ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜 作:メルヴェイユ市民
———『新たなる四季』、”花を敷いた
「う…あ…っ、着いた…」
絵の世界に入ると、若干、地面から浮いてその世界に現れることになる。
足に力が入らない私は、全く受け身も取れず、その衝撃で花の上に崩れ落ちた。
地面に手をついて、上体を起こす。
「…あ…綺麗…」
吹く風は花の香りを含んで甘く。
その花々は、訪れるものを祝って咲き誇る。
以前に訪れた時の、死んだ世界とは違う…本当の世界。
本当の『新たなる四季』が、目の前にあった。
「…っく…行かないと…」
エドの水筒からすっきりした
この数日、ずっと復旧作業でろくに物も食べていなかった。
…急な糖分摂取に一瞬目眩がし、すぐに頭を振って振り払う。
元々、冒険をする予定も無かったから…《アルケウス・アニマ》も持っていない。
《
…頼りにしてるからね。キミを作った、その時からずっと。
ガタガタと震える足に、無理やり力を振り絞る。
立ち上がることはできない。
手をついて、這いずるように、少しずつ前へ向かう。
目指すのは、丘。『伸びゆく青の草原』だ。
理由は無い。ただ、この状態では、浅くとも湖を踏破することはできないと判断しただけだ。
「はぁ…はぁ…!」
遅々として、進まない。
早く…早く…!
「ra…ra…」
「声…?あっ…」
鈴のような、微かな声。
そこには…少し、見覚えのある造形の魔物たちが居た。
カマキリとヘビを混ぜた
その身体は、以前のような黒ではなく、虹色に煌めいている。
はは…弱ってる所に、今度こそトドメを刺しにきたってこと?
「どら、ごねあ…!」
地面に伏したまま、腰から火龍像を取り出し、引きずって眼前まで持ってきて、構える。
来い。…立てなくたって、負けるもんか。
———感謝する。
「…え?」
———いろを、くれて。
———ありがとう。
…この子たち、本当に…。
———あのこを、とめて。
———ずっと、くるしいまま。
———僕らのせいだ。
「あの子…”叶えるもの”、か」
“ずっと苦しんでる”。
そっか…やっぱり、そうだったんだ。
———頼む。
青い角の魔物———たぶん、ブルが、礼をするように頭を下げると…。
「え、うわっ」
なんと、3匹の虹色の魔物が一斉にその形を崩し…漏斗状に螺旋を巻いて、《
「なに、どういう…」
———グルゥ……。
———ああ。
「…ふふっ…そっか。そういうこと」
ありがとう。ブルに、プニみたいな子たち。
…助けるよ。絶対に!
アニマは無い。
でも、貴方たちが
竜に
「『
———
「《
———グルォオオオオッッ!!
輝くウロコ。灼熱の息。
目覚めの咆哮が四季に轟く。
輝ける青き竜、どうか私を導いて———。
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「はっ、はっ、はっ…」
昼下がりのリュンヌ通りを駆け抜ける。
大きな絵を剥き出しで担ぐ俺の姿に、道ゆく人々の視線が刺さるが…知ったことか!
ティティ…ティティが危ないんだ。
これ以上の無茶をする前に、早くこの絵を届けないと。
「…くそっ…俺もキてるな、こりゃ…」
ティティも限界寸前だったが、俺だってティティに付き合って寝てねえ。
レンプライアがいつ絵から出てくるか分からなかったからな。
「う、おっ…っ!?」
足が———もつれて———っ!
…いつもそうだ。
いつも、ここぞって時に、ダメになる。
でも、今は———今だけは———!
「おっと…」
せめて、絵だけは守ろうと背中から倒れこむ俺を、誰かが受け止めた。
「あ、す、すみませ…っ!?」
「よう、エド。しばらく見ねえと思ったが…大変みてえだな」
お、オヤジ…っ!?
「どうしてここに…」
「店のそばじゃねえか、ここ」
…本当だ。
すぐ横の路地裏に、俺らの家と…ティティの家が見える。
「もう転ぶんじゃねえぞ…ほら、これ持ってけ」
「え…こ、これ…」
「クレムのやつの差し入れだ。ちょうど持ってくとこで良かったぜ」
これ…水筒に、ティティのリュックと、《そよ風のアロマ》か?
「どうせ徹夜だろ?それ使えば目が覚めるってよ」
「た、助かる!ありがとうオヤジ!」
「礼なら後でアイツに言え。…もう転ぶなよ」
「…ああ。分かった!」
王城まで…あと少しだ。
待ってろ、ティティ!
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いつか、ドラゴンに乗って空を飛べたら。
そう夢見たこともあった。
ああ、こんな状況じゃなかったら。
「どこ…!”叶えるもの”は…!」
空を飛ぶドラゴネアの頭から、両角に掴まって地上を眺める。
花畑には何も無い。草原にも。
湖は…霧の向こうに、大きな丸い物体が見える。
あれが、祭壇と門だろうか。
「…くっ…」
目が霞む…。
風と緊張のお陰で眠気は飛んだけど、身体はほとんど力が入らない。
掴まっている両手も、殆ど形だけのもの。
お陰で、高くは飛べないし、速くも飛べない。
「…ねえ、ドラゴネア。何か分からない?」
私の質問を受け、ドラゴネアはある方向に頭を向けた。
「…森…?」
———グルゥ。
…霞む目を凝らす。
遠く…遠く。
森の奥深く…確かに、何かが見える。
「…聖櫃?」
森の奥深くにあるものは、それしか思い浮かばない。
…儀式に於いて、重要な役割を持つ
「行ってみて、ドラゴネア」
———グルァウ。
森の上を、奥へ奥へと飛ぶ内に…その異常ははっきりと分かった。
森の中に散らばる、聖櫃の残骸。
色がついて見ると分かる。白く滑らかな石の
ネージュが言っていたことを思い出せば、あれはかつて魔法の力を持っていたのだろう。ファルギオルが封印されていたことも合わせると、効果は恐らく、断絶。
《不思議な絵》からの脱出を封じる力があったものだと考えられる。
そして…今は、その上空に、何か、人間の形をしたナニカが浮かんでいる。
「なにあれ…真っ黒…うっ!?」
レンプライア、なのだろうか。
けれど、それにしては、余りにも…精巧だ。
こちらに背を向けており、全身が《黒の絵の具》のように真っ黒。
直感的に…
幼い女の子の体つきに、くるりと丸まったショートの髪型。
肩出しで長袖のミニワンピースに、2枚の花びらのような装飾が特徴のブーツ。フリルをあしらった可憐な服装。
…あの体格と、服装。そして髪型。
まるで、ネージュのような恰好…だけど、そんな。
そんな馬鹿な。
「”叶えるもの”…なの?」
私の声に反応して、黒い少女がゆっくりと振り向く。
その手のひらが、振り向く身体に合わせて、緩やかに持ち上げられ———。
「…アハッ」
「———なっ!?」
唐突に、手のひらから放たれた黒い光線。
狙いは僅かに逸れ、私の…ドラゴネアの角のすぐ横を掠めて空へと過ぎていった。
少女は、突然私を攻撃した。
けど、何よりも驚くべきは…その眼。
「燃えるような…紅と黄の…」
———くれるって言うから。
———貴方の好きな色を選んでみたわ。
やっぱり…やっぱりそうなんだ。
あの色は、”叶えるもの”に塗ってあげた色。
あの黒い少女が…”叶えるもの”…!
「…ねえ!私だよ…!気づいて!」
「アハッ…キャハハハッ…!」
「く…避けて、ドラゴネア…!」
———グルゥッ!
あの光線が
…あの地下室で使った《虹の絵の具》は、壁に塗っていただけ。量は大したものじゃないし、時間を開けて使っていた。
体力は限界に近いけど、霊魂にはまだ余裕があるはず。
右手のひらを上に向け、左手のひらをかざして影を作る。
…揺らめいた。行ける!
「虹よ!」
手のひらの影から大量の絵の具を噴き出させ、2つの巨大な球と、一本の帯を作る。
虹の帯で身体を角に括り付けさせ、球には両手を突っ込む。
そして、紐を伸ばして繋がりを保ちながら、球を離れた空中へと浮かせ、平たく延ばして円盤にする。———盾だ。
ドラゴネアの頭部でダラリと下げた腕の先から虹の紐が伸びる様は、まるで竜にツインのロングテールがついたみたいで少しシュールかもしれない。
何にせよ、これで攻撃を防ぐ!
「ウフ、アハ、アハハハハッ…!」
「よし…防げるみたいね」
嬌笑…狂気を含んで黒い少女は笑い、両手のひらから光線を乱射し続けている。
まるで、普段の落ち着いた雰囲気は感じられない。
一体何があったら、こんなことに…!
…とにかく、ここで戦っていても埒が明かない。
エドがネージュを連れて来てくれるはずだ。花畑の方まで、何とか誘導しよう。
「ドラゴネア、花畑に向かって。速く飛んでいいよ、攻撃は私が防ぐから!」
———グルゥ…ガァウ!
指示に従い、旋回を始めるドラゴネア。
後ろからの攻撃に備えるため、頭上で身を捩り、うつ伏せから仰向けに体勢を変える。
黒い光線は尚も降り注ぐ。
“叶えるもの”の変貌。その理由を知るとしたら、それは…ネージュだ。
早く来て、エド、ネージュ…!
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———『凍てし時の宮殿』。
エントランスの階段を駆け上がる。
中二階の踊り場には左右に階段があり、そのどちらもが大きな扉へと繋がっている。———左だ。
回廊を駆け抜け、氷を靴で叩き鳴らし、絵を担いで走る、走る、走る。
「待って待って!エド!待ちなさい!」
「ネージュ…!居たのか!」
アトリエに着くよりも前に、回廊に突如現れたネージュに声をかけられた。
ありがたい。少しでも早く着きたい。
「どうしたの?双子は助かったの?」
「そっちもまだだが…別口だ。ティティが危ない!」
「ええ!?」
説明している時間も惜しい…!
「とにかく、この絵に入ってくれ!」
「この絵って…」
「この中にティティがいる。疲れ切ってるのに、何か、どうしても行かなきゃならないことがあるって言っていた!」
「…まさか、あの子」
「分かるのか…?」
問いかけに頷き、ネージュは請いに応じた。
「分かった。アトリエまで来て!」
「ここで入るわけには…」
「絵をこんな廊下に置いていくことも出来ないでしょ!先に行って準備してるから、早く!」
そう言って、ネージュは消えた。
ネージュのアトリエはすぐそこだった。中に入ると、錬金術士としての装備を身に付けたネージュが、イーゼルを用意して待っている。
「絵はここに置いて。…その絵に入ったことがあって良かった」
「よし…これで良いか」
「ええ。準備もできてる」
「なら行くぞ!」
身体が光に包まれ、『新たなる四季』に吸い込まれていく。
ネージュは違うようで、いつも現れたり消えたりする時と同じように、パッと消えて居なくなった。
今行くぞ、ティティ。
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森を越え、草原を越え、花畑へ。
私を乗せたドラゴネアが
「ティティーッ!来たぞ!」
声が聞こえる。上体と首を捻って———仰向けなので———下を見ると、エドとネージュの姿があった。
「えど…っ!?」
声が、掠れて…っ!
身体が動かせないから、私は降りられない。
せっかく来てくれたのに、これじゃ合流できない!
とにかく、虹の盾はまだ健在だ。
攻撃を受けないようにして、何とか彼らに乗って貰わないと。
「えど…っ!」
…ダメだ!
ここに来て、どうしても声が掠れる。大きな声が出ない。
「えど…!え、えど…っ!」
ああ、もう!
水筒の中身はあるけど、両手は塞がってるから取り出せない。
…いや、エドなら分かってくれる!
「ドラゴネア…!低く、飛んで…!」
指示を受け、ドラゴネアが低空飛行でエドとネージュの元へと向かう。
…その時、耳元から声がした。
「…ちょっと。声カスカスじゃない。大丈夫?」
「ぇ…どええっ!?」
変な声出た。
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こちらに向かって、頭を下げたドラゴネアが低空飛行で突進してくる。
リュックを背負って飛び乗れなんて、無茶言ってくれるが…やってやる!
「…よし来た!ネージュ、いけるか———」
………。
「———いない!?…ええい、俺だけでも…!」
おぅ、らっ…!
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エドの身のこなしは神がかり的だった。
前方宙返りで一回転。私の乗る頭を飛び越えて、ドラゴネアの背中に腹這いで降り立った彼は、すぐさま方向を変えてこちらへとやってきた。
…ドラゴネアの頭付近に、これで3人。さすがに重いかもしれない。
———グルゥ…。
…ごめん!ちょっとだけ我慢して!
「来たぞ!《そよ風のアロマ》*1があるんだが…くそ、風が強いな」
風…それなら盾の一枚を風除けにすれば。
虹の盾の片方を竜の頭上まで移動させ、私の眼前で半ドームのように変形させる。
「うん。今なら大丈夫そうね…貸しなさい、エド」
「うおっ」
エドの手からアロマをひったくったネージュが、慣れた手つきで火をつけ、アロマを焚く。
気分が爽快になる香り。
あ…腕や足に、力が入る。
最低限、立って行動することはできそうな気がする。
「あ、あー…エド、リュックから《ハニーシロップ》*2出して。下の方にあるから」
「ええっと…お、これか」
小瓶に入った緑色の蜜…それだ。
受け取り、フタを開けてノドに流し込む。
「あー、あー」
「うんうん。可愛い声になったじゃない」
あ、嬉しい…じゃない。
「ネージュ、後ろのアレ、見えるよね」
「…ええ。”叶えるもの”…あんな姿になってしまったのね」
やっぱりネージュには、あの状態の理由が分かるんだ。
「そうね、わざわざ私の所までエドを行かせたのは英断よ。…よく聞いてね」
そうしてネージュは、自身に似た黒い少女を眺めて語り始めた。
彼女を元に戻す方法はあるのか。
不安と期待を抱きながら、私はネージュの言葉を聞いた。