ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜 作:メルヴェイユ市民
「フィリスさん、釜を貸して下さい」
「おっ、やる気だね!何を作るつもりなの?」
「分かりません」
「へっ?」
今から私は、
「今まで作ってきたものは、どれもこれも誰かが綴った参考書の中のものでした。当然、そこに芸術性なんて考慮されていない」
芸術的なレシピ、というのはきっとあるだろう。けれど、それは結果的なものであって、芸術性を求めた結果ではない。
「私の素材たちが皆、私の作る芸術に身を捧げたいというのなら…私の感性が赴くままに調合します」
その結果、どんな作品が出来上がるのかは分からない。試す価値はある。けれど、絶対に避けては通れないリスクがある。
「だから、もし爆発してしまったら、ごめんなさい!」
「お、おいティトラ…流石に今日会ったばかりの相手にそれは…」
「…わかった!」
フィリスさん…。
「思う存分、やって見て。新しいことに全力で取り組んだら、きっと何か得るものがあるから」
「———はい!」
絵を描く時…描きたい光景は、いつだって、いつか私の目の前にあった光景だ。それが現実か幻想かは分からない。けれど、たしかにその光景を
私に従って風景は動かない。私の筆が、心が、風景に従う。だから調合の手順も、そこにあるものに従おう。
「これと、これと…これ。これもかな」
そこにあるもののうち、私が描き出すべき物は何か。私がリュックから直感的に選び出した素材は、《虫コハク》《竜のウロコ》*1《カーエン石》*2《ウィングプラント》*3そして…。
「あ、それ…竜のスケッチ」
「……はい」
同じものは、2度は描けないだろう。覚えていれば同じように描くことはできる。けれど、それは一作目の後追いでしか無くなってしまう。模倣することにも意味はあるかもしれないけど…きっと私はそこに魂を込めることはできない。だからこのスケッチは唯一無二の作品だ。
それでも、このスケッチは必要だ。
「うわあ…ドキドキするなあ」
「パール?どうしたんだ?」
「だって、だって!やっとティティが…ようやく一歩目を踏み出せるなんて!」
「いや…まあ、苦しんでる所は見てきたから分かるけど。パールが来てからはそんなに経ってないだろ」
「そんなこと無いよ!そろそろ2週間経つよ!」
「化けウサギに、ギックリ腰に、ドラゴンか…濃い2週間だったなあ…」
イメージするものは…やはり、あの竜。さすがに竜そのものを作る訳にはいかないので、竜を象った何か。咆哮、視線、吐息…。
釜の中で、少しずつ素材の輪郭がほどける。
かき混ぜ棒の手応えは…少し、重い。以前にヘンテコな爆弾を作っていた頃ほどでは無いけど、抵抗がある。
(ダメだ。機能をイメージしちゃいけない。機能を含む全ての要素を、一つの作品としてまとめあげるんだ)
幾重にも鎧われた鱗の、色味。
空を統べる翼皮の、質感。
柔らかに伸縮する腹部は、呼吸とともに膨張と縮小を繰り返す。
その全てを表現するには、平面じゃ足りない。
けれど、その立体に…今の私が息を吹き込めるだろうか?
「……っ!」
釜の中で、液体が微かに泡立つ。抵抗がさらに増す。
「自分を疑うな…!」
たとえ命を宿らせることはなくとも、私だって画家———芸術家だ。
「キミは…そっか。うん、いいと思うよ。それが望みなら、きっと叶う」
泡立つ釜の中に、あの竜のスケッチがまだ残っている。
未完成の作品、描こうとした光景は。
まだ、描かれていなかったものは?
色でも、形でもない。
魂だ。
———
それから、どれくらいの間、どんな風にかき混ぜ棒を回していたのか。まるで覚えていない。錬金術には調合に数十時間を要するレシピもある。さすがにそれほどでは無いだろうけど、多分2〜3時間じゃ済まない間、私は調合を続けていたんじゃないだろうか。
日も沈んだというのに、フィリスさんもパールも、じっと私を見守っていてくれた。エドは…まあ、寝ちゃったけど。
今、かき混ぜ棒の先に、確かな手応えを感じる。
ゴツゴツとした起伏のある形状で、しっかりとした重量の物体が転がっているのが分かる。
そっと掬い上げれば———。
「で…できた…!」
それは、像だった。
「ふわぁ…!」
「これは、彫像…かな?竜のウロコみたいにピカピカしてるね」
「彫った訳じゃないですから、彫像とは言えないですね…呼ぶとしたら、そうだなあ…《威圧する火龍の像》、でしょうか」
まさに、見た通り。竜の造形はそれ自体が既に完成された芸術だ。この像は、それをほとんど完全に再現してある。
首をもたげ、咆哮と威圧で私を吹き飛ばした時の姿勢だ。長い首を低く伸ばし、頭を下げ、翼は天高く広げている。自分で作っておいて、この姿には少し身震いするような緊張を覚える。
「もちろん錬金術で作られたものですから、ただの像じゃありませんよ」
「あ、分かったティティ!火を吹くんでしょ!」
「うーん、半分だけ正解!」
「半分?」
せっかくなのでパールに向けて、ここをこうして、起動!
魔力を流された像の瞳が、カッと光を放ち…。
「グルァアアアアアア————ッ!」
「きゃあああああっ!」
「うひゃああああっ!」
「うううっ、うるさっ!」
「うわあ!何だ敵襲か!」
竜の咆哮と全く遜色ない轟音が像の口から放たれ、私たちは全員耳を塞いで蹲った。エドも飛び起きて来た。
両手を離したから像を落っことしちゃったけど、そこは竜の素材を使っただけある。全く傷一つない。重い音がしたのに床にも傷一つないのはちょっとよく分からない。木製のフローリングじゃないのこれ。
「い、今の…竜の叫び声?」
「そ、そうです…フィリスさん…」
「耳が、耳が痛いよお…」
ああ、音波が直撃したパールがすごいフラフラしてる。
「パールごめん!ほら、エドに掴まって」
「うん…」
「俺かよ!いいけど!…はあ、全くすげえもんを作ったな」
というわけで、初めて私が生み出したレシピ《威圧する火龍の像》は、竜の咆哮と炎の吐息を再現するアイテムになった。全身が竜のウロコで出来てるから、繊細な見た目とは裏腹にちょっとやそっとでは傷一つ付かない安心仕様。
爆弾とは違って何度でも使える分、炎の威力はパールと一緒に作るフラムよりずっと低いけど…今後の探索で大いに役立つはずだ。
「それにしてもこの像、本当によく出来てるけど…ティトラちゃんって、画家なんだよね?」
「そのはず、なんですけど」
「もしかしたら、ティトラちゃんには絵だけじゃなくて彫刻とかの才能もあるのかも!」
どうだろう。やったことがない。
画法であれば、いちばん得意なのが風景画なのであって、写実画以外の絵も描けはするけれど…音楽や舞踊にはてんで経験がないし、彫刻とか陶芸とかも触れたことはない。
「ああ、ティトラならあり得るな」
「ん?そうなの?」
「パールは知らないだろうが、小さい頃のティトラは砂遊びのプロだったぞ」
いや、砂遊びのプロってなんなのよ。子供の砂遊びにアマもプロもないでしょう。
「少なくとも、俺は砂遊びで人が入れるサイズの築城をする奴を他に知らないからな」
「人が入れる!?」
「言い過ぎよ!」
あれはただの見掛け倒しじゃない!
当時の私たちは小さな子供だったから入れたかもしれないけど大人じゃ入れないし、もし本当に入ったらいつ崩れるか危なかったわよ!
「いやー、子供が入れる城を子供が作ったっていうだけでも十分すごいと思うよ、わたし」
「と、とにかく!えーと、錬金釜貸してくれてありがとうございました!それと、ずっと見ててくれたこともありがとうございます!」
「あはは、どういたしまして!」
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「それじゃ、寝ちゃおうか。奥の部屋にあるベッドは使っていいよ。普段はソフィー先生やプラフタさんが使ってるけど、今はちょっと別行動してるし」
「あ、はい!ありがとうございます」
「…俺は寝袋で寝ようかな…」
あー、名前と部屋の感じからしてソフィー先生って人もプラフタって人も女の人だろうからなあ。
…でも。エドが居なかったら今回はどうなってたかわからないんだよね。
普段からも助けられてるし…。
「あの、フィリスさん。エドのことベッドに寝させても大丈夫ですか?」
「?…ああ!そういうことか!なるほどね、気になっちゃうお年頃だよねぇ」
なんかニヤニヤされた。
「大丈夫だよ。前に旅をしてた時も、色んな人とこのアトリエで寝泊まりしてたし…あ、でも寝るならプラフタさんのベッドがいいかも。一番奥だよ」
「その、プラフタさんっていうのは…?」
「ソフィー先生のそのまた先生なの。ソフィー先生のことが大好きで、そのことになるとうるさいからねー」
なるほど。じゃあ、真ん中のソフィーさんの所に寝かせてもらおう。
「だってさ、エド。私はパールと一緒に寝るから、エドも寝かせて貰いなよ」
「あ、ああ…そうさせて貰おうかな。ありがとうございます、フィリスさん。それにティトラも」
各々がベッドに潜り込んで、明かりが消えた。
そういえば、素材の取り分は本当にあれで良かったのかな。
フィリスさんはほとんどお肉だけ貰ってって、ウロコとか、眼球とか、貴重な材料はこっちに寄越したんだよね。竜素材って貴重だと思うんだけど。
———いいのいいの!必要になったら狩りに行くから!そ・れ・に〜、お肉を持ち帰ったらリア姉が絶対喜んでくれるからね!
「まあ、いっか。ここは先輩に甘えておくってことにしよう」
大事に使わないとね。
「甘えるって、誰に?」
隣に寝ているパールが尋ねてくる。
「フィリスさんに。ほら、竜の素材の錬金に使えそうな所、だいたい譲ってくれたじゃない」
「それかあ。多分、気を使ったりはしてないと思うから大丈夫。フィリスならそこらのドラゴンなんて本当に一捻りだもん。何なら余ってるんじゃない?」
「あのドラゴン、結局何者だったんだろ」
「さあねえ。あの種類はドラゴネアって呼ばれてるけど。普段はそれこそ、夜明けの大地とかにいるんだよ」
つまり、アレを一捻りできるフィリスさんは夜明けの大地を歩ける実力者なのね…。
「どうしてここまで来たのかが分からないよね」
「うーん…竜は賢いし察知能力も高いから…逃げて来たとか?」
「何からよ。竜が逃げるって」
「神、とか」
えええええ…。
「そんなのが来たらどうしろってのよ…」
「こっちに逃げて来たってことは、こっちは安全ってことじゃない?たとえ何か居たとしても、そうそう来ないと思うよ」
そうだと良いけれど。
「ねえパール、帰ったらアレ作ってあげるからね」
「アレ…?」
「ほら、シフォンケーキ作ってあげるって…」
ああ、と声がした。
「…忘れてた?」
「うん…」
「色々あったものね…」
出発前日のことだから、一昨日…もし今既に日付が変わっているのなら、3日前のことになる。
「嫌いな味とか、ある?」
「んーん…」
「そ…好きな味は?」
「甘いの…すき…」
あらら、もうほとんど寝ちゃってるなあ。
「分かった。待っててね、パール」
「ん…ティティ…」
「わっ…」
ぎゅ…と、寝返りを打ったパールに抱き寄せられる。
「すぅ……すぅ……」
「…ふふ」
寝ちゃったみたいだ。
密着した体温が暖かく、柔らかさが心地良い。私も眠くなって来た。
抱き返すように腕を回し、目を閉じる。
それだけで、意識は急速に遠のいていった。
「おやすみなさい…パール…」