ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜 作:メルヴェイユ市民
“叶えるもの”———その変貌の顛末を語るために、時は遡る。
『新たなる四季』が復旧した、瞬間。
それこそが引き金だった。
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絵の復旧…。
その絵の中の住人にとって見れば、まさに奇跡のような光景ね。
花は色づき…草は生き生きとして。
森は息づき、湖は空を映して青を帯びる。
この数時間前まで、この絵の光景が死んだような灰色に染まっていたなんて、まるで考えられない。
「…ふふ。やったのね、ティティ」
初め、私が彼女に声を届け…その望みを引き出した時。
私は、彼女がここまでしてくれるなんて思わなかった。
ただ、私のした事が、彼女に少しでも力を与えたらと。
それだけのこと。それ以上のことなんて、信じていなかった。
描かれて、生み出された最初の瞬間、覚えていたこと…。
《不思議な絵》、《黒の絵の具》、《アルケウス・アニマ》…でも、それらの知識の他にも、何か、大切なことがあったはずだった。
けれど、それはレンプライアにこの絵を、そしてこの身までもを侵食されるうち…思い出せなくなっていった。
私は、誰かの願いを叶えるためにここにいる———覚えていたのは、それだけ。
だから、私がした事がもし、ティティの願いを叶えることになったのなら。
ティティを幸せにできたのなら、それほど幸せな事は他になかった。
だから、きっと…侵食されきった、形の無い私は、ここで消えてしまっても構わないんだと…少し前まで、そう思ってたはずなのに。
「バカよね、私。助けてくれるか、だなんて…」
そのつもりなんて、無かった。
私が居なくても、力は残るから。
ティティが必要としなくなって、それを手放してしまうまでは。
「…欲が、湧いたの…かしら」
だとしたら…これは。
この、身体の軋みは…きっと、その罰なのだろう。
「あ、うっ…はあ…ふふっ…ええ、そうね。そうなのよね」
『新たなる四季』が完全に復旧された今、レンプライアの存在は絵の表現から完全に抹消された。
…元々、その姿を描かれていない、私を除いて。
レンプライアに侵食された存在は、その身を《黒の絵の具》に浸す。
私という存在の根幹は、絵に根差すもの。絵が侵食を受ければ、私もレンプライアにその身を堕とす。
けれど、現実世界の絵画のどこを探しても、私の姿もその根幹も、描かれてなどいない。
虹でも黒でも無い、無色の存在。
いくらティティが『新たなる四季』を丁寧に復旧したとしても、描かれていない存在に色は塗れない。
絵に根差した私の根幹が侵食を除去されたとしても…。
「…ああ…自分に、手と足があることを……こんなに苦しく思うなんて」
絵が復旧されたその瞬間、私は全てを思い出してしまった。
私が何のために生み出されたのか。何をすべきなのか。
友となる———そのために、用意された儀式を、進めなければ。
その本能に、私はもう抗えない。
既に儀式は始まっている。
私は形を得て、既に花畑に降り立った。
無形の存在でなくなった私は、その瞬間から、もう
絵に存在を保証されず、レンプライアとして絵を染めることもない。絵の世界に生み出された、単一の個。
そして、私は…不完全な儀式のために、本能と《黒の絵の具》が齎す歪んだ衝動に抗えぬまま、この四季の地を歩みはじめた。
その途中で、儀式が破綻することを、私は知っている———。
…声が聞きたい。
私を見つけてくれた、あの子の声が。
(綺麗な、ものね)
(良かったあ…)
ふふ。暢気なものよね。
(何よ…いる、わよ。私は、いつだって…ここに)
草原に向けて歩きだそうとする身体を、抱きしめ、抑えつけ、抵抗する。
そうよ。私はここにいる。ここに居たいの。
(ね、ねえ。大丈夫?何かまずかった…?)
(違うわ。…泣いてる、のよ。あんまり、綺麗だから)
とても、綺麗。
泣いているのは本当。
黒く染まった世界でしか許されない、今の私が悲しくて。
その私に少しでも救われてくれたティティの声が嬉しくて。
涙が、止まらないの。
(泣き顔…みられ、たくない、から。しばらく、絵には…来ないで?)
(ええー?…見たかったのに。中の世界)
(だめ、よ。…見ちゃ、ダメ…)
こんな姿、見られたくない。
前に見せた、造り物の姿は、綺麗だったのに。
こんな真っ黒で、醜い姿———。
嫌われたくない。
怖がられたくない。
こんな姿でしか、形を得られない私を…その群青の瞳に映したくないの。
今、私…きっとティティの眼を見れないわ。
ああ、だから、少しでも長く、貴方の見るものを見ていたいの。
ティティ、今、何してる———?
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ティティとの
…ネージュの独白。
罪を語る、私の生みの親。
私が友となるべきだった孤独な人。
全部もう、分かってる。
それでも私、貴方のこと憎んでなんていない。
憎んだ事が無いわけじゃない。
突然、門と祭壇が塗り潰されて、貴方が雷神を私の棺に入れてしまった時は、私は捨てられたと思った。
存在意義を与えられて、奪われた。その事を憎まなかったなんてこと、無いわ。
でもね、ネージュ。
ティティに出会えたのよ。
「だ、め……」
この幸せ、きっと私にしか分からない。
何も無く、ただの儀式のパーツだった私に、”欲”を与えた。
私がどんなになってしまっても、私に望みを与えてくれる人だって、分かった。
その人が友である事が、どんなに幸せか。
その時代まで、私が私として”居なかった”ということ。
それが私の奇跡なのよ。
「とまっ、て…とまら、ないと…」
貴方に償ってもらうことがあるとしたら、そうね。
この絵に図書館や画廊の一つもくれなかったことよ。
300年、暇だったわ。
もう、それだけで十分なのに。
「……あ、あし…とま、らな……」
でも…ああ。でも。
少しだけ、恨むことはある。
とても身勝手なことよ。
貴方のせいなんかじゃないこと。
身勝手で、我が儘で、あまりにも醜くて傲慢な、願い。
ああ。ティティ。
もう少し早く、貴方に出会えていたのなら———。
———もう、止まれない。
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ゆっくりと、花畑を過ぎ、草原の丘を越え、森が近づいてくる。
今は、ダメよ。
聖櫃に辿り着いたら、私は…もう。
その時私は…どんな風になってしまうだろう。
どんな風に、叫んでしまう?
私の、
きっと、恐ろしい声になる。
この、狂おしいほどの嫉妬と、憧憬が…衝動が。
全て、《黒の絵の具》のように…
その断末魔を、今、ティティに聞かせる訳にはいかない。
今、ティティは戦っている。
頑なな黒い絵画を前に、ひたすら戦っている。
ティティ自身の力で、堂々と戦っているの。
それを邪魔することは、私が許さない…。
森の土を踏みしめる。
秋の森は実り豊かで、木々も多い。
聖櫃までは遠い。森ならば、なおさら。
だから…少しでも抗わないと。
少しでも、この歩みを止めて…せめて、彼女がその戦いを終えるまでは、耐えるのよ。
頭で、心で、黒い衝動が叫ぶ。
使命を果たせ。使命を果たせ。
課せられた使命を果たし、本懐を遂げろ。
それはできない。不可能だ。
それを知っている。
砕かれた聖櫃と…その姿を見てしまえば、私は———。
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「———そして、儀式は終わらなかった」
竜の上で、彼女の仮説は語られる。
「聖櫃へと辿り着いた”叶えるもの”は…レンプライアに増幅された本能の衝動と、破壊され破綻した儀式という現実の間で板挟みになって崩壊、発狂し、あの
これが、ネージュの出した結論だった。
「レンプライアそのものだって言うのなら、《虹の絵の具》をぶつければ…!」
「ええ。可能性はある…。せめて、意識を取り戻すくらいは…」
「あは、アハ、アはハハハはははッ!シヌ、シヌノネ?!ネムリ、ウマレ、アハ、あはハッ!」
「…なら、早速やろうぜ。どう見ても、あの黒い女の子は良くない状態だ」
「…うん」
…その通りだ。絵にとっても、彼女にとっても。
ただ、盾のために多くの《虹の絵の具》を放出している以上、追加で出せる絵の具は多くない。
追加するにしろ、盾を崩すにしろ、乱用はできない。確実に当てなければ。
「私は、絵の具の操作で手が離せない。ネージュ、エド。何とかしてあの子の動きを止めて」
「ええ…難しいけど、やってみる」
「空中戦か…どうしたものか」
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ティティの頼みとあれば、応えてやりたいのは山々なんだが。
俺には、遠くの敵を攻撃する手段が少ない。とりわけ、空中となると尚更だ。
俺たちを追って高速で飛翔する黒い少女。
今のところ、俺たちが乗っているドラゴンの速力にはまだ余裕があるようで、お互いに同じ間合いを保ったまま、絵の世界を一周するほど大きな円を描いて旋回している。
その距離、《
しかし、唯一にして最終の遠距離攻撃———槍の投擲については、即決することはできない。
ただ槍を手放すのが惜しいだけじゃない。それもあるが、お互いが高速で移動している上に、足元が安定しない。その上、ティティが防御のために動かす一枚の虹の盾が邪魔をして、射線が通りにくい。
ティティの防御が無かったら、今頃あの得体の知れない光線に晒され、ドラゴンは回避を余儀なくされていただろうから、これを止めて貰うことは難しい。
…前にも、こんな事があったな。
空を飛ぶ相手に攻撃を当てる必要があった。ちょうど、その時もドラゴンが戦場にいた。
その時は、確か…そうだ。
パールが真空を作って空気抵抗を無くして、フィリスさんの矢を直撃させたんだ。
真空か。今の俺と、この槍なら…。
でも、この足場でやれるか。
「ティティ!このドラゴンの背中、全力で踏み込んでも大丈夫か!」
「…どう?ドラゴネア」
———グル…グォァウ…。
「……………いけるよ!」
———グルォアッ…!?。
…本当か?
まあ、信じるか…。
「ネージュ。何か、相手を縛りつけられるような道具とか…」
「…あるけど、あの真っ黒な存在に効くかは怪しいわ。呪いとか、毒とかに強そうだし、直接爆弾をぶつけて怯ませるのが最善かしら」
「爆弾か…」
《黒の絵の具》の氷点が分からない以上、凍らせるというのも賭けだ。
かと言って、破壊力のある炎や風の爆弾を使えば、やり過ぎてしまうかもしれない。
ネージュは世界に名を馳せた偉大な錬金術士の一人だ。その爆弾の威力を舐めてかかってはいけない。
…雷ならどうだ。
絵の具の身体に心臓の発作など起こるはずもなく、油性なら電熱もさほど有効とは思えない。
一方、物理的な衝撃力は大したものだ。直撃すれば石畳すら破壊する。
「…雷の爆弾は?」
「…《ドナークリスタル》*2なら。でも、この速度の戦いでこの爆弾を当てるのは…」
いや…この速度だからこそできることがある。
「それ…直接ぶつけてみようぜ」
「はぁっ?」
空を高速で駆け抜ける戦場。
追うのはヤツ、追われるのは俺たち。
即ち、鍵は相対速度。
俺たちが後ろに物体を投げれば、銃に等しい勢いを得る。
「クリスタル…つまり結晶だろ?だったら衝撃で割れるはずだ。なあ、割れたらどうなる?」
「まさか…?」
「…道は俺が開く。的当ては得意か?ネージュ」
「…ええ。”得意にする”のが錬金術よ」
ネージュが懐から取り出したのは、コルク栓付きの試験管。
栓を指で弾き、中に入れられた
「さあ、いつでも良いわよ」
「よし…少し離れてろ。俺が槍を突き出したら、後ろから———」
「———一直線に投げるのね。分かったわ」
右手を前に。左手を後ろに。
竜の背中を地とし、半身となって鱗を踏む。
速さを重さに、力にする槍、《
重力とは、空間の傾斜。
神速で突けば亜空を開き、物質をすり抜け穴を穿つ。…巨大レンプライア相手に見せた、あの一撃だ。
一方、等速で突けば重力の渦が大気を掬う。
この時、敢えて槍を引き戻せば、掬った気体は撃ち出され———。
「———ハァッッ!」
———高密度の気体が、勢いのままに突き抜ける。
「えいっ!」
突き抜けた高圧気体は進路上の大気を押し除け、軌跡に真空を作る。
それは真空のトンネルだ。
ネージュが投げた
崩れゆくトンネルは”砲身”。
雪崩れ込む大気は”炸薬”。
さらに、渦を巻いて崩れる大気は”
槍撃による精密な”照準”の先へ、真っ直ぐに”弾丸”を導く。
コンマ数秒———不可視な無火薬の
「アハ、アハハ———ァアッ!?」
相対速度と合わせ、擬似的な超音速に達した《ドナークリスタル》は、
内包する雷の魔力が一気に解放され、花火のように
本来なら、落雷を何発も起こすエネルギーだ。一撃で解放されれば衝撃は凄まじく、その黒い身体は俺たちの後方へと一気に吹き飛ばされていく———ことは無く。
身体を構成する《黒の絵の具》、そこに含まれる重金属成分が電気によって磁気を帯びたのだろうか。
黒い少女は
「よ、よし…結果オーライだ!」
「やって、ティティ!」
「うん!ドラゴネア、止まって!」
今なら確実に《虹の絵の具》を当てられるだろう。
しくじるなよ、ティティ———。
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エドとネージュの連携によって、
僅かに身悶えしているけれど、その身体はほとんど固定されている。
———これで外したら、女が廃る…!
「虹よ!」
攻撃が止んだ今、虹の盾はもう必要ない。
その形を巨大な手へと変え、
「当たった!…どうだ…」
「反応が見えないわ…どうなの、ティティ」
「……」
「…ティティ?」
虹の手の制御を通して分かる、その内部の様子。
な、なんで。
あの巨大なレンプライアも、さっきの3体の虹色の魔物も。
みんな、色を欲しがっていた。
どうして、
「うっ…!?」
私が《虹の絵の具》を制御しようとするよりも強い力で、内側から虹の手が押し開かれる。
見れば、黒い膜のようなエネルギーが《虹の絵の具》に拮抗し、押し返している。
「そ…そんな…っ!?」
「ゥ…ゥウ゛ウ゛…!?ゥ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!」
絶叫とともに、膜は衝撃波となって膨張し、虹の手は弾け飛んだ。
「なんですって…!?」
「《虹の絵の具》が…弾かれた…?」
「キライ…きライ、キライ…!アハ、キャハハッ———ぁ、ア゛ア゛ア゛ッ!!!!」
嘘だ。だって、《虹の絵の具》はレンプライアに色を与えるんだ。
レンプライアはどの個体も、色を手に入れて絵の一部となり世界を実現することを望んでいた。
それが、どうして!
なんで、
“叶えるもの”のひとりごとは、実は以前の話にも仕込んであったりします。
数は少なく、手がかりもまるで無い透明文字ですが…果たして見つけた方は居るのかどうか。
もし居たらめちゃくちゃすごいです。脱帽です。