TITANIA   作:宇宙の正面

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今回が第3巻の最終話です。
ちょうどいい切れ目が見つからず
少し長めになっておりますが、
お楽しみいただければ幸いです。

後書きに第3巻の用語解説も付けておりますので、
併せてご覧ください。



TITANIA第3巻#6

 

―2029/7/7 14:37 Valley of the Galata―

 

 銀河系の深遠にでも続くのかと思われるような、光の一粒すら吸い込まない黒い孔は、〈サイコ〉の身体を地上に吐き出すと亡者の喉が鳴らす不気味なコーラスを発しながら収縮し、ふいに消えた。

 金属の塊であるはずの巨体はしばらくの間、その場にゆっくりと滞空した後、まだ混乱の中にある両の地卓を避けてワジの切れ目に降下する。跪くように沈めた身体の下でズンッと地表が揺らぎ、勢いよく舞った砂塵が斜面を這い登って地卓を吹き抜けた。

 途端、一面が砂嵐に見舞われたように視界が塞がれる。幸か不幸か、その突風がブレイバー達を襲っていた風と砂の超魂パワー―ロードキングとレインジャーの放ったそれを相殺し、高速で接近しつつあった二人の車体を明確にした。ジンライのように自らのトランステクターを駆る二人は今、並みの地球人とは比べ物にならない能力を取り戻しているが、それでも正面から狙い撃たれればただでは済まない。しかし現れた〈サイコ〉を後背にして、ゴッドマスターに照準を取るのは余りに無謀だとサイバトロン側も認識しているのだろう。辛うじて陣の建て直しを図りつつも、どちらに迎撃の主軸を置くか決めかね、命令の統一感は欠けていた。

 これは好機だ。

 ライトフットは、先攻した二人が陣の眼前まで滑り込むのを確認すると、自身が駆ったRX‐7の頭上を飛翔するホークとダイバーに通信回線を開く。

「僕が先に出て道を付けます。二人は後ろから、〈サイコ〉が動くのを待ってください」

『君一人じゃ危険だ、ライトフット!』

「これがゴッドマスターの総意ですッ」

 返ったダイバーの声に構わず、ライトフットは一杯までアクセルを踏み込む。RX‐7は唸りを上げてワジへ直進した。

〈サイコ〉の降下地点まで優に三キロはある。ロードキングとレインジャーにそれぞれ東西の地卓を任せても、気付いて反転した騎士数人にかかられれば足が止まってしまう距離だ。危険は百も承知だった。

『ジンライさん、行きますッ』

 どれだけ〈サイコ〉に近付けるか―その為にはジンライが盾となって防御してくれることが不可欠だ。ライトフットは素早く、スターセイバーとの激突を繰り返しているジンライとの位置関係を見定め、ハンドルを捌いた。

 ジンライは一旦スターセイバーとの間合いを計るように飛び退ると、地上を疾駆するライトフットの車体をトレースし、アイグラスの端にモニターのウィンドウを固定させた。本当なら百パーセントの力を傾けなければスターセイバーは倒せないが、撃滅が目的ではない。ライトフットやホーク達を守りながら戦うには、まずスターセイバーをここに繋ぎ止めるだけでいい。厄介なのはむしろ、ブラッカーの方だ。

(まともに当たったら負ける)

 共に前線を潜ったビクトリーレオの忠告通りなら、ロードシーザーへの合体を無効にしただけでは到底、ブラッカーの卓越した戦闘能力を封じたとは言い難い。ライトフットが劣るとは言えないが、白兵戦に持ち込まれたら力で勝るブラッカーとの差は一目瞭然だ。

 ジンライはトレースのウィンドウをもう一つ立ち上げ、最後にブラッカーを確認したワジの底を走査する。〈サイコ〉の巻き上げた粉塵は収まってきていたが、視界は酷い。地卓のどちらにも姿がないのは、斜面を上がる前に〈サイコ〉に吹き飛ばされでもしたのか。何にせよ、今のところライトフットに攻撃の手を加える者は見当たらない。

「―ビクトリーレオ!」

 反応した刹那、衝撃が来た。

 弾き返した前脚に激痛が走る。表皮に斜めの刀傷が刻まれ、捲れ上がったセイバートニウム金属の下から密集した回路が覗いて、白い火花を立てた。

 スターセイバーはジェット形態の後部であるVスターとの結合を解き、ホバーボード上の機体に騎乗した格好でセイバーブレードを構えて対峙する。Vスターのバトルアップ外装を纏ってしまうとバーニアでの短時間飛行も可能だが、空中戦には不利だ。かと言って地上戦にもつれ込むのは一層の混戦になると見ての選択だろう。〈サイコ〉が動けば、スターセイバーにとってそれだけで敵は二つになる。

 ジンライにしてみてもこのままの空中戦は好都合だ。ゴッドジンライ時代に培った勘が衰えていないことは、ビクトリーレオとして動く中で実感できている。

 じりじりと、〈サイコ〉を背にする位置へ身体を滑らせると、スターセイバーも呼応して間合いはそのまま同心円上に動く。不安定な足場にもかかわらず向けられた切っ先にぶれがないのは流石、剣豪と呼ばれるだけはあった。

 ライトフットのRX‐7が二人の落とした影を掠めて、足元をワジへと駆けていく。

 スターセイバーは視界の端にそれを見止めて、心ならずも小康状態に陥らされている自分に舌打った。しかし、ここを離れて〈サイコ〉に向かっても、ビクトリーレオに背中を狙い撃たれるのでは意味が無い。

「‥‥なぜ、〈サイコ〉は動かないと思う?」

 沈黙を破って疑問を口にすると、スターセイバーの真意を測りかねたように獣身が身じろぎし、低く応えがある。

「あんたはどう思うんだ?総司令官」

「!君は―ジンライ、か?」

「やっぱり勘が良いな」

「そうか‥‥元は一つの意識。当然、(ビクトリーレオ)が今の状態を望んだのだろう。君の騎士としての才能がどれほどかは、ゴッドジンライを見て来たから自ずとわかる」

「俺は今、ジンライでありビクトリーレオだ。あんたの傍を離れなけりゃならなかった事は、申し訳ないと思ってるよ」

「それは何よりの慰めだ‥‥私を憎んでいるかと思った」

「俺―〝俺達〟は、憤ってるだけさ」

 瞬間、熱を帯びた風の塊が飛び込んできたようにスターセイバーは感じた。

 先に仕掛けられるとは予想だにせず、突進してきたビクトリーレオが振り上げた前肢を仰け反って避け、立て続け繰り出された後肢めがけて剣を薙ぐ。が、猛爪に刀身が弾かれ、上体を走った激しい衝撃に型が崩れた。

 膝からがくりと力が抜ける感覚に、スターセイバーは全身の軋みを抑え込む。

(耐えろッ!あと一撃―)

 ビクトリーレオの攻撃パターンは知り尽くしていた。獣身の躍動を活かし切った間髪のない打擲は、三度。敵の頭上を一旦越したと見せて半身を捻り、転瞬。

(背後から―!)

 角度と勘だけで軌道を選んだ。スターセイバーは振り返り様、ビクトリーレオの肢体が襲い掛かってくるだろう空間を的確に捉えると、横薙ぎに刀身を振り抜いた。

 当たる―そう確信が広がる。

 だが伝わるはずの衝撃は一拍の後、熱い大気を切る重さに変わった。

 ビクトリーレオを駆ったジンライの姿はスターセイバーの視界を遥か下方に外れ、地卓の一方で繰り広げられている乱戦の只中へ踊り込んでいた。半数以下に減ったとは言え、鋭い風を操って奮戦するロードキングを相手一人と見て圧し始めていた騎士達が、上空から飛来したビクトリーレオに次々と薙ぎ倒されていく。

 また裏を掻かれたのだ。それがビクトリーレオと、彼の素体だったジンライの差なのだろうかと、Vスターを反転させながらスターセイバーは自問した。この数の騎士を揃えれば、いかなゴッドマスターでも食い止められると思ったが、このままではジンライ一人に翻弄されて〈サイコ〉に手出しする隙もない。

(なぜ〈サイコ〉は動かない?)

 ジンライを無視してでも〈サイコ〉に対峙すべきか?

 ワジの底で巨石のように蹲ったままの映像をアイグラスに留めて、スターセイバーは逡巡した。

 追い付きかけるとジンライは逃げるようにワジを飛び越え、今度は迎撃されているレインジャーの援護に回って騎士達の間を縦横に駆け回る。抗戦しようとしても、多くの同胞が空しく弾き飛ばされ、斜面を転がり落ちていく。ブレイバーが先頭で剣を振るい、指揮系統を辛うじて保たせているが、持ち堪えられるかどうか。

 スターセイバーはバトルアップの掛け声に呼応したVスターの外装を纏い直し、砂埃の中でもくっきりと浮かんで見えるビクトリーレオの、人型に戻った姿へ斬りかかった。わっと人波が崩れ、小さな円の砂地が現れる。だがジンライはそれすら見越していたのか両の腰に下がったガトリング砲を浴びせかけると、スターセイバーが捌き切れずに引いた隙を突いて横っ飛びに地卓の端まで退き、再び獣身へ変じて空へと舞い上がる。

 その背は常に〈サイコ〉と、その巨躯に近付こうとするライトフットやホーク達を庇う位置に置かれていた。

 どうあっても誰一人、手出しはさせないつもりなのだ。戦場でまみえる相手として、これほど手強い戦士はいない。それだけにスターセイバーも真剣に成らざる得ないことを思い知った。

 自分だけで〈サイコ〉をどうにかなど、間にジンライが立ちはだかっている以上、無謀―そう簡単に叶えさせてくれる訳がない。

「‥‥全力で、彼の動きを止めます。どうかぎりぎりまで私の過ちをお許しください、ウルトラマグナス様」

 投げた言葉が砂塵に紛れると、スターセイバーには、ビクトリーレオの肢体に寄り添うように浮かんでいたウルトラマグナスの輪郭がふいっと動き、〈サイコ〉に向かって滑り降りていくのが見えた。

 意識が逸れた刹那。その視界いっぱいに牙を剥いたビクトリーレオの姿が迫る。セイバーブレードを正眼に構え、スターセイバーは自ら、襲い掛かってくる獣身に斬り込んだ。

 

 もがくように、降り積もった大量の砂礫を掻いて這い出すと、ブラッカーは意識が途切れていた数秒―いや数分か―を取り戻そうと、乾いたワジとそこに影を落として蹲る〈サイコ〉の巨躯を見上げた。

 ビクトリーレオを追って地卓の反対側へ、斜面を駆け上がろうとした所までは覚えている。そこに〈サイコ〉が現れ、巻き上がった大量の砂塵と風圧でタイヤが空転し‥‥まっ逆様にワジの底へ転げ落ちたのだとようやく合点がいった。

(ビクトリーレオ―いや、総司令官はッ?!)

 今更ながら、気絶していた時間が惜しい。見ればワジのあちこちに、両側の地卓から落ちてきたと思しき騎士達が累々と横たわり、呻きを上げてもがいている。これが全てビクトリーレオ一人の仕業とは思わないが、戦力の損失はすでに予測を超えていると思われた。

「それにしても‥‥やっぱりでかいな‥‥」

 ワジを塞ぎ、見えるはずの空まで覆う〈サイコ〉の巨大さは、こうして真下から眺めると同じトランスフォーマーと言うより、統一意識のない合体戦士か人型兵器のようにしか感じられない。両膝を地面に付き、だらりと垂らした両腕の先で二つの掌が蓮の花のように上向きで半開きになっている様は、蹲っていると言うよりはまるで、くず折れた死人のようだった。

 不意にまざまざと、その暴虐的な腕の一振りで怪我を負わされた月面での情景が甦り、身震いする。だがすぐに、これは武者震いだと己に言い訳してブラッカーは、本当に死んだもののように動きを止めている〈サイコ〉を改めて観察した。

 右手を軽く握り、五指の中に剣を実体化させる。その慣れた重みが冷静さを呼び覚ましてくれた。

(一体、どうなってるんだ‥‥?)

 月面で見た時と打って変わって、〈サイコ〉からは狂気も殺気も、威圧すら感じられない。ブラッカーが極力慎重な足運びで距離を詰めても、〈サイコ〉は阻もうともせずに身を縮めている。

 最初の数歩が徒労に終わると、ブラッカーは意を決し―それでも剣先は油断なく上段に付けたまま―やや大胆に、巨躯が投げ掛ける黒い影の下、〈サイコ〉の前面が視界に収まる位置へと踏み込んだ。そこから見上げれば、敵ながらはっとするほど美しい白銀の身体がつぶさに見て取れる。

 華奢ではないがすんなりと無駄なく造られた四肢。項垂れて地面に向けられた彫りの深い造作。均整の取れたフォルムを描く戦士らしい隆起のある胸郭と―

 己の呼吸が竦む音を、ブラッカーは遠く感じた。

〈サイコ〉の胸部を固い蕾のごとく覆うパーツの継ぎ目。まったく間近で確認しなければ、それと見えるはずもない筋のような合いのその中に、見えたのだ。手が。

 地球人の手―否。『地球人』に見えたとしても、〈サイコ〉の内部に脆弱な生物である彼等などが存在できようはずがない。だとしたら、あれは?

 納得できる一つの答えが導き出される前にブラッカーの全身はばねのように跳ね上がり、〈サイコ〉へと飛び掛かった。剣を逆手に持ち替え、突き出す形に構えを作る。衝撃に備えて両腕をぐっと上体に引き付け、身体ごと体当たりを食らわす。

 切っ先は狙いを過たず、胸郭の接合部分に深々と突き立った―かに見えた。

 全体重を加えた渾身の一刀はその瞬間、反動となってブラッカーの体内を駆け巡り、あっと思う間に身体ごと弾き返される。

 地面に叩き付けられなかったのは運が良かったからに過ぎない。咄嗟に受身を取ったのも幸いしたが、爪先で地を蹴って宙返りし、崩れながら着地した途端に完治したはずの部位に激痛が流れて、ブラッカーはそのまま尻餅を付くように倒れ込んだ。指から捥ぎ取られかけた柄を慌てて握り込み、痛みをやり過ごして片膝立ちに、すぐさま体勢を持ち直す。

 攻撃を受けたと判断して〈サイコ〉が反応するかと構えたが、巨躯には身震いすら見当たらず、剣先が貫いたはずの装甲の継ぎ目にも傷の一筋走った様子はなかった。ただ僅かに、刀身が抉ったのだろうか。真っ直ぐだった整合線が歪みを帯びている。

 ブレインマスターの三振りしかない剣は、セイバーニューロン金属すら容易く切り裂く威力を持つ特注製だ。その刀刃が、どれほどの相手であれ傷一つ与えられないなどという現実に直面したのはこれが初めてだったが、無力さに打ちひしがられるほどのヒロイズムの持ち合わせは、端からブラッカーには無かった。

 斬れないと言うなら、剥ぎ取ってやるまでだ。

「舐めるなぁぁぁぁッ!」

 鼓舞の怒号を上げ、ブラッカーは飛びかかり様、継ぎ目に沿って立てた刀身をペーパーナイフのように横へ引き倒すと、力任せに外装の接合面へねじ込んだ。ギャギャッと金属同士が擦れ合う耳障りな音がし、〈サイコ〉の胸郭の隆起を無理矢理に引き剥がす手応えと刀身のしなりが腕に伝わる。

「うおおッ!!」

 ブラッカーの持つブレイン核は『力』を特化してある。両脚を〈サイコ〉の胸部に引っ掛けて踏ん張り、両手で絞った柄を一気に持ち上げた刹那、左胸を覆う外装が負荷に耐え切れず弾け飛んだ。と同時、跳ね上がった外装に巻き込まれたブラッカー自身も激しく吹き飛ぶ。

 全身を痛みが支配していた。身体は思うように動かないのに視覚は目まぐるしく反応し、外れた装甲部の下にある半球体の透明なポッドを確認する。

 その中を満々と湛える薄緑色の溶液―膝を抱えるように裸身を折り曲げた、地球人と寸分違わない輪郭が漂い浮かんでいた。一つ‥‥そして傍らに、もう一つ。

 落下の衝撃を耐える為、ブラッカーは身を竦める。

「―ブラッカーッ」

 知った声が飛び付いてくる感触があった。背から回された両腕に庇われ、ブラッカーは寸でのところで地面との衝突を免れる。助け起こされながら座り込んで、

「‥‥ライト、フット?」

 相手が〝造反組〟として捕らえなければならないゴッドマスターの一人だと気付く。感じた違和感は、常なら「副官」と官位で呼ぶはずのライトフットがブラッカーと名で呼んだせいだ。ビクトリーレオ達がスターセイバーや他の大隊を引き付けている間にここへ飛び込んで来たのだろうとは、簡単に察しが付いたが、この状況でまさかゴッドマスターの中に素体がいるとは、ブラッカーも想像しなかった。

 ライトフットも、ここでブラッカーが無謀を承知で〈サイコ〉を相手にしているとは考えなかったのだろう。思わず援護に入ってしまった様子が、ありありと苦い口調に滲んでいた。

「どうしてこんな無茶を。一人で〈サイコ〉に向かうなんて」

 ライトフットは言いながら、背後を気にして幾度も振り返った。ブラッカーを受け止めた時、自分がクッションになるつもりが何故か、濃い風の塊のようなものに包まれて衝撃を受けずに済んだのだ。何かの偶然か自然の悪戯だったのだろうか。そう訝しんだのは数秒で、ライトフットは突然ブラッカーに手荒く引き寄せられて息を詰めた。

 間近に置かれたその眸が驚愕に見開かれ、声は掠れて明瞭さを欠いていたが、告げる言葉には真実の強さがあった。

「奴の中に、フェニックスがいるッ」

「なに‥‥何ですって?」

「フェニックスがいるんだ、あそこに!見ろ!」

 指差された頭上の一点。剥がれ落ちた外装の下から覗いたポッドが丸く盛り上がり、目に鮮やかな溶液が光の加減でか様々に明暗を変えながら、その小さな海に包んだ青年の裸体を水中に揺れる青灰色の髪の一筋まではっきりと輝かせていた。と、それまで縮こまっていたフェニックスが伸びをするように手足を広げながら向きを変え、ポッドの表面に両手を、顔を摺り寄せる。薄く押し開かれた目蓋の奥の瞳がふっと灯を点されたように意識を持ってライトフットを、そしてブラッカーを映した。

 まるで、生まれて初めて世界を目にした幼子のように。何もかも、知らないものを見るように。

「―フェニックス!!」

 ライトフット達の前に舞い降りてきたホークの鮮やかな黄の肢体に続いて、ダイバーの濃紺の肢体がブラッカーを支えるようにして傍らに膝を付いた。

 肩口に振り返り、ホークはブラッカーの様子を見て口早に言った。

「ダイバー、ライトフット。彼を安全な所まで」

「お前一人じゃ無理だッ。一旦下がれ!」

「フェニックスがそこにいるんだぞッ」

「だからこそ無茶してどうする!」

 怒鳴るダイバーの肩に掴まりながら、ブラッカーは、今にも飛び出していきそうなホークの背へ叫んだ。

「俺の剣でも歯が立たない装甲だッ。今は引いて考えるしかない、それに―」

「‥‥嫌です」

「ホーク!」

 懇願するようなライトフットの声にも振り向かず、ホークは〈サイコ〉の真正面に仁王立ちになったまま、外装の落ちた左胸に心臓のようにすっぽりと収まっているフェニックスを凝視した。

 ほんの数日だと、他人は言うかも知れない。フェニックスが連れ去られてから今日までの、その数日が地獄だったとホークは思った。今ここで再び〈サイコ〉を取り逃せば、フェニックスにつながる糸がまたぷっつりと消えてしまう。これ以上遠くへ引き離されたら、次の糸に辿り着くまでどれほど待てばいいか、誰にも答えられないものを。

 現実は「今」だ。手を伸ばせる距離にフェニックスがいる、今しかない。

「よせッ!!」

 ホークが愛用のチタニウムサーベルを手に駆け出す。追うように放たれたダイバーの鋭い制止は、ただ〈サイコ〉を睨み据えて駆けるその背に撥ね付けられた。

 ライトフットが跳ね立ち、後を追う。しかし間が空きすぎていた。

 ホークは剣を下段に構え、突進した。敵が動かない理由はともあれ、〈サイコ〉を殺せなくともポッドそのものを切り落とせれば、中を満たした溶液ごとフェニックスを救い出せる。外装が剥げた状態なら、ブラッカーの忠告通りとは限らない。 

(私は―)

 足の裏が地を蹴り付け、全身が前へと押し出される毎にホークは自問した。こんな賭けをしてどうなりたいのかと。

 〈サイコ〉を倒せるとでも?

 いや、私はただフェニックスに触れたいのだ。失わなくていいはずのものを、奪われたくないのだ。こんな形で。

(フェニックス!)

 巨体の真下へ飛び込むとホークは、一度深く沈めた身体を膝の反動で真上へと跳ね上げた。氷刃が一閃、ポッドに衝突する。火花が散ってポッドの表面をがりがりと刃が滑ったが、傷も罅も付かない。その震動で泡立った溶液に無数の気泡が渦を巻き、不意に、眠りの縁から引き上げられたかのようにフェニックスが目を見開いた。

「危な―ッ」

 ホークにはライトフットのその声が聞こえなかった。

 視線を転じた一瞬。

 視野を埋めたのは猛然とした速度で繰り出された〈サイコ〉の、槍先のごとくすぼめられた巨大な右手の残像だった。

 ホークは無慈悲な力による死を唐突に覚悟した。

《メタルホーク!》

 聴覚を掠めた聞き覚えのある声が、赤と青の幻影となって視界を過ぎる。それが何者かの像を結ぶより早く、ホークの身体は飛びかかってきた別の輪郭によって真横へと突き飛ばされていた。

 鈍い音が、響く。

 貫かれた肉体の軋みと、胸から背へ突き通った右手から滴る鈍色のオイルが、横倒しになったホークの眼前に次々と落ちた。〈サイコ〉の白銀の肢体にも引けを取らないだろうと思われる、雪白で彩色された背を伝って。

「―ランダー―!!」

 意識してそうしたのに違いない。引き結んだ唇の端に嘲笑を浮かべて、ランダーは己の胸を貫く〈サイコ〉の腕をしっかりと両手で鷲掴んだ。

「‥‥見たか、これが‥‥本当の自由だ‥‥」

 

 

―B.C1862/3/18 10:03 Athenai―

 

 小さな泉を覗き込んで水鏡に映し見た顔立ちは、どの角度から眺めてもやはり満足には程遠く、それもまた自分の顔であるにもかかわらずランダーにとっては違和感の方が遥かに大きかった。

 もっとも、率先してこの惑星に拡大しつつある黎明期の文明社会に溶け込もうと、人里に出て何十年も暮らしているホークやフェニックスに比べれば、ランダーがこの惑星土着の種族の外見に己を似せるのはまだ数回目に過ぎない。まして、似せようとか誰かを模倣しようという気がないから、自然、放浪生活の途中で垣間見ただけの造作が想像の中でごちゃまぜになって出て来てしまうのである。

 特に今回は格別、急いだせいかいい加減な容姿になってしまった。浅黒い肌に、墨色の濡れたような長い髪。双の瞳は片方ずつ、黒水晶と翡翠の光沢。それなのに顔立ちはヒッタイト系とギリシア系が混じり合った骨格に近い。

 これではしっくりこないのも当然なのかもしれない。その上、この柔らかい「皮膚」というものがどうにも慣れなかった。鋼鉄族の強靭な外皮に比べて傷付きやすく、すぐに切れたり裂けたりするので、姿を似せた時はいつも赤い擬似体液を巡らせなければならない。脆弱な種族であることに同情こそすれ蔑む訳ではないが、とても対等な友愛を育む相手とは思えないのが本心で、ランダーは当たらず障らず互いに見ぬふりをしていれば充分だと常々そう言って憚らず、たった一人の聞き役であるダイバーを苦笑させていた。

 今度にしても、ホークがアテナイからデルフィに居を移すのに、滅多やたらと蒐集しまくった膨大な書物や品々を運ぶ手が足りないから手伝いに来いと呼び戻されなければ、どこかをぶらぶら走り回っていたはずなのである。その点だけで、すでにランダーの機嫌は充分損ねられていた。

 アテナイは、エーゲ海に面した入り組んだ海岸線の一部を為す半島の突端、その一方を占める街だ。元は千年程も前にマケドニアから南下してきたギリシア人達が拓いた集落で、エーゲ海一帯を占めたエーゲ文明期の大陸側の要衝である。その後ミケーネ文明に吸収され発展したが、今は更にマケドニアから遅れて大陸を南下してきたドーリア人達が混じったことで、一大都市に変貌しつつあった。

 とは言え、国家と呼べるような体裁には程遠い。現に中心部を離れて、街地を取り巻く鬱蒼とした木立に紛れてしまえば、トランスフォーマーの巨体も何なく人目を避けて動くことが出来た。特に海側へ広がるこの森の奥は昼でも薄暗い上に、断崖の縁までびっしりと木々が茂っているせいか不用意に踏み込んで命を落とす者が幾人もいて、近寄る者が少なかった。何にせよ、不承不承でも姿を潜ませなければならない異星人には好都合と言うところだ。

 さて、とランダーは足元に放った衣装に手を伸ばす。服と言うよりは一枚の長い布で、腰の辺りに巻き付けて紐で括ればいいだけの簡素なものである。生殖器官を隠すために身に付けなければならなくなってきたこれも面倒臭い『文化』の一つだったが、さすがに街を裸でうろつき回れば無駄に人目を引いてしまうことも理解している。

「‥‥ったく、余計な仕事増やしてくれる‥‥」 

 文句を言いつつ、着慣れない衣に悪戦苦闘していた時だった。背後に気配を感じて振り返ったランダーは、泉のほとりに呆然と立ち竦んで自分を―浅黒い肌をした異国の男を―凝視している娘と目が合った。

 娘は、泉の縁に茂った腰の高さほどの茨を掻き分けてきたのだろう。剥き出しの真白い腿や腕に幾筋もの赤い線がうっすらと浮かび上がり、まとっているとは言い難い薄い衣は破れ果てて、膨らんだ乳房や下腹に辛うじて引っかかっているだけだった。こんなところで何をと聞くまでもない。臍の辺りで交差された華奢な手首には、なめし革の紐を何重にも巻かれた戒めが施され、娘の幸福とは言えない身の上を物語っていた。

 ランダーは眉を顰め、だが、挑むような眸で立ち尽くしているその娘の、稀有な容姿に魅せられた。

 肩から背へ、背から腰へと流れ落ちるように伸びた豊かな髪。僅かな木漏れ日を反射して輝くそれは、金よりも銀に近い白金の色を帯びている。瞳は体内に流れる温もった血の色が透けて見え、淡い藤色から紅色へと光の加減で様子を変える。これまでも、遺伝子の変異によって色素がほとんどない身体に生まれついた者は見たことはあったが、娘の持つ新雪のような白さは群を抜いていると思われた。

 いや、だからこそ、この娘もまた先達の例に漏れず、望んだ訳ではない歪んだ運命の輪に引き摺り落とされたのだ。

「君は奴隷か?よく逃げ出せたもんだ」

 この時代、すでに奴隷の売買や譲渡は珍しくない。

 大陸の各所で興った部族が他の土地を求めて移動すれば、必ずと言っていいほど先住部族との衝突で戦いが生まれ、敗者は勝者の所有物となった。エーゲ文明はそうした少数部族同士の統合や滅亡を繰り返しながら拡散していったし、その形質を受け継いだ後の文明も、支配層と平民、そして奴隷という明確な身分をあてがうことによって築かれる隆盛の手法を良しとした。奴隷は勝者の証であり、口の利ける労働力―単純だったその考えに愛玩物としての要素が加わったと知った時は、まるでかつての自分達を顧みるようで、ランダーは自虐的な気分になったものだ。

 だから、この娘も愛玩用として攫われたか、売られてきたのだろうとひと目で察しが付いた。

 しばしの間、娘は疑念に満ちた目でランダーをじろじろと観察していたが、

「貴方も奴隷?」

 囁くように声を潜めてそう問うと、誰かに聞かれはしなかったろうかと辺りを見回しながら泉の縁を歩み寄ってきた。

「俺は―奴隷だった、かな。昔の話だ」

「今は一人で?逃げ出して、ここに隠れ住んでるって訳?珍しい色の眸をしてるけど、国はどこ?」

「おいおい、出会ったばかりなのに質問責めだな。そういう君はどこの生まれだ?」

 ほとんど裸同然のランダーの前まで躊躇もせずに近付いた娘からは、混ざり合った汗と血の匂いが立ち上っている。見れば、手首にきつく食い込んだ紐が擦れて皮膚が裂け、真っ赤に爛れていた。思わず手を伸ばして引き千切ってやると、娘は人並み外れた膂力に驚いた風に解放された両手を眺めていたが、ついと鼻梁の高い顔を上向け、おもむろにランダーへ口付けた。

 理由など要らないように、娘は言葉も必要としなかった。

 ランダーはこの未開惑星に心ならずも不時着してから初めて、障りの無い隣人としてしか眺めてこなかった種族を愛情でも打算でもない感情で抱いた。

 手負いの獣が傷を舐め合い、慰め合うのに近いのかもしれないと思い至ったのは、冷たい下草に裸身を並べて互いの肌の温もりだけを寄る辺に、別々の方角をぼんやりと見晴るかしていた時だった。首を廻らせると、ランダーの頤に触れる近さに銀糸のような乱れた髪が散らばっている。指先に掬い上げて梳くと、髪はさらさらと流れて地面に戻っていく。

 髪を弄ばれながら、娘は森の奥、断崖に続く茂みの彼方をじっと見つめて、ふと思いついたように呟いた。

「―トロイよ。私の国は、あの海の向こう」

「トロイ?何年か前スパルタに滅ぼされた、あの?」

「そう。もうこの世のどこにも無い国‥‥」

 トロイはエーゲ海を挟んだ小アジア側の北西部、ヒサリクの丘陵地帯にあった都市で繁栄を極めていたが、十年にも及ぶスパルタとの戦争によってついに攻め滅ぼされたトロイ文明の中心地、城砦である。後年、ギリシアの詩人ホメロスによって記された叙事詩『イリアス』によって、トロイの木馬や勇者アキレウスなど数々の伝説的物語となるのが、このトロイ戦争だ。もっともトロイ戦争が、空想の伝説ではなく史実となるには更に二千年ほど待たなければならないのだが、今はまだ誰も知らない。

 敗者となったトロイの民には、国を失った後の更なる戦禍が待ち構えていた。男達は虐殺され、女子供は黄金や宝石と同じ戦利品の一部として勝者達に略奪されたのだ。

 ランダーの傍らにいる娘がこれまで、どんな主達の手を経て生かされてきたか。想像するのは簡単でも、口にするのは躊躇われた。そしてまた、今こうして新しい主人の元から脱走してきた娘の行く末も、奴隷である以上救いなど無い。

 ふと、昔の自分の姿を重ねようとして、ランダーはやめた。

 奴隷だった、と娘には言ったが、少なくともランダーは他の同胞達とは違った意味で、また同胞達から蔑まれていたし、そんな己に慣れていた。孤独であることも、惨めであることにも。

「―ッ」

 はっと、鋭い調子で上体を跳ね起こしたランダーを仰ぎ見て、娘は柳眉をひそめた。

 ランダーは海側とは逆の木立を探るように見晴るかす。感度を上げた聴覚に数頭の猟犬の息遣いと、それを先頭に従えた男達の、下草を踏み均す足音が混じった。口々に短い悪態を吐き合い、手荒な動作で茂みを掻き分けながら近付いてくる。

「‥‥犬だ。男達も。君を探してる」

「そう―もう来たの」

 動転するでもない声音はいっそ氷のように、娘の朱唇に良く似合った。裸のまま立ち上がるのを、ランダーが自身の衣で包んでやろうとすると笑顔で押し退け、首を振る。このままでいいのだ、と眸が言った。

 その手に見合う剣があれば、戦場の只中で堂々と敵を迎え撃つ剣士のように見えたろう。だが現実は、虚仮にされた面子を取り戻そうと逃げた奴隷を追ってくる者に対して、無防備な裸身を晒しているだけの娘にすぎなかった。

 ランダーは下生えに座り込んだまま、真っ直ぐに薄暗がりの向こうを睨み据えている娘の手を慌てて掴んだ。

「俺がどこへでも逃がしてやる。君を追ってくる奴のいない国まで」

 文明後進星での歴史介入は規則違反だ。解っていても、この娘一人だけならと思うと、そう言わずにいられなかった。

 言われた娘の顔に、複雑な表情が浮かんで消える。薄く笑ったと感じたのは、ランダーを見下ろした視線が再び前へ逸れた瞬間だった。幾頭かの猟犬の喉が鳴らす低い唸りが、娘の耳にも届いたのだ。

 距離はあとどれほどだろう。抱えて逃げて、すぐにトランスフォームすれば十秒とかからないはずだ。

 ランダーは掴んだ細い手首を引き寄せようとし、突然、その指を振り払われた。

「私の暮らせる国は、どこにもない。逃げるなんて真っ平」

「なに馬鹿言ってる。ここから無事に逃げさえすれば、自由が手に入るんだぞ」

「‥‥貴方は、自由がどんなものか知らないのね」

「知ってるさ。俺はもう誰の奴隷でもないし、自分の、」

 思わぬ近さで一頭が吼え、ランダーの声を押し留めた。

 その一拍の沈黙を待っていたように娘は軽々と身を翻す。真っ白い肢体は飛ぶように茂みを走り、断崖の縁でくるりとランダーを振り返った。その面に晴れやか過ぎるほどの笑みと、凛とした剛直な眼差しがある。それが娘の身体の奥底のどこから溢れ出たものなのか、推し量るには時間が短すぎた。

 ぱっと天を抱く形に両腕が広がる。

 そう、天を抱いた、と見えた。

「―これが本当の〝自由〟よ!」

 勝ち誇ったような歓喜の声は、怖れもなく背中から中空へと踊った身体と共に、断崖の端からゆっくりとランダーの視界を外れていった。

 真っ逆様に、波頭が砕ける深い深い海原へと。

 本当の自由?

 ランダーにはわからなかった。しかし、どこかで納得していた。本当の、言い換えるなら真の自由は、己の力でその死を支配した瞬間にしか訪れないものだということを、あの娘が身をもって証明して見せたのだと。決して己では実感できない成果だと知りつつも。

「大した種族だな、まったく‥‥」

 トランスフォーマーとは比べ物にならないほど、儚くて弱々しい生命体なのに。

 濡れ羽色の髪に手をやって、ランダーは苦笑する。指の間に豊かな白金色の髪の感触が残っていた。薄い瞳の色も、肌の色も。温もりも。

 きっと、忘れることはないだろう。

 落ちた衣を拾って腰に巻き付けると、踵を返して歩き出す。ランダーの髪は漆黒から金へと、木漏れ日を浴びた闇が駆逐されていくように静かに色を変えていった。

 

 

―2029/7/7 14:59 Valley of the Galata―

 

 グランドのマキシマス戦艦が最大船速でガラタの谷上空へ達した時には、激しい戦闘によって辺り一帯が土煙に覆い尽くされ、視認できたのは空中戦を繰り広げるビクトリーレオとスターセイバー、そしてワジの中程に蹲る〈サイコ〉の巨体だけだった。

 通信は可能だったが、悠長に作戦内容を聞き出して合流する暇はない。グランドが少し待てと言うのを振り切って〈サイコ〉の元へ降下したのは、一か八かの賭け。いや、〈サイコ〉のところへホーク達が向かわないはずはないという、一種の予感に突き動かされたのかもしれない。

 ランダーは地上に衝突する勢いで〈サイコ〉のほぼ真後ろに着地すると、巨躯に遮られた視線の先、そこに剣を構え〈サイコ〉へと突進するホークの姿を見出して、咄嗟に走り出していた。

 ホークが傷付いたら―もし、そうなったら。

 フェニックスがどれほど苦しむだろうか。

 守らせろ、と、そう願った瞬間、ランダーの身体は無意識のうちにホークと、その腹を狙って繰り出された〈サイコ〉の手との間に飛び込んでいた。

「―ランダ―!!」

 自身の胴を貫通したものの凶暴さより、ホークの発した絶叫の方が背に染みて、痛みは随分薄らいだ。ぎりぎりのところで運良くパーソナルコンポーネントへの直撃は免れたが、いつ意識が飛んでもおかしくない。

 ランダーは、己の胴に真っ直ぐ突き刺さっている〈サイコ〉の腕を一層強く引き寄せる。逃すまいとするあまり、立てた十指が跡を残すほどに食い込んだ。呼吸が上がっているせいで首が容易に上がらず、項垂れたまま視線を彷徨わせれば、〈サイコ〉の胸部に埋まったポッドの中から自分を呆然と見上げているフェニックスの姿に気付いた。

 なんだ、そんなところに隠れていたのか。

 にやりと笑ってランダーが傲然と顔を上げれば、そこに〈サイコ〉の冷徹な造作がある。もともとの体格に数倍の差があるせいで、顔の大きさは驚くほど違う。そのせいか尚のこと、〈サイコ〉の無感情ぶりがはっきりと手に取るように感じられた。

 殺そうとした相手がホークからランダーにすり替っても、最初から誰でも良かったような、ただ側に来た害虫を払っただけのような、血の色をした眼。

 ランダーはその眼に向かって低く吼えた。

「‥‥よく、聞けよ‥‥フェニックスに‥‥その手に一人でも殺させたら、俺が、貴様を殺してやる‥‥宇宙の果てまで追ってでも、必ず―必ず殺してやる‥‥ッ」

 震えが走った。〈サイコ〉の身震いがつながった体内を伝ったのだとランダーが知った瞬間、〈サイコ〉の眼窩に突然、驚愕の色が影を落とす。引き結ばれていた薄い唇が悲鳴の形に押し開かれ、声が漏れた。

「―ア―」

 音階。空洞を抜ける風。闇に棲む獣の遠吠え―どれにも聞こえる、どれでもない音、音。音の洪水。

「アアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッ」

 心が裂ける。

 精神が、記憶が、感情が切り刻まれる痛みへの絶叫。

 〈サイコ〉と呼応するように、ポッドの弧面に取り縋ったフェニックスの身体が叫びを上げて仰け反る。その口から溢れ出た気泡がごぼごぼと溶液を沸騰させていく。

 反射的にランダーは、捉えた〈サイコ〉の腕から両手を離した。ずるり、と腕の抜け出す感触が這う。慌てて引き戻そうとしたが、思いに反して膝が崩れ落ちた。身体が鉛を被ったように重みを増して動かない。

 空しく宙を掻いた手の先に、飛び込んでくるものがあった。プリテンダースーツをまとった地球人サイズまで形態を変えたホークが、離れてゆこうとする〈サイコ〉の腕に飛び乗り、一気に胸郭まで駆け込んでいく。

 差し伸ばしたホークの指がポッドに触れた。フェニックスの掌が押し当てられた同じ部分に手が重なり合う。

「―フェニックス!」

 あれほど強固だったポッドの表面に突如として小さな波紋が広がった。と見る間に、ホークの腕の中にはポッドをすり抜けて転げ出した、現実の重みを持ったフェニックスの身体が倒れ込んでいた。

 両腕できつくその身体を抱き止めながら、ホークはポッドの溶液の奥を漂うもう一つの、人の形を成したそれを信じられない思いで凝視する。

「そんな‥‥まさか―」

 三、四歳でもあろうか。ふっくらとした手足や穏やかで無垢な寝顔は、翼のない天使のように見える。閉じた目蓋を縁取る長い睫毛や背中まで伸びたたおやかな頭髪が、溶液の気泡をまとってゆらゆらと揺れた。どんなに幼くても、裸身であれば少女だと判る。そしてその面差しには見覚えがあった。

「アグネス‥‥?!」

 なぜ、どうしてと問わなければならない相手は、自身の腕の中にいる。いや、問うまでもないとホークは思った。

 これは必然だ、と。しかし摂理に反した大罪。

『―ホーク!』

 危険を告げるグランドからの通信が耳を刺す。と同時にホークの身体はフェニックスと共に、素早く差し出されたダイバーの硬く大きな手の内に掬い取られていた。

 一条に、成層圏を突き抜けた衝撃で放電をまとったレーザー砲の光輝が〈サイコ〉の半面を直撃する。

 天空と地上を貫くプリズムのエネルギー光。圧倒的な熱量に押し潰された〈サイコ〉の片腕が肩の付け根から蒸発し、側面が焼け爛れ、溶解する。 

 逃げられない。巻き込まれる―ホークはフェニックスを抱き竦めて、ダイバーの掌に全身を押し付けた。

 刹那。それは気配だった。エネルギーの奔流が不意に分厚い『気』の塊によって遮られ、自分達を避けるように八方へ飛散していく。薄く目を開けると、目映い蒼の閃光が〈サイコ〉とホーク達の間に半球形に展開し、襲いかかろうとする熱量を見事に相殺していた。それが一体どこから現れたものなのか、ホークには理解できなかったが。

 ウルトラマグナスは前方へ突き出した両手を重ね合わせ、周囲の物という物に牙を剥こうと暴れ回る熱塊を全霊で抑え込むと、背に守ったホーク達の無事を確認してから視線を頭上へ転じた。

 サイバトロン側の攻撃ではない。エルミニアもタンクレディも、これだけの質量を落とせる長距離砲は積んでいないはずだった。高高度からの惑星攻撃砲―デストロンの軌道兵器になら思い当たるものがある。バロルか、移動汎用型の。

『―〝ルグ〟機影、確認!アステロイドベルト内!』

 月軌道の戦艦エルミニアからスターセイバーへもたらされた報告がウルトラマグナスの耳にも届く。やはりか、とその名に納得した。

 軌道設置型の惑星攻撃砲バロルに比べて威力は落ちるが、移動砲ルグは小回りが利く上に質量の調整が容易い。アステロイドベルトに隠伏しながら的確にこの場所を狙うには、弾道を金星の重力圏内辺りでスイングバイさせる必要があったはずだ。おかげで〈サイコ〉の中心点から逸れたが、第二射は確実に補正してくる。

 休戦協定を結びながら、その実、デストロンはこの決定的な攻撃の隙を待ち構えていたに違いない。さすがと感歎すべきか。だがこのまま、回避できるかと逡巡している暇はない。ホーク達を保護するのが精一杯で、四散した光線のいくつかは地卓からワジへと転げ落ちてきていた騎士達の命を、一瞬の内に奪い去っていた。留まるには、後の被害が甚大すぎる。

 初弾の熱量が徐々に薄れ始めると、予告も無く発せられたデストロン側からの攻撃によって中空での交戦を断たれたスターセイバーとビクトリーレオ、それぞれの機体がワジに急降下してくるのが見えた。ウルトラマグナスは風圧となって舞い上がり、スターセイバーと交差する。

《閣下、私が盾に。クルーンを発動してください》

「ルグの撃墜はエルミニアが、」

《間に合いませんッ》

 エルミニアの攻撃が達するのは第二射が放たれた後だ。逆算すればすでに弾道は砲口を離れている。少しでも地上から遠く離れた位置で、出来る限り相殺するしかない。ウルトラマグナスは、己が一塊のエネルギー体と化して急速上昇するのを感じた。

 スターセイバーはワジへ意識を転じる。設置したクルーンの稼動範囲内に、咆哮を上げるように口を開け、首を仰のかせた〈サイコ〉の、半身の爛れ落ちた巨躯。その膝先に崩れ落ちたランダーがいる。蹲ったダイバーと、その手の中のホークとフェニックス。倒れたブラッカーはライトフットに引き摺られ、斜面の真下に身を張り付かせていた。

 ビクトリーレオが―ジンライがホーク達の名を呼びながら一直線に降下していく。

(逃げられるッ)

 ジンライに行く手を塞がれれば、ホーク達を見逃すだけでなく〈サイコ〉にも逃走する隙を与えてしまう。何よりホーク達がこのままフェニックスを連れ去れば、〈サイコ〉は狂ったようにそれを追うだろう。

(ここで逃せば、何もかも―!)

 元老院はフェニックス自身をも殺せと、臆面もなく言い出す。抗うことは不可能に近い。

 スターセイバーは苦悩を押し退け決断した。

 ズズズ‥‥と乾いた地面が鳴動する。スターセイバーの放った指令波によって発動したクルーンが一斉に連動し、円陣を組んだ互いが手を取り合うようにエネルギー光が左右へ。横へ横へと連なった光の輪はすべてがつながった瞬間、地上と地下、その両面を包む半球の高密度シールドを構築して〈サイコ〉とその一帯を取り込んだ。

「しまったッ」

 ジンライは急制動をかけ、シールドとの衝突を寸でのところで避けた。球体に沿って側転し、獣身を解いて着地する。ジンライ、とダイバーが叫んだようだったが、見上げるほどのドーム状のシールドは一切の音声を遮断していた。

「ダイバーッ、―くそッ」

 背に負った二基のカノン砲を思わず向けてから、ジンライはビクトリーレオに蓄えられた情報の中にクルーンの性能を見つけて舌打ちする。生半可な火力で突破できるシールドでないことも、連動した装置を一つ壊したところで機能が止まる訳でもないことを理解したのだ。

「引くんだ、ジンライ!」

 バトルアップ形態で舞い降りたスターセイバーが鋭く告げ、クルーンの造るシールドとジンライの間で剣を構えた。その背後でダイバーが、倒れたランダーを抱き起こしながら喚いている。支えた手や腕は鈍いオイルの色に染まっていた。

 どれほどの怪我なのか。一刻を争う事態なのか。

 ジンライは呼吸を整え、間合いを計る。勝機があれば接近戦に持ち込むつもりだった。

『―第二射ッ、』

『―来るぞ!』

 通信回線を割って飛び込んできたタンクレディとグランド、二つの言葉がビクトリーレオを後ろへ、スターセイバーを横へと飛び退かせた。

 ドンッと大気が鈍い音を立てて地上に圧し掛かる。遅れて、閃光が彼方の青々とした天空の一点で弾けた。まるでその場所に透明なシールドがもう一つ現れ出たように、ルグから放たれた光弾が球面を滑るように四散しながら地上へ落ちてくる。雲間に掛かる辺りでほとんどのエネルギーは微細な粒子の煌きを残して消失したが、いつくかが塊を成して地表を襲った。

 衝撃が地を揺らし、地を穿つ。そして一つの熱塊がシールド上部に着弾した。

 身を焼くような熱は感じなかったが、シールド内部は直撃が生んだ衝撃波に満たされ、ホーク達は表皮という表皮が薄い刃で削ぎ落とされるような耐え難い感覚に陥った。上下左右、すべてが一瞬に消え失せる。自分以外の誰かと触れている部分だけが熱を持ち、存在と現実をつなぐ糸だった。

「‥‥―!」

 ホークは双眼を見開いた。唐突に、〈サイコ〉の片腕が迫っていた。フェニックスを抱えて離さないホークが意に副わない小さな天敵なのだとようやく気付いたと言うように。

 今度こそ逃げ場などない。

 ダイバーは咄嗟に指を固く閉じ、腕ごと捥ぎ取られても構わないつもりでホークとフェニックスを庇った。握り締めた拳に、途切れ途切れの浅い呼吸を殺しながらランダーが手を重ね合わせる。

 鼓動と呼吸。

 どれが自分のものでどれが友のものか境目など無く、ただ一つに混じり合う。

 奇妙に安らかで、ひどく当たり前のような―

「―ゥアアアアアアアアアアアアアッ」

 シールドを構成する粒子がぼろぼろと砕け散る様を、スターセイバーは棒のように立ち尽くして眺めていた。

 〈サイコ〉の咽喉から迸り出た叫喚は、殻を破って望みもしない俗世に堕ちてしまった者の嘆きのように、ワジを埋め尽くしていた。爛れた身体を引き摺り、残った片腕を闇雲に振り回して空を引き裂き、奪われた半身を捜し求めて彷徨う指の先には―何もない。ホーク達の姿は忽然とその場所から消えていた。砂煙に紛れ、風に散ってしまったように。

「何が起こったんだ―」

 高密度シールドが内側から崩壊するほどのエネルギーが発生したとしか考えられないが、だとしたらそこにいた〈サイコ〉が、最初に受けた以外の外傷を負っていないのは何故だ。

「タンクレディ!」

 回線を開けて呼び出すと、間髪入れず返答がある。

『4個体質量、突然ロストしましたッ。これは―』

 これまで〈サイコ〉の熱源を見失った時の状態と同じ。

「ゥア、ア、アイ、アイ、シ、ィィィィィィィ」

 咆哮が遠吠えとなり、切れ切れの単語を形作ろうと呻いた〈サイコ〉が片手を天に差し上げた、その刹那。掌の真上にあの漆黒の孔が口を開いた。

「ッ!!全軍、攻撃!」

 スターセイバーの号令が、残った者達の集中砲火を呼び寄せる。光線が尾を引いて殺到する只中で、〈サイコ〉の巨体は円盤のように舞い降りてきた孔に飲み込まれ、掻き消された。解け落ちた組成の一部を黒く残して。

 ジンライは軽く数歩踵を引いてスターセイバーとの距離を開けると、耳に手を当てる仕種を取る。

「グランド、皆が消えた。位置を―わかった、合流する」

 スターセイバーが口を挟む隙も与えず、ジンライは即座に獣身へとトランスフォームすると、

「ライトフット!レインジャー、ロードキング!退却だ!」

 言い様、後も見ずにバーニアを吹かせて飛び上がった。

「了解ッ」

「離脱する」

 その指示にバギーとF‐1カーがすぐさま戦線を下がり、ライトフットもブラッカーの容態を気にしながら、そっと傍らを離れた。

 バーニアの巻き上げた土埃が沈む頃には、ゴッドマスター四人の機体とグランドのマキシマス戦艦は索敵の範囲を外れ、その足跡は完全に洗い流されていた。

 スターセイバーは負傷者収容用の移動担架に乗せられるブラッカーの側へ歩み寄ると、子供が喧嘩に負けて戻った時のような、悔しさと恥ずかしさを上手く包み隠せない不器用な苦笑を浮かべて、累々と周囲に倒れ、また転がる騎士達を見やりながら言った。

「私は何て馬鹿だろう。見事に、してやられたよ‥‥」

「泣き言なら聞きたくありませんよ、総司令官。ただあいつ等の方が、命の賭け方を知ってただけです。それよりも‥‥答えてください」

「なんだい?」

「次も俺を前線から外さないでしょうね?」

 大真面目な顔で問いながら突き出された拳に、スターセイバーは、ありがとうと呟いて拳を合わせた。

 

 

―2029/7/7 13:14 Staffa Island―

 

 晴れているにもかかわらず、見渡した空は灰か雪でも混ぜ合わせたような薄すぎる水色をして、迫るような近さに低く垂れ込めている。荒涼とした岸壁に次々と砕けては返す海原も同様、果てを探してみても天と対を成す寒々しい色彩をまとって茫漠と広がっているだけだった。

 イギリスの北部、スコットランドでも更に北に位置するハイランドと称される地方には、北海側のモレー湾から大西洋側のローン湾までを貫いた、かの有名なネス湖の両端から延びるカレドニア運河がある。モレー湾に面した都市はインヴァネス。ローン湾に面した都市はフォート・ウィリアム。古来からハイランドの中心首都として栄えたインヴァネスに対して、氷河に削られた荒々しい稜線と飛び石のような姿で海原に散らばる無数の大小様々な島ばかりに囲まれたローン湾側は、インナー・ヘブリディーズ諸島と呼ばれる奇景地帯として知られていた。

 島々のいくつかは居住地として、また観光名所として船便でつながっているが、いったん海が荒れればそのほとんどは往来が遮断され、まさしく孤島となる。風が荒れてもまたしかり、渡る者の絶えた日は墓石のように、冷たい海に点在するだけの場所となった。

「‥‥見覚えが‥‥あると、思った‥‥」

 フィンガルの洞窟は、鋭い玄武岩の石柱が林立して島の形を成した奇景中の奇景と呼ばれるスタッファ島の中で、もっとも巨大な洞穴である。奥へ奥へと闇を求めるように伸びる両の壁も天井も水平に、また垂直に切り揃えられており、一見すると誰かが手を入れた神殿造りのようだが、すべてが自然の産物なのだ。その証拠に時折、剥き出しになった玄武岩の一部がすっぱりと切り取られたように欠け落ちて他の岩に当たり、甲高い音を上げる。

 弔鐘のようだとぼんやり思い、ランダーは固い岩肌に横たえた鋼鉄の身体を無理に捩った。傍らに屈み込んだダイバーは、ふっと途切れた意識が戻った時には〈サイコ〉の眼前からこの島へ飛ばされていたというのに、不可解な事態は横に置いて応急処置にかかりきりになっている。

 淡い光が当たる洞窟の入り口近くにはプリテンダースーツのままのホークと、その横に寝かされたフェニックスがいた。フェニックスは裸身のせいか、この石くれだらけの景色の中で酷く寒そうに見える。目蓋を固く閉じて眠り続けるその顔を幾度も撫でながら、ホークの指は丁寧に乱れた髪を直してやっていた。

 天井に視線を戻して、ランダーは言った。思った以上に声は弱々しく掠れていたが。

「なあ、ダイバー‥‥俺はいいから‥‥」

「気が散る、喋るなッ」

 ぴしゃりと一喝されて言葉が続かない。だが、ダイバーらしいその反応にくつくつと苦笑が出て腹部が波打つと、ランダーは思わぬ痛みに襲われて呻いた。

「‥‥もう、放っておいてくれ‥‥死ぬなら、このまま‥‥」

「下らないこと言う元気はあるんだな」

「報いを、受ける‥‥自分の死に方、くらい、‥‥」

「―黙ってろ。音声回路を切るぞ」

「やっと、その日、が来ただけ‥‥」

「うるさいッ、黙れ!!」

 ついぞ聞いたこともない怒り任せの恫喝を脳天に浴びて、ランダーはしばし呆然と、それを発したのがダイバーだとは信じられない面持ちで古い友の顔を注視した。

 ダイバーは自身の声帯から飛び出した言葉の激しさに一瞬、臆したように息を飲む。しかし、ランダーの身体に開いた痛ましい傷口を塞ぐ為に手元へ目を戻すと、次の声を押しとどめられなかった。

「俺が死なせない‥‥ッ。お前も、ホークも、フェニックスも、俺が絶対に死なせないぞッ。勝手に終わらせるなッ!」

 反論は上がらなかった。ランダーはそれきり観念したように黙って、じっとホークとフェニックスの姿を眺めながらダイバーの治療に身を預けた。

 傷口を塞ぎ、痛覚を遮断すると、何の機器もなくできる緊急の処置はこれで精一杯だった。パーソナルコンポーネントへのダメージを避けたとは言え、〈サイコ〉の一撃をまともに受けたランダーの身体は重傷には違いない。すぐにも設備の整った場所へ移さなければ、危険は時間と共に増す。

「‥‥フェニックスが、目を覚まさないんだ」

 膝を折って背後に屈み込むダイバーの気配に振り返ったホークは、救いを求めるように言って、眠ったフェニックスの頬に這わせた手を引き戻した。ダイバーはゆっくりと首を振る。それが慰めの仕種だと気付いて、ホークは眉根を寄せた。

「ホーク‥‥わかってるだろう?俺達がトルコからここまで一瞬で移動したのは、ありえない力のせいだ。おそらくは―〈Psi〉の。フェニックスの力だ」

「だったらなんだ?」

「フェニックスにこんな力が現れたのは、〈サイコ〉とつながっているせいだろう。だとしたら、奴はいずれフェニックスの居所に気付いて追ってくる。どこまで逃げても」

「ダイバー―」

「もちろん本意じゃない。だが今はまだ無理だ、ホーク。今はフェニックスを連れて行けない」

「ここに―いるんだぞ、ここに!」

 ホークは叫んでダイバーの顔を睨み上げた。短い静寂のうちに岩塊の砕ける音が二度、木霊する。

 やがて先に目を逸らしたのはホークの方だった。

「アグネスがいたんだ、〈サイコ〉の中に」

 ダイバーの声にならない動揺が気配で伝わる。ホークはフェニックスの額にかかる青灰色の髪を撫で付けながら頷いた。

「フェニックスが私達を愛してくれていることは知ってる。でも、心が求めているのは私達じゃない―どうして、彼女じゃなければ駄目なんだ?」

 安らげる場所になら、なれるはずなのに。

「フェニックス‥‥」

 こんこんと眠りの底に沈み込んでいるフェニックスの頬を優しく両手で包むと、ホークは額に額を寄せて、祈るように囁いた。

「お前がすべてを捨てても‥‥私達は捨てない。きっとこの手に取り戻してみせる―」

 吹き付ける海風はただ温く、フェニックスを凍えさせはしないことだけがただ、今は救いに思えた。

 

 彼方から名を呼ばれた気がして目を開ける。

 目覚めて見えたのは、薄氷色の空。横たわった身体の上に広がるその景色は寂しげで、どこか、いつともはっきりしない記憶の片隅にある風景に似ているような気がした。

 自分は知っていたのだろうか?そうかもしれないのに―何一つ、確かな像を結ばない。

 フェニックスはぼんやりと流れていく薄雲に手を伸ばし、ふと、頬を滑るものの冷たさに気付いて指を這わせる。

 触れた指先に、数粒の滴が染みた。

「‥‥?」

 なんだろう。これも何か大切なものだった気がする。

―アグネス

 不意に閃いたその音節が、頭蓋の底に澱み始めた他の一切を無に還す。

―アグネス

 フェニックスは穏やかな気持ちで静かに目を閉じた。

 遥か頭上、平べったい天空にゆっくりと穿たれていく黒い孔など、最初から見えてはいなかったように。

 

 

 

 

(第四巻に続く)

 

 

 

なお、この小説はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は実在のものとは関係ありません。

 

 

 

 

 




次回から第4巻(最終巻)になります。
引き続きお付き合いくださいませ。
↓下記、用語解説です。

『用語解説』

【 “ヴァーチャーズ”(聖騎士)】
 アークによって選ばれた指導者と、その意思体の総称。サイバトロン軍での最高位として扱われ、ロディマス以降の総司令官は全員がヴァーチャーズと称される。また「守護者」「守護士」と呼ばれる霊体となって生き続ける事もあるが、次代に降臨する力は持たない。

【ガラタの谷】
 G1第46話『ヨーロッパ横断特急』参照。既刊『TITAN』の舞台。※需要があればそのうちアップします

【クルーン】
 サイバトロンの使用する高密度シールド発生装置。

【玄奘】
 玄奘三蔵。三蔵法師。本名は陳緯。貞観元年(629年)に国禁を犯して天竺(インド)へ経つ。孫悟空が活躍する大衆小説『西遊記』のモデルとなった唐の高僧。『大唐西域記』は帰国後の玄奘が著した紀行記である。

【元老院】
 最長老と9人の議員から成る評議院。軍と異なる独自の形態を持つ。唯一、総司令官に拮抗できる機関であり、民主議会への介入もできる。また総司令官の最終任命権や、「オプティマス・コンボイ」の称号を下賜する特権を持つ。その直接的支配下には直属艦隊、特務警備隊の他、かのプロトフォームXを生み出したファサード機関などが存在する。

【元老院最長老(エルダーズ)】
 元老院の長。現在の最長老は、コンボイ不在時の全軍統率長官を務めた退役高官。氏名等は非公開。

【元老院付直属艦隊】
 サイバトロン宇宙軍の指示を必要とせず、元老院の命令によってのみ行動する軍艦隊。第十二艦隊まであり、その一つずつが独自任務を与えられた特務警備隊を支配に有する。しかしながら、サイバトロン宇宙軍との間で日常的に人員流入がある。

【国際報道網統一協定(又は非報道協定)】
 二十世紀末、デストロンが地球を後にし、戦闘による被害が減少したことを受けて、マスコミは幼少児に対するTFの影響力を考慮して国際会議及びレスキュー活動に関する意外にTFの情報を一切報道しないことを決めた。これにより二一世紀に入って誕生した子供達はTFという存在が地球上に暮らしていることを知りつつも、実際には目にしたことがないという不可思議な状況になっていった。

【Psi(サイ)】
 一部のTFが先天的に持って生まれる超能力のことで、彼らは特にPsi保持者と呼ばれる。古くはエリータワンのタイムストップや、スカイワープの瞬間移動がそれであり、Psi保持者の出生率は限りなく低いために希少な存在として扱われる。

【スパーク(魂)】
 通常、人格の宿ったブレインサーキットより生じる高エネルギー体の塊のことで、すなわちTFはそれを魂と呼ぶ。しかしながら地球などで言う「見えない存在」としてではなく、光を発する視認物質であることが多い。「死なない魂」とはブレインサーキットとの接続が失われた後も自らエネルギーを生み出し、自己意思を保存する状態のことで、これは一種の突然変異体である。また、マトリクスの力によってスパークを永遠不滅的なものに変化させることも可能だと言う。一般的には、肉体を変えることによって永久に生きられるのではないかと誤解されがちだが、それは「個性」が磨耗し、朽ちるのを遅滞させるだけであって結局は死に至る。「死なない魂」と言うのは現時での「個性」が変わることなく存在し続けると言うことなのだ。

【セヴィリア級戦艦】
 武装を軽くする代わりに船体の強度を上げた艦艇。サイバトロン軍では最も多い等級艦である。

【超魂パワー】→【プラネットフォース】の項を参照

【ティタン(巨神、巨人族)】
 地球各地に残る創世神話に登場する巨大な肉体を持つ神々は、その多くが有史以前に飛来したTFを指すのではないか、と言う説を唱える学者が近年現れ始めた。これについてサイバトロンは明確な答えを出していない。しかしながら過去、アレキサンダー王、始皇帝、後にはヒトラーまでが「ティタンの末裔」と呼ばれる巨神を探索させていた事などから、TFが地球史に何らかの関わりがあったことは間違いないと論じられている。

【トロイ】
 トロイアとも呼ばれる。ホメロスの叙事詩『イリアス』(トロイのラテン語読み)によってその国の存在と、スパルタとの戦争による滅亡が知られたが、長く伝説だと思われてきた。シュリーマンによって遺構が発見され、歴史的事実となる。

【 “嘆きの部屋”】
 アセニアの宇宙軍統合本部にあるという、総司令官のみが入室を許された部屋。総司令官自らが望む時、その場所に『ある意思体』が現れ、TFが辿る未来の実情を語ると言う。事実に直面した誰もが嘆き悲しむことからその名が付いたとされる。

【ナザレのイエス】
 キリスト教の始祖イエス・キリスト。地球上で最初に選ばれたゴッドマスターであり、オーバーロードの所有者。しかしデビルZの意思に反して、善行と秘蹟によって人々の尊敬を集めたイエスはやがて見放され、処刑されるに至った。

【パーソナル・コンポーネント】
 スパーク(魂)の体内収容器官。通常は体内に存在し、個人によって形状も存在部位も様々。この器官そのものを取り出して収監する刑務所もあった。

【工場(ファクトリー)生まれ】
 セイバートロン星生まれの者の中でも、特に奴隷制時代に工場で量産されたものを指す。もちろん個性もあり、それ以後に生まれた者達と大差は無いが、その身体には製造番号が刻まれている。

【フィエスタ】
 奴隷制時代、クインテッサが娯楽として行っていたTF同士の殺し合いを指す。勝敗に関わらずそのほとんどは処分されたが、一部は高性能の戦闘兵器として輸出された。

【プラネットフォース】
 次元に満ちている四大要素の高エネルギー体のことで、それぞれに〔天〕〔地〕〔人〕〔理〕を表す。MFにおいて超魂パワーと呼ばれたものの実体であるが、〔理〕(ことわり・時間の流れ)のみは常人の支配が及ばない。超魂パワーも〔天〕〔地〕〔人〕のみ。

【プリテンダースーツ】
 本来、プリテンダーの特殊な可変構造はあらゆる形態への転化が可能であるため、アーマー型を経る必要性は全くない。事実、地球文明の黎明期には一般にヒューマノイド型と呼ばれる極微細ナノマシンの結合による鋼化筋肉体を取っていた。しかし文明発展に伴い、異質な姿に対する奇異の視線が強くなったため、当時広く普及し始めた全身鎧(フルアーマー)に似せた形態を取るようになった。

【マトリクス】
“青い炎の核”と呼ばれた旧時代の遺物。あらゆる叡智、あらゆる事象を記憶した高エネルギー体で、代々サイバトロン総司令官に引き継がれてきた至宝。邪神ユニクロンを封じるための『鍵』として生まれた物質で、ベクターシグマの元で永い間主人に相応しい人間を待っていた。主人たる者が純粋に一つを望んだ時、それを完全叶える力を持っており、善にも悪にもなりうる魔の物質でもある。

【ラグーン】
 一切のエネルギー干渉を遮断する球形(ないし卵形)の外殻ブロック。本来は未開惑星への単独降下時に用いられる保護ポッドで、現在のプロトフォームポッドの基本形である。

【ルーター】
「出戻り」の意の俗語。奴隷制時代、クインテッサの『フィエスタ』に招聘されながら相手を倒して戻った者を「死なずに戻った奴」=「出戻り」と称して呼び、忌避した。なぜなら生きて戻った者は間違いなく同胞殺しだからである。(フィエスタ→別項)

【ルグ】
 デストロンの使用する索敵型惑星攻撃砲〝バロル〟の汎用型。小型で使いやすいが、その分威力が落ちる。レーザーを重力で「曲げる」という芸当ができるのも、威力が小さい為。

【惑星アセニア】
 サイバトロン宇宙軍の統合本部が置かれている惑星で、400万年前にセイバートロン星の実質支配権がデストロンに渡った時、移転された。また一般市民の生活の場でもあり、惑星の統制は民主議会が行っている。


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