ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜   作:メルヴェイユ市民

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メルロー夫妻の過去。


双子の調査レポ②:クレメント・メルロー/裏

 

 数十分後、双子が帰ったあと。

 

「それで…あの双子とは何を話していたんだ?」

「君との馴れ初めってやつをね」

 

「ん…ちょっと、恥ずかしいんだが」

「あの経緯を覚えてて”ちょっと”しか恥ずかしくないんなら、旦那として心配になるんだけど」

「その部分も話したのか?」

「いや…ちょうどエレンが降りてきたから」

「降りて来なくても隠しただろ、お前」

「は…そりゃそうさ。君のあんな姿は、僕だけが知っていたい」

「…全く…」

 

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「居候させて貰えないだろうか。礼はする」

「へ?え?」

 

 メルヴェイユに着くなり…出先で助けた魅力的な外見の異性がそんなことを言い出したとしたら。

 

 何か、陰謀や策略めいたものを警戒するか…関所なり騎士団なりに連れて行ってやるか。それともこれ幸いと、家に連れ込んでしまうのか。

 

 世の一般的な諸氏は1番目か2番目を選んでくれるものと、僕は信じている。

 

 

「メルヴェイユに他の伝手が無い。良い縁だと思ったのだが、ダメだろうか」

「いや、いやいやいや。えっと、失礼ですけど、女性の方、ですよね?」

「む…そうだが」

 

 そうだが、じゃない。良い縁は良い縁でも、ちょうど良いってだけだろ!僕は家名すら名乗ってないぞ!

 

 怪鳥に襲われていた時といい、この無防備極まりない発言といい、このエレンとかいう女性はおかしい!

 

「あの…その、僕あんまり裕福じゃないので部屋一つしか無いんですけど」

「そうか」

「えっと…もしかして、僕が女に見えてます?」

「いや。中性的だが、女には見えないな」

 

 ここでついに本人を前に頭を抱えた僕を責められるとしたら、それは故郷の両親くらいのものだ。

 

 人は人に言葉で痛みを与えることができるのだ。主に、頭に。

 

「その…不味いと思うんですけど。同じ屋根の下って…」

「?…ああ、構わないぞ」

「構わない?」

 

「人並みよりは手応えのある身体つきだと自負している」

「…はっ…?」

 

 なに言ってんの?

 

「私の身の心配かと思ったが、違ったか…?」

 

 ああ、もう。どうしてこの人はこんなに…。

 

「あ…貴女ね!女の子がそんな簡単に手応えだとか身体つきだとか!いけませんよそういうの!」

「むう…」

「…そんなにお金が無いんですか…?」

「いや、金はある」

 

 だったら宿にでも泊まればいいじゃないか!何処か安い部屋を借りてもいいだろ!

 

 どうして、わざわざ僕みたいなのと同居だなんて言い出したんだ。正直言って怪しいぞ。

 

「だが…その…」

「何か、理由が?」

「…寂しい」

「はいぃ?」

 

「旅をして分かったことだ。私は、一人で寝て起きるのが、寂しいんだ」

「そりゃ、そうでしょうね」

 

 旅なんてしてたら日常だとは思うけど。

 

「死にたくなるほど、寂しい」

 

 そんなにか。だったらペットでも連れ歩けばいいものを。犬なんかは護衛にもなるし、なんならプニでもいい。育て方次第では、プニも心強い連れになると聞く。

 

「だが、帰る家も無い。絵を描くことに心を捧げて誤魔化していたから、友もいない」

「……」

「だから…良い縁だと…すまない。これでは迷惑でしかなかったな」

「……」

「君の言うことは正しい…失礼する。後日、また礼をさせて欲しい」

 

 ようやく分かってくれたか。

 

 人寂しいだけならこんな知りもしない男と住む必要は無い。メルヴェイユの住人は皆優しくて陽気で、人付き合いもしやすい。どうしても勇気が出ないというなら、女性の友人を紹介してやってもいい。僕と付き合いを持つにしたって、同居なんてする必要はない。

 

 これで———。

 

 

 

 

 

———一人で寝て起きるのが、寂しいんだ。

 

 

 …んん。

 

 

———死にたくなるほど、寂しい。

 

 

 

 ……んんんんんん。

 

 

 

「あーー!もーー!待ちなさい!」

「な、何か」

「良いですよ!泊まりなさい、僕の部屋に!」

 

 ああ、最低だ。結局、やっていることは…()()()のクズみたいな行動に他ならないだろう。けど、どうしようもない。

 

「い、いやしかし…」

「僕の許せないことなんですよ、そうやって弱ってる奴を放っておくのは!」

「いや、ちょっと…」

 

 僕の生涯と家族にかけて、この人を放っては置けない。

 

「迷惑だろう…?」

「僕のエゴです!いいから住みなさい!布団なら予備がありますから!」

 

 父と母から継いだメルローの名を誇るために、何と言われようとも、もう止まれない。

 

 

 

「そうではなくて…往来の者たちに迷惑だと思うのだが」

 

「へっ」

 

 

———あらやだ、住みなさいだなんて…。

———プロポーズ?若いっていいわねえ。

 

———あの坊主…やるな。

———あいつ、確か錬金術士の…なんて名前だっけな。

 

 

「あ…え……あ……」

 

 ここ、正門のすぐ前……。

 

「すまん」

 

 ああああああああああああああ!

 

「うわああああああ!?」

「うわっ…ひ、引っ張るな…おっととと…」

「止まんないからなああああああ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 止まっておけば良かった…!

 

「クレメント」

「ひっ」

「何故怯える」

「いやその、メンツの危機といいますか…男として、ああまで啖呵を切ってエレンさんを引き留めたのに稼ぎで大幅に負けてるというのはとてもカッコ悪いといいますか…」

 

 まさかこれ程とは、誰が思っただろうか。

 

 僕がひと月かけて稼ぎ、その間の食費や家賃に溶けて消えていくような額の何倍もの稼ぎを…彼女は1週間ほどで描き上げる絵で得る。

 

 “金ならある”という言葉は間違いなく事実だった。多少は、ではない。尽きぬ程あった。

 

 初めは「居候しているのだから」などと理由をつけて過剰な額の(コール)を渡そうとしてきたが、人の最終防衛線としてそこは守り切った。増えた分の食費と家賃の半分をキッチリ計算して受け取っている。

 

 

「ふっ。甲斐性の無い男だ」

「がっ……はぁっ………!?」

 

 

 やめてよ!どうしてそんなこと言うの!ひどいよ!

 

 心がケガをして立ち直れなくなったらどうするの!

 

 

「金はあると最初に言ったろう。それに…絵など、どれだけ評価されようと自己満足に過ぎない」

 

 ……エレンさん?

 

「取り憑かれた私など、人々を助けているクレメントと比べるような人間ではない」

 

「取り憑かれた?」

「…喋り過ぎた。忘れてくれ」

 

 エレンさんと7日暮らして分かったことがある。彼女は饒舌な時と、無口な時があるのだ。

 

 普段は無口だ。必要なことだけを、最低限の言葉で伝えようとする。文脈を無視していることがあるので多少面食らうことも多い。事務的な会話などは、いつも次のように交わされている。

 

———皿は終わった。次は。

———下着はそのカバンに頼む。買い出しに出てくる。

———今から描く。周りが見えなくなる。私の返答が無ければ気づくよう触ってくれ。何処でもいい。

 

 最後の例などは彼女にしてはかなり注意を払ってくれた方だ。その分内容はダメだが。

 

 

 そして饒舌な時というのは、彼女にとっても伝えるべきことが不確かな時だ。

 

 彼女の言葉は唐突だが、必要にして十分な情報を持っている。その「必要にして十分」を自分で判断できない時、彼女は伝わったと確信を持てるまで言葉を尽くして語ってくれる。

 

 そんなエレンが、「喋りすぎた、忘れてくれ」などと言い出すのは…違和感がある。伝えたい、そう思ったことがあるからこそ、彼女は口を開いたはずなんだ、けど。

 

 

 

 

———けれど、会って1週間の僕が踏み込むべきじゃないか。

 

 

 

「この色じゃない…この色じゃ…」

 

 

 

 

 そして、エレン・ミュラーは絵を描かなくなった。

 

 

 

 

 

 

 同居生活2週間目。

 

 昼食をとっている時も、エレンの絵画スペースは目に入る。イーゼルはこちらに絵が見える向きで置かれており、この生活で2枚目となるキャンバスには2階にあるこの借家のベランダから見える光景が描かれている。

 

 …途中まで。

 

 

「エレンさん…最近、絵を描いてないですね」

「……」

「悩みなら聞きますよ。同じ部屋に住む仲じゃないですか」

「描けないんだ」

「絵が、ですね」

「……」

 

 2枚目の絵が描きかけのまま4日ほど…さすがに、気になる。

 

「もしかして…いや、やっぱり…この部屋に居るのが負担なのでは?」

「そんなことは無い!」

「わっ…」

 

 びっくりした。エレンさんがこんな大声を出すなんて思わなかった。

 

「そんなことは無いんだ。この生活は…楽しく、満ち満ちていた」

 

 朝起きて、誰かの気配があること。昼絵を描くとき、誰かが気にかけてくれること。夜寝るとき、誰かに声をかけられること。

 

「その全てが私に足りないものを埋めてくれた。暖かかった。この生活に、執着…しているほどだ」

「し、執着。それはまた…」

 

 随分と入れ込まれたものだな、この小さな部屋も。

 

「では、どうして描けないのですか?」

「…怖い」

 

 こ、怖い?

 

 やっぱり、いくら寂しさを埋められると言っても身寄りのない女性が男と寝泊まりするのは…。

 

「描きたいものはある。衝動もある。だが、怖い。描くのが怖い」

「えっ?…描くのが、怖い?」

 

 まさか。8歳から描き続けてるって話じゃないか。今更、何を怖がってるっていうんだ。

 

 いや、そもそも絵を描くことの何に怖がるような要素があるんだ?

 

「クレメントは、錬金術は、人々の生活を助けている」

「そうかな…そう、かも…?」

「クレメントの稼いだ金は、その対価だ。…とても、綺麗で…純粋で…」

「…ふぅむ」

「だが、私が描いた絵はそれよりずっと高く売れる。それで、好事家などから金を受け取るのだ。その絵は誰かを助けてなどいない。”エレンの絵”だから、彼らは買う」

「……」

 

 とても饒舌だ。そして早口。

 

 これまでの比では無いほど、どうしても伝えたい何かを、今、エレンさんは吐露している。

 

「私の絵を求める資産家は絶えない。入荷待ちだった。それが何の絵だろうと、描き上がれば彼らに売れるだろう。私がクレメントに渡していた家賃などは、そうして得てきた金だ。…私は…欲に…」

 

 きっとこれは、彼女も今気づいた心情。探るように重ねられる言葉は、次第に焦りと不安を帯びて揺れる。

 

「彼らの欲に、私の魂を売って得た、汚らしい金だった…」

「……それが、怖いんですか?」

「そうだ。そう思う」

 

 僕は、それを…聞いた。

 

 僕はこの人を一度放っておかなかった。だったら、目の前に居る限りは、終いまで放っておく訳にはいかない。

 

 人の心は分からない。定まることのない、揺れ動く海のように不確かなもの。水面に映った数多の影の、どれを見つめるかは人次第だ。

 

 心の真実は、選ぶことができる。

 

「でも。少なくとも私は、貴女が絵を描く姿が好きですよ」

 

「え…?」

 

 彼女が今見つめている真実は、きっと彼女にとって良くないものだ。だったら、もう一度選び直せるチャンスを与えればいい。

 

「貴方の描く絵は誰かを救える絵です」

 

「そんなはずは…」

「間違いありません。事実です。価値のない絵を、人は評価しません」

 

 水面を叩きつける。石を投げ込む。影は揺らいで、映るものも変わる。

 

「目を閉じて、思い出して…貴方が描いた絵を喜んでくれた人が居たはず」

 

 そして、新しい影を見つめさせる。

 

「描いた絵の価値は、見る人が決めます。買った人じゃない。その絵を見る人の中に、その絵を必要とする人がいれば、貴方はその人を助けられる」

 

「貴方の魂は、決して欲に売られたりなどしていない」

 

 この人を救える真実は、その心にきっとあるはず。

 

「私は…描いていてもいいのか?」

「貴方は描くべき人間です。それが貴方の望みである限りは」

「望み…」

 

 エレンさんはさっき、確かに言った。描きたいと。衝動があると。

 

「怖がることなんて何もないんですよ」

「うん…」

「さあ、目を開けて」

 

 窓を向かせて、目を開かせる。

 

 イーゼルとキャンバス。浜辺に揺れる海原を見ながら、誰かが椅子に座って本を読んでいる。

 

「描けますか?」

「…怖く、ない」

 

 …ふう。

 

 上手くいったかな…?

 

「なあ、クレメント…あそこに立ってくれないか」

「え?別にいいですけど」

「頼む。向こうを向いて、ベランダにもたれかかって欲しい」

「は、はい…?」

 

 それから、しばらくの間。背後から聞こえる息遣いを聴きながら、僕は海を眺めていた。

 

 両腕を組んで、そのまま両肘を手すりに突いて。太陽はまぶしく、波の音は優しく。

 

 その音を聞きながら、いつしか僕は眠りに落ちていた。

 

 

 

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「そういえば…結局、あの絵は描き終わらなかったんだろ?」

「ん?」

「ほら、あの絵だよ…君が初めて、風景に人を描こうとした絵」

「ああ…初めてではないんだがな。旅に出るより前に大体の絵風は実践済みだ」

「すごいな…いや、それはそうなんだけど違くて。その絵を描き切らなかった理由ってなんだろうなーって思ったの」

「それは単純だ。あの絵は、あれでいいんだ」

 

 え?とクレメントが聞き返す。

 

「でも、今も君のアトリエにあるけど…真ん中が白いままだろ?」

 

「いいんだ。私の絵にはもう、誰よりも大切な人が描いてあるから」

 

「…ふぅん?」

 

 海を眺めていた僕には…それは見えなかったなあ。

 

 

 

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