TITANIA   作:宇宙の正面

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最終話が迫ってまいりました。
今回はマイクロン伝説のキャラも1人
ちらりと出演しております。




TITANIA第4巻#5

 

―2029/7/8 18:30 Dead Sea―

 

 荒涼とした赤銅色の岩肌が、ともすると階段状の遺構のように続く死海の岸は、地平線に接した太陽の残り火で辛うじて本来の色彩を保っていたが、巡らせた視線のほぼすべてを占める高い天空は黒と紺と紫と、一筋の緋のグラデーションに塗り込められていた。

 瞬き始めた無数の星が、驚くほど近い。湖面を渡る風が岸に打ち寄せる小波の音が瞬間の煌きに併せて歌っている。その感覚的なものが実体の無い身の内を通り抜けていく一瞬の熱を、ウルトラマグナスは確かに感じ取った。

 奇妙なものだ。肉体を要しない高位霊体に昇華されてから、物質次元は意識して触れない限り存在感というもののない、紗の向こう側としか捉えられなかったのに、闇に取り込まれようとしている死海の大地になだらかな丘のようにして肢体を横たえている〈サイコ〉の墨色の影と、その上に所在無く立ち尽くしている裸身の輪郭だけは、理解を超えて深層下に訴えかけてくる。

 真正面に向き合うと、フェニックスの横顔に落ちた夕陽の最後の一条が、惜しむように頬を撫でていた。ウルトラマグナスはちらりと、遠い地平線を臨む。

《ここから見る夕暮れは、とても美しいな―これが見せたくて私を呼んだのかい?》

「呼んだ訳じゃなかった‥‥」

 応えは、叱られたひ弱な少年のように掠れている。それが本心に違いない。ウルトラマグナスは胸元の蒼い光輝をフェニックスと、つながったもう一人を慄かせない程度に緩めた。

《そうだな、ただ、君があまり強く叫ぶから、話す相手を探しているのかと思ったんだ》

「話すって、何を?俺みたいなのは創られちゃいけなかったんだ、って事?」

《君は〈サイコ〉が何者か、思い出したんだな》

「こいつは俺の半分‥‥早く元に戻りたくて仕方ない、パズルのピースみたいなもんだよ」

《いいや、ピースが欠けていても全体を眺めれば元の絵が判るように、〈サイコ〉がいなくとも君は君だ》

「それじゃ全然、駄目なんだ。今ここに、」

 ウルトラマグナスに救いを求めるような、全身を貫く言外の痛みを堪える目をして、フェニックスは裸の胸板に右手を当てる。その上から抑制するように重ね合わせた左手が、無意識にか震えていた。

「開いてる孔から、グチャグチャなものを吐き出さないと」

 それは罪悪か?それとも憎悪?悲哀?希望?

 どれも違う気がして、ウルトラマグナスは瞑目する。

 審判―

 唐突にそんな単語が降りてきた。地球の歴史を紐解くと何度となく顔を覗かせる、地球人が自らに与えた楔。どんな神話や伝説、宗教のモチーフでも最後の最後に記されている、自己に拠らない〝他者からの裁定〟。

 トランスフォーマーが独立で勝ち得たものに一つ、自己決定の自由がある。地球人が意図して産んだ超越した存在としての裁定者という観念は、創造され、搾取され、虐げられてきたトランスフォーマーにはまったく理解し難い盲従の容認だった。自由を手にしながら、なぜ最後を他者の手に委ねることが正当だと?それが幸福たり得るか?多くの書籍からその事実を学び取った時の衝撃と憐憫を、ウルトラマグナスはまだ鮮明に記憶の一端に留めていた。

 そして、救いのようであり呪いのようでもある一念を、トランスフォーマーのフェニックスが地球人であるかのように口にする。

 宵闇が急速に冷たい風を運び、フェニックスは寒さを防ぐように両腕で身体を抱き、首を竦めた。

「俺は、俺じゃなかった‥‥でももういいよ。悪いのは父さん達じゃないんだから気にしないで忘れてって、そう伝えてあげて。俺なら、アグネスがちゃんと決めてくれるから、与えられた通りに自分の役目を果たせるって」

 零れた脆い言葉の連なりを飲み込むまでウルトラマグナスは呆然と、一つの黒い影に変ってしまったフェニックスを凝視していた。続けて総毛立つような冷気が襲いかかる。

《君は―なんて事だ‥‥!》

 伝えて、とフェニックスは言った。とうに彼方へ旅立ってしまった両親に。今この時、地続きの世界のどこかに愛する二親が生きていると信じ切った、小さな少年の声で。しかしこうならなければ自分の存在に確信が得られないほどに砕けてしまったのだ。心が、想いが。これまでの数百万年に積み重ねてきた、フェニックスという名をした者の思い出が。

 この不条理をどこに叩き付ければ頭蓋を満たす火のような怒りを鎮めることが出来るのか、ウルトラマグナスにはわからなかった。

《もう覚えていないのか?君には、君を想う人達が大勢いる。君が決して傷付けまいとしてきた人達が。それを忘れてしまったら、君は今度こそ彼等を永遠に失ってしまう》

「‥‥誰を?」

《それを思い出すんだ、フェニックス。君が手の中に並べている結末は、どれを選ぼうと耐え難い代償を、》

 認識は反射の後にやって来た。

 突如背後に現れた圧倒的な殺気から身を捩り、泡が飛び散るように四散して数十メートルもの距離を飛び退ったウルトラマグナスが振り返ると、半拍前に立っていた粗い地面は黒い山のような〈サイコ〉の巨体に覆われ、完全に丸く抉り取られていた。巻き上げられた砂礫が遅れて降り、右腕の爛れ落ちたバランスの悪い巨体の肌でバラバラと冷たい音を立てる。その失われた肩口に片足をかけて微動だにしないフェニックスの輪郭だけが白く浮かんでいた。

 一体いつ、どの時点で移動したのか。思い返しても、視界から消えた瞬間の一コマがすっぽり抜け落ちている。自分の時間を切り落とされたような感覚に陥って、ウルトラマグナスはその場に身構えた。これまでの報告から、フェニックスが〈サイコ〉との接触によってPsi能力を発現したことは知っている。それも特化された第一世代の生体兵器、たった一人の完全体ならば、理解できないままにどれほどの異能を秘めていてもおかしくはない。肉体的な攻撃は効かないにしろ、敵と認知されたら危険は格段に増す。

 ゆらりと宵闇に溶け込み始めたウルトラマグナスを無表情に見下ろしていたフェニックスが、獣のように低く唸った。

「―もう、遅い―誰も、だ、れ、も、モ、ワタシ、ノ、ジャマハ―したく―ナル―」

 山が歪む。夜を引き裂くように掲げられた〈サイコ〉の左手がフェニックスの身体を掬い上げ、盛り上がった胸郭の奥へ押し込む。燐光を放つ溶液に満たされたポッドの中に四肢を広げて毅然と立ち尽くしたフェニックスの背後に、髪の長い少女の裸身が見え隠れした。

 危ない―意識と別の場所にある何かがウルトラマグナスを突き動かすと同時、衝撃が襲った。大気が震動し、劈くような共鳴に知覚が麻痺する。力任せの重圧に弾き飛ばされ耐えようとした両の脚が地面を擦る、そんなありえない錯覚が全身を駆ける。だが実際のウルトラマグナスは、その場を一ミリたりとも動かされてはいなかった。

 ランダーを貫いたのと同じ、槍のように窄めた腕を一直線に繰り出しながら圧し掛かる〈サイコ〉の巨躯は、ウルトラマグナスの胸元で突如その所有者を防御する盾となって展開した蒼の光芒に遮られ、半瞬の滞空の後、軽々と後方へ弾き返されていた。が、巨体は信じられない身軽さで宙を舞い、着地の寸前、矢のように飛び出して再びウルトラマグナスに襲いかかる。

 二度目の衝撃が来た。冷静に胸部を狙う〈サイコ〉の拳とウルトラマグナスの間を、マトリクスの欠片が生み出す光輝の壁が塞ぐ。弾かれ、飛び退く〈サイコ〉が痛みに呻いた。引いた指先の表皮が焼け爛れたように鈍く変色している。

(マトリクスに触れられない‥‥?!)

 まるで厄介な天敵であるような。かの叡智の一滴にも満たないだろうウルトラマグナスのマトリクスが、これほどの激しい反応を示す存在があるとしたら、それは宇宙に唯一の。

《―そうだったのか‥‥!目的は―》

 完成を見た、ただ一人の完璧な殺戮生体兵器。

 組成を成したバルサー自身が、想像していた物とはかけ離れた産物に仕上がってしまったと恐れた訳。誰かが故意に手を貸したのでなければ決して成功しなかった―そんな器を欲してやまない邪悪な者が、この宇宙にたった一人、いた。

 その名をここで口に上せるのも厭わしく、ウルトラマグナスは噛み殺して〈サイコ〉を睨め付けた。一体どれだけの、幾人の運命を弄べば気が済むというのだ。コンボイを、ロディマスを、そして自分を断ち難い鎖の先に繋ぎ止めたように。

 溶液の奥で、フェニックスの姿をした者が小さく笑う。歪めた唇の端から漏れた気泡が踊り回って、目元だけが酷く悲しげなその面輪を撫でた。

「コノ世界ニ、二人ハイラナイ」

 イラナイ。もう一度だけ虚空に宣言するようなきっぱりとした口調で繰り返すと、フェニックスはついと星河を見上げた。仮面を思わせる面貌を張り付けた〈サイコ〉の頭が、連動した操り人形のごとく顎を上げ、天を仰ぐ。死海を渡る湿った風が押し上げるように、岩肌と一体になっていた巨躯がふわりと浮かび、丸く黒い影が地に落ちる。

 否―影ではない。

 飛び退くのと同時にウルトラマグナスは、地面の隆起を無視して急激に膨張した暗黒色の円の外側へ飛翔した。タールを流し込んだような黒い深淵の中心に膝を折った〈サイコ〉の身体が、空間を裂いた孔へと徐々に沈む。歪曲された次元の断面に接した岩場が、引き潮に攫われる柔らかな砂の集合体のように、沈降する〈サイコ〉に併せてズズス‥‥と引きずり込まれていく。ウルトラマグナスの眼下で、それは巨大な蟻地獄の巣のようだった。

《二人だけの世界で、君は救われるのか‥‥?!》

 愛する女性の慈しんだ地球。刻み込まれた命題がフェニックスの胸から朽ち果てない限り、ここがすべての終着点だ。

 ウルトラマグナスは〈サイコ〉に向けて手をかざす。叡智の輝きが燃え盛る焔の勢いで増大し、外気に溶け出した全身が一個の球体に変じる。と、蒼を帯びた光球は不規則な弾道を夜空に描きながら、〈サイコ〉の周囲を押し包む深淵めがけて飛び込んだ。

 咆哮したのはどちらだったのか―駆逐された闇と共に吹き飛ばされた崩落しかけの岩場には、両の脚からぶすぶすと溶けた金属の臭いを立ち上らせる〈サイコ〉とウルトラマグナスが対峙していた。

 もう一度、ウルトラマグナスのかざした右手が真正面から〈サイコ〉を―フェニックスの姿を捉える。

《―どこへも行かせない。君は待つ者達の所へ帰るんだ》

「‥‥私ハ、アグネスト行ク―世界ヘ―」

 フェニックスの背に守られたアグネスの身体は華奢な少女の時期を過ぎ、すでに女性特有の柔和な丸みを描いている。

 ウルトラマグナスはゆっくりと、かざしていた手を夜空へ差し上げた。東に広がる星々の果てにぽつんと現れた赤色灯が瞬く間に数を増し、戦艦タンクレディに率いられた千以上もの飛行機影が群を成して現れる。それを物珍しそうに眺めながら少し笑ったのは〈サイコ〉でも別の人格でもなく、無邪気な少年に返ったフェニックス自身のようだった。

 

 

―2029/7/8 20:38 the skies of Arabian Peninsula―

 

「―熱源捕捉しましたッ、映像来ます!」

 二度の巨大なエネルギー放射を地表面に捉えた戦艦タンクレディは、スターセイバーの号令で茫漠と広がるルブアルハリ砂漠の上を舐めるようにアラビア半島上空を疾駆しながら、死海近辺に生じた三度目の苛烈なエネルギー波を捉えて俄かに浮き足立った。

 〈サイコ〉の行方を見失ってから丸一日以上、必死の走査も実らず、地上に降下しての活動も制限を受ける状況で、焦りだけが増していたところにやっと掴んだ一端だ。スターセイバーを信じて付いて来た誰もが、これが〈サイコ〉を倒す最後の機会になることを感じ取っていた。

 艦橋に詰めた全員の視線が、前面を覆うモニターに注がれる。先んじて軌道面を移動させた衛星の一台から送られた捕捉ポイントの映像が、続け様に大写しになった。その瞬間、艦橋の空気が呑まれたように凍り付く。

 崩れ果てた死海の岸に、星明りを浴びて〈サイコ〉が独り立っていた。片腕を捥がれ、両脚を醜く焼かれた姿に、白銀の研ぎ澄まされた氷刃のようだった清冽さは影も形も残っていない。だがうっすらと笑みさえ浮かべた秀麗な表情は、醜怪に化そうとしているその身体にあって、いっそ凄絶なほどに見る者を畏れさせた。まるで闇が、死が形を成したような。

「―ブラッカーは、」

 時を縛り付けていた糸が、スターセイバーの硬い一声によって切れた。はっと我に返った騎士達が慌てて各人の役目に取り掛かり、次々と報告が飛ぶ。

「副司令麾下、戦艦エルミニア大隊は現在、メキシコ湾上空をこちらへ向かっています」

「よし、死海から周囲五千キロの全航空管制へ、現在飛行中の民間機の緊急着陸を要請。空路を全面封鎖すると伝えろ」

「戦闘予測地域内の一般市民へ避難勧告は、」

「いや、パニックを避ける為に勧告はしない。ブレイバー!」

 スターセイバーは指揮席から呼ばわって、駆け付けたブレイバーの肩を軽く押さえた。

「地上の指揮は君が執れ。我々の移動に併せて戦闘地域は大きくずれるだろうから、都市部の沈静は任せる。混乱と暴動だけは抑え込んでおいてくれ」

「わかりました。人手はかなりいただきます」

「構わない、必要なだけ連れて行け。こっちは何とかなる」

「‥‥ご武運を」

 その言葉を指揮席の陰に立つフォートレスにも振り向けると、踵を返してブレイバーは艦橋を後にした。

 この戦艦タンクレディに実戦配備できた騎士は約二千名。半分が艦側をぴたりと追従している飛行能力を有した者で、残りは地上戦を得意とする車両タイプ。ブレイバーの麾下にはそちらから八割が降下する。他に今ブラッカーが率いている戦艦エルミニアにおよそ八百名いるが、こちらも陸と空で半々だ。そして残念なことに、頭数で勝っても決定力に欠ける事実は揺るがない。

「エルミニアに高度一五〇〇〇まで上昇するよう伝達。タンクレディはこれより三〇〇〇まで急速下降を開始する」

 コンソールに噛り付いていた下官達が、えッ、と短い呼気を漏らす。しかし、スターセイバーはすでに指揮席を離れてモニターに背を向けていた。

「危険です、総司令ッ。航路上に高山地帯はありませんが、この艦幅で人口密集地の上空を掠めれば―」

 旅客機が飛ぶような生易しいものではない。地方の小都市などすっぽりと艦影に覆い尽くされてしまうだろう。生活圏を脅かされた地球人が、頭上を遮るトランスフォーマーの艦を間の当たりにした時どれほどの恐怖と怒気を感じるか。ただでさえ排斥の気運が高まっている最中にそんな軍事行動を取れば、一般市民への威嚇と映りかねない。

 追い縋って再考を求めた反駁の声は、しかし横から飛んだ別の一声に遮られる。

「目標、艦砲射程に入ります!目視可能ポイントまで3―」

 張り詰めた調子のカウントを肩越しに流してスターセイバーはフォートレスに歩み寄ると、軽く膝を落とし深々と頭を垂れた。決心して乗り込んだ艦橋だというのに、フォートレスの眼窩に静かな緊張が浮かぶ。

「フォートレス閣下、この後の戦術は計画通りに、どうかタンクレディの指揮をお願いします。私はウルトラマグナス様の元へ参ります」

「‥‥無事のご帰還をお待ちします」

 はい、と素直に微笑んだスターセイバーは、艦橋の喧騒を振り切るように踵を返して出撃ハッチへ立ち去った。ものの一分と経たないうち、Vスターとドッキングした赤い機影が夜を裂いて飛翔し、十数機が追尾していく。

 フォートレスは主を欠いた指揮席の真横に並ぶとその肘かけに手を添えて、注がれる下官達の不安げな視線を見回した。

 残される者には、残された意味がある。だが、この艦に託された任務がスターセイバーの描く戦術の中枢を成すのだということを、長々説明している暇はない。フォートレスは一息吸い込むと、ついぞ忘れていた頑とした声音を張り上げた。

「当艦は高度を保持したまま直進。総司令官が〈サイコ〉を地上面から引き剥がすと同時に直下でコートノジュールを展開、地表と〈サイコ〉の間隙を遮蔽する!」

 モニターの一つを占めたシナイ半島近辺の地形図には、永年の民族対立の末にようやく確立した大小様々な自治区域が点在している。地球人が暮らす土地を防御しようとすれば―ここだけではない、どこであろうと戦火の拡大を食い止める為には、艦自体を棄てる覚悟で盾の役割を担わなければ〈サイコ〉を抑え切れない。弾幕として艦艇に装備されている高電磁波防壁コートノジュールを単体に対して盾に使う、これは捨て身の戦術だった。だがスターセイバーが決断したように、これ以上有効な手などない。後はただ、フェニックスが生体兵器としての自我を拒絶し続けることを祈るのみだ。

「総司令官機、目標接触まで五キロ」

 フェニックスにも、高速で己に向かってくるタンクレディの艦影とスターセイバーは視認できているだろう。

 頷いて、フォートレスの号令が艦橋に響いた。

「―〈サイコ〉を地中海側へ弾き出す!」

 

 

―2029/7/8 14:52 the skies of the tropic of Cancer―

 

 二艦のコートノジュールで〈サイコ〉を上下から挟み込み、逃げ道を奪って空中戦のみに持ち込む、という戦術が適切かどうかは別として、それを無謀と詰れるほど普段から模範的とはいえないブラッカーには、スターセイバーを止める気などさらさらなかった。

 フロリダ半島に先の戦闘で負傷した騎士達の身柄をパーセプターとジャンに託して降ろし、万が一〈サイコ〉が北米大陸の都市部を標的にした際の対処に地上部隊の配備を済ませると、三百名ほど残った飛行能力を持つ騎士達を率い、戦艦エルミニアは北回帰線上をなぞって大西洋横断を開始した。

「死海東岸にて、総司令以下先発大隊が〈サイコ〉と接触」

「タンクレディ、エルサレム上空を通過、戦闘継続中ッ」

 指示通り徐々に高度を上げ、タンクレディとの合流予測地点で〈サイコ〉を挟撃できるように態勢を整える最中にも、刻々と戦況は変っていく。報告が上がる度、ブラッカーは苛立たしげに床を蹴り付けて、モニターの一面に開いた衛星からの俯瞰図を睨み付ける。

 一刻も早くスターセイバーの元に駆けつけたいが、戦闘区域が分刻みで移動していては先回りも不可能だ。スターセイバーにはウルトラマグナスが付いている‥‥そうわかっていても、気だけが逸って落ち着かない。

「―九機撃墜されましたッ。クレタ島沖、南西八十キロ地点に着水、救援が出ます」

 元々、車両系統のトランスフォーム能力者が多いサイバトロンは長時間の空中戦が不得手だ。このまま飛行能力を持つ騎士達が総司令官を守って離脱を続ければ、タンクレディから救助に割かれる手間と人数で倍の戦力が落ちる。今〈サイコ〉と互角に渡り合えていても、ほとんど綱一本の危うさだ。

「タンクレディからの指示は。進行方向は合ってるかッ?」

「〈サイコ〉の移動速度が‥‥リビア領空内に入りました。サハラ砂漠上空をアルジェリア側へ追尾します」

 スターセイバーは、市街のない砂漠を横切ってモロッコかモーリタニアの沿岸部へ〈サイコ〉を押し出す算段だろう。挟撃を見込んで、こちらの航路とそれほど離れていない。

「よし、進路は現状を固定。タンクレディとの連携を密に保て。こちらは〈サイコ〉を真正面から迎え撃つ準備を、」

「―副司令ッ」

「どうしたッ」

 勢いのまま、噛み付くような声音で問い返したブラッカーは、コンソールの一つを前に狼狽しきった表情を向けるオペレーターを見止めて、その手元に視線を落とした。独立した探査レーダーの画面に、ぽつんと規則的な光点が瞬いている。

 一息飲み込む音に続いて、報告が絞り出された。

「後方ニ十キロに艦影。大気圏離脱速度でこちらに近付いています。質量から見て、マキシマス戦艦かと―」

 ブラッカーは見えるはずもないその機影を探すように思わず振り返って、視界を遮る艦橋の無機質な壁に苦笑することになった。そうか‥‥という呆れ返ったような呟きがつい口を突く。嬉しいのか、腹を立てているのか。この入り混じった感情を表現しきれない自分にブラッカーは観念した。

 前面の〈サイコ〉か背中の追走者か。上官の下す命令を聞き漏らすまいと待ち受ける部下達に目を戻すと、ブラッカーは両肩で派手に呼気を付きながら、ぐるりと艦橋を見回した。

「この中で、俺の次の官位は誰だ?」

 しばしの間が流れた後、数人の視線がコンソールの端に控え目に立つ騎士を差し示す。歳の頃はブラッカーよりも少し上だろう。スターセイバーがアセニア星からこの艦と共に伴ってきた一人で、医療にも通じているからとパーセプターが負傷者の治療をしている間、その傍で何くれとなく立ち働いていたが、地上に降りずに今度は艦橋で若い下官達を的確な指示でまとめる役を担ってくれていた。

「君が次官か。名前を聞いていなかったな」

「は―アセニア星防衛部第三十六師団、前線戦略指揮官、ラチェットと申します」

 よほど謙虚な性分なのか、進んで官位を口にしないところといい、雰囲気も声音もどことなくフォートレスに似ているラチェットを、ブラッカーはその生真面目な一言で信頼した。

「ではラチェット、エルミニアの指揮全権を君に委譲する。俺は野暮用があるからここで降りなくちゃならない。迷惑をかけるが、頼んだ」

「拝命いたします。責任をもって以後も滞りなく」

 流れるような美しい敬礼を背に受けながらブラッカーは艦橋を走り出ると、開放された後部の出撃ハッチから、後背をぴたりと追走してくるマキシマス戦艦の四足獣を思わせる姿を確かめた。その横腹に黄のジェットブースター―ビクトリーレオの姿がある。二つの機影は空間抵抗の為に歪み、その遥か後方にまで真円の衝撃波を残しながら大気圏内を惑星離脱速度で直進してくる。攻撃をかけるつもりはないのだろう。ただ距離だけが見る間に縮まってゆく。

 速度はこちらの方が遥かに鈍い。アイグラスの一角で接近値の計算を済ませると、ブラッカーは口中に叩き始めたカウントがゼロを打った瞬間、

「トランスフォーム!」

 パーツの一つまで目視できる距離へ飛来したマキシマス戦艦の、前方に突き出されたデッキ部分へ向かって全身を投げ出した。バギーに転じた身体が宙を舞い、トルクが唸る。

 ブラッカーの虚を突く行動にマキシマス戦艦が急制動をかける寸前、車体は吸い込まれるようにデッキへ着地すると、逆回転させたタイヤをギュルギュルと鳴らし振り落とされまいと艦上にしがみ付いた。完全に停止すると、もう一度舞い上がった車体がロボットモードに変じ、片膝を落として止まる。マキシマス戦艦を突き放すように飛び去るエルミニアを見送って、ブラッカーが艦首に向き合う形で立ち上がると、その間に立ち塞がるように獣身に転じたビクトリーレオが飛び込んできた。その咽喉が低く唸る。

 ブラッカーは両手が見えるように軽く開いて胸元を晒した。対峙した艦橋の窓越しに操縦席のグランド、ホークとダイバー、そしてゴッドマスターの顔ぶれが並んでいる。

「心配するなビクトリーレオ―今はジンライか。どっちでも構わんが、今はお前達と戦う気はない」

「どういう意味だ?」

 いつでも跳びかかれる体勢に下肢を沈めつつジンライが問うと、ブラッカーは首を振る。

「総司令官が〈サイコ〉と剣を交えている今、ここに割く時間が惜しいだけだ。そっちも同じだろう?フェニックスを取り戻したいなら、余計な事は聞かずにエルミニアを追え」

「俺達を前線へ連れて行って、一網打尽か?」

 ジンライの皮肉に、ブラッカーは思わず笑ってしまった。そうしたいのは山々だが、と前置きして何故か遠くのホークの眸を覗き込む。嘘のない言葉だと理解して欲しい、ただそれだけだった。

「〈サイコ〉を止められなければ、殺すしかない。だからそうさせないように、俺達より早くフェニックスを取り返せ」

 フェニックスが大切な者達を思い出せるうちに。いや、手遅れだったとしても終わった訳ではない。何一つ、終わらせてはいけないのだ。

「―ジンライ、フェニックスを迎えに行こう」

 艦橋から響いてきたホークの声にビクトリーレオの緊張が静かに解ける。マキシマス戦艦はブラッカーを乗せたまま、待ち兼ねたように一気に加速を開始した。

 

 

―2029/7/8 17:01 the skies of MAURITANIA―

 

 艦底に負ったダメージは確認させると思いのほか軽かったが、フォートレスは床に倒れた弾みで痛めた肩を押さえて堪え、高度を上げるよう指示を繰り返した。

 リビアからアルジェリアに抜け、タッシリナジェールと呼ばれる遺跡群の広がるアハガル高原に差し掛かったところで、〈サイコ〉が突如思いついたようにスターセイバーを振り切って急降下を始めたせいで、こちらの防壁を下げざる得ない状況に追い込まれた。その結果、タンクレディは三千メートルに満たないタハト山の頂に底腹を掠めてしまったのだ。

 艦が体勢を崩して下降する様を見物しながら、〈サイコ〉は気まぐれな鳥のように、スターセイバーの攻撃をかわしつつ飛び去っていった。おかげで、モーリタニアの領空に入るのが飛行部隊より数分も遅れている。幸いなのはこの近辺がサハラ砂漠の一角で、町らしい場所がないことだけである。しかし、沿岸に迫れば首都や他の都市部もあり、ブレイバー達も必死に地上を追っているはずだ。

(それにしても‥‥)

 まるで初めて庭に出た子供が遊んでいるようではないか。

 フォートレスは疼く肩をきつく握って、今までとは明らかに違う〈サイコ〉の行動を反芻する。スターセイバー達の攻撃をかわし反撃し、撃墜させることも厭わない。これまでとまったく同じように見えるが、端々に残る違和感をつなぎ合わせると判るのだ。絶対的な威圧感―〈サイコ〉の視線に晒される者が常に味わってきた「死」の恐怖が、綺麗に蒸発してしまっていることに。

 〈サイコ〉は―フェニックスは、この惨い追いかけっこを楽しんでいる。それとも、人格の統合という深い闇を越えたところにその境地があるのだろうか。狂気の果てとは、むしろ純真と無垢と冷酷が共存する澱なのだろうか。

 モニターの中で白い巨躯と赤い機影が踊るような動きで行き交い、追従する数十機が隙を見つけようと周囲を飛び回る。

 百キロと離れていないその先に、モーリタニアの海岸線が夕空との境界を見せ付ける赤さで輝いていた。

 

 スターセイバーは〈サイコ〉を追う視線とは別に視覚の一部を海岸線に振り向けると、対峙している巨体を押し出すのに適した市街のない地点を探し、攻撃の方向を修正した。

 一旦距離を取ってVスターを離脱した瞬間にバトルアップし、バーニアを最大に噴かす。引き抜いたセイバーブレードを斜に〈サイコ〉へ突進すると、小蝿を払うように振り上げられた一本きりの腕を掻い潜って懐へ飛び込んだ。一気に互いの呼吸が縮まる。

 斬れる―確信がスターセイバーの両腕を駆け上がり、柄を握り込んだ十指が剣士としての衝動で動く。だが振り下ろしかけた刹那、行動を司る意識が咄嗟にそれを押し留めた。

眼前に、〈サイコ〉の胸部に嵌ったポッドがある。溶液に浸された少女の裸身を硝子細工のように両腕で抱き竦めたフェニックスは、たゆたう愛しい者の髪に唇を寄せ、幸福そうに瞼を閉じて眠っているように見えた。

 世界を満たすあらゆる苦痛も悲鳴も届かない、最後に残された自我を守るための砦。最早そこにしかない希望。

《―閣下ッ!》

 ウルトラマグナスの叫びが聴覚を突いた一瞬、スターセイバーは〈サイコ〉の緋の双眼と向き合っていた。飲み込まれそうな冷厳な血の色に全身が凍り付く。剣はまだ手の中にあったが、すでに斬り付ける気迫は消し飛んでいた。〈サイコ〉は斬れてもフェニックスは斬れない―今は、駄目だ。

 大気を裂いて〈サイコ〉の膝頭が蹴りの形にせり上がる。衝撃に備えて身構えたスターセイバーは、突然〈サイコ〉との空隙に生じたエネルギー波によって後方に弾き出された。

 同時に反対側へ跳ね飛ばされた〈サイコ〉の巨躯が宙を回転し、数百メートルも離れて急停止する。キッと上がった目線はどこか拗ねた子供のように、立ちはだかったウルトラマグナスの輪郭を睨み付けていた。おそらくは僅かに掠ったのだろう、足の爛れから溶けた金属の臭いがする。

 何が起こったのか、スターセイバー以外には理解できない一瞬の出来事だった。攻勢に転じる機会を待っていた追尾の騎士達は、総司令官自身が寸でに一撃をかわし切ったのだと見て取るや、距離を空けた〈サイコ〉に猛追をかけた。

 一斉に狙い定めた光弾が、ミサイルが咆哮を放って隻腕の巨体に殺到すると、〈サイコ〉は踊るような身軽さで弾道を避けながら徐々に海側へと下がり始めた。その直下を、追いついたタンクレディが弾幕を広げて疾駆する。

 ウルトラマグナスは胸元に掲げたマトリクスの前で重ねた腕を解き、短い安堵の呼気を吐く。外装を解いたスターセイバーがVスターに騎乗した姿で傍らに滑り寄った。

「ウルトラマグナス様、申し訳ありません。一瞬―」

《お言葉は不要です、閣下。目的を果たされるまで存分に私の力をお使いください。彼にもあの少女にも、これ以上世界が生み落とした罪科を背負わせてはいけません》

 頷き合い、スターセイバーとウルトラマグナスは高く飛翔した。空の一角を朱の爆炎と黒煙が覆い、散発的な爆発が一帯を覆う。鬨の声と刃を交える高音が入り混じり、火の粉を引いて一機、二機、友軍の機体が海面に飲まれる中で、爆発の奥から〈サイコ〉の身体が舞い上がった。その動きに痛手を受けた様子は微塵もない。

 左腕がふわりと持ち上がり、突き出された掌が真っ直ぐに、飛び回るサイバトロン軍へ向く。と、広げた五指の中央に突如、青白いエネルギー光が収縮する。

《―いけないッ》

 ウルトラマグナスは叫ぶ途端に大気と同化し、弾道上にひしめく騎士達を庇って〈サイコ〉の真正面に身を躍らせた。恒星の誕生を見るような急激な圧縮が、〈サイコ〉の手にある白光を濃くする。ウルトラマグナスは背に追い縋るスターセイバーの声を無視して身構えた。叡智の加護の元でも、近距離で容赦なく放たれるエネルギーの奔流を相殺し尽くすのは難しい。だが―

 前触れもなく、厚い影が垂れ込めた。落ちた黒の中で機を殺がれた〈サイコ〉の手が掻くように引き戻され、無防備な面輪が天を睨める。

 鯨の腹のような長大な船底の下にコートノジュールを張って急降下してきたエルミニアは、海面と〈サイコ〉とを遮る位置を正確に維持するタンクレディをそっくり上空に写し取った位置に艦を着けると、戦火を見事に挟み込んだ。これで移動範囲が格段に制限される分、巨体の〈サイコ〉よりも小回りの利くサイバトロン側が優位に空域を支配できる。

 スターセイバーは指示を飛ばしながら、じっとエルミニアを見上げたまま浮遊している〈サイコ〉に突進した。

「脚を狙え!ここで食い止めるッ!」

 総司令官の檄に数十の機影がブースターの唸りを上げ、集中砲火が〈サイコ〉を見舞う。しかし実体弾も光弾もその身体に沿って展開した自己防衛バリヤの表面で爆発し、火の色を残して悉く霧散した。そして小さな、憂いの嘆息。

「邪魔ヲスルナト、言ッタノニ」

 火炎を払って再び持ち上がった隻腕がエルミニアの腹へ狙いを定めた。潮の匂いを含んだ夜気が震動し、更に暗い黒の円が五指の上に渦を巻く。新月の影のように〈サイコ〉の手元を中心にして押し広げられた厚みのない孔から、ぬっと銀色の丸い先端が突き出した。それも一つではない。四つ五つと瞬く間に数を増やし、さながら地面に生えた白いクレヨンのように孔を埋め尽くすほど並んだそれが、自らの意思ででもあるように上へ上へと押し上がると、隠れていた細長い胴体部分が露わになる。

 円筒を繋げた独特のシルエット。識別用のカラーリング。風をはらむ鋭いウィングレットにフィン―

「地対艦ミサイル?!どこからあんな‥‥ッ」

 識別指標を一つずつ確認できたなら、それがヨーロッパ列強の―軍施設から同時刻に消失した―兵器の集積だとわかっただろう。軍事ネットワーク全体を掌中に収めた〈サイコ〉には、地球上に散らばるミサイルの一基から発射コードの羅列まで、もはや意のままに出来ないものはなかった。

 一塊の束になった対艦ミサイルが枷を外され、牙を剥いた獣の群のようにエルミニアの基底部へ直進する。

「シールドを―!!」

 スターセイバーの叫びが掻き消えた。

 一条の電光が〈サイコ〉の頭上を走り抜け―その半拍の後。ドッという轟音を放って、一様に胴部から真っ二つに切り離された対艦ミサイルが行く先を見失ったまま爆砕した。一気に膨張した赤火と高温が二艦の狭間を蹂躙し、爆風に飛ばされた者達がバランスを失って海原に叩き付けられる。

 ウルトラマグナスの背に庇われて踏み止まったスターセイバーは、焔の底に地獄の番人のような超然さで立ち尽くす〈サイコ〉の前に、挑むように舞い降りた機影を透かし見た。

 ジェットブースターにトランスフォームしたビクトリーレオの背。二基のカノン砲の間に仁王立ちしたブラッカーの片腕は、焼け爛れ、細い煙を吐きながらも、ミサイルの一群を断ち割ったブレインマスターの剣を離そうとしていない。

 曇りのない剣先がすらりと動いて構えを取る。

「生憎だが俺はここまでだ‥‥邪魔させてもらったぞ、〈サイコ〉。俺は貴様に、彼等はフェニックスに用があるそうだ」

「私ガ彼、彼ガ私ダ。私ハ私達ヲ取リ戻シタ」

「俺達のフェニックスは、お前が隠してる奴の方だよ」

 低く呼応したジンライに二基の砲口を向けられた〈サイコ〉は、沈黙の後、アア‥‥と何故か寂しげに呻いて、ゆっくりと暗い海面の広がる方を振り返った。爆発の去った夜気の中に、上下の二艦と比べれば遥かに小さなマキシマス戦艦が、四肢を踏ん張る子供のような真摯さで浮かんでいる。

 〈サイコ〉はデッキの端にプリテンダースーツの二人を見た。

 ただ、見た、というだけだった。呼び覚まされる衝動もなければ、薄れた記憶の底から湧き上がるものもない。

「―アグネス‥‥」

 そうだ、彼女がいればいい。

 ソレデ、イイハズダ。

 頷くと、〈サイコ〉は突如その巨躯を反転させ、マキシマス戦艦へ飛び掛っていった。

 

 

《続く》

 

 

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