ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜   作:メルヴェイユ市民

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画家のネージュ、少女のネージュ


 

 朝…自室で目が覚める。

 寝間着がジトっと濡れている。たくさん汗をかいたみたいだ。

 

 昨日、沢山水を飲んだからか…。

 

「うう…着替えよ」

 

 窓から差し込む、眩しい海辺の朝日に照らされ、私は一階の洗面所に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 双子のことは気になるけれど、あの家族のために私が出来ることは無い。

 何か異常なことが起きたら別だけど、あれは多分、マーレン一家が自分たちの力で乗り越えるべきこと。

 見守る。それが一番だ。

 

 

 

 私も私で、錬金術士として邁進するとしましょうか。

 

 いつもの様にエドを連れて…今日は、『凍てし時の宮殿』へ。

 アルトさんに紹介を…紹介のようなものを受けたし。ぜひ一度、話をしてみたいあの人に会いにいってみよう。

 

 

 寒さ対策は要らないらしいし…そうだ。粗品としてアレを持っていってみよう。

 

 

 

 

 

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———『凍てし時の宮殿』。

 

 

 巨大な宮殿の内部は、天井も床も壁も凍りついている。

 シャンデリアの光を淡く反射して、部屋そのものがまるで一つの作品のようだ。

 

「いや、《不思議な絵》なんだから、”ようだ”もなにも無いか」

「おおー?なんか見つけたのかー?」

「あ、ううん!何でもないよ!」

 

 宮殿内はとても静かで、ちょっとした独り言でも反響してよく響くみたいだ。

 

 ファルギオルとの2度目の戦いにおいて、《虹のパレット》を手にしたリディーとスーがこの絵の世界を現実に呼び出していたけれど…。

 

 改めて、落ち着いて見てみると、他の世界にはない独白のような、自戒のような、自己表現の要素が強く描かれているようだ。こだわりを感じる優美な様式は氷の向こうに閉ざされて、透かしガラスを通した様にぼやけて隠されている。

 

 この絵はネージュ・シャントルイユが初めて作り出した《不思議な絵》だと言う。つまり、《不思議な絵》に求める機能よりも、画家本人が描きたいと思った世界であることを優先して描かれたと思われる。

 

 他よりも象徴性が強い世界となっている理由は、きっとそのためなのだろう。だとすれば…。

 

「ねえ、エド。ネージュさんって、多分気難しい人だと思うんだよね」

「この世界から、そう感じたのか?」

「うん。他の絵とは違うなって」

「…俺の読んだ資料も、そう書かれているものが多かったが…ティトラもそう思うなら、やっぱりそうなんだろうな」

 

 さすが《不思議な絵》の母。探せば、彼女について記した本もあるらしい。

 

「何となく、採取するより先を目指したい気分だね」

「そりゃあな。人ん家だし」

 

 絵の世界と言っても、様々。

 この絵もまた、あまり人気の絵では無いらしく、人の出入りはほとんど無い。純粋に”絵画”として鑑賞に来る人は多いみたいだけどね。

 

 一応、魔物も徘徊しているし、採取できたものもあるけれど…早々に切り上げて、第二の目的を果たすとしよう。

 

 

 

 

 

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 ネージュさんを訪ねるにあたって、通常の人を訪ねる時とは勝手が違うので色々と困ってしまうことは多かった。

 

 第一に、約束(アポイントメント)ができない。

 《不思議な絵》の中に手紙を出す訳にもいかない。

 知り合いを通じて場を設けて貰う、ということも考えたけれど、アルトさんはネージュさんとそれ程親密では無いようだ。リディーとスーは今は手が離せないので、調査や採取に付いていくということも出来ない。

 

 第二に、ノックやドアベルを鳴らすと言った知らせすらできない。

 なにしろ、世界に入った時には既にエントランスの中にいる。まさか、絵画のそのものを叩くことはできないし、やった所で絵の中に音は響かない。

 

 ということで、家そのものが絵の世界となっている場合、その住人を訪ねるのに失礼が無いようにする、というのはかなり難易度が高かった。魔物も居るから、武装だって解くことはできないし。

 

 

 

「し、失礼してまーす…」

 

 せめてもの粗品を持って、どうやら私室であろうという空間へと辿り着いたけれど…果たしてここに居るのかどうか———。

 

 

 

 

「———-何の用?ずけずけと人の家に上がりこんで」

「わあっ!?」

 

 急に目の前に、パッと人が現れた。

 …尻餅をついてしまった。硬い氷がお尻に痛い。

 

「いった…じゃない。えっと、貴方がネージュさんですか?」

 

 青の瞳に、紺の髪。幼い見た目———聞いた限りの特徴は、こんな感じ。

 色は分からないけど、子供のような見た目というのは合っている。ここには住人が一人しか居ないらしいから、きっとこの人がネージュさんだと思うのだけれど。

 

「…そうだけど。誰に聞いたの?」

「えっと、アルトさん…って分かりますか?リディーやスーと一緒に、ここに偶に来ているって聞いたんですけど」

「ああ…あの白い頭の人。…あれ?あなた、あの2人を呼び捨てにするのね。知り合いなのかしら」

「はい。昔からの。今はお互い忙しくて、偶に会うくらいですけど…幼馴染、ですかね」

「そう…で、そっちの緋色の髪の人は?」

 

 緋色…?

 

「ああ…エドワールです。コイツとは友達で、護衛も兼ねて同行してます」

 

 そういえば、そうだった。エドの髪色は緋色だった。

 

 あまり意識したことも無い上に、最近はすっかり灰色に慣れてしまったから、全くピンと来なかった。

 

「あなたも、リディーたちの知り合い?」

「いや…知り合いといえば知り合いですけど、俺はあまり親しくは無いですよ」

「ふーん…」

 

 数秒、女の子が私たちを無表情でじぃっと眺める。

 

「まあ、いいわ。私がネージュよ。ネージュ・シャントルイユ。この『凍てし時の宮殿』の作者にして、主」

 

 やっぱり、この子がネージュ…。300年前の人物、かあ。

 

 まるでそんな感じはしない。浮世離れしてはいるけど、普通の女の子って感じだ。

 パールもそうだけど、歴史とか神話のすごい人って、実際のところ普通の人間だったりするのかも。

 

「歓迎はしないけど、とりあえず入れてあげる。ついてきなさい」

 

「ありがとうございます…ほら、早く立てよ」

「あ、うん…あの、ありがとうございます」

「礼はいいわよ。言われるようなことでも無いから」

 

 何だろ。冷たいようで、言葉の節々に人間らしさというか、優しさを感じる。

 普通の女の子だけど、不思議な人かも。

 

 

 

 

 

 

 アトリエのような部屋に案内された私たちは、テーブルの席に座らされた。

 ネージュさんは私たちに向かい合って座り、ティーカップにお茶を淹れて飲んでいる。やっぱり、言葉通り歓迎はされていないみたいだ。

 

 でも、追い出されもしないんだよね…?

 

「で、さっきも聞いたけど、何の用?ただ会いにきただけ?」

「いえ…ネージュ・シャントルイユと言えば、画家の娘、そして錬金術士として憧れの人物なんです。お近づきになれれば嬉しいな、と思って」

「…お近づきに、ねえ」

 

 な、何だろ。ちょっと機嫌が悪くなったような。

 

「その言葉は好きじゃないわ。下心があって近づいてくる人の言葉だもの」

「えっ、いや、その…」

「どうなのかしら。何か欲しいものでもあって来たんじゃない?」

 

 欲しいもの…いや、聞きたいことなら無い訳じゃ無いけど、別にそれが目的で来たんじゃないや。

 

「ち、違うと思います…」

「思います、って何よ?」

「違います!えっと…その。画家さんなんですよね?ネージュさんは」

 

 なんですよね、も何も。世界的に有名な人だよ。

 何を言い出してるんだ私は。

 

「そうね。絵を描くのは好きよ」

「好き…」

「当然でしょ?…あなた、右手の指を見せて」

「指?は、はい…」

 

 初対面の人に、指を手に取られ、まじまじと観察される。

 な、なにこれ。気恥ずかしい。

 それに、ちょっとくすぐったい。

 

「…うん。あなたも、画家よね。何か理由があるのか、最近ちょっとサボり気味みたいだけど」

「あ、やっぱりそこを見てたんですね」

「ええ。これくらい描き込んでたなら、分かるんじゃない?」

「そうですね。絵描きさんって多くないですから、あまり機会はありませんけど」

 

 手を使い続けるような生業は、その手に跡が残る。

 同じ道を志す人同士なら、利き手を見ればそうと分かるものだ。少なくとも、絵筆とパレットを常に保持する絵描きはその例に漏れない。

 

「…」

「…」

 

 ……。

 

 

 

 会話、終わっちゃった…。

 

 どうしよう。私もだけど、ネージュさんもちょっと気まずそうだし。

 

 まさかあの流れで続きが無いって思わないじゃない!

 

 

「あ、あなた。何か言いなさいよ」

「えっ、あ、その…好きなんですか?絵を描くの」

「そ、そうよ。好きだから描くんじゃない。…嫌いなの?」

 

 いや、絵を描くのは好きだ。

 

「好きですよ。私は風景画を描くんですけど、最近は人の絵も描いたりして」

「へえ…今はそういう区分けがあるのね」

「というと?」

「わたしの生きていた頃だと、絵描きは絵描き、それ以上じゃなかったから。だから私も、風景や人物、抽象…色々と好きなように描いて来たわ」

 

 そうなんだ。

 

 お母さんは好みで風景画を描いてるけど、一応一通りの絵の心得がある。私もそれを受け継いで、手ほどきは全部受けている。

 

「今も、同じだと思いますよ。流行り廃りがあるだけで、何を描いたからって責められはしませんから。…あ、風刺画だけは別です」

「風刺画ねえ…否定はしないけど、純粋じゃない気がしてわたしは描かなかったわね」

「あ、私もそうです!風刺って言われても、何を描くんだろうなって」

「やっぱり?そうよね。絵画って、宣伝のチラシじゃないもの」

 

 おおう、大胆発言だ。

 こうは言うけど、風刺画にも重要な役割がある。歴史の保存だ。

 

 広く民衆の感じている不満や違和感を、言語を飛び越えて理解できる絵に起こした風刺画は、描かれた当時の世情を知るために重要な意味を持っている。

 

 まあ、このあたり、どっちを描くかはそれこそ好みの問題だろう。

 

 

 

 絵の話題で価値観の一致を見て、私たちの会話は徐々に盛り上がっていく。

 

「私の家、マール海がずーっと見えるので、それで風景画にハマったんですよ。夕焼けが海に映ると、すっごく綺麗で」

「いい場所に住んでるじゃない。引っ越しちゃダメだからね?そういう生活が感性の良い刺激になるんだから」

「お母さんのお気に入りですし、大丈夫です!当分その予定はありません」

 

「今でも、油絵具で身体を壊す人っているの?」

「居ますねー…換気をしっかりしろ、っていうのは画家の常識ではあるんですけど、やっぱり熱中すると気がつかなかったり、絵に近づくクセのせいで吸い込んじゃったり…」

「そうなのね…はあ、早く安全な絵の具が普及して欲しいものね」

 

 

「人の手を描く時は———」

 

「あの山の稜線は———」

 

「裸体のデッサンって———」

 

「こだわっている色は———」

 

 

 

 気がつけば、2人、時間を忘れて絵画トークにのめり込んでしまうのだった。

 

 

 

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「———それで、言ってやったの。”私の絵は、家畜や菜園じゃないっ!”ってね!」

「そうだよ!全く、せっかく人が描いた絵なのに、《不思議な絵》だからって理由だけで買い占めるなんて!」

 

 

 そりゃ、素材が採れるっていうのも利点ではあるけどさ!

 もっと絵を見てよ。絵を!

 

 あ、でもこれ、アダレットの国策にケンカ売ってるかも…。

 

 

 

「あなた、中々話せるじゃない」

「えへへ…そう言われると嬉しいな」

「あ…そういえば、名前を聞いてなかったかしら」

「あれ、そういえば言ってなかったかも」

 

 そっか、驚いて尻餅ついて、ここに招かれて…それきりずっと話してたんだ。

 

「ティトラ・メルローだよ。ティティって呼んで、ネージュさん」

「分かった。私も、ネージュでいい…その、えっと…」

「…?」

 

 なんだろう。ネージュさん…じゃない。

 ネージュ、急にまごついちゃったみたい。

 

「ほら…あなた、何の用でここに来たのかって、聞いたでしょ?」

「え?…あ…」

 

 そうだった。

 お近づきになりたい、って言ったら、下心があるんでしょって言われて…。

 

 

 

 

「…って」

「え?…なに?ネージュ」

 

 何か言っているようだけれど、声が小さくて聞こえない。

 

「…ぁい、って…」

「ご、ごめん、もうちょっと大きく…」

 

 な、なんか緊張してる?

 こっちまでドキドキしちゃいそうだ。

 

 

 

「…とっ…!」

 

「と?」

 

友達に!…なりたいって…い、言ってよ…」

 

 

 

 

 …うわ、可愛い。

 え、こんな可愛い子が居ていいんだろうか。

 危険だ。危険すぎる。

 

 

そしたら…わたし、信じられるから…お願い…

「なっ…なろう!友達!うん!ネージュと友達になりたい!」

 

「ほんと…?」

「本当!ほら、これ!そのために持ってきたんだから!」

 

 取り出したっきりずっと膝にのっていた”粗品”をテーブルに乗せる。

 

「これ、なんなの…?」

「ふふん、《エクレア》だよ。私の手作りなんだから!…錬金術だけど」

 

 《エクレア》は細長く作ったシュークリームの上に、チョコレートやキャラメルなどのソースをかけて冷やしたお菓子だ。

 持ち運んでも崩れにくくて、冷めても美味しい。特別な食器が無くても手に持って食べられる。見た目も可愛らしいから、こういう時にピッタリだと思ったんだけど、どうだろう。

 

「《エクレア》…知らないわ。けど、可愛くて…美味しそう。シュークリームみたい」*1

「でしょ?食べてみて。これがイチゴ入りで、こっちが桃…」

 

 

 女子は甘いものに弱いもの。

 恐る恐るこちらを上目遣いに見ていたネージュも、《エクレア》にかぶりついた途端、目を輝かせて頬張り始め、あっという間に食べ尽くしてしまった。

 

 

「美味しかった…ごちそうさま」

「良かったー、喜んでくれて。…ね、どうかな?友達になってくれる?」

「…こうまでされちゃったら…し、信じるしかないじゃない。…これでいい?」

「もちろん!…へへ、やった…!」

 

 

 

 嬉しい。そう喜ぶ私に、早速、ネージュがお願いがあるようだ。

 

「その、ティティ?」

「うん。なに?ネージュ」

「良かったら、一緒にお絵描きしない?…そっちの彼も一緒に」

 

 …あー、絵、絵かあ。

 どうしようかな…。

 

「え、俺?…いいですけど、大した絵は描けませんよ?」

「敬語はいいわ、ティティの友達なら。あと、一緒に描いてくれるのが大事なのよ」

 

 言葉に詰まってしまった。

 

 描きたいけど…うーん。

 

「なあ。ティトラ」

「あ、ごめんねエド。暇だったよね」

「いや、それはいい。女の子と会うって聞いたから、どうせと思って本持ってきてたし」

 

 わあ、さすがエド。

 私がずっと振り回してきたから、女の子の扱いに慣れてるよ。

 

 …いや、ごめんとは思ってる。うん。

 

「絵、描けるのか?」

「…あれ?エドに言ってたっけ、そのこと(色覚について)

「いや。でも、最近絵を描く時、いつもだろ?分かるよ」

 

 これ、女の子じゃなくて私の扱いに慣れてるのかも…。

 

 

「うーん…まあ、今のままでも何とか…頑張ってみるよ」

「そっか。詳しくは分かんないけど、まずかったら言ってくれ。何とかするから」

 

 何とかする、か。

 こんなに頼もしい”何とかする”も他にないかも。

 

 

「…どうしたの?やっぱり、絵を描くのはダメ?」

「ううん、大丈夫。一緒にしよ?」

「良かったわ…わたし、友達と絵を描くのが好きだから」

 

 

 いくら打ち解けたと言っても、今日が初対面の相手に『黒の色彩』は見せられない。

 しかも、相手は絵の世界に宿った”ネージュ・シャントルイユ”…《黒の絵の具》なんて見せようものなら、即座に敵対されかねない。

 

 

 そういえば、これまでこの視界で絵を描いたことはなかったっけ。

 ちょうどいい機会だし、一度どれだけ描けるか試してみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
 エクレアの誕生は19世紀初頭のフランスとされ、これは私たちが今生きる時代から200年ほど前のことである。対して、シュークリームが現在の形になったのは300年ほど前、同じ特徴を持つお菓子が初めて作られたとされるのは500年ほど前である。これに従うと、300年前を生きたネージュはエクレアを知らず、シュークリームは知っていると見ることができる。

 ただ、アトリエの世界観はファンタジーの定番、中世ヨーロッパをモデルとしているため、現代からの年数で考えるのはやや強引である。

 しかし、ヨーロッパの中世とは遅くとも1500年代程度までのことである。これを適用してしまうと、エクレアもシュークリームも存在しないことになってしまう。よって、このエクレアの登場は厳密には世界観と矛盾していることになる。

 

 ちなみに、別シリーズのアトリエに登場したタルトに関しては、古代のギリシャやエジプトが発祥であり、14世紀にはイギリスでも食されていたらしい。

 アトリエの世界観を考察する時は、時代考証からアプローチしてみると面白いかもしれない。

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