ЯeinCarnation   作:酉鳥

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4:14 Well ─井戸─

 町中に紛れ込んだとされる吸血鬼の始末。私たちは面倒事を押し付けられ、船着き場の前で「どうしたものか」と行動を起こせず足を止めていた。

 

「お前さんたち、これからどうする?」

「何もしない。問題を解決できなければ明後日の出航になるからな」

「あの人はそれを許してくれるのか?」

「素性も分からん異界の霧とやらが立ち込める中で出航するか、それとも霧が晴れた後に出航するか。どちらが利口な選択かは明白だろう」

 

 私はクリスに自身の考えを述べてから、休息を取るため宿屋に向かって歩き出そうとしたのだが、

 

「見てください! あそこに強そうな人がいますよぉ!」

「……おい」

 

 ナタリアが引き止めるように私の片腕をガシッと掴んだ。振り払おうと軽く腕に力を込めるがびくともしない。

 

「もしかしなくても襲撃者かもしれませんねぇ! 行ってみましょうよアレクシア・バートリさん!」

「襲撃者らしき人物の前に敢えて顔を出す愚か者がどこにいる──」

 

 こちらの言葉など耳に入っていないようでナタリアは私を持ち上げて右肩に(かつ)ぐと、柵を乗り越えて浜辺へ着地する。

 

「お前さん、ちょっと待て……!」

「ほらほらぁ、お前たちも行きましょうよ! 殺すのは早い者勝ちですよぉ!」

 

 クリスの静止を無視して全速力で駆け出すナタリア。私は担がれながら溜息をつき、柵を飛び越えて追いかけようとするクリスとキリサメを眺める。

 

「おい」

「はい?」

「せめて担ぐ向きを変えろ」

「なるほどなるほど、分かりましたぁ!」

 

 浜辺を全速力で駆けているナタリアへ声を掛け、担ぐ向きを変えるよう指示をすると、走りながら前方が見える方角へ私の身体の向きを変えた。先ほどまで尻を突き出す態勢だったため、流石に格好がつかない。

 

「で、どこに襲撃者がいる?」

「はいはい、この洞穴に入っていきましたねぇ!」

 

 そう言って急に立ち止まった場所には波浪(はろう)によって形成された海蝕洞(かいしょくどう)があった。ナタリアは担いでいた私からパッと手を離したことで、うつ伏せの状態で何とか着地する。

 

「はぁはぁっ……お前さんたち、やっと追いついたぞ」

「おやおや、遅かったですねぇ?」

「ナ、ナタリアが速すぎるだけだろ……」

 

 息を切らしながら後を追いかけてきたクリスとキリサメ。立ち止まり両膝に手を付くと私とナタリアの前にある海蝕洞(かいしょくどう)に視線を向ける。

 

「ではでは、行ってみましょうかぁお前たち!」

「お前さん基準で動かれたら体力が持たない。少しは落ち着くことを覚え──」

「アレクシア・バートリさん、怖いのであれば私が担ぎましょうかぁ?」

 

 休ませる時間も与えずナタリアは履いているブーツを脱ぎ捨て素足になると、海蝕洞(かいしょくどう)へ侵入しようと海水に浸かった。そして私を再び連れて行こうとこちらへ歩み寄ってくる。

 

「必要ない」

 

 断ろうとしても強引に連れて行かれるだろう。そう考えた私は岩陰まで移動をしてから手提げの鞄を置き、ブーツと左右のソックスを脱いで素足になる。

 

(……この紋章を見られると厄介だ)

 

 紋章を隠すために履いていた長いソックス。左脚の紋章を隠すために上からグルグルと巻くと、左脚を軽く動かして結びが(ほど)けないことを確認する。

 

「行くぞ」

「はい! どんな野郎がいるか楽しみですねぇ!」

 

 岩陰からナタリアに声を掛けると私は両足を海水に浸からせた。海蝕洞(かいしょくどう)の奥まで続く通路は昼間でもやや薄暗い。

 

「俺とカイトはここで見張りをしておく。何かあったら銃声の一つでも鳴らしてくれ」

「二人とも気を付けろよ!」

「あぁ」

 

 クリスとキリサメに見張りを任せ、私たちは海蝕洞(かいしょくどう)の最深部を目指し突き進む。

 

「アレクシア・バートリさん? 遅いですよぉ、もっと早く歩けないんですかぁ?」

「何があるか分からん。ここは慎重に進むべきだろう」

 

 両脚が冷えた海水によって膝丈まで沈んでいるうえ、切れ物が通路に転がっていれば足を傷つける……というのにナタリアは警戒どころか足元すら見ずにどんどん先へと進んでいくのだ。

 

「やっぱり私が担いだ方が早かったですねぇ」

「今になって御守(おも)りをしてもらうつもりはない」

 

 私はふと岩盤の天井を見上げる。岩と岩の間に切れ目が入っているため、そこから日光が差し込むことで海蝕洞(かいしょくどう)内を明るく照らしていた。日が沈めば、この辺りは真っ暗で何も見えなくなる。

 

「お前は襲撃者を見たと言ったな?」

「はい、バッチリこの眼球で見ましたよぉ!」

「どんな容姿をしていた?」

「強そうな野郎でしたねぇ! 髪色は真っ白で、ボロボロのコートを着て、きったねぇ袋を持った……とにかく襲撃者に間違いない野郎でした!」

「よくあの距離からそこまで鮮明に見えたな」

「はい、逆に見えないんですかぁ?」

 

 船着き場の入り口からこの海蝕洞(かいしょくどう)までの距離は数キロ先。人影とまでは認識できるが、衣服、髪色、そして所持品まで見える視力は通常あり得ない。レインズ家の血筋によって化け物染みた視力が備わっているのだろう。

 

「おやおや、何かありますよぉ?」

 

 通路の最深部であろう空洞に辿り着くと、大きく穴の空いた天井から太陽が覗き込んでいた。空洞の中央には苔の生えた古井戸。私とナタリアは古井戸まで歩み寄り、中を覗き込んでみる。

 

「わぁ、暗いですねぇ!」

「奇妙な井戸だ」

「ばりえぁぶるぁでぇるぉぶぁ?」

「……お前は何をしている?」

 

 古井戸の中は海水で満たされていた。他に何かないか辺りを見渡していると、私の隣でナタリアが顔を海水に浸けブクブクと泡を立てる。

 

(向こうにまだ通路があるか)

 

 目に入ったのは海水に沈んでいない上り坂。私はそちらへ視線を向けつつ、古井戸にこびり付いていた苔に手を触れた。

 

(……この痕跡はまだ新しいな)

 

 古井戸に手を乗せる部分の苔がやや潰れている。まるで『この部分を乗り越えて古井戸へ入ろうとしていた』かのような痕跡だ。 

 

「ぶはぁー!」

「何か見えたか?」

「はい! この井戸、ずぅーっとずぅーっと下まで続いてますねぇ!」

「それは見なくても分かる」

「ではでは、早速潜ってみます?」

「却下だ」

 

 ナタリアが濡れた顔を乾かそうとブンブンと頭を振り回すのを他所に、私は上り坂の通路へ向かって歩を進める。 

 

「おやおや、そちらに何かあるんですかぁ?」

「まだ道が続いている」

「いいですねぇ、では私が一番乗りさせてもらいますよぉ!」

 

 先頭は歩かせまいと私の横を通り過ぎ、全速力で駆け上がっていくナタリア。私は特に歩く速度を早めず、そのままのペースで上り坂を進んでいく。

 

「ここは……」 

 

 すると薄暗い海蝕洞(かいしょくどう)から丘の上の野原へ景色が一変した。丘の頂上には、永い年月そこに生えていたであろう一本松が待ち構えている。

 

「わぁー! 私の方が速いですよぉ!」

 

 先に丘の上へ辿り着いたナタリアは野原に飛び交う蝶を追いかけ回す。私はその光景を横目に、野原の温かさを素足で踏みしめながら一本松へと近づいた。

 

「……」

 

 この場所を知っているかのような感覚。私は一本松に手を触れながら見上げると、一枚の葉が足元にゆらりゆらりと落ちる。

 

「なるほど。ここから"アストラ"まで続いているのか」 

 

 後方を振り返れば、辺り一面が森林だった。私はこの森が実習訓練を行ったアストラまで続いているのだと理解する。

 

「戻るぞ」

「ここに襲撃者の野郎はいないんですかぁ?」

「あぁここには……一本松以外は誰もいない」

 

 特に怪しい痕跡も残っていなかったため、私はナタリアを連れて下り坂となった道を戻る。そして冷たい海水へと再び足を浸け、古井戸をもう一度調べることにした。

 

「やっぱりここを潜るんですねぇ!」

「潜らん」

「ならどうするんですかぁ?」

「恐らく夜になれば潮が引く。調べる機会はその時だ」

「なるほどなるほどぉ! 襲撃者の野郎を殺すのはその時ですかぁ!」

 

 深夜に訪れる干潮。

 私とナタリアは古井戸の底を調査する機会はその時機だという結論に至り、クリスやキリサメが待つ海蝕洞(かいしょくどう)の入り口まで引き返す。

 

「お前さんたち、やっと帰ってきたな」

「何かあったのかと心配したぜ……」

 

 平常心のクリスと胸を撫で下ろすキリサメ。私たちは海水から上がると、脱ぎ捨てていたブーツなどを履き直した。

 

「この奥、何かあったか?」

「あったものと言えば、海水に満たされた古井戸だけだ」

「古井戸だって? こんな大穴に何故そんなものが……」

「知らん。だがこの女が見た人影というのは古井戸の底にいる可能性が高い。真新しい痕跡も残っていたからな。底を調べるにしても潮が引いた時機にしないと溺死する」

 

 手提げの鞄を持ち上げつつ岩壁に背を付け、私が考察をそう述べればクリスが右耳を手で覆う。

 

「井戸の底って……今は海水で満たされてるのにどうやって入ったんだ?」

「きっと、多分、絶対に吸血鬼ですよぉ!」

 

 疑念を抱いているクリスにそう答えるナタリア。その表情は吸血鬼と出会えるという期待に満ちていた。

 

「その吸血鬼ってさ、町のトラブルの原因になるやつだよな?」

「だとすれば調べる必要もない」

 

 私は調査の必要はないと決めつけ、浜辺を歩いて宿屋へ向かう。

 

「おやおやぁ? 襲撃者の野郎を殺しに行かないんですかぁ?」

「言い忘れていたが……襲撃者と決めつけているのはお前だけだ」

「ではでは、アレクシア・バートリさんに襲い掛かってもらいましょうよぉ!」

「……何を言っている?」

「襲い掛かれば襲撃者になるんですよねぇ? では襲い掛かってもらって、私が襲撃者の野郎をぶっ殺すで筋が通りますよぉ! 私、何か間違ったこと言ってますか?」

 

 私とクリスは呆れて反論すら言えず、キリサメは「どういう理論だよ……」と頬を引き攣りながら呟いている。

 

「俺はアレクシアに賛成だ。調べるのもだりぃし、明日出航になるのもだりぃからな」

「まぁ俺もあんま危ない目に遭いたくないしさ、アレクシアとクリスに賛成──」

「あっ! カイト・ハルサメさんに襲い掛かっても襲撃者になるんでしたねぇ!」

 

 クリスに便乗し私に賛成しようとしたキリサメに詰め寄るナタリア。嫌な予感がしたのか、キリサメはすぐさま距離を取る。

 

「お、俺は行かねぇからな!?」

「どうしてですかぁ? 襲撃者になる予定の野郎を殺したいと思いますよねぇ?」

「いやいや! 何で襲われるはずの俺が自分から顔を出す必要があんだよ!?」

「それは勝つためですよぉ! 自分から勝ちに行かなくてどうするんですかぁ?」

「か、勝つって──」

 

 ナタリアの圧に押されそうなキリサメの腕を引きながら再び宿屋へ向かう。クリスもナタリアを放って私たちの後を付いてきた。

 

「お前さん」

「はい?」

「今さっき宿屋の前で強そうな奴が歩いてたぞ」

「強者! 強者ですかぁ! それは是非とも会いたいものですねぇ!」

 

 そして間抜けでも分かるような嘘を吐けば、ナタリアは完全に信じ込み、宿屋まで全速力で駆けて行った。

 

「クリス、ナタリアの扱い上手くねぇか……?」

「俺とナタリアは同じノースイデア出身だ。幼少期からあいつのことは知っている」

「お前は苦労人だな」

「同情の言葉はここまで心に染みるんだな」

 

 浜辺を走り抜けるナタリアの後ろ姿を眺めながら、私たちはゆっくりと浜辺と歩き、宿屋へと顔を出すことにした。

 

 


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