シャーロットの研究室へ訪れた三日後の朝。私とキリサメは久々に私服へと着替え、アルケミスの街にある停車場の前でサウスアガペー行きの馬車を待っていた。
「なんか、一年ぶりぐらいに帰省する感覚だけどさ。実際はまだ半年しか経ってないんだよな……」
「何を言っている?」
「え?」
「まだ半年も経っていない」
私たちがサウスアガペーへ帰省する理由は、シーラが送ってきた手紙の内容に『久しぶりに二人の顔が見たい』と書かれていたからだ。派遣任務を既に終えたことで、今の期間なら空いている時間も多い。
「あっ、そういやお土産とか買ってなかった……! 馬車が来る前にどこかで買って行こうぜ!」
「手土産はここにある」
周囲を見渡しながら焦っているキリサメに、私は樹脂で作られたバスケットを見せつけた。
「いつの間に買ったんだよ……ていうか、何を手土産に選んだんだ?」
「シャルドネを
掛けていた白布を捲り、一本の白ワインをキリサメに視認させる。熟成した白ワインはやはり値が張った。前に働いていた花屋で貯めた金貨をそこで使い果たしている。
「誰に?」
「セバス・アーヴィン」
「あー……あいつはほんとに何でも知ってんな……」
再び白布を白ワインに掛ければ、サウスアガペーの方角から一台の馬車がやってきた。軽やかなステップで目の前へ停車した馬車に乗り込もうとしたとき、
「あら? そこにいるのはアレクシアさんにキリサメさんでして?」
「その声は……!」
背後から声を掛けられ振り返ってみると、私服姿のジェイニー・アベルとデイル・アークライトが立っていた。
「ジェイニーさんにデイル!」
「久方振りですわね」
「お前たちはなぜここに?」
「派遣任務の前に一度帰省しようかと。デイルさんとも偶然そこで出会いましたの」
「ぼ、僕も少し故郷に用事があったんだ。そしたらアベルさんが声を掛けてきて……」
おどおどしているデイルを鼻で笑いながら、私は視線をジェイニーへと向ける。
「まるで"この女に声を掛けられたくなかった"……とでも言いたげだな」
「アレクシアさんが変わらず失礼な方で安心しましたわ」
四人で馬車へと乗り込めば、サウスアガペーに向けてすぐさま発進する。十字架の道を通過している途中で、隣に座っていたジェイニーが懐かしむようにぽつりとこう呟いた。
「こうやってアレクシアさんたちと馬車に乗っていると……昔のことを思い出してしまいます」
「お前が調子に乗っていた過去の話か?」
「アレクシアさん、その言葉には悪意しか感じられなくてよ」
ジェイニーは溜息をつきながら「ですが間違いではありません」とやや肯定し、十字架の道に並べられている燐灰石を眺める。
「アカデミーに入学して、多くの方々と接して、多くの事を学んで、多くの訓練を受けて……私がどれだけちっぽけだったのかがよく分かりましたの」
「やっぱり、ジェイニーさんも色々あったんですね」
「はい、特に実習訓練では自分自身の弱さを実感させられましたわ」
「……実習訓練で何があった?」
デイルの横でジェイニーに同情するキリサメ。この女は実習訓練に関係する話題を上げた途端、露骨に表情が曇り始めたため、何かあったのかとジェイニーに追及した。
「原罪と、遭遇しましたの」
「原罪だと?」
「その原罪はアベル家の始祖──ニーナ・アベル」
(……あいつも実習訓練の場にいたのか)
ステラ・レインズとは言葉も交わしお互いに殺し合ったが、ニーナ・アベルとは顔すら合わせていない。私たちの位置は南の方角。恐らくは対称位置である北東の方角に向かったのだろう。
「私は滑稽でしたわ。抗うどころか、声すらも出せなかった」
「よく生き延びたな」
「救ってもらいましたの」
「誰に?」
「四ノ戒、ティア・トレヴァー様ですわ」
「……ティア・トレヴァー」
十戒であるティア・トレヴァーは、皇女であるヘレンと共にキャンプ地まで救護班として訪れていた。
「原罪と戦うところは見たのか?」
「いえ、逃げるよう指示されましたの。なのでティア様が戦うお姿を目にしては……」
(接敵したのは私がキャンプ地に辿り着く前か)
私と出会った時にはニーナ・アベルと接触している状態だとすれば、あの女はあまりにも冷静だった。平然を装っていたとしても、原罪と交戦したのなら無傷はおかしい。
「アカデミーの噂で耳にしましたわ。アレクシアさんも原罪と鉢合わせしたのでしょう?」
「あぁ、二度遭遇した」
「二度も……?」
「レインズ家の始祖であるステラ・レインズと……アークライト家の始祖、ミランダ・アークライトだ」
向かいの席にいるデイル・アークライトへ視線を送れば、もじもじと両手を動かしながら私から視線を逸らす。
「ミランダ・アークライト。アークライト家出身ならお前も知っているだろう」
「え、えっと……あんまり知らないかな……」
「知らないだと?」
「ぼ、僕がそういうのに……う、疎いから……」
どうも反応が悪い。まるで「自身の家系について聞かれたくない」と言葉を濁しているような態度だ。
「なら十戒のエリザ・アークライトについては?」
「あっ……えっと……」
「どうした? そいつとお前は血が繋がって──」
「ア、アレクシアさんに聞きたいことがあるんだ!」
沈んでいく声。私が問い詰めるように追及すれば、突然自身を奮い立たせながら大声を上げた。静寂に包まれた馬車内でジェイニーとキリサメは唖然としている。
「……聞きたいこと?」
「その、ア、アレクシアさんって……」
「あぁ」
「きゅ……きゅ……」
「何だ?」
デイルは聞こうか聞かないかを迷いつつも一呼吸置くと、私とやっとのことで視線を合わせ、
「──"吸血鬼"なの?」
「……!」
そう尋ねてきた。キリサメは予想外の問いに何度も瞬きをする。
「私を吸血鬼だと推察する根拠は?」
「ほ、本試験のときに子爵と戦って……肩に折れた刀身を刺されたよね」
「あぁ」
「その怪我の治り方が、あまりにも不自然だったから……。あの怪我だと肩に軽い後遺症が必ず残るのに、アレクシアさんは何の後遺症も残ってなかったみたいだった……」
(気が付いたのは……"あの時"か)
脳裏に過ぎったのはデイルが怪我に関する探りを入れてきた記憶。思い当たるのは入学式当日、アルケミスに到着するまでの馬車内の会話。
『ア、アレクシアさん……』
『何だ?』
『肩の怪我は、もう大丈夫なの?』
『既に完治している』
『そ、そうなんだ。それなら良かったよ』
こう見えてもデイルはアークライト家の端くれ。常に臆病だろうが、食屍鬼に対して逃げ腰だろうが、人体の構造や医療に関する知識は常人よりも遥かに理解が進んでいる。
(……警戒を怠ったな)
外見と性格が故に気を抜いた。私は馬車の窓から外を眺めながら脚を組み、自身の甘さを鼻で笑う。
「デイルさん、冗談でも限度がありますわ」
「で、でも……」
「よくお考えになって。アレクシアさんは昼間に出歩いていますのよ? デイルさんの考察が真実なら、既にアレクシアさんは灰になっているでしょう?」
「じゃ、じゃあ、完全に吸血鬼ってわけじゃなくて肉体の半分だけが吸血鬼とかは……?」
「半分? デイルさん、それはどういう……」
「えっと、詳しいことは理解できないと思うから簡単に説明すると……吸血鬼が日光で灰になるのは骨髄が死んでいるからで、アレクシアさんの肉体が半分人間だとすれば、骨髄は生きている状態になって灰にはならない……ってことかな」
(……この男、どこまで鋭いんだ?)
仮説を立証まで導くことが可能な知識量。キリサメもデイルの的を得ている考察に息を呑んでいた。
「デイルさん……あなたはどれだけアレクシアさんを吸血鬼に仕立てようと──」
「もういい」
ジェイニーは狼狽えながらも反論をしようとしたが、これ以上隠し通すのは不可能だ。私は脚を組み直し、窓からデイルへ視線を移す。
「お前の推察は当たっている。私の母体は吸血鬼で男体は人間。つまり私は半分人間で、もう半分が吸血鬼だ」
「ア、アレクシアさんまで、そんなご冗談を……」
「冗談じゃない。この男が語る推察、そのすべて真実だ」
未だに信用できないジェイニーは無言を貫いていたキリサメに援護射撃を求める視線を送った。しかしキリサメは俯くだけ。その反応にジェイニーも段々認めざるを得なくなる。
「あ、あの……キリサメくんは、いつから知ってたの?」
「あー……さっき話してた実習訓練で俺たちの方も色々あってさ」
「そ、そうなんだね……」
デイルとキリサメが会話をしている最中、隣に座っていたジェイニーが私から距離を取りつつも怯えた表情を浮かべていた。
「あ、あなたが……きゅ、吸血鬼だったなんて……」
「私が怖いのか」
「と、当然ですわ! 私たち人類の敵……イブキさんの仇ですもの!」
「……ジェイニーさん」
怯えているジェイニー。私はこの女を放っておくことにし、デイルを無表情で見つめる。
「なぜ私を密告しなかった?」
「そ、それは、その……」
「推察であろうとその仮説を説明すれば立証までいかなくとも、リンカーネーションは私を拘束して真実かどうかを確かめるだろう」
「そ、その通りだと思う。僕が誰かに今の話を伝えれば、アークライト家出身ってこともあって、アレクシアさんを捕まえたりしたのかなって……」
「だったらなぜだ? なぜ今まで黙っていた?」
伊吹圭太が助からないと判断した途端、治療をすぐに止めてその場を逃げ出す合理的な判断。この男の性格上、すぐさま報告してもおかしくはなかったはず。
「だ、黙るしかなかった」
「どういうことだ?」
「アレクシアさんは、僕なんかよりもぜんぜん賢い。だから僕が『正体に気が付いている』ことをアレクシアさんに勘付かれていると思ったんだ。もし不審な行動を起こしたら間違いなく殺されるから、黙ってることしかできなかった」
「なるほどな。そこまで考えていたのか」
利己的だとも捉えられるが、保身を第一に考えるのなら間違いではない。私は意外な一面に微笑すると、デイルは「で、でもね」と付け足すようにこう語った。
「ほんの少しだけ、考えが変わったんだ」
「変わった?」
「うん、イアンくんのおかげでね」
「……あの男か」
孤児院時代に共に過ごしてきたイアン・アルフォード。そういえばこの男はイアンと同じCクラスだった。
「イアンくんはアレクシアさんの話になると……とても楽しそうだった。アレクシアさんが暴発事件で他の生徒を庇った話を聞いたときも、誇らしげに『アレクシアみたいに俺も誰かを守らなきゃな!』って意気込んでたし……」
「あの男は変わらないな」
「だから本当に……アレクシアさんは人間の敵なのかなって考えるようになったんだ。アベルさんから実習訓練の話を聞いたら尚更そう考えるようになった」
「なぜだ?」
「原罪は名家出身の僕たちを狙っている。仮にアレクシアさんが敵なら、僕やアベルさんをあの騒動に紛れて本試験で殺していたと思うから」
デイルはこちらに詰め寄って、膝の上に置いていた右手を両手で握りしめる。
「教えて。アレクシアさんは敵なの? それとも味方なの?」
「……」
私の右手を握りしめるデイルの手は僅かに震えていた。ここまで頭が冴えているというのに、この男は私を信じようとしているのだろう。
「私は人間の肩を持つつもりはない。ただこの世の吸血鬼共を死滅させるだけだ」
「え、えっと……それは"中立の立場"ってことだよね?」
「好きに解釈すればいい」
素っ気ない態度を取るとデイルは安心したように私から手を離し、自分の席へゆっくりと座り込んだ。
「あのさデイル、アレクシアのことは……」
「黙っておくことにしたよ。アレクシアさんを信じてみる」
「デイル……!」
歓喜の声を上げるキリサメ。私は未だに隣で神妙な面持ちで話を聞いていたジェイニーを横目で見る。
「お前はまだ私に怖気づいているのか」
「私は、すぐに信用はできませんわ。考える時間を貰ってもよろしくて?」
「好きにしろ」
丁度サウスアガペーに到着したようで停車する馬車。私たちは一人ずつ馬車から降りて、久々の街並みを見渡した。
「……私はこれで失礼しますわ」
「おう、またなジェイニーさん」
ジェイニーは人混みへと消えていく。キリサメが心配そうにその後ろ姿を見つめている他所でデイルが私の側に歩み寄ってきた。
「ア、アレクシアさん……その、お願いがあるんだけど……」
「何だ?」
「今って、僕とアレクシアさんは顔見知りの関係でしょ? あの、次は"知り合い"になってほしいんだ」
「……勝手にしろ」
私がそう返答すると表情を明るくさせ、一度だけ大きくお辞儀をする。
「あ、ありがとう! こ、これからよろしくねアレクシアさん!」
そして足取り軽く、人混みを駆け抜ける。
「ん? デイルと何を話してたんだ?」
「知り合いになったらしい」
「は? なんだよそれ……?」
「知らん」
その答えに首を傾げるキリサメ。私は溜息をつくと、この男と共にシーラの待つ家へ訪れることにした。