TITANIA   作:宇宙の正面

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第3巻の4話目です。
サイバトロンとの方向性の違いが
次第に明確になっていきます…



TITANIA第3巻#4

 

―2029/7/7 9:59 The Moon―

 

 スターセイバーはランダーとの面会を避けた。

 理不尽な捕縛を命じた後ろめたさからではない。捕虜にされた身にとって、その命令を発した張本人から後味の悪そうな顔を見せられた方が、よほど屈辱に感じるだろうと思ったからだ。まして、仲間が逃げる時間を稼ぐために自らを縛の手に委ねられるほど、誇り高い戦士なら。

「基地に残っている各隊指揮官は全員、ブリーフィングルームに集めてある。他とは回線をつないだ」

〈サイコ〉の襲撃によって減少した第一方面軍のための増兵として、アセニア星から駐留軍の半数を麾下に組み入れて戻ったスターセイバーを月面の臨時基地に出迎えたブラッカーは、総司令官が望むであろう、あらゆる指示を的確に、命じられる前に実行済みであることを簡潔に告げ、

「騎士は下士官に至るまで残らず、ほぼ同時に総司令官の指令を受ける」

 と、その一文に含まれた重大さまでを素っ気なく伝えた。

 宇宙軍総司令官が麾下の全騎士に向けて同一の命令を直下するという事態は、全面戦争―総力戦を暗に想起させるものだ。これは指揮系統の瓦解を前以って防ぐ意味の他に、総司令官自身の確固たる決意を一人一人に植え込むためにある。いわば、戦意高揚のための儀式と言ってよい。

 スターセイバーが同胞であるサイバトロンプリテンダーの捕縛を元老院の意を受けて実行し、合体パートナーであるビクトリーレオ達の離反を受け入れ、軍備の欠けた穴を統合本部で埋めて戻ったこの状況での全軍への命令は、内容に拠らず全ての騎士を一つの結論に導くだろう。

 曰く、立ちはだかる者は敵とみなす、と。

 ブラッカーも理解していない訳ではない。それでも敢えてスターセイバーがこう命じることは、長い付き合いを経ていれば自明の理だった。と同時に、この道筋しか残されていない指導者としての胸中を察することもできた。

 ビクトリーレオの叛意に何より傷付いているのはスターセイバーのはずだった。信頼の深さは受ける傷の深さに比例する。だからこそ、総司令官を頼む、とビクトリーレオに告げられた言葉をブラッカーは自分一人の胸に収めて伝えなかった。告げれば、スターセイバーがどれほど動揺するかも理解できたからだ。

 状況がここまで悪化しなければ、ビクトリーレオにも離反の意志など無かったのだと知れば、戦場でまみえた時に気が殺ぐ。躊躇いは敗北の影だ。

「‥‥大丈夫か?」

 ブラッカーの問いに、スターセイバーはブリーフィングルームへ続く通路を矢のように進みながら、僅かに緊張を崩した。

「ああ、ありがとう。助かってる。そっちこそ、身体はもう良いのか?」

「休みすぎて鈍ってるぐらいだよ。ジャンが‥‥来てるぞ」

 種は違ってもスターセイバーにとってジャンは養子だ。久しぶりの成長した息子の姿を見たくない訳ではなかったろうが、きっぱりと首を振って拒んだ。

「今は会う時間がない。ただ護衛は付けるように」

「わかった。他にすることがあるか?」

「いや。後は、見える所に居てくれ」

「そのつもりだ」

 半歩後ろを同じ速度で付いてきてくれるブラッカーを目の端に捉えて、スターセイバーは通路の先を見据えた。

 奇妙な感覚だった。

 スターセイバーは基地に降り立ってから、もう二度ほど、立ち止まって周囲を確認したい衝動に駆られていた。

 横に見えているのはブラッカーだけで、気配は彼そのものの熱を発しているのに、もう一方の側に付かず離れず漂う確かなものがある。こんな間近にいてすらブラッカーには何も見えていない―それがウルトラマグナスの、現実世界を超越した存在だけが放つ気配だということを、〝嘆きの部屋〟を体現したスターセイバーだけが感覚で知っていた。

 フォートレス・ロードも気付くだろうか?

 おそらくそうだろう。スターセイバーに〝嘆きの部屋〟へ行くことを進言した本人だ。助けを請えと。

 ブリーフィングルームのぴたりと閉じられた扉の前で一度呼吸を整え、踵を鳴らすように進み出る。左右に割れた扉の向こうから、三十人近い指揮官クラスの厳しい視線が一斉に、彼等の総司令官へ注がれた。壁を埋める数面分のモニターはそれぞれ、地上に降下している部隊と基地内の簡易格納庫に集められた常駐騎士達、そしてアセニアからの増援組を乗せたセヴィリア級戦艦二隻とつながっている。

 麾下総数は、およそ八千―正確を喫すれば八三五六名―外宇宙の前線に比べれば多くない数だが、太陽系にこれだけの人員が配された前例は無い。そのほとんどが戦闘要員であることも異例なら、これからスターセイバーが行おうとしていることもまた、異例の一言では済まされない。

 軽い躊躇は、背後に忍んだウルトラマグナスから威を借りて振り払い、スターセイバーは正面へ立った。

 一番奥、部屋の隅に佇立したフォートレスが頷く。その視界にウルトラマグナスが映っているだろうことを、スターセイバーは察した。そして自分の下す決断が誰にとっても承服しかねる残忍な愚策だと思われようと、その真意を知ってくれている相手が必ず存在しているのだということを。

 スターセイバーは再び呼吸を落ち着けた。

 宇宙軍総司令官としての責務のために、心を捨てる―

 今だけ。この一時だけ。

「―まず明言しておきたい。この先、司令部に無断で軍列を離れる者は、離反の意思ありとみなして厳しく処分する。直属指揮官からの命令に違反した場合も、同様の処置になることを肝に銘じて欲しい。ここは最前線だ」

 周囲を労う方が格段に多いスターセイバーの口からこれだけの冷徹な言葉が飛び出したことに、室内の空気が一変する。全員の顔にさっと緊張が走った。

「未だ追尾の手を逃れている〈サイコ〉の捕縛に向けて、我々サイバトロンは全力を尽くさなければならない。だが、そのための時間的余裕はほとんど無いものと推測される。敵があれだけの個体能力を有しながら、地球圏からの離脱を図る気配がないのは、我々にとって有利な状況だと言えるだろう」

 言って、スターセイバーがモニターの一つを示すと、画面には地球のグード図法が展開された。その数箇所に印が打たれ、強調表示される。どれも砂漠や低高地、ジャングルの一帯を示していた。

「地上での捕縛作戦を遂行するに当たって、まず、この月面臨時基地は放棄する」

 初めて、ざわりと動揺のおめきがどよもす。スターセイバーは顔色を変えずに続けた。

「指揮系は戦艦エルミニアに移して月周回軌道上に残し、戦艦タンクレディは熱圏内に停留、〈サイコ〉の追尾と高高度攻撃時の要衝とする。この二艦に支援部隊として残る者以外は地上へ降下。〈サイコ〉捕縛作戦に就く」

「ぜ、全戦力を投入なさるのですか‥‥ッ?」

 誰とも分からない非難めいた問いが上がり、ざわめきが広がっていく。武官の間から、一人が怖れずにさっと手を上げて言った。

「もしも〈サイコ〉が我が軍の動きを無視して太陽系外への逃走を図った場合、主力部隊を欠いた戦艦二隻のみでは、あまりに無防備ではありませんか?総司令官」

「意見は尤もだ。だが、敢えて言おう。〈サイコ〉は我々の作戦を無視できずに、必ず姿を現す」

「ですが、手ぐすねを引いて待ち構えている所へ飛び込むような真似をするでしょうか。確かに先日の強襲における被害を見ても、敵にとって我々が集中している場面を一気呵成に叩くのは、有効な戦略と思えますが‥‥」

 その言葉を遮るように、ああ‥‥、とスターセイバーの手が軽く振られた。

「作戦内容について誤解が生じているようだ。私は捕縛と言ったが、これは〈サイコ〉を迎撃する布陣ではない。〈サイコ〉を呼び寄せる餌として―逃亡中のサイバトロンプリテンダー達をおびき出す作戦だ」

 そう告げると同時、しんと水を打ったように静まり返った室内とモニターの中を一つずつ確認して、スターセイバーは最後にブラッカーを見やっていた。そこに軽蔑や失望、憤慨があったなら後悔するかもしれないと思いながら。

 しかし、ブラッカーはただ真っ直ぐに上官を見つめてそこに居た。その頑健な両の瞳が、これぐらいの反応で後悔し始めている場合かと訴えかけてくる。スターセイバーはほっと肩の力が抜ける気がして、信頼で結ばれた友がいる有り難味を噛み締めた。

 確かに、これくらいのこと、だ。反発も不審も、甘んじて受ける覚悟をしてきたはずではないか。

《ご命令を、総司令官閣下》

 ウルトラマグナスの促す声が、風のように耳元を掠めて消える。スターセイバーは己の胸にそっと手を当て、頷いて応えた。

「現戦力をもって、サイバトロンプリテンダー他一隊への誘引作戦を展開する。場所は地形、地質、天候状況、過去の交戦記録を考慮のうえ選定し、国連へ打診して決定した」

 地球図に付された印が消え始め、最後に残った一つが赤く閃くと、新たなウィンドウが画面に立ち上がってその場所の詳細な俯瞰図を映し出す。

 中世からヨーロッパと小アジアの文明が交わる交易の要所として、連綿と歴史の中に名を残し続けてきた、黒海とマルマラ海に囲まれたトルコの古都イスタンブール―そこから十数キロも北に離れているだろうか、荒涼としたワジの連なる谷合の台地が示される。草木一本生えた様子も、無論、村や町が近い様子もない。川らしきものが一本、細々とワジの間を縫って進んでいるが、水量は極端に少なく今にも枯れるかと思われた。これなら戦闘によって谷の一部が瓦解しても、どこかに水不足を引き起こすような要因になることもないはずだ。

 こう言っては甚だ不謹慎だが、戦術家に意見を求めれば、理想的な戦闘地域と太鼓判を押すだろう。

「―ここに我々は陣を布く。この、〝ガラタの谷〟に」

 この地でかつて繰り広げられた、気象コントロールコア〈ジェフディンのパール〉を巡るデストロンとの戦闘を知る者は少ない。

 そして、スターセイバーも知らなかった。その遥か数百年前にも一度、〈ジェフディンのパール〉を眠らせるためにこの場所へトランスフォーマーが―プリテンダーが足を踏み入れたのだという事を。

 画面の中には、歴史からも人々からも忘れ去られたような荒れ野が、ただ漠々と広がっていた。

 

 

―1348/6/21 14:48 Valley of the Galata―

 

 天を覆い尽くして重く暗く垂れ込めた雷雲から、猛った黄金色の蛇体のように四方八方へ駆け下る稲光は、ガラタの谷の枯れた台地から一直線に立ち上がった凶暴な竜巻の姿を幾度も浮かび上がらせた。天と地をつなぐ太い鎖のように、それは激しく旋回しながら自身の周りに大気を引き摺り寄せ、巨大化し続ける。

 這い寄った地卓の縁からその光景を見下ろしているだけでも、轟々と唸って斜面を滑り降りていく風の強さに踵を掬われそうになり、ピアトは地味な草色の修道衣に包まれた己の華奢な両脚を踏ん張るのが精一杯だった。

 この旋風に巻かれて、帝都コンスタンティノープルから運んできた大切な荷物ともども馬車から放り出された幼い身体は、軋みに負けてしまいそうなほど痛い。大の大人でも、どれだけ修行を積んだ修道士でもおそらくは、自分と同じ立場に置かれたら悲鳴を上げて逃げ出しているだろう。

 でも、逃げる訳には行かない。自分には役目があるのだ。

 自分にしか成し得ない役目が。

(僕が生き残ったのは、この為だったんだ)

 ピアトは、刹那を流れ落ちるように過ぎる、鮮やかな記憶を手繰った。

 ビザンティン帝国―その片田舎、見習いとして籍を置いていた修道院のある町は、街道工事の現場から掘り出された未知の『力』による天変地異に見舞われて、わずか数日で壊滅した。

 多くの罪なき民や同胞の修道士達がその荒れ狂う『力』によって神の元に召される中、ただ一人生き残ったピアトのことを人々は「ビザンティオンの御使い」などと呼び習わしたが、それはピアト自身に、「神」への困惑と疑念を深くさせただけだった。

 正体も知れぬ『力』の塊を聖遺物と称して、ミサを口実に帝都へ召した皇帝ヨハネス六世の政治的な思惑など、一介の見習い修道士風情には解らない。そして、その聖遺物の管理役として帝都の名だたる修道院へと召喚されたピアトに皇帝の寵ありと見て媚びへつらおうとする者達の心情も、敬虔に神へ仕える事だけをよすがに暮らしてきたピアトには、理解できないことだった。

 神とは?

 聖遺物の望みとは?

 自分が生き残った意味は?

 自問するばかりのピアトの前に聖遺物を狙う列強国の刺客が現れたその時、救い出してくれたのがフェニックス達だった。

 それからの、聖遺物を刺客の手から取り戻すために共に過ごした、数えれば両手に足りるほどでありながら忘れ難い日々をどう表現すればいいだろう。

 一度は主の御使いと思い―同じ血の通った人間と信じ―そして、鋼鉄の身を持つ巨人と知った瞬間、その受け入れ難い現実に背を向け、逃げた。

 恐ろしさに‥‥?いや、自分の弱さに怖れを為したのだ。何一つ満足に受け止める度量のない自分から、目を逸らした。そして、自分と聖遺物を守るために傷を負ってくれたフェニックス達の前から消えてしまおうとした。

 消えれば、もう彼等が傷付くことはない。何一つ、起こらなかった事のように生きていける―

 だが、それが間違いだったとピアトは知った。

 帝都に、仰ぎ見る玉座に、正しい答えをくれる神など居はしなかった。ピアトが信じられるものはただ、フェニックス達と共にあったのだ。自分が正しいと思う事を為し、為しえるために無償の手を差し伸べてくれるものが。

 ピアトは足元に置いた、大きなビロードの袋に収まった荷をちらりと見やった。球状に膨らんだ袋の中には聖遺物―フェニックス達が〈ジェフディンのパール〉と呼ぶ彼等の技術になるエネルギー体を収めるために作られた、純金と数多の宝石で飾られる聖櫃が入っている。これなら封じるには及ばなくとも、あの恐ろしい力を弱めるくらいには役に立ってくれるだろう。

 そして自分も、役に立ちたい。

 この身に起きた非現実に過ぎる出来事を歴史という名の未来に伝え残すだけの言葉はないし、これからも持つ事はないだろうとピアトは思う。敢えて、誰にも知られずに埋もれる必要がある事柄なら、喜んで口も噤もう。

 再びワジの底に眼を戻した、その時である。眼下のワジに巨大な風をのさばらせて天を突いた竜巻がぐらりと身を傾いで悲鳴を上げ、その内側を裂いて赤い機体が飛翔した。

「―フェニックス様!」

「ピアト‥‥?!」

 なぜ初めて目にする鳥のようなフォルムの物体をフェニックスだと思ったのか、叫んだピアトにもわからなかったが、天啓のように突然、そうに違いないと確信していた。

 谷の底から、地卓の縁に立ち尽くすピアトを見上げた三人の鋼鉄の巨人が声を上げている。金色に彩られたホークと、深い濃紺を帯びるダイバー。白金を纏うランダー。耳馴染んだその声を聞けば、姿など最早どうでも構わなかった。

 ようやく四人の元に戻ってきたのだ。

 沸き上がる喜びのままに、ピアトは夢中で硬い斜面を滑り降りると、転がるようにホーク達の側へ走り寄る。その視線の先に飛来した紅の機体が、翼を持つものの変形を解いて舞い降りてくる。

 ピアトは走った。引き摺るビロードの袋に詰まった重みも忘れたように、巨人達が待つその足元へと息を切らせて真っ直ぐに走っていった。

 

 

 ―2029/7/7 10:53 The Moon―

 

 これは悪夢の続きなのだ。

 そう思い込もうとしてランダーは、思わず椅子から浮かしかけた腰を痛みと共に座面へ戻した。肩から捻る格好で背もたれに戒められた両腕が予想外の悲鳴を上げ、駆け上がるその苦痛が皮肉にも夢の中でないことを証明する。

 ランダーの双眼は驚愕と困惑に見開かれたまま、狭い室内を押し潰す油のような濃い闇の一点を凝視していた。

 訝りながら、慎重に耳を澄ます。感度を最大に上げても、アセニア星から戻った総司令官に参集されてほとんどの騎士がこの区画から遠ざかっているせいか、規則的な機器の稼動音が蜂の羽音のように頭蓋を響かせる。

 これは静寂ではなく、一時の沈黙だ。邪魔な音は何一つない―己が刻む鼓動すらここには必要なものの一つだった。

 だとしたら、とランダーは、自分が見つめている闇の中に黙然と佇む見慣れた輪郭を、やはり悪夢の続きだと疑わざる得ないことに気付いて苦笑した。それが見間違えようもなく、布一枚まとわないフェニックスの姿形をしていようと、何の音も気配も、生き物の熱も感じさせないのなら、存在を認めてしまうのは簡単に敗北を叫ぶ弱々しい獣のようで惨めだった。

「ッはは‥‥!」

 枯れた笑いが突いて出て、ランダーはその間抜けさに項垂れる。ぴんと張るしかない背筋のせいで、断頭台に差し出された首のように項が張った。

 床に落とした視線が、靴の爪先を捉える。土埃一つこびり付かないように磨かれた、スーツと同色の革靴の先端は、闇の内にも僅かな光彩を吸収してぼんやりと幽気のような影を描いていた。

 空間ごと闇を押し退けるようにフェニックスの全身へまといついた粒子の煌きが、先刻まで漆黒しか潜んでいなかった場所に確かな光を投げ掛けている。光輝はまるでフェニックス自身の内側から放たれてでもいるように衰えなかったが、酷く儚い色をしていた。ふっと息を吹きかけただけでも飛ばされてしまう、蝋燭の最期の足掻きのようで、ランダーは訳もなく怖いと思った。問いかけたら本当の夢のように、自分がこの瞬間を台無しにしてしまいそうで。

 それでもフェニックスの顔を見上げると、問わずにはいられなかった。

「―どうして、こんな所にいる?危ないだろうが」

 こんな場所に音もなく現れておいて、実体であるはずがない。解っていても、今や敵としか呼べないサイバトロン本隊の中心部に平然と現れてみせるフェニックスの無防備さに、まず苦言が出た。

 フェニックスはふと眉をひそめ、子供を叱るような言い方をされたことに不満げな顔をする。その態度にいつもと違うところが一つも見えないのが奇妙でもあり可笑しくもあり、手を伸ばして触れられない現実が悔しいようで、ランダーは皮肉な笑みを作って応えた。

「心配してやってるんだぞ。少しは有難そうな顔しろよ」

〈‥‥捕まってるのはお前の方だろ。俺のせいで―〉

 途切れそうになる小さな声が返る。だが、懐かしささえ感じる声そのものは直接ランダーの聴覚器官に反響し、視覚的な像を一抹の落胆と共に補完しただけだった。

「フェニックス、お前、今どこにいる?あんな化け物みたいな奴と、何で一緒に、」

 吐き出すような問いに、フェニックスの表情が悲しげに歪む。ゆっくりと首を振って、フェニックスは言った。

〈今の俺はどこにでもいて、どこにもいない‥‥自分でも自分の形が解らない時がある〉

「じゃあ、アグネスの所へ行ったのはどうしてだ?あいつが行ってこいとでも許したってのか?」

〈許すも何もないさ。だってあいつは、俺がいなくちゃ駄目なんだ〉

 ランダーは息を詰め、暗がりに双眼を見開いた。愕然と一言一句を反芻すると、俄かに悪寒が背を這い下りた。

 今の言葉は正しくフェニックスが本心から言ったのか?それとも〈サイコ〉が目障りな相手を欺くために聞かせた、ただの虚言か?〈サイコ〉が―あの化け物がフェニックスを必要としている?

「お前、何言ってるんだ。それじゃまるで〈サイコ〉のために傍―」

〈ランダー〉

 制する声はひっそりとしていたが、ランダーは反射的に口を噤んだ。ひたと向けられた真摯な視線に抗いを許さない威圧を滲ませて、フェニックスは呻くように告げた。

〈もう、俺を追わないでくれ。死んだものと思って、この先どこで会っても気にせずに戦って欲しい。でないとあいつはいつまでも、皆を排除しようとする〉

「追うなって―ダイバーが聞いたと言ってた。お前の記憶がどうとか‥‥それと関係あることか?お前、あいつに何されてるんだ?本当に記憶を消されてるのかッ?」

〈あいつには俺の持ってきた思い出が邪魔だからね。でも俺が全部忘れても、皆が追って来る限り、存在そのものが邪魔な記憶と一緒なんだ。だから全力で消そうとする〉

「だから、死んだと思って諦めろ?俺達に、お前がいると知ってて〈サイコ〉を攻撃できると思うのか?」

〈実際こんな状態になってる以上、死んでるのと変わりない〉

「馬鹿言え!ちゃんと生きてるだろうが!」

 フェニックスの口元を掠めた微笑は自嘲に近かった。かつて一度として、そんな笑い方など見せたことのない明朗とした気性の男だ。それだけに、〈サイコ〉と共にいることで負わされたのだろう傷の深さが、ランダーを狼狽させた。

 救ってやりたい。衝動的にそう思った。救い出してダイバーとホークの元へ帰してやりたい。たとえその場に自分が欠けても。

「誰が、諦めるかッ」

 忌々しい両手の戒めを引き千切ろうともがいたランダーの前に、フェニックスが数歩、爪先を進める。柔らかな光がたゆたいながら強くなり、ランダーの落とす影を濃くする。

〈これから俺は、取り返しのつかない事をすると思う‥‥悲しませる事になって本当にゴメンって、ホーク達に伝えておいてくれ。お前にしか‥‥頼めないから〉

「そんな事、戻って来て自分で言え!」

 挑むように睨め上げて吼えかかったランダーは刹那、はっとした。

 伸びて来きた指先のほの白さ―そっと乱れた前髪を掠めていった確かな感触。幻影ではありえない、遠く隔たった地にあったはずの正体が突然現れたような、温かな存在感。それはランダーが知っているフェニックス自身の気配だった。

「―フェニッ―!!」

 行くな、と言おうとして、息を継ぐほんの瞬き一つの間に泥のような闇が寄せ戻っていた。狭い室内はただ暗く、冷たい静寂と己の激しい息遣いだけが五感を埋めていく。

 身を捩ったせいで一層深く食い込んだ戒めの痛みだけが、どこにもぶちまけようのない慙愧を噛み殺す牙のように、ランダーを捕らえて離さなかった。

「どうして―俺なんだ‥‥ッ」

 吐き出した問いに応えはない。

 圧し掛かる闇に身を縮めて、ランダーは低く吼えた。

 

 グランドはつい急きそうになる自身の歩調を何度も静めながら、それとない様子を装って、長くもないはずの通路を慎重に進んだ。

 スターセイバー総司令官からの指令を受け、図らずも放棄と決まったこの月面基地内には、すでにほとんど人影がない。戦艦エルミニア、タンクレディの二艦は騎士のほぼ九割方を乗艦させて数分前に月面を離れ、地球周回軌道上へ移動を始めている。そこから、今回の作戦地点に選ばれたガラタの谷へほとんどの騎士を降下させた後、二艦はそれぞれの待機点へ移動する手筈だった。迅速を持って為すスターセイバーの指示に従えば一時間足らずで布陣が終わり、作戦は開始されるだろう。

 時間的な猶予はほとんどない。本来ならグランドも自身のマキシマス戦艦を駆り、とっくに月面を離れていなければならない立場である。見咎められれば困ったことになるのは重々承知の上で、グランドはもどかしさに突き動かされながら、ランダーの勾留された部屋へ向かっていた。

 スターセイバーは己の命令で捕らえたランダーの処遇を誰にも託していない。最終的なシステム調整や軍事用情報サーバーの移譲にかかる人手として幾人かの情報管制官が残っているものの、彼等がここを出る時、ランダーを二艦のどちらかに移送する手続きを踏んでいるとは思えなかった。すなわち、スターセイバーは万事が済むまでランダーを置き去りにすると決めたのだ。もちろん空気や食糧がなければ即、死に至るという肉体ではないから、勝敗が決するまで月面に放っておくのも手だろう。今度の作戦に「駒」として使わないスターセイバーの清廉さは尊敬に値するが、問題は、遠ざけておけばいいという部類の話ではないのだ。ランダーが事実上、捕虜状態であるという事は、そこにいるいないに係わらず、ホーク達にとって見えない盾を突き出されているに等しい。戦端が開く前から、ホーク達はどうあってもスターセイバーの戦術にかかる他ないのである。

(フェニックスを助ける為には、どうあっても、彼等を傷付けさせる訳にはいかない―)

 スターセイバーの術中にむざむざ嵌ることは、〈サイコ〉とフェニックスが共に倒されるという結末への布石でしかない。その悲劇的な予測を回避するには、ランダーをここに置いたままにしておくことは出来ないのだ。

 誰の為でもなく、ただ―

(〈サイコ〉の所為で傷付く者を増やして、なんになる)

 ホーク達はすでに充分傷付いた。フェニックスを奪われ、サイバトロンに裏切られ、今また欺かれようとしている。

 もうたくさんだ、とグランドは憤りをぶつけるように踵で床を蹴り、歩を早めた。

 と、不意に通路脇のドアが横滑りし、がっしりとした輪郭が踏み出して来て、グランドは立ち止まる。自分と瓜二つの、しかし明らかに、その身体を過ぎ去った過酷な年月から立ち上る深い人柄が自分とは大きく違う、フォートレスの姿がそこにある。

 グランドは狼狽を覚られないように、敬礼で応じた。

「フォートレス閣下。すでに総司令官とお発ちかと思っておりましたが」

 傍らにパーセプターがいないのは、すでに戦艦のどちらかに乗り込んだからだろう。フォートレスにしてもすでに軍籍を離れているから、この作戦行動中は戦艦に残る予定だったのだが、ぜひにとスターセイバーに願い出て地上に降りることになっていたはずである。

 フォートレスは、少し気がかりな案件をここに忘れてしまったので戻ったのだと告げ、グランドを見た。

「‥‥彼と共に行けば、君も造反と見なされる。それでも行くか?」

 咄嗟に、嘘で誤魔化すことも出来たかもしれない。真摯な問いを浴びて、そうしなかったのはグランドのささやかな矜持であった。

「私はサイバトロン戦士である前に、彼等の友人として助けになりたいと思っています。ここで友を裏切れば、生涯後悔し続けるでしょう。私は愚かな卑怯者だったと」

 フォートレスは詰るでもなく、そうかと頷いて通路の片側に身を寄せると、グランドの行く手を示した。

「エルミニアとタンクレディの走査から外れるには、時間はかかるが南半球を迂回するといい」

「ありがとうございます、閣下」

「君が友人を見捨てるような男でないと知っているからこそ、私はその姿を託したんだよ―やはり自慢の『弟』だ」

 フォートレスが、性能には歴然とした差があるものの、ほぼ対と言って差し支えない容姿とマキシマス戦艦を持つグランドを弟と呼ぶ、この言葉にはトランスフォーマー特有の特殊な事情がある。

 事実だけを告げれば、フォートレスとグランドの間に血縁としての確固たる繋がりはない。セイバートロン星の内戦を避けて遠くマスター星へ移住し、その地でヘッドマスター能力を開発したフォートレスと、長らくアセニア星の統合本部付き騎士として活躍してきたプリテンダー種のグランドが、同じ姿に成り得るはずはないのである。

 地球暦二〇一一年。ヘッドマスター戦役と称された戦いの後、フォートレスは自ら開発し使用してきたヘッドマスター用のマキシマス戦艦とその能力を、汎用型として再開発した。そしてモデルケースとして、ヘッドマスターではない騎士がそれらを自在に使いこなせるものかどうかを確認するため、数多い志願者の中から一人を選び出したのである。

 それが、数少ないプリテンダー種の中でも常に前線で功績を挙げてきた、歴戦のグランドだった。

 トランスフォーマーにとって、同様もしくは同等の能力を有する者達は広く一般に「兄弟」と認識される事が多い。これが、フォートレスが自分の能力を分け与えたグランドを弟と呼んで憚らない所以である。

「時間は一刻を争うが、もう一つ。グランド、君に知っておいて貰わなくてはいけない事がある」

 そう告げる声音に苦悩と決意とが揺らぐ。グランドは無意識に背を正すと、フォートレスの強い眼差しを受け止めた。

 

 息せきって辿り着いた扉の前は監視役の一人もない、もぬけの殻だった。

 グランドはタッチパネル式のキーを無視して継ぎ目に指を掛け、力任せに横へ押す。扉は抵抗もなくあっさりと開き、通路の照明が扇形に差し込んで、室内にぽつんと置かれた椅子にぐったりと座り込むランダーの横顔を照らし出した。

「‥‥グランド‥‥?」

 ほんの半日かそこらでありながら、そこで数百年も過ごした虜囚のごとく憔悴した白い頬に、ニヤリと笑みが刻まれる。ランダーは、早く外してくれと言わんばかりに両手首の戒めをガチャガチャと鳴らした。

「なんだ、そこ開いてたのか。いつからだ?」

「総司令官がここを発った後、ジャンがキーを解除して行ってくれた。それに、これもな」

 言って広げた手の中に、取り上げられたはずの腕時計状の通信機が乗っている。無くても構いはしないが、地球人の擬態を解くにはやはり手元にあった方がいい。ランダーは礼を口にするより早く、協力者の身を案じて問うた。

「大丈夫なのか?絶対ばれないだろうな?」

「だからこの役しか頼まなかったよ」

 椅子の背に回り込み、グランドは両手で包むようにして手枷を引き千切ると、ようやく解放された腕を擦りながら立ち上がったランダーの背を促した。

「私の艦へ。すぐにここを発たないと、間に合わない」

「どこで、何が起こる?」

「それは道々話すが、とにかくここを出るのが先だ。走れるか?」

「野暮だな。温存しすぎて、力あり余ってるよ」

「せっかく自由になるのに、また戦場だな」

 珍しく皮肉めいた調子で言い様、グランドが先頭を取って走り出す。

「―自由?」

 ランダーは明かりの差した部屋を最後にぐるりと見回すと、へばりついた己の弱い影を振り払うように顔を上げ、床を蹴りつけて飛び出した。

 

 

《続く》

 

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