ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜 作:メルヴェイユ市民
ティティが以前にルーシャのことを口にしているにも関わらず、ルーシャと初対面のような発言をしていたことを修正。やってしまった…。
血潮沸く泡沫の大地へ
———ドォン!
———ゴロゴロゴロ…。
———ピシャァン!
「うっわー…すごい天気…」
雷雨だ。
今日は調合も少しおやすみして、今は3階の自室の窓から見える風景を描いている。
このような珍しい天候の日は、決まってキャンバスやスケッチブックに向かい合うようにしている。もちろん、毎日の景色の全てに同じ繰り返しなど無いけれど、特に目にする機会の少ないような光景はしっかりと描いて糧にしておきたいのだ。
ただ、それにしても。
「また雷雨…最近多いなあ」
メルヴェイユは海沿いで、西の方には山脈もある。そのため雲が溜まりやすく、元から雨は多い気候だった。
しかし、それにしてもこの数ヶ月の天候はちょっと異常だ。毎週、1回は雷が鳴っている気がする。しかも…これはお父さんやお母さんには分からないらしいのだけれど、雷雨の日には、時々妙な気配のようなものを遠くに感じるのだ。
———オォォ—————ォォ————。
「…また」
きっと、雷の光や音に身体が驚いて風や雨の音に敏感になっているだけ、そう思っているけれど…。
しかし、やはり無意識のどこかで、そうと信じきれない自分がいる。
「いけない。絵に集中しないと…」
———ゴロゴロ、ゴロゴロゴロ…。
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翌朝。
昨日の荒れ模様が嘘のように澄み渡った快晴の空だ。
こういう空を描くのもいいけれど、活動できる日には錬金術士としての練習をした方がいい。私は早々に準備をし、古本屋にエドを呼びに行こうと店を出た。
…のだが。
「あ、ティトラちゃん見つけた!今、時間あるかな?」
「え、フィリスさん?は、はい、まあ…」
「ちょっと一緒に来て!見せたいものがあるの」
「へ、え、ちょっと!?」
ばったりと出会ったフィリスさんに腕を引かれ、私は何処かへと連れて行かれたのだった。
「あ、フィリスさん戻って来た…あれ?ティティじゃん。どしたの?」
「はは…どうも、スーちゃん。それに皆さん…ってぇ!?」
橋を過ぎ、広場を過ぎ、連れて行かれた先は王城内の画廊。そこには何となく居る気がしていたリディーとスーだけでなく、ルーシャとミレイユさん、金髪碧眼のイケメン、そして白い髪の妖しい少年が待っていた。
白い髪の少年はともかく、私は金髪碧眼の人を知っていた。恐らくは一方的に。
「えと、王子殿下にご挨拶申し上げます!このような形で申し訳ありません!」
だって、この国の次期国王なんだもの!
次期国王。この人が次の王様だ。なんなら、今の時点でもかなりの権力があるはず。それこそ、命令ひとつでウチの店を潰せてしまうほどには。
ヴォルテールの店主に、白い不審者に…この国の唯一の王子様。どういう集まりよ。
「ああ、いいのよティティちゃん。コイツにそんな気を遣わなくて」
「姉貴が言うとなんか違って聞こえっけど…まあ、その通りだぜお嬢ちゃん。一騎士として立ってる時は砕けて接してくれていい」
「そうそ、マティアスはイジられ役だからねー」
「あはは…こんなのが第一王子でだいじょうぶかな、この国」
「おぉい!お前らは砕け過ぎなの!王族として扱わなくてもいいけど一般人くらいには敬意をもってくれよ!」
…本当に大丈夫かな、この国。
「で、では、ええと失礼して…赤い服の方はヴォルテールの店主さん、ですよね?」
「おーほっほ!栄えある我がヴォルテールの名は当然知っているようで…ってなんですか他人行儀な!ルーシャですよ、ル・ウ・シャ!双子とあなたと、4人で遊んでたじゃないですか!」
こっちの方が王族らしいくらいに鼻につく名乗りを上げようとしたこの子は、ルーシャ・ヴォルテール。メルヴェイユの錬金術の名門、アトリエ・ヴォルテールの当代の店主だ。
とてもお嬢様然とした容貌で、実際お嬢様と言っていいお金持ちの令嬢なんだけど…どこか、マティアス王子にも通じるイジられ役の空気が漂う女の子だ。昔は双子によく泣かされていた。
「そりゃ、最近はちょっとご無沙汰でしたけど…何もそんな…うぅ…」
「あぁ、ごめんごめん嘘だって!」
実は本気で一瞬誰だか分からなかったのは秘密だ。
よく会っていたのは何年も前で、以降はアトリエ業が忙しいのかあまり話せていなかった。トレードマークである鮮やかな赤がなければ、本当に気づかなかった世界もあったかもしれない。
「それで、その…」
「ああ、僕のことは知らなくて当然だね。アルトという。錬金術士をやっていて、つい先日この街に来てアトリエを開いたんだ。よろしく」
「あ、はい。よろしく…お願いします」
と言われても、何をよろしくしたらいいのか分からない。
私は何の目的で連れてこられたのかも知らないんだから。街中でいきなり偶然に出会った知り合いに腕を引かれてきただけだ。
ただ、この画廊。少し…いや、かなり不自然な所があるのは分かる。
見たところ、王城の画廊だけあってかなり広い。部屋を形作る壁だけでなく、絵を配置するためと思しき壁が空間の途中にも複数枚存在する。それらを含めて、全部で10枚程度は絵を配置することができそうだ。
しかし、その予想に反して現在は3枚しか絵がないようである。
さらにもう一つ、おかしな点がある。というのも主観的な感覚ではあるのだが…その3枚の絵についてだ。
どうやら、この3枚の絵にはただならぬ力を感じる。
一つは暗く恐ろしげな森の絵画。もう一つは凍りついた洞窟の絵画。そして最後に、燃え盛る炎の山の絵画。
ただ美しい絵画であるだけでなく、見ていると刻々と
「絵が生きている、みたい…」
「!…今、何を?」
「え、いや、その特には」
「お願い。もしかしたら貴方は何か、重要な資質を持っているかもしれないの」
そ、そんないきなり…。
「ホント、特には…ただ、絵が生きているようだって…そう感じただけです」
「それは、どうして?」
「どうしてって…私、これでも画家の娘なので、絵を見ると色々と分かることがあるんです」
その作者が何を思ってその絵を描いたのか、その絵で一番見せたい部分はどこか、何を伝えたいのか。
スケッチならともかく、絵画を描くというのはかなりの重労働だ。描き始めた理由。描き続ける理由。そして最後に、その絵のパレットを置く理由。全ての決断に、衝動とも言うべき巨大なエネルギーが無ければならない過酷な作業。
お母さん曰く、私は特にそれを感じとる力に長けているらしいんだけど、その私でなくとも、これらのような名画であれば見る人それぞれの心に響くものがあるはずだ。
しかし、おかしいと思った所はその、「響くもの」自体について。
「そういうのって、描きあげた時点で決まるはずのものでしょう?なのに…この3枚は、まるで見ている今もそれが変化しているような…感じがする、というか…ごめんなさい。すごく抽象的で」
じっとこちらを見つめてくるミレイユさんの青い瞳に耐えきれず、少しずつ声が萎んでしまう。目線も今や綺麗な赤いカーペットに釘付けだ。
「なるほど、ね。フィリスさんが貴方を連れてきた理由が分かるわ」
「え?」
さっきからずっとだけれど、結局この集まりはなんの集まりなの…?
絵画鑑賞会でも開くの?
「あの、ミレイユさん。今回の調査、ティトラちゃんも連れて行きたいんです!」
「ええ。素質は十分みたいね…あまり時間もないかもしれないし…」
「まあ待てよ姉貴。今回この絵を見つけてきたのは双子だろ?」
「あ、そ、そうね…」
「…なあ、リディー、スー。2人はどう思う?」
「えっ、わたしたちが決めていいんですか?」
「もちろんだ。『アンフェル大瀑布』は、見つけたのも交渉したのもお前たち、だろ?」
「マティアス…うん。あたしは賛成ー!ティティなら大丈夫だと思いまーす!」
「えっと、結局これ、何をしようと…いや、させようとしているんですか…?」
私を置いて進んでいく話に待ったをかける。
調査がどうとか、連れて行くとか行かないとか…なんのことやら、分からない。
「ティトラちゃん。…《不思議な絵》って知ってる?」
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つまり、事情を整理すると、こうだ。
「あの壁にかけられた3枚の絵画は全てが《不思議な絵》で…この場のミレイユさん以外の皆さんは、今までも絵の中の世界を調査してきたと」
「そうなるわね」
「僕は今回からの参加だけれどね」
「そして、フィリスさんは…私をその調査に加えるために、ここまで連れてきたってことですね?」
「うん。いきなり連れてきたのは悪かったけど、錬金術士で画家のティトラちゃんならちょうどいいと思ったの。どうかな?危ないこともあるけど…試しに一度だけ、やってみない?」
(あの肖像のことも気になるし…ちょっと騙してるようで悪いけど、参加してくれたら嬉しいな…)
うわあ、どうしよう。《不思議な絵》と言えば、気になることもあるんだよね。
———なにこれ…透明の絵の具?でもキラキラしてる…。
———《ネージュの絵の具》という道具だよ。
———その絵の具は《不思議な絵》というものを描くために使う絵の具なんだ。
前に、ウチのアトリエで釜を爆発させた時に見つけた《ネージュの絵の具》…それは、《不思議な絵》を描くのに使われる道具だったはずだ。
何故そんなものがウチにあったのか、それはずっと気になっていた。
よし、決めた。
たしか、《不思議な絵》は製作が難しくて希少なはずだ。こんな機会、2度と無いかもしれない!
「や、やります。やらせて下さい!私、《不思議な絵》について興味があるんです!」
「決まりだね!頼りにするからね、ティティお姉ちゃん!」
「おねっ…!?わ、私の…立場が…」
「あ、そっか。ティティの立ち位置ってルーちゃんと被ってるんだ」
「〜〜〜っ!もう!決まったんなら行きますよ皆さん!ほら早く!」
「ちょっと、ルーちゃん!?待って、1人じゃ危ないから!」
ルーシャと双子が真っ赤な炎の山の絵の前に立ち、祈るように手を組むと…なんと3人の姿が消え、小さな光る球体のようになって絵に吸い込まれてしまった。
「おいおい、アイツらだけじゃまずいだろ。先行くぞ、ティトラ嬢は準備ができたら…」
「大丈夫です、元々採取に行くつもりで準備してきたので!」
「よーし、じゃあ行くよっ!アルトさんも、ほら!」
「はは、騒がしいね。君たちは」
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赤熱する滝。重く響く飛沫の音。
地を滴る灼熱の海は天をも赤く染め———大地の血潮の如きその威容は、人の踏み入るべからざる禁域を我々に啓示する。
僅かに一欠片の石片の如き岩場に、草も、花も、木も虫も無く、ただ赫灼なる轟音の静寂が世界を満たすべく地の底から迫り上がる。
この禁じられた地で歌うことを許されたのは、侵されざる唯一至高の被造物のみ。
その名は————。
「———
圧巻。無慈悲で残酷な、美しき紅の世界。
「ふらんぷふぁいる?何それ」
「わ、分からない…何か、急に思いついた、というか」
突然に浮かんできた…いや、入ってきたというべきだろうか。
「って、スーちゃん!良かった、ちゃんと入れたんだ…リディーとルーシャは?」
「あっちに居るよ。みんなを待ってたみたい…」
スーちゃんが少し元気がない。けど、当然だ。
ここは暑すぎる!っていうか、空気が熱い!喉が焼けちゃう!
「『アンフェル大瀑布』…なるほど。すごい世界だ。この光景を見れただけでも、協力して良かったと思うほどだよ」
「おい、アルト…どうしてお前は平気そうなんだよ…」
「ああ…どうみても暑そうな絵だったからね。対策してきたのさ」
「な、ずるいぞお前!俺にも寄越せ!」
「やーだね、その金属鎧を脱げ少しはマシになるだろ?」
「鎧を脱いだら怖くて前に出れないだろ!」
「はぁ…はぁ…げ、元気ですわね、男どもは…」
「あづい…溶ける…プニになる…」
あぁ…まだ入っただけなのに死屍累々。こんな所、長居したら冗談抜きで干物になっちゃうよ。
「フィリスさん、絵の調査って毎回こんな感じなんですか…?」
「わたしはまだ2枚目だけど…前回はすっごく寒かったよ。ルーシャちゃんなんて氷漬けになっちゃったし」
そりゃあ王女さま直々に人選する訳だ…。
「はぁっ、はぁっ…あ、あれ?ニンゲンさん!?」
「え?な、なんだ?」
「人間、じゃないな…妖精、いや作者の想像の産物か?」
あまりの環境に動揺する私たちの前に現れた少女が、驚き慌てた様子で話しかけてくる。トパーズのような瞳とクリーム色のツインテールが、小麦色の肌によく馴染んでいる。
「どうしてこんな所に居るんです!?死んじゃいますよ!」
「え?」
そんな可憐な彼女は、次の瞬間とんでもないことを口走るのだった。
「この辺りみーんな、溶岩に沈んじゃうんですよ!早く逃げないと!」
「「「「「「「…えぇ〜〜っ!?」」」」」」」
どういうことなの!?入ったと思ったらとても住めないような灼熱の環境で、さらにその世界は溶岩に沈もうとしているなんて!
「ふ、《不思議な絵》って本当に人が入っていいものなんですか!?」
「これはちょっと…予想外だな」
「ひゃー…《不思議な絵》って言う割に、何が起こっても不思議じゃないんだねえ」
「前の2枚も大変でしたけど、いくらなんでも滅ぼうとしている世界だなんて反則ですよ反則!どうすれば…」
「どうしてそんなことになっちゃうの!?」
「それは…火竜のせいです。奥地に住み着いた火竜が暴れて、火山が活発になって…どんどん溶岩が流れてきちゃってるんです。早く逃げないと、皆さんもボクも…ここはボクの故郷だけど、逃げるしかないんです…!」
また竜…。最近、よく遭うなあ。
果たして竜に火山を操って噴火させるような力があるのかどうかは分からない。けれど、個体によっては地形を変えてしまうほどの力を持った生き物だ。単純な物理的衝撃によって火山が刺激されることは考えられる。
それに、ここは《不思議な絵》の中の世界。
———不思議な絵由来の物品の大きな特徴は、現実にあり得ない法則で成り立つものがある、という点だよ。
お父さんが言っていたことを考慮するなら…この世界の竜は作者の想像した竜であると考えるべきだ。竜は神話にも登場し、その逸話は数知れない。この絵の作者が思い描く竜が現実のそれすらも上回る存在である可能性は十分にある。
「どうしよう…このままじゃこの世界、滅びちゃうんじゃ…?」
「そんなのダメだよ!」
リディーが口にした悲観的な予想を、スーはすぐさま、頑として拒絶した。
「まだこの世界のこと、全然調べてないもん。それに…故郷が無くなっちゃうなんてかわいそうじゃん」
故郷…。
もし、メルヴェイユが何かの災害で…例えば津波や、竜巻で、住めなくなってしまったら?
あの綺麗な海岸も、人が行き交う運河も、エドの住む古本屋も…私たちのアトリエも。全てが失われてしまったとしたら?
そんなの、嫌だ。絶対に嫌だ。あそこには思い出が詰まっている。生まれてからずっと過ごしてきた、私を私と定めてくれる全てがあの街にある。
それなのに今、この子は、その無念と悔しさを全部飲み込んで逃げて…見ず知らずの私たちのことまで気にかけてくれているんだ。
スーちゃんは言葉ではただ「かわいそう」としか言わなかったけれど、その言葉の裏にはきっと、いつだって相手の気持ちを考えて動く、スーちゃんの行動の芯があったのだろう。彼女は気楽なように見えて、人一倍思慮深いから。
「あたしたちで何とかしよう、リディー!」
「あははっ…!そう言うと思ってた」
だから時折、この2人が少しだけ羨ましく感じる。こんなにも違う相手と、双子として通じ合えるのだから。
「ねぇ、あなた」
「ボクは”あなた”じゃないです、フーコです!変な呼び方しないで下さい、人間さん」
むっとしたような表情と反応は、やっぱり幼い。フーコちゃんが見た目通りの年齢かは分からないけれど、故郷を失う悲しみなんて、まだ味わうべきじゃないだろう。
「むっ…じゃあ、あたしたちのことも名前で呼んでよ。あたしはスー。こっちはリディー」
「フーコちゃん。ここが無くなっちゃうの、いやでしょ?だったら、わたしたちが何とかしてあげる」
ああ、まただ。
いつの間にだろうか。まだ未成熟な肩幅だけれど、大きな背中になったものだなあ。
「ふふーん。あたしたちは
「錬金術士…?なんですか、それ…」
「あー、えっと…正義の味方みたいなもんだよ、うん」
その小さな背中は、私が憧れた
「わかりました。でも…口だけなのは許しません。ボクも着いていきます!…もしどうしようもないなら、その時は…ふふ…」
「…んん?ふ、フーコちゃん?」
「一緒に溶岩の海に…ふふふふふ」
こ…怖っ!?