ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜 作:メルヴェイユ市民
人類の夢、空の旅
「というわけで、エド!何かいいもの知らない?」
「そう言われてもなあ…」
オードラン一家の古本屋にて。
私とエドは、来るべき夢の実現について、熱く議論を交わしていた。
「空を飛ぶのよ!地面をちまちま歩くより、よっぽど速いと思うでしょ?」
そう、新たな移動手段の確保だ。
無人で走る馬車なんかを考えたりもしたけれど、操縦する方法をどうするかがまるで分からなかったし…そもそも地上を動く限り、山や川、森などに遮られてしまう。
そこで目をつけたのが、空だ。
空には山も森もない。まさか、建物にぶつかるはずもないし、人を轢く可能性だって考えなくていい。素晴らしい経路だ。通れさえすれば。
「簡単に言うなよ?俺が知る限りだと、空を飛べる手段と言ったら…」
エドが見せてきたのはどこか異国情緒あふれる表紙の本。
そのとあるページには、パンパンに膨らんだ袋の下に、カゴのようなものがくっついた巨大な物体が宙を浮いている…そんな絵が描かれていた。
「まず、第一に思い浮かぶのは気球だな。この本に乗ってるのほど大きくなくても、3〜4人乗れる程度のものなら錬金術が有れば何とかなるかもしれない」
「うーん…まあ、そうね。これだけ大きなものなら、飾り付けも自由が効きそうではあるかも」
「飾れるかどうかで作れるかが決まるのも中々難儀だよな」
本当にね…。
とはいえ、パールが居なければそれにも気付けなかった。作れる可能性があるだけでも、全然違う。
「次は…飛行機だな」
今度はやや分厚めの本だ。何やら設計図のようなものが描かれていて、小難しい専門用語がビッシリと並んでいることは辛うじて分かる。それ以上は頭が認識を拒んだ。
「な…なにこれ?」
「その名の通り、空を飛ぶための機械さ。羽が付いてるだろ?これで風に乗って、びゅーんと空を飛ぶ」
む、無茶だ。
「それで本当に飛べるの…?」
「さあな。ここに乗ってるのも、あくまで理論だけだ。実践したって記述は無いし、俺一人で作れるほど簡単でも小さくもない。ティトラが手伝ってくれるなら、いい実験になるし俺としても賛成だぞ」
「や、やめとこうかな…」
無理だ。たぶん飛べない。鳥の翼は確かに人類の夢だけれど、背中に翼をつけたって人は空を飛べないよ。
「あとは…これはちょっと、難しいかもしれないけど」
3冊めの本はかなり薄めの本。硬い表紙に、ゆるい感じのイラストで、題名は「そらとぶキノコ」…って、これ。
「子供向けの絵本じゃない!」
「まあまあ。ほら、このページだ」
「えー?…どれどれ」
“にじにのりたいスージーは、もくもくけむりをふくキノコにのって、くものうえまでひとっとび”…いやいや。
そこに描かれた絵には、《ケムリキノコ》と思われる黒いキノコの傘に腰掛けて両手をあげ、お空へと吹っ飛んでいくスージーちゃんの姿が描かれていた。
「これこそ無茶じゃないの?」
「まあ、《ケムリキノコ》でやるのは無茶だけどな」
「ほら!」
「でも、原理自体は割と現実味があるんだぜ?」
そんな馬鹿な。
「
「へえ〜…」
もう一冊開いて見せてくれた本には、確かにそのようなことが書かれている気がした。
乗せられている写真には、実際に水を噴き出しながら飛ぶガラス瓶が映っている。間違いないだろう。
…あれ?
「そんな本があるなら始めから見せてくれたらいいじゃん」
「ティトラにはあの絵本から始めた方がいいかなって」
「ちょっとぉ!?」
馬鹿にされてる!?
「じゃあ、こういうの見て理解できるか?」
「んーと…?」
なにこれ…はんじゅうりょくかんせいせいぎょしきふゆう…むむむ。
「反重力、慣性制御式、浮遊装置。物体に取り付けることでその物体を重力加速度の適用外にして更に運動の連続性を消去して更に…」
「…分かった!」
「分からないってことが?」
「そんなわけないでしょ!これよ、これならいける!」
私の言葉を聞いて、エドが目をひん剥いて驚いている。どうだ、見たか。
「…嘘だろ?これ、現代じゃまだほとんど空想の理論だぞ?」
「挿絵で分かった!」
空を飛ぶには、落ちなければいい。とても単純な論理だ。
「は、はあ…まあ、確かに言ってることはそう言うことなんだけどな」
「でしょ!私だって馬鹿じゃないんだから」
「でも、どうやって実現するんだ?どんだけダイエットしても0gにはなれないからな」
そりゃそうよ。
「それをどうにかするのが錬金術なの!ちょっと待ってて、家から取ってくる」
「あ、おい!」
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「これ!」
取り出したるは、ひとつの石ころ。
手のひらに乗るほどの石ころを、私は
「なんだ?どうしてそんな持ち方を…」
「エド、手を出して見て」
「え?おう…」
その手にこの石ころを置き、そっと離す。…すると。
「…は?なんで?ど、どういう…ええ!?」
なんと。その石は手を離した瞬間から、ふわーっと宙へ浮かび、空へと昇り始めたのだ。
天井まで行っちゃう前に捕まえとこ。
「よっ、と。捕まえた」
「なんだよそれ…見たことも無いぞ」
《グラビ石》。
重力に反し、自然に宙へ浮かび上がる神秘の石だ。
もちろん、現実にこんな性質を持った石なんて無い。…たぶん。
「《不思議な絵》で手に入れたの。これは『アンフェル大瀑布』で拾ったものだけど、聞くところでは他の絵でも手に入るみたいね」
「いや、反則だな…錬金術ってのは」
私が手で浮かせては捕まえて遊んでいる《グラビ石》を見て、エドが考え込む。
「…でも、力が弱いんじゃないか?ティトラが持っても、ティトラごと浮いていったりはしないみたいだし」
「まあ、このままじゃダメね。けど、錬金術の本来の働きは?」
「あ、そうか。物の性質の、掛け算だ」
そう。この《グラビ石》が持つ”重力に反する”という性質を、別の何かに与えればいい。
問題は、”何に”与えるのか、だ。
「さっきも思ったんだけど、気球とか飛行機とか、大きい物だと現地で持ち運べないから不便じゃない?」
「…そうだな。採取のために歩き回るから、置いていくことになる。壊された時が大変だ」
ロケットも、水や空気、あるいはそれを生み出す魔力などを消耗する。予定外の消費があって帰りの分が無くなったら困るし、空中で止まったりしたら…ううん、悲惨だ。
「そもそもさ。そんな便利な飛行方法があるんなら、もう飛び方に拘らなくていいんじゃないか?」
「っていうと?」
「いやほら…気球も、飛行機も、ロケットも、全部”科学”の力で飛ぶもんだろ。でも、《グラビ石》と《錬金術》があるんだったらそんなもの必要ない」
…間違いないなあ。
「いっそ…そうだな。飾りつける必要があるっていうなら…
「絨毯…いいわね、それ」
優雅で夢があるじゃない。
ホウキ、絨毯、舟。空想物語のそらを飛ぶものの定番だ。
…いや、これから絨毯を飛ばすっていうなら、3分の2が現実になる訳だから空想じゃなくなってしまう気もするけども。
「あー、でもまてよ。風避けが無いと空の旅は…っていうか推進力は…そもそも安定性が…」
「まあまあ。試しに作ってみるよ」
作って見てダメなら、それを材料に次を作ればいい。ガラクタが出来ちゃったら、諦めてもう一度最初から。
たしかこういう精神を…なんていうんだっけ。
ビルド&スクラップ?
「それを言うならトライアル&エラーだろ?」
あ、それそれ。
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さて、自宅に戻りまして…。
早速、空飛ぶ絨毯を試作してみようと思う。
今回選ぶ材料は、いつか採ってきた《粘銀の糸》*1を沢山、それに《グラビ石》と…。
ちょっとした茶目っ気で《高級なお札》*2も入れてみる。
乗り物だからね。事故がないように、安全祈願ということで。
調合したことのない自作レシピで調合をする時っていうのは、何時間かかるか分からない。だから可能な限り、飲み物や食べ物を近場に用意して行うようにしている。
「はむっ…うーん、甘酸っぱい」
今回頬張っているのは《リンゴのタルト》———この間、アルトさん双子にお裾分けした残りだ。9割くらいはあの時に切り分けてしまったけれど、元々が巨大だったから残ってる1割でも結構食べられる。
本当に、美味しくて、量も多いから———。
「…パールにも、食べさせたいな」
何故だろう。パールが、死んだような気はしないんだ。
目の前で灼き消されたあの瞬間は、今も、それこそ目に焼き付いている。
間違いなく、即死だった。あんな威力、人間が耐えられていい範囲じゃない。
けど…パールが、アレで本当に終わるような子だろうか、と。それが私には、とても非合理ながら、信じられない。
「……」
鼻から、ため息が漏れる。
あの事について私が抱いている感情は…悲しみではなく、何故か、憤りだ。
なんで、まだ姿を現さないのか。もう全部終わって、見せ場も逃してしまっている。
抱いた感情の不条理さと、身勝手さを自覚しながら…それでも、やはりそれが、私の本音なのだろう。
「早く…『夜明けの大地』に行きたいな」
そのためにも、この調合。上手く行くといいんだけれどね。
それから———夜ご飯になって。朝ご飯の時間にもなって。次の昼も過ぎて…更に夜を越え、そして明け方。
稀に見る重労働だった…。ようやく。ようやく…釜の反応が、完成に近いことを示している。
…そういえば、あまりにも長時間の調合だったので、ほとんどそのデザインについて考えられていない。調整していたのは機能だけだ。
たらり、と冷や汗が流れる。まさか———この30時間の重労働が全て、ガラクタに変わる———?
嫌、嫌だよ?それはちょっと…3日くらい心が折れるかもしれないよ?
お願い、お願い上手くいって———。
「…で、できた…?」
虹色に輝く釜の底から、かき混ぜ棒を物干し竿のようにして平べったくて柔らかな何かを掬い上げる。
そこには、たしかに…
そのデザインは、私がカーペットと言われて思い描くような、至って平凡な、それでいて適度に飾り気のある、
というか、今まさにこの1階のアトリエスペースに敷かれているカーペットと似ている。
「こ、これ…完成、なのかな…ちょっと、見た目より軽い気がするけど」
使って見ないことには…分からないよね。
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居ても立ってもいられず、私は早朝、エドの元まで駆け込み…槍術の朝練をしているエドを引っ張り出した。
「へへ…エドぉ…できた、できたよー…」
「ああ分かった、分かったから…一緒に見るから。そしたら寝ろよ?な?」
「うん〜…りょーかい…」
めっちゃくちゃ眠い。そして腰も痛い。
自分が今、何を口走っているのか、あまり定かではない。
「はぁ…はぁ…!」
「鬼気迫るとはこのことか…」
路上に、絨毯の試作品を敷く。かなりの大きさがある。
私とエドが寝転んで乗っても、その上で寝返りを打ったとしても、なんならそのまま熟睡して寝相の悪さをこれでもかと発揮してしまっても、全く落ちる心配はないだろう。
道を埋めてしまって、朝でなければ通行の邪魔だった。
そして、その上に私が乗り———。
「いや、待て。俺が乗る」
「んうぇ…?なんでぇ…?」
「今のお前にバランスが取れるとは思えないからな…下手に転んだら、そのまま頭を打って天国まで飛んでいきそうだぞ」
それは…困るなあ。
私を路上に座りこませ、エドは絨毯の上に乗った。仁王立ちに体幹の強さを感じる。
「…よし。いいぞ」
「よ、よぉし…飛べぇ!」
「うおっ———」
ふわっ…。
まるで、風に吹かれた羽毛のように、絨毯は舞い上がった。
確かに飛んでいる。飛んでいる!
「飛んでるよぉーーー!」
「う、うるさいぞ!朝なんだから…うわぁ!」
あれえ、すっごい揺れてるわ。エドも尻餅ついてる。
でも不思議、乗ってるエドは…揺らめきの度合いの割に、転がったりはしていない。
「な、なんだこれ…絨毯の上だけ、絨毯の表面に向かって重力があるのか…?うおっ!?」
風が吹き、絨毯がひときわ大きく揺れる。エドの乗っているあたりが下向きにめくれ、あわや振り落とされるか———と、焦ったのだけれど。
「わ、わ、わ…す、吸い付いてる!やっぱりそうだ…」
そして、すぐに絨毯は水平を取り戻した。
「おい、ティトラ!これすごいぞ!絶対に落ちない…いや、落ちる向きが違うんだ!」
「へえ〜…」
ダメだ…眠気が…。
す、座ったのはまずかった、かも…。
(ちょっと…我が
(あぅ…ごめん…むりかも…)
「ティトラ…?いや、ちょっと!せめて降り方を…!」
「ぐう……」
「ティトラーーーっ!?」
…数分後、近所迷惑だとエクトルさんに叩き起こされ、何とか私とエドは事なきを得た。
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今回私が作り出した絨毯…《旅するカーペット》について、ひと眠りした私はエドと共に調査を行った。
「まず、あの絨毯の起動方法。手をついて、”飛べ”と言えば飛び、”降りろ”と言えば降りる」
「うん。それと、勝手に飛んで行かないように、無人の時の高さは制限してるはず」
だいたい、王城の2倍ほどだろうか。
起動後は、上に乗った状態で手をついて念じれば移動できる。
「…あれ、一体どういう理由で移動できるんだ?」
「さあ…《グラビ石》じゃない?横向きに落ちてる、とか」
そして、この絨毯の上面には、面に対して垂直な向きで重力が働いている。
「大きさもあるし、これなら落ちなさそうだな。もちろん、何かに吹っ飛ばされたりしたら危ないだろうけどさ」
「そうだね。…一応、空にも魔物は居るから、その辺りは気をつけて飛ばないといけないかも」
「それで…一番気になる所なんだが、この絨毯って風対策はあるのか?」
風対策?
「なにそれ」
「…やっぱりか…いいか?上空で、高速で移動するってことは、冷たい空気に勢いよく突っ込んで行くってことだ。つまり強風を受けるんだよ」
ああー…なんとなく分かるかも。
風、風かあ…どうしよう。
「特に対策は無いなあ」
「そりゃそうだよなあ…見るからに、風を遮るような形じゃないし」
結局、今のところは”あまり速度を出さないようにする”と言う結論に落ち着いたのだった。
「でも、歩き続ける必要も無いし、この上で寝泊まりできるし、そもそも歩くよりは早いだろ?やっぱり、すごいよティトラ」
「そ、そうかな…」
でも、他にも改善点はある。あまりにも揺れる、と言う点だ。
一応、木の板を仕込んだりすれば波を打つのは防げるけれど、今度は風を受け流せなくなる分、煽られた時が悲惨だろう。
早い話、乗り物酔いの可能性がある。…吐くかもしれない。
私もエドも、そうそう酔いやすい体質では無いけれど、あれほど揺らめいていると流石に酔うだろうなあ。
うん。やっぱり、こんなんじゃ、まだまだだ。
「そのうち、もっといいもの作ってみるからね!」