ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜 作:メルヴェイユ市民
「ソフィー先生…!プラフタさん…!」
あの2人が。
パールが言っていた、希望…。
白衣の錬金術士———ソフィーと呼ばれた人が、私たちに微笑む。
「もう大丈夫だよ。…プラフタ、この子たちをお願い」
「ええ。皆さん、動ける者は動けないものを引いて下がってください。私も手伝います」
地より光が溢れ、黄金色の紋様が円を描いて巡る。
「一発、ぶちかます!」
桃色の宝珠を戴く杖を身体ごと一回転して振ると、ファルギオルの周囲で無数の爆発が起きる。
「ぬおおおおっ!?」
爆弾———?けれど、なにか道具を使ったようには見えなかった。
魔法、使い…なの?
「貴様…その力、人間とは思えぬ。嗚呼、ネージュ…忌々しきネージュと似て…!」
「えー?あたしはただの人間だよ?キミが大したことないんじゃない?」
「覚えておくがいい!次こそは…必ず、滅ぼす…っ!」
爆発は見た目の割に威力は低かったのか———或いは雷神にダメージを通した
けれど、その光景に何かを警戒してか…捨て台詞を置いて逃げ去るように、ファルギオルは雷光の中に掻き消えていった。
「…去りましたか。ここは、態勢を立て直した方が良いでしょう」
白磁の少女———プラフタ、と呼ばれていた人が、そう切り出す。
間違いない。今の私たちには、とても追撃ができるような余力なんて無い。
それどころか、マティアス王子に、アルトさん、ルーシャ、そしてエドの4名は今すぐにでも病院に搬送するべき重体だ。意識不明、呼吸微弱、容体は一刻を争う。せめて、騎士団の医療要員に力を借りなければ———。
「じゃあ、応急処置だけしとこうか。———えいっ!」
そう、考えていたのだけれど。
「ぅ…ぁ、あれ?俺、どうなって…」
「っは…しまった、意識を…雷神はどうなったんだ」
この光、どこかで見た———。
———はい、痛いの痛いの飛んでけー!
———わたし、レンキンジュツシなんだから。頼ってくれていいのに!
———ああ。そうか。
本当に、錬金術だったんだね。
「ティ、トラ……ティトラ…?…っティトラ!」
「きゃっ…か、肩を…」
「ああ、無事だった…良かった…!」
目を覚ますなり、エドに掴みかかられる。
「またかよ…!ちくしょう、情けねえ…」
“エド、大丈夫だよ。私、生きてるから。”
そう、言ってあげれば良いのに。エドは頑張ったじゃないか。
あんなに、ボロボロになって。限界を超えて踏みとどまろうとまでして…結果がついて来なくたって。
ついて、来なくたって。
「……」
言葉は出なかった。
結果のない努力が無価値であることを、私はもう否定できない。
結果。結果だ。そう…。
「身体が…痛くない。怪我も治ってる!?」
「嘘…ソフィーさんって、魔法使い…?」
「…ううん。ただの錬金術士だよ。ただの」
———ォォ……。
「……エド。少し、いいかな」
「ティトラ?…今は、じっとしてた方が…」
「お願い。着いてきて。…ちょっとだけだから」
きっと、すぐそこだ。
「……あれは…?」
「ん?どうしたの、プラフタ」
「いえ…ソフィー、少しこの場を預けますね」
「え?いいけど…早く帰ってきてね?」
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———ォォ…ォォ…。
戦場から、少し離れた場所。
遺跡の壁にもたれかかるようにして、それは佇んでいた。
「おい、ティトラ…そろそろ戻った方が…」
「見つけた」
「…なんだ、あれ」
黒。
黒、黒、黒、黒黒黒黒黒———。
ただ、塗りつぶされた、世界。
朽ちた豪奢な額縁に収められた、真っ黒な絵画。
塗りつぶされて、もはや、元は何が描かれていたのか分からない。
———オオ…オオ……!
怨嗟の声は大きく響き、私の精神を揺さぶる。
エドは絵のことにしか気づいていない。やはり私だけにしか聞こえていない。
私だけの、声———私だけの…。
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だって、私より立派なお母さんが居る。
だって、私より優しいお父さんが居る。
どちらから見ても下位互換な私。どうしようもなく居る意味がない。
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「っ…また…?」
走馬灯の時と同じ、けれどそれよりも鮮明な、何かの記憶。
…いまは、気を取られている場合じゃない。
———
「あは…。後でね…」
「お、おい、ティトラ…?」
「…あ、エド手伝って。この絵を持って帰りたいの」
「え?いや、でも…なんか、危ないぞこれ」
「いいから。…私だけでも持って帰る」
こんな所ではよく調べる時間もない。早く持って帰って、この声を調べよう。
だってこれはきっと…この中には、かつて、きっと…!
「待ちなさい」
「…っ!?」
背後からの鋭い声。
振り返れば、碧玉の瞳が私たちを———いや、私を見つめていた。
「プ…プラフタ、さん…でしたっけ?」
「ええ。どうぞよろしく。…それで、その絵をどうするつもりですか?」
…どうもしません、と答えたら分かってくれるだろうか。
「…嘘はいけませんよ?」
「や…やだな、嘘なんて。なにも言ってないじゃないですか」
「…不思議な絵であれば、たしか…アダレット王国が回収しているはずです。無断で回収してしまうのは不義理というものでは?」
それは……。
当然だけど、拾ったものはそれが誰のものでもないのなら拾った人のものになる。しかし一方、アダレット王国の国策に逆らうというのは難しい。
もし、家にまで回収に来られたら…お父さんやお母さんは、それを拒否しないだろう。
この絵の特異性は…まあ、見れば明らかに異質だけど。ただ”不気味”という以上のことを感じ取れるのは私だけだ。ただの絵画。それを国が回収したいと言ったら、強く拒むことはできない。
けれど、国が回収に来るのは…これが《不思議な絵》ならの話だ。
「これ、《不思議な絵》じゃないみたいです。入ろうとしても入れないですから」
「…そうですか。確かに、その絵からは力を感じませんが…まあ、いいでしょう」
ほっ…良かった。
これが有れば、私は…今度こそ結果を出せるはずなんだから。
「では、私が持って行きましょう。見たところ、劣化と腐食で脆くなっているようです。2人がかりで王都まで運んでは、崩れてしまうかもしれません」
「プラフタさんが?…いや、俺が持ちますよ。もう身体は何ともないですから」
「おや、見た目で人を侮ってはいけませんよ———来なさい。《へクセ・アウリス》!」
プラフタさんが腕を振り上げ…それは現れる。
今日、私が見たもの———雷神、魔法のような爆発、そして奇跡の応急処置。
この果てしなく濃密で、遥か高みの世界を覗かせるラインナップに…今もう一つ、新たなメンバーが加わった。
「な、なんだ!?どこから…!」
「これも…錬金術…?」
巨腕。
金属質の素材で形作られた、チェスの駒を思わせる流線形。
明らかに重力を無視して浮遊する一対の
「さあ、行きましょう。皆が待っていますよ?」
「は…はあ…」
「超常現象はもうお腹いっぱいだぞ…」
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それから、第二班は撤退を開始し…暗雲覆うメルヴェイユへと帰り着いた。
言うまでもないが、作戦は失敗。第一班、第二班ともに死者こそ無いものの負傷者多数。
特に、足止めのために長時間の戦闘を行っていた教会騎士団には大きな損害が出ているらしい。
はっきり言って、勝算のない賭けに近い作戦だったとは言え…錬金術士たちの敗北に、王城には落胆の空気が漂っていた。
そして、ある意味で何よりも大きな傷跡———。
「ぜんぜん、歯が立ちませんでした…」
「反則だよ。勝てっこ無いよ、あんなの…」
双子の錬金術士姉妹は、今回の敗北と雷神の恐怖に、完全に心を折られてしまったようだった。
それは、私も変わらない———いや、変わらな
「黒い絵…か」
自室。王城へ寄ったのも束の間、私はすぐに理由をつけてその場を抜け、この絵を家に運び込んだ。
———私、少しアトリエに戻ります。この絵を調べる必要があるんです。
———え、ちょっと、ティティ!?
お父さんは今は王城の医務室に寝かされている。重症ではないけれど、足を痛めたらしくて激しい運動はできないとか。付き添いで、お母さんもそっちにいた。
だから、今この家には私しかいない。
「《不思議な絵》、じゃないんだよね…これ」
先ほど試してみた限りでは、《不思議な絵》のように中へ入り込むことはできなかった。私の考えでは間違いなく《不思議な絵》に関係のある品なのだけれど、少なくとも今はその力を失っているようだ。
ただ、絵画として見たとしても…とても、異質だ。
黒。ただ、黒。
作者も、題名も塗りつぶされて、色の濃淡すら無い、不気味な絵画。いや、もうこれは、ただインクに浸しただけの紙としか言えない。
そこにはもう、何も、読み取るべき心象も無い。
とても綺麗。
「…え?」
———綺麗?
私は、何を思ったというの?
そんな馬鹿な。そんな訳がない。
何が描かれたのかすら分からない。この絵はもう、たとえその黒の下に何かが描かれていたとしても…それを見ることは叶わないのに。
私は、どうして綺麗だなんて思った?
「違う…見える…」
黒の向こう。描かれたはずの世界が…見える、気がする。
目を細めて、凝らして、心を開けば———。
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私は本当に、不当に愛されている。
そんな訳無いのに。
人が人を愛するのに理由は要らないし。
人が人の愛を受け取るのにも、資格なんて要らない。
それは分かってるのに。
私はあの溢れるような愛に相応しくないって思ってしまう。
そんなことを思っている子は、悪い子だから。
だから忘れることにした。
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「ぁ……え…?」
流れ込む負の感情。溢れ出す記憶。眩んでいく視界。
正気ではいられない———闇に塗り潰された絵画の心象。
黒く光を吸い込む球となって絵画に吸い込まれていく。
まるで《不思議な絵》に入る時の姿のようで、それでいて正反対に暗く、冷たく。
ああ、引き摺り込まれたのだろうか。それとも望んだのだろうか。
ただ、言いようのない虚無感だけが、心の中を満たしていった。
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王城、エントランスホール。
ティティが自室で黒い絵画と向き合っている頃。
雷神のあまりの強さに戦意喪失してしまったリディーとスーは、怯むことなく雷神に立ち向かったソフィーにひとつの質問を投げかけた。
「ソフィーさんは…どうしてそんなに頑張れるんですか?」
「そうですよ。たしか、リアーネさん*1に話を聞いて、それで駆けつけただけ、なんですよね」
雷神を一度は追い払って見せたソフィー。しかし、熟達した錬金術士のソフィーであっても雷神は易しい相手ではないはずである。
命の危険を顧みず、旅の途中に訪れただけの都市。そこに住まう錬金術士でさえ召集に応じない者も多かったというのに、ソフィーは迷わずに対ファルギオル戦に加わっている。
なぜ、それほど必死になれるのか。なぜ、助けてくれるのか。
雷神など一捻りにしてやろうと意気込んでいた自分たちですら、今となっては諦めかけてしまっているというのに———それが、双子の疑問だった。
その答えは、とても単純な信念だった。
「あたし、錬金術はみんなのためのものだって思ってるから」
「みんなの、ための…」
「そう。だから、相手がたとえ知らない人だって…その人が困ってるなら、助けたい」
「で、でも!助けられるかどうか、なんて…」
「ううん、そんなことないよ。あたしは信じてる。錬金術は、どんな困難だって乗り越えられる力なんだって」
「…!」
だから、最後まで諦めない———それらの言葉を、”それだけ”だと締めくくる。
胸の前で両手を合わせ、傾げた顔をにっこりと微笑ませた先達の姿は、確かに双子に勇気を与え———そして、彼女たちはある
それは《不思議な絵》を利用した、ファルギオルの弱体化。
かつて《不思議な絵》に封印されたファルギオルは、絵のもつ何かの力に弱いのではないか———その考えに賭け、
斯くして、一行が一縷の望みに賭けて踏み入る世界の名は…『凍てし時の宮殿』。かの、《不思議な絵》の開祖、ネージュ・シャントルイユが自ら描いたという絵画は———。
———冷たく閉じられた拒絶の世界だった。
「ねえ、ティティを待たなくていいのかな…?」
「一度アトリエに帰るって、あの黒い絵を持って行っちゃったきりだよね…」
「今は時間も無いから…ティティちゃんは、もし王城に来たらこの絵に案内するわ。それで今は納得して頂戴」
雷神は再び現れ、それを足止めする役はソフィー、プラフタ、イルメリアの3名が志願した。
いずれも屈指の実力者とはいえ、たった3人…足止めに徹すれば問題は無いという言葉を信じるとしても、あまり無駄な時間はかけられなかった。
それぞれ別の絵画の世界を訪れることとなった、双子とティティ。
その探索を終える時、それぞれの手に何が握られているのかは———まだ、誰も知らない。