世界各地に姿を現す脱獄囚〈サイコ〉とフェニックス。
救出に動くホーク達とは裏腹に、
サイバトロンは〈サイコ〉を殲滅の対象とする事に…
第1巻をご覧いただき、ありがとうございます!
『TITANIA』第2巻、始まります。
「どうやって生きたらいいの‥‥
一つの世界に何世紀もいて、絶えず思い出して。
あなた、どうして耐えていられるの?」
『錫の兵隊』
ジョーン・D・ヴィンジ
―1946/9/10 14:28 Darjeeling―
上流階級者達の避暑地として名高いダージリンへ向かう、トイ・トレインと呼ばれる蒸気機関車は、小さな車体をガタガタと揺らしながらヒマラヤの尾根沿いにぴたりと張り付く線路の上を慎重な動きで登っていく。窓に沿って向かい合わせの座席が並び、一両に二十人ほどが乗り合いできるように作られている車両の中はほとんど満席で、ダージリンでの休暇をあれやこれやと練る賑やかな声に満たされていた。自分の前の席だけがぽっかりと空いているのは、やはり、避暑に訪れようとする者達と一線を隔した修道女の質素な服装に身を包んでいるからなのだろう。
アグネスは、すり合わせていた掌の内にある自身のロザリオと、獣面の図案に似た紅いマークが浮き彫りされた銀貨ほどの薄いプレートから目を離し、窓外を覆うほどに近付き始めたカンチェンジュンガの真白い嶺を見やった。ヒマラヤ山脈の一端を成すこの高峰は、抜けるように蒼い空の下に白い壁となって立ちはだかっている。その絶景はまるで、アグネスが知る俗世と完全に隔絶された世界が確かにあることを、居丈高に知らしめているようだった。
ほんの二十日ほど前、カルカッタの街ではインドとパキスタンに分離独立することが決まったヒンドゥー教徒とイスラム教徒の衝突が起こり、暴徒と化した者達の殺戮と略奪が四日の間つづいたのである。
絶えることのない死体の山。
破壊し尽くされた街。
だが、この列車の中にあの悲惨な現状を体験した者がいるとは思えなかった。同じ国の民であるというのに。
と、そんな翳りを破るように、車両の後尾で滑りの悪い扉の軋みが上がり、頭を屈めながら車内に背の高い青年が入ってきた。
一斉に乗客が不審そうな、訝しげな視線を躊躇いがちに投げたのは、軍服を思わせるカーキ色の上下を着た青年の肌が良く日焼けしているとは言え、こんな場所に居ようとは思われない白人のそれを示していたからではない。たった今潜り抜けてきた扉の向こうが、最後尾客車にのみ付けられた僅かばかりの手摺とタラップで占められていることを知っていたからだ。
一体、この白人はどこから乗り込んでいたのだろう?尾根にしがみ付くだけでやっとの列車に、横から飛び乗れる訳もないだろうに?
乗客達の注視を浴びながらも本人は全く意に介した風もなく、革ブーツの踵を鳴らして一直線に短い通路を進むと、最初からそう決められていたような自然な態度でアグネスの空いた向かい席へ腰を下ろした。
アグネスは、見慣れた青灰色の髪と眸を真正面に認めて微笑んだ。
「来て下さったのね」
修道女の手に、かつて自分が渡したサイバトロンマーク入りのプレートが握られているのを見て、フェニックスも静かに微笑み返す。
「言っただろ?君が呼べばいつでも、どんな場所にでもすぐ飛んでいくって」
事実、フェニックスがその本来の飛行形態でヒマラヤ山脈まで飛行してきたであろうことを、アグネスも承知している。
「次の駅ででも、待って下さっているかと思ったものだから」
「どんな場所にでも、だよ」
言い聞かせるようなフェニックスの口調が子供じみた響きを帯びて、アグネスはまた微笑した。
「我儘を聞いて下さって、嬉しいわ。貴方はいつでもお優しいのね‥‥初めてお会いしたあの日から、ずっと」
「逆だよ。君の方がずっと優しい」
まあ、と母親が子を眺めるように眸を細め、アグネスはつと窓外の山脈に目をやった。精度の粗い分厚いガラスに、疲れ果てた自身の顔が映り込む。その隣に寄り添うように、フェニックスの精悍な横顔が映った。
フェニックスは膝で組み合わせた両手に視線を落としたまま、囁くように言った。
「苦しんでいるんだね、アグネス」
応えはない。だが、じっと黙ったままガタガタと座席に揺られているアグネスの強張った身体から、耐え難い苦悩が油のように染み出し、二人の間の僅かな隙間を埋め尽くしていた。
「でもカルカッタに残っていたら、君は自分の命を危険に晒すだけで終わったかもしれない」
ようやく短い息継ぎが上がり、ゆるゆるとアグネスが振り返った。顰められた柳眉の下に痛みを浮かべて。
「ええ、仰るとおりだわ‥‥私は無力で、何も出来ない。祈ることと手を差し伸べることしか‥‥でも、そんなものでも、求めている人々があそこには大勢いたはずです」
「人はね‥‥争うものだよ。たとえ争うに足る理由なんか見つからなくても。だから直面してしまえば、誰だって出来ることは限られる」
「それも解っています。今回の暴動鎮圧に貴方達が介入なさらなかったのが、いい証拠ですもの。それにこれは、この星に生まれた私達自身が拭わなければならない罪だわ。だからこそ、私は何かしたかったの」
無意味なことだったと言われても―そう呟いて、アグネスはまた黙った。
トイ・トレインの振動が沈黙のリズムを不正確に刻む。
白い尾根から照り返す日差しを頬に受けながら、先に口を開いたのはフェニックスだった。
「出会った日のこと、今でもはっきり思い出すんだ。君が俺を天使だと言った、あの時のこと」
「そう‥‥そうでしたわね。〝天使じゃないけど、君の願いならもう知ってる〟って。今もそう?私の願いがおわかりになる?」
「ああ、知ってる」
そっと躊躇いがちに伸びたフェニックスの手が、膝に揃えたアグネスの荒れた両手を押し包んだ。フェニックスの骨張った大きな掌はひんやりとし、それでも微かに温かく、それが地球人の目を偽るための人造の皮膚だとは、何度触れてもアグネスには信じ難かった。
フェニックスが本当に天使だったなら、どれほど良かったことだろう。神の言葉を伝えるだけの善でも悪でもない、民人の悲しみも喜びも意に介さない存在だったなら―何度となく繰り返されてきた問いがまた胸を潰す。
重ねられたフェニックスの掌は、溢れそうになる嗚咽を堪えるように震えていた。アグネスは片方の手を抜いて、今度は自分から宥めるようにその手を押し包む。
通路を挟んだ席に陣取っていた身なりのいい中老の夫婦が不審気にアグネスへ一瞥をくれ、小声で何か囁き交わした。修道女と白人青年の二人連れを、汚らわしい関係だとでも思ったのかもしれない。
誰一人、知っている人はいないのだ。歴史の陰を歩み続けてきた異星人が、血で血を洗う多くの過ちを繰り返す地球人の愚かさに、誰よりも激しく心を痛め続けてきたことを。今もこうして、カルカッタの大地に吸われた血の量だけ苦痛に苛まれているフェニックスの近くには、暴動の悲惨な現状すら過去の出来事になってしまった当事者たる国民がいるというのに、痛みは誰にも伝わりはしない。
アグネスは包んだ指に力を込めて、穏やかに自分を見つめるだけのフェニックスへ微笑み返した。
「私の願いを、貴方は知っている。そして貴方の望みを、私が知っています。私達は同じものを探しているのだわ‥‥いつも」
がたん、と車体が大きく傾ぎ、ブランコに興じた他愛ないスリル感を味わったように、離れた座席の若い女性達が歓声を上げる。フェニックスはほんのちょっと座席の肩を透かしてそちらを見、平和だな、と苦笑した。
アグネスはフェニックスの手を包んだまま、呟く。
「‥‥人と人が殺し合って、何が生まれるのかしら?憎み合って何が解決するのかしら?」
「アグネス―」
「前に話して下さったわね。貴方達の種族もずっと争い続けているって」
「そうだよ。そのせいで父さんも母さんも死んだ。だからこそ、君達が争い合って傷付くのは辛いんだ。俺達と同じ道を辿っても、残るものなんか空しさしかないんだから」
悼みに眉根を寄せる数瞬だけ口を閉ざし、フェニックスは遥かなヒマラヤの白い頂に視線をずらした。
「でも、歴史に干渉できない俺達のやれることは、警告と後手の救済だけで、それだって上手くいくのは数えるほどだった。俺達はいつも意図しない存在に見られ続けた。神の使徒だと崇める人達がいるかと思えば、時代や国が違うだけで悪魔や化け物だと迫害されたりした」
言葉は通じても、心は通じない。
国を同じにする者同士すら簡単に憎しみ合えるのなら、バベルの禍の故事のごとく、違う言語を持つ者達がそうならない訳はない。現実はただ残酷に酷薄に、フェニックスの想いを裏切ってきた。それでも、閉じられた惑星の上で営まれる数多の生命の紡ぎを、厭わしく切り捨てることは出来なかった。地球人の短い人生に詰まった輝きは、トランスフォーマーの果てしない生を越えてフェニックスを魅了して止まないのだ。一瞬、一時しか触れることが叶わないからこそ。
「俺達は愛してほしい訳じゃない。隣人として受け入れてほしいから、少しでも力になりたいんだ。たとえこれから出会う九十九人が俺を恐れて突き放すとしても、百人目の一人が必要としてくれるなら」
「‥‥貴方は、やっぱり優しいわ。そんな貴方達を傷付けてきた私達の蒙昧まで、許して下さるのですもの」
ねえ、と囁いたアグネスの声は、澄み切った風のようにフェニックスの頬を、聴覚を掠めた。
幼い頃、戦火に巻かれた故国にあっても決して爛漫さを失わなかった少女の面影をくっきりと留めて、己の使命を真綿のように染み込ませた修道女の面に慈愛と、変え難い決意とが刻まれる。
フェニックスには、アグネスが何を告げようとしているのかが解った。互いの望みが口にせずとも伝わった、あの時と同じに。
「私が、貴方の百人目になるわ―いつでも、誰が必要としなくても、私だけは貴方を必要とするわ。だからフェニックス‥‥どうか私達を見守っていて。見捨てずに、愛してちょうだい。この星の生命を、」
私がこの世から消えてしまった後も。
そこまで言い終らぬうちに、フェニックスの暖かな手がアグネスの手を力強く握り締め、穏やかな応えが取って代わる。
「‥‥約束するよ」
次の停車駅への到着を告げる甲高い汽笛が山々の峰に木霊して、俄かに車内の喧騒が増し始めた。
―2029/7/5 15:23 California―
額に触れる指のたどたどしさに目を開けると、見上げた白い天井には、まだ高い夏の陽光を反射した水面の像が窓から入り込み、キラキラと光の揺らぎを描いていた。
クーラーが利いているおかげか、室内は涼しい。すぐさま、体内の生命維持機能が勝手に室温、湿度、光度や雑音の一欠片までを判別し、ホーク自身の置かれた状態を解析して身の危険がないことを明示する。だが、疲弊しきった身体に残る不快感はやたらと頭をぼんやりさせた。地球人の言い方に直せば、のぼせている、ようなものだろうか。
横たえさせられたベッドの清潔なシーツを、感触で確かめようとまさぐる。と、その手が傍らからひょいと持ち上げられ、そっと胸元に戻された。
軽く顔を横に向けると、咎めるような色を茶色味がかった眸に湛えた秀太が、枕辺の椅子から身を乗り出すようにしてホークを覗き込む。
「具合、どう?俺ももう年なんだからさ、あんまり肝、冷やさせないでよ」
言って秀太は苦笑し、少年の頃のまま変わらない、兄に向けるような眼差しをホークに投げた。とは言え、二十四歳になった秀太の顔立ちはすっかり少年時代特有の柔らかな輪郭から精悍な青年のそれに変わり、身長もホークと代わり映えしない。地球人の中でも日本人は歳より若く見えるのが常だが、それでもホークと秀太の見た目は、端から見れば大差ないほどになってしまっている。あと十年もすれば、確実にホークの方が外見上は年下になってしまうだろう。何とも奇妙な事だが。
「俺より先に死ぬなんてのだけは、無しだからな?ホーク」
口調に僅かな抗議が混じる。マスターフォース戦争の発端時、宇宙工学博士の父を失った秀太にとって、後見人であるホークは本当の兄にも等しい。無鉄砲とは程遠いホークが冷静さを欠いて取った行動だからこそ、今度の事は意外でもあり、怖ろしくもあったのだろう。
「すまなかった‥‥心配させて」
「フェニックスのことは俺だって心配してるよ。でも、まともに敵とぶつかっちゃ、無謀すぎだ」
「その点は自分でも反省してる。ただ、フェニックスを取り戻せるかもと思った途端に、どうかなってしまって」
両手で顔を覆い、暗い瞼の裏にあの月面で焼き付いた景色を思い起こすと、ホークの全身は無意識に震えた。惨状だけではない。地球を背にして立ち塞がった、巨大で異質な存在。同族と呼ぶには禍々しすぎる、そして危険すぎる敵―〈サイコ〉の威容が身震いさせるのだ。
しかし、あれが『敵』なのか?そう呼び称すには、相手の側もこちらを『敵』と認識していなければ成立しない。だが〈サイコ〉にとってホーク達など―他のあらゆるトランスフォーマーなど―敵愾心を向ける存在ではないのではないか。月面基地を攻撃してきたのも単に、邪魔になりそうだと判断したから‥‥ではないのか。爪先を出した先に小石があるか岩があるかという違いで、行動が変わってくるように。
よく無傷で戻れたものだ。そう思い至った途端に、ビクトリーレオやフォートレスの姿が蘇った。
慌ててシーツを跳ね除け、飛び起きる。
「ここまで、誰が私をッ?ビクトリーレオは、総司令官はご無事なのかッ?!」
弾みで床にずり落ちた掛布を取り上げながら、秀太は起き出そうとするホークを押し留めた。
「グランドが運んできてくれたんだよ。今、システムルームでダイバーやジンライと話してる。月基地の被害は壊滅的な程じゃないって話だし、スターセイバー総司令官は無事だそうだ」
「そう‥‥そうか。しかしブラッカーが‥‥」
呟きに、秀太の眉根が寄る。
「ああ、彼は怪我をしたらしいね。V惑星から専門の医療チームが来たと言ってた」
「酷いのか?」
「そこまでは教えられてない。今の俺は一般人扱いだしね。まあ、俺が不満ぶつける前にミネルバが散々捲し立てちゃったから、聞き出しにくかったってのもあるけど」
ホークは驚いて少しだけ目を見開いた。その様子に秀太は肩を竦めてみせる。
「言い訳させてもらえば、ミネルバには来るなって言ったんだよ。つっても、あの性格だからさ。何かしてないと治まんないんだよ」
「今は?」
「キッチンでポトフ作ってる。好きだろ?」
「‥‥ありがたい。先にシャワーを浴びられれば、もっとありがたいんだが」
遠回しの提案に秀太はやれやれと呆れ返って、仕方なく首を縦にする。寝ていろと言って素直に聞く相手なら、わざわざ枕元に張り付いていたりはしないのだが。
「着替え持ってくるよ。それまでは寝ててくれ」
とにかくも、その点だけは言い訳が立つよう厳命して、秀太はホークがベッドの中から頷き返すのを見届けるとようやく部屋を出て行った。
ホークは目を閉じ、耳をそばだてる。だが一つ一つの雑音を聴覚から排除しても、どこかにいるだろうグランドの声を拾うことは出来ず、深い溜息を吐いた。
モニター越しのどこか薄っぺらいフォートレスの表情に、苦悶以外の希望的要素を見出すのは難しい。ダイバーは小さく呼気を吐き、と、見咎められはしなかったろうかと画面の中をうかがった。
幸い、誰の表情も一様に冴えないままだ。フォートレス然り、彼の左横に顔を連ねているスターセイバー然り、そして右側で、先刻から何か次元の違うことばかりに頭を巡らせているような、思案顔のパーセプター然り。
このサイバトロンきっての生体科学者のことは、ダイバーも顔くらいは承知していた。瀕死のゴッドジンライをビクトリーレオに見事転生させた医療技術も卓越しているが、かつては宇宙軍総司令官コンボイ、またロディマスコンボイの主治医兼、専任科学技術者として幾度も功績をあげている人物だ。現在では惑星アセニアに研究室を持ち、軍医療部の実権を与えられている重鎮の一人でもある。
だが、フォートレスに伴われて太陽系までやってきたパーセプターの存在は、あまりにも事態の深刻さにそぐわないように思えた。
何の意図があって、この場に同席させる必要があるのだろう。
勘繰るまいと思っても、つい訝しく曇るダイバーの眉根に、脇に立ったグランドが不安げな視線を投げる。立場上、権利がないとは言え特別に入室を許されたジンライは、閉じた扉近くの壁に背を預けて、緊張した空気が再び動き出すのを沈黙のまま見守っていた。
「―先程の、ご質問の意味を図りかねるのですが‥‥フォートレス閣下」
ようやく引っ張り出されたダイバーの応えは、その言葉どおりに収まりの悪い困惑を滲ませた。
二、三の質問事項がフォートレスからあるようだとグランドに促されて、通信越しの接見に臨んだダイバーだったが、現総司令官スターセイバーとパーセプターを控えさせたフォートレスが最初に発した問いは、ダイバーのみならずジンライも、この場をセッティングしたグランドをも当惑させるものだったのである。
ダイバーは探るようにもう一度、その言葉を繰り返した。
「‥‥フェニックスの二親に面識があるか‥‥と言うのは」
『額面どおりに受け取って欲しい。彼の二親に面識はあるだろうか?君に限らず、君達の中に』
「そのご質問が、今回の件に関わりあるとは到底思えませんが」
返した声音に険が籠もっていたらしい。フォートレスは寸の間、考え込む様子を見せてから問いを変えた。
『二親の話しを、彼から詳しく聞いたことはあるかね?』
語彙を駆使しても、本質は何ら変わらないではないか。喘ぐように唇を押し上げ、しかしまた噤んでダイバーは画面を凝視する。フォートレスに躊躇う様子がない以上、返答を先延ばしにすることは不可能らしかった。
「‥‥顔を見たのは俺―私だけです。偶然、死に際に行き合ってフェニックスを預かることになったので。その時は名前も知らない相手でしたが」
父母の死を受け入れられず喚き立てるフェニックスを気絶させ、ほとんど拉致同然にセイバートロン星から連れ出したのはダイバーとランダーだった。目が覚めて、そこが母星から遠く離れた宇宙空間の真ん中だと知った時のフェニックスの狂乱ぶりは、今思い出しても胸を重く塞ぐ。両親の―亡くなった彼らの名や思い出をその口から聞いたのは、それからかなり後だった。
「父親はバルサー。母親はルシータと言う名で、養父母だと聞きましたが、それ以上のことは存じません。ごく普通の平凡な家族だったと言うだけでしたし」
当時のセイバートロン星では、家族と言えば養父母と養子の関係で成り立っているのが普通だ。奴隷制時代を耐え抜いた者はほとんどが生まれながらに成人型で、生殖機能など与えられてはいなかったから、幼生型を内戦地区などで保護すると実子として手元に置き、養育する者が多かったのである。大抵の場合、そういった過程を経て出来上がった「家族」は暗黙のうちに「真の血族関係」と認められていた。フェニックス自身がどこでバルサーとルシータに出会い、引き取られたのかは、問題にすべきことでも聞き知ることでもない。
むしろ、こんなにも時が経ってからそれを他者から問われたことの方が、ダイバーには奇妙に思われた。
「確か、父親は技術者だったはずです。どこかで‥‥そんな話を」
『そうか‥‥技術者か』
短い嘆息。フォートレスの口調には落胆ではない、一種の感慨が覗いていた。
「フェニックス自身は、プロトコルで情報言語を学んでいました。素人の私から見ても、ブレインサーキットでのシナプス変換走査の処理能力は飛び抜けていると思います。ただ、あまり自分では活用していませんが」
『それは欲が無いな。君達の育て方が良かったと見える』
情報処理のエキスパートを自認している騎士であれば、大抵は軍上層機関での勤務に志願したがる。前線配備の騎士と違って後方勤務が主でありながら、今や、肉体を酷使するだけの実戦に比べて格段に増えつつある情報戦―サイバーネット戦への対処と防衛が職務であるその役職は、一部の支部においては実戦騎士部隊よりも上位の権限を持ち、一個大隊にも匹敵する能力と評価されることがしばしばだった。事によると、直属指揮官を凌ぐ発言力を持つ者すらいる。フォートレスの言を借りれば、フェニックスの能力が本物なら地球での生活を甘んじて続けている事が『欲がない』という事になる。
しかし、それは何も育て方うんぬんとは関係が無い。フェニックスがデストロンの非道な行為に嫌悪を抱いているのは本当だが、サイバトロンの傘下にいるのは安定した身の保証を得るためだ。セイバートロン星から身一つで脱出した者にとって、サイバトロンの存在は始め、その大義に寄る以上の価値があったのである。ダイバーにしても今はサイバトロンの騎士としての誇りがあるが、最初は確かにそうだった。
「閣下がご不審を覚えられるような背景は、万に一つも無いと申し上げられます」
『私が彼の造反を疑っていると、思っているのだね』
「そのようにしか受け取れませんが」
『だとしたら、私の言葉が至らなかった。そういう意図で君に質問しているのではないんだよ。彼が〈サイコ〉の俘虜になっていることは間違いないだろう。残念ながら』
「では質問の意味だけでも、」
食って掛かるようなダイバーの声を制して、フォートレスは穏やかに首を横にした。
『今日はここまでにしよう。君には不審ばかりを与えてしまうが、どうか、私のしていることもまた、彼を救い出すために必要な手順だと信じてもらいたい』
『―閣下、もう一つだけ』
ダイバーの疑問を泥のように残したまま無情に切れるかと思われた通信の最後で、不意に片手が差し上げられた。それまで交わされた会話に無関心な様子を見せていたパーセプターが、発言を求める子供のような真剣さでフォートレスの横顔を見つめ、手を上げた格好のまま、律儀に許可が得られるのを待っている。
フォートレスが頷いて促すと、パーセプターは画面越しにダイバーをじっと見据え、意味の解らない事を真顔で問うた。
『〝二人の苗床〟を知っているかね?』
ダイバーは数度瞬いて、パーセプターの真面目腐った顔から質問の意図を読み取ろうとした。だが、何一つ思い浮かばない。聴覚に残った音節は、言葉以上の情報をもたらしてはくれなかった。
「‥‥いえ、知りません。見たことも‥‥」
『ああ、なるほど。それならいいんだ』
答え終わる前に、パーセプターは一人決めに納得して遮ると、そうか、つまりは‥‥などとぶつぶつ小声で呟くばかりで、また周囲の一切を手放しにした。これが演技でもなく根っからの性格だとしたら、また随分と変わった人間だと言うことだけは理解できた。それとも、このくらい変わっていた方が宇宙軍の上層機関では『まとも』に扱われるものなのだろうか。
パーセプターの気が早々に逸れてしまったのを確認したフォートレスは謝罪に近い苦笑を覗かせて、発言をスターセイバーに委ねた。控え目に、フォートレスよりは張りのあるスターセイバーの声が流れ出る。
『ではまた、時を改めて話しを聞くこともあると思います。こちらとの連絡役はグランド殿に一任してあるので、そのように―ホークが目を覚ましたら、ぜひ知らせてください。ビクトリーレオも心配しているので』
と、スターセイバーの視線が恐縮そうにジンライの面を掠めて行く。ジンライが追って見返すと、総司令官は、地球人の面差しから如実に受け継がれたビクトリーレオの頑とした気質を見出したように、目元を和ませて繋いだ。
『どうか、気を落とされずに。我々もこれまで以上に探索の手を増やして、必ず敵の痕跡を発見します』
力強いスターセイバーの言葉を残して通信は終わった。
ダイバーは深い呼気と一緒に、長くもないはずの時間のうちに圧し掛かった冷たい空気を追い払う。凝り固まった首筋に手をやると汗を掻いたようにじっとりと湿って、不快感だけを増大させた。トランスフォーマーに冷や汗などある訳はなく、多分に利き過ぎたクーラーのせいだと思われたが、そう理解しても気分が晴れる訳ではない。
「気の重い役を押し付けてしまったな。ダイバー」
「ランダーに代わってもらってもよかったが、それじゃあ今頃、皮肉と悪態の押し売りで取り返しのつかない事態になってたかもな」
だから詫びるには当たらない、と言いたげな切り返しをうけて、グランドは肩を竦めた。
「私は月基地へ一旦戻るが、こちらの意向は最大限伝えるよ。向こうの動きも、君達へは漏らさず伝える」
「ああ、頼む。板挟みにならない程度に」
「それにしても‥‥」
ふと漏れたジンライの訝しげな呟きにダイバーとグランドが目をやると、すっかり司令官としての顔つきに戻ったジンライの形の良い眉根が、不安とは違う何かに怯えるように曇った。
「何も判らないのに‥‥何を聞き出したかったんだ?」
―four million years ago―
瞬きよりも速く展開するいくつものウィンドウを事も無げに目で追いながら、フェニックスとホークはああだこうだと小難しい単語ばかりが飛び交う楽しげな会話に興じていた。つい先ほどまでトランスフォーマーの身体構造がどうだとか言っていたと思ったら、いつの間にかプログラムを走らせるための情報言語の応用性、などという話題に変わっている。どこまで理解して話し合っているのかは知らないが―多分、彼らにとっては大層、実のある話しなのだろうが、端で聞き齧るだけのランダーにとっては、盛り上がりのない説教を聞かされているようで、まともに取り合うのも馬鹿らしかった。
ホークがなし崩し的に仲間に加わってからと言うもの、フェニックスは活動時間の大半をこの新しい友人と過ごしている。
「話しの合う奴が増えてくれて良かったな。俺達じゃ、フェニックスの専門用語にはお手上げだから」
などと、ダイバーは当然のように喜ぶ。それは事実なのだが。
一度、補給を終えて宇宙に出れば、長い時など数ヶ月も次の星系に辿り着かないこともあるのだし、その間、半ば見飽きた顔ぶれで過ごすことを考えれば、仲間が多いのはそれだけ生活パターンの変化を生む。三人よりは四人の方が、やはり何かと助かるのだ。艦橋でのシフトも楽になるし、分担している仕事量も確実に減る分、自由に使える時間が増える。
ダイバーは、全方位パネルを埋める
食事と睡眠の時間以外、普段ならぶらぶらと艦内を歩き回っていることの多いランダーが、この数日はどうした風の吹き回しか、艦橋によく顔を出す。特に何を手伝おうと言う訳ではないのだが、その意識が度々、フェニックスとホークへ向けられているのをダイバーは知っていた。
「‥‥何があんなに楽しいんだろうなぁ。あいつ等」
ぼそりと零れた言葉には、仲間外れにあっている子供のような不満が見え隠れする。
「珍しいな」
ダイバーが応じると、ランダーは肩をそびやかした。
「珍しいって、何が?」
「拗ねてるんだろう?」
「はぁ?」
「くだらない口喧嘩のできる相手を取られて」
ランダーは一度ばかり、怒鳴り返すように口を大きく広げたが、出かかった声を寸でに飲み込んで、ぷいと顔を背けた。図星を指されて負けを認めたのか、喧嘩を仕掛けても無駄だと悟ったのか。多分に後者だろう。
ダイバーは必死に笑いを堪えた。
フェニックスにとってランダーは、反りの合わない相手だった。初対面の状況が最悪だっただけでなく、父母の遺骸があるセイバートロン星へ戻ると言って暴れたフェニックスを力ずくの方法で黙らせ、現実の非情さを叩き付けて絶望させた。それは嫌われ役を一身に負うためのランダーなりの最善の策だったのだが、当時、そこまで考えの至らなかったフェニックスはランダーを恐れ、憎んだ。
時間が経ち、冷静になって、ランダーの少々捻くれた気質を理解したフェニックスはその後、対等の仲間として接するようになったが、ダイバーの見るところ、それは敬意を持った仲間関係と言うよりは『同レベルの喧嘩友達』に他ならなかった。時にはどちらが年上なのかと思われるような、程度の低い応酬すら繰り広げられ、ダイバーは一度ならず喧嘩両成敗の決断を下す羽目に陥ったものである。
ホークが現れて、フェニックスの興味が彼との高尚な―ランダー曰くだが―会話へ移ってしまうと、閉鎖空間にいる間のランダーは何につけても暇を持て余すことになってしまったのだ。拗ねて、と言われるのは甚だ心外かもしれないが、ダイバーに言わせればそういうことだ。ましてホークは、コールドスリープの輸出用ポッドに付けられていた〝メタルホーク〟と言う個体識別名以外、何も判らないまま四人目に加わってしまったから、元来ひねくれたものの見方が染み付いているランダーには、少なからず面白くない部分があるに違いない。
そっぽを向いたまま、ランダーは顎をしゃくった。
「ホークは確かに役に立つ奴だよ。頭も性格も良いし、フェニックスは懐いてるし、非の打ち所のない、ってああいう奴を言うんだろうな。俺とは正反対。お前はきっとまた、何も詮索しないで仲間にすると思ってたよ」
「人を見る目はある方だからな、俺は」
ランダーは口端だけで笑みを見せ、その言い分を肯定した。
「―ランダー」
顔を向けると、まだ慣れない調子の呼びかけと共に、いつの間にかホークが二人のすぐ後ろに立っていた。
「フェニックスがゲームをしたいようなんだけど、相手を頼めるかい?どうも私は、あの手の遊びは不得意で」
と、新しい仲間が遠慮がちに示す先には、バーチャルゲームの端末を装着したフェニックスの姿がある。
「俺は何の要員だよ‥‥ったく」
悪態をつきつつもランダーが離れると、ダイバーは入れ代わりにホークへ席を勧めてやった。ホークは丁寧に礼を言い、腰掛ける。その態度にはやはり、まだまだ他人行儀な心遣いが覗いていた。
「フェニックスの面倒を頼みっぱなしで済まないな、ホーク。疲れた時は遠慮しないで休んでくれよ」
「君の方こそ、私が目にする時はいつも何かしら働いているじゃないか。それにフェニックスと話すのは楽しいよ。彼は色々と勉強していて理解力も高いね。とても頭のいい子だ」
「君だって、俺達からすれば相当頭がいいよ」
言うと、ホークは謙遜ではない自嘲気味の微笑を浮かべて首を振った。
「私の知識は、自分の知らない間にどこかで詰め込まれたものだよ。フェニックスの持っている閃きや喜びとは無縁の『情報』の塊だ―君は、」
と数十秒も躊躇いに口を噤んでから、ホークは問うた。
「私が何者か、気にならないのか?たまたま乗っていた艦に放置されていた単なる荷物の私を、なぜ放り出そうと思わない?」
「放り出してもらいたかったのか?」
「いや、そうじゃないが」
「じゃあ、今の状態が真っ当ってことだ」
ホークの顔を真正面から覗き込むように上体を傾けて、ダイバーは頷いた。
「フェニックスにも言ってあることだが、俺達が嫌になったら出て行って構わない。でも俺はたとえ偶然でも、出会って縁が出来た者同士は、互いの人生に必要な存在だから巡り合ったんだと思ってる。俺にとっては最初がランダー、次がフェニックス、最後が君だ。たとえいつか何かが起こって離れ離れになっても、俺達を繋ぐこの絆は絶対に変わらない。大切なのは今と、この先で、過去じゃない。現実に俺達はここに居て、もう繋がっているんだから、君が負い目を感じる理由はどこにもないはずだ」
「‥‥不思議な男だな、君は」
「そうか?」
「ランダーとフェニックスが、君を心から信頼する訳がわかるよ。全てが慈しみの元に受け入れられると気付くことほど、安堵させられる瞬間はないものだ」
「そこまで難しく考えたことはないんだが」
面映そうにダイバーが顎を掻きながら答えると、
「でも、そういうことだよ」
ホークは嬉しそうに声を立てて笑った。
《続く》
*引用書*
ジョーン・D・ヴィンジ/錫の兵隊(Tin Soldier)
浅羽莢子・岡部宏之訳『琥珀のひとみ』創元SF文庫収録/東京創元社・1983年