ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜 作:メルヴェイユ市民
地下室の黒い絵の復旧は、予想していた通り難航を極めた。
《万物不和剤・黒》を吸わせた筆を、天使像と思われる部分に、ほんの少しだけ置く。
七色に分かれる絵の具…天使を思わせる、青混じりの白を調合して置いてみる。
…しかし、一瞬白く染まった天使の翼の先端は、すぐに黒色に戻ってしまった。
「…この色、じゃないの…?」
…だったら、レンガ造りの建物の壁だ。
《不和剤》を置き、くすんだ赤色を調合し、その他の色を取り除く。
…まただ。色づいた筈のレンガに黒が染み寄り、直ぐに色が失われる。
正しい色が分からない。
…ううん、もしかしたらそれだけじゃない。
結果的に色が正しくても、それを塗る時に私の感情が伴わなければ、レンプライアを弾くことができないのかもしれない。
だとしたら、この絵を復旧する手段は無いことになる。
…でも。だったら。
「諦めない…!」
何としても食らいつく…!
考えろ。そして感じろ。
この、荒廃した世界を描くとしたら、何のためだ。
私が寄り添わないといけない、その心は、何色なんだ———!
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———現実世界、王城の図書館。
「れ、れ、れん、れん…ダメだぁ。ここにも無いや、”レンプライア”」
「うん…”黒の絵の具”もダメみたい…」
母を救わんと奔走する双子は、連日、都の各地を訪れ、片っ端から本などの書物を調べていた。
しかし、随一の蔵書量を誇る王城の図書館にも、彼女たちが求める情報は収められていないようだった。
「もう!どうして誰も調べて無いのさ…!」
「仕方ないよ…《不思議な絵》って、とても珍しいものだから…」
「…諦めない。リディー!次行くよ!」
何度も逆境を乗り越えてきた双子は、この程度で挫けない。
この場に見切りをつけ、次なる候補へと走り出す。
「…ううん…どうしたものかしら…」
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描かれた時計塔の頂上に置いた青の絵の具が、黒く染まって消えていく。
「これもダメか…」
まだ、まだだ。
この程度、なんともない。
「ォォ…」
「きゃっ…エド!」
「はぁっ!」
時折、黒い絵からはレンプライアが現れる。
その度に、エドが一突きにして倒してくれるけど、作業はどうしても中断される。
「大丈夫か?ティティ」
「うん。何とも無いよ」
エドが、居る。
それだけでいい。
私はどれだけだって戦える。
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———現実、イルメリアのアトリエ。
イルメリア・フォン・ラインウェバーは超一流の大天才を名乗る錬金術士であり、リディーとスールの錬金術の師匠だ。
努力家である彼女は読破した書物の量も凄まじく、その殆どはこのアトリエに収蔵されている。
「どうしたのよ、そんなに慌てて…」
「すみません、探している本があるんです」
アトリエに入るや否や、双子は本棚の大量の本から名前や記述を探し始めた。
レンプライア…黒い絵の具…。
不思議な絵について記された本はいくつもあれど、黒い存在について記された本は一つもない。
「へえ…何についての本?」
「《黒の絵の具》です。レンプライア、という名前もあるみたいなんですけど」
「黒の…ううん。覚えがないわ。ここにある本は全部読んだことがあるけど、そういう記述は無いわね」
「そうですか…ありがとうございます。お邪魔しました」
「お邪魔しましたっ!リディー、次だよ!」
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…ダメだね。
ちょっと休憩だ…ちょっと、集中力がもたない。
「エド…大丈夫?」
「まぁな、伊達に鍛えてないさ」
「へえ。触っていい?」
「…は?どこに?」
「ここ」
壁に寄りかかるエドに近づき、そのお腹に触る。
「お、おい…くすぐったいだろ」
「わっ…かったいなあ」
「まあ…腹筋とか背筋とかは真っ先に鍛えるからな。体力作りと、身体の耐久力のために」
へえ…。
…さすさす。
汗一つかいてない。流石だなあ。
「疲れてるなあ…普段はそんな事しないだろ」
「えへへ…まあ、ね。…ふう、そろそろ始めるよ」
「無理は…」
「するよ。オネットさんのためだもん…フォローお願いね」
「…あいよ。見てるから」
…絵筆を、とる。
黒い絵は、まだ黒いままだ。
あれ?…こんなに、この絵、大きかったっけ———。
…違う…!
「———おい。ティティ…この絵…まさか」
「染み、出してる…!?」
少しずつ、少しずつ。
この絵から滲むようにして、地下室の壁が黒ずんでいく。
少しずつ、それは加速する。
「…させない」
影に手を入れ、虹色の絵の具を出し、絵の周囲を覆う。
せめて、これ以上は広げるものか…!
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———オードランの古本屋。
ティティの家へと向かった双子は、この古本屋のことをティティの両親から聞かされ、始めてその存在を知った。
「こんなに本があるの!?もっと宣伝してよ!」
「はっは!まあ、俺ぁ売るつもりで店を開いてねえからな!クレムに頼まれただけだ!」
「店主さん、見せてくれてありがとうございます」
「おう。幾らでも見ていくといい!…何があったか知らねぇが、まあ落ち着く事だ。全ては観察と俯瞰からだ」
「「えっ?」」
「おいおい、驚くなよ。
リュンヌ通りに位置し、3階建ての住宅ひとつを丸々使った古本屋。
2〜3階部分は全て倉庫であり、王城ほどでは無いとしても、その蔵書はイルメリアのアトリエを凌ぐ量だ。
「ようし…も、もう一度…っ!」
「スーちゃん、無理しないでね…?本読むの、苦手でしょ」
「ダメだよ!お母さんのためなら、そんなの…何でもないんだから!」
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…時間は分からない。
時計も、ずっと前から見ていない。見るのは無意味だ。
徹夜には慣れている。
壁の黒ずみは、絵を《虹の絵の具》で囲んだことで抑え込めているように見える。
しかし、描かれた空の色も、まるで灰色のまま変わらない。
…想いが、分からない。
雲の色は、きっと白だったはずだというのに、やはり全てが黒くなる。
「……諦めない」
それだけだ。
分かっていた。絵の道は、無間。
ただ歩みを止めないこと…。
…ただそれだけだ。
ああ…そういえば。
あの子のことも…気にかかっていた。
(”叶えるもの”)
(……)
あれ?返事がない。
(…見てないの?”叶えるもの”…)
(………)
流石に、もう泣き止んだとは思うけど…。
でも、今は復旧に集中しないと。
「…だめだ。ティティ」
「えっ…?」
「この、壁の裏…」
…地下室は、この絵が掛かっている壁を仕切りとして「コ」の字型をしている。
つまり、この壁には”裏側”がある。向こう側は、ロジェさんとオネットさんの寝室になっているのだけれど。
もしや、とは思ったけど…やっぱりか。
「…壁の裏が、黒くなってる…」
「こっちも抑え無いと意味がない…大丈夫か?ティティ」
「いけるよ。…やってみせる」
侵食、するならしてみればいい。
私がそうはさせないんだから。
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双子は、都中を、本当に隅から隅まで駆け巡った。
アルトのアトリエも…フィリスのテントも…教会も、鍛冶屋も、商店の本すらも買い漁って読んだ。
あらゆる人々に、その本の情報を尋ねて回り、《不思議な絵》の書物と見れば全てを確認した。
その努力は…。
「ない…無いよ。この本も…」
「スーちゃん、休もう?もう、ずっと寝てないもん…」
その努力は、実を結ばない。
この街の本に、《黒の絵の具》を調べた本など無いのではないか。
そうとしか思えない、残酷な現実。
「そうだね…ちょっとだけ、ちょっとだけ休もう…」
アトリエに帰り着いたリディーとスーは、ほんの少しの仮眠のため、ソファの上で目を閉じた。
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「…ちゃん…スーちゃん、起きて、スーちゃん…!」
「…ふぁぁ…おはようリディー……今は………待って!?今何時!?」
仮眠のはずが、深寝入りしてしまったリディーとスー。
夕方に寝たはずが、気がつけば日が昇り明るくなっている。
「やっちゃった…!ティティが頑張ってるのに…!」
「おはよう。スーちゃん。よく眠れた?」
「何言ってるのリディー!そんな場合…じゃ…?」
「ふふ。どうやら、まだ寝惚けているようですね。スー」
「あははっ!しょうがないよ、プラフタ。この広ーい街を、こんな小さな身体で調べ回ってたんだから」
「ソフィーさん…プラフタさん…!?どうして…」
「私たちだけじゃないよ?ほら…見て」
目を覚ましたスーが、アトリエを見渡せば…そこには。
アルト、マティアス、ルーシャ。
ミレイユ、フィリス…そしてイルメリア。
絵の調査に関わった、ほぼ全ての友人が、このアトリエに集っていた。
「みんな…!」
「スーちゃん…!これ!この本!」
「これ…『レンプライアの生態についての研究』…!?これ、この本って!」
「まあまあ。まずは読んじゃいなさい?」
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「つまり…この
「そうだよ!お母さんが助かるんだよ!スーちゃん…!」
不思議な絵を後世に残すために、レンプライアの核を駆除せよ———。
その本に記されていたのは、幾多の犠牲の上に遺された願いだった。
「ありがとうございます!皆さん!この本を見つけてくれて…!」
「それは違うよ。わたしたちは、ただ持ってきただけなんだ」
「え?」
「その本を探して来てくれたのは、この街のみんなよ。…みんな、貴方たち双子が必死になっているのを見て、力を貸してくれたの」
「大変だったのよ?街じゅうの住人が、あの双子を助けられることは無いのかーって押しかけてきて」
「みんな、とっても頑張ってくれたんだよ?いつも助けて貰ってる、双子の力になりたいって」
「全部、貴方たちの努力が報われたのよ。良かったわね、リディー、スー。…本当に、よく頑張ったわ」
努力は、直接実を結ばない。
けれど、確かな糧となって…双子の危機を救った。
意味のない努力など、決して…決して無かったのだ。
「みんな…みんな……っ!」
「ううっ…!ありがとうございます…!ありがとう…!ああっ…!」
「ほら。泣いてばかりいないで。やること、まだあるんでしょ?お礼を言うのも、泣くのも、後でいくらだってできるんだから」
「「…はいっ!」」
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視界がチラつく。…寝不足の症状だ。
もう、何日だろう。
分からない。けど、諦めたりはしない…。
エドは、今だけは居ない。
オネットさんの様子を見に、少しの間だけ外へ行って貰っている。
「…絵の具を…」
地下室の壁は、今や一面が私の絵の具で虹色に煌めいている。
…つまり、それだけ侵食が広く進んでいるということだ。
壁の表面を抑えても、その内側で侵食は進む。
もう、どれだけ広がっているのか。
黒い絵は…まだ、黒いまま。
この絵と長い間向き合って、はっきりと分かった。
この絵は『黒の色彩』とも違う。
『黒の色彩』は、『新たなる四季』の成れの果て。そこには、ネージュという作者が居た。
けど、この絵は…やっぱり、作者なんていない。
何がこの絵を生み出したのかは分からない。
この風景が、何を意味しているのかも。
けれど、確かなことは…。
「この絵に…”元の姿”なんて、無い…」
この絵は、初めからこの姿…。
この絵の想いに従えばこそ、この絵は黒くならざるを得ない。
この絵は、黒く侵食されていてこそ、この絵なんだ…。
「…だからって…!」
筆を置く、訳には———あれ。
絵が、横に回って———倒れて———。
「———おいっ!」
「あ…れ?」
私…あ、倒れて…。
「エド…オネットさん、は…」
「…何とか持ち堪えてる。でも、《虹の絵の具》を飲むペースが早い」
…そっか。
「…休もう、ティティ。もう限界だ」
「…そんなの…大丈夫…」
「でもよ…!」
「まだ…双子が…来てない…」
倒れて、なんて。
きっと来るんだ。
この絵を、ここで留めてさえいれば。
双子さえ…来れば。
「あ…っ」
足がふらつく。力が入らない。
どうして…?こんな所で倒れてなんていられないの。
だから…だから……。
ああ…リディー、スー…。
———バタン!
———ドタドタドタッ…。
「ティティっ!」
「ティティさんっ!」
「あ…」
来た…。
「リディー…?スー…?」
「ティティ!?すごい顔色…」
「ありがとう、もう大丈夫、大丈夫ですから…!」
疲労と睡眠不足で霞む視界の中、双子の顔がこちらを覗き込んでいるのが見えた。
…ああ。やっと…見つかったんだね。
「だい、じょぶ…なのね…?」
「うん!もう大丈夫!あたしたちが倒してくるから!」
「ティティさん…こんなに…お願い、もう休んで…」
「そっか…えへへ…そっかぁ…」
良かった。
間に合ったんだ。
間に合うように、できたんだ。
「リディー…スー…。友だちから…」
一言、だけ。
「な、なに?」
「なんですか…?」
「がんばって…!」
うん、という声が聞こえた気がしたけど…もう、耳も遠い。
エドに支えられながら、何とか首を動かして、双子の姿を見る。
その姿が光に包まれて、仲間たちと一緒に黒い絵の世界に吸い込まれていく。
そっか。そこに答えがあるんだね。
一緒には行けそうに無いのが残念だけど…せめて、見送れたから。
絶対、お母さんを助けるんだよ。2人とも。
ああ…限界、かな。
「ごめん、エド…もう無理かも」
「ったく…無理しやがって。オネットさんの所にベッドもう一つあるから、そこ借りるぞ。いいな」
「うん…」
(…ティ、ティ…)
あ…”叶えるもの”だ。
(どうしたの?呼んでも答えないから…)
(お願い…わた、わたし…ワタシ…っ!)
…何か、おかしい。
声が震えて…上擦って。
何か、そう…笑うのを、泣くのを堪えているような。
(だめっ…もう、ダメ…なの…!)
(ね、ねえ?どうしたの、一体何が…)
(あ、あはっ…私…!わたしワタシ私私ワタシ…っ!ははっ!)
思念を通して、感情が伝わってくる。
恐怖…焦り…脅迫感…抑圧…衝動…。
狂気……っ!
こ…怖い。
怖いよ、エド!
「お、おい。どうした。ティティ。ティティ!」
「怖い…怖いの…!」
「何だ!?何が怖いんだ!?」
(あっははははッ!はは、ひ、ひゃはっ…あ、ああ、ティティ!ティティッ…!)
(どうしちゃったの!ねえ!)
(お願い、お願いよティティ!あは、ワタシ、私を…私をぉっ…!?)
(……たす、けて……っ!)
“助けて”…?
(あ、ああ、あ、ぐ、あああっ…)
———あ…。
ぷつ、と。
“叶えるもの”と繋がっていた何かが、途切れる音がした。
「…ごめん、エド。寝るの…中止」
「はっ!?」
「行かなくちゃ…!」
『新たなる四季』の復旧から、そのまま私はここに来た。
オネットさんの所に、『新たなる四季』は置いてある。
「お願い…私を、連れてって。『新たなる四季』の所」
「いや…待てよ。お前、そんな身体で…」
「行かなきゃダメなの!」
エドが驚いて、困惑している。
ごめんね。ごめん。本当に。
私を心配してくれて、とっても嬉しいの。
…でも、行かないといけない。
あの子が、助けを求めてる。
助けるって、私は言った!
「はぁ…はぁ…っ、お願い、エド…!」
「……っくそ!分かったよ!」
エドに横抱きにされて、階段を登っていく。
逞しい身体に、弱々しくしがみつく。私を落とさないように、がしっと抱きしめている。
今だけは、この抱きしめ甲斐のない持ちやすい身体に感謝だ。
「俺も行くからな、その世界!」
「…ダメ」
「何でだよ!」
「エド…私が、あの絵に入ったら…あの絵を、ネージュに届けて」
「ネージュに…?」
「”叶えるもの”は、ネージュが生み出したもの…だから…」
ああ。私のばか。
エドが訊いてこないからって、私、まだ”叶えるもの”のこと言ってないじゃない———。
「…分かった!必要なことなんだろ!」
「…っ!…ありがとう…」
ありがとう———エドワール。私の、大好きな人。
アトリエの扉が開かれ、必死のエドの形相に2人が驚いている。
でも、説明している余裕は無い。
私を予備のベッドに寝かせたエドが、布の袋から『新たなる四季』を取り出して持ってくる。
「ほら…これ持って早く!」
腰に下げた水筒とポーチを外し、私に押し付けるようにして渡してきた。
エドのポーチには、急なエネルギー補給のために、いつも飴玉と梅干しが入っている。
ありがたい。少しでも体力と、精神力を回復しないといけない。
「うん…行くね」
「なるべく早く俺も行く。気をつけろよ」
待ってて、”叶えるもの”。今助けるから。
まだ、貴方に名前もあげてない。
見せたい景色も、食べさせたい料理も、沢山あるんだ。
何があったか知らないけど…こんな所で、お別れなんてさせてやらないから…!