TITANIA   作:宇宙の正面

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第3巻のアップ始めます!
やっと半分過ぎた、と思わせて
ページ数的には2巻目までで5分の2でした…
ここからがまた長いですが、
どうぞお付き合いくださいませ。

~『TITANIA』第3巻あらすじ~
離反者として追われる身となったホーク達は
フェニックスを守る為、
ビクトリーレオ等とサイバトロンに戦いを挑む。



TITANIA第3巻#1

 

 雪白が

 「ふたりは、はなれっこなしよ」と言うと、

 薔薇紅は

 「生きてるあいだは、きっとね」と返事をしました。

 そうすると、お母さんが

 「どっちか一人が持ってるものは、どんなものでも、

 きっとわけてあげるのですよ」

 と言い足すのでした。

 

            グリム童話『雪白と薔薇紅』

 

 

 

―2029/7/6 16:46 Puerto Rico Trench―

 

 到底広いとは言えなかったが、十人ほどがある程度心地よく共同生活を送れるように造られたサルベージ基地は、取る物もとりあえず身を隠すしかなかったジンライ達にとっては、緊急の避難場所としてもってこいだった。

 ほとんど垂直に切り立った海溝の、水面下二千メートル付近になろうかと言う岩棚に取り付いた鋼板製の基地は四層構造になっていて、下層に向かうほど面積が狭くなる逆三角錘をしている。上二階は食堂や寝室といった生活スペースに充てられ、その下が通信室と機械室、倉庫。最下層が潜水艇の発着ハッチになっていた。

 このハッチが外部への唯一の出入り口だが、優に十メートル程の舟艇を格納できるおかげで、車体にトランスフォームしたライトフット達に同乗すれば出入りは容易い。空気に関しても、海水を電気分解して補給してくれているため、何の問題もなかった。食料の方も大量に持ち込んだおかげで、一月は楽に暮らせるだろう。なんと言っても、ホーク達は進んで地球人と同じ食糧を口にしなくとも、ビクトリーレオ達が運んできたエネルゴンキューブを数口齧るだけで一週間もエネルギー補給を受けなくていい。この極限状態の元では、ただ座っていてすら空腹になるジンライ達地球人に比べて、ありがたいほど効率が良い。

 不満があるとすれば‥‥ジンライは食堂の分厚い窓の向こうを眺めた。

 一片の光もない深い闇が、基地の窓から漏れる人工の明かりを押し潰すように飲み込み、別の真っ黒い闇に変えている。海溝の深さが八千メートル程だと言うから、二千メートル地点などまだまだ下とは言えないのに、海面の真上に広がっているであろう空の色などまるで届かない。これならまだしも月面に降り立った時の方が眩しいほどだったと、ジンライは思った。

 時折、ちらりちらりと窓枠を掠める紅い点滅は、基地の四方に散って警戒態勢を取っているビクトリーレオ等ゴッドマスター達が、互いの位置を視認するために発しているシグナル光だ。サイバトロンの中央サーバーに属する通信回線をすべて切ってしまうと、仲間同士のやりとりですらこの通り、恐ろしく原始的で素朴になる。本当は早くホーク達が使っている単純回線に組み替えられればいいのだが、その主サーバー全体を構築したフェニックスがいないために移行すら手間取っているのである。

「お茶でも入れましょうか?」

 簡素なテーブルセットが置かれた食堂の入り口に、ライトフットが立っていた。かつての副官はジンライの心理状態など心得たもので、答えを得る前にさっと機敏に動いて、これも必要最低限の機能しかないシステムキッチンで手早くお湯を沸かし始める。

「レインジャーとロードキングは?」

「倉庫を点検してくれてます。前の住人が置きっぱなしにしていった物があるようなので、いらない物は捨ててしまおうって」

「ダイバー達は、どうしてる?」

 人数分のカップを取り出していた手が止まり、ライトフットの瞳に落胆の色が浮かんだ。

「‥‥まだ、通信室に。でも諦めたようです」

「ランダーはサイバトロンに拘引されたんだろうな」

「ビクトリーレオの話しではそう考えるべきでしょうね。すぐにどうこうされる訳ではないでしょうが、心配です。フェニックスの事も‥‥」

「ランダーの方は、まだ向こうにグランドがいるから悪いようにはしないだろう。対策は後で練るとして」

「ええ‥‥」

 それにしても、とライトフットは、湯気を立て出したケトルの火を止めながら言った。

「ここに退避できて何よりでした。地上で逃げ回ることになるかと思ってましたから」

「ああ、クラウダーには感謝しなけりゃな」

 ジンライは言って、懐かしそうに眼を細めた。

 最後のゴッドマスター、クラウダーは、サイバトロンとデストロン両方に変形可能なトランステクターを持ち、サイバトロンへのスパイ行為を行うデストロン戦士としてマスターフォース戦争に参戦した過去を持つ。秀太の父、剛博士が遺したサイバトロン基地の強襲を手引きしながらも、デストロンから見捨てられるという裏切りに遭い、最終的にはサイバトロン戦士として立ったが、一度犯した罪の重さに感じるものがあったのか、ゴッドマスター同士のつながりよりも後に同じ境遇となったワイルダー達との絆を深め、親交は今も続いていた。

 この十年、クラウダーがジンライの前に姿を見せることはなかったが、海軍士官になったという話だけは耳に届いていた。そのクラウダーが、今度の事件を知って自分なりの協力方法を模索していてくれたとは。驚きもあったが、こうして再び並々ならない絆で結ばれたことに、ジンライは感慨深いものを感じずにはいられなかった。

 湯を注がれたハーブティーの香りが、食堂にふわりと満ちる。

「皆を呼んできます。ジンライさん、先に召し上がっていてください」

 動き回っている方が気が休まるのだろう。ライトフットは言って、来た時と同じように食堂を出て行った。ジンライは最初の一杯目が注がれたカップを手に取り、窓際へ歩み寄る。眼を凝らすと、基地のだいぶ下の方にビクトリーレオらしい影がうっすらと判別できた。

「ゴッドマスターとして‥‥か」

 ダイバーの研究所からここへ向かう道すがらビクトリーレオに告げられた言葉が、ジンライを深淵から引き上げる。

―お前が望むなら、手足となってサイバトロンと刃を交える覚悟がある―

 ジンライにもう一度、ゴッドマスターとして自分と融合する気があるのなら、喜んでそうする、と。ビクトリーレオは言ったのだ。これはジンライ達を素体として生まれたゴッドマスターの総意だと。

 しかしそれは、戦闘の中心に立ち戻ることへと直結する。そして何より戦う相手はデストロンではなく、同胞たるサイバトロン戦士なのだ。

 地球人であるジンライはいい。だが、ビクトリーレオ達にそれを強いては、離反という罪だけでは済まなくなるはずだ。

 造反―反逆罪もあり得る。そうあるために転生した、スターセイバー総司令官の合体パートナーが。

「戦うのか、また、」

 できるなら避けて通りたい。誰も傷付けたくはない。禍根を残すためにこうしている訳ではないのだから。

 フェニックスを助けたいだけなのだ。初めは確かにそれだけだったはずなのに、どこで道筋が違っていったのだろう。

 憤りと怒りを押し流すようにカップを豪快に干すと、ジンライの喉は痛みを伴って焼き付いた。

 

 諦めようと口にしても、後手に回った結果の後悔は容赦なくホークとダイバーを苛んだ。沈黙が続く間、低く唸りを上げる機械室の稼動音が隣り合った通信室を支配し、無為に過ぎ去る刻の長さを明確にする。

 先に決然と顔を上げ、壁に備え付けられたやや旧式の通信機器を立ち上げたのはホークの方だった。電源が入ると間を置いてモニターに光が宿り、ネット回線へのアクセス権認証画面に切り替わる。機械はともあれ、設備が最新式に保たれていることははっきりした。サイバトロンの通信網に入り込むことは不可能だし、危険すぎる行為に出る気はないが、これで地上の出来事は逐一把握できるだろう。

「〈サイコ〉がどこかで目撃されているかもしれない。少し探ってみよう」

「そうだな。その線を辿っていくしかないだろう。手掛かりは何としても俺達が先に掴まないとまずい」

 躊躇いのない調子でキーを叩いていたホークが、やがて目を瞠って言った。

「ダイバー、気になる書き込みがあるぞ」

 その声にダイバーは顔を寄せ、ホークがカーソルで反転させた文章を覗き込む。

 それは五年ほど前からネット上で登録ユーザーを増やし続けている、〈崑崙〉という名の書き込みサイトだった。どの国の公用語で書き込んでも、読み手の希望に沿った言語に完全翻訳できる変換プログラムのおかげで愛好者が右肩上がりに増大し、ユーザーは全世界人口の四割近く。リアルタイムのアクセス数だけでも、常に十億を越えるという巨大サイトである。

 ホークの示した文章はヒンドゥー語で書かれていたが、この程度の日常語ならわざわざ英訳する必要もない。

「コルカタの学生‥‥?」

 おどけた調子の俗語のスレッドに続く内容はこうだ。

 真夜中近くのコルカタ市内を、数十台のフェラーリやランボルギーニといった高級車がライトもつけずに走り回っている様子を自宅のベランダから目撃したこと。そして夜空を低空飛行している、軍用機らしき機体まで確認できたこと。何か起こっているのかも知れないと車を追ったが、途中の検問所で警察に止められ、強制的に帰されたことなどが興奮気味に書かれてあった。

 スレッドが立って一時間ほどが経った今では、千件近くの様々な反応が書き加えられている。端から嘘話と決め付けているものあり、暴動の前触れだと煽るものあり、自分も同じものを見たと言うものあり―そして、

 >NY、パリ、ロンドン‥‥の次ってこと?

という、報道規制を掻い潜った情報を元にした、かなり信憑性の高い反応もあった。暗に〈サイコ〉のことを言っているのだろう。

 ダイバーは難しい顔をして、顎をひと撫でした。

「コルカタか‥‥」

 一見、これまで〈サイコ〉が現れた場所がすべて大都会に限定されていることを鑑みると、何の関係もないように思える。が、ホークは不安げにダイバーを仰ぎ見て目配せした。

「コルカタなら‥‥アグネスのことがあるな」

「ああ。俺もそう思ってた。あいつにとっては―特別な場所の一つだ」

 ダイバーは慎重に言葉を選んで応じた。

 ホークにはまだ、テムズ河水で対峙した〈サイコ〉との間で起きたことのすべてを話していない。

 苦しみの記憶を消した、という〈サイコ〉のあの言葉。あれが真実、〝フェニックスの〟記憶を消しているということなら、自分達がどれだけ手を尽くしても、事態は好転するどころか逼迫する一方になるのは明らかだ。どんな意図があって記憶を消去しているのかは、想像もつかない。ただその通りにフェニックスが記憶を失っていけば遠からず、肉体だけは確実に〈サイコ〉の傀儡になるだろう。

 ホークが知ったらどんなに狼狽するか。ランダーにはあの場で話したが‥‥返ってきたのは沈黙だった。

「コルカタ警察のサーバーに侵入してみようか?フェニックスほどは得意じゃないが、時間を取れば何とか」

 ホークの提案に、ダイバーは首を振る。

「不正アクセスを逆探知されたら場所が知れる危険があるし、止めておこう。一般チャンネル向けの事故災害情報はどうだ?検問をしてるなら、消防や救急からも何か情報が出てるはずだ」

「それだと、偽の情報じゃないか?」

「今頃はそうだろうな。だから二時間か、三時間前の情報がいい」

 よし、と頷く間にホークは〈崑崙〉サイトからコルカタ市内を管轄する消防掲示板にウィンドウを切り替えていた。

 市民に事故災害の状況をいち早く発信するための掲示板には最新の、小さな火事とスリップ事故の情報が載っている。そして、交通事故のために張られていた検問が解除されたという記載もあった。これが多分、〈崑崙〉サイトで書かれていた検問のことに違いない。

時間を遡って画面をスクロールしていくと、ある所に突然、検問が布かれたので通行には注意を、といった文章が現れた。

 更に画面を辿る。と、ダイバーの指が画面の一文を押さえた。

「〝聖トーマス教会で屋根の崩落があった模様〟‥‥」

 時間は、コルカタ時間で夜十一時頃になっている。崩れた屋根が道路にも多数散らばっているようだ、と大まかに書かれた文のどこにも〈サイコ〉とのつながりを示す文字はないが、ホークは微かに首を縦にした。

「アグネスの遺体が眠っている所だ―フェニックスがあそこに‥‥どうして?」

 これだけの情報から現状を推し量るのは難しい。わからない、とダイバーは素直に頭を振った。

「どこかから、別の情報が出るのを待つしかないな。崩落したと言うなら、地元の新聞辺りに少しは出るかもしれない」

「じゃあ、そっちのリンクも張っておこう」

「本当なら直接探りに行きたいところだが、人手不足この上ないからな」

「結局、ジンライ達まで巻き込んでしまった‥‥今から詫びを考えておかないと」

 せめてジンライ達を地上に残せたら、手立ても相当変わっていたはずだ。ホークは呟いた後で、努めて明るくつないだ。

「それにしても、ランダーは大丈夫かな?」

 ダイバーはモニターに目をやったまま、多分、と極力平静な声音で応じ、それが当然だというように頷いた。

「あいつが辺り構わず喧嘩を売ってなきゃ、怪我の一つもしちゃいないさ。勾留されるだけなんだから」

「ああ、それは‥‥喧嘩なら売っていそうだな。そう言えば昔、どこの星だった?何日も帰らなかった挙句に、ボロボロにされて戻って来た事があったっけ」

「あったな、そんな事も。あいつはちょっと無鉄砲だから」

「無鉄砲?」

 意外な風にホークが鸚鵡返しにする。

「それはフェニックスの方かと思っていたけど」

 若さ故の、とでも言おうか、ホークが見る限り最若なフェニックスはしばしば『無鉄砲』としか言えない突飛な行動や言動を取ったものだが、出会った当初からランダーはどこか斜に構えた、シニカルで見栄えを気にするタイプだった。確かに時々はフェニックスと大喧嘩をしたりと、大人気ないと思える態度も見せるが、ダイバーが言うような感想を持つほどではなかったから驚いたのである。

「考えてもみなかったな。ランダーに無鉄砲なところがあるなんて」

 言うと、ダイバーは困った様に笑った。

「無鉄砲と言うべきか‥‥」

 捨て鉢、だ。

 その言葉はホークに知られぬように、腹の底へ飲み込む。

 ロンドンでランダーが垣間見せた冷徹な、事を終えるためには他の一切を切り捨てることすら厭わない顔。永い時間をかけてランダーの奥底に沈められたはずの、あの感情。

 いや、感情などではないのだ。あれは―

「フェニックスが、アグネスのところへ行ったのだとしたら‥‥それを知ったら、ランダーならどう言ったろう」

「俺に言えるのは、知られなくて良かった、ってことだけだ」

 ダイバーの呟きにホークは奇妙な顔をして、問い返すように首を傾げた。

 

 

―1100 million years ago―

 

 最近どうも妙な視線を感じると思っていたら、ついに正面を切って忠告に来る者があった。

 とは言え、千人からが窮屈な寝床一つきりを与えられただけの奴隷用仮設住居(ハーレム)の中では、暴君たる創造主の目や耳を憚った行動が生き延びるために遵守しなければならない最低のラインだから、忠告と言っても、聞かされる側のダイバーにしてみればそれは単なる密告か陰口のようなものだった。

 大体にしてその『親切な』忠告者は友人でもなく、労働地を共に従事させられている仲間でもなく、単に同じ施設の中でたまたま一緒になっているだけの、顔すら見たことがあったかどうか怪しい相手である。これだけの数の他人と暮らさなくてはならないからには、すれ違い様に挨拶くらいは交わしたかもしれないが‥‥まあ、それだけだ。

 数百時間も続く下階層油田での強制労働から解放され、連れ出された時と変わりない貨物用トレインにまた詰め込まれて仮設住居に戻り、エネルギーの切れかけた身体をようやく休めることができるはずだったのに。と、ダイバーは、自身の部屋へ戻る途中を待ち伏せて現れた相手を、少しばかり恨めしげに睨んで嘆息する。

 円筒形の、中心を吹き抜けにした仮設住居の内側は、螺旋状に連なる個室と回廊で取り巻かれている。見ようとすればどこからでも見通せるという、奴隷のプライバシーなど最初から考慮に入れられていない簡素な造りだから、慌ただしく促されるままにちょっとした死角へ入ってみたところで姿も声も筒抜けのはずで、それが尚のこと、ダイバーの気を重くさせた。

「‥‥それで、わざわざ隠れてする話ってのは?」

 無視して振り切ってしまっても構わないのだろうが、目先の事だけを回避するのは性に合わない。問い返すと、相手は生真面目な顔をして油断なく周囲をうかがい、声を潜めた。

「噂になってるよ、君のこと‥‥口さがない奴も多いから色々と」

「そりゃあまた、暇潰しにはもってこいだろうな。どんな噂か俺の耳には届いてないんだが」

 正直な感想を言ったつもりだったが、皮肉と受け取られたらしい。相手の顔にちらりと困惑が掠めた。早くも親切心を起こしたことを後悔しているのかもしれないと見てダイバーは微笑し、先を促してやる。おずおずと言葉が続いた。

「君は気が良さそうだから、あいつに上手く騙されてるって、陰で言われてるよ。ここじゃ君以外、誰もあいつとは話したがらない。顔を見るのだって‥‥本当はみんな、同じ仮設住居で暮らすのもゴメンだって思ってるくらいなんだから」

「俺は別に思ってないけど」

「でも、あんまりあいつと親しくしない方がいい。でないと君まで同類だと思われるし、実際もう、君を変な目で見る連中が出てきてる」

「ああ、あの妙な視線はそれだったのか。理由が判ってすっきりした」

「すっきりって―」

 意を決して忠告したのに、という憤慨の目で見返され、ダイバーは吹き出しそうになるのを堪えた。

 見知らぬ他人同士の雑多な居住空間でも、こう大勢集まれば不思議と一団を成したり、対立関係を生み出したりする。みんな、という名の漠然とした総意から外れれば意図せず孤立し、総意の元に弾かれる。眼前の忠告者は、ダイバーがそうならないようにと慮ってくれている訳だ。それすら「総意」として。

 だが、上も下もないはずの奴隷同士にまで、他人の目がどうのだとか面倒なことを持ち込んで、何になると言うのだ。単に日々の不満のぶつけどころとして、誰かを槍玉に挙げたいだけではないか。一歩、仮設住居から引き出されれば黙々と強制労働に従事させられ、気まぐれな創造主の虐待に遭いはしないかと怯え、常にエネルギーに飢えている、そんな己の惨めさから目を逸らすために。

 ダイバーにもその気持ちがわからない訳ではないが、他者を蔑んでも結局、己も奴隷であることに変わりはない。残るのは現実の空しさだ。

 ありのままに受け入れなければ始まらない―持論と言うより、これは信念と呼ぶのだろう。

「心配してくれるのは有難いと思うが、どう思われても、俺には大した問題じゃない。変な目で見たければ見ればいいし、噂したければ御勝手に、だ」

「君は平気かもしれないけど‥‥」

 言葉尻を濁してダイバーの顔色をうかがった後、親切な彼は一息に、呻きながら言い足した。

「近付くと危険だよ。あいつは同族殺しの―〝ルーター〟だ」

 ダイバーは一呼吸分、相手の口から発せられた音が冷えて散らばってしまうまで、たっぷりと黙り込んだ。この会話に聞き耳を立てている何人か―何十人かも知れないが―一様にこの沈黙を耐えている。

 寒々しい仮設住居全体がひっそりと静まり返っているようで、ダイバーは鼻白んだ。いつ誰に問われても、応えは一向に変わらないのだが。

「〝ルーター〟だから、どうかしたのか?」

「どうか、って‥‥!」

「そうする以外になかったから、そうなった。ただそれだけのことであいつを白眼視するのは筋違いだ。いつ誰が、同じことになるかもしれないんだから」

「あいつに何人殺されたか知ってるだろ、君だって?」

「知ってるよ」

 昨日まで肩を並べて働いていた人間が、ある日突然、闘技場に引き出されたまま消えてしまう。そんな理不尽は数え切れないほどあった。

 けれど、その数え切れないほどの非情な死の宣告を振り切って何度もここへ戻ってきた〝ルーター〟の―同族殺しの汚名を被った人間の、底知れない心の闇に気付く者は少ない。

 同情を寄せるより遥かに、憎み、怖れ、蔑む方が楽だから。

 ダイバーは時折、抑え切れない疑念にぶつかる。奴隷に自我を与えたのは労働効率を上げるためなどではなく、こうした醜い心根に苦悶する姿を密かに眺めて楽しもうという、創造主達の性質の悪い趣向のためなのではないかと。そうだとしたら、心を持った瞬間からトランスフォーマーは罪科を一つ、背負ったことになるまいか。取り返しの付かない罪を。

 ダイバーはゆっくりと、最初から応えを求めない問いのように告げた。

「殺したくて殺してるんじゃない。あれが、ランダー自身で選んだ生き方だと思うのか?」

 

 

《続く》

 

 

*引用書*

グリム兄弟/雪白と薔薇紅

 金田鬼一訳/岩波文庫『完訳グリム童話集4』収録/岩波書店 1979年

 

 

 

 

 

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