ある無名のアトリエ 〜名もなき絵画の錬金術士〜 作:メルヴェイユ市民
新天地と竜の影
「いざ、新天地!」
「どうしたのティティ?頭打った?」
失礼な!
「そろそろ新しい材料とか欲しいなーって。そんで、新しい場所に採取に行ってみようかなーって。そういうことです」
《クラフト》を作れるようになり、多少は自衛が出来るようになった。更なる成長のため、新しい素材を求めて旅をするべき時期だろうと思うのだ。
「ふーん、どこに行くつもりなの?」
「グルムアディス大沼林」
広大な森と沼地が広がる湿潤な環境。
多種多様な生物と植物、そしてなんと魔法生物すら生息するとか!
その分おそば森より危険な場所だけど、装備もしっかり整えた今なら行ける。はず!
お父さんにもたっぷり扱かれたし…うっ、頭が。やめて、やめてお父さん。プニの体液はもう勘弁…。
「大沼林…?このあたりで沼と林って…あ”っ」
「ん?」
「えっと、いや、その…地図見せて?」
…?
パールの様子に疑問を覚えつつ、巻物入れにしているラックから地図を取り出す。
海を右端に、メルヴェイユ以西を詳細に記したこの地図はなんと民間に出回っていない貴重品。お母さん曰く、精密な測量に基づいて作成されており、市販品とは別格の逸品らしい。高低差までびっしりと書き記されており、私が生まれる前の母さんは専らこれを自然風景画の構図探しに用いていたと語ってくれたことがある。
最近は私が使っているこの地図だけど、まさかこれをそのまま持ち出すわけにもいかないので、遠出の時には手書きの抽象的な写しを持っている。
当然、ここまで正確な地図は本来機密中の機密なんだろうけど、どうやって手に入れたのかは教えてくれない。犯罪で手に入れたわけではないと言っているけど、何も裏がないわけもないよ…お母さんといい、
「はい地図。ここがメルヴェイユで、上が北。位置関係は信用していいよ」
「その
「
白い美少女は私の指差した場所を見て、それから目を閉じてこめかみに指を突き立て、天井を仰いでウンウンと唸る。髪が肩から背中に流れて綺麗。…やっぱり一度描かせてもらおうっと。
「…ティティ、私が付いてくね」
「え?ありがたいけど…ここに何があるのよ?」
「竜」
「へっ」
「そこ、いま、竜、すんでる」
「リュウ」
…リュウ。りゅう。竜。ドラゴン。
————えぇぇえぇええーっ!?
「どっ…どどどどどういうこと!?なんでこんな近くに竜が来てるの!?」
「えっ!?さ、さあ?そこまでは分からないなー…でも竜は確かにいるよ。これは信じて」
竜が棲むと言われる場所は、確かにある。
けど、それはずっと遠く、『モラキス連峰』と呼ばれる年中雪まみれの秘境中の秘境。ぶっちゃけ、夜明けの大地とそう変わらない程度の危険な場所だ。
対して『グルムアディス大沼林』は旅慣れた人なら1日も歩き通せば辿り着ける場所。空を飛んで瞬く間に千里を往くという竜にとってはちょっとしたピクニック程度にすらならない距離だろう。
この国の危機、というほどではない。アダレットの精強な教会騎士団は一匹二匹程度の竜ならばどうということもなくあしらって見せる。だが、それはあくまでこの国と主要な都市、そして重要な農地帯のみの話だ。
街の外に出る人の多くは、多少は自衛ができる程度の一般人だ。護衛にしても、竜を相手に立ち回れるような傑物はそうはいない。最近、魔物が増えて警戒が増していることを加味しても、まさか竜に襲われるなど想像もしていない。
「というか、まだ国も把握してないような情報をどうやって知ったのよ」
「…ひみつっ!」
「むむむ…」
まあいい、それより竜だよ竜!
「今のティティとエド君だけじゃ、竜には勝てない。出会ったら逃げるのもムリ。というわけで、私がついて行ってあげる!」
「…パールなら、なんとかなるってことね?」
恐らくは、例の『秘密』によって。
「そりゃー、もちろん。伊達に一人旅してないからねっ♪」
「…うん、分かった。教えてくれたことも、ついて来てくれることも合わせて、ありがとう。パール。今度、ケーキ作ってあげる!」
「ケーキ!?ティティってケーキ作れたの!?」
やけに食いつく。パールって甘党?
「まあ、錬金術で、だけどね?」
「ああ、道理で…」
「道理で?」
「ぁああっ、ううん!なんでもないの!でも、ティティってケーキは作れたんだね?クラフトより簡単なの?」
秘密って割に結構ボロでるよねーパールって。
…なんかその内ボロだけで秘密の中身分かっちゃったりして。それはあんまりだし、考えないように努力しよう。
「ケーキはね。あとパフェとか、ちょっと凝ったチョコレートとかは作れる…」
…あぁ。なるほど?そういうことだったんだね?絵になりたいんだもんね?
でもパフェとか創作チョコレートでもいいなら、芸術要素があれば結構許してくれたのかも。
「それならシフォンケーキがいいな!友達がお姉さんに作ってもらったって聞いて、ずっと食べてみたかったの!」
「うっ、シフォンケーキかぁ…」
今の理屈だとシフォンケーキはムリじゃない?
シフォンケーキ、芸術…うむむむ!
「あ、あれ?シフォンケーキ嫌い?」
「ううん、そんなことないよ。大丈夫、この天才画家エレンの娘、ティトラ・メルローに任せたまえよ!うむ!」
「わーい♪」
何事にも芸術のヒントを見出してこその芸術家ってものよね!模様でも形でも弄ってやろうじゃない。だって錬金術だもの!
「それじゃ、すぐ出発する?それとも明日?」
「明日かな。片道で1日だし、朝に発って探索込みで3日かかるつもりよ」
「じゃあ、今日は準備だね。手伝うよ、ティティ」
「ありがと、それじゃ…」
竜なんて構ってる場合じゃない。さっさと素材採ってきて、パールを喜ばせるケーキを作らなきゃ!
一夜明け、出立当日の朝。
私、エド、パールの3人はそれぞれ準備を済ませてアトリエ前に集合した。
エドにも昨日のうちに話を通し、本人にだけは竜のことを伝えておいた。流石に驚きはしたものの狼狽えることもなく、こないだの失敗を挽回するチャンスだと息巻いている。
前々から思ってはいたんだけど、エドはどうしてこんなに私を守ろうとするんだろう。
私に気がある、ということはない。女性の魅力があるかというと、その辺ズボラなので全くもって自信はない。別に太ってたり痩せすぎてたりはしないが、特段体つきも良くはない。何より、以前それとなく恋愛の話を振ってみた時の答えは「そんなことより本を読んで体を鍛えたい」という、自分のことを棚に上げてこの男児の将来は大丈夫かと心配になってしまうものだった。
では将来、何か護衛をするような職につきたいのかというと、将来の夢は学者か研究者だというからこれも違う。エド、白衣を着るのにムキムキの肉体美は必要ないんだよ?別に今はまだそんなゴリゴリの体型じゃないけどさ。
「…おし。みんなも、持ち物のチェックも済ませたよな?それじゃ、ティトラ。お前がパーティの頭なんだから、出立の合図を頼むぜ」
「あ、うん」
おっと、考え事は終わりだね。よし、気合入れよう!
「2人とも!予定は2泊3日。目的は採取。隊列はエドが先頭、私が真ん中、パールが後ろ!第一目標は、予定通り無事に帰ること!グルムアディス大沼林目指して、出発するよ!せーの!」
「「「エイ、エイ、オーッ!」」」
地図上の道のりは川を越え、牧場が点在する平野部を抜け、さらにもう1本の川を越える。海の近く、それも平野は三角州のようになっているため土壌の粘り気が強く、背の高い草が生い茂る。道は整備されてはいるものの石畳などは当然無いため、想像よりも体力を消費する。
早めに着いて2つ目の橋の手前でテントを張りたかったが、平野部を2つ目の橋が見えるあたりまで進んだところで太陽が頂点を越え傾き始めた。
というわけで、牧場の一つを訪ね、そのそばで夜営を行うことになった。
「はぁー、疲れたぁ!エドもパールもお疲れ様!」
「もう疲れたのか?やっぱり、いつも釜をかき混ぜてばかりじゃ腕は鍛えられても足腰の筋肉がつかないんだろ」
「えぇー?そんなことないと思うけどなあ。錬金術士だって体力仕事だし、エドがたくましいだけじゃない?ねぇパール…」
「ダメ…もう、ダメ…ムリ…体動かない…」
パールが倒れてる!?
あの元気いっぱい、強者オーラいっぱいのパールが倒れてる!?
「ど、どうしたのパール!?しっかりして!」
「あああ、何か毒でも貰ったんじゃないのか!熱は…ない、脈もちょっと早いけど、異常ってほどじゃない…一体どうなってるんだ!?」
「うあ"あ"あ"あ"いだいいだいいだーい!?ティティ、揺すっちゃダメぇ!」
「い、痛い?どこか痛いのパール?足?腕?頭?」
「はぁ…はぁ…全身が…力入れると…ズキズキ…ぁい…っ!」
うん?力を入れると痛い?
「…ちょっと足の方失礼しますねー」
モミモミ。
「あ、そこ…そう、ふくらはぎ…あー、それ気持ちいい〜…」
「筋肉痛かよ!」
どうやら一番鍛え方が足りないのはパールだったらしい。
あんた旅人よね?なんならここの辺りだって通ってきたはずよね?旅慣れてない旅人って何事?
「うぅ…歩くのってこんなに疲れるんだね…みんなすごいなぁ」
「いや、あなたね…。はぁ、まあいいや」
「最初すっごいはしゃいでたのに途中から静かになったと思ったよ…倒れられても困るし、何か辛かったらちゃんと言ってくれ。な?」
「うん…ありがとね、みんな…そっか、今は一人じゃないんだよね」
謎に万能なパールにも弱点はあったらしい。見た目細いな、どこに筋肉ついてるのかな、とか思ってたけど、ほんとに見た目通りとは見抜けなんだ。
でもこんなに酷い筋肉痛で、明日は探索できるのかな。
「ティティ、朝だよー!うーん、空気が冷たくて気持ちいー!」
「ん、うう…おはよ」
「ふぁああっ…ふぅ。おはよう、目が覚めたら簡単にメシにするぞ」
早朝、まだ日の上がらないうちに目を覚ました。
牧場の番犬のお陰でこの辺りに魔物はあまりいないけど、それでも人の脅威はあるし、なにより竜のこともあってちゃんと交代で見張りをした。まず私が最初に、次はエドが、最後はパールが務めたけど、驚いたことにパールはもうピンピンしていた。運動したその日のうちに筋肉痛になって、一晩足らずで治るとは恐るべき回復力。さすがパール。
朝食は持ってきた塩漬け肉を飯盒で湯がいて、胡椒と野草を放り込んで作った塩味の適当スープ。適当なだけあって大味だけど、朝の空気で冷えた体に温かいスープが染みておいしかった。野草も爽やかな苦味と酸味がお肉と合わさってこれがまた…旅のご飯っていいものね!
この野草、ここまでの道中、エドと私の2人で採取したから今日と明日の分を考えても余ってるけど…これは帰ったら素材として錬金釜に放り込めばいいかな。この牧場地帯の土壌が肥沃なのか、ちょっと道を外れれば食べれるものもそうで無いのも沢山あって宝の山に見えてくる。
夜営を片付け、牧場主さんにお礼を言って、2日目の旅程へ出発。昨日から見えてた橋を渡り、ついに目的地、『グルムアディス大沼林』に足を踏み入れる。
———《グルムアディス大沼林・北グルム沼》
鬱蒼と木々が連なり、つた植物が岩に、枝に、骸に絡む。
土はぬめぬめと湿り、苔や露を帯びた草が足元を覆う。
葉と葉の合間から漏れ差す光に手を翳せば、奥からゆるく風が吹く。
濃密な水と泥の匂いに、わずかな果実の香りが混じって感じられ…振り向けば、毛むくじゃらのケモノが足音もなく茂みへ消える。
自然と研ぎ澄まされていく感覚に、旅人はこう直感するだろう。
今、自分は野生の中にいる————。
「うあ……っ?」
踏み入れれば、空気が変わった。
その瞬間、私は確かに森の境界線を跨いだと自覚した。
ここまで歩いてきた場所は、人と自然の共生区域。秩序だった道と、看板、人の生活圏が獣や虫の棲家とお互いを侵食するように混ざり合う、緩衝地帯に過ぎなかった。
この森では、木も、石すらも、生きている。自分の領分を主張し、この地は我がモノだと、根を張り、ズシリと腰を落とし、イキモノと同じように
おそば森に何度も通って、すっかり自然は見慣れたつもりでいた…とんだ思い上がりだ。
これが、人の手が入らない、ありのままの、無遠慮な自然の感触。
全力を尽くして生存する、野生の世界。
初めての感覚に、言葉を失って佇む。
その調子、その調子…♪
「これが、自然…」
「おい、大丈夫か?ティトラ」
「…えっ?あ、ああごめん、大丈夫」
「はは…まあティトラならこうなるかなって思ってたぜ。俺もちょっと驚いた」
昔からのクセだ。何か強いインスピレーションを与えるものを見たり聞いたりすると、ぼーっとしちゃうんだよね。今はそこまで酷くないけど、小さい頃なんて魚の入った水槽やお母さんの絵を何時間も見つめ続けてたりしたらしい。よく覚えてない。
「で、なんでパールはこっち見てニコニコしてるわけ」
「ふふー♪秘密♪」
むう。仕方ない。
「んじゃ、進むか。隊列は変わらず俺、ティトラ、パールでいいよな?」
「りょうかーい!」
「同じく」