ついにサイバトロンとジンライ達が対峙する事に…
ご覧ください。
―2029/7/7 14:12 Valley of the Galata―
南北に長く干上がったワジを見下ろすように、鋭く切れ上がった両岸の地卓に三キロにも及ぶ魚鱗の陣を布くと、もはやスターセイバーに残された役割は開戦を号令するだけだった。
スターセイバーもこれまでの全軍総司令官がそうであったように、まず最前線の、先陣に立つことを良しとしている武辺者である。指揮権限は六つに分けた大隊それぞれに将を配して与え、ブラッカー等ブレインマスターの三人が更に上位の統制権を持って各大隊を動かせるようにしてあるから、スターセイバーが全幅の信頼を寄せている彼等がこの作戦に於いては事実上の指揮官であった。
統率権限がたった一人に集中している軍勢は結束が固そうに見えて、いざ前線となると、その頂が欠けた瞬間に大方が内部から瓦解する。大規模な作戦を遂行する場合には、単独とは言わないまでも総司令官など、ある程度放っておかれた方が万端、対処しやすいものだ。急場の援軍とは言いつつも、ほとんど全員がアセニア星駐留軍の生え抜きであればこそ、こんな無茶な戦術にも適応してくれているのは大いに救いだった。これなら、ある程度の混戦が続いても自分達の役目を見失うことはあるまい。
スターセイバーは一度、乾涸びた谷底に下りて陣形を確認した。底幅は両の斜面まで五百メートルほど。地卓までの深さもトランスフォーマーからするとそれほどとも言えないが、およそ二百メートルはあろう。見上げた空は青い帯状に、白茶けた地卓の間を流れている。
付かず離れず後背にあるウルトラマグナスの気配へと、スターセイバーはひっそり言葉だけを向けた。
「―挟撃できれば、あの巨体でもいくらかは足止めできるでしょう」
誰にも聞かれる訳にはいかない言葉だという自覚はある。表向き、この作戦の主たる目的はプリテンダーと、彼等に加担するサイバトロン軍離脱者の捕獲であって〈サイコ〉ではないと言ったのは、他ならぬスターセイバー自身だ。しかし、スターセイバーの心底にあるのはこの場所で起こるであろう〈サイコ〉との一戦を、いかに有利に展開させるかという一事だった。
《現れますか?》
片側の聴覚に、静かな声音が降ってくる。気配は陽炎のように揺らめき、スターセイバーの背を僅かにひんやりとさせた。
「ホーク達がここへ来れば、必ず
《〈サイコ〉がそれを許すでしょうか?》
「フォートレス閣下のお話通りなら、すでに〈サイコ〉は彼の―フェニックスの意思を無視できない段階にまで、〝変質〟が進んでいるはずです。仮に抗えたとしても、おそらくそうしない。フェニックスを手元に留めておくには、彼をこちら側に引き止めようとする邪魔な楔を一掃しなければいけませんから」
囁くような会話を続けながら、スターセイバーの足は谷底の、ちょうど陣の中心になる辺りで不意に止まった。くるりと周到に地形を見回し、位置関係を確認する。そのまま手をかざして天を仰ぎ見ると、一人頷く。
ウルトラマグナスの問いが、スターセイバーの真下に蟠る影に落ちた。
《機動力と火力、何より単体でのワープ能力は侮れない。よほど心してかからなければ、足元を掬われます。この地点へおびき出すだけで、相当の痛手を受ける覚悟がおありなのですね、総司令官》
スターセイバーが衒いない笑みで答えるのを、ウルトラマグナスは酷く懐かしいような思いで確認した。自分が仲間達の盾である方がずっとましだと言って憚らなかったロディマスならば、こんな時、やはりスターセイバーと同じ手段を選んでいるだろうと思う。
月面を離れた二艦から先発し、スターセイバーと共にガラタの谷へ下りたウルトラマグナスが目にしたのは、ビクトリー戦争終結の折にデストロンを離反し、期限付き条件の元で地球に居残ったと言うゴウリュウ率いる恐竜戦隊の面々と、彼等がスターセイバーから頼みを受けて密かに持ち込んできた装置だった。
一つ一つがトランスフォーマーの掌にすっぽりと収まるほどの、つるりとした球体が十二個。それが『クルーン』と呼ばれる高密度シールド発生装置であることは、ウルトラマグナスの記憶にも残っていた。ただし、知っていた開発当初のものよりもずっと小型で開発技術の向上が如実に窺えたが、それでもまだまだ改良の余地のある試作品なのだと、スターセイバーは前置きした。
この十二個の球体を、半径百メートルの円を描くようにして地表のすぐ下に埋める。任意の指令波を受けた瞬間にそれぞれが高エネルギーを発して連動すると、球状のシールドを作り出す仕組みである。クルーンが優れているのは、地表上部だけではなく地中内部にも同様に半球のシールドを結ぶ点にある。つまり地上戦においては全方向からの衝撃を跳ね返す最上の防御であり、同時に、その内部へ封じることで敵を完全な戦闘不能の状態に出来る檻であった。
ただし現段階では持続時間に限界がある。もって七、八分だと、スターセイバーは恐縮そうに付け足した。ウルトラマグナスにとって、それは〈サイコ〉を相手にするには余りにも短い猶予に感じられたが、スターセイバーはワジのもっとも開けた場所にクルーンを設置させたのである。
「‥‥あんたがこんなもん使いたがるとは、意外だな」
良く知る敵だったからこそのゴウリュウのぼやきにもスターセイバーは何も言わず、もう兵士ではない彼等の労をねぎらって早々に引き上げさせた。
スターセイバーが、ホーク達に釣られて現れるであろう〈サイコ〉と、たった一人で対峙する気構えでいるのは明らかだった。確かにクルーン内部へ〈サイコ〉を封じ込めさえすれば、軌道上にある戦艦タンクレディからの高高度攻撃が可能になる。それには数分も要しない。単体ワープは脅威だが、それも空間を遮断したクルーンの内部では逆に素粒子の爆縮を招く為、逃亡の術も殺いだことになる。
それでもまだ〈サイコ〉の戦闘能力は未知数だ。封じ込めている間に確実な手を打たなければ、無傷でシールドを破られる可能性もある。そうなれば、ここに集結させたサイバトロン軍の戦力のほとんどが失われかねない。
「〈サイコ〉は私が必ず、生かして捕らえます。最悪、私も共にクルーンの中へ‥‥ここで奴を取り逃せば、元老院が私を解任し、別働隊を送り込んできてもおかしくない。しかしそうなれば、助けられるはずの命は確実に斬り捨てられる。それだけは命に代えても回避するつもりです」
《ご意志のままに。出来る限りの力で、私がその道をお守りします。ただお忘れになりませんように、閣下。後ろについて行くのは私ばかりではありません》
スターセイバーが進んで犠牲になろうとするなら、ブラッカー達がそれを許すまい。
ウルトラマグナスが暗に含ませた意味を悟ってスターセイバーは苦笑し、両肩に張り詰めていた鋭気をふっと下ろした。
「死にませんよ」
《‥‥安心しました。昔―私にこう言った方がいます。自分の命が惜しくない人間が、誰を守れるのか、と。ですから、無茶な賭けをなさってはいけない。守るべきものの為にです》
スターセイバーは崖の両側に視線を滑らせると、一人で谷底を歩き回っている自分を見守るように黙って目で追っているブラッカーの生真面目な顔に手を振って答え、ぽつりと、だがウルトラマグナスの耳に向けてきっぱりと言った。
「守るべきもの‥‥それが理想や地位でないことを、元老院に証明して見せます」
ブラッカーは、スターセイバーからすんなりと返って来た穏やかな笑みの中に一辺の迷いもないことに安堵しながら、どこかで驚いている自分に気付いて狼狽えた。
これから同胞であるホークやビクトリーレオ達をサイバトロンの「正義」に由って討とうという時に、総司令官の態度が曖昧ではもちろん困る。毅然とし、尚且つ指揮を鼓舞するような威容を保っていてもらわねばならないのは当然だが、スターセイバーが自らの決断に納得し切っていないことも、ブラッカーには解っているつもりだった。
どこかで何かの弾みに、ぽっきりと折れてしまうのではないか。
スターセイバーが列を離れる度、幼い我が子を案じる親のような心境で背を追っていたのはそんな気持ちからだったし、もしか自分には、本音を吐露してくるのではないかとすら思っていたのだ。だが、スターセイバーの表情はいっそ清々しいほどに落ち着いている。
納得した、とは思い難い。しかし少なくとも、これが最善の策だと思うことはできたのだ。ビクトリーレオが言ったように、戦わずに済ますことなど最初から―
「ブラッカー」
その声に崖の縁から乗り出していた身体を引き戻すと、小走りに近付いてきたブレイバーが不思議そうにワジを覗き込み、スターセイバーの姿を見つけて呆れた風に肩を竦めた。途端、涼やかなペールブルーに彩られた容姿とはかけ離れた皮肉が、その口を突いて出る。
「お前さん、心配しすぎだよ。まあ昔っからだけど」
「ああ、自覚してるさ。それはいいから、何だ?」
「おっとそうだ。フォートレス閣下がもうすぐ到着だ。非戦闘員だからな、五キロ南東に行った場所に護衛付きで居てもらう事にするが、いいか?」
「たった五キロで危険はないか?流れ弾の射程は‥‥」
「ぎりぎりだなぁ。と言っても、地上降下はフォートレス閣下のご希望だから、あまり遠ざける訳にはいかないだろ。本当ならタンクレディにでも乗ってて欲しいが」
「まあ、な」
理由ならいくらでもこじつけられたのだ。だがスターセイバーは、地上で作戦の推移を確認したいと申し出たフォートレスを拒まずに、それを許した。前任者への敬意、ではないだろう。スターセイバーは軍を離れた第三者の目で確認してもらいたいのだ。
自分のしていること―しようとしていることを。
ブレイバーが不満げに、引き結んだ唇を歪めて言った。
「ブラッカー、お前、疑問を感じてるか?」
知らぬふりを決め込んでいても、スターセイバーの直属下でこの大所帯を統率する立場にいるブレイバーやラスターの耳には、下からの不平不満の声が否応なく届く。中には馬鹿馬鹿しいような流言まがいの噂も混じり、怒りの持って行く先を探しあぐねていたこともある。傍に聞く者がいないのを幸いブレイバーがずばりと問うと、ブラッカーは友の憤懣に軽く溜息をついた。
「総司令官が決めた事に疑いなんてない。俺は望まれたように、最大限の力で命令を遂行するだけだ」
「言うと思った」
「なら聞くな」
「ジャンは疑問を感じてるぞ」
ブレイバーをひと睨みしようとして、ブラッカーは突如飛び出したジャンの名に思わず怯んだ。地球に付いて来たがったジャンを突き放して、最も離れた月軌道の戦艦エルミニアに残してきたのはブラッカーの指示だった。スターセイバーの気持ちを思えば、〈サイコ〉の脅威に晒されている太陽系域から送り出してしまっても良かったのだが、アセニア星への帰還に割く人員も惜しい状況では戦火の届きにくい―現状を直視せずに済む場所に留めておくことしかできなかったのである。
「ジャンに聞かれたよ。何で誰も救われないような事をするんだ、ってな」
ブレイバーの声に飲み込み損ねた苦さが広がる。
幼い頃、それこそ
ブラッカーが常に前線へ赴きたいと願うのは、その為だ。己の行為が『正義』だけではない事実を知っているからこそ、従ってくれる騎士達の誰よりも痛みに立ち向かい、忘れないようにしたいのだ。軍人である不条理を。
今度の作戦に疑問は持たない。しかし、罪の意識は感じている。良く知る相手を敵と認識しなければならない馬鹿馬鹿しさに。
ジャンにも解っている筈だ。
こんな事は誰も望んでいない。
誰も望まなかった。
「‥‥ビクトリーレオは俺達と戦う事を厭わない。だとしたら、いずれはこの状況になったんだ。ずるずる先延ばしにして抜き差しならない所まで行き着くより、ここで手を打つのは間違いじゃない。今ならまだ修正できる」
「そう願うよ。同士討ちなんて一度でたくさん―」
嘆息混じりのブレイバーの声は、突然甲高く鳴り響いた警戒音によって破り去られた。
地上の異変ではない。ブラッカーは引かれるように晴天を振り仰ぐ。
薄く刷いた雲の切れ間にぽつんと染みのように穿たれた黄金色の目映さを、アイグラスの感度を上げて睨み据えると、
「―ビクトリーレオ―」
呻きが、つい知らず零れ落ちた。
眼下に茫漠と広がる赤っぽい大地は、あるはずの起伏を見分けるのも難しいほどに霞んで、見下ろすジンライの距離感を一時のあいだ狂わせた。
ガラタの谷と呼ばれる台地から上空に、四、五キロは離れているだろうか。遥かに前方を見晴るかせば、きらきらと日差しを反射する広大な海面が望める。トルコの首都イスタンブールに面したマルマラ海は船影もなく穏やかにたゆたって、悠久の刻の流れがこの一瞬にも連綿と続いていることを証明しているようだった。
ゴッドジンライとして駆け抜けるように生きた日々、こうした景色をどれだけ目にしたことだろう。生い茂る木々の濃緑、瀑布に逆巻く飛沫、峰の頂を覆う白雪、熱波に舞う砂塵―平凡な一介の地球人として過ごす人生しかなかったら、生涯感じることもなかったはずの感動と歓喜。
分身とも言えるゴッドジンライの中に刻んだそれらの感情がビクトリーレオの奥底からも流れ込んでくることに、ジンライは安堵していた。
視線を再び眼下に向ける。意識を集中すると、ビクトリーレオを介した視覚は何の苦もなく、地上に布陣したサイバトロン軍の全体像を的確に捉えて情報に変換する。
数は―火器は―戦力の分布は―
視認した情報は数値化され、最低限の活動時間で最大限の攻撃を行うに適した予測行動を弾き出す。
ジンライはそっと右手を動かし‥‥否、動かしたとイメージした。肩が、腕が、肘が、そして指先がビクトリーレオの四肢に交わる感覚で走った瞬間、視野の端で宙を踏みしめた右手がガリッと空を掻く。その手は黄金色の、逞しい獅子の脚だった。二基のカノン砲を背に負った獅子の形態がまざまざと五感に重なり、今の自分がビクトリーレオ自身であることを認識する。
地上偵察に出ていたライトフット、レインジャーから、地球に降下しているサイバトロンの動きが慌ただしくなったという連絡を受けたのは、一時間ほど前だ。その集結地点がここガラタの谷だと聞いたホークとダイバーは、どこか感慨深げに黙り込んだ後、それ以外の選択など初めから考えていないように、サイバトロンが陣を張っているだろう場所へすぐに向かうと決めた。そしてジンライもまた、ビクトリーレオと共に付いて行くことを選んだ。
ビクトリーレオはジンライの願いを拒まなかった。ゴッドジンライとして在った時と同じように素体の手足となり意識となることを望み、ジンライを受け入れた。
曝け出されたビクトリーレオのパーソナル・コンポーネントは眩むほどの光に満ちていたが、手を伸ばした融合の刹那、ジンライが感じたのは苦痛ではなく、分かたれていた物が一個の存在へと再生された安らぎだった。どう表現するべきかはわからない。今の自分が地球人としての姿を保っているのかも確信はない。しかし懼れはなかった。
戦うためではない―守るために、自分が望んだ。
(―行くぞ、ビクトリーレオ)
獣の四肢を極限まで縮め、ジンライは咆哮した。
全身が弦を放れた矢のごとく地上へ向けて跳躍する。
風を切る音。ぐんぐんと近付く地上の景色の中で、色とりどりの騎士達の姿が大きくなっていく。
「―ビクトリーレオ!!」
聞き覚えのある怒号を吐いて、焔色のジェット戦闘機が地上面から一直線に交差軌道へ飛んだ。ブースターから瞬間的に弾き出された衝撃波が弧面を描いて大気を破り、加速したスターセイバーの機体は数秒でビクトリーレオの真正面に到達していた。
衝突する―!
総司令官の素早い行動を追っていた者達は棒を呑んだように竦み上がった。回避の時間などどちらにもあるはずがない。一人一殺の捨て身の対応に、それは見えた。
だが次の瞬間、スターセイバーとビクトリーレオは予定調和の上に舞い踊る軽やかな剣技の一つのように身体をするりと斜に傾けたかと思うと、一塊の旋風のごとく上下にすり抜け様、互いの巨躯を左右に弾き飛ばした。
「ッ!」
スターセイバーは錐揉みしながら落ちかかる機体を逆噴射で押し留め、上昇に転じる。ビクトリーレオは中空で数度回転した後、後ろ脚でバランスを取り直すと、距離の開いたスターセイバーには目もくれず一方の台地へ駆け下った。
「ブラッカー!」
ビクトリーレオの躍動的な背を急降下に転じて追いながら、スターセイバーが叫ぶ。ジンライの視界で結ばれた着地点にトルク音を上げてバギーが走り込み、それは砂塵を散らしてブラッカーにトランスフォームした。握り込まれた大振りの剣が陽を受けて白く輝く。
「ビクトリーレオッ」
飛び掛かる獣の姿を睨み上げたブラッカーの手の中で、切っ先が下段に、待ち受ける型に下がる。逸れることのないその眼光が、過たずビクトリーレオの首筋に狙いを定めているのをジンライは見て取った。
途端、獣身が急制動をかけて踏み止まったかと思うと風圧が砂礫を巻き上げ、ブラッカーの視界を赤茶色の幕が塞ぐ。怯んだ寸の間、利かない視覚が感知スコープに切り替わる一瞬に、ビクトリーレオの巨躯はブラッカーの鼻先から反対側の台地へと跳躍していた。そちらにも二千人の騎士達がラスターを中心に陣を張っている。が、総司令官の合体パートナーであるビクトリーレオが躊躇う様子もなく歯牙を剥いて向かって来ると見るや、すでに陣形は凍り付いていた。
突然、目標を変えて飛び去ったビクトリーレオの反応に遅れ、スターセイバーは斜面を谷底ぎりぎりまで降下する。機首をほとんど垂直に持ち上げて上昇しつつビクトリーレオの姿を捉え、己の甘さを責めた。
台地の端、ブラッカーとの一騎打ちを避けて転じたビクトリーレオの真正面に立ちはだかったラスターの手に、ブレインマスターのみが持つ揃いの剣が閃く。
だが。
「―遅いッ」
覇気の一声を放った獣身が翻る。そこに人型へ戻ったビクトリーレオの、巨体に似合わぬしなやかな肢体が舞った。
いつ変形を解いたのか、ラスターには判断がつかなかった。目は逸らさなかったはずなのに―思考が現実に追いついた時、剣はビクトリーレオに蹴り上げられた右腕の悲鳴と共に投げ飛ばされ、五指の間から消えていた。視線が天を仰ぎ、腹部に激しい痛みが走る。突き倒され、ビクトリーレオの膝頭に押さえ込まれているのだと理解できたのは、それから更に数秒後だった。
ヒュッと吸い込んだ砂ばかりの外気が、口腔でジャリジャリと音を立てる。ラスターは覆い被さるようなビクトリーレオの顔を呆然と見上げた。
ゆっくりとビクトリーレオの首が横に振られ、拒否の意を示す。右手が動いてラスターの胸元に止まった。
「‥‥あんたに恨みはない。けど、ロードシーザーになられちゃ困るんだよ」
「!?―お前、誰―」
ビクトリーレオではない、と、僅かにニュアンスの違う口調に気付いたラスターの眼窩に驚愕が浮かぶ。動転したようなその問いにジンライは答えず、右手に力を込めた。
ずぅん、と鳴って圧縮された衝撃波がラスターの外装を通り抜け、頑強なはずのトランスフォーマーの身体が痙攣する。
「がッ‥‥ぐぁ‥‥!」
ビクトリーレオが手を離すと、ラスターはぐったりとその場に横たわった。死んでいるのでないことは、ビクトリーレオの冷静な横顔を一目見れば明らかだ。ビクトリーレオはただ的確に、スターセイバー以外の最も手強い戦力になるであろうロードシーザーを―ブラッカーとブレイバー、ラスターの三体から成る合体戦士を、まず最初に排除したのだ。それには殺す必要などない。パーツを一つ、活動不能の状態にすれば良い。
三体合体の『一人』を相手にするより、単体の『二人』を相手にする方が容易いという訳か。スターセイバーの他に敵などいないと言っているようなものだと、ブラッカーは歯噛みした。
気絶したラスターを組み敷いたままのビクトリーレオが台地にひしめき合った一群を睥睨すると、怖気づいた騎士達が一人、また一人と後退った。這うような恐怖は瞬く間に伝播して、ビクトリーレオを遠巻きに半円の空間が広がっていく。
完全に呑まれた。たった一人、同じ舞台に上がってきただけで、してやられたのだ。
「全員引くな!確保しろ!!」
ブラッカーは叫び、ワジに隔てられた反対側の台地へ向かって急斜面を滑り降りた。頭上に遠ざかる崖の縁からブレイバーの喚く声が追って来たが、振り返る余裕はなくなっていた。一足早く斜面を垂直上昇したスターセイバーの機影が宙を旋回し、ビクトリーレオの元へ突進していくのが遠目に見える。大型ジェットの濃い影が、鳥のように地を駆けた。しかしビクトリーレオは身構える様子もない。
(おかしい―)
ブラッカーが気付いたのとスターセイバーが不意に機体を急停止させたのは、ほぼ同時だった。
轟音は唐突に台地を埋める騎士達の中心から起こった。
何の予兆もない場所から一筋、煙のように立ち上った風は、周囲がそれと知る間に一陣の旋風から天を突く巨大な竜巻へ膨張したかと思うと、ビクトリーレオを囲む騎士達を割くように左右へと叩き飛ばす。
陣を張った台地の一箇所だけを舐め尽くす尋常ではない風圧に押し戻されながら、スターセイバーは素早く周囲の数キロ圏内を走査する。
「これが、超魂パワーの本領‥‥!」
直接目にしたことはなかったが、確信はあった。ビクトリーレオと意思を同じくしてサイバトロンを離脱したゴッドマスターの、他の種とは異なる独自の能力―超魂パワー。地球にあって自然の力をこれほど簡単に操れるとしたら、ゴッドマスター以外に無い。
「タンクレディ、状況を確認できるか!?二十キロ内を隈なく走査だッ」
『―報告!北北東八キロ地点に時速三二〇キロで急速接近する敵影、単騎で―』
戦艦タンクレディの艦橋から届く慌ただしい声が一拍喘ぎ、スターセイバーの聴覚に第二の報を付け足した。
『南西六キロ、時速二八〇キロの敵影。同じく単騎です!』
西側の台地にはブレイバーともう一群の陣がある。ブラッカーが離れたとは言え、おいそれと不意を突かれるような新兵の一団とは違うが、東側の台地で繰り広げられている暴風の蹂躙を目の当たりにして騎士達は浮き足立ち、備えるべき方向に背を向けていた。
「ブレイバー、陣を乱すな!」
「ッ?総司令―」
反応するよりも早く視界が奪われた。
台地に襲いかかった大量の砂塵が、ありえない飛散速度と角度でブレイバー達を覆い尽くしていく。ドームのように広がって台地の一箇所に滞留した粉塵には、天然の金属粉でも混じっているのだろうか。通信に激しいノイズが入り、ブレイバーを呼ぶスターセイバーの声を撥ね付けた。
これでは統制どころではない。パニックを起こして無謀な行動に出るような者がまだいないだけ、何とかマシと言えるだろうが。
ブラッカーは谷底から東西を高く遮る地卓で起きている二つの強襲を確認し、その一方にすらりと立ち上がったビクトリーレオの姿を睨み上げた。
フェニックスをサイバトロンの手から守る為なら、ホーク達が来ないはずがない。だが見回しても、プリテンダーが参戦してくる気配がないのはどうだ。これではゴッドマスターのみの強襲、ただの特攻ではないか。
(―最初から、ビクトリーレオの狙いは‥‥ッ)
上空を旋回するスターセイバーの黒い影がブラッカーを掠める。ブラッカーはバギーにトランスフォームすると、斜面目掛けて突進した。
「―ホーク達に〈サイコ〉を迎え撃たせる為に、サイバトロンを排除する気だったか―」
アイグラスの中心で展開する光学映像を切ると、フォートレスは控えた数人の護衛騎士を振り返り、彼等が退避場所として示した岩場の隙間に大人しく潜り込んだ。
戦艦タンクレディを経由してガラタの谷へ到着するより早く戦端が開かれ、フォートレスがこの場に立った時には、布陣してあった地卓の全貌がすでに旋風と粉塵の坩堝と化していた。
ゴッドマスターの超魂パワーはトランスフォーマー種としては異例の、〈Psi〉に近い特殊能力である。しかし到底、数千の騎士を一掃出来る程ではない。奇襲は成功しているが長く持たすのは不可能だろう。ただし、戦意を減少させるだけなら役目は充分に果たした。
「盾になるつもりでいるな‥‥」
ここに次いで〈サイコ〉が現われれば、最初の混乱を引き摺って否が応にも個々の行動を乱す。ゴッドマスターと〈サイコ〉、どちらにも対処しなくてはならなくなった場合、戦力は分散されビクトリーレオ達を優位にする。それこそがビクトリーレオ―ジンライが目論んだ公算。罠と知っていて陣の真ん中に飛び込んできたのは、サイバトロンの厚い戦力を逆手に取って〈サイコ〉を攻撃させ辛い状況に追い込むためなのだ。ホーク達をその時まで温存しておけば、仮に〈サイコ〉が現われずともビクトリーレオ以下、数人の損失だけで済む。
「何があろうと、フェニックスを救い出すまでホークとダイバーを守り通す気か。見事な覇気だが‥‥」
砂塵を割いて上空へ飛び出した金の獣身が再び、スターセイバーのジェット形態とぶつかり合う。遅れて四散した衝撃波がフォートレスの周囲を震動させ、ばらばらと脆い岩の欠片が降ってセイバートニウム金属の肌を打った。
フォートレスは押し殺していた呼気をそっと吐く。
(ウルトラマグナス様―)
幾度となく弾け飛び衝突する赤と金のシルエットを見守るように、静かに宙を飛翔するウルトラマグナスの薄い影が、右へ左へ、上へ下へ移動する。ビクトリーレオには見えていないだろう存在を、スターセイバーは今も背に感じながら戦っているはずだ。ビクトリーレオを傷付けたなら、彼等の守護を願った自分こそがウルトラマグナスの手で除かれることになると知りつつも。
『―膨張熱源感知!』
不意にフォートレスの耳元で、タンクレディに繋いだ回線から声が飛んだ。スターセイバーが、ブラッカーが、そこに置かれた騎士達が一様にその言葉を理解できたかはわからないが、フォートレスはアイグラスの中で大写しになる混戦の只中に、黒々とした孔が鷹揚に口を開ける様を見守った。
白銀の、一点の曇りもない巨大な肢体がゆるゆると白茶けた殺風景な空間を埋めていく。
「フェニックス‥‥あの時、私に業を断ち切る勇気があれば君に‥‥」
こんな苦痛を背負わせることもなかった。
一旦距離を取って二方向に離れたスターセイバーとビクトリーレオの影が、〈サイコ〉の周囲を乱舞する。その向こう、北西側から数個の機影が飛来するのが確認できた。
ぽつんと見える色彩が急速にホーク達の姿を取る。
フォートレスはただ、握り締めた拳に祈った。
―1480 million years ago―
自分が奴隷なのだと意識するのは、こんな時だ。
言葉がただの音として、姿が塵芥の中の一粒として、完全に無視された瞬間。そして、心血を注いで出した長い実験と開発の成果が、主の懐を潤す『商品』には成り得ない無価値なものだと切り捨てられた瞬間。
死の商人として銀河に悪名を知られた創造主―クインテッサ星人達にとっては、新たな兵器開発のために直轄の生体研究所へ集めた者達も、大金を生み出せなければやはりただの奴隷なのだ。
フォートレス―その頃の名はセレブロスと言った―は目の前で数年分の研究データが無残に破棄されるのを見届けると、数度の無慈悲な鞭を背に食らってから、痛みよりも激しい悔恨を引き摺りながらラボへ戻った。
「酷くやられたな‥‥大丈夫か?」
「ええ、大丈夫。気にしないで下さい」
主達の目を憚かりながらも気遣わしげに声をかけてくれる朋輩の手を退けて、フォートレスは自分に与えられているコンソールへ、黙然と向かい合った。
他のトランスフォーマーが強制労働従事用の、いわば使い捨ての奴隷であるのに比べれば、頭脳を見込まれてこの研究施設へ送られたフォートレスや他の、十数名ほどいる研究員達はみな、恵まれた暮らしを送っていると言っていい。創造主の機嫌が悪くない限り、命を奪われる事も、一時の快楽のために切り刻まれる心配もない。例えば時に、ふっと一人が消えて新しい研究員が補充される事があっても、外の世界よりもここは遥かにましな場所だった。外が地獄の底なら、まだその紅い水面にいるだけの差ではあったが。
データの一欠けらまで抜き取られたコンソールの、単なる機械の箱と化した感触を確かめていると、労わるような仕種で肩を叩かれる。振り返ると、このラボで最も歳若いフォートレスを常に気にかけ、何くれとなく話し相手になってくれる最古参の同僚、バルサーが、こちらを覗き込むようにして立っていた。
穏やかな面には年齢を感じさせる皺が刻まれ、それだけが彼がここで過ごした時間を物語っている。
「‥‥残念だったな。君の理論は素晴らしかったのに」
「消えてしまえば、最初からなかったも同然ですよ」
「そんな言い方をするものじゃない。いつかきっと、時代は変わるよ」
「それでも奴隷である限り、私達に課せられるのは、高性能の兵器の開発ではないんですか?」
噛み付くような言い方に、バルサーは困ったように笑んだ。その表情にはっとして、すみません、とフォートレスは己の憤懣をぶつけてしまった非礼を詫びる。
同じように奴隷として、それもこの研究施設の立ち上げ当初から従事させられてきたバルサーの方が余程、数え切れない苦渋を舐めてきたに違いないのだ。
そんなことすら見えていなかった自分の青さが恥ずかしく、フォートレスが俯いて口を閉ざすと、バルサーがその肩をもう一度ポンポンと軽く叩き、
「ところで、セレブロス。ものは相談だが、私の仕事に加わってくれる気はないか?君が手伝ってくれると非常に助かるんだが」
言って、ニッと無邪気な顔で笑った。
フォートレスの面に驚きが浮かぶ。その目が泳ぐようにバルサーの背後を覗き込んだ。
バルサーの受け持つコンソールの一角は、壁面に造られた巨大な扉の横へ埋め込むようにつながり、一つの島を形成している。研究員は十数人いるが、その内の六、七名はすでにバルサーの助手として彼の研究を補佐している状態だった。現にコンソールの前には数人が引っ切り無し、モニターに弾き出されるデータと顔を突き合わせている。
「手伝うと言っても‥‥もちろん、私がお役に立てるなら光栄ですが」
「ぜひ加わって欲しいね。ルシータも君の才能を買ってる」
バルサーの片腕であり、また奴隷の身であるために妻と呼ぶことは叶わないながら、彼のパートナーとして同僚達に認知されているルシータは、この施設で唯一の女性型トランスフォーマーである。
そのルシータはこのところ、バルサーと共に長年取り組んできた一大プロジェクトにかかりきりで、今日も目に付くところにはいない。
扉を目線で示して、フォートレスは問うた。
「彼女はまた『苗床』ですか?」
「ああ、今度の子は大人しくてね。ルシータによくなついてるんだ」
ガオン、と重々しい音を上げながら、施設の地下に建造された巨大な『苗床』につながる一つきりの扉が僅かに開く。その隙間から不意に、
「―ォゥオ、オオオオァァァァァァ‥‥ッ」
尾を引くような低い咆哮が漏れ聞こえた。
フォートレスは顔をしかめ、バルサーを見やる。バルサーは数度首を振り、肩が上下するほどの深い呼気を吐きながら呟いた。
「662番の『苗』だよ。自我崩壊が始まって、もう3サイクル目になるかな‥‥そろそろ乖離状態に入るだろう」
「残念ですね」
「育つはずのものが育たないのは、老体には堪える。ルシータも最近は、『苗』の最期にいつも泣くんだ。可哀相なことをしたと言ってね」
「母親のように接しておられるからでしょう。お気持ちはわかります」
「ああ、本当にあれにも可哀相な思いをさせてる」
それでも創造主が喜ぶ結果を出すまでは、何度でも同じ苦痛を味わわなければならない。
やはりここも地獄の底だ。壁の向こうには、もっとも罪深い者が沈む淵が待っている。
そして自分も沈むのだ、とフォートレスは思った。ただそれ以外に、生き延びる術を持たないから。
「‥‥実は新しい組成プログラムを試してみようかと思っているところなんだ。興味があるかい?」
「あります。聞かせていただけますか?」
こっちへ、と促して歩き出すバルサーの背を追って、フォートレスは『苗床』に通じる扉を潜っていった。
《続く》