―2029/7/5 5:49 Japan―
カーラジオの深夜放送は、明け方までロック特集と称してエアロスミスの曲をノンストップで流し続けていた。中心のヒット曲はどれも三十年以上前のものだが、今聞いてもノリの良さとビートの小気味よさは色褪せていない。何より、仕事とは言え、こうして四国と本州を繋ぐ長大な瀬戸大橋の上を十トントラックで疾走しながら聞くロックは、いつも気分のいいものだった。その上、今日に限っては珍しく交通量がまばらで、随分と視界が開けて走り易い。
少し前に流れた事故のニュースはすっかりなりを潜めて、曲を中断させることも無くなった。確かニューヨークの地下鉄で崩落事故だとか何とか‥‥ニュースキャスターはテロかもしれないなどと言っていたが、今時テロもないだろう。朝刊の一面を賑わせるに違いない話題だが、インターチェンジでテレビでも流し見れば充分だ。なんと言っても、遠いアメリカの事件の火の粉が日本に降りかかる訳はない。
いい気分でアクセルを踏み込むと、車体は加重にも負けずグンと速度を上げた。明け間近の薄く刷いた藍色の中を延びる車道に、ヘッドライトの二つの光輪が踊る。狭い運転台を振動させるビートに合わせて、リズムを刻むドラマーよろしくライトの角度を上向かせ、と、
「―はッ?」
間の抜けた声に、言った自身が驚いた。
ヘッドライトが照らし出す先。丸い輪の交わるその中に、人影が見えた。
ズタズタに破れた服の名残を申し訳程度にまとった、隆とした男の背中。全身、たったいま海中から這い上がってきたかのようにずぶ濡れで、青灰色の短く刈った髪から止めどなく雫が滴り落ちている。
雨なんか降ったか?
スピードを緩めるのも忘れて、視界の中で見る間に大きくなるその姿に的外れの疑問が浮かぶ。違う違うと打ち消す瞬間にも、同じ速度で車体が滑っていく。
人間がこんな時間に、高速道路の真ん中に突っ立ってるなんてこと、あるか?
そうだ。そっちの方が大問題だ。
背を向けて、猛スピードで近付くこちらを避ける気もなく、ただ悄然と立ち尽くしている輪郭。濡れているその背の一箇所は、踵まで広がる真っ赤な液体を塗りつけられ、汚れている。
死と言う名の想像が脳裏を過ぎった。長距離トラックのドライバーなら一度はそんな噂にぶつかる。幽霊だの、化け物だの。だが、このままじゃ―跳ねる!
恐怖がブレーキにかかる爪先を凍えさせた、その刹那、ゆらりと輪郭が動いた。上体を捻るようにわずか逸らして、肩越しに横顔が見えた。落ち窪んだ暗い眸が、何も映し出さない鏡のように迫る車体を映し出す。
その眼窩に、うっすらと光が宿った。
「ッ―やべぇッ!」
その時、フロントガラス一杯の近さに見えた男の右腕が、ついとしなやかに持ち上がるのがわかった。
「ぶつか―!!」
悲鳴が途切れた。
真っ直ぐに向けられた無骨な掌と数メートルを隔てたバンパーの狭間に一条の光芒が巻き起こったと思う間に、車体は激しく突き上げられて白光に呑み込まれ、橋梁とケーブルと、その遥か眼下に広がる瀬戸の海原までを天と地に貫くが早いか、轟音を上げて、その人影が立っていた足元から崩れ落ちていった。
―1917/5/18 9:03 Albania―
崩れかけた煉瓦の壁と、錆び付いてざらざらになった黒い鉄の外階段の陰に身を潜めている間、頭上からずっと、慌ただしく行き交う軍靴の無粋な音が聞こえていた。
きっと自分を探しているのだろう。まさかばったりとこんな朝の街路で出くわすとは思っていなかったから、こっちも無防備に過ぎた。相手が三人だったのも不味い要素で、小銃を連射された挙句、二発も腕に食らってしまった。向こうはおそらく、重傷で息も絶え絶えの連合国軍兵士を駆り立てようと躍起なっているのだろうが、生憎とこの位の銃創なら、トランスフォーマーの身体にとっては大した傷でもない。
しかし、擬似体液が随分気前よく出てしまったから、こう血だらけの腕では人目に付く所へ出る訳にもいかない。大人しく夜になるのを待った方が利口だろう。
こんなことになると厄介だから、と、約束の時間ぎりぎりに出て来るよう釘を刺されていたのに、バレたらきっとまたランダーに怒鳴りつけられるのだろう。それを考えると、この状況より遥かに気が重い。思わず、その瞬間を想像して苦笑が漏れた。ダイバーかホークが相手なら、仕方ないなと説教で済ませてくれるところを、ランダーだけは昔から容赦がない。初対面の印象がお互いに最悪だった影響が残っているのかもしれないが―今となっては笑い話だ。
隙間だらけの鉄製階段から見上げる空は、どんよりと低く灰色の雲をかぶって打ち沈んでいた。同盟国軍に占領されてからというもの、一時期の絶え間ない砲撃や発砲の音は止んでいるが、硬い煉瓦造りの家々に押し留められた民間人の不安感を写し取ったような天気は、こらちの心も暗くさせる。
これだから、戦争なんてものは愚かしい。
一人で所在無く座り込む時間が長ければ長いだけ、甦ってくるのは通り過ぎたはずの古い傷跡の痛みだけだ。
必ず戻ってくるから、と約束して宇宙港で別れた義父と義母の、老いた後ろ姿。なぜあの時に我侭を言っても付いて行かなかったのかと、何億回も悔やんだ。さよならともありがとうとも告げる間のない別れがあることを初めて知って、二人の死を厳かに伝えるダイバーの方がずっと苦しそうな顔をしていたことだけを、今でも鮮明に思い出す。
そして、ランダーの言葉も。
「―帰らないものは、返ってこない―」
記憶も、肉体も、魂も。
そんなことすら、遠い別世界の話だと思っていた。トランスフォーマーの魂など、どこに消えてしまうのだろうと今でも不思議に思う。こうして、永遠に近い肉体を与えられて存在していること自体、自然とは言えない自分達に魂など。
安らぎを受けられる場所など。
闇を見据えようと閉じた瞼を、長い―それとも刹那のことか―間を置いて持ち上げ、ぎくりと全身が強張った。
崩れかけた壁の陰から、幼い少女の顔が覗いていた。深い深い茶の眸に驚愕と憐憫の色。まとめた豊かな髪を隠すように薄汚れたブランケットをすっぽりと被り、息を殺している。スカートの隠しが僅かに膨らんでいるのは、どこかで幾ばくかの食料を買った帰りだからなのだろう。まさかに一人で、この占領下の街を歩き回っていた訳ではあるまいが、見回しても保護者の姿はなかった。
少女はやがて腹を括った様子で、キュッと目元に意思の強さを垣間見せると、するすると滑るような軽やかな足取りで近付いてきた。
「―怪我を‥‥しているの?」
何と応じるべきか決めかねていると、少女は「大丈夫」と片言の英語で言って、たくし上げたスカートの下からペティコートを裂き、丁寧な手つきで傷口を縛った。すでに乾き始めている銃創には、自己修復によって新しい上層皮が形成され、少女の目にもはっきりとその異質な変容が見て取れたはずだった。
だが、少女は黙って傷を覆ってしまうと、にっこりと笑みを見せた。
「貴方は、どこから遣わされた人なの?もしも天使様なら、私の願いを聞いてくださる?」
「‥‥願いなら、聞かなくてももう知ってるよ」
「まあ!言葉がおわかりになるのね!」
「残念ながら天使じゃないけど」
じゃあ名前を教えて、私はアグネスよ。と少女は荒れた小さな手を祈りの形に結んで微笑んだ。
―2029/7/5 17:08 Japan―
海原に反射する、まだ夕暮れとは言い難い夏の日差しは眩しく、瀬戸内海の穏やかな波間の輪郭を時折露わにする。瀬戸を横断する長大な橋上にある喧騒が、どこか景色に似つかわしくないと思うのはただの感傷だろうかと、ホークは目線を水平線から引き剥がした。
つと頭上から影が差し、ぽっかりと塗られたような巨大な黒の下に包まれる。顔を上げると、この場の指揮を任されたブレインマスターの一人、ラスターが、スーツ姿で地球人の間にすっかり紛れ込んでいるホークを見下ろしていた。ホークにとっては身長差など些細なことだが、ラスターの側は居心地の悪そうな様子だった。無理もない。これでは内情を知らない者が見たら、トランスフォーマーが「地球人」を尋問しているとでも取られかねないのだから。
「‥‥ご覧いただけましたか。報告書は一通り、揃えてお送りしますが」
「ええ、よく‥‥わかりました」
それ以上のどんな言葉も、空しいように感じた。
切り取られたようにすっぽりと数十メートルも崩れ落ちた橋の左右には、第一方面軍から派遣された小隊と国連の災害対策部隊がひしめき合い、崩落現場の検証と復旧にあたっていた。最初に『爆発事故』の報を受けて到着した地元の消防と警察は、すでに締め出しを食っている。そもそもが事故として処理されかけたことでニューヨークの一件と結びつくのが大幅に遅れ、第一方面軍は後手に回る結果になってしまったのだ。目撃者が運送トラックの若い運転手一人しかいなかったことも災いした。
爆発―そう証言した―が起こった瞬間、そのたった一人の目撃者は車体もろとも数百メートルも車道を押し戻され、衝撃で気を失ってしまっていたのだ。一旦は病院に搬送されたが、今は任意での現場検証と称してサイバトロン軍の命令でこの場へ戻されている。
突然、警察でも消防でもない軍人然とした男達に囲まれて、運転手は怯え切っていた。
「話をお聞きになりましたか?事故の瞬間の」
「先ほど済ませました。大体のところは、聞けたと思います」
ホークが流暢な日本語で話しかけると、それまで震えていた運転手はようやく話の通じる相手が現れたといわんばかりの勢いで、自分が見たことを大方ありのままに話してくれた。明け前の車道に立ち尽くしていた外国人の青年―その背にべったりと流れていたという夥しい量の血。
「背中を向けてたから、顔ははっきり見てないんだよ!でも外人だってのはわかった。髪の色が‥‥そう、青味がかった、っての?それよりもなんか、今そこの海から上がってきましたってぐらいビショビショで、服はぼろぼろだし血ぃ付いてるし。焦ったよ、マジで!ブレーキ踏もうとしたけどビックリしすぎて身体動かないし、車はどんどん近付くしで、轢いちまう!って思ったら、こっちに片手を上げたんだ。こう‥‥掌の方。そしたら目の前でいきなりスゲェ光が昇って―そうさ、昇ったんだって!壁みたいに!そしたら車が何かにぶつかったみたいに滑って‥‥他に?うーん‥‥さっきもそれ、あのロボット達に聞かれたけど、見たような見てないような‥‥言われてみりゃ、あの外人の向こう側、いつもなら街の明かりがちょっと見えんのに真っ暗だったなぁってことくらいかな。大きな岩でも置いて塞いだみたいに暗かったってのは確かさ。とにかくホントに、死なずに済むなんてラッキーだったよ。こんなに橋が崩れてんの見たら、生きてんのが不思議だよ。あの怪我してた外人、まだ見つかんないんだろ?何か‥‥俺が助かる代わりみたいで後味悪いよ‥‥」
貴方のお話はとても貴重でありがたいものです、と宥めると、ようやく青年は弱々しい笑みを見せ、ホークの前から連れられて行った。
「おそらく、間違いない。フェニックスです‥‥」
搾り出すような呟きに、ラスターは数拍も黙り込んでから、場に副う言葉を選んだ。
「二時間後に、月面本部でスターセイバー総司令官らを交えた一度目の会議が行われます。このままご同道ください。部下が乗せて―」
言いかけて止め、問い直す。
「ご自分で飛ばれる方が、よろしいでしょうか?」
「この姿のままでは、あなた方が色々とやりにくいようですから、そうします」
「申し訳ありません。基地には、プリテンダーの特異性をあまり存じ上げない者もおりますので」
「構いません。お気遣いは無用です」
緩く首を振ってラスターを制し、ホークは無残な崩落の切れ目に爪先を向けた。
粗方の鑑識は終わり、辛うじて落ちずに残った斜材に簡易の橋床を取り付ける作業が始まっていたが、三百メートル程にも渡って抜け落ちた橋の剥き出しになったコンクリートや鉄骨は奇妙なほどに綺麗な断面で、透明なブロックが嵌められているのだと言われたら信じられそうなほどの空間になっていた。
ただの爆発や倒壊で、こんな状態にはならない。
「―フェニックス‥‥ッ」
ラスターは、海に向かって切り立つ橋の縁に立ち尽くしているホークの背から、手首に埋められた端末に目を移した。モニターの中でブレイバーが顔をしかめている。
『‥‥確かに、崩落面が滑らか過ぎるな。正確な消失面の距離は‥‥283メートルか。うん』
「目撃者の証言だと光の壁ができたと言うんだが、どう思う?」
『これは‥‥あれだな。丁度それくらいだ』
何が、と問うラスターの目に一瞥を投げて、ブレイバーの指は忙しなく手元のコンソールを走った。
『理論上、自己防壁の最大内径』
「!それじゃ何か?彼は防壁を張って、あのデカブツを―」
『もしくは、地球人の乗った車を守ろうと、かもしれないな』
あっと二の句を失って、ラスターは無意識にホークを顧みた。
地球人を守ろうと?
もしかしたら、彼も今その可能性を考えているのではなかろうかと。
長い通路の角を曲がった途端、出会い頭にぶつかって跳ね飛ばされた若い文官は、強かに打った腰を擦りながら床に散らばったファイルを拾い集めようとして、先に頭上から降ってきた聞き慣れた声にはっと顔を上げた。
「すまないな、急いでいたものだから。怪我は無いか?」
「あッ、これは、閣下―」
立ち上がって手を差し伸べているフォートレスの穏やかな笑みに、文官は慌てて跳ね起きるとファイルなどそっちのけで通路の片側に身を引く。深々と頭を下げると、構わんよ、と誰に対しても気さくな口調そのままに、フォートレスは文官の礼を制した。
ロディマスコンボイにサイバトロン宇宙軍総司令官の後継者として指名され、十数年その任に当たっていたヘッドマスターの指導者フォートレスは、四年前にスターセイバーへ座を譲ったのを機に第二の故郷であるここ、マスター星へ戻り、執政政務官として一般の行政、統治に尽力していた。クロームドーム等かつての部下達はそれぞれ部隊を移しながら現在もサイバトロンの騎士として働いているが、フォートレスは執政官職を引き受けたのと同時に、最大の武器であったマスターソードを封印し、“マキシマス”の呼称もあえて捨てていた。現在はマスター星でのみ通じる最呼称である“ロード”を冠し、サイバトロン上層との繋がりも僅かなものになったが、市民や部下達が寄せるフォートレスへの畏敬と信頼は揺るぎないものである。
マキシマスの形態を取ることも無くなったフォートレスの容姿は、地味と言っては語弊があるがいかにも目立たない慎ましやかなグレーが基調で、行政府の建物の中でこうして不意に出会っても、それと気付かずに行き過ぎてしまう者もいるくらいだった。ぶつかったのを幸い、とは言い難いが、フォートレスが職務時間内に出かけようとしているらしいのが気配で察せられる。
「お出かけですか、閣下」
供も付けずに、と訝しんだのを語調に感じ取ったのか、フォートレスは苦笑いした。
「遠出ではないよ。隣の医療センターへ少し‥‥急な用事がある。何かあったら連絡を入れてくれて構わないから、出てもいいかね?」
行政府と隣り合った医療センターの建物は、そもそもフォートレスがヘッドマスター能力の開発を目的として設立した研究機関に端を発して、新たに立ち上げられた専門の医療施設だった。マスター星の住民で、世話になっていない者は無いと言えるほどの場所である。
生体科学者としても一流のフォートレスがその一角に自身の研究室を構えていることも、知らぬ者はなかった。
引き止められる理由もなく、足早に医療センターへ向かったフォートレスは、こちらの顔を見て挨拶に立ち止まろうとする者達を次々と制しつつ、地下へ伸びるエレベーターへ飛び乗った。
着いた先のフロアは巨大な一つの部屋になっており、閉ざされた頑丈な扉には一握りの者達しか渡されていない認証カードの挿入口が、小さく切れ込みを作っている。素早く、取り出した自分のカードを差し込むと、数秒置いてグワリと扉が左右に裂けた。
薄暗い空間に研究員然とした中老の男が一人。振り返って頷く。その背後に見えるのは壁一面を埋め尽くす機器の明滅と、部屋の中央に置かれた台座に蕭然と腰を下ろした老婆の、縮んだ輪郭だけだった。
フォートレスは足音を忍ばせて、一歩ずつ確実に台座へ歩み寄る。老躯がもぞもぞと動き、罅入った面貌の底でアイグラスが光を帯びてフォートレスの姿を捕らえた。
「‥‥セレブロスの若先生‥‥」
だいぶ古い、自分でもふとすると忘れている名で呼ばれ、フォートレスは老婆の嗄れ声に微笑む。この老婆にとっては、何十万年経っていようがフォートレスでもただの若先生に過ぎないのだ。
「ペリシテ媼、こんなに早くお目覚めとは思いもよりませんでしたよ。私に話があるとか‥‥今度は一体、どんな夢を見られたのです?」
問いかけながら、フォートレスの顔は自然と曇った。
視界の端に、壁の機器から伸びた何十本ものコードの束が映る。それらはやがて一つの太い接続線となり、ペリシテと呼ばれた老婆の丸まった背に差し込まれていた。その老躯を永らえさせる生命維持装置に繋ぎ止めておくために。
四百万年前、セイバートロン星の内乱を避けて脱出した民間船の大隊を自ら率いてマスター星に不時着した後、苛烈なこの星の自然環境に適応する目的でヘッドマスター能力の発芽を研究していたフォートレスの元に、変わった能力の持ち主として連れられてきたのが、このペリシテである。その頃すでに高齢であったペリシテに備わっていた特異な力―それが、セイバートロン星でも亜種の能力と呼ばれていた《
ペリシテの力は中でも異能で、予知夢に位置づけられるものだった。大災害の発生や隕石の飛来‥‥ほぼ確実な予知は移住計画の助けとなった。そしてまた、フォートレスに一部のヘッドマスター達の裏切りと戦火の拡大を忠告したのがこの老婆であったことも、記録には残されていないが厳然たる事実だった。無論この事は伏せられているが、マスター星を追放されたスコルポノック等のデストロン参入を予め予期していたようにフォートレス達が地球へ到着したタイミングの良さには、ペリシテの進言が関わっていた。
だが、その忠告以来ペリシテが眠りの淵から戻ってくることはなく、今日まで昏睡と変わりない状態が続いていた。それが、つい数時間前に覚醒の報告があり、完全に目を覚ましたペリシテがフォートレスに面会を求めてきたのだ。理由は明白である。
緊張の色を帯びるフォートレスの面に目をやって、ペリシテは呻いた。まだ声帯は不完全にしか起きていないらしい。
「‥‥星が‥‥消えます‥‥」
「星?」
瞬間、過ぎったのはこのマスター星や見慣れた地球の姿だったが、言いながらペリシテは軽く首を横にし、フォートレスの危惧を宥めた。
「運命の、星です‥‥何者かの、巨大で脆弱な」
「それは私達に関わりある者のことなのか?」
「私達とは申せません‥‥あれはおそらく、全てを納めた星です」
「トランスフォーマーを、という意味か?」
「それは‥‥」
言葉は途切れた。的確な表現を探しあぐねる沈黙が続き、ペリシテは顔を伏せた。
「―最期の審判が‥‥近付いている証拠かと―」
黙ってフォートレスは、その言葉を聞き終えた。機器の漏らす稼動音だけが羽音のように辺りを飛び回り、単調なリズムで思考を鈍くする。
「いずれ‥‥」
呟いて、声のか細さに肩を竦めて見せ、フォートレスはペリシテを見返した。
「‥‥その言葉を聞くこともあろうと思っていた。今では私が、あの不名誉を全員に代わって濯げる最後の一人だからね」
「お行きなさいまし、若先生―戦場へ」
「ああ、そうしよう。生きて戻れたなら、会いに来ます」
身を正したフォートレスが決然と踵を返して歩き去る背に、囁くように言い足したペリシテの声が触れた。
「星の色は変わります‥‥刻々と‥‥指先で‥‥」
だが、その指先の持ち主は私ではないのだ、と告げたいのを抑えて、フォートレスは背後で再び閉ざされる扉の亀裂を肩越しに振り返り、そっと頷いた。
―2029/7/5 10:15 The Moon―
月から見る地球は穏やかそのものの、普段と変わらない蒼。
分厚い硬質ガラスに指を這わせても、外気の恐ろしいほどの冷たさは感じられない。ほんの十年前まで、窓外に広がるクレーターだらけの灰色に塗り込められた月面には、地球政府が共同開発で建造した基地が一つあったきりなのに、今では、一番深い表面クレーターの底にサイバトロンという巨大な組織の下で第一方面軍の指令本部基地が造られているというのは、不思議な感じがする。もちろん、ここに踏み込めるのは地球人の中でも限られた資格のある科学者や学者だけで、軍事関係者の立ち入りは許されていない。それは最低限の、トランスフォーマー側のモラルだ。対外的にどうあれ、やはりトランスフォーマーの持つ高度な科学技術を武力に転用したがる勢力が地球上から消えた訳ではない。ある程度の線引きがないと、均衡は保てないのだ。
ホークは硬質ガラスの上に浮かんだ己の顔を見据えて、ふと居たたまれずに目を逸らした。鮮やかな黄を基調にした―かつて、この姿をサフラン色に輝くと賞してくれた地球人もいたが―本来の容姿は、見慣れていても軽い違和感が拭えない。
三十人ほどが一堂に囲める作戦会議用の円形テーブルを顧みると、半分かた埋まった席のそれぞれには同じサイバトロンの紋章を付けた騎士達が着いて、否がおうにもこちらが現実だと実感させたが、彼等が窓際で一人所在無げにしているホークへちらちらと向ける視線はいかにも怪訝そうで、ホーク自身にも己の姿がきちんと本来のもに戻っているのかどうか不安にさせた。中に混じる好奇心を隠さないものに行き当たると、不安は一層深くなる。
「―メタルホーク」
不意に響いた、周囲のぎこちなさなど意に介さないバリトンの声に呼ばれて顔を上げると、会議室の扉が開き切る数秒すら煩わしそうにブラッカーの赤と黒の印象的な肢体が走り寄ってきた。ホークは微笑んで右手を差し出す。
「お久しぶりです、ブラッカー司令」
「司令はよしてくれ。貴方の方が年長だ」
ホークの手を取って豪快に挨拶を済ませると、ブラッカーは椅子の一つに促して自身も隣に陣取った。腰を落ち着ける刹那、ちらりと辺りを睥睨するとそれまでの空気ががらりと変わって、こちらに投げかけられていた訝しげな視線が逸れる。さすがに、こういう威勢はブラッカーのブラッカーたる所以だろうか。
「ホーク、今度のことは災難だった‥‥俺達も全力で捜索してはいるんだが、今はまだ手探りの状態で何も詳しいことが判らない」
「いや、手を尽くしてもらって感謝しているよ」
「日本での現状は見てもらったと思うが‥‥」
「ああ。本来なら第一方面軍直属でもない私を呼ぶのは規定違反だろうに。無理を通してくれたのだろう?」
卓の上でホークの両手がぎゅっと結ばれるのを目に留めて、ブラッカーは首を振る。
「フェニックスは君等の仲間だ。状況報告は当然必要だと思っただけさ。もちろん総司令官も、君等を抜きには考えていない。何より日本の一件で判ったように、フェニックスの姿はまだ『地球人』のままだ。そうなると、俺達だけで手出しできない部分も出てくる」
と、言葉尻に滲む苦さに、ホークは得心して頷いた。
「じゃあ、軍としてはこのままフェニックスの素性を発表しないで、救出作戦を?」
「今のところはそうなる。実は敵の正体に関して、二、三の情報があったんだが、色々と―」
面倒なことになりそうだ、と、最後は早口に囁いて、ブラッカーは扉の開く音に素早く反応して腰を上げた。間を置かず入り口に宇宙軍総司令官という肩書きを感じさせない静けさでスターセイバーが現れ、議場に揃った全員が敬礼で迎え入れるのに倣ってホークも礼を執る。
スターセイバーはその中にかつての片腕を見つけると、笑みを浮かべて一直線に歩を進め、
「ブラッカー、君らしい迅速な措置だったようで助かる」
告げて、いいえ、と苦笑で応じるブラッカーの肩をそっと叩いた。その肩越しにスターセイバーはホークを見やり、頷いて目顔で扉を示した。そこに続けて、がっしりとして背の高い威容を黄と黒で彩ったビクトリーレオが現れる。
地球人であるジンライを素体に個としての意思を持ったゴッドマスターの指揮官ゴッドジンライが、スターセイバーを守って重傷を負い、そのスターセイバーとの合体機能を組み込んだビクトリーレオに転生したのは四年前のことだったか。その時、ジンライの元へ事の経緯を説明に訪れて以来、第二方面軍司令官の任も務めながら常にスターセイバーの傍らにあるビクトリーレオと顔を合わせるのは、ホークも久しぶりのことだった。
ビクトリーレオも満面に懐かしさを滲ませて駆け寄ってくる。その声音はジンライそのもので、奇妙な既視感を覚えさせた。
「ホーク!」
「ビクトリーレオ‥‥」
「大丈夫か?皆も?」
「ああ、何とか今は」
「必ず力になる。そのために来たんだから、心配するな」
素体から受け継いだ意思の強さをうかがわせる口調にホークが微笑んで返すと、ビクトリーレオは座るよう勧めて、迷うことなくその横の席にかけた。スターセイバーも身に付いた自然な動作でブラッカーの隣に腰を下ろす。総司令官とその腹心に挟まれた格好のホークに不躾な視線を送る者は、もう一人も居なかった。表面的とは言え、スターセイバー達の態度を鑑みて反問は引っ込めておいた方が利口だと踏んだのだろう。
「―では、前置きなしで本題に入るが」
スターセイバーがぐるりと席を見回して口火を切る。室内の照明が落ち、淡い緑の光線を受けた円卓の中央に立体画像ディスプレイが浮かび上がった。その中で、嫌と言うほど繰り返し網膜に焼き付けた地下鉄崩落の事故映像が再生され、ホークは反射的に目線を落とす。
「すでに全員が了解済みのことと思うが、この映像に映っているトランスフォーマーが現在唯一、我々が確認している敵の様相だ。かなりの大きさであることは承知だろう。だが、敵は単体であるとの情報を得た」
俄かにさざめきが湧き上がり、スターセイバーはそれを制するように軽く手を上げて映像の切り替えを指示した。画面は音もなく、どこかの深い闇を映し出す。
いや、眼を凝らすとそこは四方を高い金属の壁で区切った箱のような空間らしかった。窓もなく、僅かな灯りも差し込まない黒一色の、闇。
真っ先に何かを見出した一人が、あっと短く叫んで口を抑える。ホークは画面にべたりと張り付いたままの闇を見つめて、やがてそこに、蹲る巨大な影の輪郭を見つけた。
「あれは‥‥なん‥‥ッ」
途端、得も知れぬ悪寒に貫かれ、息を殺す。
静止画像かと思えるほどに呼吸一つ聞こえない画面の奥で、突然、ぎろりと二つの紅い光点がこちらを睨めたのだ。それが恐ろしいまでに感情の失せた双眼だと気付くまで、また長い沈黙が流れた。
生きている者の眼ではない。これは、死者の眼だ。でなければ、生も死も理解できない者の眼。
恐ろしいのとは違う、とホークは思った。あの眼は底知れないのだと。見つめ続けたら呑み込まれてしまいそうに。
スターセイバーが再び口を開いた時、座は静まり返っていた。
「これは、幽閉施設を脱走する前に撮られた監視映像の一つだ。識別個体名は〈サイコ〉。本名は無い。推定生年不明、戦闘限界値不明、生体データなし。変形時の外装は亜高速戦闘艇」
以上は、と一呼吸置いて、言い含めるような言葉が続く。
「今回の一件に限り休戦締結を申し入れてきたデストロン側から、我々に提供された情報の一部だ」
ざわめきが一気に加速し、居並んだ士官達が口々にスターセイバーへ問いを投げかけた。
「デストロンと休戦ですかッ?」
「総司令官、それはどういう‥‥!」
「では敵は、デストロンの離反者と―」
困惑と動揺の中心で、先に話を通されていたらしいビクトリーレオとブラッカーだけが落ち着き払って上官の応えを待っている。
やはり、デストロンなのか―
フェニックスが今どこにいて、どんな状況に置かれているかを想像するのは耐え難い。だが、この場で何一つ満足な言葉を紡げそうもない予感に駆られて、ホークはぐっと己を抑え込み、口を挟むのを避けた。と、卓の上で固く組み合わせた手に、ビクトリーレオの指が大丈夫だと宥める様に触れていった。
「不審はもっともだろう。私もデストロン側からの協定に全面的な信用を置くものではない。もたらされる情報も小出しに過ぎるし、今一つ腑に落ちない点も確かにある」
一頻り騒然とした座をゆっくり見回したスターセイバーが、一度として乱れることのない柔らかな声音で続ける。
「だが、撥ね付けるのは得策ではない。少なくとも協定の上で彼等は最低限の協力関係は取ると明言した。これは有利に働く」
「能力も未知数の敵を相手にする以上、あちら側に付こうかと画策する勢力は幾らでも減らしておいた方が良いからな。デストロン内部に互いを監視し合う流れを作っておくのは、手だ」
ビクトリーレオが言い、上官の意図を補う。
肩書きは相変わらず第二方面軍司令官のままだが、合体機能上のパートナーとして常にスターセイバーの肩脇に付き従うことの多いビクトリーレオが、実質、全軍副司令官と同程度の立場と見なされていることはホークも承知している。これも奇妙なことだが、現在の宇宙軍総体には、かつてのウルトラマグナスのような、ナンバーツーと称されるべき騎士が居ない。それは能力のある者すべてに衒いなく意見を求めるスターセイバーの気質に拠るところが大きかったが、こういった重大局面では不利に働く組織の穴とも言えた。功の比類ないビクトリーレオやブラッカーが総司令官を補佐すれば、すなわちそれが決定意思に他ならないが、中には総司令官直近―言わば子飼いの意を快く思わない者もいると聞く。まして今回の問題では、サイバトロン内部にも不信の根があるはずだった。
曰く、なぜ『あれ』が苦もなく地球へ到達しえたのか―と。
(疑われて然るべき‥‥どうあっても)
ランダーの言ではないにしても、もはや疑惑を持たれるのは避けようがない。第一方面軍の防衛網の甘さは指摘されるとしても、それ以上に、拉致されたはずのフェニックスの姿が確認されたのだ。正気とは言い難い様子ではあるが、この際その点は関係がない。
(一体何が起こっていると言うんだ―)
何一つ正確なことが解らない自分がもどかしく、ホークは唇を噛んだ。
スターセイバーの声だけが淡々と続いていく。
「現在、我々が追うべき者の意図ははっきりしない。が、その手中に囚われているのはサイバトロンの騎士である。これはたとえ、被害者が地球人であったとしても同じことだが―サイバトロンは総力を挙げてこれを追跡し、速やかに奪還する。地上戦は極力避け、被害は最小限に止めるよう努めること。この点を厳命し、全騎士に周知させてくれ」
倣ったように、士官達が一斉に諾を示して目礼する。
「敵を見誤るな。少なくとも我々は、戦火を起こすためにこの場へ集まっているのではない。最優先されるべきは救助だ」
個々の思惑を孕む一人一人の顔色を確かめるように視線を流して、スターセイバーはそうきっぱりと言い差した。そして引き戻された目の中に、ホークの姿が映り込む。固く組み合わせた指に力を込めて、ホークは首を垂れた。
《続く》