ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜 作:メルヴェイユ市民
「できた!…これで、3つ目!」
夜明けの大地への到達。それを目指して準備を進める私は、その過程で、錬金術士としての実力の確かな成長を感じていた。
いや…成長というより、本来の実力を得た、と言うべきなのかも知れない。
『黒の色彩』を手に入れた時からだ。何とも皮肉なことに…色覚を失った事で、私の「素材の願い」への影響力が落ちたらしい。
お陰で、調合において、普通の錬金術士のように普通の爆弾や薬を調合することが出来る様になっている。
…ある程度は。
「3つ作るまでに…失敗が4つかあ」
まあ、前よりはマシだ。
いずれ回復させるのだから、今のうちに色んな調合の感覚を掴んでおく、そのチャンスを得たと思っておこう。
今回調合していた道具は、《酸の霧雲》。
強烈な酸性の霧を発生させ、あらゆる生物を溶かす!
…と言うと、とんでもない危険物のような気もするが、実際はそんな事もなく。
人間以外の動物たちの、その”毛皮”や”爪”…そして纏った”神秘の力”を溶かすための道具なんだよね。
「”人間以外”…つまるところ、ひと昔も前には…」
「ふむ。服も溶けていた、と」
「きゃあっ!?」
お母さん!?
「なるほどな。…ティティ、一つ相談が———」
「———作らない!そんな変な道具は作らないから!」
何に使う気よ!
お…っ!お父さんが困るでしょ!何でかは知らないけど!
「…失敗作に無いか———」
「———ダメっ!触らないで!」
あ、あぶな…。
…ホントに一つ出来ちゃってるんだよ。困った事に。
「むう。ムッツリめ」
「お母さんがオープンなの!はぁ…」
「で、いつ絵を描くんだ?」
「ふぇっ!?え、は、はいぃ!?」
どっ…どういう…いきなり!?
いきなりソコに触れるの!?
もっと、こう、文脈とか…ないんだね、お母さんだし。
「お母さんは寂しい。最近、錬金術ばかり…」
「う、うう…」
まずい。気分や気紛れで描いていないんなら、今この場で母さんをスケッチしてあげたって良かったんだけど。
(“描けない”のよね。…私のせいで)
(あなたのせいじゃないよ…でも、どうしよう)
(…出しちゃう?泥)
(馬鹿言わないでよ!)
「お、お母さん!私約束する!」
「…?」
「あのね、私、もう少ししたらまた遠くまで採取に行くの。そこで一枚描くから!」
「そうなのか?」
「そうなの!だから、ゆ、許して…?」
食らえ…!本邦初公開のおねだり!
声が震えた気がする!不慣れだ!
「う…や、約束か。なら…うむ。我慢する」
「ありがと!お母さん大好き!」
このティトラ・メルロー、期待には応える!
「…しまった、代わりにこの失敗作を強請れば…」
「それは返して」
どうして的確にお目当ての失敗作を引き当ててるのよ…。
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お母さんから何とか《酸の霧雲》をひっぺがした私は、エドの古本屋へと向かった。最近、殆ど日課のようになっている気がする。
しかし、その甲斐もあり…ついに『夜明けの大地』を目指す準備は整いつつあった。
「…それで、エド。飛行コースはこういう感じでいいと思う?」
「まあ、第一候補は良いだろう。後はいくつか分岐点を設けて、状況次第で迂回することも考えようぜ、たとえば…」
《旅するカーペット》を使って移動するため、移動時間は長くても半日…12時間。順調なら8時間程度で済むという目算だ。
元々は街道が通っている上で60時間以上を見積もる遠出であることを考えると、徒歩とは文字通り、雲泥の差だね。本当に雲の上まで飛び上がるつもりはないけれど。
「ブライズヴェスト上空は…」
「それは危ないと思うぞ。何せ、彼処はコカトライス*1の群れがいるからな」
「空中戦は避けた方がいいわよね…」
「槍じゃあな…爆弾も当たらないだろうし」
そもそも足場が安定しないから、マトモに攻撃に移れない。速度を出せば、強風で荷物が飛んでしまいかねない。最悪は自分たちが飛ばされてしまう。
もし襲われてしまったら、まずは地上に降りる事を優先しよう。
「流石に日帰りは無理だろうから、どこかで寝泊まりしないとな。絨毯の上で寝るっていう選択肢もあるが」
「落ちはしないだろうけど…怖いわよね」
「雨や風もあるし、できれば地上にテントを張りたいな」
こうして考えてみると、空を飛べるからと言って地上を気にしなくていい訳でもないのね…。
フィリスさんが持っていた
あそこまでは行かなくてもいいから、いつか空飛ぶ小屋とか作れないかな。飛びながら休息できたらそれが一番。
「降りられそうな所は、街道沿いの民家近くとか?」
「川沿いは野生動物の縄張りが多いから避けよう。あとは…」
そうやって、あーだこーだと議論を重ね…なんとたっぷり2時間後。
「で、できた…私たちの、航空計画!」
「はあー…空って、やっぱり人間の場所じゃねーなー…燃料の問題が無くてもこれか…」
エドの言う通りだ。
やっぱり空は、人間には少し速すぎる領域だった。せめて、民間で広く空を行く手段が普及して、降り立てる場所がちゃんと整備されるまでは、未知の地域への飛行には細心の注意が必要だろう。
「じゃあ…いつ行く?」
「俺か?俺は…多分いつでもいいぞ。長くても4日あれば帰ってこられるだろうしな」
「私もかなー…それじゃ明後日でどう?」
「よし、決まりだ。思い立ったらすぐが一番だしな」
明日だと、ちょっと急すぎる。お父さんとお母さんに話を通さないとだからね。
一番急ぐと、明後日になる。
「オヤジー!明後日から3〜4日家空けるからー!」
———おーう!
「…だってさ」
「あはは…前まではこの声があんな大物だなんて思わなかったよ」
フットワークが軽い。ある意味で、何よりも大物だった。
「…あれ?そういえば…泊まりで2人きりって、これが初めて?」
「ん?…そうなる…のか?」
パールが来るまでは、徒歩で日帰りで行けるような場所しか行ってなかったし…。
パールが来てからだと、遠出は『グルムアディス大沼林』に行っただけだ。その時は3人で行った。
その後、フィリスさんに捕まえられて『アンフェル大瀑布』を調査して…そしてファルギオル戦で…だから。
2人で泊まりがけの遠出って…初めてじゃん。
「…まあいっか。エドだし」
「おい。それはそれで俺は悲しみを背負うことになるぞ」
「え?じゃあ意識してるの?私のこと」
「…うーん…ティトラだしな…」
「ちょっと。たっぷり頭を捻ってそれは酷いんだけど」
「お前が言ったんだろうが!ったく…」
あー、気楽だわ。
双子たちとはまた違った距離感っていうか。こういうエドだから、一緒に遊びに行ったり、採取に着いてきてもらったりできるのよね。
「ありがとね、エド」
「なんだよ、急にしおらしいな…」
本当にありがたいのよ、そこに居てくれることが。
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時は流れ、出発日。
到着見込みが大体半日ということで、夜明け前の出発だ。
今回は空からの出発だけれど、だからと言って門を通らないわけにはいかない。正門前の『メルク庭園』を通り、門を潜って外に出る。
泊まりがけ旅行も初めてじゃないので、今回はお見送りは無い。
くるくると筒状に巻いた《旅するカーペット》を広げると、地面につくことも無く腰ほどの高さに浮いた。
地面につけて汚れるのが嫌なので、事前にこの出し方を練習しておいたんだ。巻いた状態でも、飛行能力はあるからね。
「さーて、準備いいかな」
「乗ってるぞ。荷物も大丈夫だ」
私もエドも、両手両足がカーペットにつくようにして、おっかなびっくり乗っかっている。
その四つん這い姿勢の2人とリュック2つが十分に間隔の余裕を持って乗って、このカーペットはまだまだ4分の1も面積を使っていない。
でも、これくらい大きい方が融通が効いて助かることもあるよね。
最悪、《旅するカーペット》が使えなくなった場合に備え、荷物は背負えるリュックに入る分だけに収めている。
帰りには、袋詰めの素材などがここに加わるだろうけれど…最低限、持ち帰らなければならないものだけは、常にリュックに入れておくことを取り決めてある。
「じゃあ…飛べっ!」
「うおっ…おお、おおおおおお…!」
みるみるうちに、メルヴェイユが小さくなっていく。あっという間に王城の高さを越え、今や遠くに見える『モラキス連峰』の頂上の影が同じ目線にあるくらいだ。
越えないつもりだったのに、勢い余って雲よりも高く飛んでしまっている。
「すっげえ…雲より上の空って、本当にどこまでも晴れてるんだな…」
「下、綺麗だよ…!雲が足元に広がって…すごく不思議な気分…」
…さすがに寒い。高度を下げようか。
「お、思ったよりは…揺れないな?」
「そうみたいだね…なんでだろう」
「何かで読んだな…こういう時、止まっているより動いている方が安定するらしいぞ」
へえ。不思議だなあ、それ。
動いている方が風も受けるし、揺れちゃいそうなものだけれど。
「ええと、方向はこっちで合ってるかな…?」
「あー…そう、だと思う…しまったな、コンパスはあるけど、これだけじゃ自分の位置が分かりにくい。移動が速すぎる上に地形が分からないのが辛いな」
空を飛んでいる上に、今はまだ夜明け前。見下ろしても自分の直下がどこなのか、イマイチ分かりにくい。
これは、更に高度を落とした方がいいかもしれない。
「木の高さくらいまで降りるね。念のために姿勢は低くしといて」
「ああ、そうしよう。頼んだ」
あれだけ2人で考えたのに、こうやって不備が出る。
けど、だからこそ楽しい。
「いいね…ようやく冒険っぽいことしてるかも」
「おいおい…冒険家になりたかったのか?」
「ううん。でも、せっかく外に出るんだから、ちょっとはロマンを追ってみたいでしょ?」
「違いない。ああ、いい景色だ…!」
空を切って駆ける《旅するカーペット》。風にうねりながら、私たちを乗せて、遥かな西へと飛んでいく。
行き先は、『夜明けの大地』———神の住まう地。そして、パールとの約束の地だ。
そこで私たちを待つ未来は何か…そして精霊の女王とはどんな存在なのか。疑問も不安も数あれど———今はただ。
この全てを透かしたような自由な空を、ただ、全身で感じていたい———その衝動に身を任せて、どこまでも駆けていく。
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平野を越え、沼地を越え、見たこともない大地へ。
夜は明け、目まぐるしく景色は変わり、これまで歩いた道は、既に遥か後ろ。
次第に気温が下がり…遠くに見える雪山の稜線が、黒い影でなく明確に見えるようになってきた。
「そろそろ…だな」
「そうだね…」
やがて、2本目の川を越え…街道に分かたれた2つの森林、その右側に、ついにその地が視界に入る。
風通しの良い木々、倒木のトンネル、澄んだ水場、巨大な木…。
自然豊かな光景は…色を取り戻した『黒の色彩』の景色に似ている。
もしかすると、あの絵の作者はこの光景を「ファルギオルの檻」として選んだのかもしれない。
神の住む地…雷神の墓所として相応しい場とも言えるだろう。
「ここ、夜明けの光景が綺麗らしいな」
「へえ?」
「『夜明けの大地』って名前も、それが理由らしい。信心深い人は、こんなに遠いのに頻繁に供え物をしに来るらしいが…こんなに綺麗な場所なら、そうしたくなる気持ちも分かるかもな」
錬金術士としては、むしろこの場所から素材を採って帰るつもりだから、少し複雑な話だ。
もちろん、根こそぎ採ってしまうような事はしないけれどね。
「で…これから降りるんだよな?精霊の女王とやらに出会ったらどうするんだ?」
「…まず間違いなく今は倒せないから、見かけたらちょっと観察してすぐ撤退かな。戦いになったら全速力で《旅するカーペット》に乗ってかっ飛ばして退散」
「だよな。いくら勝つのが目標でも、今は無理だろう…うわ、あそこの岩場見てみろよ」
岩場?…げっ。
ドラゴネアだ…。そうか、『夜明けの大地』にはドラゴンが居るって、パールが言っていたっけ。
どうだろう。今なら、倒せるだろうか。
…まあ、戦わないに越した事は無いか。
この辺りの魔物は強い。1体2体なら何とかなっても、騒ぎにつられてケモノたちがやって来たら大変だ。
ドラゴンを倒しても、漁夫の利を狙われるかもしれない。
「ねえ。どの辺で降りたらいいと思う?」
「そうだな…あ、あの辺はどうだ?森が開けてて、大きな木がある。あそこなら迷うことは無いし、何かあっても飛び上がるのは簡単だ」
エドが指さした先には、この『夜明けの大地』の中でも一際整った景観をしている広場だった。川も流れており、倒木が橋のように掛かっている。
近辺に魔物の影もないし、ちょうど良さそうだ。
「じゃあ、あそこに降ろすね。姿勢下げておいて」
「おう」
こうして私たちは、ついに『夜明けの大地』の土を踏むべく、ゆっくりと巨木の根元へと降りて行った。
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——『夜明けの大地』。
ここは、神の住まう地とも、神の降り立つ地とも言われる聖地。
水には穏やかに魚が泳ぎ、目を横にやれば、リスが無警戒に木の実を齧っている。
木々の向こうからも、狩りの喧騒が聞こえてくることは無く、ただ竜の寝息が響くのみ。
この場に居ると…心が、とても穏やかになる。ただ、ずっと、この豊かな森の中に寝転んでいたい。そんな気分に。
とても…居心地がいい。ここで、何かを争うなんて…とんでもない。
灰色の視界でも伝わってくる、この地の異質さは、聖地ゆえなのだろうか。
「一般人がここに来て、お供え物をするなんて、危ないんじゃないかって思っていたけれど…」
「ああ…これは納得だな。この森で襲われることは、多分無いだろう」
大沼林の野生溢れる自然とは違う、神威に守られた不戦の地。
この『夜明けの大地』には、確かに、神とも思える何かの力が働いているのだろう。
———ついに、ここまで来たんだね。
「……え…?」
この、声…。
この、甘く、快活で、可憐な声は。
幻聴、よね。
だって、ここに居るはずが…。
———こうして、わたしと出会うには、少し早いかもしれないけれど。
「…ティトラ。後ろだ」
「エド?後ろって———うそ」
エドに促されるまま、後ろに…大樹の方に振り向くと。
そこには、予想だにしなかった姿があった。
いや。心のどこかで、きっとそうだと気づいていたのかもしれない。
もしかしたら。ひょっとして。
“そういうこと”なんじゃないか、って。
灰色の視界に、忘れ得ぬ追憶が、幻想の色を重ねていく。
雲のように白い髪———神聖さを表す金の瞳———それらの色を併せ持った、端麗なドレス———。
背後には、あのクローバーの盾に似た何かが———何故か、今の私にも見える———4属性の色を飾って、翼か後光のように控え。
真珠のような少女は、人懐っこい笑みで、空に浮かんでいた。
「久しぶり!…って言うほど、時間は空いてないかな?」
「パール…なの…?」
記憶よりも、ずっと神秘的で、ちょっと耳が長くて…ずっと神々しい姿をしていたけれど。
その姿は、絶対に…間違いなく。
私とエドの命を救った、あの幼なげな”レンキンジュツシ”、なのだった。