ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜 作:メルヴェイユ市民
お見逃しにご注意下さい。
「ネージュちゃーん!」
「ネージュー!一緒にあそぼーよー!」
「おいおい、見た目が子供だからってそんな誘い方でいいのか?ネージュって多分大人だったろ」
「いいの!だいたい、オトナの遊びなんて知らないもん」
「「ぶっ…!」」
「あれ?ルーちゃん、フィリスさんも…どうしたんですか?顔が赤いような…」
「い、いやいやいや!なんでもありませんよ!ねえフィリスさん!」
「そ、そうだねルーシャちゃん!なんにも知らないよわたし!」
———おじさまが置いていった艶本に手を伸ばしたのが、ああ…運の尽きでした。
———うう。リア姉の本、読むんじゃなかったなあ…。
ネージュ親交作戦が発令されたはいいものの、作戦は第一段階でつまずいていた。
仲良くなるには、まずは一緒に遊ぶこと———それはいいが、しかし肝心のネージュが姿を現さないのでは何も始まらない。仕方なく、どこへともなく声をかけながら宮殿を探索することとなった。
そうするうちに一行は、今度はファンシーな雰囲気の部屋を発見する。部屋の壁面が全て凍り付いているのは変わらないが、中央にクマのぬいぐるみが群をなしてより集まっている。
「ネージュ、ネージュ…お?ここおもちゃ部屋?」
「わあ、たくさんのぬいぐるみだ!かわいい…あれ?これ、なんだろう…ボロ切れみたいな…違う!?これぬいぐるみだ!」
リディーが拾い上げたのもまた、ぬいぐるみ。他の全てのぬいぐるみと同じく、クマを象ったもののようだ。
しかし、汚れがひどく、所々の布が破れて綿が飛び出てしまっている。
『大人なんて。人間なんて』
『みんな、わたしの力がほしいだけ』
『大人になんて、ならなければ良かった』
「……え、今のなに?」
「ネージュちゃんの声?大人になんて…って」
突如として一行の脳裏に響く、ネージュの声。
それは、少女ネージュの本当の正体に迫る手がかりだった。
「大人にならなければ…か。そもそも、どうして子供のネージュが居るんだろうな」
「どういうことですか?マティアスさん」
「ああ、《不思議な絵》を集めるって決めた時に調べたんだが、ネージュの最期は記録にもしっかり残ってるんだ。…人付き合いに嫌気がさして、山奥の小さな小屋で息を引き取ったとか」
ネージュ・シャントルイユの生涯の功績について語られた書物は多かれど、その人柄を語った書物は多くない。その中で共通して語られることは、大まかに分けて2つの特徴だ。
ひとつは、癇癪を起こす気難しい性質であったこと。そしてもう一つは、人嫌いであったこと。
《不思議な絵》の創出、ファルギオルの封印…錬金術士としても、画家としても大きな功績を残した彼女の、”シャントルイユ”の血は、誰に継がれることもなく一代で絶えたという。
「歴史上のネージュとあの少女ネージュは、別人なのかな?」
「…だとしても、きっとその記憶は持っているはずです。今聞こえた声は、あの少女のものでした。ならば、あの少女もまた…」
「人付き合いに嫌気がさしたネージュってことになるんだね…」
「ううー…小難しい話はやめ!頭がこんがらがっちゃうよ」
ネージュの人物考察に深く入り込みそうになった会話だったが、スーの叫びによって中断された。
「このぬいぐるみ、直してあげてもいいですか?」
「リディー?でも、あまり時間もないし…」
「いいんじゃないかな?」
「アルトさん?いいんですか?」
「ソフィーたちなら、少し遅れたってどうってことないさ。それよりも、今は情報が欲しい。大局を見れば、ここでネージュと仲良くなるのに時間を使うのは悪い選択じゃないだろう」
他のメンバーも異論はないようだ。
「じゃあ、急いで直してきますね!待っててください!」
「よし、行くよリディー!」
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「戻りました!」
「おっ、早かったな」
「そりゃあもう、特急お急ぎ便で頑張ったもん!ねっ、リディー?」
「あ、あはは…その分いろいろ散らかしちゃったけどね…」
待つこと数時間、おもちゃ部屋に待つ一同のもとに、双子がぬいぐるみを抱えて戻ってきた。
錬金術によって継ぎ目もなく修繕されたぬいぐるみは、以前とは見違えるほど可愛らしい。
「よいしょっ…と。ネージュちゃん!ぬいぐるみ直ったよ!」
「今も聞いてくれてるといいんだけどな———」
「———どうして?」
「うぉお居たっ!?」
リディーが声をかけると、遠巻きに眺めていたマティアスの背後からネージュがスッと現れ、マティアスを押しのけて近寄ってきた。
「そんな邪魔みたいにしなくても…いじいじ」
「大の男がいじけるな、見苦しい」
「そんなこと…頼んでもいないのに」
「あはは…あんなにボロボロになっても置いてあったから、きっとネージュちゃんの大事なお友達だとおもって」
“大人になりたくなかった”———今のネージュの身体は、まさにその願望を叶えた姿をしている。
人間の精神というものは、その姿形に大きく影響を受けるものだ。子供の姿をしていれば子供らしく、大人なら大人らしく。男性、女性、果てはマスコットにコスプレ…人は、姿によって自分の大枠を無意識のうちに規定する。
もともと子供であることを望んでいた彼女の精神は、尚のこと見た目相応…女児のような構造になっているはずである。そんな彼女にとって、このぬいぐるみの群れは何か特別な意味を持っているとしても、何ら不思議は無い。
尤も、リディーにそのような打算などは無いのだが。
「ねぇ、ネージュちゃん。私たちとお友達にならない?」
「あたしたち、ネージュと話がしたいんだ。一人より二人、二人より三人、でしょ?仲良くしない?」
「友達…」
友達。
その言葉は、ネージュにとってどんな意味を持つだろうか。
どのような過去を、想起させる言葉だろうか。
———また、裏切られる…!
「…いい。もう、放っておいて」
心境も知れず…ネージュは再び消え去った。
「ネージュちゃん…」
「根気だよ、リディー!なんどだってアタックすれば、きっと心を開いてくれるはず!」
「…そうだよね!よし、頑張ろう!」
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広く、広く、冷たい。
なぜ、ネージュがこのような広すぎる宮殿を望んで描いたのか。それは本人にしか分からない。
もしかすると、それは本人にすら分からないことなのかも知れない。
『孤独のダイニング』———そう名付けられたこの空間は、神殿のような石の柱に支えられた広間の空間に、長大な食卓が配置され…そこには大量の座席が揃えられている。
それを使う者は、この宮殿にたった一人しかいないだろうに。
「この絵、ネージュが初めて描いた絵なんだよね」
「ん?…ああ、そのはずだぜ」
「じゃあ、その時からもう、ネージュはこんなに冷たい…凍った世界を描いていたんだ…」
《不思議な絵》は、《ネージュの絵の具》に描き手の強い想いが合わさって初めて完成し得る———それでも出来るとは限らない、奇跡の産物。
誰も描いたことのない奇跡の絵、その1枚目として『凍てし時の宮殿』を描きあげた、その事実は…彼女の凍てついた心の内の表れなのだろうか。
「でも、この食卓には沢山席がありますよ。やっぱり、ネージュちゃんも本当は…」
「うん。やっぱり…誰かと。友達と一緒に食べるご飯が、一番美味しいからね」
「そう、ですよね。そうですよね、フィリスさん!」
或いは。
時を凍てつかせてでも、留めておきたかった幸せが、そこにはあったのだろうか———。
『一人の食事。いつも通りの光景』
「あ…また、この声…」
『だが…ああ、どうしてだ』
『まるで胸のあたりが、空になってしまったようだ』
「ネージュ…」
『本心では、また…』
『また、友と一緒に…食卓を…———』
『———いや。一時の気の迷いだ』
『もう、友など作るものか』
『友など、いくら居ても裏切られるだけ』
『これは、自分で決めたことなのだ』
この宮殿の氷は見た目ほど冷たくない。それどころか…どこか、暖かですらある。
相反する性質。矛盾した願い。《不思議な絵》は、それを叶える。叶えてしまう。
今となっては、この氷は…ネージュの心を守り、凍てつかせる、壁となってしまっているのだということ。それは間違いないことだった。
「今の声…さっきのネージュより大人っぽく聞こえた」
「ええ…しかし『裏切られるから友達はいらない』ですか。成長しても同じことを考えていたとなると、これは彼女の根深い本心なのでしょう」
ルーシャの分析は正しい。
「でも!」
そこに誤りは無いからこそ…無理を通す頑固さが、今は必要だった。
「でも…迷ってるみたいだった!きっと本当は友達が欲しいんだよ!だから…!」
リディーは懇願した。
元気いっぱいの妹に、おしゃまな近所の幼馴染。いつも一歩引いて、手を引かれて。
彼女の幸せな日常は、常に沢山の友人や、家族によって支えられてきたことは、誰よりも彼女自身が理解していた。
そんなリディーにとって、友を失い、全てを凍てつかせたネージュは、転んで膝を擦りむいてどうしようもなく泣きじゃくる、幼い頃の
一人の姉として、リディーにはネージュを放っておくことはできなかった。
しかし、ネージュの態度は頑なだ。
どうにかして彼女の心につけ入る隙を作らなければ、友達になることはできないだろう。
「ふっふっふ…フィリスさん、閃いちゃいましたよっ?」
「ふぃ、フィリスさん?その独特のノリはなんなんですか…?」
無視。
「ここは立派なダイニング!そして食卓に席も十分!ということで…みんなでごはん、食べない?」
同じ釜のメシを食う。仲間入りの
調査隊の面々には、アプローチとしては間違っていないように思われた。
…で。
「ネージュー!出ておいでー!」
「いや、その…お前これ…」
「ネージュー!」
「い、いやいや。いやいやいや!流されねぇぞ、俺は流されねぇ!」
「なに?うるさいなあ、もう」
「皿の上に骨つき肉置いただけじゃねーか!」
ダイニングに大きな声が反響する。これが現実なら、近所から迷惑だと苦情がはいる声量だ。
食卓の一番端っこ、お誕生日席などと呼ばれる席に、今は一つの大皿が置かれていた。
その上には、
「美味しそうじゃん?」
「それは認める。認めるが、これで本当に来るのかよ…?」
「それを確かめるために呼んでるんでしょ?ほら、マティアスも一緒に!ネージュー!」
「お、おう…ネージュー…」
「声が小さい!ほら、お腹の底から声を出して…ネージュー!!!」
「うぅるっさあああいっ!わたしはペットじゃないっ!」
ついに騒音被害にクレームが入った。
「あ、来た!ほらネージュ!ご飯食べよ!」
「はあ…ご飯なんていらない。いいから放っといて、あと出てって」
受け答えは少し砕けて来た様子だが、相変わらず態度は同じ。ほっとけ、出て行けの一辺倒だ。
しかし、人間とは三大欲求の訴えに抗い難い生き物である。
「えー?とっても美味しいよー?ほら、こっち来て食べよ?」
———ぐうぅぅぅぅ…。
「うっ…」
「あはは!ほら、お腹の方は食べたいって言ってるよ?」
「そ、そんな、ことは…」
「お話しながらみんなで食べようよ。ね?」
「わ…」
「「わ…?」」
「わかっ、た…」
「「やったーっ!」」
「ちょっとだけ!ちょっとだけだからね…!」
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10分ほど後。
「ごちそうさま…♪」
幸せそうな声色で呟いたネージュの皿には、綺麗に骨だけになった元・骨つき肉があった。
「すごい勢いで食べちゃった…わたしといい勝負かも。今度ウサギのロースト持ってきてあげようかな」
「ま、まあ…思ってたより美味しかったけど」
「あはは、お粗末さまでした。美味しかったなら良かったよ」
ネージュの後ろ、お腹のあたりに両手を添えて微笑むリディーの顔は、何かの欲求が満たされたように充実している。
妹をもつ姉というイキモノの性なのだろうか。
「さて…これであたしたち、友達ってことにならない?」
「なっ…飛躍よ!飛躍しすぎ!もっと段階を踏んで…」
「そんな…。わたしたちのこと、嫌い…?」
唐突に拒絶され、リディーは悲しげに顔を俯かせる。心なしか涙ぐんでいるようにも見える。
「あー泣かせたー。ネージュったらひどいんだー」
「え、わたしなの!?ああもう何が何だか…友達にはならないから!じゃあね!出てけ!」
もう見慣れた方法で消え去るネージュを見送り…確かな手応えを感じつつ。
再びネージュと交流できる機会を求め、幾度目かになる宮殿の探索を再開するのだった。
「くふふ…順調順調♪」
「あと少しで…ふふっ♪」
「うう…ネージュちゃん、わたしのこと嫌いなのかな…」
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———『ネージュのアトリエ』。
ついに、この押し入り強盗あらため、押しかけ友達の一団は、家主の自室にまで押しかけたようであった。
「よくもわたしの自室にまで来てくれたものね?」
部屋の入り口に仁王立ちで待ち構え、恨みがましく上目に一行を睨めつけるネージュ。
しかし…この絵画の世界に入った当初に比べれば、その雰囲気はずっと柔らかくなったように思われた。
「そりゃあね。道なりにすすむと、もうここくらいしかなかったし」
「もう…あれだけ出てけって言ったじゃない…。でも、いいわ。友達になってあげる」
「おや、随分と素直になりましたね。少々意外ですが———」
「———ただし。条件があるわ」
友達になるための条件として、ネージュは一つの賭けを持ち出した。
「わたしがやりたいこと。当ててみなさい?」
「やりたいこと?」
「…あ、遊びたいことよ!友達のしたい遊び…それくらい、分かって当然でしょ?」
随分と無茶を言い出したものである。
「色々調べてもいいわ…友達のことをよく知ることも大事でしょうから。でも、もし外したら…」
「…外したら?」
「その時は覚悟しておくことね」
「うわあ…どうなるんだ。また魔物に襲われるんじゃないか?」
「それくらいならいいじゃないですか。どうせ勝てますし」
「お前は後ろで応援してるだけじゃねえか」
「失礼な。危なくなったら加勢しますよ」
ネージュの顔は本気だ。
もしかすると、ただ魔物に襲われるだけでは済まないかもしれない。
「それで…本当に挑むのかしら?この”条件”に」
「…うん!だってわたし、ネージュちゃんと友達になりたいもん!お料理も、お絵かきも、冒険だって…一緒に沢山遊びたいもん!」
「……」
「くふふ…待っててよね。絶対に当ててみせるから」
———本当に、わたしの友人になってくれるというなら…どうか。
———どうかお願い。信じさせて。…お願い。
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色々調べてもいい。その言葉を盾に、双子はそれはもう色々と調べて回った。
ネージュのアトリエは、ただ一人で住まうにはやはり広すぎる空間である。双子が暮らしている平家のアトリエなど、裕に5つは並べられるだろう。縦に積めば10も20も入ろうというスペースがある。
そして、そんな広大な部屋の壁には、先に見つけた本棚よりも大きな本棚が、いくつも並べてある。
「あんまり時間をかけ過ぎるわけにはいかないし…それらしい趣味とかが分かりそうな本は…」
「あ、スーちゃんこれ!アルバムだよ!」
「おっ!どれどれ…うわあ、すごい…!」
リディーが見つけたアルバム。そこに収められていたのは、ネージュが描いたと思われる数々の絵画だった。
全て画用紙に描かれており、1枚1枚は決して大きくは無い。
しかし、この殺風景な宮殿にあってなお豊かな想像力と表現力でもって描かれた世界は、それぞれが確かな色彩を宿しており…。
『絵を描くこと。どんな時だって、それをつまらないと思うことは無かった』
『もし…友人と共に絵を描けたなら…それは最上の幸せだろう』
「…わたし、分かったと思う。ネージュが本当にやりたいこと」
「うん、あたしも。…っていうか、これで違ったらウソでしょ。ウソ」
「あはは、そうだね…じゃあ、行こう。スーちゃん」
「うん。リディー」
———新しい友達に、挨拶をするために!
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目を閉じて、ただ何かを待つように佇むネージュは、確かにこの宮殿の主。
ただ一人、静かに。寂しさを押し殺し、閉ざされた宮殿で凍てついた時を過ごし続ける孤独な少女は———。
「…心の準備は、できたのかしら」
———その氷を溶かしてくれる誰かを待っている。
「「うん!」」
「なら、聞かせてちょうだい。わたしが友達とやりたいこと…それが何か、分かる?」
「ネージュちゃん!一緒に———お絵描き、しよう?」
「絵を描くの、大好きなんだよね?アルバム見たよ。どれも綺麗で…すごかった!あたしたちにも描けるかな?」
———ああ。わたしは、待っていたんだ。ずっと、生きていた頃から。
「…ええ。きっと…描けるわ」
———誰かが、ただのわたしを…ネージュを見てくれる日を。
「ずっと、誰かと一緒に絵が描けたらって…そう思ってたの」
「やった!あのね、あのね!わたしたちのお父さん、画家なんだよ!」
「まぁ、絵を練習してるわけじゃないんだけどね…あ、友達にも絵を描くのが上手い子が居るんだ。今度連れてきていい?」
300年前の時代を生きた、いにしえの錬金術士ネージュ。
かつて氷の宮殿に自分を閉じ込めた少女は、時を超え、自分を助け出す少女たちと出会ったのだった。
そう、300年前である。
結局のところ、このネージュとは何者なのか。それは、ネージュ自身の口から語られることになるのだった。
「わたしは、現実のネージュの残留思念。ネージュが死んでから、ずっとここで暮らしてきたの」
曰く…《不思議な絵》と一度でも関わった者は、
そのような者が現実で死亡すると、魂が絵の中に残ることがある、らしいとか。
いわば幽霊のようなもの、とはネージュ自身の言である。とはいえ、その表現は適切ではなく…。
本人が死後、絵の中で生き続ける。そういう表現の方が近いらしい。
少なくとも、幽霊そのものではないとか。
「わたしは願い事のせいなのか、気がつくと子供の姿だったんだけどね」
「《不思議な絵》って、本当に不思議だなあ…」
「ふふ…まあ、そういうわけで、あなたたちが求める情報も、当然知ってる。…なにしろ、このわたしこそファルギオルを封印した張本人なんだから」
「それって、ファルギオルを…!」
目を瞑り、思い出すように———事実、思い出しながら、ネージュはその方法を語り始める。
「アイツの弱点は、人の純粋な思いのかたまりである、《不思議な絵》そのもの。絵の世界では、ファルギオルは力を発揮できない。そこで…」
ネージュは言葉を一旦切り、傍らのキャンバスの近くから一つのパレットを取り上げ、双子に差し出す。
「あなたたちに、これをあげる」
《虹のパレット》。
現実世界で絵の力を引き出すための、間違いなくファルギオルに対する希望となる道具だ。ただし…。
「ま、まあ…今はちょっと、理由があって壊れちゃってるんだけどね」
「あ、あはは…たしかにね」
そのパレットの持ち手となる穴の周りが、粉々に粉砕されてしまっている。
「えっと…どうして壊れちゃったの?」
「……それは、その」
「リディー、聞かないでおこう?ね?」
重ね重ね言うが、この世界には魔物を除いてネージュしか住人がいない。そして魔物はネージュの支配下にある。
置いてある道具を壊してしまうような要因となる人物は、もちろん…ネージュしかいない。
「と、とにかく!それがあれば、ファルギオルを倒すこともできるはず。わたしには、封じることしかできなかったけど…あなたたちならきっと」
「ネージュちゃん…うん!わたしたち、きっとファルギオルを倒してくるよ!」
「よし。頑張りなさい…ほら、早く行きなさい!時間もないんでしょ?」
「あ、そうだった…またね、ネージュ!また来るから、もっと遊ぼうね!」
「あ、そうだ…あなたたち!これからも絵の世界を旅するつもりなら、『黒の絵の具』には気をつけて」
「え…『黒の』…それって」
———この絵を調べる必要があるんです。
「それ、どういう意味———」
「———ごめん、リディーちゃん。今は元の世界に戻ろう?」
「あ、フィリスさん…そう、ですよね」
『黒の絵の具』について聞こうとしたリディーだったが、時間切れだった。すでに調査を初めてから半日が経とうとしている。
先に出発して足止めを行なっているソフィー、プラフタ、イルメリアの3名はそれぞれ高速な移動手段を個人で有しており、絵の調査が始まってすぐの頃にはもう戦いを始めているはずである。
双子たちがこれからもう一度、1日かけてブライズヴェストへと向かわなければならないことを考えると、そろそろ時間の限界だった。
「ティティさん…大丈夫かな」
「大丈夫だよ。きっと、ファルギオルとの戦いには来てくれるはず…」
光に包まれ、絵の世界を離れる中で、双子が想う人物。
彼女が今、どうなっているのか———それは、今は誰にも分からないことだった。
本作では数時間でさくっと終わらせた壊れたぬいぐるみの修繕ですが、原作だとなぜか48時間もかかるレシピでの調合になっています。
つまり原作でファルギオルの足止めに出た師匠組3人は…。