お互いに誤解が解けたことでデイルがジェイニーの応急手当を始めると、フローラは使用人に裏庭の掃除を命令する。私は気迫が薄れたフローラから謝罪を受け、屋敷の壁へ背を付けた。
「……私たちを殺そうとした理由は?」
「それは貴方たちが吸血鬼に雇われたそこらの盗賊なのかと……。この屋敷に忍び込んで、ジェイニーを暗殺しようとしているだと思い込んで……はぁ、早とちりをしてはいけませんね、私の悪い癖です」
「き、気にしないでください! あんな状況で大切な妹が酷い目に遭っていたら、誰でもそういう勘違いしますよ!」
自身の限度を超えた勘違いにショックを受けているフローラ。大きな溜息をつき、かなり落ち込んでいる。見兼ねたキリサメはどんよりとしたフローラを励ますように言葉を掛けた。
「貴方たちが許してくれても、主は私を許してくれませんよ……あぁ罪の無い子羊に罰を与えようとするなんて……」
「アレクシア……」
「放っておけ」
それでも尚、落ち込んでいるフローラを他所に、ジェイニーの応急手当が済んだデイルが「これで大丈夫」と呟きその場に立ち上がる。
「デイル、ジェイニーさんの怪我は……?」
「えっと、とりあえず止血はできたよ。多分数時間後には目が覚めると思う」
「ほんとか?! すごいなデイル!」
「う、うん……凄い、のかな……?」
「あぁそれに比べて私は負傷者を増やすことしかできないなんて……」
「ひ、人には得意不得意があるんすよ! そんなに落ち込まないでください!」
マイナスな思考に浸るフローラを再び慰めるキリサメ。デイルは屋敷の壁に背を付け、返り血をハンカチで拭いている私の元まで近づいてきた。
「……アレクシアさんはジェイニーさんを殺すつもりなんてなかったよね?」
「なぜそう思う?」
「あれだけ出血して、ジェイニーさんの頭部を石の床に激しく叩きつけていたのに……僕の想像していたよりも傷が浅かったから。もしアレクシアさんが本気だったら、今頃ジェイニーさんは死んでいてもおかしくない」
「……どうだろうな」
「それにジェイニーさんを本気で殺すつもりなら、そもそも鞘から剣を抜いていたはずだよ。アレクシアさんの性格上、変に時間を掛けることを嫌がるし」
止めに入らなかったのは理解してたから。そう主張したげなデイルの横を通り過ぎ、机に並べられたマカロンを一つ手に取ると頬張った。
「私が不利になるようこの菓子に毒を仕込まなかった。あの女は私よりも甘い」
ジェイニーが使用人に運ばれていくのを横目に、慰められているフローラの元まで歩み寄る。
「あの女の遺書を見せろ」
「どうして?」
「ここまで災難に巻き込まれた。私にも見る権利はあるだろう」
フローラからジェイニーの遺書を受け取り、どのような内容が書かれているか目を通す。前半はその辺の人間と同じような遺書の構成だが、後半のとある一文で私は目を止めた。
『本試験で起きたイブキさんの件に続いて、アカデミーで振るわない成績、実習訓練での醜態、私はアベル家の名誉と評判に泥を塗り続けています』
「……」
ジェイニーとはアカデミーへ入学してから一度も関わっていない。成績が上手くいかないことも、実習訓練で醜態を晒したことも噂ですら耳にしていなかった。
『だから私は、私を変えなければなりません。淑女としての驕りを捨て、この身体が汚れようとも──ジェイニー・アベルが立ち上がれるように』
「……」
『もし私が姿を消してしまっても探さないでください。これは私が覚悟を決め、私自身で決めたことです。今までお世話になりました。アベル家に栄光あれ』
ジェイニーは「自身の死は不慮の事故として扱われる」と述べていたが、この手紙からするに行方を暗まそうとしているように見えるが、
(……そういうことか)
実際はあの場で殺されたとき、ジェイニーは自分の遺体を使用人に隠蔽し、行方不明者として扱ってもらおうとしていたのだろう。私が遺書をすべて読み終えると、フローラが思い詰めた表情で掃除をしている使用人に視線を向ける。
「ジェイニー、まだ気にしていたみたい」
「……知っていたのか?」
「こう見えても私はジェイニーのお姉ちゃんですもの。身元不明の青年、成績不振、実戦で手が震える……様々な相談を受けたので真髄に悩みを聞きました」
「それでこの有様か」
「はい、私では力になれなかったみたいですね……」
がっくしと肩を落とすフローラ。私とキリサメを殺そうとしたあの気迫はどこへ消えたのか。もし仮にこれが本来の姿ならば、ジェイニーがあのように血迷っていたのも理解できる。
「お前は何をしにここへ来た?」
「ジェイニーが久々に屋敷へ顔を出すと聞いたので、私もお姉ちゃんとして顔ぐらい見せようかなと……」
「今まではどこに?」
「エリザさんとドレイク家の領土に……」
ラミアが支配していたドレイク家の領土。同じ十戒であるエリザ・アークライトと共にあの一帯へ訪れたらしい。
「なぜ?」
「森林を焼き払うためです」
「誰が焼き払うんだ?」
「私です」
先ほどまで暗い表情だったというのに話題が変わった途端、フローラは自信満々の笑みを浮かべる。
「あの広さを焼き払うのには時間がかかるだろう」
「いえ、そうでもないですよ」
「……まさかもう終わったのか?」
「はい、あの場所は既に更地になりました」
「短時間でどうやって焼き払った?」
「それは我が主のみぞ知る
見ていて苛立つ態度に嫌気が差し、フローラへ背を向けて裏庭から出ていくことにする。
「アレクシア、ジェイニーさんが目を覚ますまで待たないのか?」
「私はこの"茶番"に巻き込まれた側だ。待つ必要はどこにもない」
「お前なぁ……!?」
「アレクシアさんの言う通りだよ。今日中に目が覚めたとしても安静にした方がいいし、何よりも僕たちはこの屋敷にお邪魔してる側だから……今日は帰って、また今度お見舞いにこればいいと思う」
「そ、そうかもしれないけどさ……」
私を援護するようにデイルが賛成すればキリサメは反論できず項垂れる。会話を聞いていたフローラは「そうですね」と頷きながら使用人を一人だけ呼び寄せた。
「この方たちを屋敷の広間まで案内してあげてください」
「かしこまりました」
使用人は「こちらへ」と私たちを屋敷内へと案内する。
「あのー、また明日か明後日とか……ジェイニーさんのお見舞いに来てもいいですか?」
「はい勿論です。屋敷の者には私から事情を説明しておきますよ」
「あ、ありがとうございます!」
キリサメとデイルが軽く会釈をしながら屋敷へ入っていくと、フローラは見送るようにして手を振った。
「ジェイニーが迷惑をかけたお詫びに、貴方には主からのお告げを与えてあげましょう」
「……お告げ?」
キリサメとデイルが裏庭から出ていく。その瞬間を待ち望んでいたかのように、私へ声を掛けてくるフローラ。
「"己を愛し、汝の隣人をも愛せ"」
「何が言いたい?」
「私には分かりません。このお告げを汲み取れるのは我が主、もしくは──貴方自身だけです」
私はお告げをほざいているフローラを鼻で嘲笑い、屋敷内へと足を踏み入れる。
「神など偶像に過ぎん。そのお告げとやらも所詮はお前の脳内で創り出した戯言だろう」
「そう思いますか?」
「そうとしか思えんな」
そしてフローラへそう吐き捨て、私は裏庭を後にした。
────────────
T機関の主導者であるティア・トレヴァー。彼女は自身の書斎室で派遣任務の報告書に目を通していた。
「ティア、入っていいか?」
扉のノック音と共に聞こえてくるヘレンの声。ティアは書斎机に置いてある狐の面を顔に付ける。
「えぇ、いいですよ」
その返事を聞いたヘレンが書斎室に顔を出せば、ティアの姿を目にして苦笑した。
「室内でもそのマスクを付けて……息苦しくないのか?」
「もう慣れています。それよりも私を尋ねた理由は?」
「あぁ、君に少し頼みがあるんだ」
ヘレンは持っていた一枚の紙をティアへと手渡す。
「これは?」
「計画書だ」
ティアはお面越しに計画書を黙読する。ヘレンはその間、時計の針が一定の間隔で鳴らす音を耳にしながら、書斎室の本棚を物色していた。
「ヘレン」
「ん、どうした?」
「正気ですか?」
彼女の表情は窺えないものの、ヘレンは自身に向けられた視線に不信感が含まれていると肌で感じ、ティアと正面から向かい合う。
「リスクとリターンが見合いません。こんな馬鹿げた計画書は誰が?」
「パーシーだ」
「またあの"おやじ"ですか。ロストベアの支部がやられたとは聞きましたが……歳と焦りも相まって柔軟な考えができないようですね」
「そう言ってやるな。パーシーもP機関としての汚名を返上したいのだろう」
「だからといって『ロストベアのクルースニク協会から情報を盗むため、アカデミーの生徒をスパイとして送り込む』……このような苦肉の策が通るとでも?」
ティアは論外だと計画書を書斎の机に置くと、先ほどまで目を通していた報告書へ視線を移した。
「私はこの計画に賛成することにしたよ」
「……私は反対です。現状クルースニク協会との関係は過去最悪、もし仮にスパイを送ったことが明らかになれば関係は途絶えるでしょう。それにスパイ役として未熟な生徒をあの無法地帯に送るのは、その生徒を殺すようなものです」
「あぁ、君の言っていることは正しいな」
「ならヘレン、あなたもあの"おやじ"と頭を冷やしてみては? 吸血鬼たちの情報が不足していることにあなたも焦っていて──」
「だがどうしてもこの計画を遂行したいんだ」
ヘレンは言葉を遮ると計画書が置かれた机で身体を乗り出し、ティアへ顔を近づける。ティアは「またか」と言わんばかりに溜息をついた。
「……話だけは聞きましょう。まず私の前に顔を出したのは、この計画を進めるうえで私の協力が必要ということですか?」
「あぁ、一週間後にシメナ海峡を渡る予定だろう?」
「ええそうですね」
「そこにスパイ役としてとある生徒を同伴させてほしいんだ」
「とある生徒、まさかだとは思いますが……」
ティアは"とある生徒"という言葉に察すればヘレンは肯定するように頷く。
「そうアレクシア・バートリ──彼女をスパイとしてクルースニク協会へ潜り込ませる」
「選抜理由は?」
「彼女を選抜した理由は二つ。一つ目は生徒の中であらゆる面において群を抜いているから。二つ目は彼女が"一般家系生まれ"だからだ」
「一つ目は私からすれば真偽は不確かなものです。ただ二つ目に関しては"名家生まれ"だとクルースニク協会の者たちが気づくから……という理由で納得がいきますね」
机に置かれた計画書を再び手に取り、数センチ先にあるヘレンの顔を見上げたティアは「やれやれ」といった素振りを見せる。
「ロストベアまでの船旅に護衛として"クリス・オリヴァー"、"ナタリア・レインズ"の二人も同伴させる」
「……? 船旅に何故護衛が必要に?」
「アレクシア・バートリは眷属や原罪と度々遭遇している。ロストベアまでの船旅、もしものことがあった時の為だ」
「しかしその二名はアカデミーの生徒です。護衛として同伴させるのであれば十戒の"ソニア"や"エレナ"を希望します」
「ソニアとエレナはP機関の支部を調査している最中だ。今この場で帰還要請をしても間に合わない」
ティアは羽根ペンを握り、伝えられた情報を計画書へ付け足すようにスラスラと書き込んだ。その最中でティアは疑問点をこのように述べる。
「スパイとして送り込むのはアレクシア・バートリのみで? 私としてはあの生徒に全てを任せるのは避けたいところですが」
「それも念頭に置いているよ。現状では彼女以外にも"二名ほど"の候補者を送るつもりだ」
「その二名の中には"あの生徒"も入っていますか?」
「あの生徒……?」
「
ヘレンが首を振って「入っていない」と否定すれば、ティアは顔を上げてヘレンと視線を合わせた。
「霧雨海斗も候補者として加えることを希望します」
「どうして彼を候補者に?」
「ヘレン、それはあなたも理解しているはずですよ」
「……」
ティアの言及にヘレンは口を堅く閉ざしてしまう。
「いえ、少々言い方を変えましょう」
数秒経過しても返答がないヘレンに対して、ティアは計画書と羽根ペンを書斎机の隅に置くと、
「あなたは認知しているはずです──"彼のような存在"を」
一言一句慎重に、ゆっくりかつハッキリと、ヘレンへそう問いかけた。