ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜 作:メルヴェイユ市民
フィリスさんのアトリエテントで一夜を明かした私たち3人は、生きと同じように平野を通り、昨日、1日かけてメルヴェイユへと帰り着いた。
フィリスさんはというと…。
「この近くにドラゴンが出たってことミレイユさんに早く伝えた方がいいと思うから、悪いんだけど先に帰ってるね」
「はい、お願いします。偶然だといいんですが、何か理由があるかもしれませんから」
というやりとりを経て、例の空飛ぶホウキに跨って飛んでいった。
一応、私たちからもミレイユさんに伝えてみたところ、現在調査の準備中とのこと。やはり都の近くに竜が出たということで、ちょっとした騒ぎになっているらしい。
とはいえ、市民の生活にすぐさま影響がある訳でもなく。今日も今日とて、私は朝市に赴いているのだった。
特に、小麦粉や卵、砂糖なんかは必ず用意しないといけない。今日は腕によりをかけてシフォンケーキを作るのだから。…調合で。
ただ、それだけだと味気ないというか…折角作るからにはパールをびっくりさせたいし。あと、調合でシフォンケーキを作るに当たっては芸術性も考えないといけない。
「生クリームとか、チョコソースとか、フルーツとか、飾りつけができそうな素材が欲しいよねえ…」
シフォンケーキという料理自体、あまり飾り気のないものだ。シフォン、という言葉は薄手の柔らかい布を指す言葉だけれど、元々はボロ布や雑巾を意味していたという。
「上にクリームで絵を描いたとして、それで素材たちは認めてくれるのか…むむむむむ」
「おや?そこに居るのはティティじゃないかね?」
「また変な口調を使って…おはようございます、ティティさん」
あ、マーレンの双子だ。
2人で1つの買い物袋を提げ持っている。2人の仲の良さは見ていると幸せになれるんだよね。心に効く。
「おはよう、リディー、スー。2人も買い出しに?」
「そだよー、もう終わらせて帰るとこ!」
「最近、やっとアトリエの仕事がちゃんとできるようになってきて…まともな食事をできるようになったんです」
お、おお…また刺激強めな言葉が飛び出して来た…。
よし、丁度いい。2人も巻き込もう。
「ねえ。良かったらシフォンケーキ食べな「「食べます!!!」」」
反応はやっ。
「へえー!ティティさんってお菓子作りが得意なんですね!」
「ホールケーキにパフェにクレープまで作れるなんて…パティシエさんみたい!」
「いやー、調合で作ってるからなあ。パティシエさんからしたら邪道じゃないかな?」
「そんなことないっ!美味しいお菓子に罪はないのだー!」
「そうです!甘いものは正義なんです!」
姦しくやってきたのはマーレン邸のアトリエ。地下室付きの平家で、1階部分は仕切なしの大部屋ひとつ。その片隅、入って左奥の角に錬金釜などが置いてある。
パールの前で作るより先に、ちゃんと作れるかどうか試しておきたかったので、こちらにお邪魔させて頂いた。買い出しの帰りではあるが、今回買ったものにすぐ腐るようなものは無いし、経験上お菓子の調合には1時間もかからない。
「2人はお菓子作りとかって…いや、ごめん。なんでもないです」
「ちょ、ちょっと!ウチだってたまには…たまーーーっには贅沢するもん!」
「本当にたまーにね…でも、《麦粉》*1と《何かのタマゴ》*2と《ハチミツ》*3と水で作れる《ホットケーキ》*4なんかは結構作りますよ」
へえ。確か、2人のお母さんがよく作ってたっけ、ホットケーキ。たまにお裾分けしてくれたっけなあ。
「リディーのホットケーキだって、きっとティティのパフェにも負けないからね!勝負だ!」
「勝手に人の料理で勝負を挑まないの!」
「ふふっ、じゃあウチに来たときにはパフェでお相手しちゃおうかな」
「あれっ、意外と乗り気…うぅ、わたしもホットケーキ、練習しとこうかな…」
とりとめのないことを喋りながら準備を整える。
用意する材料は普通に料理する場合と同じ。《麦粉》《ミルク》*5《植物油》*6《何かのタマゴ》《砂糖》*7だ。錬金術の技術と素質が必要ではあるが、上手くいけば釜に放り込むだけで出来上がるのだから楽と言えば楽かもしれない。
火にかけた釜をぐるぐるとかき混ぜ棒でかき混ぜつつ、材料を一つずつ投入していく。
「さて…まずは普通のシフォンケーキを作ろうとしてみようか」
普通、つまり生クリームその他のトッピングはまだ投入しないということ。これでうまく行きそうなら、できればトッピングは後から完成したケーキに手作業で行いたい所だ。
「うーん?見た感じ、釜の中は落ち着いてるみたい」
「うん。少なくとも、いきなり爆発とかはしなさそう…どうですか?ティティさん」
手応えは…ちょっと抵抗はある。けど、このまま作ってもとりあえずは上手く行く気がする…?
「多分、できあがりはする…と思う。ただ味はイマイチかも…」
さすがに抵抗があるからって毒にはならないだろうけど。
まぜ続けること30分。特に難しい調合でも無いし、もうそろそろ出来上がる…よし!
「でーきた!シフォンケーキ(推定)!」
釜の底から取り上げたシフォンケーキと思われる物体は、実際、シフォンケーキのようなふかふかした丸い見た目をしていた。特に味付けなどをしていないから素朴なクリーム色だけど、見たところ変な感じは無い。
ということで、切り分けて並べてみた。
「それじゃ、頂きます」「「頂きまーす!」」
ぱくっ。
もぐもぐ。
もぐ。
………。
………………。
………………………。
何故だろう。決して悪くない味のはずなのに、なんでか…飲み込めない。
本能がこれを飲み込むことを拒んでいるような…慣れ親しんだ麦菓子の味なのに、なぜか脳が理解してくれない。
「なに
「
感想を一言で表すなら、「シフォンケーキだと思ったのに、シフォンケーキだった」。
何を言っているのか分からないと思うけど、そうとしか言えない。
ピザだと思ったら全部砂糖菓子だった———ブドウジュースだと思ったら黒ワインだった———そんなような、裏切られた感覚。加えて、そこまで美味しくない。
あえて名付けるなら『冤罪ケーキ』だ。ケーキは嘘。
(ええい!間違いなくこれはシフォンケーキの味だ!飲み込めっっ!)
ゴクリ。
「………」
「ど…もぐもぐ…どうぇすか?」
「ほみこへらい…」
「なんともない…と思う…」
この感じ、非常に身に覚えがある。いつぞや、《クラフト》を作ろうとしていた時も、妙ちくりんな物が沢山できて困っていた。
今回はちゃんとケーキの体を為している分あの時よりずっとマシだけど…どうやら予想通り、シフォンケーキそのものを芸術的にする他ないようだった。
「形を変えちゃう、っていうのはダメなんですか?」
「うーん、最初はそう考えていたんだけどね」
パールの話*8を聞いて考えが変わった。
《威圧する火龍の像》が成功したのは、そこに強いインスピレーションがあったから。それが渾身の芸術になるという確信と心的エネルギーが有ればこそ、素材が応えたのだ。
となると…あのドラゴネア戦に匹敵する強烈な刺激が無ければ、専門分野ではない造形の芸術性で素材を
ただのシフォンケーキに対して、それほど強く衝動を感じるような刺激は、今は感じられないなあ…。
「やっぱり、私は本来絵描きだからね」
「絵、かあ…お父さんがいれば、何か聞けたかもしれないのに」
「また出かけて…無駄遣い、してるんだろうなあ。はあ…」
「ひいっ…!ま、全くもうっ!肝心な時に居ないんだから、あのダメ親父!」
「ま、まあまあ!2人とも落ち着いて。リ、リディーさんも」
「あ。ごめんなさい、ちょっと抑えきれなくて」
抑えきれないって何が…いや考えない方が良さそう。
「でも、ケーキに絵っていうのはあると思います」
「そうだね。ケーキ屋さんのショーケースとか見るとよく分からない模様が描いてあるケーキとかあるし!」
確かに。それに、シフォンケーキなら上に何も乗っていないから、全面をキャンバスとして使える。可能性はあるかも…というか。
「そうだ!それだよ!」
「ひゃっ!?ど、どうしたんですか?」
「ごめん、ちょっともう一回調合するね!」
「え?あ、はい。わたしたちはぜんぜん良いですけど…その、時間」
さっきと同じ材料を再び錬金釜に投げ入れる。イメージするものは普通のシフォンケーキ…と、キャンバス。
ぐるり、ぐるりとひたすら釜を混ぜる。うん、さっきと違って抵抗がまるで無い。そうだ。最初から「絵そのもの」である必要なんてない。
画材だって構わない———むしろ、画材であるべきだ。
何せ、私は錬金術よりも絵を描く方が得意なのだから。
「できた!」
「んぇ?これ…キャンバス?シフォンケーキじゃないの?」
「ケーキだよ。ケーキでできた、キャンバス!」
イーゼル*9に置かれているのが似合いそうな、長方形の物体。白い布のような質感のものが、シフォンケーキの板に張り付いている。触った感触はケーキらしい柔らかさで、齧り付けば素朴な甘さが味わえそうだ。
「ここに私が絵を描けば完成ってわけよ!」
「はぇー…あれ?でもケーキが出来たんですから、もう描く必要ないような?」
…それもそうだ。
「そうでもないみたいだよ、リディー…これ、すごく硬いもん」
「えっ?」
硬い?
「でも、触った感じは柔らかいよ?」
「ちぎろうとすると硬くなるの!」
「どれどれ…」
試しに食べてみようと角の方をちぎろうとしたけれど、その瞬間に硬くなって全くちぎれなくなった。他の部分は柔らかいままだ。
「多分、絵を描いてあげないとダメなんじゃないかなあ?」
「そっかあ…」
最初から描くつもりだったからいいか。
「じゃあ早速…」
「あの、ティティさん?もうそろそろお昼ですけど、大丈夫なんですか?買い出しの帰りなんじゃ…」
………。
「忘れてたあああっ!?!?」
めちゃくちゃ心配された。
こうして、シフォンケーキそのものを作ることには成功した。
けれど、これをパールにお披露目するのはもう少し先になりそうだ。
「まさか、食べ物に絵の具を使うわけにもいかないよね…」
普段使う絵の具には、とても食用には向かない成分を含むものも多い。食べられる絵の具を開発しないと、このシフォンケーキは食べられないだろう。
けれど、ようやくだ。
ようやく私もこうやって、自分なりの錬金術を実現できるようになってきた。本にも載っていないようなレシピで、問題を解決する。ちょっと普通の錬金術士とは違うかもしれないけれど…。
「これでやっと、前に進める…」
「おめでとう、ティティ」
パール…?
「錬金術士として歩んでいくなら、きっとこの先にはいくつもの試練が待っているよ」
「試練って…どういうこと?」
「この世界の錬金術士っていうのは、そういうものなんだ。全員じゃないけど」
さすがに理解が及ばない。
もし言う通りだとしたら、お父さんも、その試練とやらを越えてきたのだろうか。
「今に分かるよ。だから、ティティはもっと自信を持って。そして成長して。大丈夫、越えられない試練なんて何処にもないからさ」
相変わらず…パールってよく分からないなあ。