ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜   作:メルヴェイユ市民

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ティトラの錬金術


 

 ネージュと友達になってから、今日でひと月。

 

 あれから私は、3日に一度のペースで『凍てし時の宮殿』へ採取に赴きながら錬金術の集中強化を進めている。

 

 調合するのは、《中和剤》系統の道具。素材にかなり自由が効く上、量があっても困らない。お父さんもよく使うから、余ってる分を融通したりしている。

 

 このひと月の間、いつものように色々な出来事があったけれど…一番重要な出来事はもちろん、マーレン一家の大騒動だ。

 

 このメルヴェイユの名門アトリエ、ヴォルテールを巻き込んだ、双子とロジェさんの大勝負。

 この騒動は、私たちのような知り合いだけでなく、普段からそれぞれのアトリエを利用しているお客さんの注目も集めた。一時(いっとき)は、ほとんど街を上げて見守っているような状態にすらなっていたのだ。

 

 当の本人たちはその状況すらも利用して猛烈な勢いで評判を伸ばし、ランクアップを目指して熾烈なデッドヒートを繰り広げていたのだが…紙一重。

 僅かに数分の差で、双子たちはロジェさんよりも早く、Bランクのアトリエへの昇級を成し遂げたのであった。

 

 

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 あの時は凄かったなー。

 

 1分1秒が惜しいと言わんばかりに、昇級課題の調合品を握りしめた双子がアトリエを飛び出して。

 その双子の後を追って、都中の常連客(アトリエファン)が我さきに大移動を起こしていた。

 

 

 今となっては、あの双子のアトリエはBランクだ。

 これは、なんと、あの錬金術の超名門、ラインウェバー家の出身であるイルメリアさんが、ランク制度開始時に特別に与えられたランクよりも1つ上。

 

 つまり、あの双子も…少なくとも、この都にとって、それだけ大きな貢献ができる存在になったってことになる。

 

 

 ちょっと前の私なら、その差に絶望して、心を折られていたかもしれないけれど…今は違う。

 

 私は、私の道でいい。誰かと比べる必要は無い…そう、気づくことが出来たから。

 

 それは、お母さんの言葉のお陰であり、リディーとスーの”覚悟”のお陰であり、命を救ってくれたパールのお陰であり…そして、私に声を聞く余裕をくれた”叶えるもの”のお陰でもある。

 

 

 

 

「できたっ!《中和剤・紫》!」

 

 自宅の一階、アトリエ。

 

 今日もまた、お父さんがアトリエの運営をこなす傍ら、錬金術の練習に励んでいる。

 

 

 最近、かなりの時間をここで過ごしている。つまり錬金釜を私が使っている時間も多いんだけど、どういうわけか、お父さんのアトリエ運営に支障は無いらしい。

 

 私が絵を描いたり、採取に行ったりしている間はお父さんも調合をしているようだから、その短い期間だけで必要分の調合を全てこなしているんだろう。

 …この家の家事を一手に引き受けた上で、だ。

 

 錬金術士としては決して一流の腕は無いけれど、その分、知恵や工夫、そしてレシピへの熟練によって、一流の錬金術士にも劣らない作業効率を実現しているということになる。地域に根ざしたアトリエの主としては、ある種完成された姿だ。

 

 

 それどころか…私が《万能中和剤・虹》を作りたがっていることを察して、こんなモノまで作って寄越したというから、驚くしかない。

 

 

———『虹色中和剤・入門書』。

 

 

「すっごいなあ…コツとか、注意点とか、全部びっしり書いてある…」

 

 お父さんがアトリエ業の中で得た《万能中和剤・虹》の調合のためのあらゆるテクニックが、事細かに載っている”参考書”だ。

 

 虹以外の全ての色の中和剤を安定して作れるようになった今、ついに私は、このレシピに挑む。

 

 

 

 

 

 

「材料は《蒸留水》、《中和剤》を1つ、神秘の力、霊薬の材料(エリキシル)…」

 

 中和剤は、今しがた作り出した紫色の中和剤を使おう。

 

 神秘の力を秘めた素材、これは…。

 

「意外なことに、このリンゴにも秘められているんだよね。神秘の力…」

 

 《雪の女王》。

 

 しばらく前に、《リンゴのタルト》の材料として使ったリンゴだけれど…何と、この雪を被って実ったリンゴにも、神秘の力が宿っているのだ。

 

 思えば、このリンゴは他の種のリンゴに比べても日持ちがいいし、常にヒンヤリとしている。

 

「プニにも神秘が宿っているというし、リンゴに宿っていても不思議じゃない、のかなあ」

 

 

 最後に霊薬の材料(エリキシル)

 

 これについては、このレシピを見た時から心に決めていた素材がある。———《竜のウロコ》だ。

 

 粉にして飲めば不老を得るという竜鱗。

 私自身が、初めて大きな困難に直面して、勝利した瞬間。その戦利品が、この《竜のウロコ》だった。

 

 

 

———クゥゥン…。

 

 

 

 そういえば、いつからだろう。

 この腰に提げた袋に入れた青竜の像が、絵の世界で無くとも応えてくれるようになったのは。

 

 

「全部入れて…と」

 

 

 釜の温度は———適切な粘性は———加えるべき触媒は。

 

 全ての条件を適切に管理し、安定した調合をするために必要なことは、全てこの参考書に書かれている。

 

 けれど…私の調合は、それだけじゃ足りないんだ。

 

 

 

 私なりに改めて、この、”美術”でなければガラクタになる、奇妙な体質について考えてみたんだ。

 

 

 《アルケウス・アニマ》、『メタモルミックス』、”叶えるもの”…不思議な絵に関わるうちに、色々な不思議な出会いを得てきたもので。

 

 その中で、私は一つの知見を得た。

 錬金術を支えるエネルギーは、エーテルである、ということ。

 

 

 

 “エーテル過剰”。それが、私の体質についての、一つの結論なのではないだろうか。

 

 

 

 《不思議な絵》は、描き手の強い想いや願いがあってこそ、実現する。

———即ち、衝動。

 

 《不思議な絵》は、絵画に描かれた世界に反応して、世界を内包する。

———即ち、イメージ。

 

 《不思議な絵》は、鑑賞した人々の感情の変化によって、その含有するエーテルを回復させる。

———即ち、感受性。

 

 

 パールの言っていた、絵の才能が素材の願いを変える、という言葉をより細かく再解釈するならば、きっと、こうなる。

 

 私の感受性の高さは、私が錬金釜に与えるエーテルの量を過剰に増加させ…。

 結果、機能よりも、デザインに重きを置いて設計されたレシピほど、本来の結果を実現しやすくなり…。

 強い衝動に突き動かされることで、本来の実力を超えた調合を実現する。

 …そして、その衝動が間違った方向へ向いている時、その調合は間違った方向に”成功”し…()()()()()()()ガラクタを生む。

 

 それが、私の錬金術だったんだと思う。

 

 

 …だから、このお父さんの、果てしなく機能的で合理化されたレシピは…きっと、このままじゃ成功しない。

 

 私のためのレシピ。それが必要だ。

 そしてその答えは、常に私の中にしかあり得ない。

 

 

 だから、重要だったのは完成品の美しさじゃなかった。

 見て、そうと分かる象徴。私がそれを理解するための象徴さえあれば、上手くいくはず。

 

 

 《万能中和剤・虹》、全てを中和させる虹色の液剤。

 その働きは、どうすれば象徴できる?

 

 

 

 

 いつの間にか瞑っていた目を開ける。

 目に入るのは、錬金釜に、薬品棚に、コンテナに…ぐるぐると回り続けるかき混ぜ棒。

 

「かき混ぜ棒…《かき混ぜ棒》、か」

 

 

 …これは私のかき混ぜ棒だ。

 調合には無くてはならないものだ。釜の爆発や調合の事故で折れたり溶けたりした時のため、常に数本は常備してある。

 

 そして、釜をかき混ぜる…錬金釜に並ぶ、錬金術士の象徴。

 混ぜることを体現した、長く、先の平たい、ヘラのような形。

 

 …いける、かも?

 

 

「…よいしょっ」

「…ん?ティティ、何をしているんだい?」

 

 傘立てを細長いものの容れ物(ホルダー)にするのは、お父さんの発想だ。

 ホウキと一緒に立てかけてある新品の《かき混ぜ棒》から、私用のサイズに調整されているものを持ち上げて…。

 

「ほいっと」

「ティティ!?」

 

 全ての存在は、錬金術の素材になり得る。

 実体のないものだってそうだもの。

 

 《かき混ぜ棒》が、素材にならないワケ…ないよね!

 

 

「よし…手応え、あり。後は温度を保って…混ぜるっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …20時間後。

 

 休み休み釜をかき混ぜ、腕も腰も軋んできた頃、ようやく釜の中の輝きが強くなり…そして、次第に暗くなる。反応が止まったんだ。

 

 完成、のはず。

 

 

 

 

 錬金釜の中央。釜の中ほどまで張られた水の上に…マーブル模様の輝く液体が浮かんでいる。

 

 そっと…そっと。空のビーカーを近づけて…掬い取る。

 

 色、よし。粘性、よし。…完成だ。

 

 できた。できたんだ…私にも。

 

 

「できた…」

 

 

 出来上がりは、正直、あまり良いものとは言えない。

 

 それでも、今目の前のビーカーに溢れんばかりに掬い取られた液体は、確かに虹の《中和剤》だった。

 

 

 

 

 

 

 

 調合中は、同じ姿勢を保つ時間が長い。今だって、身体中が硬くなって、疲れている。

 でも…このまま行こう。

 これは無茶でも、無理じゃない。今なら行ける気がする…その感覚を、逃したくない。

 

 アルトさんのレシピの素材は揃ってる。

 この虹の《中和剤》を使って、今、この場で…作りだすんだ。

 

 《万物不和剤・黒》。

 《黒の絵の具》に、本当の色をつける道具を!

 

 

 

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 《万物不和剤・黒》のレシピに書かれている素材は、少ない。

 

 たった3つ。《万能中和剤・虹》、《混沌の泥》、《アルケウス・アニマ》。

 

「アニマ…アルトさんも、同じことを考えて…いや、違う」

 

 このアニマは、錬金を不安定にするためのものじゃない。《混沌の泥》に、エーテルを与えるための素材だ。

 

 アルトさんのメモによれば、《黒の絵の具》は爆発寸前の錬金釜と同様の状態にあるらしい。

 《アルケウス・アニマ》も調合中の錬金釜と似た状態を保っているというから、それが歪んだ形で生み出された結果である《黒の絵の具》の性質が似ているのも無理はない。

 

 けれど、つまりそれは…錬金釜に直接《黒の絵の具》を投げ入れることが、調合の状態に致命的な悪影響を及ぼすということでもある。

 

 

「だからこその、《混沌の泥》なのね」

 

 

 《混沌の泥》はアニマとしての力を失った、少し妙な気配があるだけのただの泥だ。そこに改めて正常なアニマを与えてやれば、《黒の絵の具》に近い性質の、安定した素材として扱える。

 

 そして、そうまでして《黒の絵の具》を使いたい理由は…反転、だと書いてある。

 

 元は描かれた世界を実現するためにあった力が、世界を黒く染めて侵食するようになる。

 《不思議な絵》は正方向の感情に反応し、黒い魔物は負の感情を撒き散らす。

 素材を生み出す《アルケウス・アニマ》に対して、《黒の絵の具》は物体を飲み込んで吸収する。

 

 《黒の絵の具》は、《アルケウス・アニマ》が反転したような性質を持っている。

 それについて、アルトさんは明確な答えを出せなかったようだけれど…一つの仮説と、実証を示した。

 

 《黒の絵の具》は、素材が持つ特徴を反転させる”何か”の影響を受けた《アルケウス・アニマ》。そして、その”何か”は《黒の絵の具》や、《混沌の泥》にも、未だ含まれている。

 

 その影響を利用して、中和作用を反転させる。

 それが、《万物不和剤・黒》のレシピだった。

 

 実際に、アルトさんはこのレシピで調合に成功したらしい。その調合品の実験結果も、ちゃんと乗っている。

 《黒の絵の具》に《万物不和剤・黒》を垂らした時の反応は、まるで虹のようだったという。

 それこそ、手元のビーカーにある《万能中和剤・虹》のように。

 

 

 それに…確かに、《黒の絵の具》は私にとって、反転の象徴だ。

 

 何しろ、他でもないその《黒の絵の具》こそ、『新たなる四季』から色を奪い、私の視界から色を無くした原因なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 トク、トク、トク、と、音を立てて、マーブル模様の液体が錬金釜に注がれる。

 

 今しがたの調合で完成した量は、3回分。3分の1ほどを注いだところで、ビーカーを傾けるのを止めた。

 

 本来、《中和剤》は調合の途中で投入するものだ。

 けれど、今回はこれが調合の主役。

 

 従って、まず真っ先にこれを投入する。

 

 

 

 今度は、中和剤が水面で集まることは無く、水に溶けて広がっていく。

 

 錬金術の神秘だ。水溶性の液剤や、気体のような形のない物質を調合した場合、その完成の直後だけは釜の中で集まり、確実に取り出すことができる。

 錬金術が、ただ物理法則に則った手品でないことを示した特徴の一つと言える。

 

 

「次は、《混沌の泥》を…」

 

 

 こちらはボチャン、ボチャンという音。《混沌の泥》は水に溶けにくいため、釜の底へと沈んでいく。

 しかし、中和剤の効果もあり、全く溶けないということも無さそうだ。アニマを入れる前にしっかりと熱して、これを溶かしてしまおう。

 

 

 3時間ほどかき混ぜ続けると、《混沌の泥》もすっかりと無くなり、錬金釜の中身は真っ黒に染まった。

 まだ輝きは無い。錬金術の法則に則った反応が起きている訳ではないためだ。

 

 

「これを入れた瞬間…そこからが勝負、か」

 

 《アルケウス・アニマ》を投じれば、初めて超常の反応が始まる。

 錬金術の法則が発揮されるための要素が整い、さらにアニマが持つエーテルが反応を一気に加速させる。

 

 ここで投じるアニマの量は、あのシフォンケーキ、《スイートメモリー》の時に投じた量とはまるで違う。

 あの時はほとんど触媒としての利用が目的だったけれど、今回はしっかり素材として採用されている。《混沌の泥》とほぼ等量のアニマを投入することになる。

 

 アニマの投入、それはエーテルの投入とほとんど同じこと。

 

 このレシピの調合時間は、4時間。《混沌の泥》を溶かすために3時間かかるので、実際に調合と呼べる作業をするのは僅かに1時間しかない。

 

 それだけ、反応が急激に進み…不安定になるということだ。

 

 

 

 集中。深呼吸をして、心を落ち着ける。

 

「すー…はー…」

 

 …よし。行くぞ。

 

「…えいっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 変化は劇的だった。

 

 《アルケウス・アニマ》が水面に触れた瞬間、釜は凄まじい閃光を発し、直視することもできなくなった。

 

 視界の無い調合。かき混ぜ棒の感覚だけを頼りに、必死に釜を混ぜる。

 

 入れた素材がどれも固形ではないから、ほとんど感触が無い。

 それでも何とかして、釜の中を、均一に混ぜ続けなくっちゃいけない。

 

 物質だけじゃない。そのエーテルの分布までを均等に保ち、《中和剤》の全てにムラなく反転作用が及ぶように整える必要がある。

 

 《中和剤》は文字通り、中和作用を持った薬剤だ。

 《中和剤》の成分が少しでも残っていれば、《不和剤》へと変化しようとする薬剤は、その変化を”中和”されて元に戻されてしまうだろう。

 

 

「…難しい…っ」

 

 

 閃光が消えるまでの間に…完全な均一状態を作り出さなければ、この調合は失敗する。

 

 

 エーテルすらも素材なら、この調合は完全な実力勝負…!

 

 

 

 

 

 

 望むところ、だ。

 

 これまで、何度も何度も釜をかき混ぜてきた。ひたすら、ひたすらに…自分に自信が無かった頃から、無我夢中で。

 

 その私が。かき混ぜ棒の捌き方で、失敗するなんて。

 そんなことは、あり得ない…っ!

 

 

 今この時こそ、全てを集中させるんだ。

 この棒から伝わる、全ての感触を逃しちゃいけない———。

 

 

 

 

 

 

———キィィィ……ン。

 

「うっ…!?」

 

 

 耳鳴りのような高い音。同時に、瞼を閉じていても目が潰れるかと思うほどに強く、最大の閃光が放たれる。

 

 たまらず、片手で目を抑え…ようとして。

 

 釜の光が、急激に弱くなっていくのを、感じる———。

 

 

 

 目を、開ける。

 

 できたのか———できなかったのか。

 結果を、確認しないと…。

 

 

「…ま、真っ黒…」

 

 

 色は、これでいい。元から《混沌の泥》のせいで真っ黒だったけど、《万物不和剤・黒》は、その黒という名前の通りに真っ黒な薬剤。見た目上の判断はつかない。

 

 ただ、その真っ黒な液体は、さっきまで錬金釜の中身を全部染めていたのに…今は、真ん中にまとまって浮いている。

 

 調合品の証だ。

 量は、さっきよりもずっと多い。ビーカーじゃ足りない、バケツが必要だ。

 

 それが成功かは分からないけれど、確かに調合は終わったんだ。

 

 

「…実験…実験してみよう」

 

 

 《万能中和剤・虹》と合わせ、合計24時間…ぴったり丸一日。

 けど、錬金術士に徹夜は付き物だ。一日程度なら、何てことは無い。

 

 それよりも、早く…この真っ黒な薬剤を、試してみたい!

 

 

 

 

 

 出来上がった黒い液体は、全て鉄のバケツに移し替えた。

 この液体は《中和剤》と同じように、滑らかで水っぽい。振動を与えると、波紋が水面を走って消える。

 

 

 

 アトリエには、今、お父さんは居ない。私の代わりに買い出しに行ってくれているからだ。

 …足元の影を揺らし、バケツ一杯ほどの《黒の絵の具》を生み出して、指を差し入れ、浮かべる。

 

 

「……っ」

 

 

 ドキドキと心臓が早鐘を打つ。

 

 薄く広げた《黒の絵の具》に、この黒い液体を、少し…ひと匙ほどだけ———垂らした。

 

 

「あっ…!?」

 

 

 

 

 

 

 

 一目、瞭然。

 

 《黒の絵の具》の板の上を滑るように広がった液剤は、触れた部分を”黒ではない何色かに染め上げ”、その一部は、私の制御を離れた。

 

 器となった《黒の絵の具》の上で…マーブル模様の———きっと、虹色になった色のついた絵の具が、どろりと揺れている。

 

 いや、さらに反応は続いた。

 次第にマーブル模様ははっきりと分離していき、最後には虹の7色のような丸いグラデーションを描いて、完全にそれぞれ別の色の絵の具として、分解…”不和”された。

 

 

 これは、間違いない。

 

 このバケツの中身は、《万物不和剤・黒》。

 調合は成功した。

 

 

 

 

「はは…はは…っ!」

 

 

 やった…!

 

 やったよ、”叶えるもの”!

 

(まさか…本当に、《黒の絵の具》を…戻してしまうなんて)

 

 

 

 

 

 

「ただいまー…おや?ティティ、何を作ったんだい?」

「えっあっ、きゃっ!?」

「あっ…」

 

 

———ドポン。

 

 帰ってきたお父さんに驚いた私の手の動揺に、虹色のグラデーションは器となっていた《黒の絵の具》ごと熱された錬金釜の中へと消えた。

 

 色のついた絵の具が釜を彩ったのも一瞬、すぐに黒く染め上げられて消えてしまった。

 

 

「あー…ご、ごめん。急に話しかけちゃまずかったね」

「あ、ううん…今のは、まあ、副産物みたいなものだから。本命はこっち…んん?」

 

 何か、焦げくさい…?

 

 

「…ティ、ティティ?錬金釜、様子がおかしいような…」

「えっ?…ああっ!?黒の…!」

 

 

 そうだ、アルトさんのレシピに書いてあった!

 

 《黒の絵の具》は、爆発寸前の錬金釜———!

 

 

 

「こっ、これだけは…!」

 

 

 

 

 

 

 

———ボンッ!

 

 

 

 

 

 

———————————

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 久しぶりの爆発。

 真っ黒な《黒の絵の具》が飛び散り、アトリエの半分ほどは黒い水飛沫(スプラッシュ)で何とも前衛美術じみた風貌へと変わった。

 

 

 なんとか、身を挺して《万物不和剤・黒》のバケツは守ることができたけど、やっぱり駆け降りてきたお母さんに、全身を真っ黒にした私とお父さんの姿を見られ…。

 

 

「ついに黒焦げになったかと思ったぞ」

 

 

 …との感想を頂いてしまった。

 

 

 幸い、私もお父さんも爆発に慣れているから目や口は守れたし、《黒の絵の具》の毒性については心配いらないだろう。

 

 むしろ、掃除の方が大変で…普通に拭いても取れない。

 雑巾の向こうでこっそり《黒の絵の具》を操作して、掃除上手のフリをしながら少しずつ回収し、終わった頃には昼時を超えて夕方。

 

 集中も切れて、30時間の作業の末、何とか早めの夕飯をお腹に収めた私は、それこそ泥のように自室のベッドへと倒れ込んだのだった。

 

 

 

 ねえ、”叶えるもの”。私頑張ったよ。

 

(ええ、すごいわ。…本当に、すごい)

 

 やっと、実現するよ…。

 …きっと、すぐ。近いうちに…見せてあげるから。

 

 

 昼の、スカイブルーの空も。

 夜の、ミッドナイトブルーの空も。

 

 そして、夕焼けに染まる、マール海の空も。

 

 一緒に見よう。

 私を救ってくれた貴方を、今度は私が救うの。

 

(私は…本当に、我が(コア)の救いになれていた?)

 

 当たり前でしょ?

 

 

「あ…そうだ」

 

 ねえ、貴方に名前を付けたいって思ってたんだ。

 

 何か、希望とかあるかな?

 カッコいいのとか、カワイイのとか。

 

(名前なんて…私は”叶えるもの”よ。それ以外の何者にもなれなかった)

 

 これから、なれるって。

 私が、私らしくなったように。

 

 

(…じゃあ、そうね。我が(コア)が呼びやすい名前がいいわ)

 

 

 そう?

 うーん、そうだなあ。

 

 ネージュちゃんに似てたんだよねえ。

 

 ネージュ…(neige)かあ。

 そこから何か…。

 

 うーん、もうちょっと考えてみる。

 

(適当でいいわよ。貴方にしか呼ばれないのだし)

 

 そんなの、私が嫌だよ。

 

 

 

 ねえ、私、必ず『新たなる四季』を元通りにするから…。

 

 そしたらきっと、いろんな景色を見に行こうね。

 

 

 

 

 

(本当に、いいのかしら…)

(私が、使い捨てられたんじゃないのなら…)

(私は、本当は何者なの…?)

 

 

 

 

 

 




 素材として《黒の絵の具》を見た時のカテゴリは、(アニマ)(毒の材料)として設定していたりします。
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