ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜 作:メルヴェイユ市民
本作の《不思議な絵》、及び『黒の色彩』についての言及が変化しています。
(2022.3.30 PM13:03)
黒色の研究
ファルギオルを倒した日から、2日。
つまり、アルトさんと約束した”明後日”が来た。…来てしまった。
現在の時刻は午後。お昼過ぎに会おうという約束だ。
「ううん…おかしな所は無いかな」
別に、何かおめかしするような理由も用事も無いはずなんだけど…。
やっぱり、実力ある錬金術士のアトリエにお邪魔するとなれば、それなりに服装にも気合というものが入る。
どうだろう。暗色のスラウチ・ハット、照った日差しに合わせた通気性のある白ワンピース…もうちょっと凝りたい所だけど、
それに、最低限度の薬品類の道具と、スケッチブックと色鉛筆———いや、画材は置いていこう。どうせ描けない。
空いたスペースで…あ、そうか。『黒の色彩』は持っていった方が話が早いかな。
(…一応、言っておくけれど。その絵がダメになった時点で、その力も私ごと消えるからね)
…やっぱりやめておこうか。
御守りの《お母さんの刷毛》は、持っていこう。
それと、水筒とかちょっとのお金とかを持って…こんな所かな。
「…よし。行くか」
(しかしまた…可愛らしい格好をしたわね)
(まあねー…アルトさん、なんだかんだで芸術センスには
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「…いや、僕に芸術性を期待されても困る」
「ええっ?」
「絵は…苦手なんだ」
い…意外すぎる…!
「むしろ、そんな格好で、女性の君がこのアトリエに出入りしていたら…あとで女性客から問い詰められるな、これは」
「な、なんだか…苦労してますね?」
「……っ!?」
な、なんだ。その反応は。
「き…君は…」
「は、はい…?」
「君だけだ…!この苦労を理解してくれるのは…!」
ええ…。
「女性客は悩みの種、マティアスはやっかみで嫌味を言ってくるしリディーは何かを勘違いしてハレンチ呼ばわり!君だけだ、僕が…困っていることを分かってくれたのは…ッ!」
「はあ…。大変、なんですね」
「それはッ!もう!大変に大変だとも!」
どうしよう。何か変なスイッチを入れた気がする。
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「す、すまない…取り乱した」
「いえ、お気になさらず」
どれだけのストレスを抱えているのかはよく分かりましたから。
正直、営業妨害でミレイユさんにでも訴え出ればいいと思うの。
「それで、私を呼んだ目的はなんでしょう?…まさか、女性客について熱弁するためではないでしょうけど」
「そうじゃない、それは忘れてくれ。あと語弊のある言い方はやめて欲しい。…もちろん、君のあの力について、だね」
そうだよねえ…。
「僕が思うに、あの力は当然、君が持って帰った真っ黒な絵に関連がある…」
「そうですね」
関連、どころか、あの絵こそが力の源な訳だけれど。
「そして、君はその力を得るために何かを代償にささげている。違うかい?」
「…さて、どうだと思います?」
「その”
む…鋭い。そして手強い。
「…何を捧げた?」
「言わないと…ダメですか?」
「そうだな…他言はしない。第三者との信頼に関わらず、君との関係性の変化にも関わらずだ。何があっても、君の了解なしに誰かにそれを言うことはしないと誓おう。…それでも話せないか?」
す、すごい縛ったなあ。
正直、お父さんとお母さんにさえ伝わらなければそれでいいんだけれど。
「どうやら反応を見るに…あまり、隠すことは重要視していないようだ。寿命や魂では無さそうで少し安心したよ」
「え、いや…どこでそんな技術を得たんですか?まだお若いですよね…?」
読心の心得でもお有りで?
見た感じ、私とそう変わらないか、少し年上…どう多く見積もっても18程度だろう。
その年でアトリエを構え、錬金術士として大成しているというだけでも信じ難いことなのに…謎が多い人だ。
「”若い”…ははっ、そう見えるかい?」
「え、若く無いんですか?…何か、呪いにでも?」
「いや。そのうち知ることもあるだろう。…ふむ、呪いというのは言い得て妙だな」
ええ…年が止まる”呪い”…?それ、どちらかというと呪いじゃなくて”祝福”とか”奇跡”とかなんじゃ無いのかな。
「僕のことはいい。まだね。…で、代償だ。どうだ、話してくれるかい」
「まあ、はい。私の両親に伝わらないようにしてくだされば」
「ああ。約束しよう」
じゃあ、言ってしまおう。
この人が私をどうするか、それは分からないけれど…この人は底が知れない。何にせよ、いずれは思い通りに転がされてしまうような気がする。
それよりも、情報を明かしてしまって…私の目的を手助けしてもらえないか、頼んでみたい。
私のことを、私よりも鋭く理解してくれたこの人なら…『黒の色彩』に色を塗る方法について、何か分かることがあるかも知れない。
「言いますね。…”色覚”です。今、私は白黒にしか物が見えません」
「…それは…」
あれ。言葉に詰まったな。
「す、すまない…思ったよりは、重かったようだ」
「何だと思ってたんです?」
「例えば…何かの財産、未来の一定期間における不運、あるいは記憶の一部…失っても構わないものや、自分の身体の外にあるものだと」
あー…確かに。そういうものと比べたら、確かに…重いのかなあ。
ちょっとまあ、白黒の視界で生活するっていうのは、画家云々以前に精神的に辛い部分がある。元々は色を知っているからこその感覚かも知れないけれど。
「だって君は、画家のタマゴだろう?それが、色を見れなくなったら…」
「そうですね。…まあ、それしか無かったんですよ。それに、回復できない訳じゃありませんから」
「…ふむ。聞かせて欲しい」
要望にお応えして…。
私は、現状でこの力について持っている情報を、考えつく限り全て明かした。
あの泥の正体が《黒の絵の具》であること。
泥を生み出すために、『黒の色彩』にエーテルが無いため、”霊魂”を代わりに消費すること。
“霊魂”は休息をとったり、魔力や精神力の回復に伴って回復すること。
代償として与えた色覚は、力を手放すか、『黒の色彩』を《不思議な絵》として復活させることで回復させることができること。
この力を、”叶えるもの”との取引で得たこと。
これらの情報は、”叶えるもの”から教えられたということ。
話の途中から、アルトさんは机に両手をついて項垂れながら震えていた。
「おい…ちょっと、待つんだ」
「え、は、はい…」
「さ…捧げてるじゃないか!魂!」
…まあ、そうなるね。
捧げたというか、捧げる手段を得たというか。
(ついでに教えておくと、『黒の色彩』と貴方の霊魂は繋がっているわ。だから『黒の色彩』が失われたり、力を手放したりすると、貴方の霊魂は大きく欠けることになる。…まあ、ちゃんと栄養摂って2〜3週間も寝込んだら元に戻るかしら)
これも伝えてみた。
「それは、そうだろうな。…即死や即植物状態ではなくて良かったよ」
「えっ、なんですかその危険な雰囲気の単語は」
「そのままの意味さ。霊魂は単なるエネルギーだ、だから回復する。しかし…本当に全てを使い切ってしまったら」
項垂れた姿勢から首を見せつけるように頭を上げたアルトさんは、右手の親指を立ててその首元に突きつけ、端から端へと勢いよく滑らせた。
つまり、首を切る動作だ。
「こう、だ」
「ま、まあ…それはそう、かも?」
「君は…はあ。…その”叶えるもの”とやら、信用できるのか?」
…どうだろう。
別に、まだ出会って数日だし…思い出したくない記憶を無理やり引き出されたりしたし…。
信じていいのかな?
(ちょ、ちょっと…!?言っておくけれど、貴方が力を手放した時は私の方が失うものは大きいのよ!)
(そうなの?)
(当然よ!まず、絵は元通り真っ黒になるし…そうしたら…)
そうしたら…?
(…この絵が《不思議な絵》として壊れ切る前に貴方がやってきたから、何とか世界としての
(狂う?それってどうなるの?)
(…そこまでは知らない。けれど…私は、怖い。もしそれで、私までおかしくなってしまったら…)
「そんな!」
「うわっ…なんだ、急に。黙り込んだと思ったら」
「あ、す、すいません」
思わず大声を上げてしまった。
そんなことって無いだろう。勝手に作られて、勝手に雷神を封じられて、壊された挙句に、狂わされる。
それは、無しだ。看過できない。
(貴方があの時、私の呼びかけに応えて、あの絵を持ち帰って…壊れた《不思議な絵》の扉をこじ開けて入ってきたのは、私にとっては奇跡だったのよ。だから、その願いを…)
(最初で最後の訪ね人の願いを、叶えたかったの。…たとえ、私にその力がもう、残されていなかったとしても)
…そっか。
(私の全ては、結局は絵の中のものだけ。だから、これ以上貴方に信じてもらえるような根拠は無い。その上で、どうするかは任せるわ。貴方の願いが叶うなら、私はそれでいいから)
「…決めた。信じます、私は」
「…どうしてだ?」
「私が『黒の色彩』に入り込んだのは、半分ほどは事故です。ですが…半分は私の意思です。その責任はとります」
これは本音の半分だ。
「それに、見てみたいんです。あの絵が本当の色を取り戻した姿を」
元は美しい世界だった。それが、分かるから。
できるものなら、それを見てみたい。
「…難しいな…」
「えっ…《不思議な絵》って直らないものなんですか」
「いや、僕の個人的な判断の話だ」
何なんだろう…。
「だったら…よし。その話、僕も協力しよう」
「いいんですか?」
それ目当てで打ち明けた所もあるので、私はかなり助かる。
「ああ。といっても、リディーとスーの調査に付き合うから採取とかには付いていけないが…僕の方でも、色々調べてみようじゃないか。黒い絵について」
「ありがとうございます!助かります!」
良かった。
どうやら、すぐにでも手放せ!と言われるような事態は避けられたらしい。
「《不思議な絵》は元々興味があったからね。壊れてない絵はリディーとスーが調べるだろうけど、壊れた絵は王城の画廊にも無い。ちょうどいい機会さ」
すごいな、本当に。この人、知識欲と行動力、決断力が半端じゃ無い。知りたい、と思ったことには全く躊躇いなく全力で突っ込んでいくみたいだ。
「あ、そうだ。手始めに、あの黒い泥…少し出してみて貰えないか?サンプルに欲しいんだ」
「え、まあ良いですけど…汚れますよ?ここでいいんですか?」
「いいさ。どうせ掃除もロクにしてな…あ、いや。リディーに怒られるな…」
あはは…どうやら、リディーが押しかけ女房よろしく世話を焼いているみたいだ。
あの子、面倒見いい上に頑固だからなあ…アルトさんみたいな生活ダメって感じの人は放っておけなさそうだ。
「…なんとか、少しだけ出せないか?」
「…やってみます」
う、ううん。あの絵の具、出そうとすると、なんか…こう、溢れ出すような感じがするんだよね。
上手いこと、ちょっとずつ、ちょっとずつ緩めるような感じで…そーっと…そーっと…。
「おお…影が揺らめいているような…不思議な光景だ」
「ちょ。ちょっと、危ないですよ、そこ…あと上は見ないでくださいね」
今日はワンピース…膝ほどの丈のスカートだからね。
しゃがみこんで影を覗き込む姿勢から上をみられると…ほら、ね。
「んん?なんでだ?」
「きゃああああっ!?」
———ドバッ…。
「うわ———ぶっ!?」
「な———なんですか!?何があったんですかアルトさん!?」
「うわっ、真っ黒…こりゃ洗うの大変だぁ…」
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ちょうど。私たちの”逢瀬”が気になった双子が入ってきたお陰で、掃除は何とか終えることができた。
今は———2人揃って正座中です。はい。
「まったくもう!なにが”僕はヘンタイじゃない”ですか!乙女のスカートを下から見上げるなんて!」
「す、すまない…本当にそんなつもりじゃなかったんだ。反省している」
「ダメです!」
ひえぇ…リディーが怒ってる…。
「あ、あの、リディー?悪気も無いんだからその辺で…」
「ティティさんもティティさんです!その格好で足元にしゃがみこまれて、それを放っておくなんて!もっと気をつけて下さい!」
「ひゃい!」
うう、飛び火した。
「うーん、中々落ちない…これ、お風呂入った方がいいと思うよ?」
リディーがお説教をしている傍ら、スーがアルトさんの真っ黒になった顔を濡れタオルで拭き取っている。
その成果は、芳しくないようだ。
「それ、本当に取れないんだよね…特に肌に付くと、かなり」
「なにか無いのか?特効薬みたいな方法は」
「そうですね…あ、もしかしたら」
アルトさんの頬に指先を触れる。
ファルギオルとの戦いで、私はほとんど直感的に、この《黒い絵の具》の塊に手を突っ込んで操作していた。
そして、その手を引き抜いた時…私の手には泥は付着していなかったのだ。つまり、触れている間、この泥は完全に操作できる…かもしれない。
「おおー…吸い込まれて、丸まってる!怖いけど便利だね、それ」
「まあね…っと。これで全部ですかね?」
「んー、見た感じは。どう?リディー」
「ふんっ!…まあ、いいと思いますけど」
ああ、機嫌が悪い!
こうなったリディーはおっかないんだよね…このまま帰しちゃうのはスーちゃんに悪いし、片付け手伝ってくれたお礼もしたいし…。
…うん。そろそろおやつの3時だよね。
「ねえ、みんな。この後時間ある?」
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というわけで、皆さんを自宅に急遽お招き致しまして。
「今日はお父さんもお母さんもお出かけだから、好きに寛いでいいよー」
「「はーい!お邪魔します!」」
「お邪魔するよ…うん。いいアトリエだね」
さて、ではキッチンから材料を取り出して…錬金釜へ直行だ。
使う材料は《雪の女王》*1《大型のタマゴ》*2《麦粉》そして《バター》*3。
「全部放り込んでー…」
(豪胆ね。料理なんて見たこともないけど、こんなものなのかしら)
(いやあ、錬金術で作るんじゃ無いならもっと気をつけることは多いと思うよ)
イメージするのは宝石のような輝きを放つ《リンゴのタルト》。ツヤツヤと焼き上げられた表面はまるでトパーズのように煌めき、切り分けた断面はコハクのよう。齧ればサクサクとしたタルトの食感にリンゴの自然な甘みと酸味が絡まって…もう最高!
国によっては王族の饗宴にも出されるというこのお菓子は、市井でも広く親しまれ、これを作れるかどうかで母親への子供の目線がワンランク変わるという大人気の味なのである。
さーて、そろそろ釜の泡立ちも落ち着いて…出来上がりかな?それっ!
「できたっ!」
見た目、味、食感、全てが芸術。ワンホール、直径40cmほどもある巨大な《リンゴのタルト》の完成だ。
お菓子は大抵、パティシエさんたちの努力によって芸術表現が研究されているから、作りやすくて助かるね。
「お、大きいな…余ってしまわないか?」
「余らせるつもりで作りましたからねー。その分は小分けにして、双子とアルトさんに持ち帰って貰おうと思って」
どちらも、放っておいたらお腹を空かせて倒れそうな面々だ。理由はそれぞれ違うけど。
「あ。甘いものダメだったりしました…?」
「いや、好き嫌いは特にない…あまり頓着していないからね」
やっぱりかあ。
よし、じゃあさっぱりめの《フルーティー》も出して…。
「おーい!そこでボーッとしてる双子ちゃーん。《リンゴのタルト》ができたぞー」
「「やった!」」