ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜 作:メルヴェイユ市民
ファルギオルを…倒した。
その事が、まるで実感が湧かなくて。
ただ、なにか神聖な静謐の中で。
私たちは、しばらく、ただ呆然と…その跡を見つめていた。
役目を終えた『凍てし時の宮殿』の世界が消えていく。
同時に、私の広げた『黒の色彩』の世界も———ただ、その刹那、僅かな差で、私は見る事ができたのだ。
雲が晴れた、青い空の向こうから差す———温かな陽光の”色”を———。
「あ…ねえ!みんな!晴れてる!晴れてるよ!ぃやったー!」
「ほんとうだ…」
「かみなり、止んだんだね…」
フィリスさんの朗らかな声に、まさに氷が解けたようにして皆が動きだす。
そう。私たちは———。
「勝った、んだよな…俺たち」
「ああ、そうだよ。…胸を張ったらいいんじゃないか?王子」
「お…おう!そう、そうだな!…勝った、勝ったんだ…ははっ!」
「終わったようですね、ソフィー」
「プラフタ!大丈夫なの?」
「ええ。ソフィーこそ…」
「メルヴェイユを…アダレットを…守れたんだ…」
「よく…頑張りましたわね。リディー、スー…そしてティティも」
「あん…ちょっと、やめてよ。私だって、どっちかといえばお姉ちゃん側でしょ?」
「あら。私からしたら貴方も年下…甘えてきてもいいんですよ?」
「1歳差じゃん…イタズラされそうだから辞めとく」
「あ、バレましたか。いけずですね、もう…」
———この日常を、守ったんだ。
「おーい…おーい!」
「イルちゃんだ!イールちゃーん!勝ったよー!」
「わぷっ…こらフィリス!抱きつくな!」
「褒めて褒めて!ほーめーてー!」
「はいはい、偉い偉い、さっさと離れなさいねー」
「ああー…」
…イチャイチャしてる…。
なんか、そろそろ勝った余韻よりも、”日常感”の方が強くなってきたかも。
「もう離れろ!わたしは言う事があるんだってば!もう…みんな!王都行きの馬車が来てるわよ!」
「えっ!?馬車ですか!?」
「そんなものがあるなら、ここに来る時も使わせて欲しかったのにー!」
確かにそうだ。馬車に乗れるなら雨に濡れながら行軍する必要も無かったし、もっと早く着けたはずなのに。
「わたしに言わないでよ…あんな雷雨の中じゃ、人を乗せた馬車なんて馬がいつ暴れるか分からなくて走れないわよ」
「あれ?じゃあ、なんで今は馬車があるんだ?雨が止んでから王都を出たにしちゃ、ちょっと早過ぎるだろ」
「できるだけ賢くて大人しい馬を選んで、騎士団でも腕利きの御者が空の馬車を用意してくれたのよ」
それはまた…なんとも無茶をして頂いたというか。
「よくここまで来れましたね…」
「ま、そのお陰で帰りは半日もかからないわよ?」
とてもありがたい。
なにせ、あの激闘の後だもの。私も疲れているし、何日か着替えてもないから風呂に早く入りたいけれど…何より、リディーだ。
「リディーは早く帰って、医者に見てもらわないとね」
「あ、そうだね…一応、飲ませた薬なら大体の怪我は治るはずだけど、やっぱり専門のお医者さんに診てもらった方がいいと思うよ」
「そうですよね…うぅ、お注射とかされないといいなあ…」
いやー!しかし…青空はいいなあ。…もう灰色にしか見えないけど、それでも晴れた空の方が何倍も気分が良い。
(…また『黒の色彩』を広げれば見えるわよ?青空)
(やめてよ、いきなりあんな泥を出し始めたらみんな驚くじゃない)
さすがに、使い所は弁えようと思う。今までの錬金術士としての戦い方ができなくなった訳じゃないし。
『黒の色彩』は、まあ…人目につかない所とか、どうしても戦力が欲しい時とか。そういう時に使おう。折角の力を腐らせるのも勿体ないから、使える時は使うけど。
「ティティ?あなたも何を”私は早く帰って風呂入ろー”みたいな顔をしてるんですか?」
「へっ?」
「へっ?じゃありませんよ!手ですよ、手!」
「あ、そうだよ!ティトラちゃんも手に大怪我してたよね?」
え…あっ。
そういえば…一度。手が雷でズタズタにされたりもしてたっけ…?
な、治ったから…別にほっといても…。
「…ダメ?」
「ダメ!」「ダメです」
そんな…こんな、何日も汗を拭いてすらいない身体でお医者さんに診せるの!?
いやだ!絶対にいやだ!
「…ティティさん」
「な…なにかな?リディー…」
「はい、これ。あのドラゴンさんです。近くに落ちてましたから」
あ…拾ってくれたんだ。
「ありがとう。じゃあ、これで———」
「ティティさん?」
———にこり。
慈母のような微笑みだ。
「仲間、ですよね!わたしたち!」
「いやあ……」
なんか、帰りたくなくなってきたよ…はぁ。
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馬車は6人がけの大きなものだったけれど、流石に余り快適ではない。ブライズヴェストが荒地だったのもあって、振動でお尻が痛くなってきた。
フィリスさんなんて、途中からチラチラとリュックからホウキを取り出そうとしては———。
「ダ、ダメダメ…一人だけ空を飛ぶなんて…寂しいし…うう、でもぉ」
———こんな調子で、一人呻いていた。
正直、こちらとしては気にしないから飛べるなら飛んでしまった方が絶対に良いと思ったのだけれど…それを言い出すと、なんだか仲間外れにするみたいで気まずかったので言えなかった。
まあ、これも旅の思い出だろう。
そうそう、思い出と言えば…なんと、馬車を持ってきた”腕利きの御者”、その一人は知り合いだったのだ。
知り合いというよりは…知り合いの父と言うべきだろうか。
いや、あいつを知り合いと呼ぶのはあまりに過小評価が過ぎるというものだけど。
「ガッハッハ!荒っぽい運転で済まんなぁ!」
「いえ、むしろ馬車を運んでくださって…あの道のりを歩いて通るのは本当に大変なので…助かりました。エクトルさん」
そう、エクトル・オードラン。
かの少年、私の友人…もはや親友と呼んで差し支えないか。あのエドワール・オードランの父親である。
先代の騎士団長を運転手にして馬車に乗っていると思うと、この振動もなんだかゼイタクなものに思えてくるから不思議だ。
「よせやい。…本当は、あの雷神には俺たちでケリをつけてしまいたかったんだ」
「エクトル前団長…でも、ファルギオルの胸にあった傷、あれは前団長のっすよね?」
マティアスが言うには、そうらしい。
確かに、ファルギオルの胸には私たちが戦うより前から大きな切り傷があった。
あの場に…第一班に居た者で、剣などの刃物を使い、あれほどの攻撃を行える者といえば…前団長と、現団長の2人しか居ないと思っていいだろう。
「ん、まあな。でもよ、アレ、トドメのつもりで斬ったんだぜ?」
「いやいやいや…」
私たちがファルギオルを倒せたのは、
圧倒的な火力と、硬さ…本来の強さのファルギオルに対してあれだけの傷をつけた斬撃の冴えというのはどんなものなのか、残念ながら想像がつかない。ぜひとも一度は拝見したいものだ。
「昔っからこうなんだわ。ここぞ、という時にどうしてもコケちまう…まさか
…まあ、そうか。
思えば、エドワールも…パールと出会った時と、ファルギオルの時。どちらも全霊を以って私を守ろうとしてくれたけれど…その上で、一歩及んでいない。
結果のない努力…。いやでも、結果というなら…エクトルさんは何故、そのクセが治っていないのに騎士団長にまでなれたんだろう。
「おや…植生が変わってきたな。そろそろ湖沼地帯に入るみたいだ」
窓の外を見ていたアルトさんが、旅程が進んでいることを景色を通して示す。
本当だ…いつの間にやら、木や草が多くなってきた。心なしか、馬車の振動も少しだけ落ち着いた気がする。
「わあ〜…!綺麗な青空!」
「そうだね。この空…わたしたちが取り戻したんだよね」
「その通り。…存分に誇ると良い、リディー、スー」
青空かあ…。
ちょっと、こうも見せつけられると…自分でやったこととは言え、心にクるものがあるかも。
(後悔してる?)
(…ううん。まだ未来があるからね)
“叶えるもの”は言った。この失われた色覚は、回復することができると。
具体的な方法は分からないけど…まあ、気長に、張り切って探すとしようかな。
なんと言っても。これからは、もっと険しい所にも行けるようになったんだから。
ブライズヴェストを越えたら、いよいよその先は秘境。
行き先は2つ。『モラキス連峰』そして…『夜明けの大地』。
どちらを選ぶかなんて、当然分かりきっている。
「…ティティ」
「アルトさん?」
「都に着いて、色々な準備が終わったら…そうだな。明後日、僕のアトリエに来てくれないか」
…来たか。
まあ…うん。分かっていた。アルトさんは初めから…ううん、初めよりも前から、私が何か危ない力に頼ることを危惧していた。
だから、あの泥を生み出す私を見て、なんとも思わないはずは無い。
「はい。いいですよ」
事情を話すか、話さないか。…迷うなあ。
信じられる人だとは思うけど…むしろ、あの助言を破った私自身の方が信じられる人では無くなっている気もするから。
…などと考えていると、急に女子たちが色めきたった。
「えっ、ちょっとティティ!?一人で行くの!?」
「ア…アルトさん!ダメですよ、女の子を一人でウチに誘うなんて!」
「なっ…ち、違うぞフィリス!僕はそんなつもりじゃ…!」
ん?…あ、確かに。
そういや私は女の子、そしてアルトさんは男の子。
こりゃまずいわ。
「…きゃー、おそわれるー、たすけてー」
「スケベ!エッチ!アルトさんのヘンタイ!」
「やめろティティ!あとリディー、僕はヘンタイじゃない!」
「あっははは、いいぞリディー!もっと言ってやれ!」
「マティアス…アルトさんが自分よりモテるからってさ…かっこ悪ぅ」
「おいおい、マー坊の卑屈とナンパはまだ治ってねえのかよ!それじゃいつまでもモテねえぞ?」
あはは…なんだか、急に騒がしくなっちゃった。
まあ、何とかなるでしょ。
今はまだ、雲も空も同じ色でも…きっとまた見える日が来る。
だって。あの空は、そんなに青いんでしょう?
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「ただいま〜…」
私が、自分の家の戸を開けたのは…決戦を制したこの日の、深夜。
既に都は寝静まり、ほとんどの建物の明かりも消えている。
当然、この我が家の明かりも消えていた。
…流石に、2人とも寝てるだろう。
「おかえりぃいいいいっ!」
「んぶぅっ…!?」
ドアを開け、部屋の中へと身を入れ切った瞬間。私の視界は何者かのシャツの布地に覆い尽くされた。
「ぶはっ…っていうかお父さんでしょ!」
「ああ、やっと帰ってきたねティティ!待ってたよ!よく無事でよかったああ良かった助かった!」
「ちょっと…落ち着いてお父さん、言葉おかしいから。あと苦しい。力強すぎ」
まるで大蛇にでも絡みつかれたかのような圧迫。流石に強すぎる。
ていうか、仮にも年頃の娘なんだけど…こんなに無遠慮に抱擁できてしまう凹凸の無さよ。悲しい。
「お腹空いてないかい?空いてるよね!大丈夫、約束のオムレツはすぐにでも作れるように準備してあるから!」
「いや、ちょっ…空いてるけど、嬉しいけど、こんな夜中にオムレツって」
「家族の団欒に昼も夜も無いだろう?ほらほら座って、ほら!」
あはは…ダメだこりゃ。完全に暴走してる。
大人しく座りますかね…本音を言うと、オムレツ食べられるの、ちょっぴり期待してたし。
「〜♪〜♪〜♪」
「鼻歌まで歌ってるよ…」
「言ってやるな。…おかえり、ティティ」
「お母さんも!…ただいま。お母さん」
食卓には、お母さんが既に座っていた。
傍らに、赤ワイン*1のグラスが2つと、食べかけのチーズの皿が1つ。なるほど、晩酌をして待ってたんだ。
「エクトルが迎えに行ったと聞いてな。今日のうちには戻ってくると踏んだ」
「そういうことね。ありがと、お母さん」
「私は慣れてる。…だがクレメントは、酷かったな」
えっ?お母さんの方が酷いと思ってたんだけど。
「自分が待たせる側だから、待つのに不慣れなんだ」
「あー…お母さんは待つ側だもんね」
「もし力があれば、ついていっていた」
「よく旅してたよね、お母さん」
もし、力があれば。
はは。似ているねえ、私。
「そういえばお父さん、怪我してたよね。左の方」
「治した」
「いや、そんな簡単に…錬金術?」
「ああ。自前のを常備しているらしい」
それで治りが早かったのね。
うーん、お父さんも仕事を受けられる程度の錬金術士ではあるはずなんだけど、それでもその程度か…。
やっぱり、あの時…私の手やリディーの骨折を瞬く間に癒してしまった薬品類は、とんでもなく強力な品だったらしい。
「これは頭が上がらないなあ…特にルーシャ」
「ん?」
「ううん。大丈夫。…うー、すっごい美味しそうな匂い…」
「…ふふ」
早く食べたいな、お父さんのオムレツ…。
「お父さーん、まだー?」
「今できるよー!」
(どう?…この力は、貴方の求める力だった?)
うん。
私、幸せだ。
(そう…ええ。それなら…良かった、のかしら)
…ねえ。
(何かしら)
見えてるんだよね?私の見えているもの。
(ええ。貴方と同じ色が)
それなら…うん。分かった。
(何がよ?)
ふふ、内緒。
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《目的メモ》
『雲の向こうへ』
ファルギオルを倒して、
メルヴェイユは守られた。
次の目標は『夜明けの大地』。
それと…もう一つ。
叶えたい目標ができた、かも。
【ティトラ】
□・『夜明けの大地』にたどり着く
□・『黒の色彩』に本当の色を塗る
↑いつか、本当の空を見せてあげる 【ティトラ】