ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜 作:メルヴェイユ市民
『夜明けの大地』から帰ってきて、しばらくの日が過ぎた。
あの後、私とエドは、パールと一緒にテントの中で一泊して帰ってきた。
エドは少し渋ったけど、元々、荷物の軽量化のためにテントは大きいものを一つしか持ってきていなかったので、最後には頷き…私たちは川の字になって寝たのだった。
あれからというもの…私は、再びエドとのコンビで方々へと採取に出かけている。
パールも、本当は一緒にいて欲しかったんだけど…。
———ちょっとだけ待って。あの身体、作るのかなり大変だから…。
あのパールがそういうのだから、私にとってはきっと一生かけても出来ない芸当なんじゃないかな。
残念がる私たちに、慌てて「半年…ううん、3ヶ月で作るから!待っててね!ね!?」と言ってきたので、まあ、大人しく待っておこう。1泊で行けるから、たまには会いに行けるし。
ところで、エドと採取に行っている、と先程言ったけれど…その範囲は、大きく広がっている。
もちろん、《旅するカーペット》のおかげもあるんだけど…それだけじゃない。
何しろ、外の世界だけでは無く…絵画の世界も含めての話なのだから。
絵画世界に初めて入った時の、エドのはしゃぎ様といったら、もう。まるで小さな子供のようだった。
絵画世界を積極的に探索するようになった主な理由は、《アルケウス・アニマ》が欲しいから、だ。
『メタモルミックス』は一度のアニマの消費が大きいけど、私の戦闘能力はそこに大きく依存している。そのせいで、残りのアニマも少なくなってしまっているのだ。アニマの確保は、私にとっての生命線。急務だった。
普段からあまり取りすぎると《黒の絵の具》の発生を誘発するから、その日の訪問者が多くない絵画を選ぶようにしつつ、様々な絵を巡っている。
ということで、今日の採取地は《ざわめきの森》。
アニマの輝きを求め、この鬱蒼としたおぞましい森へとやってきたのだった。
「でも、どっちかというとこの森、オバケというよりオバケ屋敷だよね」
「脅かすだけだしな…ただ、慣れてるはずなのにちゃんと驚かせてくる所はプロだよな」
そこら辺を見回すとふよふよと浮かんでいるオバケたち。
白いおたまじゃくしのような伝統的なオバケの見た目に、どこか彼らのプライドを感じる。
まあ、襲ってきたら倒しちゃうんだけどね?
あの槍で一突きしてくれればイチコロ———。
———ツー…。
「うひゃうぅぅぅっ!?」
「あっ、お前っ!———セィヤァッ!!」
「ケケ、ケケケ…!」
エドが突き出した《
あいつ…!せ、背中…背中をつーって。つーって!
もう!くすぐったいじゃない!
「おい、大丈夫か」
「はぁ、はぁ…うう。まだ、ゾクゾクする…」
採取道具も放り捨てて、両肩を抱きしめて
ううー。くすぐりは…特に背中は弱いのに。
あんのオバケ…脅かすためには手段を選ばないってのね…。
「はあ、油断したぞ…ん?アイツ、何か落としてったな」
「え?…ああ、《ペンデローク》ね」
金に縁どりされた、深い青の宝石。
幽霊みたいな魔物を倒すと、たまにその後に落ちている。だから幽霊の涙とも言われるみたい。
ただの宝石じゃなくて、魔力を秘めている。錬金術ではとても使い所の多い素材だ。
「ふう、ようやく立てそう…待っててくれてありがと、エド」
「当然だろ。じゃ、先行くぞ」
《アルケウス・アニマ》も順調に集まってる。今日の採取もいい調子かな。…事件はあったけど。
「…のわぁっ!?…てめぇ!許さん!」
「エド!?」
エドがオバケの置いた帽子を踏んづけてすっ転んだ。
こいつら…ホント、大した根性ね…。
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《不思議な絵》の世界には、オバケやフーコのような”描かれた魔物・人物”の他にも魔物が存在する。
「あ、戦ってる…」
それは、主に2種類の魔物。
“妖精”、そして”黒い魔物”だ。
妖精は、非常に小柄な可愛らしい人形の魔物。
黒い魔物は、お馴染み、《黒の絵の具》で構成された魔物。
黒い魔物には、色をつける前の『黒の色彩』でも遭遇した。
…そう。”レンプライア・ブル”と名付けた青角の個体と、私を突き飛ばしたプニ型の魔物のことだ。
これらの魔物は絵の世界でしか見ることはなく。
さらに、両者は敵対関係にあるらしい。
…いや。黒い魔物の側は無差別に破壊を繰り返しており、それを妖精たちが駆逐しようとしている、というのが正しい表現のようだけれど。
(居たわね。吸収する?)
(したいけど…どうやればいいの?触ったらいい?)
(それじゃダメよ。あの個体は貴方の制御下じゃないもの。一度倒して、《混沌の泥》の状態にしないと)
黒い魔物は、倒すと《混沌の泥》を残す。これは《黒の絵の具》と異なり、放置しても絵の世界を侵食することは無い。
《黒の絵の具》がエーテルを完全に失うと、その物質だけが《混沌の泥》として残る、ようだ。
“ようだ”というのは…これらの知識と力を得てから黒い魔物と対峙するのは、実は今回が初めてなんだよね。
「よし、エド。やるよ!」
「おう。…どっちを?」
「どっちも!」
どうせ、どっちも襲ってくるんだもん!
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この絵の魔物たちは、今の私たちにとっては大した相手じゃない。
妖精は《黒の絵の具》で包み込んで潰しちゃえばいい。
黒い魔物はカマキリ型のちょっと強いやつだったけど…。
「よっ、と」
「ォ…ォ…」
今のエドの敵じゃ無い。
———イロ…ガ…。
…ごめんね。こうするしか無いから。
「さて…これが《混沌の泥》ね」
(そう。今なら手を触れれば操れるわ。そのまま、影の中に沈め込んじゃって)
言われるがまま、《混沌の泥》に手を触れる。
これ、一応毒の材料になる素材なんだよね…『アンフェル大瀑布』では調査隊のみんなも採取してたけど、手袋をしてた。
…ちょっとドキドキしたけど、私は素手でも大丈夫らしい。
「見たことない物質だけど…それ、素手で良いのか?」
「え?あ、エドはダメだよ!私はいいの」
「ふぅん…」
確かに、操れる感覚がある。そのまま、影の中へと運んで終わり。
《黒の絵の具》の操作にも、もう慣れてきた。
「…ねえ、エド。この黒いののこと、聞かないの?」
「うん?聞いて欲しいのか?」
「え?…どっちでもいい、かな。エドが知りたいなら言ってもいいよ」
それでエドが離れていっちゃったら…それは、嫌だけど。
でも、もう何度か見せてるし…隠せないのは始めから分かっていた。
「じゃあ、今はいい。俺には錬金術とか《不思議な絵》のことは本で読むくらいしか分からないからな」
「そっか…ありがと、エド」
「最近、よく言われるな。ありがとって」
だって…最近、本当にそう感じるんだもん。
何も聞かないでも、言わないでも、ただ助けてくれるエドが、どれだけ私の救いになっているか、ってこと。
「…ところでさ、聞かないとは言ったけど、ちょっと気になったことがあるんだよな」
「え?なになに?」
「それ…度々言ってるけど、《黒の”絵の具”》なんだよな?黒の泥じゃ無くてさ」
…気にしたことなかった。
そうだ、これは”絵の具”なんだよね。
絵を塗り潰しちゃう存在だから”叶えるもの”はそう呼ぶんだろうけど。
「じゃあさ。もし分解できたら、別々の色になったりするのかな」
「んん…?」
「いや、おい。絵描きならピンと来るだろ。混ぜると黒くなるだろ、絵の具」
……?
…………!?
………待って。それってとっても…。
なにか、凄い”気づき”なんじゃ…!?
「光は混ざると白くなる。色は混ざると黒くなる。三原色ってやつだな」
「ま…待って。待ってエド」
「ん?おう」
「じゃあ、じゃあ。この《黒の絵の具》…色のついた絵の具の、素材になるってこと…?」
「え?…いや、それは分からないけど。俺は錬金術士じゃないからなあ」
そっか。それはそうだ…。
…だったら、錬金術士に聞いてみたら…何か、分かるんじゃないの?
「エド!絵を出るわよ!」
「うぇっ!?い、いきなりどうしたんだ!?」
「いいから!着いてきて!」
———色々調べてみようじゃないか。黒い絵について。
あの人なら、答えを出してくれるかもしれない!
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———ソレイユ通り、アルトのアトリエ。
「アルトさんっ!」
質素な拵えの扉を跳ね開け、その室内に飛び込む。
家主は———居た!
「うわっ…なんだ、ティティ…、と、確か君は」
「エドです。…えっと、あなたはファルギオルの時に居た…」
「アルトだ。よろしく。…それで、これは何の騒ぎだ?」
アルトさんは何かの実験をしていたのか、両手に試験管を持っていた。
中には、何か黒っぽいものと、虹色に光を反射する油のようなものが見える。
後ろ手に扉を閉め、逸る気持ちを押されられずに言う。
「あの、アルトさん!私の《黒の絵の具》のことで相談があるんですけど!」
「ふむ。…丁度いい所にきたね」
「えっ?」
「僕も、ひとつ知らせておきたいことが出来た所だったんだ。…そこに座るといい、お互いに話をしようじゃないか」
アルトさんの提案で、まずは私から話を始めることになった。
「ああ、その前に…エド君はここに居ていいのか?」
「あ、はい。まだ話してはいないですけど、聞かれたら答えるって約束なので」
「もしかして、あの黒いやつについての話か?」
そうだ。
エドには、アルトさんとの関係性について話しておくべきだろう。
「そうだよ。アルトさんには《黒の絵の具》や黒い《不思議な絵》について調査してもらってるの」
「僕の側から聞き出して、申し出たんだ。ティティ君にはいいサンプルを提供して貰っているよ」
「サンプル…絵の具ですか?」
「そうだ。…さっき持っていた試験管があっただろう?あれも、その実験だよ」
木製の試験管立てには、6本のガラスの試験管が並んでいる。そのうち2本は空で、残り4本にはそれぞれ別の様相の液体や物体が入れられているのが見える。
「さて、ティティ。相談ということだけど」
「はい。実は———」
私は、エドの発言から考えついた発想をそのまま口にした。
「———だから、もしかして《黒の絵の具》も、他の色んな色の絵の具に分解したり、抽出したりできるんじゃないかって思ったんです」
「ふむ…なるほど。興味深い着眼だ。…君、エドと言ったね?」
「は、はい」
アルトさんの持つ独特の存在感に負けたのか、エドがやや硬くなっている。
「楽にしてくれていい。…君、中々面白い発想をするね」
「あ、ありがとうございます」
「色の三原色…確かに君の考える通りだ。マゼンタ、シアン、イエロー…この三色を程よく混ぜることで、物体にあらゆる色を塗ることができる。この時代ではまだ常識とは言い難い知識だけど、よく知っていたね」
私のように、絵を志す者であっても、全員が知っている訳では無い知識だ。エドの読書癖の賜物だろう。
「はい。俺の趣味は本を読むことと、体を鍛えることですから」
「いい習慣だ。これからも続けるといい。…それで、そのアイデアの実現性についてだけれど」
来た。果たして、どうなんだろう。
「僕の実験によればあの物体は、化学的には不乾性油と各色の油絵具に含まれる重金属成分等の混合物だ」
「…ええと、つまり?」
「ああ、すまない。悪い癖が出た。…つまり、理論上は可能だということだよ」
可能…!
「あの絵の具には、それぞれの色の油絵具を全て混ぜ合わせたような物質が含まれている。この時点でまず確かな事は、あの絵の具からはどんな色の絵の具でも理論上は取り出せるということだ。ここまでは良いかい?」
「は、はい」
「次だ。その事実を使って、黒い《不思議な絵》の本来の色を取り戻せるか、という事だが…これは、”不可能では無い”というのが答えになる」
んん?
不可能では無い。…それって可能なんじゃないの?
「よし。まず、黒い《不思議な絵》の色を取り戻すという作業を、より具体的に考えてみようか———」
アルトさんの説明は、複雑ではあったけれど、要点を押さえていて私でも何とか理解できた。
まず、《黒い絵の具》は《不思議な絵》の内部世界の構成要素———“塗られていた色”と混ざり合うことで侵食する。
黒色は、他のどんな色と混ざっても黒になってしまう。そうして侵食が進むと、外の世界から見た絵画の方も、黒く染まっていく。
そして、視覚的なイメージを元にして作り出された絵の世界は、絵画の色が変わってしまうことで、作り出される内部世界そのものの色も変わってしまうのだという。
逆に考えると、《黒の絵の具》に侵食された部分の世界は、何か別のものに変質してしまったわけでは無い。絵画を元通りの色に戻してやれば、世界もまた元通りになる———それが、アルトさんの説だった。
「けれど、それは君がやったような”上塗り”ではいけない。それだと、その下にまだ黒く染まった要素が残ってしまっているからだ」
ここで、エドのアイデアが使える。
黒く侵食された世界は、《黒の絵の具》が染み込んでいる。その、染み込んだ《黒の絵の具》から余分な色成分を取り除き、元通りの色の絵の具へと変質させてやれば、世界は本当の意味で元の色を取り戻す。
つまり、求められる作業は…2つ。それも、非常に難易度の高いものになる。
「まずは、混ざり合った色を複数に分ける方法が必要だ。ミックスジュースの例え話は要るかい?」
「…分かりますよ。一度混ざり合ったミックスジュースを、別々の果物のジュースに戻すことはほとんど不可能、って話だ」
「ああ。その通り。本当に理解が早いね、君」
…そんな事、ほとんどというより、全く不可能なんじゃないのかな。
「さらにもう一つ…既に黒く染まってしまった世界を見て、そこに元々、どんな色が塗られていたのかを正確に判断できなくてはならない。…白黒の写真から色を復元する、と例えれば良いだろうか」
「あ……」
そっか。”世界を元に戻す”。それには、”元の姿”を知る必要がある…。
「…言っただろう?”不可能ではない”ってね」
「はい…こんなの、ほとんど空想…」
「…復元する色自体は元の絵と全く同じじゃ無くてもいいんじゃないですか?」
「どうだろうねえ。同じ色であるに越した事は無いだろうけど、違う色でも適切でさえあれば問題無いかもしれない。確証は無いけどね」
それなら…私なら、判断はつくかもしれない。
白黒の光景からでも、塗るべき色が分かることもある。
「こと、『黒の色彩』に限っては、ティティには本来の色が見えているようだからね。問題は一つ減る」
「本当に本来の色かは分かりませんけどね。私が無意識のうちに上塗りしたらしいので…」
「そうなのかい?…まあ、この間入ってみた限りでは、あの色で十分自然だろう。やってみる価値はある」
「けど、やっぱり…ミックスジュースの問題は残ったまま、か」
それだ。
本来の色を知ることができても、《黒の絵の具》から特定の色の絵の具だけを抽出する方法が無いと。
「おや?諦めてしまうのかい?」
「…でも。いくら理論上は可能でも…」
「そう。理論上は可能なんだよ…理論上は」
…まさか?
「ふっ…この僕が、まさか”不可能にしか思えない仮説”を”不可能”なままにして報告するとでも思ったのかい?」
「えっ?そ、それじゃ…!」
「錬金術は不可能を可能にする…元々可能なことを実現するくらい、造作も無いに決まっているだろう。それほど素晴らしく、恐ろしい力なんだ。君が振るっている力は」
そうして、アルトさんは机の上から一枚の紙を差し出した。
「書いている途中で君たちが来てしまったから、まだ書きかけだけれど…ほら。ここを見てみたまえ」
「これ…レシピ、ですか?名前は…」
混ざり合ったジュースを分離し、元の姿を取り戻す。その道具の名は———《万物不和剤・黒》。
「《不和剤》…《中和剤》*1の、逆…」
「ああ。…異なる性質の2つを混ぜ合わせて1つにするのが錬金術。その錬金術でこれを作るのには苦労するだろうが…可能だ。十分、現実的なラインで、ね」
その素材として記されている品名には、高度な調合品である《万能中和剤・虹》*2の文字がある。
果たして、私に作り出すことができるのか。少なくとも、今はまだ難しい。
しかし、いずれは取り組まねばならない課題だ。…挑むべき時が、来たのかも知れない。
「もちろん、今の君にこれが作れるとは思わない。…それでも、当面の目標として、丁度いいんじゃないか?」
突如として拓かれた、色を取り戻すための道。
その道は険しく思えても…確かに、ゴールへと繋がっている。その予感が、私の心を強く揺さぶり、熱くする。
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———それと、同時期。
「お父さん!帰ったよー!」
「お父さん?…いないのー?」
リュンヌ通りの小さなアトリエ。
その食卓に残された、小さな書き置きと、お金。
このメルヴェイユに住まう双子は、新たな試練に直面していたのだった。
ほとんど伝説上の存在ではあるが、古代の錬金術には《調和の雫》という7種類目の中和剤が存在したという記録がある。どんなに相反した性質であっても問答無用で合成できる究極の中和能力を持っているとされるが、真偽の程は定かではない。
あまりに使い勝手が良いので、これを作れる錬金術士たちは皆必ず一度はこの中和剤に病みつきになっているほどである。