併せてご覧くだいただけると、
オリジナル設定部分などが分かるかと思います。
―2029/7/5 5:31 California―
カナダを発つ時に着たきりの皺が浮かんだスーツ姿で現れたライトフットに続いて、レインジャーとロードキングが息を切らせて駆け付けて来ると、ダイバーはまず侘びを口にして、努めて平素と変わりない動作で淹れたてのコーヒーを出してやった。
まったく何年ぶりかでリビングに揃った顔ぶれは懐かしかったが、ライトフットはコーヒーを一口流し込んだだけで、共に座を囲んでいるジンライとランダーの僅かに陰を帯びた横顔を見やり、口火を切った。
「ニュースを見て、驚いて‥‥ジンライさんにすぐ連絡したんです。そうしたら、ここへ向かっている途中だと聞いて、僕もすぐに皆へ連絡して」
「心配かけてしまって、すまないな。来てくれて本当に感謝するよ。皆、仕事の方は?」
ダイバーの気遣いにライトフットは微笑み、首を振る。
「会社は僕がサボってもちゃんと機能しますから」
父レフトフットの興した自動車会社“ブリティッシュ・モータース”の副社長として才覚を発揮しているライトフットだが、ここに向かった時点で心持ちはかつての、ゴッドマスターとして過ごした日々のそれに立ち返っていたのである。どうやら、レインジャーとロードキングも同様だったらしい。勢い込んで、二人は声を揃えた。
「こんな一大事に、駆け付けない訳ないだろう!」
「役に立つかどうかは判らんが、何か手伝わせてくれ」
レインジャーはおそらく山岳警備の仕事を放り出して来たのだろうし、ロードキングに至ってはF‐1の世界戦真っ只中。ダイバーも、数日後がメキシコで行われる大事な折り返し戦だと言うことくらい知っていた。
しかし付き合いが長くなった分、運命的にゴッドマスターに選ばれ、死地を潜り抜けたジンライ達四人が、いかに強情かも知っている。彼等が進んでフェニックスの身を案じ集まったのなら、ダイバーが固辞したくらいでは引っ込まない。何が何でも力を尽くすだろう。
本心を言えばやはり、ただの地球人に戻ったジンライ達をトランスフォーマー同士の危険に巻き込みたくはないのだが。
「‥‥助かる。色々と問題が起きそうなんでな」
「遠慮せずに何でも言ってください。フェニックスが無事に戻るまで、全員で近くに居ますから。必要があれば父も協力してくれると言っていますし」
「いや、社長のご好意に何度も甘える訳にはいかんよ」
また工場を炎上させるようなことになったら事だ、とダイバーは昔の話を引き合いに出して、ライトフットの申し出を丁寧にかわした。ライトフットは勘良く察して頷くに止め、それより、とソファーに身を沈めたまま難しい顔を崩さないジンライに声を向ける。
「秀太達には、何か連絡を?」
ジンライは問われて、いや、と軽く手を振る。
「三人とも来たいと言ってきたが、許してない」
「そうですね、それがいい」
「でも押しかけて来るんじゃないか?」
腕組みしてレインジャーがぼやくと、
「まあ、そうなんだろうけどな」
苦笑混じりにロードキングが継ぐ。
マサチューセッツ工科大学で宇宙工学の客員助教授となっている秀太は、今でもホーク達を実の兄のように慕い、家族のように連絡を取り合っている間柄だ。その秀太と一昨年に婚約したミネルバは、母の故郷であるフランスの地でマスコミ関係の勉強をしている。キャブに至っては成人を機にカリン王国国王となり、かつてジンライ達ゴッドマスターに病身を救われた幼馴染みのコポを妻に迎えて、おいそれと他国に出歩けるような立場ではなくなっていた。おそらく三人とも無理を通してでもここにやって来るだろうが、もう立派な大人だ。追い返されることも承知の上に違いない。
「ホークが怒るでしょうに‥‥」
まるで父親のようなライトフットの呟きに、ダイバーは苦笑した。
「秀太達は来たとしても帰らせるように、ホークに頼まれてる。キャンサーも一旦、ロスに帰そうと思って支度させてるんだ。あっちならワイルダーが傍で見ていてくれるから、ここに置いておくより安心だしな」
「戦闘に‥‥なるんでしょうか?」
「さあ、それは。俺達にはまだわからん。可能性は否定できないが」
「嫌ですね。なんだか」
「ああ‥‥」
サイバトロンに軍籍を置いた時から、デストロンと戦うことは任務として受け入れてきた。しかし楽しい訳でも満ち足りる訳でもない。予備役兵に「降格」されて、心のどこかで安堵していたのは事実だった。それがこんな形で、前線に引き戻されるかもしれないとは。そして対峙する敵の手に、救わなければならない者がいるのだとしたら―。
さっとライトフットが立ち上がり、
「キャンサーの様子を見てきます。あの子も頑固だから、素直に帰るかどうかわかりませんからね」
そう言い置いて、リビングを出て行った。それじゃあ、と心得た様子でレインジャーが台所に、ロードキングが車庫にそれぞれ役目を果たしに散って行く。ジンライも重い腰を上げ、上着のポケットから携帯電話を引っ張り出した。
「じゃ、俺も伝を頼って情報集めてみるか。月の上からじゃ見つからないぐらい小さなものも、どっかに転がってるかもしれないからな。ダイバー、端末借りるぜ」
言う間に踵を返して、ジンライの姿もシステムルームに消えた。
リビングに残されたダイバーは、ソファーにへばり付いたまま無闇に煙草を吹かしているランダーを顧みる。
「なに考えてる?」
そう問われて、ランダーはじろりとダイバーを睨んだ。嫌を含んだその目が、口に出来ない感情を露わに浮かべる。
「お前のそんな顔、あの時以来かもな」
「わかってるなら、少し放っておいてくれ」
突き放すように言って、だが、間もなくランダーは悔しそうに唸った。
「ッたく―どうしていつも、あいつばっかりが俺を居た堪れなくさせる元凶なんだよ」
さあな、とダイバーは呟いて、目を眇めた。
―four milion years ago―
煤と砂礫に塗れ、疲弊しきった鈍い身体を引きずって戻ってきたと思ったら、ダイバーは乱れた呼吸を噛み殺しながら空手で帰ったことを詫び、宇宙港の発着ゲートでやきもきしながら待っていたランダーを唖然とさせた。
いつ頭上をミサイルや熱線が行き交うかわからない現状が現状なのだから、積み込む予定の補給食や物資が手に入らなかったのは致し方ないが、
「人を‥‥探さなけりゃならない。手伝ってくれ」
そうダイバーが言い出したのには、流石に呆れてものが言えなかったのである。
ここが母星を脱出する人々で溢れ返っているロビーでなかったら、殴り倒していたかもしれない。何せあちこち駆けずり回って、ようやく手に入れた艦なのだ。それも地下港に長いこと繋留されたまま放置されていた、『創造主』―クインテッサ星人の貨物輸出艦である。正直、縁起は良くない。だからこそ、この離陸時間を逃してしまいたくはなかった。
「お前、馬鹿言うなよ!今すぐにでも飛ばないと、次に航路が確保されるまで何日足止め食うか、」
「わかってる。わかってるから手分けして早く探したいんだ」
「相手は?まさか女か?」
「だったら良かったか?生憎、子供だ」
「子供?!」
「父親と死に際に、連れて逃げると約束してきた」
二度目の絶句から立ち直るまで、ランダーは穴の開くほど、真顔でそう言いきったダイバーを凝視した。頑固さでは自分を遥かに凌ぐダイバーがこうと決心してしまったのなら、言いくるめるのは至難の業だ。
ランダーは盛大に溜息をついて、駄目で元々、切り返す。
「‥‥俺達の艦に、乗せていく気なのか?」
「一人増えても事態が悪くなる訳じゃないだろ。頼む、ランダー。協力してくれるな?」
「子供か‥‥ああ、くそ。お前が言うことに、俺が反論できるか?でもこれで借りの分はチャラだからな!」
「恩に着る」
「で、顔は―わからんか」
ぐるりと周囲を見回せば、老若男女、ざっと千人以上が行き交ってそれぞれの集団を作ったり、人を探していたりする。奴隷制上がりのトランスフォーマーは生まれ付いて成人型だが、独立以後は生殖機能の復帰によって子が生まれるようになったから、数えるほどではあるにしてもそれなりに幼い姿も見える。確かに手分けした方が効率はよさそうだ。
「名前は?聞いてるのか?」
「ああ。―“振り返らずに”」
「‥‥“フェニックス”?それが名前?」
「多分」
「変わったセンスだな。付けるか、普通?」
名は体を現すという言葉通り、トランスフォーマーの命名には性格そのものを示唆する名詞や形容詞を使うのが一般的だ。一語で意味を成さない語を並べて明確な意味を持たせる場合もあるが、 “振り返らずに”だけでは人名としてのセオリーを悉く無視していると言っていい。
ダイバー自身も、死に際の老父から聞き取ったその言葉が子供の名前だとは、俄かに理解できなかったのだから、ランダーが思わず聞き返したのも無理はない。
「とにかくまあ、それが名前なら逆に探しやすいかもな。俺は左側から回るから、お前は出入り口の近くから探せよ」
ランダーが左の人波に走り、ダイバーはごった返しているロビーの入り口に戻った。
脱出の当てもまだない民間人が次々と雪崩れ込んでくるドアの側は、避難所のような有様だった。サイバトロンからの救護班が常駐し、怪我人を手当てしてはいるが、何と言っても人数が半端ではない。その上、減る訳でもないから瞬く間に飽和状態になってしまうのだ。救護班とは別に派遣された騎士達が、共用の脱出船に民間人を割り振って乗船させていくものの、艦艇にも限りがある。すでに今回の離陸分は打ち止めになったと見え、溢れんばかりの人々は一様に不安と諦めの色を浮かべて、壁際や通路に座り込んでいた。
その隙間を縫うように歩きながら、ダイバーは一人で二親の帰りを待っているだろう子供の姿を探し回った。だが、目に付いた大抵の子等は親らしき相手に連れられている。もしかしたら、孤児に間違われて軍に保護されてしまったかもしれない―だとしたら、ここを探し回っても無駄足になるのではないか。
逡巡し、引き返して軍に手を求めるべきかと足を止めたダイバーの視界を、ふと瞬間、白い空白が掠めた。
所狭しと座り込む民間人の波の向こう、太い柱の陰に膝を抱えた華奢な輪郭が一つ、群からはぐれたもののように座っていた。鮮やかな緋に近い色彩が、まず目を引く。そして、絶え間ない人の流れにじっと凝らされた意志の強い蒼の眸。
「 “フェニックス”!」
咄嗟に張り上げたその声に、一点を凝視していた双眼がダイバーを振り仰ぐ。名を呼ばれた驚きにフェニックスが軽々跳ね立つのと、ダイバーが駆け寄るのは同時だった。
「君がフェニックスだな?」
「‥‥あんた、誰?」
訝しげに問い返しながら、目の端で辺りをうかがう。どこからか両親が現れるはずだと、その瞬間を見逃すまいとする一途な仕種は、これから残酷すぎる真実を告げなければならないダイバーの心をただひたすら重くさせた。
「お父さんに頼まれて、迎えに来た。よく聞くんだ」
ダイバーがそっと、だが反駁を許さない真摯さで肩を包むと、フェニックスは何か奇異なものを見るように頬を強張らせた。恐ろしい考えが生温かい吐息のように頭蓋を抜けていく。
「―嫌だ」
何も聞きたくない、とフェニックスは言ったつもりだったが、ダイバーは押し被せるように短く告げた。
「ご両親は、亡くなった」
「―‥‥嘘だ」
「上空からの砲撃で、瓦礫の下敷きに。助けようとしたが、俺一人じゃ手が出せなかった」
「嘘だ」
「君を連れて行って欲しいと‥‥ここから遠くに。お父さんは君の事を心配してたよ」
「嘘だ」
「約束した。君を連れてこの星を出ると。だから一緒に来るんだ」
「嘘だッ!」
「フェニックスッ」
闇雲に振り回された少年の腕が、ダイバーの両手を跳ね除ける。フェニックスはよろばうように二、三歩後退ると、
「そんな事、信じると思うなよ!」
まるで自分自身まで騙そうとしているような悲痛な声を張り上げて、ダイバーの側を逃れようとした。
この人ごみに紛れられたら見失う。無防備に外へ出ようものなら、それこそ協定などものともしないデストロン兵どもの的になるだけだ。
ダイバーは咄嗟に手を伸ばし、捕らえようとしたが届かない。赤が翻り、飛ぶ足取りで駆け出す。
と、その鼻先に立ち塞がった影が、フェニックスの身体を手荒く押し止めた。慣れた様子でさっと少年の口を手で塞いだのは、喚かれないための用心だろう。
「‥‥こいつか」
ぜいぜいと肩で息をつきながら吐き出し、ランダーはダイバーに目配せして、腕の中でもがくフェニックスを一層きつく戒める。
「ダイバー、薬」
「何?」
「安定剤だよ、早く出せ。騒がれたら俺達の方がぶち込まれるぞ」
「だが、何も薬で―」
「じゃあここで離して、置き去りか?そうできるくらいなら、探してないだろう」
薬と聞いて、フェニックスは必死に呻きながら更に激しく抵抗しだした。ランダーは舌打ちすると、まだ安定剤を取り出しかねているダイバーを呆れ顔に睨めて、ぐいとフェニックスを捕らえた腕に力を込めた。
瞬間、脇腹に回された手首の辺りから微細なチューブが滑り出し、素早く先端を差し込む。ほとんど痛みも覚えぬうちに意識が薄れ、フェニックスは弛緩した身体をずるりと投げ出した。
ランダーはその身体を肩に担ぎ上げ、辺りに目を配って囁いた。
「目が覚めた頃には宇宙のど真ん中だ。暴れるなら縛りつけりゃいいさ」
ダイバーは曖昧に、少しだけ唇を持ち上げる。
そうだ、これが正しい選択だ。
どこもかしこも戦火だらけのこの星に、孤児の居場所などない。良くも悪くも最低の、血に塗れなければならない生き方しか残っていないのだ。親の亡骸を探して流離う方が、それでも余程、この傷を癒すのだとしても。
その目に浮かぶものを諌めるように、語気を僅かに強めてランダーが呟いた。
「間違えるなよ、ダイバー。帰らないものは、返ってこない。そんな事、俺がよく解ってる」
「ランダー‥‥お前、」
「だから、お前は助けるんだろ?こいつを。俺を助けた時みたいに」
ふっと、そこで普段通りの飄々とした笑みを浮かべて、ランダーは肩に乗せたまだまだ軽い少年の身体をぺしりと叩き、発着ゲートへ顎をしゃくった。
「厄介なもん拾うことにかけちゃ、お前が一番だ」
俺には出来ない‥‥自分自身とフェニックスとを重ね合わせてでもいるような、消え入りそうに付け足された言葉の意味を知るのは、ダイバーだけだったが。
―2029/7/5 8:32 Machupichu―
進軍を続ける兵士達がすっくと天に伸ばした槍の穂先にも似た鋭い山稜を割って、太陽が金色の姿を青の天幕の中へ現すと、赤道側を否が応にも思い出させる熱を含んだ陽光が斜めに、フェニックスの頬を照らし出した。
深い渓谷を挟んで隣り合う眼下のマチュ・ピチュ山の頂には、廃墟と化して久しい煉瓦作りの一大都市が望める。かつて、ジャングルに埋もれていたこの遺構が歴史家ハイラム・ビンガムに『発見』された当時は、標高数千メートルに何の目的で造られたのか解らない、インカ文明神秘の空中都市と騒がれ、数々の説が唱えられたものだ。その後、発掘と研究が進み、二十世紀の内にはインカ人達の信じる聖地の一つとしてコロニーを形成していたもの、と一定の見解が付された。
実際、遥かに見下ろす遺構には、南側に自給自足用に整地された段々畑、北側に人々が集う広場、神殿群とされる建物跡に居住区らしき一角。そして一段高くなった丘に“インティワタナ”―礼拝石と称される岩を置いた天体観測所がある。ここで聖地のために従事していた人々は千人を下らないだろうとも言われていた。
この学説はほぼ正しい。なぜなら、フェニックス自身が、この地が繁栄を誇っていた時の姿を幾度も目にしていたからである。『赤き翼の神』と呼ばれ、下界に降下したインカの守護者として市井に溶け込み暮らしていた頃、マチュピチュは好んで何度も訪れた場所だった。
その頃からマチュ・ピチュ山と対を成すここ、ワイナ・ピチュ山の頂に座り、フェニックスは都市と人々を眺めて過ごしていた。
今、ワイナ・ピチュ山頂には、小部屋のような崩れた遺構と石造りの椅子が一つある。何のための、誰のための神殿だったのか、歴史家達がいくつも説を唱えていたこともフェニックスは知っている。しかし、フェニックスが上空を通りかかった時に羽を休めて降り立つ場所だと知る者達は、もう一人も居ない。
彼等は一人残らず死んだ。
純粋で、神を敬い、自然を慈しみ、疑うことを知らなかったインカの民。
「‥‥夢を見てた‥‥」
応える相手がいる訳もない澄んだ山稜の大気の中へ呟いた拍子、眸から涙が一筋流れ、目映い朝日に煌いた。
救えなかった民の死に様が、フェニックスを絶望で満たしていた。
他惑星の文明に作用を及ぼすほど干渉してはならない、というのは広大な宇宙全域で遵守されるべき協定だ。それでも、親しんだ者達が滅び行く様を目の当たりにしながら何もしてやれない己を、許せる訳ではない。
救いを求めて転げ込んできた瀕死の伝令に知らされ、フェニックスが首都クスコに駆けつけた時、侵略者達による虐殺と略奪は終盤を迎えていた。
大航海時代の威光を駆って海原に乗り出した国の一つ―フランシスコ・ピサロ率いるたった二百人ほどのスペイン人達は、それまで王位継承問題に端を発して弱体化していたインカの兵力を突き崩し、王アタワルパを捕虜として黄金を奪ったのである。数千の兵士達は悉く殺され、やがてアタワルパも殺された。ピサロを単なる簒奪者とみなして同調した他の部族や貴族がいたことが、更に悲劇だった。ピサロの背後に新大陸の植民地化を目論む国家の存在があるなどと、インカの民が知るはずもない。そしてフェニックスはその事実を知っていたが、歴史に干渉するという理由のために警告を与えることが出来なかった。
その結果に目にしたものが、街路を埋め尽くす屍の山。滝のように側溝へ流れ込む、夥しい鮮血だった。
出来るものなら‥‥いや、誰にも知られずに済むものなら、あの侵略者達を皆殺しにしていただろうと、フェニックスは思う。
―違う、今でも皆殺しにしてやりたい。言葉や神や肌の色が異なるだけで、殺戮を正当化する者達を。
「‥‥俺は、いつも誰も救えない‥‥救えない俺も、あいつらと同じだ‥‥」
インカの民の骸に囲まれながら、狂ったように黄金へ群がっていた、人間の顔をした白い肌の化け物と。
「苦しい―」
無意識に、破れた血塗れのシャツの上から胸を摑む。頭上から音もなく差しかけられた二つの影が十指の黒い線をワイナ・ピチュの山肌に落として、フェニックスを掬い上げるように包んだ。
「クルシイ、ハ、ケス」
氷柱のような、それでいて記憶のどこかに優しく爪を立てる声音に、フェニックスは抗うことすら忘れて静かに目を閉じる。そこは深い闇だった。
ブラッカーの―第一方面軍司令官の執務室は、その肩書きに対して些かシンプルすぎるほどに味も素っ気もなかった。デスクと硬い椅子と、端末が一つと、来客用の応室セットが一揃い。窓は地球側を向いて切られた縦長のものがあるだけで、そこだけが絵のように美しかった。概して、実力でサイバトロンの高官に上り詰めた人間には、こういったタイプが多い。華美な装飾や調度が見栄以外の意味を成さないことをよく知っている。それは好ましい人柄の、端的な現われでもあった。
スターセイバーは、デスクの椅子を勧めるブラッカーの気遣いを丁重に遮って応接のソファに座り、ビクトリーレオに促されながら最後に執務室へ入ってきたホークを、向かい合わせの席へ誘った。
ホークが腰を落ち着ける間、ビクトリーレオは、総司令官の傍らに居る時はいつもそうしているらしい自然な態度で側の壁へ背をもたせかけ、軽く脚を組み合わせて立っていた。二人の位置からは近すぎもせず、遠くもない。邪魔にならない代わり、声が確実に聞き取れる絶妙の距離。ブラッカーはと言うと、自身の椅子に着くのも落ち着かないと見え、デスクの端に浅く腰掛けたまま腕組みしていた。
ホークはちらりとスターセイバーの顔を窺い、素早くビクトリーレオの横顔に眼を走らせる。会議が終われば地球へとんぼ返りできるとばかり思っていたのだが、二、三、別の話が済んでからと言われたきり、すでに数時間が経ってしまっているにも係わらず話らしい話は一向に進んでいないのだ。今さら何を持ち出されても、狼狽しないだけの覚悟は出来ているというのに‥‥例えば、このまま地球には帰さないと命じられるのだとしても。
長くもなかったはずの沈黙に耐え兼ねて決然と顔を上げると、真正面にあるスターセイバーの微笑と不意にぶつかって、ホークの方が思わず臆した。意識的に高めたはずの声音まで、弱々しく掠れる。
「閣下、もし私に特別なお話があるのでしたら、仰ってください。お気遣いいただかなくとも結構です」
言われて、スターセイバーの澄んだ眼窩が何事かと問うように瞬く。次いで、ああ、と漏らした声には、ホークの言う意味がようやく理解できたという素直な驚きがあった。
「いや、そうか‥‥もっともです。何の説明もなしにお引止めして、貴方が身構えるのも仕方ない」
「てっきり、ご指示があるものと思いましたが」
宇宙軍総司令官としての、と、そこまで言うのはスターセイバーの表情を見てからでは躊躇われた。スターセイバーは、自身がサイバトロンの長として最大の権力を有する立場だったことすら失念していた様子で、困ったようにブラッカーを見、ビクトリーレオを見て、ホークに目を戻した。
「実は間もなく、もうお一方こちらにお見えになる予定なので、貴方も一緒に会っておいた方がいいかと思って」
スターセイバーが折り目正しい口調で告げる『もう一人』の来訪者―その名は聞かずともわかった。総司令官たる者が最上級の敬意を払う相手など、この宇宙にそう何人もいるものではない。
ホークの顔に答えを読み取って、スターセイバーは頷いた。
「マスター星から、フォートレス・ロードがおいでになるのです」
「フォートレス‥‥執政政務官が、こちらに?」
「面識はおありだと聞きましたが」
「ええ、ヘッドマスターが地球に駐留していた頃は、国連関係の問題で何度か助言を請われまして。あの当時はまだ時代が時代でしたから、色々と」
現在の地球は、サイバトロンが主体となる宇宙平和連合に加入した同盟星の一つだが、公的な盟約が締結されたのはジンライ達ゴッドマスターの激戦が終結した直後、僅か九年ほど前なのである。それ以前の、つまりフォートレス等が地球や他惑星を舞台に戦闘を繰り広げていた頃、トランスフォーマーの立場は戦禍を持ち込んだ異星人という非常に微妙なものだった。まして、純粋なトランスフォーマーの容姿は地球人と比べて巨大に過ぎ、冷た過ぎた。その緩衝材として、国連や各国高官との折衝に当たったのが、地球人の容姿を寸分違わず模倣できるホーク達だった。
無論、地球側には代表大使として認められたスパイクとその家族がいたが、彼等の役目はサイバトロンとの間に友好と平和を築くことであり、軍事的、政治的な、ややもすれば腹の探り合いになる仕事はすべて、ホーク達が密かに陰でこなしていたのである。
その時に知己を得たヘッドマスター・クロームドームには、後にヘッドマスタージュニアのトランステクター開発で助力をもらっている。マスターフォース戦争において、ジンライに暫定的な地球駐留軍総司令官の肩書きを与えてくれたのも、当時まだ全軍総司令官であったフォートレスその人なのだ。数え上げれば、もらった恩は切りがない。
「しかし、またどうしてフォートレス・ロードが―今度の事態に特別な関心を持たれたのですか?」
総司令官を退いてから、ほとんど公には軍部と関わらず中立な立場を貫いてきたフォートレスがわざわざマスター星から足を運んでくるとなれば、ことの重要性は違った意味を帯びる。
ホークは頬が強張るのを感じて、ぐっと唇を引き結ぶ。申し訳なさそうに、スターセイバーは首を振った。
「私も、こちらに参られるとV惑星の連合本部を介して連絡を受けただけで、詳しいことは伺っていないんです。だからこそ同席していただきたい。何か新しい進展が望めるとしたら、知っておかれた方がいいですから」
「ロードが、この件に関しての情報をお持ちだとお思いなのですか?」
「はっきりそうとはお答えできませんが、何事かをご存知なのかと。興味本位で介入なさる方でないのは、貴方もご承知でしょう?」
「それはもちろん。ですが、あまり突然なお話なので」
「ええ、だからこそ、ご一緒して欲しい」
ホークは、総司令官の人となりが透けて見える正直な言い様に微笑んだ。頂点に立つ人間がこれほど真正直では部下がいらぬ苦労をするだろうに、と同情し、その最側近がこの場に思案顔を並べているビクトリーレオとブラッカーであることを思い出して、つい苦笑に変わった。
「感謝します、閣下。今は藁にも縋りたい気持ちで‥‥少しでも早く、フェニックスを助け出せる糸口が見つかれば嬉しいのですが。こうしている間もただ、どんな状態に置かれているかと思うと不安で堪らなくて」
「ここにいる全員が、同じ気持ちでいますよ。まして貴方がたの結びつきは仲間と呼ぶより、」
その時、スターセイバーの言葉を控え目に遮ったのはデスクの端末から鳴り出したコール音だった。よく耳にする機械的な音階と違う音色は誰が決めて持ち込んだものなのか、野性味溢れる、と言ったブラッカーには少々似つかわしくない。
フォートレスの到着を知らせるものだろうかと、さっと腰を上げて半身を捻るように身を乗り出した格好で、ブラッカーが端末に手を伸ばす。
「俺だ」と応じるその声が突然、ラスターの怒声に破られた。
〈―上空3万8千、異常熱源感知!出てくる気だ!〉
「防御バリヤ!!」
間髪ない命令の声と行動と、どちらが先だったか判らない。ビクトリーレオの巨体が飛ぶように横切り、スターセイバーとホークは突き飛ばされたように扉へ駆け出していた。
瞬間、時間の流れが澱みに溜まる油のように比重を増した。何もかもがほんの一拍のうちに起こったはずなのに、ホークの記憶はそこで、窓外を満たした紅蓮の色に取って代わられた。
身体の芯を貫く衝撃と振動。轟音。
襲いかかる爆風と熱波に五感が耐え切れず、感覚回路が遮断する。崩れ落ちてくる瓦礫に揉まれながら全身が滅茶苦茶に叩きつけられ、その鈍い音だけが別物のように体内で反響し、喉から漏れる己の悲鳴を打ち消した。
「―ホーク!」
距離感のない、幾重にも木霊する呼び声。
瓦礫の下から手荒く引き摺り出されたホークの視界に飛び込んできたのは、ビクトリーレオの上腕を彩る鮮やかな黒と白のコントラストだった。抱え上げられたその腕の中から、漆黒の空間が見渡せる。眼下にクレーターばかりの灰色の地平線が緩い弧を描いて伸び、真空の境目に青い―痛いほどに青い、地球の円。
「下がれ、ビクトリーレオッ!」
スターセイバーの凛とした声に目を転じると、ビクトリーレオの僅か斜め前に、自身の合体パーツであるVスターの上で剣を構える総司令官の後ろ背があった。その横に、ぴたりと寄り添う影のようにブラッカーの姿がある。正眼に付けられた剣の切先が闇の中で輝いた。
爪先に届く地鳴りに真下を見やり、ホークは目を見開いた。
たった数分、いや数秒前まで自分達がいた白銀の月面基地は、地球側に向いた面だけが根こそぎ吹き飛ばされ、無残に破壊された傷口から瓦礫を吹き上げていた。基地内に残る酸素が真空に吸い出され、轟々と唸り続ける。
爆発の煽りを食らって倒れた者達、消火活動に飛び回る者達、臨戦態勢を取って飛び出してくる者達‥‥様々な色とりどりの点がクレーターの底にひしめき合う。
「何て‥‥こと‥‥!」
ホークの内にじわりと恐怖感が込み上げた。あの惨事の中で自分が無傷で引き上げられたのはひとえに、ビクトリーレオが咄嗟に庇ってくれたからに他ならない。そうでなければ自分こそ瓦礫と共に転がっていたはずだ。いや、それでも建物が半壊で留まっているのは、直撃を避けたからかもしれない。ブラッカーが防御壁の展開を命じるのが、ほんのコンマ一秒でも遅れていたら―
突然、ホークはビクトリーレオの腕を跳ね除けて宙へよろばい出た。真空での体勢の取り方など随分長いこと忘れていたせいか、酩酊しているような感じで足元がおぼつかない。だが、視覚はだけははっきりした。
スターセイバーとブラッカーが呼気を詰めて剣を向けている、地球の美しいシルエットを背景にして一点穿たれた、闇の孔。
―出てくる気だ!―
あの言葉が蘇る。
渦を巻く闇と交わる真空の淵では陽炎のような歪みが生じ、背後に据えられた地球の像がのたうっていた。歪曲は鼓動を刻むように正確に、急速に広がっていく。
ビクトリーレオが短く舌打った。
「くそッ、空間ごとか!」
垂らしたインクの染みのごとく辺り一面の光も冷気も吸い込みながら巨大化した孔は、ある一定の範囲まで広がると不意に、透明な鎖で何重にも拘束された黒い幕のようにその身を捩って苦悶の唸りを上げた。
正確には、そう聞こえただけだ。空間同士を捻じ曲げて無理矢理に繋げると、素粒子の衝突がそんな音を出す。知識として理解していた現象がただ起こっているだけなのに、それは耐え難い地獄からの咆哮だった。
「来るぞ‥‥ッ」
ビクトリーレオの掠れた囁きにホークは総毛立つ。
白銀の、まるで穢れ一つも知らない者のような片手が、黒の中心を裂いて差し伸ばされた。指が静かに空を摑む。縋るものなど無い事を確かめるように‥‥そして、もう一方の手が追って出る。
武器は帯びていなかった。そんなものが必要であるはずがないほどに、それ―〈サイコ〉と呼ばれるデストロンの脱獄囚は、見上げんばかりの巨躯を悠然と威風すら感じさせる尊大さで、待ち受けるスターセイバー達の眼前へ姿を現したのである。
「―‥‥!」
誰もが一時、身の内に溜め込んだ戦意の存在を忘れた。
戦場で誇り高き騎士から戦う意志を奪うものは二つある。一つ目が絶対的な敗北の予感であるなら、二つ目は抗い難い魅了を敵の中に見出した瞬間、まったく前触れもなく人はその恐ろしい罠にかかるのだ。
〈サイコ〉は美しかった。
装甲の継ぎ目すら透けて見えるかと思われるほどの、純白に最も近い銀の色彩以外を血塗られたように紅い両の眸の他にただ一点も持たない身体は、鋭く砥がれた一振りの剣を想像させた。一片の感情も兆さない凍えた顔貌。整った鼻梁や薄い唇は恐ろしく年若いようにも見え、瞬きの内に狡猾な老漢のそれに変わり、また突然に一切のイメージを許さない彫像に戻る。
惹き付けられるほどに、泥のような恐怖が頭蓋を満たした。
『これ』は『死』だ。
生きながら精神を腐らせる魅惑という名の『死』を振り下ろす、特異な力を与えられた者。美しく、恐ろしい、存在するだけで脅威になりうる兵器。
「―ブラッカー!!」
スターセイバーの怒号が空白を破った。急上昇するVスターの赤い軌跡が視界を掠め、ブラッカーは刹那、現実に立ち帰るよりも早く反射的に身体を捻って飛び退る。
だが間に合わなかった。
横様に薙ぎ払われた〈サイコ〉の太い腕にブラッカーは弓のように押し曲げられ、力任せの凶暴さで叩き落された身体はなす術もなく灰色の月面に落下していった。
「ブラッカーッ!」
〈サイコ〉の頭上、反撃を抑えられる死角へ回り込むスターセイバーの動きを見越して、ビクトリーレオが急降下に入る。一気に解放された両翼のブーストから飛び散った熱が、すれ違い様にホークの半面を炙った。
呆然と、竦んだようにホークはそこに泰然とあり続ける白銀の巨躯を凝視する。飛び回るVスターの機影はあまりにも小さく、脆弱に思えた。スターセイバーがその半身とも頼むセイバーブレードを振るう度、〈サイコ〉の周囲には青白い光輝が閃いて難なく刀身を跳ね返す。自己防衛バリヤを瞬間的な攻撃に対して展開しているのだろう。しかし、戦闘に特化したトランスフォーマーと言えども、自己防衛機能として個体用のバリヤを発動できる者は少ない。元々、接近戦に適した肉体を持つトランスフォーマー同士の戦い方にバリヤは無意味であり、何より、使用するエネルギー量が膨大だからだ。単体でそんな能力を揮えば、あっと言う間に行動不能に陥ってしまう。
それを〈サイコ〉はほとんど意識せずに使っている。スターセイバーを―サイバトロン宇宙軍総司令官を軽くあしらう指先のごとく。
「ホークッ、ホーク下がれ!」
空虚な足元からビクトリーレオの叫びが上がった。地表に落ち切る寸でで受け止めたブラッカーを腕に抱えたまま、バーニアを噴かして急速転回した黄と黒の身体が一直線に上昇してくる。
ビクトリーレオの警告は理解できていた。ブラッカーを叩き落した〈サイコ〉の片腕がゆるゆると引き戻され月面に向けて真っ直ぐに突き出されると、滑らかな掌の表面にエネルギー光が集約し、一点が奇妙に青い球体を形作っていく。ホークの位置は弾道の線上にあった。
動かなければ。避けなければ確実に当たる。防御壁を破って基地を吹き飛ばすほどの光弾など、まともに浴びたら灰も残らず消し飛ぶ。記憶も、魂も―
ホークは〈サイコ〉の緋を流した双眼を覗き込んだ。
何もない。モニターの中に縮小された映像から感じられた以上のものは、何一つ。存在している己の意味すら、知ってはいないように。
しかし、〈サイコ〉のみが知っていることがある。それを聞き出す前に、自分が死ぬ訳には行かない。
「‥‥どこだ‥‥!」
不確かな中空を踏んで、ホークは〈サイコ〉の真正面に立ち塞がった。紅い眼窩にホークの姿が映り込む。
「フェニックスは、どこにいる‥‥?!」
〈サイコ〉の眼は鏡のように凪ぎ、ホークの問いに返るのは沈黙と、映し出された自身の苦痛に歪む顔だけだった。見えているのだろうか。それとも、見たものなど認識するまでもないのだろうか。
巨大な五指の中心で輝きが増す。Vスターと合体し、戦闘形態を取ったスターセイバーが何か叫んでいたが、恐怖心と共に実感から押し出された。
ホークは再び、探るように問うた。
「貴様が連れ去った私の仲間は、どこにいるッ」
〈サイコ〉の指先がぴくりと反応するのが見えた。動揺?いや、何かが琴線に触れたのだ。言葉か、それとも音の並びか、〈サイコ〉が一度は聞いたことのあるものに。
固く結ばれた〈サイコ〉の薄い唇が微かに、僅かな呼気を求めるように開く。
刹那、真空を揺るがす轟音が聴覚を襲った。
脇腹に実体弾を受けた〈サイコ〉の巨躯がぐらりと傾き、狙いを逸れて放たれたエネルギー弾が地平の彼方へ消えて行く。突然の衝撃に弾かれて身を縮めていたホークは、気付くと真後ろに飛び込んできた見知った相手の腕に抱き止められていた。
「無事か、ホーク?」
「‥‥フォートレス、閣下‥‥!」
「間に合って良かった―グランド!!」
振り上げた手の先に艦影が落ちた。四足の獣を思わせるマキシマス戦艦が滑るように頭上を過ぎり、立て続けに艦砲が赤火を噴く。二度、三度と被弾した〈サイコ〉の巨体が宙を転がるように跳ね飛ばされ、装甲に醜い跡が刻まれた。すかさずスターセイバーがその胸元に飛び掛り、引き出した電磁ワイヤーを掛けようとしたが、途端、それまでの鈍い動作を払拭するほどの俊敏な動きで〈サイコ〉の手がスターセイバーを薙ぎ払った。
不意を突かれて真横に叩き飛ばされたスターセイバーを顧みもせず、〈サイコ〉がゆらりと立ち上がる。その背後へ瞬間的に、あの黒い孔が出現した。どろりとした黒が白銀の巨躯を呑み込む。
「行くなッ!!」
ホークは叫んでフォートレスの腕を振り払おうとしたが、無様にもがいただけだった。
「行くな!フェニックスを‥‥ッ」
「ホーク、もういけないッ」
「フェニックスを―返してくれ、フェニックスを―!!」
私達の家族を。
白銀を呑みつくした暗黒が消え失せると、地球の青さは眩しすぎるほどの鮮明さで何事もなかったように色を添えたが、ホークはその姿に眼を奪われるより早く、己の内へ沈み込んだ。
―four milion years ago―
歌だ。誰かが歌っている。随分と調子っ外れだけれど、なんて楽しそうに歌うのだろう。
ああ、何だか温かいな‥‥とても。ここはこんなに暗くて寒いのに。
眼を開けて最初に見えたものは、自分を窮屈なポッドに閉じ込めている淡いグリーンのキャノピーだった。どうしてこんなものに入っていたのか、時間をかけて考えてみたがどうにも思い出せない。
ホークは一度、靄の底に隠れた記憶の中へ闇雲に手を突っ込むのを諦めて眠り、再び目覚めて、自身の鼻先にやはりポッドの蓋が壁のごとく立ちはだかっているのを確認すると、胸の上できちんと重ねられたままの両手を動かしてみた。
持ち上げると、命令通りには動く。しかし力は入るのだろうか。やや訝しみながらも蓋の表面に手を当て、ぐいと押し付けてみると、ポッドの駆動部が破壊の音を立てて拍子抜けするほど簡単に外れた。これで厄介な戒めからは解き放たれた訳だが、さて、とホークは首を捻る。
ここは一体どこだろう。そして私は―誰だった?
壊したポッドをためつすがめつ眺めてみたが、やはり何も思い出せない。得られる情報と言えば、いまこうして居る空間が窓もない狭い倉庫のような一室で、照明になりそうな設備一つ備わっていないという事。そして扉らしきものが壁ではなく天井の隅にある、という事ぐらいだ。とすると、ここは地下倉庫なのだろうか。
まあ、出てみればはっきりする。あまり良い展開は期待できないが。
両手で押し上げると、扉もあっさりと外側に浮き上がった。這い上がると案の定そこは更に大きい倉庫になっていて、固形エネルゴンの非常食や機器の修理機材が一緒くたに詰め込まれ、時折しか人の出入りがないのが明らかだった。
ホークはエネルゴンキューブを一つ失敬しようかと思ったが、とりあえずやめた。空腹ではあるが盗み食いはいただけない。それに食料が備蓄してあるということは、少なくとも誰かが近くにいるのだろう。
倉庫から通路に出ると、向かい合わせに同じような倉庫の扉があり、がらんとした細長い床が一方に伸びていた。通路の両側にいくつも扉はあるが静まり返っており、耳を澄ますと上部から単調な稼動音が伝わってくる。
なるほど、どうやらここ、つまりこの場所は貨物船か何からしい。だとしたらフロアに窓が無いことも、静か過ぎることも頷ける。それにしても―貨物?自分は貨物か?思い出せない。
真上のフロアは居住用の個室が並んでいたが、やはり驚くほど静かだった。だが新しい発見があった。ここの通路は一方が壁の回廊式で、窓が並んでいたのだ。覗き込むとすぐ下に着陸用の主脚と、金属板で舗装された宇宙港の地面が見えた。遠くにはドーム型の市街地が幾つかと、淡い翠の空に浮かぶオレンジ色の小さな太陽が見える。
何という星なのだろうか。それにいつから停泊しているのか。乗組員が見当たらないのは、羽を伸ばしにでも行っているからなのだろうか。
窓辺から離れて、ホークはもう一つに上のフロアへ出た。と、ここはフロアというより艦橋があるだけのようだ。外観から見ればおそらく、突出した腕部のようになっているに違いない。
足音を忍ばせる気もなく艦橋に入ると、ようやく人の姿を見つけることが出来た。全方位モニターに向かう中央の操縦席に腰掛けて、黒っぽい‥‥濃紺だろうか、落ち着いた色彩を纏ったトランスフォーマーの男性が一人、黙々と端末に指を走らせている。これからの航路でも打ち込んでいるのか、熱心なことだとホークは感心しつつシートの真後ろに歩み寄った。
「‥‥やあ、ご苦労様」
それまで滑らかに動いていた指先が、初めてミスタッチを犯して止まった。聞き慣れない声に驚いたに違いないが、肩越しに振り向いてホークを見上げた顔は冷静そのものだった。なんとはなし、見知らぬ相手が乗り込んでくることなど日常茶飯だとでも言いたそうな。そして諦めの調子を含んだ嘆息。
「‥‥どっちの馬鹿が、あんたにハッチの解除キーを教えた?」
ホークは、耳に心地いい低目の声音で問われ、軽く瞬いた。
ダイバーは、ホークのちょっと面食らった様子にたじろいで首を傾げる。どこかに寄港する度に女を連れ込むランダーと、現地の友達を作って連れ帰ってくるフェニックスと、てっきり今度もそのどちらかの「知り合い」に違いないと思ったのだが、どうも的外れだったらしい。
しかし、ハッチは勝手に出入りできないようにキーナンバーで閉じてあるはずだ。が‥‥。
「ああ、ええと‥‥君は誰だ?」
はっとして、ホークはまじまじとダイバーの顔を見、困ったように呟いた。
「いけない‥‥間違いだ」
「は?」
「人違いだったよ、すまない」
「人違い?人違いって、」
「いいんだ、自分で探すから気にしないで」
ダイバーは飛び上がるようにシートから腰を浮かすと、艦橋を出て行こうとするホークの前へ回り込んで両肩を押さえ込んだ。
「気にするさ!ここは俺達の艦だぞ、急に現れて勝手な事を言われても―」
勢い込んだ言葉の残りは、艦橋に走ってきた騒々しい足音が打ち消した。
「あれー、珍しい。お客が来てる」
真紅の色合いが溌剌とした少年の印象を強く与えるフェニックスは、わざとらしいほどの大声で言うと、飛ぶように軽やかな足取りでダイバーの元へやってきた。慌ててホークの肩から手を離し、ダイバーはばつが悪そうな笑みを作る。
「いや、あのな、お前かランダーの知り合いじゃないのか?」
フェニックスはホークを見返し、考え込むようにした後で大げさに首を振って否定した。
「知らないなぁ‥‥ランダーは女の子しか知り合いいないよね、多分。この人すっげぇハンサムだけど、男だろ?」
「そっちの線は消すか‥‥」
ホークはじっとフェニックスの顔を見つめていたが、フェニックスがもう一度見返すと、今度はにっこりと微笑んだ。
「―そうだ、君だ」
「‥‥俺?えーと‥‥」
秀麗な造作に真っ直ぐ微笑みかけられてフェニックスは狼狽したようだったが、ダイバーの顔をちらりと窺って、また目を戻した。
「どっかで、会った?」
「歌ってたのは君だろう?」
「え?歌?」
「君の歌を聞きながら、目が覚めたんだ。うん、確かに君の声だったよ」
「俺‥‥の、歌?えぇー、どっかで歌ったっけ?」
「憶えているよ。確か‥‥“逃げろ、逃げろ、振り向かずに逃げろ”‥‥」
急にフェニックスの瞳が大きく見開かれ、輝いた。うん、と頷いて、不思議そうな顔のダイバーを顧みる。
「歌った。昨日、下の貨物室掃除してる時。でも何で知ってんの?」
「だから、聞こえたんだよ。君の歌がね」
私を目覚めさせてくれたんだ、と告げると、フェニックスとダイバーは狐に摘まれた様なきょとんとした目で、ニコニコと嬉しそうに微笑むホークをしばらくの間、眺め続けていた。
―2029/7/5 10:02 California―
ベッドに横たわるホークの胸元までそっとシーツを引き上げてやると、ダイバーは友の閉じられた長い睫毛を指先で掠めて、手の甲を冷たい頬に軽く押し当てた。
月面基地が、フェニックスを連れ去ったデストロンの脱獄囚〈サイコ〉の攻撃を受けたという報に続いて、気を失ったホークが運び込まれてきた時は肝が冷えた。付き添ってきたグランドの話から幸い怪我の一つも負っていないと聞いて安心したものの、ホークは一向に目を覚まさないのである。
「余程ショックだったと見えるよ。目の前で、フェニックスの行方を知る手掛かりを取り逃がしたのだから」
グランドは言ってプリテンダースーツ姿のまま、律儀にドアの傍へ佇立した格好で申し訳なさそうにダイバーを見た。
マスター星から、何か特別な理由を帯びて地球へ赴いたフォートレス・ロードは、まずアセニア星へ寄ってグランドと、彼が必要とする数人の人員を揃えて同行させたのだという。
「おかげで、到着が少し遅れた。間一髪の所ではあったが」
「月面基地はかなりの被害なんだろう?」
「ああ、主要施設は大方。しかし、月面裏の第二基地は攻撃されなかったから、そちらに本部を移動させた。機能は大分落ちるが、実際の公務には支障ない」
「そうか。総司令官の身がご無事で何よりだった」
基地の有無よりサイバトロンが組織である以上、やはり現職の総司令官の存在が軍全体を左右する。大雑把この上ないが、とどのつまりスターセイバーが無事であれば基地や本部などなくても構わない訳だ。とは言いつつも、やはり今度のような直接攻撃が二度、三度ないとは限らない以上、本部はそれとして機能させておかねばなるまい。まして、前総司令官たるフォートレスまで出張っているとなれば。
ダイバーはホークの顔色にちらりと目をやってから、グランドに歩み寄って声を潜めた。
「フォートレス閣下は、一体どんな訳で地球へ?」
ふと、グランドの目に躊躇いが過ぎる。
「‥‥色々と、今度の件を気に掛けておられる。それで、ぜひ君達から話しを聞きたいと仰せだ」
「俺達から、どんな話しを?」
「私も詳しくは聞いていないんだ。ただ‥‥」
「ただ?」
「フェニックスのことを、お尋ねだ」
虚を突かれた返答にダイバーは一拍言葉を失って、足りない分を補うように片手を払って見せた。
「―どうして?フェニックスは被害者だぞ。あの〈サイコ〉とかいう脱獄囚が―まさか、フェニックスか俺達が通じてるとでもお疑いなのか?」
「そう言う意味じゃない。だからこそお尋ねなんだ、彼の事を」
「どんなことをッ?」
「全てだよ。彼の、全てだ」
グランドも言いながら、言い訳がましい己の言葉に呻いて首を振る。ダイバーは何もない壁に視線を迷わせて、それと納得するのが酷い屈辱でもあるように、呟いた。
「俺達が答えられるのは‥‥出会ってからの事しかない」
無意識に拳を作る五指の中に蘇ってきたのは、あの時、摑み損ねたフェニックスの年老いた父を押し潰していた、瓦礫と砂礫のざらついた感触だった。
―2029/7/6 4:43 Calcutta―
夜半に降り出した雨は、朝の祈りが始まる時間が近付いても相変わらずパタパタと庇に跳ねて、錆びた雨樋を伝い落ちていた。普段ならもう大分明るいはずなのに、礼拝室の木組みの跳ね上げ窓を押し上げて覗くと、空は一面どんよりと灰青色の雲に包まれて太陽を包み隠している。
「ひどい降り‥‥」
この季節は雨というよりスコールが多い土地柄だけに、こういう奇妙な天気はいい気分がしない。それなのに気温だけは変わりなく三十度以上あるのだから、少し立ち働いただけで体中がべったり汗まみれになってしまう。
それでも、見習い修道女として真白いサリー様式の衣服を身に着けていると、朝から晩まで休みなく続く奉仕や内職もまったく苦にならなかった。
早く一人前になって淡いブルーの―憧れの胴衣が着られるようになりたい。少女はいずれ来るその日の自分を想像してくすぐったそうに笑い、雨が吹き込まないようにしっかりと窓を閉め直すと、水汲み用の桶を天秤棒に担いで炊事場の戸口から外へ出た。
数メートル離れた井戸までは、信徒達が率先して作ってくれた雨除け付きの渡り廊下がある。以前は水を汲むのにスコールでびしょ濡れになったこともあったが、これのおかげで最近は爪先が濡れる程度で済む。
井戸は日干し煉瓦で四角く囲った、昔ながらの質素な作りだ。そこにも小さな屋根と鉄製の古い汲み上げポンプが取り付けられている。
水はこの一世紀近く枯れたことがなく、こんこんと湧き出す地下水を奇跡の一つだと言う者達もいる。もっとも中には、井戸など使わず最新式の水道設備を引けばいい、と多額の寄付をしたがる欧米の資産家もいるが、そんな時は決まって院長達がこう言い返すのだ。
―私達に与えてくださるものがあるのなら、どうか別の、病気で苦しんでいる人々や飢えを覚えている人々のために使ってください―
と。
それはずっとこの教会―そして死を迎えようとする人々に安息を分け与える為に作られた施設の、根底の理念なのだ。あの偉大な、二十世紀の聖母と讃えられた修道女の。
見習い修道女は桶を井戸の脇に置き、ポンプの取っ手に両手を掛けた。ぐいと力を込めて上下に動かすと、突き出した口からばしゃんと水が溢れ出る。
さて、何度往復すれば炊事場の水瓶が一杯になるだろう。それまでに雨が上がってくれればいいけれど、と恨めしく軒の端から雲間を見上げようとして、少女の手がポンプから滑った。
細かい雨粒が、赤土の泥の上にうつ伏せで倒れた人間の背で、踊るように跳ね回っていた。
剥き出しの上半身には、洗い流された赤黒い血の跡が僅かに確認できる。立派な筋肉は男性のそれで、肌の色は焼けているものの白人に違いない。投げ出されたような四肢は力なく泥土に塗れ、呼吸しているのかどうかすら怪しいほどに、ぴくりとも動こうとしなかった。
乱れた灰青色の髪‥‥今日の空を覆う雲の色。
少女は悲鳴を上げ、ポンプから水が溢れ出ていくのも構わず踵を返して駆け出した。
「―誰か‥‥ッ、誰か来て、早く!人が倒れてますッ!!助けてッ」
雨はその日一日中やまず、コルカタの街を濡らし続けた。
(第2巻に続く)
これで第1巻終了です。
第2巻へと続きますので、長丁場ですが
お付き合いくだされば幸いです。
なお、この小説はフィクションです。
登場する人物・団体・名称等は実在のものとは関係ありません。
●用語解説
【万魔殿】
惑星ジャールにあるデストロン宇宙軍本部に対する皮肉的な呼称。初めは本部そのものを指す語であったが、第一次大空位時代(地球暦で2050年代末)以降に歴代破壊大帝の居城が置かれるようになると、それを万魔殿と呼ぶようになる。
【〈ディープ・ブルー〉】
二十世紀末に開発された、スーパーコンピュータ制御によるチェス対局プログラム。2029年時点では次世代型に発展し、すでに人間は一勝も出来なくなっている。
【エリン船団】
セイバートロン星を離れた民間脱出船の一団。長い放浪生活を余儀なくされ、その後サイバトロンの保護を求めるが、帰還の途上にデストロンの強襲を受けて全滅し、『エリンの虐殺』として歴史に残った。スタースクリーム(マイ伝)はこのエリン船団の生き残り。
【Psi(サイ)】
一部のTFが持って生まれる超能力のことで、Psi保持者と呼ばれる。出生率が限りなく低いため希少な存在として扱われることがほとんどである。
【宇宙平和連合】
サイバトロンが超銀河団レベルで、デストロンの脅威を受けている文明星と同盟を結び、これを便宜的に宇宙平和維持同盟と呼称していたが、地球暦2020年に正式な条約を締結し、宇宙平和連合と称するようになった。
【〝振り返らずに〟】
「フェニックス」を意味する旧セイバートロン語。セイバートロン星出身者のほとんどは名に旧語の意味を持っているのが普通で、メタルホークは「天空の城」、ダイバーは「深き者」ランダーは「駆け抜ける」と言う意。
【プリテンダー】
TFの一種族であるが、あらゆる生命体にモーフィング可能な特殊能力ゆえに、奴隷制時代は観賞用として大量に輸出され、ほとんどが死亡した。ホークがクインテッサ星人の貨物輸出艦で眠っていたのも、この事実に関係がある。