ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜 作:メルヴェイユ市民
朝だ。
「う、うーーーん……!はぁっ!よく寝た!」
伸びーっと腕を伸ばし、朝日を浴びて目を覚ます。
今日は…待ちに待った、あの日。
『黒の色彩』に色を取り戻し、復旧する。その予定の日が、ついに来た。
そう、”復旧”…”修復”じゃない。
ただエーテルが欠乏して絵に入ることが出来なくなっただけの絵は、《ネージュの絵の具》を使って修復を施すことで入ることができるようになる。
けれど、『黒の色彩』は違う。私が霊魂からエーテルを供給し、色覚をあてがって色を与えることで、あたかも《不思議な絵》として直ったかのように見えているけれど、これは完全じゃない。応急処置だ。*1
本来はもう、元に戻ることのない黒い絵。それを元に戻すためには、やはり絵そのものの色を取り戻す、”復旧”作業を行う必要がある。
エド、そしてアルトさんには、事前に話を通して立ち会って貰うことになっている。
その時、アルトさんからはとある相談を受け…私は、ある条件を元にそれを承諾した。
現実世界から行うとはいえ、長時間の作業になる。《万物不和剤・黒》をつけた筆で絵をなぞり、絵の具の色を選び取る。もし間違って元の絵の筆跡を掻き消してしまったら、どんな不具合が生じるか分からない。
その最初の一枚の作業には、この2人に立ち会って貰いたかったのだ。
ずっと机に置いていた『黒の色彩』を持ち上げる。
(やるのね、今日)
(うん…頑張るから、頑張って)
(私は待つだけよ。…ねえ、我が
うん?なんだろう。
(私が何者なのか…レンプライアなのか、《不思議な絵》の意思なのか、今となっては私にも分からないわ)
(もし、絵が元に戻って…私がどうなってしまったとしても…我が
「…もちろん」
一度助けたなら、最後まで。そう決めたから。
さあ、2人が待っている。
『黒の色彩』を、『新たなる四季』に戻しに行こう!
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《目的メモ》
『わたしの夢』
これからするべき事はたった一つ
黒く染まった『新たなる四季』に
元の美しい色彩を取り戻す!
あの子に、本当の空を見せたい
…でも、それだけなの?
【ティトラ】
□・『新たなる四季』を復旧させる
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———王城内、画廊。
「…それじゃ、貴方には…黒い魔物のことが分かってるってことなのかしら?」
「人よりは…です。何もかもは分かりません」
「そう…レンプライア、ね。まさか、そんな存在だったなんて…」
対策が必要かしらね———そう言って、難しい顔で考え込むのは、
その目の前には、イーゼルに置かれた《不思議な絵》…原題、『新たなる四季』。
…私は、私の抱える秘密のおおよそを、ミレイユさんに話した。王女としてじゃなく、個人としての、だけど。
アルトさんから受けた、
『黒の色彩』の本来の姿、そして『新たなる四季』の復旧について、アルトさんに話をしに行った時、アルトさんはこう言った。
———…その光景。ミレイユさんに見せることはできないか。
———このアダレットの王城には、多くの《不思議な絵》がある。
———レンプライアという存在、そして侵食され切った絵画の復旧。
———この国の次期国王の姉にそれを見せておく事は、必ず未来に意味を持つはずなんだ。
頼む、と頭まで下げられて、私は恐縮してしまった。
前にも言った通り、私は父と母にさえ知られなければ…。
いや、今となっては、誰に知られようとも構いはしないのだから。
ええ、はい、もちろんです。3つの返事で心良く承った私は、この立派な画廊を貸し切りにして作業できることに内心喜んですらいた。
「ティティ。理論は示したが…実際のところ、絵画を直す具体的な手法についてはどうするつもりなんだ?」
「どうもこうもしません。一箇所一箇所、地道に色を分離させて、余分な色を筆で拭いながら、必要な色を混ぜ合わせる…それだけです」
「なっ…なるほど……力技なのか」
「あはは…ええ。なんにせよ、無間なものです。絵の道というのは」
混ざり合っているもの全てを不和させる《万物不和剤・黒》は、劣化した側から不和によって復元される。保存方法を選ばないため、簡単な皮袋に入れて持ってきてある。
それを洗面器に移し替え…イーゼルの側に用意された、贅沢な拵えの机に置く。…こぼしたら表面の塗装がダメになっちゃう気がしたので、ちゃんと事前に布は敷いた。
そして、そのイーゼルには『黒の色彩』。
そこに見えるのは…
もう、私の色を貸す必要はない。
瞑想する。
さっきまで、私はこの絵の中で、存分に景色を眺めてきた。
もう、何一つとして…見落とすこともない。
(少しの辛抱だからね。”叶えるもの”)
(分かってる。むしろ…この真っ黒の世界も見納めと思うと、少し勿体ないくらいよ)
(えへへ…信じてくれてるんだ)
(最初から、私は疑ってなんてないわ。我が…いいえ。その…)
…?
(…ティトラ)
(あっ、名前…)
(考えてくれるって、いうから。だから、まずは私から…そう呼ぶことにする。…ちょっと、身体が軋む、けど)
軋む?どういう…。
(私は、多分…貴方を呼ぶやり方を、何かに決められているはずなんだわ)
(決められてる…?)
(今はいいの。終わったら、話してあげる。…そのためにも、失敗なんてしないでよね)
…うん!
瞑想を止める。
「では…始めます」
「……」
見ていて、エド。
それが、私の力になるから。
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この絵画に迷い込んだ、あの敗北の時。
私は、この絵画の東西南北を仮に決め、各エリアの地形を把握した。
その方法は、この絵を見る限り適切だったらしい。
塗りつぶされた題名を下にしてこの絵を立てかけると、左に花畑、下に草原、右に森、上に湖となる。
ネージュはこの絵画に人生を描いたというけれど、未だそこには、疑問の余地がある。
思えば。私はこの灰色の状態の『黒の色彩』をよく観察できていなかった。
そうして見比べてみれば、色がついている時のこの絵とは少し違う部分があるような、そんな気もする…。
まだ、どこなのかは分からないけれど…それは、この絵と向き合ううちに明らかになるのかもしれない。
まずは、春から初めようか。
春。生誕の季節。
この絵を訪れると、必ずこの、『花を敷いた
灰色の草原と同じように、咲いている花に名前は無かった。その全てが、細かに花びらまで描かれているというのに。
未知の花なのか。或いは、花であるということ、それ自体が意味を持つのだろうか。
それとも、その花に名前があってはいけなかったのかもしれない。
一輪、一輪。持たざる名前を呼ぶ代わりに、丁寧に黒を
「……」
薬剤で濡らした細い筆が、その花びらを示す線をなぞるたびに、浮き上がる絵の具が虹色を成す。
紫…ピンク…青…赤…花の色を一つ一つ選び、色を調合し、不要となった色は水で濡らした筆で拭い取る。
———果てしない作業。
夏。成長の季節。
目を閉じれば、青々と伸びゆく草の香りが、鼻をくすぐる。
急峻な丘の斜面は、まるで壁のようにも見えた。
けれど、そこに壁などなく、本当はただ歩くべき道だけがあった。
名も無き草たちを踏みつけて。
一歩、一歩。目もくれずがむしゃらに登ってゆく。
その汗を拭って、清々しく、風は吹き渡る。
「……」
筆は止まらない。
虹色から緑を掬い取り、若草は次第に色濃く育つ。
———果てしない作業。終わりのない道。
秋。実りの季節。
木には恵みを。天には光を。地には水を。
全ては熟し、不備は無く、理想的な実りを迎えた。
小さき者も、大きな者も、等しくその実を味わい、酔いしれる。
しかし、ここにはもう一つの象徴がある。
「
この森の名は『
実りに溢れて、生命が息づくこの森で、人生は突然に終わりを迎える。
全盛にて、綴じる。その真意。
眠るべき棺は、既に破られていても———。
筆は、止まらない。
———果てしない作業。終わりのない道。意味のない努力。
冬。その一切は、謎に包まれて———。
「……?」
何だろう、これ。
湖の中央に、何か描いてある。
そういえば…色がついている時、あの落書きのような物体は無かった。
あまりに異質すぎて、私の無意識が色を塗ることができなかったんだと思う。
だからその部分は台座ごと、適当な色で塗られて覆い隠されていた。
全てが剥がされた今、そこに描かれていたのは…。
「祭壇と…門?」
そのように見える。
水中から浮き出る台座には、布を被せられ燭台が置かれた、祭壇のような直方体。
そして門のような楕円の輪があった。
その門は美しくも
12体の男女の彫刻が、裸体に薄い布を纏い、絡み合うように楕円を描き、巨大な
彼らは鎖に縛られて、その輪の形へと戒められているようだ。
霧に霞んだ祭壇と門には、人生というよりは、神話のような異界感を覚える。
何を思って、この冬を描いたのか、向き合う今ですら、理解は及ばない。
…私はまだまだだ。どうやら、この道の先は長いらしい。
———果てしない作業。終わりのない道。意味のない努力。
———だけど、私は…この道が好きだ。
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全ての季節を巡り終えても、まだ作業は終わらない。
既に絵画は元の面影と呼べる印象を取り戻しかけている。
しかし、完全ではない。
「この色…」
空は、何の色だろう。
地平線の向こうに覗く、遥かな空は。
人生の全てを覆い、見通し、なおも透き通る空の色。
絵の世界の空は、いつまでもその色を変えない。
この世界の空は、何色であるべきなのか———。
…そうだ。何色であるべきか、じゃない。
私が何色にしたいと思うのか。
私の、空の色は———。
次回より最終章です。(予定)