ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜 作:メルヴェイユ市民
———日に照らされた、黒焦げの地面の上に、その巨体は横たわっていた。
息遣いもなく、恐ろしさも絶対的な存在感もない。瞳を閉じた竜はもう、飛び立つことはないだろう。
生きてる…私、生きてる…!
「やった…やった、やったっ…やったぁっ…」
「終わった、のか…ようやく…」
「…うん。ティティ、エド。おめでとう!フィリ…フィリスさんもありがとう!」「——キミも、頑張ったね。ゆっくりおやすみ」
「ひゃーー…、強かったぁ。みんな、お疲れ様!ケガはどう?みんな歩けそう?」
「あ、フィリスさん…はい。私は大丈夫です」
ダメージは威圧で吹き飛ばされた分くらいで、打ちどころが良かったのか特に支障はない程度でしかない。
むしろ、ケガと言えばエドが心配だ。途中、1人で竜の攻撃を引き受けていた上に最後は炎に飛び込んでいた。
「エドはどう?火傷とか…」
「歩けないってことはないが…体のあちこちがヒリヒリ痛い。…あと、右腕がちょっとまずいかも」
「右腕が?…うわっ」
エドは左手で武器を持つため、戦闘中に空いている手は右手になる。炎を吐く前の竜の口に飛び込んだ時も右手で顔を庇って突撃していたようで、右腕は耐火性もある丈夫なコートが完全に焼け落ちて、腕も真っ赤に腫れ上がっていた。
「早く冷やさないと!ええと、そこの橋の下の川で…!」
「待ってティティ、火傷くらいならわたしが治せるから」
パールはそう言うと、初めて会った時のように謎の方法でエドを治療してくれた。金色の光が前よりも多くエドの腕から溢れ出て宙に消えていく。
見る見るうちに腕の腫れが引き、すっかりエドの腕は元どおりに…いや、なんか元よりスベスベしててツヤがあるような。もしやパールの治療には美容効果が?いや、それとも皮膚を再生したから新しくダメージのない肌になった…あるいは…。
「…まさか元々エドの方が肌に気を遣って…」
「ティ、ティトラ?そんなじっくり見られると気になるんだが…」
えー…乙女としてはちょっと気になる現象なんだけどなー。
「…んー…?」
「うん?フィリスさん、どうかしましたか?」
「パールちゃん、話し方が最初と違うなーって」
「「あっ」」
「それに、どっかで聞いたことあるような…?」
エドと私の声が重なる。
そうだ注意するの忘れてた!パール、口調変えないといけないって言ってたのに!
「え、えーと、それはですね…パールはその…」
「お、おい。そもそもパールは何でごまかそうとしてたんだよ。それが分かんないと何も言い訳できないぞ」
「私も分かんないの!」
「えェ!?」
でもいつも飄々としてたパールが焦ってたし…きっと隠した方が良いはず!ええい、唸れ私の脳…!
「あぁ、ごめんね2人とも。もう誤魔化さなくて大丈夫だよ」
「はれ…?いいの?」
今言い訳構築の進捗0%だから多分誤魔化せって言われても無理だけど。
戸惑う私とエドを背に、治療を終えたパールがフィリスに近づいていく。
「—————」
「——?——!?————」
「なんだ?何か話してるみたいだけど何も聞こえないぞ?」
「あ、フードとった…なんかフィリスさんが尋常じゃないくらい驚いてる」
声が聞こえないのはパールが魔法で何かしたんだろう。
けど、フィリスさんはどうしてあんな反応なんだろ。パールはフィリスさんのことを知っているような口ぶりだったけど…。
「————!」「——♪」
わ、すっごい笑顔でハグしてる。
…自分の友達が知らない誰かと仲良くしてるとこう、不安というか…ジェラシーというか…もやもやする!
「もしかして、フィリスさんはパールのことを
「…そうかもね。それで、多分『秘密』についても知ってるんだと思うよ」
「なるほどなぁ。それで音を遮ったってことか…っと、終わったみたいだぜ」
いいもん、帰ったらうんと美味しいケーキであれより笑顔にしてやるんだから。見てなさいよ!
謎の対抗心に燃えている私に向かって、パールが私にフワッとした無重力ジャンプで飛びついてくる。
「わっ…とと、もう!危ないでしょ!」
「ふふ、お待たせー♪…ごめんね。今聞かせちゃうと…」
分かってるよ。
「あの課題が意味なくなっちゃう、でしょ?」
「うん。…でも、なんだか除け者にしてるみたいで…嫌だったよね」
わたしが言い出したことなんだけどね、とパールが苦笑いする。
ううん…実際もやもやしてたから否定できない…。
「まあ、寂しくないと言うと嘘になるけど…でも、パールにとって大事なことなんだよね?その『秘密』と『課題』は」
「うん。ティティは…フィリスやティアナとは順序が逆になっちゃったから。…わたしも本当はもっと色んなことティティとお話したいんだよ。本当に!」
順序って一体どういう…いやいやダメ、考えない考えない…!
よし、一旦全部リセットしよう。心頭滅却心頭滅却、火もまた涼し。
「あ、あれ。ティティ?どうしたのそんな、目を瞑って頭を振って…」
「ちょっとタンマ、今雑念を振り払ってるところだから」
「なんか唐突に悟りを開こうとしてる!?」
頭を空っぽに、何も考えずひたむきに…。0、1、1、2、3、5、8、13、21…。階差は2分の1足す6の平方根で…。光の色は赤青黄色…違う、これはチューリップ…。うにのトゲの数は…星の数え方は…宇宙の広さは…。
…はっ、私は何を。
「あ、戻ってきた」
「ティトラ、なんか色々違うぞ…」
「へ?」
「あはは…それじゃ、ドラゴンを解体しちゃおうか。竜の素材は色々と便利だし、それにお肉も…余す所なく素材にしちゃうよ!」
解体用と思われる刃物や梃子などの工具を取り出したフィリスさんが、手際良くドラゴンの身体を解体していく。
「あ、ティトラ。スケッチしなくて良かったのか?」
「ああ、大丈夫。もうしっかり目に焼き付けたから」
時に描くべき景色は一瞬の光景の中にある。風景画家の娘として、あれだけ強く印象に残る戦いの光景を絵に写せないなんてことは有り得ない。
これを描く、と意識して目にした風景を、私は鮮明に記憶することができる。
「ただ、記憶が新鮮なうちにある程度形にしておきたいから…エド、悪いんだけど」
「いいさ。じゃ、フィリスさんのこと手伝ってくる」
「うん、ありがと」
お父さんが拵えてくれた色鉛筆ホルダーに数本の色鉛筆を選んで挿し、お手製のスケッチブックを構える。色鉛筆で色分けをしながら、素早く輪郭を描いて下書きを作っていく。
何よりも強烈な記憶は、やはり最後のあの一瞬…翼を失って尚こちらを睨みつけ、炎の吐息を顎に湛えたあの畏怖すべき姿だ。
「……」
少しずつ感覚が研ぎ澄まされる。
未だ燃え続ける倒木の音。焦げた土と血の匂い。気温差が生み出す風の感触。大沼林の青々しさを叩き潰し塗り替えた、竜の戦場跡。
「…っふぅ……」
最強種としてのプライドだろうか。絶体絶命の状況で、逃げるでももがくでもなく咆哮を轟かせた竜の縦長の瞳は、間違いなく私を見据えていた。
…瞳。これこそ、この絵の核だろう。
その視線に射抜かれた私にしか、この絵を描くことは出来ない。
「違う…この色じゃない。琥珀より輝いた…黄金より厳かな…」
…捕食者の…?
「違う」
闘争者の?
「違う、あれは…」
王者の、色…!
腰に差した筒から、次々に色鉛筆を持ち替えて描く。用いる色は、パレットに見立てた限られた数の色。組み合わせ、塗り合わせ、記憶に擦り合わせ…誇張し、或いは矮小化し、竜の瞳に覇気を与える。
「…ん?」
「どうしました?フィリスさん」
「エドくん、ティトラちゃんは…絵を描いてるの?」
「ああ、そうですよ。彼女は画家でもあるので」
「錬金術士で、画家かあ」
「本人はまだ卵だとか見習いだとか言いますけど、腕前は確実に並じゃありません。俺は絵には詳しくないけど、ティトラの絵にはいつも心を揺さぶられる」
(そんなにすごい絵描きなんだ…教えて貰えないかなあ)
とりあえずは…これでいい、かな。
「すぅ…っ…ふうっ…良い絵になる予感!」
「あ、描き終わったみたいですね」
「エド!ありがとうね、私の代わりに解体手伝ってくれて」
「礼はもうさっき言っただろ?」
「何度だって良いじゃない。そのおかげで私は描けるんだから」
「分かったよ、どういたしまして」
そして、フィリスさんにも礼を言おうとした時、先んじてフィリスさんが口を開いた。
「ねえねえ、ティトラちゃん。その絵、見ても良いかな…?」
「え、あ、はい!良いですよ。まだ下書きなのでちょっと分かりにくいですけど」
領域ごとに色は作ってあるけど、まだ線だけの絵みたいな状態だ。ほとんど同じ光景を見ているから、それで補ってもらえるかなあ?
「これです」
「っ……す、すごい…」
視界の端で、何故かエドが得意げにしている。あなたが褒められた訳じゃないでしょ。もう。
「こんな…グサーって、ぐわあって感じの目で睨まれてたんだ」
「そうですね、私にはそう見えました。この絵の、一番重要な部分です」
「うわあ〜…」
食い入るように絵を見られると、やっぱりちょっと恥ずかしい。まだ完成していないからね。
「フィリス、フィリス!先にこの森を出ようよ。激しい戦いだったし、まだ早いけど野宿の準備をした方がいいんじゃない?」
「はっ…ぁはは、見入っちゃった…うん、そうしようか」
「じゃあ出発しましょう。ティトラ、ほらリュック。画材しまって行くぞ」
「はーい」
森の入り口まで4人で戻ってきた。
「橋を渡って大沼林から離れて野営をした方がいいだろうな」
「ドラゴンのものとはいえ、強烈な血の匂いが付いているからね…夜襲が怖いなあ」
橋を歩きながらリュックのテント類を確認する。
「ふっふっふ…!ご安心なされよ皆の衆ー!面倒なテントを張る必要はないよ?」
「…えっ?どうしたんですか…?テントが無いと眠れないですよ?」
「ああ、まあ、夜襲を警戒するなら眠ってる場合じゃない、か?」
「違うよ!?夜はちゃんと寝ないと大きくなれないから寝ようよ!?」
まさか野晒しで寝るつもりなの!?
「気は確かですかフィリスさん!?」
「酷いっ!?全くもう!これを見て驚くが良い!とりゃあ!」
妙な口調のままフィリスさんが威勢よく懐から取り出したのは、小さな建物の模型のようなものだった。
「そしてぇ〜…えぇい!」
「ああっ!投げた!」
投げられた模型はボフンっ!という音ともに煙で覆われ…。
煙が晴れるとそこには、何と小さな丸い小屋のような建物が現れていた。
「へっ?」
「直前までは何も無かった草原の土の上に突如としてテントが…どうなってるんだ?これも錬金術士の力、なのか?」
「ふふん!その通り!これも錬金術の力です!でも、驚くにはまだ早いからね?ほらほら、入って入って」
「わ、わ、わ、ちょっ、わあ!」
背中をグイグイと押されて入り口の扉を開くと…。
「えっ!?…あれっ!?」
「どう?どう!?私のアトリエすごいでしょ!!これもぜーんぶ、錬金術で出来ることなんだよ!」
「なんだこれ…まるで、広さが違うじゃないか!?」
フィリスさんの
手のひらサイズの模型を放り投げると展開され、半径2〜3m程度の円筒に近い形をした小さな小屋が出現。内部の空間は
手前の部屋の右奥には錬金釜や棚、机がある。こちらがアトリエとしての主要部分らしい。左奥にはパーティションで仕切られたベッドスペースがあり、左手前…アトリエに入ってすぐ左には地球儀とフラスコ群が特徴的な学習スペースがある。反対の右側手前はソファが二つとテーブルが並べられており、応接間と居間を兼ねているらしい。
奥の2部屋はまた別の生活空間があるようで、どうにもフィリスさん以外の人の生活の気配が感じられる。ベッドも複数あるし、机もある。真ん中の部屋にはキッチンもあるようだ。
「錬金術って、本当に空間を操作しちゃう力があるんだ…」
「そうだよ?って言っても、さすがにこのアトリエくらいすごいものを作れる人はなかなか居ないんだけどね。これも、作ったのはソフィー先生だし」
「ソフィー先生?」
「うん。わたしの錬金術の先生!とってもすごい錬金術士だよ」
こんなシロモノを作れてしまうんだから、誇張なく偉大な錬金術士なのは間違いない。見たところ、この中にある家具などの重量は見た目通りだ。間違っても「えぇい!」なんて掛け声で放り投げられる重量じゃない。つまり、この携帯アトリエは中身の大きさだけでなく重量まで誤魔化しているということになる。まったく、どういう作りなのか想像も及ばない。
「あれ?もしかして…私、フィリスの家に入るの初めてかも?」
「そうなの?パール」
「あー、たしかに。パ…ールちゃんと会った頃にはもうこのアトリエだったけど、こっちからおうちにお邪魔してるような感じだったからね」
「へー…」
フィリスさんと、パール。何となく気が合うのだろうという気はするけれど、どのような経緯があったのか…気になる。
「え、私とパールちゃん?」
「はい。話せる限りでいいんですけど」
「えーとね…」
2人はここからずっと遠く、別の国で冒険中に知り合ったらしい。もともとパールが辺境に住んでいて、当時から旅をしていたフィリスさんの方から度々遊びに行く仲だったとか。
遊びと言っても、採取したり、調合のようすを見たりなど。フィリスさんも事情があるようであまり遊びを知らず、今挙げたものの他は歌を歌うくらい。日頃からもっと色んな人や社会に触れたいと思っていたパールは旅の仕方をフィリスさんに習って、旅に出たんだって。
「旅に出るって聞いて、わたしもやりたいことが見つかったからこんな遠くまで出て来ちゃったんだけど…ちゃんと旅できたみたいで良かったよ」
「なんでか他の人に会わなかったから、ティティたちが初めての遭遇なんだけどね。だから他のみんなに何が出来て、わたしに何が出来ないのか…その逆も含めて、分からなかったの」
「なるほどね、それで空に浮いたり謎の治療をしたり…」
「ん?待てよ…」
エドが何かに気づいたように声を上げる。
「昨日、歩いて筋肉痛になってたけどさ…パールは俺たちに会うまで浮いて旅してたってことだよな?」
「うぇ?え、えっと…まあ、そうだ、ね?」
「つまり浮いて移動するのが普通だと思ってたわけで」
あれ?それっておかしくない?
「もしかしてパールの故郷では普段からみんな浮いて生活してるのか?」
「…パールの故郷って仙人の里とか忍者の隠れ里だったり?」
「ちがっ…いやでも、そう、とも言える…?えーっと…の、
「あ、逃げた」
「そ、それにこれはフィリスも悪いんだよ!フィリス、前はいつもホウキに乗って飛び回ってたからそういう旅人もいるんだと思ってたのに!」
「はっ…?ど、どういうことだ?」
…???
ホウキに…乗って…?
「やっぱり魔女なんですか?」
「違うから!それ錬金術の道具だから!ほら見て!」
フィリスさんが腰に下げたポーチの中からホウキを取り出して跨ると、ホウキの藁が束になっている方から燐光が溢れ出して宙に浮いた。
「…もしかしてパールがおかしいんじゃなくてティトラが大したことないだけなのか?」
「ちょっと!私だって……いや、そうだけど!」
たしかに私はまだ大したことないけど、パールもフィリスさんも、ソフィー先生って人も!絶対、一般的じゃないからね!?
こんな魔法使いみたいなのを基準にされちゃ世の中の錬金術士はみんな廃業だよ!
「いやいや、わたしは公認資格持ってるからそれなりに上手な方だとは思ってるよ?でも、ティトラちゃんが大したことないなんて、そんなことないと思うけどなー」
「え?どうしてですか?」
「ほら、さっきの《フラム》と《クラフト》。すっごく強い爆弾だったから、ティトラちゃんもすごいなーって思ったんだ!簡単なレシピの道具なのに、まるで《オリフラム》みたいな威力だったし」
「あーいや、それは私のであって私のじゃないっていうか…」
「…んん?」
パールの手助けあっての道具であること、素材が爆弾や薬になるのを拒否してしまうことを説明する。
「そっかあ。うんうん、分かるぞ素材たち…あの絵を見たら自分もそうなりたいって思っちゃうよね」
「いやいや、そこは自分をしっかり持って欲しいですよ」
「そう?でも、自分の得意なものに素材が合わせてくれるのってすっごく助かると思うよ?」
得意なものに…合わせてくれる?
「でも…爆弾とか、薬とか。作りたいものは別に絵とは関係ないですし」
「そんなことないよ!旅してる時に聞いたもん、バクハツはゲージュツだ!って」
それは「芸術は爆発だ」の間違いじゃないかなあ。
でも、そうか。何も絵だけが芸術じゃない。飾ったケーキや可愛いパフェが作れるのなら…芸術的な爆発だって、起こせるかもしれない。
「ちょうど私のアトリエに居るんだし、やってみない?調合。わたしも見てみたいなー」
「そう、ですね…」
脳裏に過ぎる、竜の瞳。
ずっとずっと、探していたナニカ。追い求めていた2つの夢を叶えるナニカ。それが、今、これまでよりもほんの少しだけ近くにある…そんな気がする。
めちゃくちゃ難産話。1年かかるとは…。