ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜 作:メルヴェイユ市民
一生なんて、神様にとっては
きっと「ひと夏の思い出」のよう。
『夜明けの大地』は、その景観から受ける印象通り、非常に恵み豊かな土地だった。
…とはいえ、百貨店のように何でもあるわけじゃあない。
《シフォンケーキ》の本来のレシピの材料は、5つ。
《麦粉》《ミルク》《何かのタマゴ》《植物油》《砂糖》だ。
「《麦粉》は《ヴァイツェ麦》があれば作れる、けど…」
「どれも自然界からも採れそうではある。あるんだが…多いな?」
「エドくん…スイーツってね、高級品なんだよ…」
「お前、そんな世知辛い顔できたんだな」
ああ、パールは…きっと、メルヴェイユに居る時にケーキ屋なんかを覗いたりしていたのだろう。
出自を考えると、あまり多くの金銭を持っているとは考え難い。並んでいる品々を見ながら、歯痒い思いをしていたんじゃないかな…。
…いや、《シフォンケーキ》以外も言ってくれれば作ったのに。むしろそれ以外だったら大体得意だったのに。
お母さんだってとやかく言わないよ、きっと。
まあ、過ぎた話は置いておくとして、だよ。
全てが都合良く、この土地に揃っているなんて考えは…それこそ”甘い”よね。
上手く、揃えられるもので代用できそうなものは代用して、レシピをアレンジするべきかな。
「というわけだから、各自、ケーキに使えそうな素材を重点的に探してみて」
「おう!」「はーい!」
意外にも、真っ先に見つかったのが《ヴァイツェ麦》だった。
「え、すごいね。野生の《ヴァイツェ麦》がこんなにしっかり実をつけて育ってるの、初めて見たよ。もしかして育ててた?」
「ふふん。ウチの畑は無農薬、無添加、無干渉がウリなんだよ!」
「無干渉まで行ったらやっぱり野生じゃねえか。肥沃だな、この土地」
もちろん麦畑のように群生しているのではないけれど、草むらを探すとイネ科の植物に混じって生えている。質もいい。これはいい生地になりそう。
その他、コカトライスの巣から《何かの》…じゃない、《コカトライスのタマゴ》を、木々からは《アブラ木の実》*1を採取できた。
この穏やかな土地でタマゴ泥棒を働くことについて、少し思うところはあったけれど…。
「それなら、わたしが見てあげるよ。そこに命が育まれているかどうかは、わたしには直ぐに分かるから」
…という助力もあり、有り難く拝借することにした。
パールのことだから、きっとこのカゴに入っている数個のタマゴは無精卵のはず。信じよう。
「《砂糖》についても《ハチの巣》が手に入ったから良いとして…あとは《ミルク》かあ」
こればっかりは、その辺に落ちていたりはしないもんね…。牛さんも居ないし、どうしようかな…。
「へえ…そんなこともするのか…」
ん?エド…何してるんだろう。何かをじっと見つめているみたいだ。
「エド。何して———」
「しっ!…アレ見ろ、アレ…!」
「え、どれどれ…あっ!」
エドの視線の先を見ると、何とそこにはケモノ種*2の魔物の赤ちゃんと、それを育てている母ケモノがいた。
「わああ…」
「とても貴重な場面なんだぜ…ケモノの赤ん坊は殆ど群れの奥深くに隠されてるからな。この光景を見れるなんて、この森が安全な何よりの証拠だよ」
温かな気持ちでしばらくケモノの
「あ…どうしよう。泣いちゃうかも…」
「空腹か?…お、母親が何か取り出したぞ。光ったような…金色だな」
あれは葉っぱみたい…エドが言う色なら、《黄金樹の葉》かな。
母ケモノは何枚かの《黄金樹の葉》をお椀状の石の上で細かく千切り、別の小さな石ですり潰した。すると、肉厚の葉から透明な液体が滲みだし、お椀に溜まっていく。
そこに《アブラ木の実》の果汁が絞られると…。
「えっ?色が…」
「声がでかいぞ!」
何と透明なはずの液体が白く染まり、まるで《ミルク》のように変化した。
「あんな反応は読んだことが無いぞ…」
「飲ませてる…もしかして、あれ、母乳と同じような成分になっているのかも…」
「…泣き止んだな。少なくとも、赤ん坊の空腹を癒すには十分な
…よし。調べてみよう。たしか、《黄金樹の葉》ならさっき見かけたはず。
「…っ!?」
「ん?どうしたの?」
「今…あの母親、こっちを見た…?」
「…まさか。子育て中の魔物が、そんな訳ないでしょ?」
こっちに気づいていたら、真っ先に威嚇してくるはずだもの。
偶然だと思うけど…。
「そうだよな…まあ、観察はこの辺りにしておくか」
その後、採取した《黄金樹の葉》と《アブラ木の実》をケモノのお母さんがやっていたように加工してみると、本当に白く変化した。粘り気は控えめで、サラサラとしている。《ミルク》よりも水っぽいようだ。
念のため、解毒ができるように《ハニーシロップ》*3を用意した上で、少量飲んでみたところ…。
「あ、美味しいかも…コッテリしてるけど、なんだろう…粉ミルク?」
「本当か?具合はどうなんだ?」
「何とも無いよ。むしろ、ちょっと気分がいいくらい」
甘みに加え、ミントのようなスッキリした爽やかさがある。《黄金樹の葉》は薬の材料にもなる薬効のある素材だから、それが理由だろう。
本当の料理だと分からないけど…錬金術なら、これを《ミルク》の代わりに使えるかもしれない。まさか、こんな方法があるなんて。
「自然の知恵、だね…」
「ああ。畏れ入った…世界は広いな」
これで、一通りの材料は揃ったことになる。
《ヴァイツェ麦》、《黄金樹の葉》、《コカトライスのタマゴ》、《アブラ木の実》、《ハチの巣》。これで、本当に《シフォンケーキ》を作れるか…試してみよう。
「パールー?どこー?調合、始めるから戻っておいでー!」
「はーい!」
ここに住んでるのはパールの方だということを思い出すと、この呼びかけはどこか奇妙な気もするけど…パールも返事したし、ま、いいか。
———————————
—————————————
———————————————
再び、巨木の前。
パールが生み出した錬金釜は、火元も無いのにしっかりと熱されてコポコポと音が立っている。
「じゃあ、今から調合を始めるね」
「ね、わたしも手伝う?」
パールの手伝い…いや、ここは私の力で調合してみよう。
「ありがと、パール。でも、せっかくの約束だし。私だけで作ってみるよ」
「そう?なら、ここで見てるね!」
「俺はもうちょっと採取してるよ。他にも色々見てみたいからな」
「ん、了解。でも、離れ過ぎないでね?1人だと危ないだろうし…」
「分かってる。じゃ、頑張れよ」
さて、まずは《麦粉》と《ハチミツ》を作らないと。
この程度の調合は、もう鼻歌混じりにもできる。
「〜♪」
スムーズな調合手順、程よいかき混ぜ棒の手応え。1時間もかからずに、2つとも調合を終えることができた*4。
さらに、《黄金樹の葉》と《アブラ木の実》を入れる。
私が不慣れな手で作るより、調合の方が良いものができるだろう———そう思って調合してみたけれど、その予想は当たった。
より滑らかで、葉の破片もない、飲みやすそうな植物製ミルク。《オーガニックミルク》の完成だ。
で…問題は、この次かな。
「今だからこそ出来る、と思うんだけど…」
《ケーキキャンバス》は問題の多い調合品ではあったけれど、特に、一つ、致命的な欠点があった。
それは…”描いた絵ごと食べなければならない”、という点だ。
ケーキそのものがキャンバスなのだから当然ではあるんだけれど…折角描いた2つとない絵画も、切り分けて食べてしまえば無くなってしまう。
“絵画が優れているほど味が良くなる”という点は評価できるけれど、やっぱり描き手としては、勿体ないから描いた絵は残しておきたいと思うもの。
あと、いちいち食べられる素材を絵の具として用意しなければならないのもメンドくさい。
そういう訳で…あの後、私は一計を案じていた。
———絵を描き上げてしまったら、ケーキとキャンバスが同じである必要は無いよね?
「取り出したるは、これ!」
「…ティティ…?あの、それ、なに…?」
「あれ…?《シフォンケーキ》は?」
「まあまあ。ちょっと待っててね」
《シフォンケーキ》を調合する前に、この場で《キャンバス》を作る。
本当は市販品を放り込む考えだったけど、まあ、画材なら作れるでしょう。そう難しい品でもないのだし。
「よいしょっ、と!」
「う、うん…待ってるね…?」
およそ10分後。
「できあがり!」
「《キャンバス》だよね、それ」
「そ。これも、必要だから」
「ケーキ作り…に?」
不安さを隠さず、パールが怪訝な顔で私の持ち上げている《キャンバス》を見上げる。
気持ちは分かるよ。料理をする、と言ってキッチンに立った人がいきなり画材を取り出して鍋に入れたら、誰だって理解に苦しむ。私だってそうだ。
けど、私が立っている場所は、キッチンじゃないからね。
「ねえ、パール。せっかく錬金術で作るんだから、ただのケーキじゃつまらないじゃない?」
「まさか…何か、考えがあるの?」
「いや、いつも何も考えてないかのように言われるのは心外なんだけど…うん」
私はいつだって、おちゃらけているようで真面目なのだ。
「パールのために、半端なものは出せないからね」
「…分かった!楽しみに見てるから…信じるね!」
“信じる”…そう言われてしまったら、失敗なんてできないね。
頑張れよ、錬金術士ティティ。今の私なら、できる!
「材料は、《麦粉》と《ハチミツ》、《オーガニックミルク》」
投入。
「《コカトライスのタマゴ》」
これも、割り入れる。
「さらに《アブラ木の実》」
これは実ごと丸々入れる。
「そして…《キャンバス》!」
こんな調合、今までした事は無い。
そして、私の発想は荒唐無稽なものだ。このままじゃ実現し得ないはず。
だから…これも、加える!
「これでトドメ!———《アルケウス・アニマ》っ!」
最近多用する《アルケウス・アニマ》。錬金釜での調合に用いるのは初めてだけど、これが”叶えるもの”が言うエーテルと同質の存在だとしたら…!
(…驚いたわね。おおむね正しいわ、それは”エーテル”と”素材”の中間よ)
(”叶えるもの”…見てたの?)
(もちろん。絵の中は暇だもの)
やっぱりそうだ。
双子によれば…調合中の錬金釜と、《アルケウス・アニマ》は似た状態にある。そして、《アルケウス・アニマ》は《不思議な絵》がエーテルから素材を生み出す時に生まれる”副産物”だ。
もし《アルケウス・アニマ》がエーテルの塊なら、調合中の錬金釜もエーテルに満たされている可能性が高い。
(…貴方たちが《アルケウス・アニマ》と呼ぶソレは、私たちが願いを叶えられるように調整されたエーテル結晶)
錬金術の調合という”奇跡”、それを支えるのもまた”エーテル”だとしたら。
非現実を現実にするこのエネルギーを過分に加えてやれば、その調合結果はより”不安定”になる。
不安定なら…本来よりも悪くなる可能性もあれば、良くなる可能性もある。
もちろん、それは本来なら確率に左右される。錬金術士といえど、人間は確率には介入できない。
(描かれた世界に反応して、それはカタチを得て…素材として切り離される時、溢れた分は零れ落ちる)
ただ、私が加えたのはただのエーテルじゃない。《アルケウス・アニマ》———《不思議な絵》が生み出した、”イメージをカタチにする力”そのものだ。
だから、今の私なら。色覚を失い、だからこそ常に”
この調合を、成功させることができる。…きっと!
そして、どれくらいの時間が経ったのか。
懐中時計を見る。———2時間。初めてのレシピにしては、早い。
《アルケウス・アニマ》を使った調合は不安定で、その分反応が早く進むんだろう。
「ど…どう?上手くいきそう?」
「……」
確かな手応え。
「…うん。できた、と思う」
掬い上げる———それは1枚の、甘い匂いがするキャンバス。
《ケーキキャンバス》じゃない。…これは、正真正銘の《キャンバス》だ。
「あれ?これ、木で出来てる…ただのキャンバス?」
「……」
「もしかして…失敗?」
目を閉じ…にや、と笑う。
ああ、これだ。この感じ…。
レシピ通りのものを作るんじゃない。その時、一番必要なものが出来た、この充実感。
錬金術士は、だからやめられない。
「それは…どうかな?」
影はゆらめく。
私の色を、捉えるために。
———————————
—————————————
———————————————
ど…どうしよう。
ティティが…久しぶりに会ったティティが、おかしくなっちゃった。
「…違う、確かここは…」
ケーキを作るはずが、《キャンバス》を作っちゃって…。
すぐにイーゼルを組み立てたと思ったら、そこに《キャンバス》を乗っけて、何かをすごい勢いで描きはじめた。
もう、夕方を過ぎて、夜になってきているのに…薄いランタンの灯りで、必死になって描いてる。
どうしたらいいんだろう。こ、心を読もうかな…いやでも、あんまり読むのは良くないし…。
「ねえ、ティティ…」
「うーん…この部分はもっと柔らかく…」
ダメだよぅ…!全く聞こえてないみたい!
エドくん…エドくんはどこ!?
わたし、こんなティティ見たのは…初めてじゃないけど!
「ただいま〜…お?ティトラ、絵を描いてるのか」
「あ、やっと来た!エドくん、エドくん!ティティがおかしくなっちゃったみたい!」
「え?…そうか?」
そうだ、エドくんはあの《キャンバス》が何で出来てるか知らないんだ!
「ティティ、ケーキを作るって言ってたのに、その材料に《キャンバス》を入れて…出来上がったのがアレなの!」
「へー…また、おかしなものを作ってるのか」
「また!?」
「こいつが変なもの作るのは今に始まったことじゃないからな。でも、ま…今回は自信があるっぽいし、見てようぜ?」
ええっ!?でも…
もし、ティティにあの《キャンバス》がケーキに見えてるんだとしたら…。
わたし、いくら綺麗な絵でも木と布の塊は食べたく無いよ?
「お腹こわしちゃう…」
「?…何だかよく分かんないけど、ああなったティトラは見守るしかないぞ。肩を叩いたくらいじゃ気づかないからな」
「そんなあ」
エドくんに適当にあしらわれている内に、ティティがキャンバスにひっつくように近づけていた身体を起こして、頷き出した。
「…よし。…よし!」
「ようティトラ。描けたのか?」
「あ、エド!おかえり。…うん、描けた。自信あり!ほら見て、パール!」
にっこりと顔じゅうを笑顔に染めて、わたしに見せた《キャンバス》には、ひとり、女の子が描かれている。
「パールの絵!さっきの、カッコ良かった!」
いつもの
沢山の光に囲まれて、照らされて。これが、わたし…?
こんなにキレイなの?わたしが魔法を使う時って。
「もちろん。気付いてないの?パールって可愛くて、カッコいいんだよ。とってもね!」
「あ、ありがとう…嬉しいな。こんなに、キレイに描いて貰って」
でも…その、これはやっぱり《キャンバス》…。
「さ、それじゃあ…今からが本番だから。よーく見ててよね?」
「ほ、本番って?…わっ!」
それから起きたことは…わたしにとっては、本当は理解できる出来事だったけれど。
けれど、ティティがそれをやったんだってことが、ちょっと信じられなかった。だって…。
絵が、2つに増えたんだから。
絵から、ふわりと浮き上がった、半透明のもう一つの絵。
その幻の絵は、ふわりふわりと元の《キャンバス》を離れていって…。
実体を得た時、いつのまにかティティが用意していた大きな布を敷いた木の板の上に、ポスっと音を立てて倒れた。
「絵から…
「そう、それ!驚いた?驚いてくれた!?」
「うん…!」
ティティが抱える木の板には、本当に絵が乗っている。
イーゼルにもまだ、《キャンバス》が乗せられたままで…どちらにも、同じ絵が描いてあるのが見える。
そしてなんと、ティティの手にある絵はケーキ…《シフォンケーキ》になっている。
「これが、私の約束のケーキ。名付けて…《スイートメモリー》!」
すごい。今のティティの錬金術のチカラは、こんな、現実離れしたことができるような段階じゃないはずなのに。
「これならさ。このケーキを食べちゃっても、オリジナルの絵は残るでしょ?…本当は、旅をするパールがいつか旅立っても、私たちのこと覚えていてくれるようにって、考えたんだけど」
「ティティ…」
「さすがに、精霊のパールが生きてる間ずっと、とは行かないかも?…でも、この絵は当分は残ってくれるよね」
嬉しい…。
わたし、友だちを作って良かった!
「ううん…この絵はずっと大切にするから!」
「え?でも、ただの木だからなあ…もって100年じゃないかなあ」
わたしは始まりの乙女、パルミラ。
絵の一つや二つ、永遠に残すくらい、簡単。
「それでも!…ね、ケーキ食べていい?いいよね!みんなで食べよ!」
「もちろん。あ、でもどう切ろうかな、これ…どこから切ってもパールが切れちゃう」
「おう、やっと気付いたか。あと、量も大変だぞ」
「あっ、そうじゃん…どうしよう、
「わたしの顔の部分、貰っちゃおうかなー♪」
「描かれてる当人が一番容赦ないのね?」
でも、友だちはいつか居なくなる。
「じゃ、私は足の方を…」
「いやん♪」
「変な声ださないでよ!」
「俺はどこを切れば無難なんだ…!」
だから…沢山思い出、作りたいな。
いつまでも忘れられないくらい、たっくさん!
自然に品種改良が起きた結果なのか、この地の主の性質が何かしらの形で反映されたのか、原因は定かでは無い。
いずれにせよ、これならば甘味に用いることも十分可能だろう。
地域によって性格の差が大きく、人間を積極的に襲う群れもある一方、簡単なコミュニケーションが成立する穏やかな群れもあり、時には物々交換などといった取引すら行えることもある。そのため人間の側にも、隣人として共生の信頼関係を築いている村が存在するようだ。
なお、ティティたちにも『グルムアディス大沼林』にて交戦経験がある。その際はティティたちを狩りの対象として問答無用で襲いかかってきたが…。
別の地方のバーで近年に開発された、という噂がある。実際、この薬が民間で用いられるようになったのはここ数年のことなので、いくらかは信憑性があるかもしれない。
尤も、彼女ほどの錬金術士など、今のこの世界に2人と居るかも疑わしくはあるが。