ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜 作:メルヴェイユ市民
(2022.3.31 PM13:00)
モノクロの視界のまま絵を描くことになった、私。
嬉しそうに画材を抱えて歩くネージュに案内され、私たちは彼女の画家としてのアトリエへ向かった。
ネージュのアトリエは、とても広い。パーティションで区切られたスペースでさえ、3人分のイーゼルと椅子、テーブルを置いても十分な広さがある。
「ねえ、何の絵を描くの?」
「そうね…お互いの顔を描きましょう。わたしはエドワールの、エドワールはティティの、そしてティティは、わたしの横顔を描くのよ」
「か、顔か…本当に期待しないでくれよ?作図ならともかく絵画は…」
人体を描くのは簡単なようで難しい。デフォルメするとしても、写実的に描くとしても、技法の熟知と慣れが無ければ思うような絵にならない。
エドにとっては鬼門かも。
そして、今の私にとっても鬼門だ。
髪も瞳も色が分からない。肌の色だって、白いのは分かるけれど、どれだけ血色が良いのかが分からない。さらに、凹凸が多いから陰影やグラデーションが多くなるけれど、その加減も、この白黒の視界で推察して描くしかない。
加えて、見えないのは被写体の色だけじゃない。
手元にパレットがあるけれど、絵の具の色も分からない。
どの絵の具が何色かはチューブに記されているけれど、パレットに置いた絵の具は基本的に混ぜて使うものだ。混ぜた絵の具がどのような色になったかは、全て勘で判断することになる。
総評すると、無茶の一言に尽きるんだなー。これが。
「…どうしたものかな」
無茶なのは分かっている。けれど…《万物不和剤・黒》を使って『黒の色彩』を直すなら、その作業の時には『黒の色彩』に色を与えるのを一旦止めることになる。上塗りされた状態では、《不和剤》がどう作用しているかを確認することができないだろうから。
そうしたら、要求される技術は今と同じ…灰色の絵画から、色を推察する技術。
ここで一度、やってみるのも良いかな、と思ったんだけど。
「まあ、とりあえず、青色かな…」
アルトさんから聞いた話では、紺の髪、青の瞳、白い肌、という特徴らしい。
原色のブルー、というのも芸がないけれど…まあ、確保しておいて損は無いと思う。
「それと、サファイア、ラピスラズリ…ミッドナイトも」
うおお…。
これは、改めてとんでもない
これが、”青系統の色である”という前提があるからこそ、濃淡でネージュの髪色と比較できそうではある。
けれど、その前提が無かったら、本当に分からないと思う。
例えば…空の色を描こうとした時。
その空が、朝か、昼か、夜か。その情報がない状態で、白黒の空を見ても、果たして何色で塗るべきか分からない。
『黒の色彩』の空の色も、私が”日中だ”と無意識に判断したから青空になっているのであって、本当は夜の世界だったかもしれないんだ。
その本当のところを知っている人が、居れば良かったんだけど…。
(…ごめんなさい。あの世界の元の色がどうだったか、私にも思い出せないの)
(そっかぁ…)
“叶えるもの”ですらこれじゃあ、その望みは薄い。何せ、推定300年前の絵だし。
…あ、でも。ネージュがファルギオルを封印したんなら、一度はあの絵の元の姿を見たことがあるってことになるのかな。
「ねえ、ネージュ。そういえばさ、私もファルギオルと戦ったんだけど」
「ぶっ!?」
あれ?
「いや、そうなるだろ…ネージュさんはあの本気のファルギオルを見てるんだぞ?」
「そ、そうよ!よく無事だったわね!?」
「あっ。いやでも、リディーとスーのおかげで弱くなってたから、何とかなったよ」
あの《虹のパレット》には、本当に感謝してもしきれない。
あれが無かったら、今頃私はここに居ない。冗談抜きで。
「ああ…《虹のパレット》ね?良かったわ、ちゃんと使えたみたいで」
「え?…あ、そっか。あれ、『凍てし時の宮殿』で手に入れたって言ってたっけ」
「そうよ。わたしがあげたの」
それじゃあ、ネージュは私の命の恩人だ。
「ありがとね、ネージュ。そのおかげで命拾いしたから」
「感謝ならリディーにしなさい。…あの子がしつこくつけ回してこなかったら、わたしは助けるつもりも無かった。今だって、ティティと友達になろうだなんて考えもしなかったはず」
「リディーが…そっか」
仲良くなれると思ったら、絶対に仲良くなるのを諦めないんだったっけ。
私も、それで仲間に引き入れられたんだよね。
…その横で、やっぱりルーシャは泣かされてたけど。あの時は、なんだっけ…しりとりでずっと同じ文字を返されてたんだっけ?
「じゃあ、ネージュとリディーにありがとうかな」
「わたしはいいのに…」
「だーめ。受け取って、はい」
「…ブーメランだな、あれ」
エド、シャラップ。
「でさ。300年前にアレを封印したのがネージュだって、本当なの?」
「それは……ええ。そうよ。わたしがファルギオルを封印したわ」
「へえ。じゃあ、伝承に残ってる、”英雄と錬金術士”の片方は、やっぱりネージュなんだな」
「え…そんな伝えられ方してるの?」
「あ、そうか。そりゃ、ネージュは知らないよな」
自分が伝説に残るとして、大体の人間にとってそれが”伝説”になるのは亡くなった後だろうからねえ。
“生ける伝説”なんていう規格外も、たまにいるらしいけど。
一人、何かで聞いたことがあるなあ。何だっけ、不死身の…えーっと。
ダメだ。思い出せないや。
「で、ティティは何が聞きたいんだ?」
「ああ、そうだった。ネージュ、その時封印に使った《不思議な絵》のこと、何か覚えてない?」
「……」
あれ、黙っちゃった…?
…あ、あー!そっか。そうだよ!
そりゃ、話したくないよ。
考えたら、あの絵。ネージュが描いたに決まってるじゃない。
だって、ファルギオルを封印したのはネージュなんだから。錬金術士なら、自分が使う”道具”は自分で用意するものだ。
だとしたら、一人の画家として、自分の作品をひとつ、自分の手で…”道具”にしたことになる。
こんな簡単に聞くべきじゃない。不用意だった。
「えっと、ごめん。別のこと話そうか」
「……”英雄”、か」
ん?
「何か言った?」
「ううん…そうね。少しなら、話しても良い。そのこと」
「い、いいの?辛くない?」
「大丈夫よ。私も…きっと、誰かに知ってほしいって思ってるはず」
筆を置き、胸に手を当てて瞑想するネージュ。
その目蓋の向こうで、なにを想っているのだろう。
そして、ネージュは落ち着いた様子で話し出した。
「そうね…まずあの絵はわたしが描いたの」
(…!)
「題名は、『新たなる四季』。春、夏、秋、冬…4つの季節を、4つの領域に分けて描いた、想像上の風景の絵よ」
「『新たなる、四季』…」
たしかに、あの絵の世界は4つのエリアに分かれていた。
花畑、草原の丘、聖櫃のある豊かな森、そして霧のかかった湖だ。
でも、春が花畑、夏が草原、秋が森だとして…冬は、湖?
ちょっと、冬だけ違和感があるような。
「それぞれ名前があるの。『花を敷いた
「冬は…?」
「…冬についてはまた今度でいいかしら」
うう、気になる…。けど、今は先を聞きたい。
「うん…気になるけど」
「ごめんなさいね。…それで、わたしはそれぞれの季節を人の一生に当てはめた」
人の一生…えっと。
…どういうことなんだろう。私、
「…分かったぞ。『揺籃』は『誕生』。『伸びゆく』草原は『成長』。『祝福』の秋は『成人』…あれ、でも『静謐』か。じゃあ秋が『死』なのか?」
「へえ…頭いいのね、エドワールって」
「エドでいい。で、当たってるのか?」
「大体は、ね。当時は結構考えたのに…さらっと当てられるとちょっと悔しいじゃない」
『誕生』、『成長』、『成人』、『死』…なるほど。
ここでも冬が気になる。
じゃあ、冬に当てはめられた
いつか聞いてみたい。できれば、《不和剤》を調合する頃には。
「あの絵は…あの頃の私にとって、宝物だった。けど、ファルギオルを封印できるのは、あの絵しか無かったのよ」
ネージュがあの絵を描いた。そう気づいた時に、自ずともう一つの結論が私の中で導かれた。
『黒の色彩』は…いいえ、『新たなる四季』は、ファルギオルを閉じ込めるために描かれた供物なんかじゃなかった。
あれだけ絵を描くことを熱く語れる人が、そんな理由で絵を描けるはずがない。
ファルギオルが出たからあの絵を描いたんじゃなくて、あの絵しかファルギオルを封じられる絵が無かったんだ。
でも…じゃあ、何であの世界には、あんな立派な『聖櫃』があったんだろう。
「と、まあこんな所ね。今話せることは」
「うん…ありがと、ネージュ」
「…もっと聞きたいって顔よ。ティティ」
あっと…。
顔に出ちゃってたか。しまった。
「これ以上聞きたかったら…ふふ、もっと私をその気にさせることね?」
そう言って僅かに口角を上げたネージュの顔は、あどけなさと大人っぽさが共存していて、他にない妖しさを醸し出していた。
はっきり言って…少し、いかがわしいくらい。
「あわわ…」
「お、おお…」
「?…どうしたのよ、2人とも。筆が止まってるじゃない」
「す、すまん。…見た目は子供でも、大人か…」
私も止まってた…。
…今の、描くしかないね。
自分がどれだけ凄い表情してたか、これでもかって見せつけてやるんだから。
へへ…覚悟しなさい、ネージュ!
(見捨てられたんじゃ、無かったの…?)
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まず、エドが筆を置き、ネージュの筆が止まり。
最後まで筆を動かしていたのは、私だった。
今、それぞれの画家は、自分のイーゼルに後ろを向かせ、他に見えないようにキャンバスの縁を持って抱えている。
合図に合わせて、順番にイーゼルに絵を置いて、見せ合いっこしようという算段だ。
「準備いいかしら。まずは…まあ、こういうのは素人からよね」
「お、おう…自信ねーな…」
———3、2、1、はいっ!
「あー、まあ、最初はそうよ。うん」
「…うるせーやい」
「懐かしい…私も、お母さんの顔を描けなくて泣いたこともあったもの」
エドが描いていたのは、私、ティティの横顔のはず…なのだけれど。
まあ、酷いものだ。
髪、眉、目、鼻、口…辛うじて、顔の各パーツは分かる。輪郭も、とりあえず縦長の楕円を描いてみたのだろう。
「色も合ってはいるかしら。髪色は茶色で作りやすいし…瞳の群青は少し工夫が要るけれど、うまく混ぜられたみたいね」
ただ、垂直に近い向きで置かれたキャンバスに筆を置くのに慣れていないためか、全ての線が歪んでいる。
あと、筆の太さの使い分けが無い。全部、一番細い筆で何とかしようとしたらしい。
エドらしいことに…最初に、真ん中に十字線を描いた色鉛筆の形跡がある。
本で読んだことがあったのだろう。これは目や眉の位置をバランスよく決定するための方法だ。
ただ、惜しい。
「その方法、キャンバスに描くときには向いてないのと…」
「正面から描く時のヤツだからね…横顔だと、そのままは使えないかな」
「そうか…そうだよな、おかしいと思ったんだよ。その十字、何にも使えなかったから…」
エドも、読んだ本の内容をすべて覚えてはいない。
昔読んだ絵の描き方を、うろ覚えで使ったんじゃないかな。
「もし上手くなりたいのなら、描き続けること。細かなコツも大切だけど、結局は慣れと、センスだもの」
「絵描きになる気は無いが、絵は説明するのに便利なんだよな…参考にするぜ」
さて、次の発表は私だ。
…緊張してきた。色は合ってるつもりで描いてたけど、トンチンカンな色づかいしてる可能性もあるのよね。
「じゃ、ティティ。どうぞ?」
「よ、よし…いいよ!」
———3、2、1、はいっ!
「どうだっ!」
なるようになれっ!
「………」
「………驚いた」
…。
「な、何とか言ってよっ」
「…あ、すまん。いいと思うぞ。よく描けたな、こんなの」
私が描いたのは…さっき考えた通り、あの妖艶な表情のネージュだ。
目を少し細めて、流し目。憂いを帯びた表情。
首もほんのちょっと傾げて、さらりとした細い髪が頬に僅かにかかっている。
ここまでだと物寂しげな女の子の絵なのに、僅かに笑んだ口元が全てを覆し、一転、挑発されているかのような危険な雰囲気を演出している。
すっごーく、扇情的だ。重めの恋模様を描いた
描いていて、自分でもちょっと、いけない事をしている気分だった。
「…これ、わたしよね」
「そ、そうとも!…さっきのネージュの表情、凄かったよ」
「…えっと…とても良く、描けてて…その、恥ずかしい…」
私も恥ずかしい。
一時の勢いで全てを描き切ってしまった、この私の
「つ、次!次行こ!ネージュごめん!」
「え、ええ。そうね!…この絵について話を続けるのはエドが可哀想」
そうだよね。コメントし難いよね。
最後はネージュ。
描いたのは、エドの横顔だ。
「じゃ、じゃあ…見せるから」
「ドキドキ」
「自分の絵を見るのがこんなに緊張するなんてな…」
———3、2、1、はいっ!
「か、カッコいい…」
「でしょ?ちょっとだけ、
思えば、エドを最後に描いたのはずっと前のことだ。
その頃のエドは幼くて、可愛いって感じが強かったけど…。
「いや、こんなまつ毛長く無いだろ俺!」
「ええ、でもカッコいいよ!」
真剣な表情でキャンバスに向き合うエドの横顔。
実際はきっと、もっと苦渋の表情で悩んでいたんだろうな、とは思うけど…このまま役者にでもなれそうな端麗な美形に描かれていて、うっとり見惚れてしまいそうだ。
どちらかと言うと、私はイケメンよりイケオジ派なのだけれども。
「映える色を出すのには苦労したわ。貴方、髪も目も緋色だから色の変化が少ないのよ」
「へえー、そういう苦労もあるのか…」
「まあ、写実的であることを重視するなら、そうでは無いのだけど。私の好みなのよ、空想みたいな絵を描くのは」
それ、私も見たかったなあ。
よし、早く錬金術、上手くなろう!
せっかく、ネージュっていう絵描き友達ができたんだもの。もっと色々語り合ったりしたい。
「あ、そろそろ時間かも…」
懐中時計が午後4時を示している。私もエドも門限は無いけれど、そろそろ絵を出て帰らないと、日が落ちきってしまうだろう。
「そう…ね、ねえ。また来る、わよね?」
「え?明日もここに来るつもりだったけど…だめだった?」
今日あまり出来なかった採取とか、探索とか。
ネージュの許可を貰って、お話しながら一緒に過ごせたらなーって考えてたんだけど…まずかったかな。
「そんなこと無い!来てよね、絶対だから!」
「ははっ。だいぶ好かれたな、ティトラ」
「あはは…うん。仲良くなれて嬉しいや」
300年前の偉人、っていうより…絵を描くのが好きな女の子。
話がとっても合うから、今日で私もネージュのことが大好きになった。大人っぽいし、実際に大人だったみたいだし、もっと仲良くなってお話ししてみたい。
お母さんも大人だけど、性格上、あまり話が続かないからね…。
「なにを人ごとみたいに言ってるのよ。私が異性と絵を描くのなんて、珍しいんだから」
「俺もなのか?そりゃ嬉しいな、ネージュには聞きたいことが沢山ある」
「300年前のこと?いいけど、人里を離れていたから世情には疎いのよ」
「現代の市民より、当時の隠居さんの方が詳しいってもんだろ?」
「…そうかもね」
「じゃあ、また明日!」
「またな!」
「ええ!また明日ね!」
名残惜しく思いつつ、別れの挨拶と約束を交わして、私たちは『凍てし時の宮殿』を後にした。
☆”叶えるもの”の疑惑
説明:
自分を”叶えるもの”と名乗った無形の存在だが、その呼称には疑問の余地がある。
不思議な絵は作者のイメージをカタチにする力を持つ。つまり、願いを叶える道具である。しかし、その効果を裏付けるのは、エーテルの中間結晶体である《アルケウス・アニマ》。本来、不思議な絵はやはり、”叶えるもの”のような絵の総体となる意思を持たないのである。
そして、レンプライアは明確な意思を持つことは無い。
つまり、”叶えるもの”は不思議な絵そのものでは無く、また、少なくともかつてはレンプライアでも無かったことになる。
“叶えるもの”の由来、それが彼女の最大の謎と言える。