぐ者ほど好意的に受け取った。
少し、気になっていることがあった。
俺の知識を天才達に使ってもらったらどうなるか、ということだ。
結果、やりすぎました。いや求めてたことだけど。
前回俺が50を過ぎてから発表された、ゲノムだの進化系統だのといった話が、今回は既に研究の山を越え、発表間近というところまで来てしまっている。
が、まあ、俺が求めているのは更にその先の話なのだ。「知っている」だけの俺とは違って、彼ら天才達はその話をさらに発展させていくことができる。ならまあ、多少のブレイクスルーも必要だろう。フハハ、愚民ども俺のためにその頭を使うのだ! 愚民は俺だけども!
やっぱ、良い遺伝子継いで、良い飯食って、良い教師のもとで学んで、そうやってるからあいつらは頭良いんかなぁ。世知辛いなぁ。どうでもいいけど美味いもの食いたいなぁ。前回までのアリアのせいで、舌がかなり肥えてしまっている気がする。
ちなみに、俺が最初に学会に持ち込んだのは、俺が持ちうる中でも一番インパクトのある話だ。
つまり、人の持てる魔力の量は拡張することができる、と。
これは俺の研究の副産物だ。
回路だか器だかは知らないが、人の持てる魔力量というのは決まっている。聖女様はそれが飛び抜けて多いし、魔法が使えない人間というのは総じてその量が少なすぎるだけだったりする。
単純に言えば、生き物は魔法を身体に受けることで、微量ではあるが保有可能魔力量が上昇する。魔力を貯める器官が可塑性なのだ。しかし同時に、期間をおけばゆっくりと元の量まで戻ってしまう。
また、その変化の量が大きすぎれば、ある種の「痛み」を感じる。それは肉体のシグナルではないから、切り傷や打撲、頭痛などといった痛みとは種類が異なるが、到底人に受容できるようなものではないし、体が慣れるまで味わうなどすれば、人体実験はしていないので分からないが、何かしら体を壊すだろう。
この発見は、俺の求めていたものではないけれど、国からすればかなり嬉しいらしい。
使える魔力の量が増せば、魔法がより一層身近なものとなる。日常生活は勿論、これから起こる戦争にも利用できる。順調に増やし、魔法を主体とした戦いができるようになれば、魔導騎士団なんかも作られるだろう。
まあ、流石に間に合わないと思うけど。
ちょっと使っておしまいだった魔法が、もしかしたら何回でも使えるようになるかもしれない、というのはそれだけでロマンだったのだ。
俺もその気持ちは分かる。たとえば、聖騎士団はスイッチで後衛に入ったやつが魔法をチマチマ使い、火力としては剣による武力行使が主体であったが、いくらでも魔法が使えるのなら、それこそ常に回復魔法を発動させながら攻撃し続ければ良い。まあそれはそれで集中力が持たないだろうけれど、敵からすれば恐怖そのものだろう。
……逆に、大規模魔法がいくらでも撃てるようになったら戦争の形が変わってしまうだろうけれどな。
己の命を賭けて相手の命を奪う、というものから、一方的に、そして無作為に多数の命を奪うものに変わってしまう。
そしてそれは、命に対する考え方を曲げてしまうだろう。既に曲がりかけている俺が言うんだから間違いない。
命の価値ってのは、きっかけさえ与えられれば簡単に低くなる。
誤解を恐れずに言えば、下げることは悪いことじゃないし、よくあることだ。騎士団は名誉を理由に命を勝利の代償にまで下げるし、金のために、それこそ生きるために傭兵たちは命の価値を下げる。
だけどきっと、これ以上下げてはいけない位置というのがあり、戦争が温度を失ったものになるとき、命の価値はその位置を大きく下回るだろう。
それは、なんか、嫌だ。
学問の発展と、命の価値の低下。
かなり近い位置にあるこれらは、しかし使う側の理念を信じるしか、対応としてできることはないだろう。
8回繰り返したって、まだ人生にはやれることが残されているのだ。一度しかないそれを大切にしてほしいと思うのは、果たして俺の傲慢だろうか?
最近やっているのは、魔法陣の研究だ。
もう、何度も書いて覚えてしまった魔法陣。対イリス用に起動されたそれは、調べれば調べるほど、やはり普通の魔物共では知るはずのない言語、術式で構成されている。
俺自身、解読できない部分が何箇所もある。逆に理解できる部分もあるからこそ、解読できない部分のうち、ここはこの目的で使われているのだろうという仮説を立てることができた。
発展さえさせれば、魔法陣の技術は非常に強力なものになる。一般兵が、魔法を使って戦えるようになるかもしれないからだ。そんなわけで予算も多く、自由に調べることができている。
正直言って、それでも進捗は芳しくない。
ひとつ打開策として考えていることはあるが、それを実行しようとは思えなかった。
もしも上手くいけば、それは、人類そのものに対する裏切りであるだろうから。
ふざけんな。
ふざけんな。
ふざけんな。
もしも神がいるというのなら。
俺はそいつをころすだろう。
だけどどこにもいないから。
やはり世界はどうしようもない。
「……
そうして、俺の頭が破裂した。
*****
9.
気が付いたときには、赤子になっていた。
どうでもよかった。
何もかも、どうでもよかった。
意味なんてないのだから。
何事にも、意味なんてない。
気付きは唐突であった。
ある科学者との会話だ。
『魔法に関する情報って、ゲノムに含まれていないのか?』
『そーですね。肉体の情報だけです。……あれ、なーんか変ですね?』
そうやって設立された共同研究会は、非常に優秀な研究者達が参加してくれた。
そして、たったの10年で、それは見つかった。
というより、既に見つかっていたものだった。
遺伝情報を記録しているとされるゲノム。
それには、実際に遺伝に必要な部分と、不要とされる部分が縞になって交互に存在している。
そして、魔法的に調べて判明した。
人間の魔法に関する情報もまた、ゲノムに記述されている。
「肉体」に関する情報は、物質的に見て遺伝に必要とされる部分に。
魔法、「魂」に関する情報は、物質的に見て遺伝に不要とされる部分に。
それらの情報を元に構築された「精神」が、身体を動かし、魔法を行使する。
最初、俺は歓喜した。
死に戻りは、俺に関する現象だ。ならば、「俺」という存在の構造を隈なく調べれば、なぜその現象が起こるかもはっきりと分かる。
そして、絶望した。
ただただ、その現象は純粋なものであった。
それゆえに、残酷であった。
神が与えたチャンスでもなければ、試練でもない。
誰かの呪いでもなく、奇跡でもない。
そこには、どんな悪意も善意もなく、ただただ無意味という言葉に修飾される。
転写ミスである。
遺伝の失敗。
分かりやすい言葉で言えば、突然変異というやつだ。
人は、ひいては生き物全般は、生まれ変わる。
肉体が朽ち、魂が乖離し、精神を失った後、物理的な条件に従わない魂は、時空すら超えて次の肉体を探す。
そういう行動をするよう遺伝情報に刻まれている。
あらゆる魂は、その行き先の指定がされていないから、確率論でどんな生き物にも生まれ変わりうる。もしかしたらそこに神の采配が存在するのかもしれない。
だが俺の魂は、行き先が指定されてしまっていた。
つまり、死んでも、次に肉体を得た「俺」に生まれ変わるのである。
死んでから次の俺の肉体に入るまで、時間的な隔絶は存在しないのだろう。
だから、「肉体」と「精神」は「魂」が乖離したと認識しないから、記憶が引き継がれる。
そんな、実に単純な現象であった。
単純であるからこそ、俺にはどうすることもできない。
だからもう、何もしないことにした。
生を放棄する。待っているのは飢餓の苦しみだが、それこそ四捨五入すればゼロになる程度の苦しみだ。
こんなクソッタレな世界──生きてたまるか。
あなたの名前は何と言うのだろうか。
あなたは、男の子だろうか。それとも女の子だろうか。
子と付けるにはもしかしたら、年を食いすぎているかもしれない。
友達はいるだろうか。
恋人はいるだろうか。
親がいない場合だってありえるのか。親はいるんだろうか。
子供を抱えて、毎日精一杯働く立派な人間かもしれないね。
人を愛したことはあるだろうか。
愛することは……うん、余計なお世話かもしれないけれど、やっぱりいいものだ。
やろうと思えば、道ですれ違っただけの人を愛することだってできる。
多くの人が思っているほど、愛って大したものじゃあない。
それは自然な、ごくごく自然な、誰でもやっていることの延長にしかない。
空を見上げて、新鮮な空気を吸って、こういう天気が明日も来ると良いなと思えたら、そこにはもう愛が存在する。
だから、もしも愛が分からなくても、気にすることはない。
泳ぎ方を知らなくたって、それだけで絶望してしまうような人はそういないだろう?
ただ、好きなものには好きと言って、嫌いなものとは距離をとって。
そうする内に、自然とできてしまえると思う。
そうやって、時間を使って、誰かに触れて、いつしか老い朽ちていく。
そこにはきっと、意味はない。
その生涯にはきっと、役割なんて与えられていない。
だってそれは、「人」が選び取るものだろうから。
あなた自身が意味を見出して、時に誰かに意味を与えられる。
あなた自身が役割を見出して、時に誰かに役割を与えられる。
世界にはきっと主人公が存在するけれど、あなたが主人公になる必要はない。
あなたは主人公なんかじゃあない。
あなたには覚醒イベントなんて用意されていない。
あなたはきっと、誰よりも自由だ。
それは、残酷な事実だろうけど。
でも、自分の選択を後悔してはいけない。
決して、やり直せたらなんて思ってはいけない。
もしも、始めからやり直せると言うのなら、前よりもずっと上手く人生をこなせるのだろう。
だけど、もしも、始めからやり直せと世界が言うのなら。
そこにはもはや、意味を見出すことすら不可能な「死」しか存在しない。
母親が泣いている。
毎日泣いている。
俺の母親……お袋だ。
親父は死んだ瞳をしている。
世界に絶望したあの色は、俺が一番馴染みが深い。
無理もないだろう。赤子が、何を与えても食べようとしないのだから。そもそも、生まれて以降産声を上げてすらいない。
田舎の農家に、衰弱した赤子を救う方法はない。
俺が乳を拒絶する限り、死はゆっくりと近付いてくる。
ほらな。
衰弱死なんて、大したことねえよ。
腹が減った。目がかすむ。頭痛が止まらない。だからなんだ?
こんなに……こんなに、楽じゃないか。
ゆっくりした死の中では、そう複雑なことは考えられない。
頭が働かないから、脳裏に浮かぶのは今までのことで、まるで走馬灯のようである。
母親は、毎朝起きると俺の元へやってきて、張った乳房をおもむろに出し、そしてそっと抱きかかえる。
「ねぇ、お願い……。飲んで。飲まないと、死んじゃうの……」
泣きながらそう懇願する。
死んじゃう?
もう、死んでるよ。何をしたって「生き」られない俺は、生まれたときから死んでいる。
あんたらが、この死骸を世界に生み出したんだ。
あんたらが余計なことをしてくれたせいで、俺はこうも苦しんでいる。
400年以上だ。そしてこの苦しみは、永遠に終わることがないのだろう。
報いを受けろ。ざまあみろ。
クソッタレな世界。ふざけんな。何だってんだ、本当に。
俺は、俺だって、ただ……。
もう、なあ……。
大したことなんて、望んでいない。
俺は、ただ……。
嗚呼、こんな世界。
こんな、どうしようもない世界に生まれたくなんて……。
『お兄様』
俺はさあ、本当に、嫌いだよこんな世界。
『私の、剣』
大嫌いなんだ。
憎んでいる。俺なんかを生み出したことを、到底許せそうにない。
『──私も、あなたが大好きです』
幸せそうな顔で生きているやつらはムカつくし、自分が一番不幸だって顔で生きているやつらは同じ苦しみを味わえばいいのにと思う。
『兄さん』
こんな救えない世界に住んでる奴ら、全員死んじまえって叫んでやりたい。
『──おかえりなさい、パパ』
俺のことを救えないお前ら、全員死んじまえって叫んでやりたい。
『貴公』
胸倉掴んで、ぶん殴って、罵倒の限りを吐いて、めちゃくちゃにしてやりたい。
『傭兵殿』
なのに。
『……愛しているわ。私の、旦那様』
なのに、声がチラつく。
どうしようもないくらい、愛おしい声が。
──キミたちの声が。
言えねえよ。
こんな世界に生まれたくなかった、だなんて。
言えねえんだよ、俺は。
キミたちと過ごしたあの時間が、どうやったって消えないんだよ。
キミたちを選んだ俺自身を、どうやったって否定できないんだよ。
「……ぁぁ」
俺はただ、幸せになりたくて。
キミたちが、俺を、幸せにしてくれたんだ。
「ぅぁあ……」
「……ぇ?」
「泣い、た……?」
ごめん。ごめん……。ごめんなさい。
「うあぁぁぁぁん、あぁ、うあぁぁぁあ……!」
「え、っと、どうすれば、いいの?」
「ばか、抱くなり乳あげるなり……ってもう抱いてるのか。それじゃあ、きっと腹が減ったんだろうから、乳を」
親父と、お袋が、俺をこの世界に生んでくれて。
生きた時間は違えど、キミたちを愛して、キミたちも愛してくれて。
「ああぁぁぁぁぁん……! うあぁ、あぁぁん……!」
「待ってね、……ほら、良い子、良い子」
俺は、たしかに幸せだった。
心の底から、感謝していた。
好きなんだ。みんなが。このどうしようもない世界が。
大嫌いだし、憎んでさえいるけれど、その上で、どうしようもなく愛している。
「ああっ、ああぁぁぁぁぁぁぁぁっ…………!!」
ただ嫌ってしまうには、この世界は卑怯なほどに美しい。
嫌いで、嫌いで、心底どうしようもないと思えるこの世界。
どうしようもないからこそ美しさが映えているだけというのも、とうに理解している。
そんな世界で「生きる」ために、俺はもう一度だけ産声を上げた。
大粒の涙は、止まることなく溢れ続けた。