ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜 作:メルヴェイユ市民
突然現れたパールは、いつも通りの白を基調とした神秘的なドレス姿だった。
探索においても変わらない———こだわりと思われる———この装いは…雷雨にはミスマッチだな、とふと思いついた。
「ごめん!遅れた!」
「パール…?どうして…?」
「え、どうしてって…迎えに来たって言ってなかったっけ?」
迎えにって何の…ああ、そういえば。
———そろそろじゃないかなーって思ったから迎えに来たんだ。
エントランスで…雷が聞こえるちょっと前に言ってた…あのこと?
「話は後!」
「まさか…!?」
ファルギオルの様子がおかしい。
こっちはもう、隙だらけだ。パールが居るって言っても、死にかけのエドに打つ手のない私が後ろに居る。好きなだけ攻撃し放題だろうに、何もしてこない。
「愚かな!今更何の用だ!」
「何の用っていうか…お片付け?」
「な…に…?」
「散らかしたものは、ちゃんと片付けないとね」
なんか…話してるし。話が通じるなら、帰ってもらったりできないかな…。
無理だよね。
「貴、様…貴様ァァ!我をそれほどまでに愚弄するかぁぁぁ!」
「わっ……!」
今までの攻撃とは違う、技とも言えない雷の魔力の奔流がファルギオルの剣の先端から突然放たれ…パールが軽い調子でそれを受け止める。
どうやって受け止めているのか見てみれば、何か四つ葉のクローバーのような形の白くて平たいものを浮かべて障壁にしている。
乱暴な———それでも、これまでよりずっと強力な攻撃。けれども、パールは平然とした風で受け止め続けている。
「…い、いやー、それほど平気じゃないっていうか…」
「うおおおおおおおおおっ!!」
「うわわっ」
ファルギオルの叫びと共に魔力の奔流が放つ輝きが一層強くなり、僅かに押されたパールの足が地面を擦る。
「あっ、まず…」
「くらえっ!」
「———鬱陶しい!」
抑えきれず後ろへ———私たちの居る方へと倒れ込みそうになった瞬間、奔流の出所になっていたファルギオルの剣の横っ腹に矢が飛来し爆発。間一髪、攻撃が止んだ。
「今更…我の前に…!」
「ふぃー、ようやく出れた…みんな大丈夫!?」
「あ、フィリス!」
「パールちゃん!?どうしてここに…エドくんが大変なことになってる!?ルーシャちゃんも倒れてるし!?」
そうだ…手当を。
手当をしないと…どうやって?
《スウィーティー》*1、《素朴な焼き菓子》*2、《プニゼリー》*3…意識のない患者に、どうやってお菓子を食べさせるというのか。私の持つ道具には、気休めになるものすらない。
こんなのどうしようも…。
ああ、ダメだ。まだ戦いは続いているというのに、こんな風ではいけない。
いけないよ、私。
「分かってる…」
———ルーシャ…!ルーシャぁ!
———目を開けて!お願い、目を開けてよ!
立ち上がらないと。リディーもスーも、泣いてるじゃないか。
ルーシャが倒れたなら、私が…彼女たちを守らなきゃ。
「分かってるよ…」
「ティティ!立って!」
「パール…」
「わたし、貴方を助けるために…来たんだから!」
———分かってる…!
「え…?」
「分かってる、けど…分かってるのに…もう…」
ダメだよ。それを口にしたら、私は本当にダメだ。
そんなヤツは、憧れたような錬金術士にはなれやしない。
ああ、どうして。
あんなに諦めるのが怖かったはずなのに。
どうしてこんなに、諦めたくてたまらないんだろう———。
「もう、立てないよ…!」
涙は、もう出ない。
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———もう、立てないよ…!
「……」
あの頃は知らなかったな。ニンゲンの心がこんなにも複雑で、綺麗で、楽しく育ってて。
その代わり、とても繊細なものなんだってこと。
ずっと諦めないティティだから、ずっと壊れないって思ってた。
「フィリス、ひとつお願いしていいかな」
「ああもうこんな時に限って薬瓶のフタが開いちゃうなんて…!え、なに!?」
「一緒にあの子を止めて欲しいの。もう少しだけでいいから」
「ファルギオルのこと?」
「お願い」
もう少し。もう少ししたら、あの人が来るの。
みんなを救ってくれる、あの人が来る。
「希望が、もうすぐ来るの」
「…いいよ!どっちみち…もうそれしか無いみたいだからね」
それでティティが立ち上がれるかは分からないけど。
ここで終わりにはしたくない。終わってほしくない。
もっと、魅せて欲しい。
だから、ちょっともったいないけど…全霊を込めて、遊んであげる。
「滅ぼしてくれる———この手で!」
ああでも、なんだろうね?ファルギオル。
こんなに楽しくない遊びは初めてなんだ。
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フィリスとパールは大沼林での一件からも分かる通り、友人である。
お互いの実力について良く知っている———つもりの2人であり、突然のパールの出現にも関わらず陣形決めは速やかに行われた。
即ち、耐久力のあるパールが前衛、爆弾を持ったフィリスが後衛だ。
「滅ぼしてくれる———この剣で!」
「やらせないから!」
「フィリス!前は任せて!」
「分かった!」
「とにかく攻撃するね!」
「そうそう!押せ押せーっ!」
仕切り直しの先手を取ったのはフィリスだ。素早く矢を弓に番え、射ち放つ。
「———舐めるな」
大爆発を起こす一矢は、鋭く閃いた剣に矢の中ほどを断ち切られ、役割を果たすことなく地に落ちた。
「縛りつけて、ヒューレ、シルフェス!」
「…精霊などに頼る必要も無かろうに、戯れるか———」
四方から現れた吹雪の竜巻が鎖となり、ファルギオルを縛りつける———ことは無く、纏う紫電が吹雪の鎖を弾き飛ばす。
劣勢は変わらない。
「その傲慢、裁いてくれる」
「来るよ!」
「受け止めるっ!」
ファルギオルの右手には雷球が構えられ、左腕の剣からは電撃が迸る。『小雷』の予備動作と『鉄槌』の構え———防御に二択を迫る。
「えっ…ど、どっちが…」
「パール上っ!」
「堕ちろ」
『小雷』は未だ放たれず、振り下ろされた『鉄槌』がパールに迫る。フィリスの注意によって何とか直撃を免れたものの、余波の電撃は障壁がクローバー型の形状のために防ぎきれない。
「うぅっ…まだ保つもん!」
「あ、あれ…?パールちゃんにあんな攻撃が効いてる…?」
ファルギオルの攻撃を受けて苦しむ様子を見せたパールに、フィリスが動揺する。
まるでフィリスにとって、
「———貴様、化身か」
「あ、バレちゃう?」
「屈辱———この上我を侮るというのか」
「…という訳で、フィリス。今のわたしはそんなに強くないからよろしく!」
「えっ!?」
「ちゃんと助けてくれないと、すぐにやられちゃうから…お願いねっ!」
「ち、ちなみにどれくらい…?」
「今のフィリスと一騎打ちしたらギリギリ負けちゃうくらい!」
「そんなあ!」
パールの正体を知るフィリスにとって、その力量が予想の通りなら、彼女の登場は間違いなく勝利を確信させるだけの福音であった。
しかし、現実は違った。
フィリスと同程度の戦力が加わったのは間違いない。ただ、それだけで勝てる戦いでは無いのも…間違いなかった。
「その報いを知るがいい———!」
『鉄槌』に次いで天へと突き出された雷神の右手には、まだ雷球が輝いていた。
「カンタンに倒せると思わないでよね!」
再びクローバーの盾を構えたその小さな身体を、一筋の雷が打ち据える。
「くぅ…っ」
苦悶。少しずつ蓄積していくダメージ。
この時点で既に、エドとは比べ物にならない耐久力と言えるだろう。しかし、それだけだ。勝ち目が見えない戦いなのは変わらない。
「どうするの?このまま戦っても…」
「大丈夫…あと少しだから!あと少しだけ耐えれば、望みはあるから…!」
「あと少し…分かった。信じる!」
「吹き飛ばせ———『セラフィストーム』っ!」
フィリスが再び矢を射る。
吹雪の鎖が残した風の魔力をかき集めながら近づく神秘の矢。もう一度切り落とさんと、ファルギオルの巨剣が動く———寸前、氷の棺が剣を打ち据えて止める。
「へへっ」
「なっ!?」
不意をつかれた雷神の直前で、矢は鋭く軌道を落とす———足元に直撃した”爆弾”は、かき集めた魔力で一瞬の
「ぬ、を———っ!」
相変わらず、ダメージはない。
ただ…巨体が、浮く。
「そこっ!お願いシルフェス!」
さらに吹き荒れる暴風。上部は奥へ、下部は手前へ。すれ違う2方向の突風が、空中で無防備なファルギオルの巨体を急激に回転させ…。
「ガッ!?」
雷神は、綺麗にひっくり返った。
「うひゃー、見事に逆さまに落ちたね。痛そー…」
「あっはは!ナイスアシスト!」
「パールもね!」
「この我を——-ここまで虚仮にするとは———ッ」
雷神が纏う紫電が、より一層激しくなる。
これまでの圧倒的な力ですら、封印の影響で弱まっていた———それが、少しずつ真の力を取り戻し始めているのだ。
「…いけるよね、フィリス」
「うん。諦めないよ…これまでだって、そうしてきたから!」
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氷の礫が混じった風の槍を、雷神の剣が打ち払う。
降り注ぐ雷の雨を、緑に光る壁が傘となり遮る。
合間合間に差し込まれる矢は、的確に雷神の致命的な一撃を妨げる。
互角のようでいて…その実、勝ち目の無い戦い。
雷神の攻撃は、少しずつパールにダメージを与えているのに———パールとフィリスさんの攻撃は、ほとんど雷神に効いていない。
どれくらい、保つだろうか。
その戦場に、どうして私なんかが居るんだろう。来てしまったんだろう。
「ねえ、ドラゴネア…」
腰の袋に手を添える。その中にあるゴツゴツとした感触から、あの像が確かにあることが感じられる。
仄かに暖かい。この像は、いつも少しの熱を放っている。
「応えてよ…」
私の力は、それしかなかったんだから。
やっと見つけた、そう思ったのに。
———ォォ…ォォ…。
「…?」
何…?この声。
———ォォ…ォォ…。
聞こえる。
何処かから、声が聞こえる。
雷雨に混じって、声が。
———ドォ……ン。
———ォォ…。
———ゴロゴロゴロ…。
———ァァ…ォォ…。
「怨嗟の…あの声だ…」
ファルギオルの声じゃ、なかったの…?
———
「呼んでる…」
力の入らない足を引きずって…ほとんど無意識に、這いずるように、私の身体は声の方へと動き出す———直前。
「ティティっ!!」
戦場から聞こえた人懐っこいあの声が、私を引き戻した。
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ティティが謎の声に誘われるより少し前。
ファルギオルとパール・フィリスの戦いは、早くも佳境。
「あと少し」を待ち続けて戦う2人にも、限界が近づいていた。
「ねえ、パール…あとどれくらい耐えればいいの…?」
「もう、すぐそこまで来てるんだけど…」
「希望などない」
もう何度目とも分からない、雷の光条と白盾の拮抗。
「ぐううっ…!」
盾の裏側に肩と肘を当て、身体の全部を使って力一杯に支えるパール。元々非力な彼女では筋力に頼った所で大した足しにはならない。それでも、少しでも時間を稼ぐための足掻きだった。
度重なる雷撃に盾がガタガタと揺れ、次第にクローバー型の盾の、葉の一枚一枚がひび割れていく。
「あっ…パ、パール、その身体…!」
更に…パールの身体から、少しずつ粒のような光がぽろぽろと溢れて立ち昇り始めた。
盾のヒビが増えるにつれて、その量は少しずつ増えていく。
「まだ…っ!」
「母と言えど、化身ではな。良く耐えるものだが———」
雷の放出を止め、身体一つ分ファルギオルは飛び退る。
上体を捻り、左腕の剣を右肩の上まで高く構え、その全身が眩く照らされる程に強まった紫電が、剣へと収束していく。
『魔神大雷火』———まさに伝承に謳われる一撃を繰り出す、前動作。
既に、雷神はかつての全ての力を取り戻した。
紫電に煌めく蒼色の剣が振り抜かれた時、その前に立つ者がどうなるかは…誰の目にも明らかだった。
「終わりだ———言い残すことはあるか」
「フィリス、避けて。次はたぶん、保たないから」
「そんな…!ダメだよパール、それじゃ」
「大丈夫!この身体はどうせもうダメだし、旅は———またいつか、身体を作って行くから。ね?」
言葉もなく、悔しげに唇を噛みながらフィリスは雷神の前を離れた。
「すぅ———ティティっ!!」
盾に背を向けもたれるようにして、パールは振り向く。ずっと後ろにフィリスと…ティティを庇って戦っていた。
視線の先で、こちらの声に顔を上げたティティと目を合わせる。
「しばらく、会えなくなるけど———」
「—————っ!————っ…!」
バリバリと鳴る電気の音で、もうその返答は聞こえない。
「———夜明けの大地で、待ってるから!」
「———うおおおおおおおおっ…!!!」
その光は、メルヴェイユからも確認できたという。
ブライズヴェスト全域を、朝よりも眩しく照らした雷光と———地も鳴る程に轟いた雷音が———収まったとき。
パールが居た場所には、ただ電気が空気を焼いたオゾンの匂いが残り。
彼女を示すものは、何も残ってはいなかった。
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パール、とその名を叫ぶことしかできなかった。
その叫びも、果たして本当に声になっていたのだろうか。届いていたのだろうか。
彼女自身が、茫然自失とした私を守って消えてしまった今となっては、確認することは不可能だ。
「パ…ル…?」
この戦いに来て、私は何をしていたんだ?
私を守ってエドは倒れ、パールは———消えた。
私を…私なんかを守って!
ファルギオルが、双子に視線をやる。
「ルーシャ…!ん…ぷはっ…はぁ、ルーシャ…!」
「だめ…ルーちゃん、だめ…!死んじゃダメ!」
倒れたまま意識が無いルーシャに、リディーとスーが手分けして心臓マッサージと人工呼吸による蘇生を行なっている。リディーの知恵だろうか。
近くには、《そよ風のアロマ》も焚かれており、マティアスさんとアルトさんも集められている。…あれだけの重傷に、どれだけ効果があるのかは分からない。特に人工呼吸をされているルーシャは自発的には息をしていないのだろう。アロマはほとんど取り込めていないはずだ。
せめて———。
「邪魔だ。———-殺す価値も無い。失せろ」
「………っ」
ファルギオルの前に駆け寄り、腕を広げて立ち塞がる。
作戦なんてない。道具だって———もとから、一撃でも有効打が入れば御の字のつもりだったから、質の重視で数は多くない。さっきの交戦で使い切った。
「ファルギオル!こっちを向けーっ!」
自分が意識から外れたと見たフィリスさんが放った矢が、ファルギオルに向かって飛ぶも…やはり、斬って落とされる。
「貴様は後で葬ってやる———大人しくしているがいい」
「あぁっ…!?」
そして、返して振られた剣から稲妻が刃となって飛び…射手の足元に当たる。衝撃に吹き飛ばされたフィリスさんは…仰向けになって立ち上がろうともがいているが、上手く立てないらしい。
当然だ。彼女は、パールとずっとファルギオルを縫い止めていたんだから。
「…失せろと言ったが…死が望みか」
「———ぅああっ!」
私を双子の所まで蹴り飛ばし…ファルギオルが再び剣を振りかぶる。
またあの一閃が———雷火が全てを焼き尽くす、魔神の剣撃が、来る。
「ダメ…!逃げて!逃げてぇっ!」
「あ…ティティ…そっか、あたしたち、もう…」
「無理です、フィリスさん…もう、力が抜けて…」
「纏めて、炭にしてくれる———ッッ!」
「ダメええええええええっ!」
「———させないよ」
「ぐおおおおおおおっ!?」
白く弾けた、雷光とは異なる閃光。
振り抜かれる剣。眼前の芥を滅すべく解放された雷火は、
「む…っ!!」
これまでの、上位者としての余裕に満ちた態度を即座に捨てたファルギオルが睨みつけた先には———私たちを庇うように立つ、2つの人影があった。
「あ…、あぁ……!」
白い陶磁の肌の乙女を従える、
白衣をはためかせる堂々たる佇まい。全ての苦難の救済を予感させる風格。
「これが雷神ファルギオル。…思っていたよりもしぶといようですね」
「そうみたいだね。でも…」
声は弦楽器の艶を帯び、凜として揺るがず。
「これ以上好き勝手にはさせないから」
黒に紫紺を落とした
「ソフィー先生…!!プラフタさん…!!」