ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜 作:メルヴェイユ市民
誰だって一度は
「おっ…おっ?おおっ!」
今日もめげずに《クラフト》*1の調合中…なんだけど!
ちょっと見たことない反応!釜が虹色に輝いて…煙が出て…。
このまま本の通りにかき混ぜてみよう。えーと、10秒で1周するくらい、釜の底をさらうように?
「これは…上手くいく…のかな?」
「ん?ティティ、どうかした…っ!?」
「あ、お父さん!見てみて、なんかいつもと違う反応なの。こんな光ったことなかったんだけど」
あれ?お父さん顔色悪い?
熱でもあるのかな。
「テ、ティティ!今すぐ釜の火を止め…いや離れろ!早く!」
「へっ?あ、あれ。なんか釜がぼこぼこ言って…あ。これって…」
「「ばっ…」」
————爆発するーっ!?*2
視界が虹色に染まり、私は意識を失った。
———ドォン!
———ガシャン!ゴトン!
———ドタドタドタッ!
「どっ…どうした!何があっ…何があった!?」
「はっ…お、お母さん…?」
「いったたたた…また派手にいったなあ、あはは…」
気絶したのも一瞬のことで、2階から駆け下りてきたお母さんの足音ですぐに目が覚めた。どうも私は仰向けに倒れているらしい。
「うわー…あたり一面びしょびしょだー。材料の《うに袋》*3も弾けて散らばってるし…あいたっ!」
《うに》*4が膝の裏に刺さったぁ!
どうしてお前はそんな所にいるんだね…?
「とりあえず一旦、
「あぁ…釜の爆発か。分かった」
「ごめんね、お父さん。お母さんも絵の邪魔しちゃって…」
ものすごい足音だった。
何か別の音もした。多分、パレットを落としてイーゼルも倒してすっ飛んできたんだろう。
「いいよいいよ。錬金術士なら必ず通る道だからね。僕もやった」
「ふ…あの
「ちょっと!ティティにはかっこいいお父さんで通してるんだから!」
「えっ?」
「えっ?ティティ?」
あっ。声に出た。
「いやいやううん!お父さんかっこいいよ!惚れちゃいそう!」
「マッ!」
「まて、クレメントは渡さん」
「お母さん!?」
ああ今度はお母さんが!?
「ほ、ほらお父さんプレート変えてくるんでしょ!お母さんもうにとか転がってて危ないから離れてってば!あと爆発させてごめんなさい!」
「むう」
お母さんを2階に押し込む。
よし片付けるよ、この話題から逃げる!
「うわ、棚の中身もバラバラ…ん?なんだろこれ」
片付けの途中、何やら見覚えの無いものを見つけた。
絵の具のチューブ…?でもなんか、変な感じ?
ラベルもないから何色の絵の具かもわかんないや。
「…お、懐かしいものを見ているね。そうか、ティティの方に仕舞ったままだったか」
「わっ、お父さん早いね。これお父さんの?」
「ああ。特別製、自家製の絵の具さ」
「へー…何色なの?」
「いや、
「うん?どゆこと?」
何色でもない?
白なら白って言うだろうし、そういうわけでもないよね。
「ちょっと出してみるといい。錬金術士でもあるティティならわかるかもしれない」
「え?分かったけど」
フタをひねって開け、キュッと押して指先にほんの少し乗せる。
「なにこれ…透明の絵の具?でもキラキラしてる…」
それに、見てるとなんだか…あったかいような気分になる。
不思議…なにこれ。なにこれ!
「お父さん、これも錬金術の道具なんだよね!」
「ああ。《ネージュの絵の具》という道具だよ。そうだね…ここで見つかったのも縁だろう。片付けをしながらひとつ、話をしてあげようか」
「お願いします、お父さん!」
錬金術の話ならいくらでも聞きたい。
「うん。その絵の具は、《不思議な絵》と呼ばれる特別な絵画を描くために使う絵の具なんだ。使い方は色々あるんだろうけど、僕たちは普通の絵の具に混ぜて使ったかな」
手袋をはめて、散らばったうにを集める。《不思議な絵》ってなんだろ。
「それを使って描かれた絵画は内部に世界を内包する。いわば、お絵描きを通して世界を創り出す道具だ」
「せっ…世界を…!?」
「ああ。ただ、当然だけど無条件に創り出せるわけじゃない。作者が想いを込め、どんな世界を描きたいかを強く願い…それでも必ずできるとは限らない。それどころか、成功例はごくわずか。とても狙ってできるものじゃないね」
だとしても、とんでもない道具だよね!
だって、世界を創り出せるってことは…えっと…あれ。
「ねえお父さん。世界を創り出せるとして、その後どうするの?外から眺めていると絵が動いたりするの?」
いや、世界によっては人間が居たりするだろうからちょっと…人道的によくないね。
「それも無いではないんだけど…不思議な絵の最も大きな恩恵は、その世界に出入りできるという点だ。ものを持ち込むのはもちろん、持ち出すこともできる」
「わあ…それってさ、例えば…虹色のリンゴとか、しゃべる本とか、空飛ぶホウキとかも作れるってこと?」
「そりゃ、できるとも。でも、それくらいなら錬金術で作ればいいんじゃないか?」
え、錬金術ってそんなこともできるの?
「私てっきり錬金術は薬と爆弾を作るためのものだと…」*6
あ、お父さんが頭を抱えた。
「それは違…違う…いや違わないかも…とにかく錬金術でできるさ!僕には無理だけど、高名な錬金術士はそれこそ時間や空間に干渉する道具も作ってるんだから」
なにそれすごい。
ちょっと怖いけど。
「《不思議な絵》由来の物品の大きな特徴は、現実にあり得ない法則で成り立つものがある、という点だよ。さっき言ってた虹色のリンゴなんかはもしかしたらこっちに入るかもね」
「ふむふむ」
「作者が”そのもの”を強く想像して描きあげるからか、不思議な絵から採れる素材はそこ特徴を本来よりも強力に発現していることが多い。例えば、花なら色味が強かったり、薬効が高かったり、よく匂ったり。時には、現実ではどうやっても手に入らないような特徴を兼ね備えた素材も手に入るから、錬金術の大きな助けになる」
ああ、なるほど。
それは特徴と特徴を掛け合わせて新しいものにする錬金術にとって、とても有用な素材だ。
「なるほどね…果物とかを採ってくれば、甘みや酸味が強かったり、栄養が豊富だったりするんなら、それだけでも十分に役に立つね」
「そうとも。《不思議な絵》はとても恩恵のある道具なんだ」
話している内に、片付けも大体終わった。ちょっと床が湿っぽいけれど…。
「これでいいでしょう。あとは水気が乾けば元どおりかな」
「うん。変に薬品とかにかからなくてよかったぁ」
さて、もう一度調合を…いや今日は大人しくしてようかな。なんで爆発したのか考えなくちゃだし…。
「…その絵の具、使ってみるかい?」
「え、いいの?」
「まあ、後で僕たちが見ながらって但し書きがつくけどね」
「うーん、どうしようかな…」
混ぜる量にもよるけど、残りはそう多くない。
もしかしたら、一度きりで無くなっちゃうかも…今は特に描きたいもののイメージもないし、さっきの《不思議な絵》の条件を突破できるとは思えないな…。
「今はいいや。いつか使いたいと思った時に残ってたら使わせて?」
「そう?まあいいか。じゃ、後でエレンに画材として仕舞っておいてもらおうかな」
「ありがと、お父さん」
「どういたしまして。さて、もういい感じに日も落ちてきたね」
突き上げた右腕を支えるように手を添えながら体を伸ばし、我が家の料理人はキッチンへと向かっていった。
…《ネージュの絵の具》ねぇ。
どうしてそんなものがウチにあったんだろ。まあ、お母さんなら《不思議な絵》を描けても不思議じゃないけどさ。
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翌日。
朝早く、市場への買い出しを終えた私はいま、家のあるリュンヌ通りを歩いている。
ここメルヴェイユはアダレット王国の王都。私の家がそうであるように海に面した港街になっていて、海岸と並行にまっすぐ走らされた2本の大通りを軸に発展している。海に近い方はリュンヌ通り、その向かいの通りはソレイユ通りと呼ばれ、街の中心に引かれた水路を挟む形で向かい合っている。
当然、錬金術士のアトリエもある…と言いたい所なんだけど、この街はあまり錬金術士がいないんだよね。そのおかげと言うべきか、ウチのお父さんみたいな平凡な錬金術士でもそこそこ繁盛してる。
最近「アトリエランク制度」なるものが始まって少しずつ錬金術士の噂が聞こえるようになってきたから、ウチもうかうかしてられないんじゃないの、とは思うけど…正直なところ、ウチの家計の収入はお母さんの絵の収入が圧倒的すぎるからアトリエが廃業になったところで路頭に迷うことはない。なんなら今ある分だけでもとりあえず3人、一生質素に生きてはいけるかもしれない。
ちなみに、ソレイユ通りは今は高級住宅地としてお金持ちのステータスになっているんだとか。持ち金で言ったらウチもそれなりだろうから本来はそっちに行くんだろうけど、お母さんはそんな見栄よりあの家から見える海の構図が気に入ったんだって言ってた。それに昔はリュンヌ通りの方が栄えていたらしいし、正直そんなにあてにならない評価だよ。
っと、考え事しながら歩くのは良くない…。
おっ?あそこに見える黄色と紫のコントラストが印象的な双子は…。
「おーい!双子ちゃーん!」
「……」
「あれっ…聞こえなかったのかな」
駆け寄ってもう一度話しかけてみよう。
「おーい、そこ行く双子…ヒィッ!?」
「ハァ…ハァ…おなか…へっ…」
「フゥ…フゥ…スーちゃ…あと、すこし…」
ぞっ…ゾンビだ。ゾンビがいる。
顔は真っ白、目の下に大きい
とっ…とにかく何か食べさせないと…おやつに買ってきたドーナツと…あと砂糖水*7でいいかな。
2人の肩を揺さぶって私に目を向けさせる。
「リディーちゃん、スーちゃん、これあげるから!食べたらちょっと休もう?ね?」
「…ぁ…ティティ…さん…おぁよう…ござ…」
「わたしたち…ちょっと…よゆ…ないんです…」
「イーゼル…食べる…薪…食べる…」
「しっかりしてぇ!気を確かに持ってぇ!」
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「んぐっんぐっ…ぷはーっ!生き返るぅ〜…」
黄色い服の少女が瓶入りの砂糖水を両手で持って勢いよく呷るのを横目に、紫色の服の少女がふぅ、と息をつく。
「ありがとうございます、ティティさん。ドーナツ、美味しかったです」
「ああもう、よかったよ…まるでゾンビやお化けみたいだったもん」
「あ、あはは…あながち間違いじゃなくなるとこだったかも…ありがとね、ティティ」
夢に出る。あれは絶対に出る。
人間の肌ってあんな《ゼッテル》*8みたいに白くなるんだね…。
「2人とも、また食いつめてるんだね…今度もお父さんが?」
「そう、そうなんだよティティ!あのバカ親父また無駄に画材買ってきて!」
この2人とは、旧知の仲だ。幼い頃から共によく遊び、その家庭についても知っている。
リディーはしっかりものながら天然、家計を握るお母さん役。たまに怒り出すと怖いけど、変に怒らせなければ優しい女の子だ。
スールはお金が大好きで愛嬌たっぷりのいたずら者。でも、人のことはしっかり見ていて意外と気配りが出来る。本当に困っている人は放っておかない。
ともに、14才。私より1つ下で、私よりもずっと良い子だ。
ただ、2人のお父さんについては…その。
「スーちゃん、やめよう?この話してるとまた…また
「うわああごめんリディーちゃん私が悪かったから落ち着いて!流石に《クラフト》なんてぶつけたらお父さん倒れちゃうよ!」
どうやら相当
いや、無理もないよね!あんまり深入りするべきじゃないだろうけど、どうにかならないものかな、あの浪費癖は!
「ティティさん…だめですよ。止めないでください。スーちゃんも離して。私もう決めたの。今度こそお父さんを改心させるって。大丈夫です、バカは死んだら治るんですから、半分死んだら少しくらい…」
そう、2人のお父さんには、浪費癖があるのだ。
元々はそんなこと無くて、とてもカッコ良くて優しくて稼ぎも良い立派なお父さんだったんだけど…とある事件がきっかけで、ダメダメになってしまったのだ。
「リディーだめ!お父さん最近あんまり運動してないんだよ?お母さんと冒険してたっていう頃とは違うんだよ!?」
「そうだよ!あ、そうだ。代わりにこれ、これあげるから!これならぶつけてもいいから!ね?」
トートバッグに入れっぱなしだった、あのフニフニの《クラフト》をリディーに手渡す。
「?…これは、《クラフト》?でもなんかぐにゃぐにゃしてて…なにこれ」
よし、怒りの黒リディーもこの謎クラフトの魅力には抗えまい。…あれ本当になんなんだろう…もう一度作れないかな。
「《クラフト》…の失敗作。多分威力もそんなでもないし、これなら投げつけるなり握らせるなりしても大丈夫だから、ね。ね?」
「わ、なにこれやわっこい!気持ちいい!ティティ、これ握っても大丈夫なんだよね!」
「いや、思いきりはダメだよ?あれでもきっと爆弾なんだからあんまり強く握るのは危ないからね?」
「すごい…揉んでいると気持ちが安らぐ…これが爆弾だなんて信じられない…これがあれば少しはラクになりそう…あの、ティティさん。どうやって作ったのか教えてくれませんか?」
ええー…困ったな、フツーに《うに袋》と《インゴット》と…あと《中和剤》、青だったかな。それで調合しただけなんだよね。おかしなことはしてないはずなんだけど。
「えーっと…まあ本のレシピ通りに…偶然できたから私もわっかんないかな!あはは」
「うぅ…ですよね。ティティさん、失敗って言ってましたし…どうしよう。もったいなくて使えなくなっちゃったよぅ」
「いいんじゃない?リディー、落ち着いたみたいだし」
「ごめんね…?でも、2人もすごいね!私、まだ全然《クラフト》なんて作れないのに」
リディーちゃんが取り出していた《クラフト》はギラリと光るトゲトゲが立派な素晴らしい爆弾だった。あれが炸裂したらプニ*9なんてひとたまりもないだろう。
最近、2人は錬金術の師匠を得たらしい。
どうやら、良い師匠に恵まれたようで、2人の成長は、ここ数週間だけでも目を
私だって、頑張らないと。
(…ティティ、なんか様子が変…?)
「えへへ…ありがとうございます。でもティティさんもお絵かきはとてもお上手じゃないですか」
「そりゃあね。あのお母さんの娘としてそれは譲れないとも」
「…そうだ!リディー、ティティ!それなら今度3人で、お勉強会しようよ!」
勉強会?
オウム返しに聞き返す。
これでも、ある友人のおかげで勉強はそれなりに出来る方だ。
ちょっとした算数や物理の知識ならある。
ただ、この子達が学びたいことといえば、そうじゃないよね。
「わたしたちで錬金術を教えるから、ティティはわたしたちに絵を教えるの!」
「ああ、そういうことね。いいよ、むしろぜひお願いしたいな」
《クラフト》の調合もすっかり煮詰まって一人じゃどうにもならなさそうだったもん。
「でもルーシャは呼ばなくていいの?すごい錬金術士なんだし、呼んだ方が2人も勉強になるんじゃ…」
「うーん、多分ルーちゃん忙しくて来れないんじゃないかなぁ…アトリエランク制度も始まって、前よりお店は繁盛してるみたいだし」
ルーシャ…ルーシャ・ヴォルテール。
彼女は私たちの幼馴染であり…
このメルヴェイユには錬金術士が少ない。そんな中で歴史あるアトリエを構えるヴォルテールの店は、連日、大量のお客さんを迎えて繁盛している。
「あー…すごいよね、広場の行列。こないだなんてソレイユ通りまで人が並んでたよ。アトリエってあんなにお客さん来るものなんだなあって驚いちゃった」
「ほんとほんと。ウチのアトリエにもほんのちょーっとでいいから分けてくれたらいいのにねー…」
まあ、その”ほんのちょっと”ですら、お父さんのアトリエでは捌ききれないかもしれない。
お父さんの仕事が遅いんじゃない。むしろ、お父さんは仕事の速さだけで見れば、ルーシャにも引けを取らない。
ヴォルテールが、あまりにも、驚くほどに、繁盛しているのだ。
「そういえばさ、結局2人はあんな
「えっと…ああっ!?私たち買い出しの途中だったんじゃん!」
「そうだったぁっ!?大変、もう行かないと売り出し終わっちゃうよ!ごめんなさいティティさん私たち行きますね!後でお勉強会の予定決めに伺いますから!」
「リディー早く!ティティ、またね!」
「う、うん!気をつけてねー!」
嵐のように去っていった…。
勉強会か、初めてかも。ちょっとだけ楽しみになってきた。
よぉし、双子を迎える準備もしなきゃだし、私も帰ろっと。
投げ当てると爆発し、その衝撃と飛散する棘が相手に物理的ダメージを与える。
釜の中身が飛び散る大惨事もあれば、大量の煙がボフンと上がる程度まで、その内容は様々。ただし、どれほどこっぴどく爆発しても、錬金釜は壊れることは無いし、その爆発そのもので錬金術士が負傷したという事例も無い。
そして、どんなに偉大な錬金術士も、一度は釜を爆発させるものである。
生息する環境によって色や材質、性格も様々であり、中にはベテランの騎士でも歯が立たないような個体もいる。が、大抵の個体は子供でも倒せるほどに貧弱である。
飼い慣らされた個体が伝書などの仕事をしたりペットにされたりもしている。