TITANIA   作:宇宙の正面

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ついに最終話になりました!
ここまでお付き合いくださった皆様、
本当にありがとうございます。
フェニックスの、ホーク達の選択を
最後までご覧ください。

今回も後書きに第4巻の用語解説を付けておりますので、
併せてご覧ください。


TITANIA第4巻#7

 

―2029/7/8 14:03 Northwest Territories at Canada―

 

 覚醒を促す微かな信号音が頭蓋に響くと、視覚が戻った。

 スターセイバーはひんやりとする荒れた大地にうつ伏せで預けていた上体をゆるゆると引き起こすと、意識と関係なく周囲を索敵し分析を始める視覚野の情報に従って辺りを一瞥し、その惨状に半ば愕然と声を失った。

 そこは捨て去られた街の残骸だった。古い木材と石積みだけの、十九世紀半ばの気色を残したこじんまりとした建物の群は今や見る影もなく崩れ果て、軒の低い家々はほとんどが煉瓦の塊と化している。騎士達はみな、その瓦礫の隙間に見渡す限り累々と倒れ伏し、呻きを上げているのだった。

 街の遥か彼方、針葉樹の林に突っ込むような形で、左手と前方にタンクレディとエルミニアが打ち倒された獣の死骸のように地平線へ横たわり、衝突で吐き出した火花のせいだろうか、一帯を舐るような焔の舌で赤黒く染めていた。その壁のような二艦の傍までブラッカーが率いていた地上部隊の騎士達が転がっている。見上げた天空は覆い被さるような厚い鼠色の雨雲に覆われ、地平に近付く毎に黒檀色に変わって、昼なのか日暮れなのか時間の感覚を狂わせてしまう。

 唐突に恐怖が込み上げてきた。

 イースター島の景色はどこへ消えた?

 あの無数のミサイルは?

 ブラッカーは、フォートレスは?

 一体ここは、どこだ?

『―‥‥令官、総司令官ッ、聞こえ―かッ?』

「ブレイバー!」

 通信機から聞こえた懐かしいほどの声に、スターセイバーは縋るように飛び付いた。安堵の呼気に続けて、ブレイバーの性急な問いが聴覚を満たす。

『ご無事だったんですね、よかった。全員いるんですか?』

「タンクレディとエルミニアは墜落した。騎士達はほとんどが倒れて動かない。部隊がすべて揃っているかどうかは、現時点では―」

『今、そちらの位置を把握しました』

 報告と共に腕の通信用モニターに地図と経緯が表示され、一点を指し示す。

「ここは‥‥カナダか?」

『北西地方の、ハドソン湾岸から西に五〇〇キロほど入った辺りです。周囲五〇キロに市街地なし』

 そうか、この廃墟はもはや街とは呼ばれないのか。一抹の感慨を覚えながらスターセイバーは問い返した。

「私はどれくらい連絡を断っていた?何分、何時間か?」

『いいえ、イースター島上ですべての個体がロストしてから、まだ一分と経っていませんよ!』

「まさか―じゃあ、この距離を一瞬で?」

 数千キロ以上離れた場所へ、〈サイコ〉がまとめて移動させたのだ。恐らくはあのミサイルの群から咄嗟に逃れる為には、解放した力に制限をかける暇がなかったのだろう。

「そうだ、攻撃はどうなった?!島民は無事なのかッ?」

 あれだけの数の弾頭がひと所で誘爆したら、島全体が吹き飛んでしまってもおかしくない。デストロンの、と告げようとしていたオペレーターの声が甦ったが、スターセイバーの想像は即座に否定された。

『島は無傷です、島民も。ミサイルはあれを落としたデストロンの強襲艦の真上に転送されて自爆したんです。高度があったので、破片が降りましたが被害はほぼありません。それで〈サイコ〉はどうしてますッ?今、我々も全力で向かっていますが、戦況は―』

 片隅に追いやられていた現実が荒々しく押し寄せ、スターセイバーはようやく、間断なく大気を引き破るように鳴り響いている噪音の源へ目を向けた。

 一枚絵のように、巨大な白い影が宙を舞う。黄と黒の獣身が飛び跳ね、陽炎のような赤と青の霊位が大気を裂く。プリテンダーとゴッドマスターと、その周囲を弾道が行き交い、爆発に続く赤芒が迫撃の凄まじさを照らし出す。

 と、横倒しに地面へめり込んだマキシマス戦艦の主砲が彼方で火を噴いた。火線は敏捷な〈サイコ〉を狙いきれずに崩れた建物の側面を掠め、スターセイバーの方向へと大きく逸れた。一気に迫る火炎の赤が視野を満たす。

 当たる―と覚悟した瞬間、

《閣下ッ!》

 真横から弾道の真正面に躍り込んできたブラッカーの前に光輝の盾が閃き立った。熱の奔流が凄まじい勢いで衝突し、寸での角度でブラッカーとスターセイバーを避けて斜め後方へ跳ね飛ばされ、消滅する。

「ブラッカー!なんて無茶をッ」

「セイバー、動くなッ。怪我に障る!」

 慌てて押し留める手が肩に触れる直前、立ち上がろうとしてスターセイバーはがくりと前のめりに倒れ込んだ。振り返って目に飛び込んできたのは、下腿の半ばから下がすっぽりと消えた右足だった。

「Vスターは―Vスター、どこにいるッ」

 痛みが無いのは、気絶していた数瞬の間に自己修復プログラムが痛覚を遮断したからだろう。だが足だけだ。合体すればまだ動ける。スターセイバーは叫ぶようにVスターを呼ばわったが、起動のシグナルコードが空しく返っただけだった。

 ブラッカーが剣を引き出し、労わるように傍らへ寄り添う。

「Vスターも墜落したんだ。ブレイバー達と合流するまで、お前の身は俺が守る」

「私の事はいい。〈サイコ〉とフェニックスを―」

「よくはない!!」

 叩き付けるような怒声にスターセイバーは首を竦め、上官と部下の堅苦しい口調をかなぐり捨てて友の一人に戻ったブラッカーの、苦しげな懇願の言葉を聞いた。

「お前をこんな所で死なせたら、俺はこれからどんな顔して生きていきゃいいんだ。頼むから‥‥守らせろ」

「ブラッカー‥‥君と心中にならない事を祈るよ」

 スターセイバーに背中でおどけてみせながらも、ブラッカーの口調は端から不吉な単語など吹き飛ばしてしまうように、前線に留まる誇り高い戦士の気迫に満ちていた。

「この長距離転送でさすがに〈サイコ〉も消耗してるらしい。ジンライ達の攻撃に反応しきれない時間が増えてるところを見ると、このまま押せば分はこっちにある―フェニックスを引きずり出せるぞ」

 ビクトリーレオが空を蹴って、薙ぎ払おうとする〈サイコ〉の腕をすり抜ける。返った腕に叩き落とされる寸前に下肢を捻って再び飛び、今度は片口へ組み付く。伸ばした前脚が、辛うじて半分の外装に覆われた胸部ポッドの縁を掻く。

 野生の咆哮が、矢のように飛んだ白銀の残像と重なった。

 

「俺が行くッ」

 〈サイコ〉の脚に集中砲火を浴びせて動きを牽制しているホークとダイバーにそう吼えて、ランダーは一度沈めた両膝で一気に全身を押し出した。真白い鋼化筋肉が躍動し、一呼吸で巨躯の懐に到達する。だがポッドには目もくれず、ジンライが隻腕の可動域を封じている間に、ランダーは胸部外装を踏み台にして更に高々と〈サイコ〉の鼻先へ肉薄していた。

 緋色の双眼が驚愕を浮かべて瞠目する。

「―その手に殺させるなと、言ったろうが!!」

 旋風のように繰り出された回し蹴りは〈サイコ〉の右頬にめり込んだ。顔面が歪み、反動が巨体を真横に吹き飛ばす。

「今だ、撃ち続けろッ!」

 飛び退ったジンライがカノン砲を放って号令をかけ、傾いだ足元を狙った砲火が地をえぐる。倒れまいとして身を捩った〈サイコ〉の顔を一拍遅れて真上からランダーが蹴り降ろし、巨体が地響きを立てて昏倒した。押し潰された建物の残骸から瓦礫が飛び散り、震動が周辺を倒壊させる。

 ホークは転瞬、プリテンダースーツまで収縮すると舞い上がった濃い粉塵の中へ飛び込んだ。

「ライトフット、援護をッ」

 言い様、ダイバーも本来の姿を収斂し、後に続く。ライトフットは電磁ライフルを風塵の中に引き絞ったまま、ロードキングを呼んだ。

「この塵じゃ撃てない、風がいる!」

「任せろッ」

 応えが終わらないうちに全身が超魂パワーをまとい、ロードキングの周囲で突風が渦を巻いた。風圧は瞬時に肥大し、薙ぐように拡散された粉塵の奥から、瓦礫の中に上体を起こした〈サイコ〉と、その胸部に取り付いたホークとダイバー、ランダーの三人を露わにする。

 塵が静寂を連れて、粉雪のように雨雲の下を舞う。

 獣身を解いて着地したジンライは、〈サイコ〉の胸元に何かの清玄な印ごとく並んだホーク達の背中越しに、淡く輝くポッドを見た。

「フェニックス―」

 溶液の中に寂然と佇みながら、フェニックスは居並んだ友の姿を透かして、破壊に晒された外界を両の眸で見下ろしていた。伸ばした両手を突いて支えた体に寄り添って、アグネスの滑らかな裸身が身じろぐ。目覚めた眸に僅かな光が宿ると、何の妨げも受けずに伸びた水草のような髪が翻り、広がり、流れ、細い両腕が泳いでフェニックスの首根を抱いた。フェニックスは求めるように首を傾けて、触れる少女の唇に頬を寄せる。アグネスはゆったりと微笑んだ。

 それは母親が我が子をいとおしむように―この世界にたった二人の、それが唯一の温もりであるように。

 耳朶に降りた唇が微かに動き―言葉が、音も無く。

「アグネス、駄目だッ」

「フェニックス!」

「やめろッ!!」

《―堪えてッ!!》

 三人の叫びに重なる別の声が背後に立ち塞がった、刹那。

 一斉に四方から襲いかかった無数の銃火が展開した防御の膜に殺到し、混ざり合った火炎は不可視の曲面を流れて〈サイコ〉を逸れた。しかし飛び散った大気の震動圧に突き上げられた衝撃でバランスを失ったホーク達は、あっと思う間、真っ逆さまに外装から滑り落ちていた。

 衝突の寸前、飛び込んできたジンライの腕が三人を掬い上げ、そのままブースターを全開して上昇に転じる。

「みんな、大丈夫かッ?」

「ああ、私達は―この攻撃は?!」

 高みからうかがった地上では、図らずも円陣を取って〈サイコ〉に砲火を浴びせ続けているサイバトロン戦士達と、否応ない応戦を強いられたライトフット達の火線が飛び交い、あちこちから上がった火の手が廃墟を緋に染めていた。

 転送のショックで気絶していたサイバトロンの騎士達が次々と覚醒を始めたのだ。撃墜された戦艦と怪我に倒れた総司令官を目の当たりにして、彼等の選択肢は一つ、〈サイコ〉を止めること。その一念と強大な敵への恐怖心が、騎士達を狂ったような強襲に駆り立てていた。

「何て事だ―もうアグネスは‥‥」

 〈サイコ〉は止められない。フェニックスに最後の選択を促す鍵は、目を覚ましてしまった。

 ダイバーの呻きに反応するように、〈サイコ〉が片手を支えにゆらりと動き、瓦礫を払い落としながら腰を上げる。ポッドに向かった弾道はすべて―ウルトラマグナスの持つマトリクスの加護で―跳ね返されていたが、立ち上がった〈サイコ〉は今や、秀麗だった相貌も氷刃のようだった肢体も撃ちかけられた火の粉によって傷付き、深くえぐられ、幾多の穿孔に彩られていた。ただポッドの中だけが気泡の乱舞に覆い尽くされ、内側からぶつかる泡の塊がひしゃげた音符のように無数の印を作っては消えていく。

「もう一度、俺が行く」

「一人で行かせられるかッ」

 包む手の中から身を乗り出したランダーを、ジンライは奪うように指を縮めて引き止めた。ランダーは思わず睨み返すと、その表皮を拳で叩き付けて叫んだ。

「三人になるくらいなら、一人の方がずっとマシなんだ!俺の命に意味を―ダイバー、お前が‥‥ホーク、それにあいつが、くれたんだぞ‥‥ッ」

「一人は駄目だって言ってんだよッ」

 ジンライはぴしゃりと言い返すと、囲いの中心に置かれた〈サイコ〉の位置と、ライトフット達が交戦している場所との距離をはじき出し、通信回線を開けた。

「マキシマスを盾にすりゃ、下りられない事はない。グランド!」

『短時間なら浮力が戻せる。〈サイコ〉まで突っ込めるぞ』

 待ち兼ねたような力強い応えが、横倒しになっていたマキシマス戦艦のエンジンから火花を噴出させ、傾いていた船体が徐々に元へと戻り始める。三人を手に抱えたまま降下を開始したジンライは、と、竦むように中空で急制動をかけると、見えない何かに引き付けられたように辺りを見回して呟いた。

「‥‥歌‥‥?」

 回線の底に混ざり込む音階の、途切れそうな旋律。

 ホークははっと聴覚器官の傍へ手を当てた。これは全員に聞こえているのだろうか。地上の騎士達が一人、また一人、武器を下ろして耳を澄ます。

「この歌―」

 地平線を見晴るかすように遥か遠い天と地の境目へ緋の双眸を投げた〈サイコ〉の唇が、微かに、ほんの微かに、乾いた咽喉を鳴らして歌を紡ぐ。その旋律が曲の半ばでふっと途切れた時、胸郭から押し出されたフェニックスの裸身は、棄てられた骸のような頼りなさで荒れた地上へ落下していった。

 

 

―1922/8/10 12:18 Albania―

 

 教会の裏手に広がる丘をゆったりとした歩調で登ってきたアグネスは、陽射しを避けて大きな櫟の木陰に座っているフェニックスを見つけると一度立ち止まって辺りをうかがい、小走りに近寄ってそのままぺたりと隣に膝を付いた。

 褪せたスカートの裾が広がって、夏の下草を覆い隠す。フェニックスは笑って、もうすっかり〝年頃のお嬢さん〟になってしまったアグネスの姿を眩しげに見やった。

「今日は暑いから、陽が傾いてから来ても良かったのに」

「あら、そんな言い方ってないわ。一年振りなのに」

 この陽気のせいなのかどうか、言って口を尖らせたアグネスの頬は薔薇色に上気して酷く愛らしい。拗ねたようにぷいと横を向いたもののフェニックスがあまり笑いを噛み殺すので、ついにはバツが悪そうに目だけをちらと戻し、スカートのポケットから紙に包んだ小さなサンドイッチを二つ取り出して、一つをそっとその膝に乗せてきた。

「もしかして、昼食をまだかと思って作ってきたの」

 それは朝食からわざわざ残しておいたものらしく、少し硬くなったパンにはちゃんと薄いチーズとハムが挟まっていた。

 この国は第一次世界大戦が終結してもなお、多くの不遇を託っている。元々アグネスの一家はかなり裕福な商家だったが、三年前に父親が亡くなってからというもの不幸が続いて没落し、その生活は貧窮する一方だった。しかし献身的な奉仕精神に満ちた母に支えられて育ったアグネスや兄姉は、貧しさの中にあっても他者への気遣いを忘れず、常に自分達は二の次という清貧の暮らしに喜びを見出していた。

 この二等分されたパンも、実はこれが一日分のアグネスの食事なのかもしれない。そう思うと手をつける気になれず、

「俺はいいから、ちゃんと食べろよ。俺は何日も食べなくたって平気な宇宙人なんだから」

 言って返そうとする手を、しかしアグネスは押し戻した。

「ううん、そんなの駄目よ。これは二人で食べようと持ってきたんだから。それに、フェニックスがちゃんと食事してるところを見たいの。そうすればまた会いに来てくれる時まで、元気な姿を覚えていられるでしょう?」

「‥‥そうか。じゃあ、もらうよ。ありがとう」

「よかった。どうぞ召し上がれ」

 フェニックスがまず一口噛り付くのを確かめてから、アグネスもようやく美味しそうに自分のパンを頬張った。

 フェニックスは戸惑いつつも、アグネスと過ごす時間の中に今までとは違う、満たされるような喜びを感じていた。何年経ってもこの少女は出会った頃のままでいてくれる。それだけでこんなにも強く、愛しいという感情が深まるものなのか。だが、これは確かに地球人達の言う愛情と同質のものなのだと、疑う理由はどこにもなかった。

 たとえ報われない想いでもいい。見守れるだけでいい。それ以上を望むのはおこがましい。この身体は温もりを与えることもできない、冷たい機械の集合体なのだから。

 頬に伸びてきた柔らかい手の感触に、心の底を読まれたような気がしてぎくりとすると、くっついたパン屑を払ったアグネスは「子供みたい」と笑って言った。

「ねえ、私、世界から争いが無くならないのはどうしてなのか、ずっと考えていたの。どこかの国を滅ぼしたり滅ぼされたり、自分達から終末に向かって行ってるのに何で誰も気付かないのかしらって」

「それは‥‥凄く難しい質問だと思うよ、アグネス」

「ええ、そうだと思う。だって私一人が考えたって解決しないんだもの。戦争中はずっと、世界に愛が溢れていたら平和になると思ってたけど、フェニックスに会ってわかったの」

「俺に会って?」

 うん、と晴れやかに頷いて、アグネスはフェニックスの骨張った手を、離すまいとする様にぎゅっと握った。

「私達には他者への思いやりが必要なのよ。世界中の人を、なんて無茶は言わない。一人一人が家族や友達や仲間を思いやれば、またその人達が誰かを思いやって、いつか世界中の人達が一つにつながる事ができるんじゃないかしら?叶わなくても、私はそう信じてみんなにこの事を伝えたいわ。そうすれば私が生きてる間に答えが出なくても、他の大勢の人達がきっと、最後に何かを見つけてくれる」

「生きてる間‥‥か。俺はどこまで生きるかな?」

 それはとても果てしなく、迂遠な夢で。そしてその未来には、何十年後かにアグネスを失うという確定された現実が待っているだけだ。

 そう言いかけて口を噤み、フェニックスは櫟の緑葉が零す翡翠色の影に視線を落とした。撥ね付けるようなその横顔に、アグネスは迷いながら手を伸ばす。触れると肌は夏の熱で少しだけ温かかく、生きている者の匂いがした。

「怒らないで聞いて、フェニックス。私、きっと生きてる限り貴方を想ってる。これだけは本当よ」

「ああ、俺も君を想うよ。君の神様に誓ってもいい」

「そう言ってくれて嬉しい。だけどフェニックス、人が最後に帰るのは家族のいる所よ。私は家族にはなれないけど、貴方にはホークさん達がいる。それは絶対忘れないでいてね」

 悼みを癒すようにフェニックスの頬を撫でながら、アグネスは微笑んだ。その手の温もりがすっかり互いの体温に溶け込んでしまうまで。

 

 

―2029/7/8 14:51 Northwest Territories at Canada―

 

 冷たい風が頬を撫でた。

 ざらついた瓦礫の感触と、焼けた大地の臭いが剥き出しの肌に押し寄せてくる。どんよりと頭上すれすれに垂れ込めていた雨雲を裂き、初めて顔を覗かせた薄い青から一条に差し込んだ光が、廃墟の中央に征服者のモニュメントのごとくそそり立つ〈サイコ〉を照らし出していた。その一片の感情すら持ち合わせていない相貌の中で、緋色を流した瞳だけが周囲にひしめく騎士達をひたと睨み据え、無言の威圧をかける。

 嵐のようだった砲火は、とうに水を打ったように静まり返っていた。騎士達は手にした火器を金属の塊のようにだらりとぶら下げたまま、呆然と〈サイコ〉を凝視していた。まるで戦場に突然現れ出た尊い何者かがそこに居て、闘争心も恐怖心も吸い取ってしまったかのように。

「‥‥忘れてない‥‥忘れてないよ、アグネス‥‥」

 咽喉から押し出した声は思ってもいなかったほど掠れていて、呟いたフェニックス自身をひどく怯えさせた。

 張り付くような唇をこじ開けて、焦げた外気を一杯に吸い込む。一呼吸すると、泣き喚きたいような激しい感情が空っぽだった胸を隅々まで満たしていった。

 忘れていない。大事なことは、まだ一つも忘れていない。

「―俺には、未来なんて決められない。やっぱり、そんな権利ない」

 聳え立つ〈サイコ〉の足元に蹲ったまま焼け焦げた大地を愛しむように撫で、フェニックスは灰と塵芥にまみれた身体を引き起こした。ホークとダイバーとランダーと、ジンライと―知った者達の顔が、巡らせた視線の先で何かを叫び出しそうな顔をしてこちらを見返す。

 息を殺して一部始終を見守っている、大勢のトランスフォーマー達。彼等を眺め渡して、フェニックスの双眸は真っ直ぐに怖れもなく〈サイコ〉を捉えた。

 と、操り手を失った魂の無い人形に返った巨躯がピクリと震え、胸部を覆う分厚い装甲が、蕾を開く花弁のように軋みながら口を開けていった。曝け出された深部に、新緑の溶液を湛えたポッドの球面が照り映える。淡い陽射しを浴び、たおやかな髪に裸身を包まれてたゆたうアグネスは、童話の世界に住むウンディーネのようにただ美しく崇高で、見る者すべての胸に理由の無い敬虔さを呼び覚ました。

 フェニックスは、アグネスを見上げて静かに問う。

 最初から聞く必要もないはずの、その言葉を得る為に。

「答えてくれ、アグネス。君はどっちを望む?」

《‥‥フェニックス、》

 肺から気泡を押し出しながら、少女は微笑む。そしてゆっくりと、見間違えようのない厳かさで首を振った。

《自分の足で歩いていく事が、人が生きるという事よ‥‥たとえ私達が避けられない滅びの未来へ向かっているのだとしても、滅びを止める為の消滅なんて、私は望まない》

「アグネス‥‥」

《滅ぶのだとしても、私達はその瞬間まで歩けるわ》

「‥‥ああ、」

 凝っていた闇を安堵の声と共に吐き出したフェニックスの頬を、不意に溢れた涙が伝った。己を縛り付けていた重い業の鎖からようやく解放された奴隷のように、そっと広がった微笑は一点の迷いもなく晴れやかに、ただアグネスへと向けられた。

 この世界で最初で最後に、すべてを賭けて愛した人へと。

「‥‥よかった。その言葉が、聞きたかったんだ」

 アグネスは幸福な笑みを満面に湛え―そして、突如ぐずりと雪塊が崩れるように無数の泡と化し、四散した。

 ほんの数秒ですべてが夢のように消え去る様を真っ直ぐに見届けると、フェニックスは『感情』を抜かれた哀れな半身に視線を戻して、それが最期に二人が分け合う命令なのだと気付かれることもない穏やかな、優しい声音で告げた。

「―終わりにしよう。俺とお前は、もういらない」

 訪れる、長い、長い静寂。

 〈サイコ〉の緋の眸に曰く言い難い混乱と恐慌の光が宿った刹那、断末魔を奏でる絶叫が咽喉を裂いた。

「―ア‥‥アアアアアアアア―!!」

 大地を踏みしめた巨躯の足元が閃爍する。これまでの禍々しい暗い深淵を駆逐するような白光を満たした孔が口を開け、〈サイコ〉を、フェニックスを飲み込み膨張する。煌く粒子は大気を押し上げ渦を巻きながらドーム状に広がると、爆風が一帯を舐め尽くすような勢いで地上を走り、一瞬のうちに周りを囲んでいた者達までもを飲み込んだ。

「これは‥‥タイムストーム‥‥?!」

 スターセイバーは愕然と、光を放つ白一色に塗り込められていく景色を見渡した。

 白の大地、白の空、完全なる無の空間。廃墟も草原も潅木の茂りももはや見えず、この天地も定かでない場所から抜け出そうと闇雲に駆けずり回り、あるいは座り込んで自失しているすべての騎士達の隙間を、突如湧き出した時代も様子も様々な幻影が飛び去っていく。

 それは白馬を駆る騎士を先頭に立てた勇ましい十字軍の行進。前線の様子を伝えるラジオに聞き入る地下壕の少年達。並んだ奴隷達が漕ぐフェニキアの帆船。国を分断する分厚い壁に群がり叩き壊す人々の歓喜。蒸気機関車が、積み上げられた死体の山が、羽飾りを着けた子供達の笑顔が―

《―これは―そうか、彼は最初から》

 スターセイバーとブラッカーの傍らに戻っていたウルトラマグナスは、往き過ぎ、消えていく多くの幻影を見送って、殻のような閃光の壁に覆われた事象の中心を見つめた。

 ブラッカーが困惑したように声を上げる。

「これは何の映像だ?フェニックスはあのまま、世界を滅ぼす兵器になるはずじゃなかったのか?」

《この世界に二人はいらない‥‥あれは聖女との世界を指していたのではなく、彼自身と〈サイコ〉の事だったのか。自分達はこの世界に必要ないと、解っていて‥‥》

 誰もが、その真意を知らずに来てしまった。

 己の呪われた出自を知ったフェニックスは、最初から一つの結末に向かうよう自らに滅びの呪文をかけたのだ。守るべき者に忠実であれという生体兵器の『感情』に与えられた性質。それを利用するには、己が無条件に服従できる者にその言葉を告げさせねばならない。その為にこの世には無い女性を―アグネスを甦らせる必要があったのだ。

 愛する者から死の命を受ける、その目的の為だけに。

「彼は初めから、聖女の言葉に従う事で宿命を拒絶するつもりで‥‥?じゃあ、この幻は彼の、」

 スターセイバーの問いにウルトラマグナスは頷いた。

《蓄積してきた記憶の断片‥‥この時間流ですべて巻き戻して、彼は自分の存在そのものを消してしまう気なんです》

 フェニックスと〈サイコ〉。

 生まれてはいけなかった、忌まわしい半身同士。

「肉体も記憶も魂も、残らず消滅させようと―」

「だからもう、救ってやる必要がないって言うのかッ?」

 突然、怒りに任せて投げつけられた言葉の激しさにブラッカーが跳ね立って剣を構える。その背に庇われた片足のないスターセイバーを痛ましく眺めやりながら、馬を駆けて過ぎるナバホ族の群の間を歩み寄ったビクトリーレオ―ジンライは、胸元に支えた両手を解いて、白地図のような地上にホークとダイバー、そしてランダーを下ろした。

 傷だらけになった顔を拳で拭い、すでに自分達には戦意がないことを暗に示して閃光の中心を睨み据える。ライトフット達ゴッドマスターがその後方に空手のまま続いた。

 それが自然であるように、視線がただ一点に注がれる。舞い踊り荒れ狂う記憶の残像を吐き出しているそこに、全員がフェニックスの姿を探していた。

 ドーム状の殻は幻を一つ生み出す毎に確実に体積を収縮させ、穏やかな歩みで対消滅へと向かっている。あれが消えた瞬間、フェニックスは完全に自らを「消滅」させるのだ。

「―ほんとに、馬鹿野郎だな。あいつは」

 小さな苦笑と嘆息。怒る気にもなれないと言わんばかりに両肩を竦めて呟いたランダーが、跳ねるように地を蹴って飛び出す。

「馬鹿はどっちだ」

 これこそ呆れて物が言えない、というように振り返って同意を求めておきながら、ダイバーは軽く頷くと突然、その背を追って駆け出していった。瞬く間に二人の後ろ姿が閃光に飲まれて消える。

「ホーク―」

 引き止める言葉の無意味さを語ることもないジンライの声根に顔を上げ、ホークは微笑んだ。

「あの時、アグネスが〝探しに来て〟と言った理由がわかったよ。フェニックスがあそこで道に迷っているなら、私達が探し出してやらないと」

「彼が、そんなこと望むのか?!」

 どうしてだと詰るようなブラッカーの問いに首を振って、ホークは目映い光輝の只中へと身を翻した。

 

〈―お前は救いようのない愚か者だな〉

 そう誹る声は自分のもので、フェニックスはじっと見下ろしていた砂礫塗れの汚れた素足から渋々目を上げた。

「‥‥そうかな?」

 無垢と冷酷、どちらでもある白一色の空間は果てしなく広いようでも、手を伸ばせば跳ね返されそうなほど狭くも感じる。裸のままの身体は擦って確かめるとどこもかしこも粉塵と泥と煤に汚れたままで、フェニックスは少し驚いた。

〈どうしてアグネスに、二人の世界を作りましょうと言わせなかった?簡単な事だ、お前が創ったんだから〉

「―だって、あの子はそんなこと言わないよ。俺が世界をあげると言ったって、絶対に欲しがらない‥‥自分の為には何一つ欲しがらない子なんだ」

〈お前はもう一歩で、何もかも手に入れる事が出来たんだ。アグネスも地球も、もっと広い世界も。その力で屈服させる事が出来るはずだった〉

「お前は、そんな事ばっかり言うんだな‥‥」

〈戻って、望むものを手に入れよう。お前は今までたくさん失って来たんだから、その分を取り返すんだ〉

 ぱらぱらと乾いて肌から剥がれ落ちた砂礫が、足元に点々と灰色の印を打つ。こんなにくすんだ色なのに、色彩だと思えるだけで心が和んだ。

「‥‥やっぱり、お前は違う」

〈俺だけがお前を理解する、永遠に〉

 その答えに耐え難い失望が込み上げ、深い呼気を吐き出して数度、否定を込めて首を振る。何のつもりだと問い返そうとする気配に、フェニックスは諭すような言葉を投げた。

「お前は俺が何をしても許すけど、ダイバーならきっと叱るし、ランダーなら何にも言わずに俺をぶん殴って、ホークなら一緒に泣いてくれると思う‥‥そういうのが、家族っていうものじゃないか?」

〈なに―な、ナニ、ヲ、イッテ、ル?〉

「俺に必要なのは家族なんだ。だからお前は違う。お前は俺が欲しかったものでも、欲しいものをくれる奴でもない。お前は俺の何も奪えないし、与えてもやらない」

〈ワ、タシ、ヲ、ドウ、シ、ヒテイ、ス―〉

「だから〈サイコ〉、俺達はやっぱり一緒になれない。アグネスがその事を思い出させてくれた‥‥」

 目覚めた少女がこの耳に囁いた言葉は、血の通った肌の温もりと共に碑銘のように意識へ刻まれていた。

―ずっと、貴方を想ってる―

 どんなに遠く離れても。この大地に、風に、雨に、人々の中に溶けて生き続けている。想っている。傍にいる。

 共に生きられなくとも、愛している。

 この醜くも尊い世界が存在する限り。

「‥‥フェニックス‥‥」

 酷く怯えたような音程で名を呼ばれ、振り返ったフェニックスは、ああ、と肺で凍えていた息を軽く吐く。

 見慣れたスーツ姿に身を包んだホークが、ほんの数歩の距離を探るような足取りで近付き、微笑んだ。その後ろからダイバーとランダーが、当然のように着慣れたいつもの服装でこちらの様子を見守っている。トランスフォーマーの姿でいるよりも、この地球人を模した姿で過ごしてきた時間の方が長いようにすら感じるのは不思議だった。

 トランスフォーマーに生まれた夢を見ているだけで、本当は地球人なのかもしれない。

 多分、それこそが夢なのだけれど。

 黙って罰が下るのを待ち受けるようなフェニックスの顔を見つめていたホークは、つと手を伸ばして、その頬に黒くこびり付いた泥を指先で拭ってやった。

「‥‥まったく、こんなに汚して‥‥どこへ行ってたんだ」

 幼い頃に聞いた母の言葉と、記憶の名残から湧き出した音が優しく重なる。

「―ホーク、俺‥‥ッ」

 突然、堰を切ったように結んでいた唇を押し開いたが、舌がもつれて、言わなくてはいけない単語が何一つ出てこない。言い訳のできない子供のようにうろたえて、ぎゅっと眉根を寄せたまま困り果てた顔をしたフェニックスを、ホークの両腕が包み込んだ。引き寄せられた頭が、そっと片口に押し当てられる。ホークの頬が首筋に触れた。

「わかってる‥‥全部わかっているから、もう苦しまなくていいんだ」

 抱いてくれる身体は温かかった。フェニックスの腕がおずおずと、命そのもののようなホークの身体を縋るように強く抱き返す。摺り寄せた肩から目を上げると、ダイバーが笑っていた。その横でランダーが、ああまったく、と自分の感情を誤魔化そうとするいつもの悪態をついて蹲る。

「お前の為にこんな思いするのは、これっきりにさせてくれ!」

「―‥‥うん」

 これが、いつも必要だった一番大切なもの。

 アグネスが遺してくれた、忘れてはいけないもの。

 フェニックスはホークを抱く腕に力を込めて、うん、ともう一度呟いた。

 

 吸い込まれるように雲天を貫いて伸び上がった炫耀が、玻璃の欠片を撒き散らしながら一筋に細り、掻き消えると、そこに何もかもが戻ってきた。

 焼けた大地の臭い。廃墟を渡る粉塵の風。短い夏を惜しむ平原と針葉樹の深い蒼。切れ切れに散った雲間から差し込む淡い光彩と、輪郭など求めない柔らかな影。

 〈サイコ〉と呼ばれていた者の隻腕は、去って行く者を引き止めようとでもするように前方へいっぱいに差し伸ばされたまま、動くことを止めていた。緋の双眸は驚愕を浮かべて暗転し、半開きになった唇が告げられなかった最期の叫びを殺す。表皮に走った無数の亀裂に風が吹きつける度、、巨大な人形を硬く覆い尽くしていた装甲はばらばらと剥がれ落ち、古びた鍍金のようにあまりにも呆気なく砕け散っていった。

 吹き散らされた破片の下で小さな四つの人影が一つに寄り添い、互いを守るように肩を寄せ合う。崩れ果てて行く巨躯からついに耐え切れず千切れた腕が、最後の抵抗のように四人を掠めて地上に轟音を立てた。

「最後にもう一仕事、残ってるらしいな」

 ジンライは同化したビクトリーレオの意識にそれを告げ、ここまで付き従ってきてくれたライトフット達を、ブラッカーとスターセイバーを見回すと、威勢良く声を張り上げた。

「あの残骸を、元老院とかいうとこに渡す訳にはいかないんだろ?なら、俺達が綺麗に片付けちまわなきゃな。レインジャー、ロードキング、あれ粉々にできるか?」

「ちょっとデカイが、挑戦し甲斐はありそうだ」

「まあ見とけよ、ジンライ」

 砂と風を駆る二人が応じて走り出し、超魂パワーの光輝が紗のように集約されていく。その頭上をマキシマス戦艦が行き過ぎ、四人の元へ向かっていった。ライトフットが続いて駆け出すのを送って、ジンライはブラッカーにしたり顔で手を振ると、トランスフォームの掛け声と共に踊るような軽やかさで獅子の獣身に転じ、

「―これからが償いだ!」

 言い様、矢のように仲間達を追っていった。

「償い、か‥‥ブラッカー、それは私達にこそ必要な言葉だ。今すぐ騎士達をまとめて負傷者の救助に当たらせてくれ。タンクレディとエルミニアの乗組員が心配だ。私は平気だから」

「‥‥はい、総司令官。今すぐ」

 傷付いた下肢を丸めて上体を起こしたスターセイバーにそう促され、ブラッカーは苦笑を返事に変えると、次の瞬間には厳しい副官の顔に戻って、まだ状況を把握できずにうろたえている騎士達の中へ戻っていった。

《―総司令官》

 ウルトラマグナスが膝を折り、ふわりとスターセイバーの眼前に腰を落とす。穏やかな眼差しが、すべての悼みを抱え込んだ傷跡のように、その胸にある叡智を瞬かせた。

 スターセイバーは顔を上げ、ウルトラマグナスを透かして、命を賭して取り戻した友をいつまでも抱き竦めているホーク達の姿を眺めやる。

「彼には光も闇もなかったんですね、最初から」

 羨ましい‥‥そう囁いて微笑むスターセイバーの傍らで、ウルトラマグナスはただ黙って、風の音を聞いていた。

 

 

 

―エピローグ―

 

 

 

 提示された文言の羅列は数え切れないほどだったが、目を通し終える頃には随分とホークの気も楽になっていた。

 修理が終わるや否や、今回の、地球を壊滅させるかもしれなかった騒動の顛末を声高に批判する一部の地球人感情に配慮して、追い立てられるように月面へと安息の場所を移した二艦の一方。スターセイバーが旗艦としているタンクレディ内の一室に、ホークは呼ばれていた。

 座にはスターセイバーの他に、副官であるブラッカー。あの墜落にも関わらず軽症を負っただけで済んだフォートレス。ホークの護衛としてビクトリーレオが顔を揃え、壁の一面を占めたモニター越しに、元老院の十人の評議員達が席に就いている。

 この人数で責任の所在を明確にしようというのだから、おかしなものだ。だが、ここにいる者達でしか真実は語れない。語ったところで、元老院がどう思うかは別の問題として。

『―これは、最大の譲歩と思いたまえ、メタルホーク。本来なら理由はどうあれ、君達の造反は軍法会議ものだ』

 評議員の一人が老けているのか若いのか、それすら判別できない掠れた咽喉でしつこく釘を刺すまでもなく、下された寛大な処罰が、犯した罪に見合うようなものでないことは充分承知している。

 フェニックスが分離し、〈サイコ〉が何の材料としても用を為さない残骸に成り果てたことが耳に届くと、元老院は、ビクトリーレオ以下ゴッドマスターの面々をやや強引にではあるが麾下に復帰させたスターセイバーの行動を不問に付し、サイバトロンによる地球各地の復興支援を黙認したのだ。

 今スターセイバーを解任するのは分が悪い、と踏んだのが明らかな沈黙ぶりであった。

『硬化外装を失ったとはいえ、彼の根が生体兵器の一パーツである事は変えがたい事実だ。〈サイコ〉同様の処置を求める声は、我々の中に根強くある。が、しかし、色々と‥‥思わぬ方面からも助命の嘆願があり、厳罰を与えるのは早計との結論に至った』

 スターセイバーとフォートレスが先頭に立って各方面に奔走してくれたおかげで、サイバトロンの雄将、知将のみならず、軍に影響力のある政治家などが、過去の遺物のつけを個人に払わせるべきではない、と助命に賛同してくれ、フェニックスは死一等を減じられる運びになった。ただし、それにはホーク達プリテンダー全員に罰よりも厳酷な条項が付いた。

 一つ、地球においてのみ終生を過ごす事。

 一つ、本来の姿を封じ、以後、地球人類の衆目に触れぬ事。

 一つ、常時一人をセイバートロン星駐留軍に派遣する事。

 一つ、再び対象が生体兵器として暴走した場合、責任を以って他三人がこれを誅殺する事。

『君達がこれらすべての規定を遵守し続ける以上、彼の生命は保障される。良く考えて答えたまえ、いいかね?』

 フェニックスは、アグネスの愛した地球から離れては生きられない。無理に引き離してまた暴走されるくらいならばと、元老院は地球そのものを体の言い牢獄として採用した訳である。地球政府とのこれからの橋渡し役を担わせるにも、容姿や社会的立場の点でホーク達をこれまで通り活用する方が、多くの面で利もある。何より、地球との間に復し難い事態が起こった時に堂々と切り捨てられる手駒など、そう簡単には見つからない。

 負わせられた条件のほとんどが、その為の戒めと言ってもよかった。だが、今となっては取るに足らないことである。

「喜んですべてを受諾します。フェニックスを失わずに済むのなら、私達にとっては何程の事もありませんので」

 迷う様子もなくホークが告げると、評議員達は不満げに鼻白みながら手短に叱責と訓戒を垂れ、この座に加わっていること自体が不快であるように一方的に回線を閉じた。

「‥‥済まない、ホーク。もう少し君達に恩情ある条件に変えられればよかったんだが」

「いいえ、フォートレス閣下。フェニックスを擁護してくださっただけで充分です。総司令官閣下にも、お骨折りいただき心から感謝しております。それに何より、ビクトリーレオ達の処遇について」

 その言葉尻に、ビクトリーレオがふんと鼻を鳴らして噛み付く。

「俺達はサイバトロンを首になったって、ちっとも構わなかったんだがな」

 無論、これはビクトリーレオなりの感謝の言葉なのだ。ゴッドマスターへの処罰を回避することで、遠回りにジンライ達の行動もスターセイバーが容認した形になり、元老院からの追及を逃れることが出来たのである。

 友人の性格を知っているスターセイバーは、いいえ、とホークからの改まった礼意を留めた。

「貴方がたにとっても私達にとっても、これからが大きな代償です。世界にとって最良の答えを探していかねばなりません。トランスフォーマーと地球人、我々が奪った尊い命に恥じない答えを」

 結局サイバトロンの騎士は二八一名が、地球人は例の潜水艦の乗員から九十二名の死者が出た。ただの数字ではなく、その命の重みと引き換えにフェニックスは生かされている。そしてフェニックスは犯した事実を受け入れ、許されない罪を背負う人生を選んだ。

 生きるということは、自らの足で歩き続けること―そう教えてくれたアグネスの想いに従って。

 ホークは目顔で礼を述べ、席を立った。スターセイバーも腰を上げ、先んじてドアの前へ回ったビクトリーレオに頷く。

「ビクトリーレオが地球までお送りします。今は確かカリン島に皆さんでおいででしたね」

「ええ、療養に静かな所をと島を一つ貸してくれましたので、今はそちらに。グランドが付いてくれていますので、セイバートロン星へ戻る時に一緒に出立しようかと思います」

「セイバートロン星へは、まず御自分が?」

 提示された条件の一つ、セイバートロン星への駐在は、すなわち人質を差し出せという暗黙の命令だ。一度の駐留は最低でも五十年、いや百年ほどになるだろう。その間に、地球はどれほど変るだろうか。人も、社会も、歴史も。

 しかし、ホークは衒いなく頷いて言った。

「キャンサーの結婚式が済むまで猶予をいただいたので、四人で過ごす時間が持てます。発つ時は御連絡します」

「わかりました。‥‥素敵な式になるといいですね」

「ありがとうございます、閣下」

 スターセイバーとフォートレスに見送られて辞したホークは、ビクトリーレオとハッチへ向かう通路の半ばで、小走りに追いかけてきたブラッカーに呼び止められた。

 自分が引き止めておきながら、ホークが振り返るとブラッカーの強情そうな口元は硬く結ばれたまま開こうとしない。

 ホークはしばらく黙って、ありがとう、と先に言った。

「難しい立場だったろうに、フェニックスを許してくれて」

「彼は―」

 一旦、迷いを打ち消すように呼吸を抑えて、ブラッカーは続けた。

「彼はどうしてます?」

「今はまだ、うつらうつら眠っている時の方が多いです。記憶があちこち抜け落ちてしまったので、覚えていない事もあって‥‥でも大事な事は忘れていませんから、大丈夫」

「まだ、トランスフォーマーは怖いと?」

 問いに、ホークは掠める程度、悲しげに唇を歪めた。

 意識を取り戻した後のフェニックスは、吐き出した分の記憶の喪失と共に、トランスフォーマーに対する極度の恐怖心を抱くようになっていた。自らもトランスフォーマーであるにも関わらず、巨大な鋼鉄族の容姿を目にすると、〈サイコ〉の半身だった自分は憎悪されている、自分の中の〈サイコ〉がまた同胞を傷付けようとするかもしれない、と言って酷い恐慌状態に陥るのだ。

 元老院がフェニックスを地球に留め置く決定を下したのも、このことが少なくない理由になっていた。

「今すぐは無理でも、十年か、百年か‥‥いつか回復したら会いに来てやってください、ブラッカー」

「その日が早く来る事を願っています。またお会いしましょう、ホーク」

 痺れを切らしたビクトリーレオが、さあ行こう、とハッチを囲う分厚い扉の前から声を投げる。ホークは最後に、さっと差し出した手を握り返してくれたブラッカーを見つめて、

「―ありがとう、本当に何もかも」

 そう告げて、くるりと踵を返した。

 

 短い午睡から目覚めると、窓辺に据えられたベッドの上からはコバルトブルーの水平線と、その際に高く沸き立つ綿のような夏雲が見渡せた。

 渡ってきた潮風が海面に張り出したテラスから寝室へ吹き込み、カーテン代わりに垂れた更紗をそよがせる。涼しさにまたまどろみかけて、フェニックスは額に残る冷たい感触が風の名残ではないことに気付き、ふっと片側を顧みた。

「‥‥ごめん、話聞くって、約束してたっけ」

 ベッドの縁に浅く腰掛けて差し伸ばしていた指を引き戻しながら、ランダーは苦笑した。自身もまだ修復ポッドから出たばかりのはずだが、容姿だけは元通り、プラチナブロンドの髪をした優男の外見に戻っている。見慣れた顔立ちに、フェニックスはほっと目を細めた。

「個人的な話だから、また今度にするさ。それより、じきにホークが戻るから、起きられるならお茶にするかってダイバーが聞いて来いとさ」

「ああ、起きられる。皆も一緒だろ?」

「ミネルバがパイを焼いてるよ。コーヒーと紅茶、どっちがいい?ちなみに俺は紅茶にブランデーをたっぷりだ」

「それ、ダイバーに内緒でだろ?」

 ついいつものように茶々を入れると、ランダーはぺしりとフェニックスの額を打って腰を上げた。

「ホークが帰ったら呼びに来る。それまで寝てろ」

 ランダーが消えたドアの向こうから、パイの焼ける甘い香りが漂ってくる。茶器を揃える軽やかな音に混じるダイバーの低い声。秀太とミネルバと、キャブの屈託ない笑い声に、ジンライの応え。一人一人の様子が手に取るように浮かび上がってくる。

 フェニックスはベッドの中で半身を起こし、耳を澄ましたまま、真夏の陽射しを受けて輝く海原へ目を投げた。再び微風が更紗の端を巻き上げる。

 誰の耳にも届くことのない囁きを乗せて。

《君もまた我々の〝運命の紡ぎ手〟―だがもう、Psiの力も失せたその眸は、私を視る事もない》

 ウルトラマグナスは、テラスに佇む己の影を透かして彼方の青さに視線を奪われているフェニックスの、安らかで穏やかな面差しに微笑みかけた。これでいい。そう思う心のどこかで、一度は確かに言葉を交わした現世の者の記憶から、霞のように消失してしまう存在の儚さを噛み締めながら。

《君がこの星に自らの意思で留まる限り、二度と君の人生が掻き乱される事はないだろう。罪を背負い、償いの道を行きたまえ。その先に君の聖女が待っていてくれるよう、私も願う―願わずにはいられない》

 フェニックスは頬を撫でた風の柔らかさに、呼ばれたような気がして辺りを見回す。聞こえるのは耳馴染んだ友人達の声と、波の音。探してみても誰の気配もなく、寝室にいるのはフェニックス一人きりだった。しかし、ふと思う。

 すぐそこにいて、どこにでもいる。

 風に、土に、水に、音に。

 自分がここに在るように。

 胸いっぱいに潮を含んだ温い空気を吸い込んで、フェニックスは風の吹き込む方へと問い返した。

 歌うように、そっと。

「‥‥‥‥アグネス?」

 

 

 

《完》

 

 

 




マスターフォースの放送が終わって、早30年以上…
まだマスターフォースの作品を読んで下さる方がいる事に励まされます!
感想などいただければ幸いに思います。
本当にありがとうございました!


『第4巻用語解説』

【アレクサンダー・ポープ】
 詩人。一六八八年生まれ。イギリス人。

【イースター島】
 太平洋に浮かぶ島でチリ領。現在は現地語でラパ・ヌイ島と呼ばれることも多い。

【 “ヴァーチャーズ”(聖騎士)】
アークによって選ばれた指導者と、その意思体の総称。サイバトロン軍での最高位として扱われ、ロディマス以降の総司令官は全員がヴァーチャーズと称される。また「守護者」「守護士」と呼ばれる霊体となって生き続ける事もあるが、次代に降臨する力は持たない。

【〝運命の紡ぎ手〟】
 コンボイやロディマス、ウルトラマグナス等、トランスフォーマーの歴史(過去・未来)に多大な影響を及ぼし、また及ぼしかねない事象に関わる者を称する。特にタイムストームを発現した者はこう呼ばれる事が多い。

【カーゴ】
 戦闘によって重傷を負い、本来の肉体が使用不可能な状態にまで陥った場合にのみ、ブレインサーキットやスパークを移し替えて使用する仮の肉体。多くはエネルギーの過剰放出を抑える目的で幼児体。素体(プロトフォーム)とは基本的に異なる。

【ガラタの谷】
 G1第46話『ヨーロッパ横断特急』参照。既刊『TITAN』の舞台。

【元老院】
最長老と9人の議員から成る評議院。軍と異なる独自の形態を持つ。唯一、総司令官に拮抗できる機関であり、民主議会への介入もできる。また総司令官の最終任命権や、「オプティマス・コンボイ」の称号を下賜する特権を持つ。その直接的支配下には直属艦隊、特務警備隊の他、かのプロトフォームXを生み出したファサード機関などが存在する。

【国際報道網統一協定(又は非報道協定)】
二十世紀末、デストロンが地球を後にし、戦闘による被害が減少したことを受けて、マスコミは幼少児に対するTFの影響力を考慮して国際会議及びレスキュー活動に関する意外にTFの情報を一切報道しないことを決めた。これにより二一世紀に入って誕生した子供達はTFという存在が地球上に暮らしていることを知りつつも、実際には目にしたことがないという不可思議な状況になっていった。

【コートノジュール】
 高電磁波による広域防壁。対戦艦戦に用いられる弾幕の一種で、ピンポイントに展開可能な汎用型。

【Psi(サイ)】
一部のTFが先天的に持って生まれる超能力のことで、彼らは特にPsi保持者と呼ばれる。古くはエリータワンのタイムストップや、スカイワープの瞬間移動がそれであり、Psi保持者の出生率は限りなく低いために希少な存在として扱われる。

【サープリス】
 A‐3の元でセイバートロン星の独立内乱軍を指揮した知将。A‐3がアルファートリンと名を変えて姿を隠してから、サイバトロンの前身である〝インナー〟の指導者として、病身をおして活躍した。

【ジョナサン・スウィフト】
 司祭、諷刺作家。一六六七年生まれ。アイルランド人。『ガリバー旅行記』の作者。この作品は子供向け読み物ではなく、人間や社会への痛罵が込められている。

【スパーク(魂)】
通常、人格の宿ったブレインサーキットより生じる高エネルギー体の塊のことで、すなわちTFはそれを魂と呼ぶ。しかしながら地球などで言う「見えない存在」としてではなく、光を発する視認物質であることが多い。「死なない魂」とはブレインサーキットとの接続が失われた後も自らエネルギーを生み出し、自己意思を保存する状態のことで、これは一種の突然変異体である。また、マトリクスの力によってスパークを永遠不滅的なものに変化させることも可能だと言う。一般的には、肉体を変えることによって永久に生きられるのではないかと誤解されがちだが、それは「個性」が磨耗し、朽ちるのを遅滞させるだけであって結局は死に至る。「死なない魂」と言うのは現時での「個性」が変わることなく存在し続けると言うことなのだ。

【チェヒ】
 現在のチェコの国名の元となった地名。
この地方へ民族一党を率いてきた伝説の父
祖チェフの名に由来する。

【超魂パワー】→【プラネットフォース】の項を参照

【〝テラス〟】
 セイバートロン星は惑星自体が層構造になっており、時代ごとに表層が造り足された。ベクターシグマの座す中心が〝コア〟、その上層に第一層〝テスト〟、第二層〝テノール〟、第三層〝テーベ〟、第四層〝テラス〟があり、現在はテラスの上に最表層〝テクト〟がある。

【ノンフレーム法】
 サイバトロン及び民間機関で、生者・死者を問わずクローンを生成してはならないという法律。双子としての同時誕生は認められている。

【パーソナル・コンポーネント】
スパーク(魂)の体内収容器官。通常は体内に存在し、個人によって形状も存在部位も様々。この器官そのものを取り出して収監する刑務所もあった。

【フィエスタ】
奴隷制時代、クインテッサが娯楽として行っていたTF同士の殺し合いを指す。勝敗に関わらずそのほとんどは処分されたが、一部は高性能の戦闘兵器として輸出された。

【フーゴ・シンベリ】
 ヒューゴ・シンベルクとも。フィンランドの画家。

【プラネットフォース】
次元に満ちている四大要素の高エネルギー体のことで、それぞれに〔天〕〔地〕〔人〕〔理〕を表す。MFにおいて超魂パワーと呼ばれたものの実体であるが、〔理〕(ことわり・時間の流れ)のみは常人の支配が及ばない。超魂パワーも〔天〕〔地〕〔人〕のみ。

【プリテンダースーツ】
本来、プリテンダーの特殊な可変構造はあらゆる形態への転化が可能であるため、アーマー型を経る必要性は全くない。事実、地球文明の黎明期には一般にヒューマノイド型と呼ばれる極微細ナノマシンの結合による鋼化筋肉体を取っていた。しかし文明発展に伴い、異質な姿に対する奇異の視線が強くなったため、当時広く普及し始めた全身鎧(フルアーマー)に似せた形態を取るようになった。

【ボニーとクライド】
 ボニー・パーカーとクライド・バロウ。一九三〇年代のアメリカ西部で銀行強盗や殺人を繰り返した稀代のカップル。映画『俺たちに明日はない』の壮絶な射殺シーンなどで有名。

【マトリクス】
“青い炎の核”と呼ばれた旧時代の遺物。あらゆる叡智、あらゆる事象を記憶した高エネルギー体で、代々サイバトロン総司令官に引き継がれてきた至宝。邪神ユニクロンを封じるための『鍵』として生まれた物質で、ベクターシグマの元で永い間主人に相応しい人間を待っていた。主人たる者が純粋に一つを望んだ時、それを完全叶える力を持っており、善にも悪にもなりうる魔の物質でもある。

【ラグーン】
一切のエネルギー干渉を遮断する球形(ないし卵形)の外殻ブロック。本来は未開惑星への単独降下時に用いられる保護ポッドで、現在のプロトフォームポッドの基本形である。

【ラチェット】
 アセニア星駐留軍第三十六師団、作戦戦略指揮官。この後、アセニア星駐留軍からセイバートロン星駐留軍が分割された際、司令官となったオプティマス・コンボイ・グライブ(マイクロン伝説/コンボイの公式名)に請われて転属する。マイクロン伝説に登場。

【リブシェ】
 チェコの建国神話に登場する三姉妹の末娘。予言によって迎えた夫をチェコ王家プシェミスル朝の初代国王とする。現在のチェコの首都、プラハの土地を見出したのもリブシェであると言われる。

【ルーター】
「出戻り」の意の俗語。奴隷制時代、クインテッサの『フィエスタ』に招聘されながら相手を倒して戻った者を「死なずに戻った奴」=「出戻り」と称して呼び、忌避した。なぜなら生きて戻った者は間違いなく同胞殺しだからである。(フィエスタ→別項)

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